いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
体育祭のルールが発表された月曜日の放課後。
ケヤキモール内にあるカラオケ店の薄暗い一室に、四人の生徒が集まっていた。
オレとDクラスを率いる堀北鈴音。そして、同盟関係にあるCクラスのリーダー・龍園翔と、その参謀である金田悟だ。
「今回の体育祭……私たちは、なんとしてでもAクラスを最下位に沈める必要があるわね」
マイクも持たず、デンモクに見向きもしない堀北が、毅然とした態度で口火を切った。
「ええ、その通りです。ここで彼らに一位を取られるようなことになれば、ポイント差的に逆転するのは極めて厳しくなります」
金田が眼鏡の位置を中指で直しつつ、堀北の意見に強く同意する。
四位のペナルティがマイナス150クラスポイントという今回の体育祭は、下位クラスにとってAクラスの独走を止める最大の、そしてもしかすると最後のチャンスと言えた。
「ククク。威勢がいいのは結構だがな、鈴音。俺たちが組んでまともにやり合ったところで、Aクラスが最下位になることはねぇだろうな」
ソファーに深く腰掛け、足を組んだ龍園が不敵に笑う。
「……ええ。だからこそ、お互いの利害が完全に一致する今回は、坂柳さんたちBクラスとも協力して、三クラス合同で対Aクラスの包囲網を敷くべきだと思うわ」
堀北も龍園の指摘を否定せず、最初から『三クラス同盟』を前提とした戦略を口にした。
(それしかないだろうな)
オレは出された烏龍茶のグラスを見つめながら、内心で堀北の意見に同意した。
純粋な身体能力が問われる体育祭において、Aクラスの地力はあまりにも高い。規格外のポテンシャルを持つ惣右介をはじめ、運動神経抜群の柴田、全体的に能力の高い神崎。女子に至っても、津辺や安藤など、身体能力の高い生徒が何人も揃っている。おまけに、単純な頭数でも有利だ。
二クラスで結託した程度では、彼らを最下位に沈めることは難しい。
(だが、三クラス合同で完全な包囲網を敷けるならば話は別だ。この体育祭は、人数の暴力と情報戦が極めて有効に働く)
事前のエントリー状況はアプリで常に確認できる。Aクラスが先に動けば、向こうの主力に対してこちらの精鋭を後出しでぶつける、的確な布陣が敷ける。
逆に、向こうが警戒してエントリーを渋るようなら、三クラスの圧倒的な手数を活かして美味しい競技の枠を先に独占し、効率よく得点を重ねていけばいい。
(それに、当日公開される種目や、空き枠への当日参加もある。刻一刻と変わる状況への対応が求められるが……身体的な理由で競技に参加できない坂柳に全体の指揮を任せれば、オレたちは純粋に競技に集中できる)
三クラスの戦力と、坂柳有栖という極めて優秀な司令塔。
盤面全体を完全に支配するだけの布陣が完成すれば、Aクラスといえども、この構造的な不利を覆すことは不可能に近い。
「坂柳が簡単に首を縦に振るかは分からねぇがな」
龍園が、少しだけ面白そうに目を細めた。
「Aクラスとしても、三クラスでの包囲網は当然警戒しているはずだ。なら、Bクラスに一位を譲る条件で同盟を組んでくる可能性もある」
「そうなると、単純に人数差と地力でこちらが不利になりますね……」
金田が顔を顰める。
もしAクラスとBクラスが手を組めば、もはやC・Dクラスに勝ち目は皆無に等しい。
「懸念材料はそれだけじゃねぇ。向こうには藍染と一之瀬がいるからな。全学年が同じ種目にエントリーできる以上、一年生や三年生が、あいつらの味方につく可能性もある」
龍園のその指摘は、的を射ていた。
「……龍園の言う通りだな。幅広く友好的な関係を築いている一之瀬の人望。それに、惣右介を狂信的に信奉している一年Aクラスの藤泉のような連中もいる」
オレは静かに口を開き、会議に言葉を添えた。
「もし、Aクラスが彼らにプライベートポイントなどの報酬を提示して『他学年のエース級』を自陣営に引き込めば、学年内の三クラスで包囲網を敷いたところで、容易に切り崩される可能性はあるな」
「チッ……。改めて並べ立てると、反吐が出るほど厄介な手札が揃ってやがる」
龍園が忌々しげに舌打ちをした。
クラス内での絶対的な統率力に加え、他学年への影響力。藍染惣右介と一之瀬帆波という二人のカリスマが融合した今のAクラスは、まさに難攻不落の要塞と化している。
(もっとも、他学年との共闘がそう簡単に成立するわけではない。仮に三年生が南雲の指揮の下、学年全体を動かして惣右介たちの支援に回ればオレたちも為す術はないが、南雲も惣右介を強烈にライバル視している以上、自ら塩を送るような真似はしないだろう。……現実的に警戒すべきは、一年Aクラスだ)
現在、一年AクラスはBクラスに対してクラスポイントの面である程度の余裕を持っている。何より、藤泉要の惣右介に対する信奉ぶりは異常だ。
(あいつなら、一年Aクラスの運動に秀でた精鋭たちをオレたち同盟陣営の主力に意図的にぶつけ、徹底的に得点を削りにくる……という戦術すら、無条件で喜んで引き受ける可能性は高い)
「結局のところ、坂柳さんとの交渉次第ということね。Bクラスを引き込めなければ、お話にならないわ」
「ああ。坂柳から俺の元へは連絡が来ている。この後、交渉に向かうところだ」
龍園がスマホの画面を軽く叩きながら答えた。
すでに水面下での探り合いは始まっているようだ。
「分かったわ。今日の22時からエントリーが始まるけれど、すぐに枠を埋めるようなことはせず、あなたの交渉次第で明日以降に詳細な作戦を組む方が良さそうね」
堀北が結論を出すと、龍園も「あぁ、そうしとけ」と短く応じた。
対Aクラスという共通の巨大な敵を前に、かつてはいがみ合っていた両クラスのリーダーが、今はこうして手を取り合い、冷静に盤面を見極めようとしている。
(……坂柳が、どう出るかだな)
オレは静かに烏龍茶を喉に流し込みながら、この後行われるであろうCクラスとBクラスのトップ会談の行方に、密かに思考を巡らせていた。
ケヤキモール内の、少し落ち着いた雰囲気のカフェ。
指定された一番奥のテーブル席には、すでに坂柳と葛城の二人が腰を下ろし、優雅に紅茶を傾けていた。
そこへ、少し遅れて龍園が両手をポケットに突っ込んだまま歩み寄る。
「……」
龍園は遅れたことを詫びる素振りなど一切見せず、無言のままドカッと対面の席に腰を下ろした。
坂柳も葛城もそれを咎めることはなく、ただ静かに視線を交わす。
運ばれてきたコーヒーを龍園が一口飲んだところで、坂柳がふわりと微笑みながら口を開いた。
「今回の体育祭。龍園くんはどうお考えで?」
「ああ? AクラスもBクラスも潰す。それだけだ」
龍園は鼻で嗤い、挑発的に言い放つ。
だが、そんなハッタリに動じる坂柳ではない。
「ふふふ。虚勢は結構ですよ。あなたも分かっているでしょう? Aクラスを最下位に沈めるには、三クラスで包囲網を敷くしかないと」
「ククク。それで? こっちのお仲間に加えてやってもいいが、いくら俺たちに払うつもりだ?」
自分たちが主導権を握っているかのように要求を突きつける龍園。
しかし、坂柳はクスリと笑って紅茶のカップを置いた。
「勘違いしていらっしゃるようですね。私たちは、あなたたちと『組まなくても良い』のですよ。すでに、一之瀬さんからも同盟の打診は来ていますからね」
「あくまで対等な協力関係だと? お前たちがAクラスと協力したところで、Aクラスが一位を取るだけだろう。ここでこれ以上差をつけられるつもりか?」
龍園が鋭い視線で坂柳を射抜く。
「ええ。ですが、Aクラスからは『一位を譲っていただく上に、プライベートポイントまで支払う』という非常に好条件での契約を打診されていましてね。あなたたちと組むのならば、それ相応の対価が必要です」
「お前たちに一位を譲れと? Aクラスを沈めたところで、お前たちに勝たれちゃ意味がねぇんだよ」
龍園が舌打ちをして身を乗り出す。
「ふふふ。それはもちろんです。Aクラスを最下位に沈められるならば、私たちは三位のプラスマイナスゼロでも構わない。そう思っています。ですが――ただ三位になるだけでは、Aクラスからプライベートポイントを貰った上で協力する方が、クラスとしてのメリットがはるかに大きいですからね」
完全に足元を見た、冷酷なまでの交渉術。
坂柳の言う通り、Bクラスにとってはどちらに転んでも美味しい状況なのだ。だからこそ、C・Dクラス陣営により高い条件を突きつけている。
「……チッ。調子に乗るなよ。お前たちが向こうに協力するのなら、俺たちはAクラスを無視した上で、Bクラスを完全に叩き潰しにいくまでだ」
「ええ。Dクラスとの協力関係があれば、それも可能でしょうね」
龍園の脅しにも、坂柳は涼しい顔で相槌を打つ。
「ですが、それをすると手薄になったAクラスが間違いなく一位を取ってしまう。ここでさらに差をつけられると、下位のクラスは逆転の可能性が限りなくゼロになると言ってもいいでしょう。……それを理解しているからこそ、あなたはここに足を運んだ。そうでしょう?」
「……チッ。だが、お前たちに払うプライベートポイントは一銭もねぇぞ」
凄むように睨みつける龍園に対し、坂柳は杖の先で床をコツンと叩いた。
「ふふふ。心配には及びません。ポイントを支払う必要はありませんよ。……葛城くんとあなたが去年の夏に結んだ契約の破棄。これで手を打ちましょう」
「…………チッ。いいだろう。そのためにわざわざ葛城を連れてきたってわけか」
毎月一定のプライベートポイントをCクラスに支払い続けるという、葛城の負の遺産。
それを帳消しにできるのであれば、Bクラスにとっても今後の資金力において大きなアドバンテージとなる。
「ふふふ。龍園くんなら、葛城くんがいる時点で見当はついていたでしょう?」
「……まあいい。だが、同盟が成れば、競技に参加できねぇお前が全体の指揮を執ることになる。俺たちを出し抜いて、てめぇのクラスを一位にするような小狡い采配を振るった時は……ただじゃおかねぇぞ」
「ふふっ、ええ、心得ていますよ。その懸念を払拭するためにも、後日、先生方を交えて正式な契約を結びましょう。もし私がBクラスを不当に優遇するような采配を振るえば、重いペナルティが発生する形でね」
互いの条件が完全に擦り合わせられ、同盟の形が明確に定まった。
「ククク。どうだ葛城? お前の尻拭いをしてもらった気分は?」
帰り際、龍園が意地悪く葛城を挑発する。
だが、葛城が口を開くより先に、坂柳がふわりと微笑んだ。
「あの契約は、元はと言えば私との派閥争いが原因ですからね。葛城くんを責める気はありませんよ」
坂柳のフォローに、龍園は面白くなさそうに目を細めた。
「では、明日、教師立ち会いのもとで正式に契約を結び、放課後に三クラスの首脳陣で作戦会議ということだな」
「ああ、そうしとけ」
葛城の確認に短く応じると、龍園は忌々しげに舌打ちをしてカフェを立ち去っていった。
彼の背中が見えなくなったところで、葛城が小さく息を吐き出す。
「……なんとか、契約はまとまったな」
「ええ。D、C、B、A。この順位にするのが、彼らにとっても理想的な展開ですからね。Dクラスはともかく、Cクラスはそれなりにプライベートポイントも貯まっているでしょうから、ここで契約を破棄してでも同盟を結ぶメリットの方が大きいと、龍園くんも理解しているでしょう」
「そうだな。これで、三クラス合同による『対Aクラス包囲網』が完成したというわけだ」
葛城は残っていたコーヒーを飲み干し、険しい顔つきで思考を切り替える。
「あとは、Aクラスの動向だな。俺たちが三クラスで包囲網を敷くことは、すぐに向こうにも知れ渡るだろう。そうなると、不足する戦力を補うために他学年に協力を持ちかける可能性も否定できない」
「ええ。一之瀬さんがこれまで築いてきた信頼。そして、藍染くんの圧倒的なカリスマ。他学年が彼らに協力する可能性も当然あるでしょう。ですが……その可能性は低い。そう考えています」
坂柳は余裕の表情を崩さずに断言した。
「確かに、藍染も一之瀬も、他学年を自分たちの競い合いに巻き込むような真似は好まないだろう。だが、包囲網を破るためならば、なりふり構わない可能性もあるぞ」
「ふふふ。南雲生徒会長は藍染くんと本気で勝負したいと考えているでしょうから、三年生はおそらく問題ありません。一年生も、Aクラスの藤泉くんあたりは動くかもしれませんが、一年生全体で見れば『最下位によるクラスポイントのマイナス』だけは絶対に避けたいはずです。上級生の争いに巻き込まれて自分たちが損をするリスクを考えれば、そう易々と協力することは難しいでしょう」
坂柳の緻密な分析に、葛城も深く頷いて納得の意を示した。
「なるほどな。Aクラスを完全に学年内で孤立させられる確率は高い、と。……あとは、エントリーを含めてどんな作戦を立てるかだな」
三クラスの戦力をどう配分し、どの競技でAクラスの主力にぶつけるか。話し合うべきことは山積みだ。
「綾小路くんは分かっているでしょうが……龍園くんには、盤外からAクラスを嵌めようとしないよう、しっかりと釘を刺しておく必要がありますね」
不意に、坂柳の瞳に鋭い警戒の光が宿った。
「下剤を盛るだとか、怪我をさせるだとか……そういった下劣な手段を使えば、間違いなく藍染くんの逆鱗に触れることになります。ひとたびルールの枷を外した彼を敵に回せば、包囲網など何の意味も成さず、我々ごと完膚なきまでに叩き潰されるでしょうから」
「……その通りだな。こちらが姑息な手を使わない限り、藍染ならば必ず『正攻法』で正面から受けて立つはずだ」
盤上においてのみ、彼らは我々と同じ地平に立つ。
もし盤をひっくり返そうとするならば、待ち受けているのは圧倒的な蹂躙による破滅だけだ。
「ええ。あの『絶対的強者』にいかにして土をつけるか……。ふふっ、明日からの作戦会議が楽しみですね」
坂柳はこれから始まる熾烈な頭脳戦に思いを馳せ、優雅に、そしてひときわ好戦的な笑みを深めた。