いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
三種目のテニスシングルスを終えた私は、四種目目の『男子バドミントンダブルス』に出場するため、体育館の指定されたコートでペアである神崎と合流した。
「さすがは藍染だな。アプリの速報を見たが、ここまであの高円寺に全て勝利するとはな」
ラケットを素振りしながら待っていた神崎が、私を見るなり称賛の言葉をかけてきた。
「――勝利は常に薄氷の上にある。あの黄金の獣は、一瞬の瞬きすら命取りになるほどの熱量を秘めているからね」
(訳:でも、やっぱり高円寺は凄いよ。少しでも油断すればこちらが負けてしまいそうだからね)
私がオサレに謙遜すると、神崎は微かに表情を険しくして頷いた。
「……ああ。やはり、ここは綾小路と高円寺のダブルスのペアが一番の脅威になりそうだな。高円寺の規格外の身体能力に、綾小路の底知れないスペックが組み合わされば、いくらお前でも一筋縄ではいかないだろう。……すまん、藍染。俺がお前の足を引っ張るかもしれない」
絶対的な強敵を前に、真面目な神崎が少しだけ弱気な言葉をこぼす。
私はゆっくりと首を横に振り、彼を鼓舞すべくオサレに口を開いた。
「――何を恐れる必要がある? 我々の紡いだ軌跡に淀みはない。個の力がいかに強大であろうと、二つの魂が完全に共鳴した時、その力は理の枠を容易く超える。私がいて、君がいる。我々が敗北する道理など、この世界のどこにも存在しないさ」
(訳:何言ってんの! 練習でも俺たちのペアは完璧だったでしょ! ダブルスは個人の能力も大事だけど、それ以上に信頼関係や連携が大切だよ。俺と神崎なら絶対勝てるさ!)
私のオサレな言葉を聞いた神崎は、ハッと息を呑み、やがてフッと口角を上げた。
「……そうだな。恐れという名の鞘は、とうに捨てた。……この魂が灰燼に帰すまで、立ち塞がる者を灼き尽くそう」
「――ああ。共に頂へ至ろう」
(神崎ィィィ!! 一之瀬が近くにいないから、お前までオサレが滲み出ちゃってるぞ!! 魂燃やすどころか灰燼に帰そうとしてるし!! ……まあでも、気合いが入ってるならよしっ!!)
私は内心で盛大にツッコミを入れつつも、頼もしい相棒と共にトーナメントを勝ち上がっていった。
そして、順当に勝ち進んで迎えた準決勝。
別ブロックではすでに綾小路・高円寺ペアが圧倒的な力で決勝進出を決めていた。
そんな私たちの準決勝の相手は――。
「ククク……藍染様。まさかこのような大舞台で、貴方様に挑ませていただける機会を得ようとは」
ネットを挟んだ対面のコート。
そこには、片手で顔の半分を覆いながら、不敵に嗤うDクラスの池寛治の姿があった。
「この深淵の右腕、持てる力の全てを解放し、全力で挑ませていただきます……!」
「――
池の隣では、Cクラスの時任裕也が、まるで某六番隊隊長のような冷徹な面持ちで、ラケットを刀のように構えていた。
そして、オサレの神に愛された私の口は、勝手にこの異様な空間を完成させるべく、言葉を紡ぎ出す。
「――あまり強い言葉を遣うなよ。……弱く見えるぞ」
張り詰めた空気が、さらに一段階、重く沈み込んだ。
私の言葉に対し、神崎がラケットのガットを指で弾きながら、まるで己の魂に語りかけるように薄く目を伏せる。
「――解き放とう。……
(……何この空間!? キャラ濃すぎない!? コート上にまともな人間が誰ひとりいないんだけど!? ひより! 一之瀬! 早く来てくれーッ!!)
内心の悲鳴など届くはずもなく、審判のホイッスルと共に、この世で最もカオスなバドミントンダブルス準決勝が幕を開けた。
「喰らえぇぇッ!
「――散れ」
寛治が叫びながら飛び上がり、時任が静かにラケットを振り抜く。
二人の連携は、急造されたペアとは思えないほど驚異的だった。厨二病と貴族化という奇跡的なケミストリーが、彼らのポテンシャルを限界以上に引き出しているらしい。
だが、私と神崎の完璧な連携の前には一歩及ばない。
神崎が前衛で鮮やかにシャトルを捌き、浮き上がったチャンスボールに対し、私が圧倒的な高さまで跳躍する。
そして、私の渾身のスマッシュが、時任と寛治の間を真っ二つに切り裂き、コートの最後方へと突き刺さった。
『ゲームセット! ウォンバイ、藍染・神崎ペア!』
(ふぅ……。なんとか勝てたな)
私は着地し、神崎と軽くラケットを合わせて勝利を喜ぶ。
(ここで勝てて決勝に進めたのはいいけど、あの連携を見る限り、寛治たちも三位決定戦は確実に勝つだろう。清隆たちもすでに二位以上が確定しているし……クラス単位で見れば、やはり三クラス同盟に手堅く得点を稼がれているな)
私が冷静に盤面を分析していると、対面のコートからすすり泣く声が聞こえてきた。
「くそっ……! 俺の右腕の封印がもう少し早く解けていれば……! すまねぇ、
寛治がコートに膝をつき、悔し涙をボロボロと流しながら、己の無力さを嘆いている。
すると、時任が静かに歩み寄り、寛治の肩に手を置いた。
「――我々は涙を流すべきではない」
涙声で顔を上げる寛治に対し、時任はどこか遠くを見つめるような、憂いを帯びた瞳で言葉を紡いだ。
「それは心に対する肉体の敗北であり、我々が『心』というものを持て余す存在であるということの、証明にほかならないからだ」
「…………
寛治は時任の深い言葉に感極まり、さらに大粒の涙を流して立ち上がった。
二人は固く握手を交わし、三位決定戦へ向けて闘志を再燃させている。
それは、少年漫画のライバル同士のような、美しくも熱い青春のワンシーン――。
(……いや朽木白哉の巻頭ポエムじゃねえかッッ!?)
私は内心で渾身のツッコミを叫んだ。
(なんなんだよコイツら! めちゃくちゃオサレだけど! そもそもこの世界に『BLEACH』なんて漫画は存在しないはずなのに、なんで単行本第七巻の巻頭ポエムを一字一句違わず諳んじてんだよ!! この世界の理はどうなってんだ!!)
あまりにも高度なオサレ空間に、私は疲労と別の意味で激しい頭痛を覚えながら、コートを後にした。
「藍染。いよいよ次だな」
神崎の静かな声に、私は思考を引き戻される。
視線の先、決勝戦の舞台となるセンターコートには、すでに二人の男が待ち構えていた。
「――ああ。王座の防衛戦といこうか」
綾小路清隆と、高円寺六助。
私を玉座から引き摺り下ろすためだけに組まれた、最凶のペア。
私は手元のラケットを強く握り直し、神崎と共に、彼らの待つ決戦の地へと足を踏み入れた。
体育館の空調の音すら聞こえなくなるほどの、異様な静寂と熱気。
他学年の生徒たちまで観客席に押し寄せ、固唾を呑んで見守るセンターコート。
私は神崎と共にコートへ入り、ネットを挟んで対峙する二人の男へと視線を向けた。
「フハハ! 待っていたよオサレボーイ。さあ、学園の歴史に名を刻む、最も美しく優雅な試合を始めようじゃあないか」
黄金の髪をかき上げ、相変わらず自信に満ち溢れた笑みを浮かべる高円寺。
そしてその隣には、ラケットを静かに構え、どこまでも平坦で無機質な瞳をこちらに向けている綾小路清隆の姿があった。
「勝たせてもらうぞ、惣右介。全力でこい」
「――フッ。埃のように払われる準備はできているのかな、清隆。君たちが二人がかりで挑もうと、私の立つ玉座は揺るがないよ」
(訳:望むところだよ清隆。俺も手加減なんてするつもりはないからね!)
私がオサレに不敵な笑みを返すと、清隆の瞳の奥に、ほんの僅かに闘志のような光が宿ったのが見えた。
「行くぞ、藍染」
「ああ」
神崎が短く告げ、前衛のポジションにつく。
私も後衛へと下がり、ラケットを構えた。
審判台に立つ教師が、四人の準備が整ったことを確認し、右手を高く上げる。
『――男子バドミントンダブルス決勝。ゲーム・スタート!』
ホイッスルが鳴り響いた直後。
先攻の清隆が放ったサーブは、ただのサーブでありながら、ネットスレスレの完璧な軌道とタイミングで神崎の足元へと沈み込んできた。
「っ……!」
神崎が辛うじてラケットを差し出し、シャトルを高く打ち上げる。
その瞬間、後衛にいた高円寺が、重力を無視したかのようなバネで高々と跳躍した。
「フハハハッ! 沈みたまえ!」
放たれたのは、大砲のような轟音を伴う強烈なスマッシュ。
肉眼で追うことすら困難な速度のシャトルが、神崎の横をすり抜けて我々のコートへと突き刺さろうとする。
だが――。
「――遅いな。君の羽は、止まって見えるよ」
バシィィィッ!!
私は瞬歩のようなステップで落下地点へと入り込み、その凶悪なスマッシュを、いとも容易く打ち返した。
「なっ……あの高円寺のスマッシュを、あんな体勢から!?」
「バケモノかよ……!」
観客席からどよめきが上がる。
だが、息つく暇はない。私の返した深いシャトルに、今度は清隆が音もなく追いつき、寸分の狂いもない精密機械のようなヘアピンをネット際へと落としてきたのだ。
神崎が懸命に飛び込んで拾い上げるが、体勢が完全に崩されている。
「美しいねぇ! もう一丁!」
浮き上がったチャンスボールに対し、再び高円寺が跳躍する。
このダブルス。高円寺と清隆の間に、『連携』という概念は一切存在しなかった。
高円寺は己の赴くままに美しく暴れ回り、清隆はその後始末と隙を突く作業を無表情でこなす。それぞれがシングルスのコートカバー力で縦横無尽に動き回る、セオリーガン無視の『個の暴力』による変則ダブルスだ。
神崎にとっては、この次元の違うラリーに付いていくだけでも相当な負荷がかかるはずだ。
「っ……すまん、藍染!」
連続する猛攻に体勢を崩され、神崎が苦鳴を漏らす。
「――気にするな。全ては私の掌の上だ」
私はオサレに神崎をカバーし、コートの端から端へと駆け回りながら、高円寺と清隆の猛攻を次々と打ち返していった。
(それにしても……清隆のやつ、本当に厄介だな)
高円寺の規格外の身体能力もさることながら、清隆の無駄のない動きと、確実にこちらのスタミナを削りにくる配球は、まさにホワイトルームの最高傑作と言えるものだった。
(高円寺に派手な攻撃を任せ、自分は後方から俺の動きをコントロールしようとしている。俺に長くコートを走らせて、体力を削るのが目的か……)
学年一位を取らせないための、三クラス同盟による『対・藍染惣右介』の消耗戦術。
しかし、そんな小手先の戦術で、私の底が見えると思ってもらっては困る。
試合は両者一歩も譲らぬまま、ポイントが激しく行き交う死闘となった。
化け物じみた二人を相手に、神崎もまた自らの限界を引き出し、オサレポエムを吐きながらも必死に食らいついている。
(神崎も限界が近い……。だが、絶対に勝たなくてはならないな)
私は相棒の奮闘に内心で熱い信頼を寄せながら、ラリーの主導権を握るべく冷徹に思考を巡らせた。
(確かに、この二人の個の力は桁外れだ。……だが、どれだけ個が強くても、そこに『連携』という概念がない以上、必ず隙は生まれる)
高円寺の豪快な動きと、清隆の冷静なカバーリング。一見して完璧な要塞に見えるが、互いが『個人の判断』で動いている以上、わずかな「空間の歪み」が生じる瞬間があるはずだ。
私はそこを突いた。
清隆と高円寺のプレッシャーをいなしつつ、二人がお互いに「相手が取るだろう」と錯覚して手を出しづらい、真ん中の絶妙なデッドゾーンへと、正確無比なショットを幾度も執拗に送り続ける。
「っ……!」
流石の清隆と高円寺も、その絶妙なコース取りには僅かに反応が遅れた。高円寺が驚異的な俊足で無理やり拾い上げ、清隆がすぐさまスライドしてカバーに入るが、強引な体勢修正を強いられたことで、ラリーの主導権は完全にこちらへと傾いていた。
『――20対19』
スコアボードがめくれ、ついに我々のマッチポイントを迎える。
静まり返る体育館。
息詰まるような均衡の中、清隆の放った鋭いサーブから、最後のラリーが幕を開けた。
前衛の神崎が低く弾き返し、そこから瞬きすら許されない高速のドライブ戦へと突入する。
「フハッ! やるねぇ!」
高円寺が剛腕でねじ伏せようとシャトルを押し込み、清隆が沈着冷静に厳しいコースを突く。対する私も、瞬歩のごときフットワークで全ての打球に追いつき、決して主導権を渡さない。
幾度となくシャトルが行き交い、両者の限界が近づく中――私はあえて、激しい打ち合いの最中に、フワリとした極端に遅いヘアピンを清隆の足元へと落とした。
「……っ」
高速のテンポに脳を適応させていた清隆が、ほんの僅かに裏をかかれる。
彼ほどの男であっても、ギリギリで床すれすれのシャトルを拾い上げるのが精一杯だった。
体勢を崩した清隆のラケットから放たれたのは、苦し紛れの、甘く高い防御のクリア。
高く打ち上がったシャトルの下へと、私がゆっくりと入り込む。
圧倒的な威圧感と共に後衛で跳躍する私を見て、高円寺も清隆も、私が全霊のスマッシュを放つと予測し、瞬時に強固なレシーブの陣形を敷いた。
だが――。
「――一体いつから、藍染がスマッシュを打つと錯覚していた?」
バシィィィッ!!!
「なっ……!?」
前衛に身を潜めていた神崎が、誰もが予想しなかったタイミングで爆発的な跳躍を見せ、私の視角から飛び出すように意表を突く超高速のスマッシュを相手コートへと叩き込んだ。
一歩も動くことができず、シャトルが床を叩く音だけを聞く清隆と高円寺。
『ゲームセット! ウォンバイ、藍染・神崎ペア!!』
(いやお前が言うんかい!?……でも完璧すぎるタイミングだ神崎!! 清隆も高円寺も、完全に不意を突かれてたよ!!)
私の内心の激しいツッコミを他所に、センターコートには割れんばかりの歓声が轟いた。
「フハハ……。まさか、最後に神崎ボーイが飛び出してくるとはねぇ。見事な連携だったよ、美しい敗北だねぇ」
高円寺が汗を拭い、爽やかに笑いながらラケットを下ろす。
そして、私の対面に立つ清隆は、その無機質な顔の端をわずかに持ち上げ、どこか楽しげな、充実した色を帯びた瞳でこちらを見据えた。
その微かな表情から、彼がこの勝負を心から楽しんでいたことが伝わってくる。
「――見事な戦いぶりだったよ、清隆」
「ああ。……悪くない勝負だった」
私たちはネット越しに言葉を交わし、互いの健闘を称え合う。
三クラス同盟という未曾有の包囲網。その最大の壁であった最強の二人を打ち破った我々に、観客席からは惜しみない拍手が降り注いでいた。
私は隣で静かに息を整える神崎と軽く拳を突き合わせ、心地よい疲労感と共に、王者としての確かな勝利を噛み締めるのだった。