いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
白熱のバドミントンダブルス決勝を制した後も、私に休息の時間はほとんど与えられなかった。
続く五種目目。私は再び、立ちはだかる高円寺との直接対決を迎えていた。
種目は『卓球・シングルス』。
現在、小さな卓球台を挟んで、ピンポン玉が目にも止まらぬ超高速の軌道を描きながら行き交っている。
「フハハハ! ネット越しに交わされる美しき流星群! 君のそのスタミナと反射神経、実にエクセレントだねぇ、オサレボーイ!」
(この至近距離でのスマッシュの応酬は流石に疲れる! っていうか高円寺、お前ピンポン玉を割る勢いで打ってくるなよ! 卓球台から弾丸みたいな音鳴ってんぞ!)
相変わらず超次元な動きで強烈なスピンやスマッシュを放ってくる高円寺に対し、私は一切の妥協を排した全力のパフォーマンスで応戦し、辛勝ではあったものの、ここでも何とか勝利をもぎ取ることができた。
そして――時計の針がちょうど正午を指した頃、午前中の競技が一段落し、待望の『昼休憩』の時間が訪れた。
私は心地よい疲労感を覚えながら、Aクラスが陣取るテントのスペースへと足を向ける。
テントの入り口付近では、すでに待ち構えていたかのように、ひよりの姿があった。
「あっ! 惣右介くんっ! お疲れ様ですっ!」
パァッと花が咲いたような笑顔で駆け寄ってくるひより。
その可愛らしさに、午前中の激闘の疲れなんてものは霧のように吹き飛んでしまった。
「――案ずることはないよ、ひより。どれほど苛烈な闘争に身を焦がそうと、君という静謐な月明かりを前にしては、いかなる疲労もとうに癒やされてしまうからね」
(訳:ひよりもお疲れ様! 結構疲れてたけど、ひよりの顔を見たらすっかり元気になってきたよ!)
私は優しく微笑み、オサレな言葉を紡ぐ。
すると、ひよりはわずかに頬をぽっと染め、照れくさそうに目を伏せた。
「もうっ……。ふふっ、ありがとうございますっ」
そんな私たちのやり取りを周囲のクラスメイトが温かい目で見守る中、続々と他のメンバーもテントへと戻ってきた。
「お疲れ、藍染! いやぁ、午前中はマジでキツかったぜ……!」
「本当ね。向こうの主力にめちゃくちゃマークされて、思うように得点が伸ばせなかったわ」
クラスメイトたちが、汗を拭いながら次々と戻ってくる。
みんな一様に疲弊の色を隠せないが、その表情にはやり切ったという充実感があった。
「みんな、午前中の競技本当にお疲れ様。みんなの頑張りのおかげで、私たちAクラスも入賞してしっかり得点を取れてるよ!」
一之瀬が明るい声でみんなを労いながら、クーラーボックスから冷えた飲み物を配っていく。
だが、テントの空気を重くしているのは、やはり三クラス同盟という圧倒的な現実だ。
「やっぱ、三クラスの同盟はキツイね……。こっちもある程度入賞して得点を稼げてはいるけど……」
「ああ。このままじゃ、ジワジワと点差を広げられちまう。……けど、落ち込んでる暇はねぇよな。今のうちに作戦を練り直そうぜ!」
「うんっ! 相手が何人いようと、私たちのチームワークなら絶対に付け入る隙はあるはずだよ!」
クラスメイトたちの言葉に悲観の色はない。坂柳の全体指揮と三クラスの物量作戦という厳しい包囲網を前にしても、誰一人として諦めることなく、前を向いて真剣に打開策を話し合っている。
(みんな、本当によく頑張ってくれている。……だけど、やっぱりキツいものはキツい、か)
私は集まったクラスメイトたちの様子を見渡し、内心で冷静に状況を分析する。
(………今回の体育祭で最下位になったとしても、今日までクラスみんなで汗を流し、知恵を絞ってやってきた努力が無駄になることなんて絶対にない)
Bクラスには今回の結果で僅かな差に詰め寄られるかもしれない。
しかし――。
(そうなれば、今度はC・Dクラスから見て、Bクラスが再び『引き摺り下ろすべき標的』になる。『三クラス同盟』なんてものは、利害の一致で一時的に組まれているだけの脆いものだ。二度と組まれることはないさ)
差が詰まったのなら、また次の試験で突き放せばいいだけのことだ。
「――今はただ、昂った刃を静かに鞘へ収め、束の間の休息を甘受するがいい」
私の静かで威厳に満ちた声が、テント内の熱気を帯びた空気を一瞬にして塗り替える。
「己の肉体という器に糧を満たし、静かに牙を研ぐ……それこそが、次なる盤面を我々の色で染め上げるための礎となるのだから」
「『午前中はお疲れ様でした。午後も頑張るために、今はお昼ご飯を食べてゆっくり休もうね』と言ってますっ」
「よっしゃ、メシ食うぞ!!」
「藍染くんもしっかり休んでねー!」
私は内心でひよりに深く感謝しながら、ひよりが嬉しそうに差し出してくれた、今日のために彼女が手作りしてくれた愛情たっぷりのお弁当の包みを、静かに解きほぐしていくのだった。
色とりどりのおかずが美しく詰められたお弁当は、見た目も味も完璧だった。
私はひよりと和やかな会話を楽しみながら、至福のひとときを味わう。
「さすがは惣右介くんですっ! あの高円寺くんの集中的なマークにあっていながら、全ての種目で一位ですねっ」
「――高円寺という男の在り方は、やはり興味深い。もし彼がこの先の盤面でも真なる牙を剥くのなら……彼らの同盟も極めて手強い壁として立ちはだかるだろうね」
(訳:高円寺はやっぱり凄いよ。あいつがこれからの試験も本気を出すなら、下位クラスの同盟もさらに手強い相手になるだろうね)
「でも、あの高円寺くんがクラスのために協力するでしょうか?」
「――『群れ』を守るために彼が動くことはないだろう。だが……私という高みへ挑むため、あるいは、一輪の花に危機が迫った時ならば、自らその手を下すかもしれないね」
(訳:うーん。クラスのために、って理由じゃ協力することはないだろうね。俺に挑むため、あるいはみーちゃんに危機があれば動くだろうけどね)
私の推測に、ひよりは目を輝かせた。
「確かに……。無人島試験の前にみーちゃんにポイントを渡していたと聞きましたし……。やっぱり高円寺くんは、みーちゃんのことが好きなのでしょうか?」
友人の恋バナの気配に、ひよりは少しウキウキとした嬉しそうな表情を浮かべる。
「――さて、真実は彼の深淵の中だ。他者が無理に暴こうとすれば、幻影に惑わされるだけだろう。ここは静かに見守るのが、理というものさ」
(訳:どうなんだろうね! 気になるけど、聞いても高円寺は答えないだろうし、そっとしておこう!)
「ふふっ。そうですねっ!」
そんなふうに和やかに食事を終えた頃、テントの奥から一之瀬と神崎が合流してきた。
「藍染くん! ひよりちゃん! 午前中はお疲れ様! 全部一位なんて、さすがは藍染くんだね!」
「――ああ。藍染の纏う威風は、いかなる強敵の闘志をも容易く両断した。共に死地に立ち、あの『絶望』すら生ぬるい高みを間近で見た俺には分かる。……藍染、お前は世界の理すらも超越した存在だ」
「か、神崎くん!? なんで!? 最近はすっかりまともだったのに……どうしたの!?」
突然オサレな称賛を口にした神崎に、一之瀬が目を丸くして驚愕する。
「――死闘という名の業火が、俺の魂にあった不純な迷いをすべて焼き尽くしてくれたのさ。今の俺は、クラスの勝利を阻むあらゆる不条理を切り裂く……ただ純粋に研ぎ澄まされた『剣』だ」
「…………今はツッコんでる場合じゃないね。午後からの作戦会議をしようか」
一之瀬は、今日一番の深いため息を一つこぼすと、神崎のオサレ空間から無理やり意識を逸らし、気を取り直すように真剣な表情へと切り替えた。
「……やはり、当日公開を含む種目も、完全にコントロールされていますね」
ひよりが手元のタブレットでデータを示しながら、冷静に現状を分析する。
「平均的な能力や連携といった面では、私たちはどのクラスにも引けを取らない。いえ、勝っていると思いますが……運動が得意な生徒の数が違いますね」
「うん。柴田くんや神崎くんが出場する競技にも、須藤くんや綾小路くんを当てて一位を取りに来るし、運動が苦手な子のところには中堅あたりの子を的確に当ててきて、しっかり得点を取られているね」
一之瀬もタブレットを覗き込みながら、苦しげに同意した。
「はい。体育祭を迎えるまでの猛練習の甲斐もあって、番狂わせのような結果もところどころはあり、健闘してはいますが……」
三クラス同盟によって厳選されたスペシャリストたちを、各競技に的確にぶつけられる。
さらに、当日公開される参加枠のシステムも、我々にとって致命的に働いていた。こちらが先にエントリーを済ませれば、相手は後出しで確実に上回る実力の生徒を当ててくる。かといって、相手の動向を窺ってから動こうとすれば、三クラスの圧倒的な物量によって瞬く間に枠自体を埋め尽くされてしまうのだ。
それは、いかに一之瀬やひよりが優秀な指揮を執ろうとも、根本的な『手札の枚数』が違いすぎる以上、完全に覆すのが極めて困難な盤面だった。
「でも……一つ気にかかることがあります」
ひよりが少し不思議そうに首を傾げた。
「高円寺くんが惣右介くんに挑んでくるのは、彼の個人的な理由だと分かりますが……それ以外にも、テニスやバドミントンダブルスなどで、彼らは明らかに主力と思われる生徒を惣右介くんにぶつけてきていますよね」
「確かに……。バドミントンなんて高円寺くんと綾小路くんのペアだったみたいだし。彼らの実力なら、藍染くんを避けて他で得点を稼ぐ方が確実なのに……」
一之瀬の疑問に、私は静かに口を開いた。
「――簡単なことだ。彼らは私を『玉座』から引き摺り下ろしたいのだよ」
私がオサレに真意を告げると、三人の視線が集まった。
「私という絶対的な存在が天に君臨し続ける限り、彼らは真の意味で『勝利』を実感できない。だからこそ、理を曲げてでも、私の首を獲りにきているのさ」
「なるほど……。惣右介くんに土をつけること自体が、彼らの大きな目的でもあるのですね」
ひよりが納得したように頷き、一之瀬もハッとした顔をする。
「――だが、案ずることはない」
私はフッと口角を上げ、彼らを見据えた。
「私がこの天に立つという事実は決して揺るがない。だが……万が一にも、この身が地に墜ちるような錯覚を彼らが抱いたとしても、君たちと共に築き上げたこの盤石なる城郭が、たかが一度の嵐で崩れ去ることなどありはしないさ」
「…………えっと?」
私の極めてオサレな断言に、一之瀬が目を瞬かせる。
すかさず、ひよりがニコニコと満面の笑みで翻訳を入れた。
「『私も負けるつもりはありませんし、万が一負けることがあっても、私たちのクラスが揺らぐことなんて絶対にないですよ』と言ってますっ」
「藍染くん……。うんっ、そうだね!」
ひよりの完璧な通訳により、一之瀬の顔にパッと明るい光が戻る。
「私たちのクラスは、何があっても絶対に揺るがないよ! それに、まだ体育祭は終わってないし、午後には配点の高い種目も残ってる。……最後まで絶対諦めないから!」
「ふふっ。私たちも、最後まで全力で戦い抜きましょうっ!」
「――ああ。我々の魂が尽きない限り、敗北という名の闇がこのクラスを覆うことはない」
神崎もオサレに同意し、三人はタブレットを囲んで、午後からの限られた勝機を見出すための緻密な話し合いを再開した。
その光景を横目で見つめながら、私は内心で密かに息を吐く。
(……正直、三クラスの同盟を相手に、ここから点差をひっくり返して挽回することはほぼ不可能だ。一之瀬やひよりも、それは分かっているはずだ)
圧倒的な物量と情報戦の不利。
私は『今回の体育祭は最下位になっても問題ない』と割り切り、クラスの順位が変動しないことや、次の試験で突き放せばいいという『次善の策』で思考を完結させていた。
(だけど……誰一人下を向くことなく、勝利への僅かな可能性に賭け、なお模索を続けている。)
一切の諦めを見せず、今この瞬間の勝利のために全力を尽くす彼女たち。
その横顔は、合理的な計算だけで盤面を俯瞰していた自分とは対極にある、ひどく眩しいものだった。
(……みんな、本当に凄いな)
私は己の内心に湧き上がった純粋な感嘆を噛み締めながら、クラスメイトたちの真剣な横顔を、静かに見守り続けていた。
一方、その頃。
昼休憩の時間。オレたち三クラス同盟の首脳陣は、昼食を取りながら秘密裏に作戦会議を開いていた。
集まったのは、Bクラスから坂柳と葛城。Cクラスから龍園と金田。そしてDクラスから堀北とオレの六名だ。
「みなさま、午前中の競技お疲れ様です。Aクラスの生徒たちが想定以上の結果を出す場面もありましたが、全体を見れば、概ね作戦通りに事が進んでいると見ていいでしょう」
坂柳が上品にサンドイッチを口に運びながら、満足げに微笑む。
「ああ。単純に数が三倍いるからな」
葛城が腕を組み、深く頷いた。
「こっちはある程度事前に競技も絞って練習出来たし、運動が得意でない生徒も、割り当てられた種目でよく粘って頑張っている。戦力の逐次投入と情報戦においては、我々が完全に優位に立っている」
「ですが、さすがはAクラス。いえ、一之瀬氏のクラスと言うべきでしょうね」
金田が眼鏡を押し上げながら、手元のタブレットでデータを提示する。
「こちらより、一種目当たりの練習時間で言えば圧倒的に短いはずですが、連携が大切になる競技ではかなりこちらも苦戦を強いられています。彼らの統率力は脅威です」
「そうね。この同盟を組んでいなければ、間違いなくAクラスが一位だったはずだわ」
隣に座る堀北が弁当の箸を止め、冷静に戦況を分析した。
「私たちのクラスは、綾小路くんや須藤くんなど突出した生徒はいると思うけれど、クラス全体の平均値で言えば決して高いとは言えないわ。やっぱり、基礎的な能力や連携力といった平均的な能力は、AクラスとBクラスが頭一つ抜けているわね」
「ククク。それでも、じわじわと点差は広がりつつある。問題は……あの藍染の野郎をどう引き摺り下ろすかだ」
龍園が薄く笑いながら、鋭い視線を坂柳とオレに向けてくる。
「ええ」
坂柳が紅茶のペットボトルを手に取り、目を細めた。
「高円寺くんと綾小路くんのペアによるバドミントン……ここで土をつけられなかった以上、残すチャンスはおそらく最終種目となるであろう、『男子バレー』ですかね。最も配点が高い団体種目であり、高い連携が不可欠な球技。Aクラスとしては、間違いなく総力戦で取りに来るでしょう」
「ああ。重要なのは、そこまでにクラスとしての勝負を決めておくことだな。このペースなら、バレーが始まる頃には大勢は決しているだろう」
オレは淡々とした口調で、大局的な見地からの事実を口にする。
「その通りだな。いくらこちらが精鋭を固めたとしても、藍染がいる以上、直接対決でどんな結果になるかは分からない。あいつの存在自体がイレギュラーだ。決して油断せず、我々は淡々と得点を重ねていくべきだな」
葛城の堅実な言葉に被せるように、坂柳がふとオレの表情を覗き込んでクスリと笑った。
「ふふふ。綾小路くん。藍染くんに敗北したというのに、随分と楽しそうですね?」
表面上は無表情を保っているつもりだったが、彼女の鋭い観察眼は、オレの瞳の奥に潜む微かな熱を正確に読み取ったらしい。
「……そうだな。全力を尽くして、なおオレの想定を上回ってくる。やはり、惣右介と戦うのは……楽しいんだろうな」
オレはあえて誤魔化すことはせず、己の中に芽生えた純粋な感情を素直に言葉にした。
それを聞いた龍園が、忌々しげに舌打ちをする。
「チッ。テメェが個人的に楽しむのは勝手だが、バレーは絶対に勝てよ綾小路。得点を削ってでも藍染の体力を削るために、午前中からそれなりに主力は当ててやってんだ。どこかで藍染が落とした時のために、須藤に十連勝させるように全体の組み合わせも調整してるが……バレーまで取られたら、配点の関係であいつを引き摺り下ろすことはできねぇぞ」
「分かっている。こちらも全力でいく」
オレは短く、しかし静かな闘志を込めて応えた。
「バレーは6人制です。藍染くんがいかに規格外の身体能力を持っていようと、チームスポーツにおいてコートの全てを一人でカバーしきることは不可能です。こちらも想定し得る最高の布陣を敷き……高さと個の暴力で、必ず彼の玉座を打ち砕きましょう」
坂柳の静かだが確信に満ちた宣言と共に、場を覆う空気が一段と張り詰める。
打倒・藍染惣右介。
その悲願を達成するため、各クラスのリーダーたちは静かに立ち上がり、いよいよ始まる午後の決戦へと向けて歩き出した。
彼らの背中を見送りながら、オレは一人、静かに盤面を分析し続ける。
藍染惣右介という規格外の個の力。そして、一之瀬帆波の圧倒的な人徳によって完璧な統制がとれたAクラス。
今回、三クラスで同盟を組み、徹底した包囲網を敷いた。オレや高円寺が表舞台で本気を出し、坂柳有栖という天才が的確に全体の指揮を振るっている。
それでも――トータルのポイントでは確かにリードを奪えているものの、こちらが想定していたほどには致命的な差をつけられていないのが現実だ。
『三クラス同盟』などという強硬手段は、利害が一時的に一致した今回だからこそ成立したに過ぎない。今後、二度と同じ陣形を組むことはできないだろう。
ならば、この体育祭が終わった後、再び元のクラス対抗戦に戻った時、どうなるか。
(今後、Dクラス単独であのAクラスに対抗していくためには……今のままでは到底届かない。オレ自身がさらに動き、クラス全体の底上げを図る必要があるな)
遙か頂に君臨し続ける『絶対王者』の姿を脳裏に思い描きながら、オレは誰にも悟られることなく、冷徹に次の盤面へと続く布石を思考し続けるのだった。