いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
短くも充実した昼休憩が終わり、グラウンドには再び生徒たちの闘志と熱気が戻りつつあった。
午後からの第一種目であり、私にとって六種目目となる『障害物競走』の招集場所へ向かおうとテントを出たところで、私は見知った一人の男と遭遇した。
「――よう、藍染。午後の部が始まるな」
余裕を感じさせる笑みを浮かべ、金髪を揺らして話しかけてきたのは、現生徒会長であり三年Aクラスを率いる南雲雅だった。
「二年生は三クラスで同盟を組んで、お前たちを完全に包囲しているようだな」
南雲は、同情とも冷やかしともつかない口調で、我々の戦況を的確に評する。
「――南雲か。午後の陽光は、少々肌を刺すね」
(訳:南雲先輩じゃん! こんにちは!)
私は足を止め、生徒会長に向けてオサレに言葉を返した。
「――地に落ちた者に重い罰が用意されている以上、持たざる者たちが群れを成すのは必然だ。……だが、意外だったよ。君も高円寺のように、私という高みへ直接剣を届かせに来るかと思っていたからね」
(訳:まあ、今回はルール的に最下位が大きなペナルティを受ける以上は仕方ないよ。それにしても、南雲先輩も高円寺みたいに俺に合わせてくるかと思ったから少し意外だよ)
私がオサレに疑問を口にすると、南雲はフッと短く鼻で笑った。
「ふっ……お前には、俺の得意なサッカーで以前完敗してるからな。純粋な身体能力や運動でお前に勝てると思うほど、俺も自惚れちゃいないさ。それに――」
南雲は少しだけ表情を和らげ、どこか憑き物が落ちたようなスッキリとした目を向けた。
「お前が完全な状態じゃなかったとはいえ、無人島でお前に全力で挑むことができたからな。俺の中では、あそこである程度一区切りついているのさ」
南雲は自身の過去の敗北を隠すことなく、冷静に私の規格外な実力を評価していた。
この体育祭において、自らのプライドや意地だけで無謀な勝負を挑み、貴重な参加枠や体力を無駄にするような愚は犯さない。それが、長きにわたって三年生を支配してきた男のリアリストな一面だった。
「それに、Cクラスの相馬が、俺たちAクラスに勝とうと本気で牙を剥いて挑んできてるからな。生徒会長としてだけじゃなく、三年Aクラスのリーダーとして、俺もクラスの指揮を執って全力で迎え撃ってるのさ」
南雲の瞳の奥には、確かな闘志が燃えていた。
彼ら三年生にとっても、この体育祭は大きな意味を持つ。特に、南雲の支配に唯一抗い続けている三年Cクラスは、あらゆる手を使って南雲の足元をすくおうと画策しているのだろう。
「――玉座を揺るがそうとする者たちに対し、王自らが盤面に降り立ち、その絶対的な力の差を教えるというわけか。それは実に興味深いね」
(訳:相馬先輩、本気で南雲先輩に挑んでるのか。三年生の方もかなり熱い戦いになってるみたいだね!)
私は内心で三年生の激闘に思いを馳せながら、オサレに頷いた。
「ああ。……お互い、自分たちのクラスの勝利のために死力を尽くそうぜ、藍染」
「――私の歩む道に、敗北という景色は存在しないけれどね」
南雲は軽く片手を上げ、自身の出場する競技へと向かっていった。
彼の背中を見送った私は、思考を自身の『障害物競走』へと切り替え、指定されたグラウンドのスタート位置へと歩みを進めた。
南雲と別れた後も、私の戦いは苛烈を極めた。
午後最初の『障害物競走』では、網潜りや平均台、麻袋跳びといった厄介なギミックが用意されていたが、私にとっては造作もないことだった。いかなる障害であろうと流麗なステップで抜け、後続を大きく引き離してゴールテープを切る。
だが、自らがエントリーしている九種目目までの全ての競技において、完全なる一位の座を独占し続けてはいたものの、常に私の視界の端には、黄金の髪をなびかせる男の姿があった。
(……ふぅ。なんとか、高円寺にはここまでは全部勝てたな)
私は日陰のベンチで水分を補給しながら、密かに安堵の息を吐いた。
相変わらず全ての競技で私にぶつかってくる高円寺は、まさに規格外の化け物だった。
(さっきの九種目目は、かなりギリギリだったな。技術や反射速度ではこちらが上回っているが、純粋な膂力に限って言えば、高円寺の方が上かもしれないな)
確実な肉体的疲労を感じつつも、私はタオルで汗を拭い、思考を盤面全体へと切り替えた。
(それにしても……昼の休憩以降、高円寺以外の他クラスの主力が、俺の出場する競技に全く当てられなくなったな)
午前中はあれほど密集していた猛者たちが、午後は見事に私のエントリー枠から姿を消している。
(俺に勝つには最後の『バレー』に全てを懸けるしかないと判断したのか。それとも、想定以上のうちのクラスの健闘を警戒して、他で確実にポイントを稼ぎ、順位を確定させるために主力を分散させたのか……)
私は手元のアプリを開き、現在の各クラスの総合得点を確認した。
上位で拮抗する三クラスから大きく引き離され、Aクラスだけが最下位に沈んでいる。私が個人戦でどれだけ得点を量産しようと、他の枠を確実に上位独占してくる三クラスの物量戦術の前では、砂漠に水を撒くようなものだった。
(……最後のバレーで、女子と男子がどちらも一位を取ったとしても、配点的にすでに最下位脱出は不可能だな)
今回の体育祭は、運動が苦手な生徒は五種目に留めた方がいいということもあり、ひよりや浜口が、懸命に状況を分析し、最後まで諦めずに指揮を執ってくれてはいた。
だが、三クラス同盟による圧倒的な「手札の枚数」の違いは、いかに優れた頭脳や連携をもってしても覆せるものではなかったのだ。
(……行くか)
私はゆっくりと立ち上がり、この体育祭の最終種目であり、最も高い配点が設定された団体競技『男子バレーボール』の行われる体育館へと歩みを進めた。
体育館のコートには、すでに出場メンバーであるAクラスのメンバーたちが集結していた。
私、神崎、柴田、滝川、渡辺、中西の六名だ。
アップを終えた彼らと合流し、私たちはコートの隅で円陣を組むように集まり、最後の作戦会議を開いた。
「……なぁ。速報見たか? もうここで俺たちが優勝しても、俺たちAクラスの最下位は確定してるんだとよ」
柴田がボールを両手で強く握りしめ、悔しさを滲ませながらも、真っ直ぐに前を向いて口を開いた。
「だけどよ……だからって、ここで負けるわけにはいかねぇよな!」
「ああ! このままやられっぱなしなんて、冗談じゃねぇ。連中に一矢報いてやろうぜ!」
柴田の言葉に、渡辺が闘志を剥き出しにして同調する。
中西や滝川も、すでに最下位が確定している絶望的な状況にありながら、誰一人として目を逸らすことなく力強く頷いていた。
「――その通りだ」
神崎が一歩前に出て、静かに、しかし確かな熱を帯びた声で言葉を紡ぐ。
「順位というちっぽけな概念に、俺たちの魂が縛られることはない。たとえ盤面が敗北の泥濘に沈もうとも、最後に彼らの喉元に突き立てる一振りの『剣』となろう」
神崎のオサレな決意表明が、チームの空気をさらに一段階引き締める。
その光景を見つめながら、私は内心で彼らの意地に深く共感していた。
(そうだよな。……この日のためにバレー部の津辺や安藤が、一生懸命俺たちを指導してくれたんだ。ここは絶対に勝ちたい)
それに、彼らの最大の目的は私に土をつけることだ。ここで負けて相手に『勝てた』という成功体験を与え、勢い付かせてしまうのは、今後の盤面にも響きかねない。
「――よく言った」
私はゆっくりとメンバーを見渡し、威風堂々たる態度でオサレに口を開いた。
「君たちがその闘志を失わない限り、私の歩みが止まることはない。――ついてこい。君たちに、真なる『頂』というものを見せてやろう」
私の言葉が落ちた瞬間、彼らの瞳に宿る熱が最高潮に達したのが分かった。
「「「おう!! やってやるぜ!!」」」
「しゃあ!! 練習通りにやろうぜお前ら!」
柴田が気合の入った声で吠え、全員が円陣の中心で力強く拳を重ねる。
体育祭のフィナーレを飾る、最後の闘争。
Aクラスの意地と誇りを懸けた、男子バレーボールの試合が今、幕を開けようとしていた。
神崎の研ぎ澄まされた闘志と、柴田たち持ち前のチームワークに牽引されるように、我々Aクラスは初戦からその実力を遺憾なく発揮した。
私のスパイクとブロックを中心に、神崎の冷静なトス、柴田の献身的なレシーブが噛み合い、立ちはだかる相手チームを次々と圧倒。順当に決勝戦へと駒を進めることに成功した。
一方で、隣のコートでは女子バレーボールの試合も行われていた。
一之瀬や網倉たちで結成された女子チームも順調に勝ち上がってはいたものの、準決勝にて、一年Aクラスの天沢と一年Dクラスの七瀬を擁する強力な混合チームに敗退を喫してしまった。
(……天沢と七瀬か)
私は決勝戦に向けたインターバルの間、隣のコートで勝利を喜ぶ一年生たちへ静かに視線を向ける。
(七瀬の身体能力も極めて高いが……やはり、ホワイトルーム出身である天沢を相手にするのはキツかったか)
天沢一夏。彼女の持つ常軌を逸した身体能力と反射神経、そして予測不能なトリッキーな動きは、一般的な女子生徒の枠を優に超えている。クラスで最も運動神経の良い、津辺と安藤が経験者縛りで出場出来ない以上、どう足掻いても個の暴力で押し切られてしまうのは仕方のないことだった。
(それでも、天沢の強烈なアタックに対し、一之瀬たちは何度も床に転がりながら必死にボールを繋ごうとしていた。……本当によく頑張ってくれたな)
私は内心で彼女たちの健闘を心から称え、思考を自身の『決勝戦』へと引き戻した。
ふと前を見据えると、ネットを挟んだ向こう側には、すでに最後の敵がコートに入り、静かにこちらを見据えていた。
(……三クラス同盟が総力を結集した、最精鋭たちか)
Bクラスの鬼頭、橋本。Cクラスのアルベルト、時任。そしてDクラスの高円寺に――綾小路清隆。
これまでの彼らの試合を横目で確認していたが、その強さはまさしく別格と呼ぶにふさわしいものだった。
鬼頭の不気味なほどのリーチの長さと、アルベルトという巨岩のような壁が前衛にそびえ立ち、セッターの位置に入る橋本が狡猾で機転の利いたトスワークで彼らを操る。そして、そこから放たれる高円寺のスパイクは、もはや床を叩き割る砲弾と見紛うほどの規格外な破壊力を秘めていた。
だが、その圧倒的な攻撃力以上に厄介なのが――。
(清隆のリベロ……あいつが後衛で完璧なレシーブを上げ続けるせいで、あのチームの隙という隙が完全に消え去っているな)
本来なら即席の混合チームで生じるはずの連携不足や綻びを、綾小路のカバーリング能力が全て無かったことにしているのだ。いかなる強烈なスパイクであろうと、一切の表情を変えずに完璧な軌道でセッターへとボールを返すあの男の存在が、チームに絶対的な安定感と絶望感をもたらしている。
一方、ネットを挟んだ向こう側でも、彼らは静かに我々を分析していた。
(やはり、Aクラスが順当に決勝まで勝ち上がってきたか)
オレは後衛のポジションで姿勢を低く保ちながら、ネット越しの惣右介たちを観察する。
個々の身体能力やパワーの合計値で言えば、間違いなくこちらが上回っている。だが、彼らには抜群の連携と、惣右介という絶対的なエースが存在する。
惣右介のスパイクを過剰に警戒してブロックが偏れば、セッターの神崎が冷静に判断し、空いたスペースへと的確にトスを散らしてくる。非常に厄介な相手であることに間違いはない。
(何より……惣右介のあの跳躍から生み出される打点は脅威だ。高円寺やアルベルトたちの高さを誇るブロックでさえ、さらにその上から打ち下ろされる可能性が高い。やはり、オレがリベロとして後衛のレシーブに専念する作戦で良さそうだな)
オレが内心でシミュレーションを重ねていると、前衛に立つ橋本が首だけをこちらに向けて声をかけてきた。
「やっぱ、藍染のあの高さは脅威だな。後ろの守りは頼むぜ、キング」
「……その呼び方はやめろ。お前も、いかに惣右介たちのブロックを掻い潜るか、慎重に判断してトスを上げろ」
「分かってるっての。俺のトスワークで翻弄してやるよ」
橋本がニヤリと笑う。
その横で、Cクラスの時任が腕を組み、冷徹な視線をAクラスへと向けて口を開いた。
「――散りて二度とは咲かずとも、炎のごとくに散るぞ美し」
そして、ネットの真正面。最も惣右介の近くに立つ高円寺は、言葉を発することなく、獲物を前にした猛獣のようにギラギラとした闘志を瞳に宿し、真っ直ぐに惣右介だけを見据えていた。
(今回の体育祭、すでにクラスとしての勝敗は大勢が決している。だが――)
オレは視線を惣右介に固定し、静かに闘志を燃やす。
(惣右介という絶対王者をここで打ち倒してこそ、こちらの同盟の真の『完全勝利』となる)
両チームの視線が交錯し、体育館の空気がピリピリと張り詰める。
私は静かに視線を返し、ネット越しの彼らを真っ直ぐに見据えた。
「――来るべき厄災が、順当に顕現したというわけか」
ネット越しに伝わってくる相手チームの異様な重圧を感じ取り、隣に立つ神崎が静かにオサレな言葉をこぼした。
「異なる群れが手を結び、一つの絶対的な『絶望』となって立ちはだかる。……俺たちの魂の冴えを試すには、これ以上ない舞台だな」
「――絶望、か。彼らはまだ、真なる絶望の形すら理解していない。寄せ集めの威容で、この天に届くと錯覚している姿は滑稽ですらあるね」
私はフッと口角を上げ、共に戦うクラスメイトたちへと言葉を紡いだ。
「――我々が岩壁の花を美しく思うのは、我々が岩壁に足を止めてしまうからだ。怖れ無き その花のように、空へと踏み出せずにいるからだ」
(時任のオサレ空間のせいで、俺までうっかり巻頭ポエム出ちゃったよ!?俺が逆に影響されるってどうなってんの!?)
内心で激しくツッコミを入れつつも、私は一切の表情を崩すことなく威風堂々と前を見据える。
「――さあ、恐れることなく空へと踏み出そう。彼らに真の絶望というものを教えてあげようじゃないか」
ピィィィッ!!
私の言葉と同時に、体育館に決勝戦の始まりを告げるホイッスルが高らかに鳴り響いた。