いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
三クラス同盟による徹底した包囲網、そして男子バレーボール決勝における死闘の末、私たちのクラスは最下位という結果で体育祭の幕を閉じた。
ペナルティとして150クラスポイントを失うことにはなったが、それでも2位のBクラスに対してはわずかながら首位の座を堅守している。
極限の緊張感と肉体疲労を伴った激闘の翌日――土曜日。私はその一日を、全ての思考を休ませるようにただ静かに自室のベッドで過ごし、蓄積した疲労を完全に癒やした。
そして迎えた、日曜日の昼下がり。
カーテンの隙間から差し込む穏やかな秋の陽光が、私の部屋を優しく包み込んでいた。
「――惣右介くん、この本、すごく面白いですよっ」
ソファの隣に腰掛け、愛読書をめくりながらふふっと柔らかく微笑むのは、愛しの恋人・椎名ひよりだ。
夕方からのクラスの打ち上げの時間になるまで、私たちは私の部屋で静かに読書の時間を共有していた。
私自身も手元の文庫本から視線を上げ、隣で幸せそうにページをめくるひよりの横顔を見つめる。
(休日にひよりと、二人っきりでのんびりと読書。……この時間さえあれば俺は生きていける……!)
私は内心で至福の感情を噛み締めながら、オサレな笑みを作って言葉を紡いだ。
「――静寂の淵に寄り添う文字の群れは、孤独を癒やす唯一の旋律だ。君とこうして同じ時間を紡ぐことこそが、私にとっての無上の褒賞なのだよ」
私のオサレポエムに、ひよりはわずかに頬を染め、しかし慣れた手つきで完璧な笑顔を返す。
「ふふっ。私も、惣右介くんとこうして穏やかな時間を過ごせるのが、世界で一番大好きですっ」
そう言って、ひよりは私の肩にふんわりと頭をもたれかけさせた。
絹糸のような銀髪から漂う甘く優しい香りが鼻腔をくすぐり、私の心は心地よい癒やしで満たされていく。
私たちは言葉を交わすことなく、ただ穏やかな気息を感じ合いながら、緩やかに流れる休日の午後を堪能したのだった。
そして夕暮れ時。
私たちは一之瀬が事前に予約してくれていた、ケヤキモール内のカラオケ店の一室へと足を運んでいた。
Aクラス全員参加による、体育祭の『お疲れ様会』の開催だ。
「お疲れみんな! 席につけー、料理もどんどん頼むぞ!」
柴田や網倉を中心にして、室内は一気に賑やかな雰囲気に包まれる。
クラスメイトたちはそれぞれの席に腰掛け、体育祭の疲れを吹き飛ばすようにメニュー表を覗き込んで盛り上がっていた。
そんな中、一之瀬がマイクを手にクラスメイトたちに語りかけた。
「みんな! 今日は集まってくれてありがとう!」
室内の喧騒がスッと静まり、全員の視線が彼女に集まる。
一之瀬はまっすぐ前を見据え、少しだけ悔しさを滲ませながらも、力強く微笑んだ。
「今回の体育祭は、三クラスで同盟を組まれたこともあり、残念な結果になってしまったね。……Bクラスとの差は僅かになってしまったけど、文化祭やこれからの特別試験に勝利して、絶対にAクラスを維持できるように頑張っていこうね! じゃあ……乾杯っ!」
「「「かんぱーい!!」」」
一之瀬の明るく前向きな演説に、クラスメイトたちから力強い歓声が上がり、一斉にグラスが打ち鳴らされた。
すぐに大量のピザや唐揚げ、オードブルといった料理が運ばれてきて、室内は一気に和やかなムードに包まれる。
私はいつものようにひよりの隣に腰掛け、クラスメイトたちが楽しそうに笑い合っている姿を微笑ましく見守っていた。
(一之瀬の言う通り、今回は最下位になってしまったけど、誰一人下を向くことなく、逆境でも全力で立ち向かった。この経験はこれからの学校での戦いはもちろん、社会に出ても役立つ財産になるよな)
「ひよりちゃん! 藍染くん! お疲れ様!」
料理の皿を持って、一之瀬が私たちのテーブルへとやってくる。
「ふふっ、帆波ちゃんもお疲れ様ですっ」
ひよりが優しく微笑みながら、一之瀬にグラスを差し出す。
「――君の導きがなければ、この荒波を乗り越えることはできなかっただろう。その健気な太陽の光は、いかなる闇夜をも照らし出す羅針盤だね」
「『帆波ちゃんもお疲れ様です。君のリーダーシップのおかげで、クラスの絆が更に深まったよ』と言っていますっ」
私のオサレな労いの言葉をひよりが翻訳すると、一之瀬は少し照れくさそうにはにかんだ。
「あはは、ありがとう藍染くん! 体育祭は負けちゃったけど、次は文化祭に向けて気持ちを切り替えないとね!」
「ふふっ。頑張りましょうね」
ひよりが柔らかくうなずき、一之瀬も嬉しそうに同意する。
周囲を見渡せば、誰もが下を向くことなく、前を向いていた。
柴田や網倉といったムードメーカーたちが明るく周囲を励まし、浜口や二宮たちが体育祭の反省点や、次に向けてどう動くべきかを冷静かつ建設的に話し合っている。
「――敗北という名の泥濘は、我々の魂をより強固な城壁へと鍛え上げるための試練に過ぎない。次なる盤面では、俺が先陣を切って光の軌跡を描こう」
真面目な反省会の中、不意に神崎が腕を組んで目を閉じながら、やたらと流麗な口調で呟いた。
「神崎くん!? もう体育祭は終わったんだからそのキャラは止めて! 普通の言葉で反省会して!」
「……すまん、まだ体育祭の余韻から抜け出せてないようだ」
すかさず一之瀬がハリセンでも持っているかのような勢いでツッコミを入れ、神崎が気まずそうに咳払いをする。
(神崎ィィィ! でも体育祭の時の神崎はカッコよかったぞ……!)
私は内心で激しくツッコミを入れつつ、体育祭での神崎の働きに感謝した。
(でも、このクラスなら……今後どんな過酷な状況になっても、絶対に大丈夫だな。本当に、最高の仲間たちだ)
「あ、そうだ! 藍染くん、ひよりちゃん、何か一曲歌わないの? みんな待ってるよ!」
神崎のオサレ発言を無事に収拾した一之瀬が、イタズラっぽく笑いながら私たちのほうへマイクを差し出してくる。
「えっ、私ですか……? ええと、その……」
急に振られたひよりが、少しだけ頬を染めて困ったように首を横に振る。
その可愛らしいリアクションに、周囲のクラスメイトたちから「ひよりちゃんの歌声聴きたいなー!」と温かいやじが飛ぶ。
「――案ずるな、ひより。君が望むなら、私がこの世界の喧騒を支配してやってもいいがね」
(訳:歌う気分じゃなかったら、無理しなくていいからね。俺が代わりに歌って盛り上げようか?)
私がすかさずフォローを入れると、ひよりはふふっと嬉しそうな笑みを浮かべ、私の袖をキュッと掴んだ。
「……惣右介くん。じゃあ、せっかくなので、二人で一緒に歌いませんか?」
「――ほう。私と同じ天に立ち、共にひとつの旋律を紡ごうというのか。実に魅惑的な誘いだね。受けて立とう」
(訳:ひよりからのデュエットのお誘い!! 喜んで一緒に歌うよ!)
ひよりの提案に、私は内心で全力のガッツポーズを決めながらも、オサレな笑みでマイクを受け取った。
リモコンを操作して選曲されたのは、誰もが知る爽やかなデュエットソングだった。
「うわぁ……藍染、相変わらず歌上手すぎだろ……!」
「ひよりちゃん、可愛い……! はぁ〜、尊い……」
歌い終わった瞬間、クラスメイトたちの歓声と拍手が沸き起こった。
その後も、ひよりの隣でポテトをつまみながらお喋りを楽しんだり、柴田が熱いアニメソングを熱唱して全員でコールを入れたりと、カラオケでの盛り上がりは最高潮に達していた。
さらに神崎が「――魂の叫びを聴け」と、なぜか微動だにせず真面目な顔でアップテンポな曲を歌い上げ、それを見た一之瀬がプルプル震えながら必死にツッコミを堪えたりと、絶えず笑い声が響いていた。
やがて宴もたけなわとなり、私たちはお互いの健闘を称え合いながら、和やかな雰囲気のままお疲れ様会を楽しんだ。
三クラス同盟による徹底マークを受け、最下位という結果に終わったことは確かに痛手だったかもしれない。だが、この日この場所に集まったクラスメイトたちの顔に、暗い影は一切なかった。
誰もが自分の持てる力を出し切り、そして仲間との絆を再確認したという、確かな手応えと充実感を胸に抱いていたのだ。
「次は文化祭だね! みんなでまた力を合わせて頑張ろう!」
「おおーっ!!」
一之瀬の明るく力強い声に、クラス中が笑顔で頷き合う。
敗北を糧にし、さらに強固な絆で結ばれたAクラス。
次なる文化祭、そしてその先に待ち受ける過酷な戦いに向けて、私たちの心は完全に一つにまとまっていたのだった。
Aクラスの打ち上げが行われているカラオケ店からほど近い、ケヤキモール内の大型レストラン。
クラスのまとめ役である平田や、体育祭で大活躍した須藤の音頭と共に、祝祭の幕が開く。
「っしゃああああっ! 俺たちDクラスの、第一位に! 乾杯だぁぁぁっ!!」
「「「かんぱーいっ!!」」」
そのワンフロアを貸し切ったDクラスの打ち上げ会場は、割れんばかりの歓声と熱気に包まれていた。
我が道を行く高円寺こそ参加していないものの、それ以外のクラスメイトたちは皆、満面の笑みでグラスを打ち鳴らし、大皿に盛られた料理へと群がっている。
無理もない。今回の体育祭において、三クラス同盟を最大限に活用したオレたちDクラスは、坂柳が上手く調整してくれたとはいえ、堂々の学年一位となったのだ。
ペナルティとして最下位に沈んだAクラスから150クラスポイントを間接的に奪い、こちらは1位報酬の150クラスポイントを獲得。結果として、絶対王者であるAクラスとのポイント差を一気に『300』も縮めることに成功した。
これまでの鬱憤を晴らすかのような大戦果に、クラスの士気は最高潮に達している。
「フッ……第一の使徒たるこの俺の『封印されし右腕』をもってしても、あの御方の絶対領域には未だ届かなかったか……。だが、我が魂の刃はまだ折れてはいない。いつの日か必ず、俺も藍染様と同じ深淵なる高みへと至ってみせるぜ……!」
「はいはい、寛治くんは十分頑張ったよ。その壮大な目標に向かって、次も頑張ろうね。ほら、お肉冷めちゃうから早く食べなさい」
長テーブルの向こう側では、悔しさと圧倒的な崇拝の念を入り交じらせながら厨二病全開の決意を紡ぐ池の口に、隣に座る松下が呆れたような、しかしどこか優しく慰めるような笑顔で唐揚げを放り込んでいる。
その隣では、須藤がジュースの入ったグラスをドンッとテーブルに置いて息を吐いていた。
「……っつーか、やっぱ藍染の野郎はバケモンだぜ。俺は一位を取るための作戦でアイツを避けて出場してたから直接は当たらなかったが、遠目から見てても底が見えなかった。……だが、次は絶対に負けねえ。直接対決でも勝てるように、みっちり鍛え直してやる」
須藤の瞳には、かつての粗暴な怒りではなく、純粋なアスリートとしての向上心が宿っている。平田もそんな須藤の背中を、安堵の入り混じった優しい笑顔で叩いていた。
さらに視線を巡らせれば、テーブルの端では啓誠、明人、波瑠加、愛里の四人が和やかに談笑している。いつも通り波瑠加が冗談めかして場を回し、愛里が楽しそうに相槌を打ち、明人と啓誠が呆れ半分に付き合うという、見慣れた心地よい光景だ。
オレは少し離れた席からクラスメイトたちの姿を静かに観察しつつ、一口だけウーロン茶を喉に流し込んだ。
不意に、斜め向かいの席に座る恵と視線が交差する。
彼女は周囲の目を気にする様子もなく、満面の笑みでオレに向けてピースサインを作り、楽しげにウインクを飛ばしてきた。
オレも小さく頷いて応えると、佐藤から「ちょっと恵ちゃん! また見せつけてー!」と冷やかされ、恵が照れくさそうに笑い声を上げる。オレたちのそうしたやり取りは、すっかりクラスの日常として溶け込んでいた。
「……嬉しそうね。クラスメイトたちの成長を見守る保護者にでもなったつもりかしら」
ふと、隣の席にコトンとグラスが置かれ、呆れたような声が鼓膜を揺らした。
視線を向ければ、ショートヘアを揺らした堀北が、静かにオレの隣に腰を下ろしていた。彼女は祝祭の輪から一歩引き、冷静な瞳でオレを見つめている。
「別に。ただ、こうしてクラスが一丸となってまとまっている事実を評価していただけだ。……お前と櫛田も、ようやく歩み寄れたようだしな」
オレの言葉に、堀北はわずかに頬を赤らめ、気恥ずかしそうに視線を泳がせた。
「……そうね。まだ本当の意味で『友達』と呼べるかは分からないけれど。お互いに過去を飲み込んで、一歩を踏み出せたとは思っているわ」
堀北は恥ずかしさを隠すようにフイッと顔を背けたが、その表情には以前のような刺々しい拒絶の色は一切なく、どこか晴れやかな充実感が宿っていた。
彼女は小さく息を吐き、改めてオレに向き直った。
「150クラスポイントを獲得し、Aクラスを最下位に沈めた。差は300も縮まったわ。……でも、完全勝利とは言えないわね」
「ああ。高円寺の全力でも個人種目で惣右介を打ち倒すことは叶わず、団体戦では、惣右介の力と技術だけでなくクラスの連携力の差を見せつけられたな」
「ええ。あんな理不尽な力を見せつけられては、正面から打ち倒すなんて到底不可能に思えてくるわ。……でも」
堀北はそこで言葉を切ると、真っ直ぐに前を向き、確かな闘志を宿した瞳で口角を上げた。
「今回、藍染くんを個人の玉座から引き摺り下ろすことはできなかった。けれど、彼を倒すために全員で知恵を絞り、必死に努力した経験は、確実に私たちの血肉になっているわ。今のこのクラスなら……きっと、もっと上を目指せる」
その横顔には、リーダーとしての頼もしい風格が漂い始めていた。
「そうだな。惣右介という個の力は確かに絶対だ。だが……今回の体育祭を通して、あいつの性質が明確な『弱点』として浮き彫りになった」
オレが静かに切り出すと、堀北は真剣な眼差しで耳を傾けた。
「弱点? どんな状況でも正攻法を貫くこと? ……でも、それは以前からわかっていたことじゃないかしら」
「ああ。だがそれは、これまでが『正攻法で勝てる盤面』だったからだ。Aクラスの平均的な能力は高く、一之瀬の人徳によって完璧な信頼関係も構築されている。そこに惣右介という規格外の個人がいれば、大抵の試験は正面からねじ伏せられる」
「……ええ、そうね」
「だが今回は、三クラス同盟による完全包囲網だ。惣右介なら、正攻法で勝つのは難しいと理解していたはずだ。それでも彼らは、豊富な資金を使い、裏工作をするといった戦略を取らず、真正面から受け止めた」
「……確かに。Aクラスの豊富な資金力があれば、他学年の生徒をポイントで雇って競技を有利に進めたり、同盟の中にスパイを仕込んで内部崩壊を狙うといった手段も取れたはずよね」
「Aクラスのリーダーは一之瀬だからな。他学年を巻き込んだり、ポイントで寝返らせるような邪道をとることを嫌ったのだろう。だが、惣右介が『勝つために必要だ』と助言すれば、一之瀬も首を縦に振ったはずだ」
「それは、リーダーとして一之瀬さんを信頼し、彼女のやり方に任せているからではないのかしら?」
「もちろんそれもあるだろう。クラスメイトを信頼し、正攻法でも勝算があると踏んだのか、あるいはこの逆境を乗り越えることで、クラスがさらに団結し、成長することを狙ったのか。惣右介にも何らかの狙いはあったのだろうが……」
オレはそこで一度言葉を区切り、結論を口にする。
「結果として、こちらがルールを侵さない限り、惣右介はどんなに不利な状況でも裏工作や抜け道に頼らず、王道を行こうとする。その強者としての矜持こそが、あいつの動きを縛る最大の鎖になる」
「……なるほど。必ず真正面から受け止めてくれると分かっているのなら、それを逆手にとって……」
「ああ。正面から受け止めること自体が自滅に繋がるような、罠を仕掛ければいい。惣右介のあの完璧すぎる余裕と、絶対的強者としての在り方そのものが付け入る隙になる。……坂柳や龍園も、同じ結論に至っているはずだ」
……だが。
オレたち各クラスの首脳陣に『Aクラスは正攻法しか使わない』と確信させること自体が、惣右介の真の狙いだとしたらどうだろうか。
そうなれば最後の最後。最も重要な局面で惣右介たちが突如として『邪道』を選んだ時、オレも坂柳も龍園も、誰一人として対応することはできない。
これまでの戦略も、今回の最下位という事実すらも、いずれ訪れる致命的な一撃を通すため、あえてオレたちにその認識を植え付ける『壮大な仕込み』だとしたら――。
オレはウーロン茶の入ったグラスを軽く揺らし、静かに思考を打ち切った。
周囲を見渡せば、クラスメイトたちが勝利の美酒に酔いしれ、心の底から笑い合っている。
張り詰めていた思考の糸を、あえて一度断ち切る。
「まあ、今日くらいは難しい話はいいだろう。オレも、友人たちのところへ行ってくる」
オレがそう声をかけると、堀北も小さく頷いて立ち上がった。
「ええ、そうね。……私も、少し櫛田さんと話してくるわ」
グラスをテーブルに置いたオレは、友人たちが待つ賑やかな打ち上げの輪の中へと歩みを進めた。