いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
体育祭の熱狂から週末を挟み、いよいよ十一月に控えた文化祭に向けての本格的な準備がスタートする月曜日の朝。
鏡の前でブレザーに袖を通し、ネクタイを締めながら、私はふと先日幕を下ろした体育祭での『報酬』について思考を巡らせていた。
全学年を通して、個人総合一位を獲得した男女一名ずつに与えられる特権――『クラス移動チケット』。
強力な報酬ではあるが、結局のところ今回そのチケットを行使する生徒は誰一人としていなさそうだ。
一年生の獲得者は要と天沢。二人ともすでにAクラスの生徒であり、他クラスへ移籍するメリットは皆無である。
二年生は、私とBクラスの神室だ。神室の身体能力の高さは確かだが、これも坂柳による調整の結果だろう。仮にCクラスやDクラスの生徒が一位になってしまえば、クラスからの批判を覚悟の上で、Aクラスへの移籍を強行する可能性もゼロではない。だが、Aクラスと僅差であり、かつ坂柳と葛城の手で結束が固められているBクラスの神室であれば、裏切って移籍することは絶対にないと踏んだのだ。一位の副産物であるプライベートポイントについても、同盟内で不満が出ないよう均等に割り振るなどの約束を交わしているのだろう。
そして三年生は、南雲先輩と鬼龍院先輩。鬼龍院先輩はBクラスに所属しているものの、彼女の性格上、Aクラスという肩書きそのものに一切の興味がないことは明白だ。
(……でも、この『クラス移動チケット』自体は、なかなか面白い試みだよな)
鏡の中の自分を見つめながら、私は小さく息を吐く。
下位クラスからすれば、優秀な主力を引き抜かれるリスクを抱えることになる。だが裏を返せば、そうならないために『誰もが見捨てたくないと思うような、雰囲気の良いクラス作り』を強要されるシステムでもあるのだ。
南雲先輩が掲げる「実力がある者は相応の上のクラスへ行くべきだ」という価値観。体育祭という個の力が如実に表れる舞台にこの報酬を用意した意図も理解できる。
思考を打ち切り、カバンを手に取って部屋のドアを開けると、少しだけ冷たさを増してきた秋の空気が、心地よく頬を撫でた。
私はいつものように、ひよりと待ち合わせをして、手を繋ぎながら学校へと続く通学路を歩き出した。
「文化祭に向けて、これから忙しくなりますね。惣右介くんは、今週は生徒会の引き継ぎもありますし、無理しないでくださいね?」
ひよりが私の顔を見上げ、気遣うように微笑みかけてくる。
今週の金曜日には、三年生から私たちへとバトンが渡される『生徒会交代セレモニー』が控えていた。
「――案ずるな。盤上の些末な熱を支配することなど造作もない。君こそ、その可憐な舞いで世界を魅了するという大役がある。あまり己を追い詰めないことだね」
(訳:俺は文化祭は屋台をするだけだから、大丈夫だよ! ひよりこそ、一之瀬たちと練習しなきゃいけないだろうから、無理しないでね?)
私が涼しげな笑みで気遣いを返すと、ひよりは少しだけ残念そうに目を伏せた。
「ふふっ。本当は惣右介くんと一緒に屋台をやりたいと思っていたのですが、クラスのために帆波ちゃんたちと頑張りますねっ」
「――ああ。私も君と共に、ひとつの玉座を彩ることを望んではいた。だが……君が衣を纏い、その声で世界を魅了する姿を最も近くで見届けられるのであれば、それもまた悪くない」
(訳:俺もひよりと屋台したかったけど……。でも、ひよりが可愛い衣装を着て歌って踊る姿を見られるのは凄く楽しみだよ!)
私が本心からの期待を込めて告げると、ひよりはポッと頬を赤く染めた。
「うぅ……。やはり恥ずかしいですけれど、精一杯頑張りますっ」
照れ隠しのように私の手をきゅっと握り返してくるひより。
私はその愛らしい反応に内心で悶絶しながら、クラスの文化祭の戦略について思考を巡らせた。
(白波が提案した、一之瀬の単独ライブは当然却下にはなったけど、屋台で売上を狙うためにライブで集客するという提案自体は理にかなっている)
ひよりや一之瀬たちがアイドルの衣装を着て歌って踊ったり、姫野を中心にしたバンドが野外でライブをすることで、まずは大勢の客を集める。そして、その集まった客に向けて、屋台で軽食やドリンクを提供するというのが今回の我々のコンセプトだ。
さらに、客を長時間このエリアに拘束することができれば、他のクラスの出し物にお金を落とす時間も削ることができる。
(……ひよりの可愛い姿が見たくて賛成したっていうのは否定できないけど、うん。完璧な作戦だ。……あとは追加資金がどれほど支給されるかだな)
私は一人、クラスの戦略(と己の欲望)に納得しながら、心地よい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
月曜日の放課後。
Aクラスの生徒たちは誰一人帰ることなく、全員が教室に残って話し合いの場を設けていた。
「みんな! 今日からは本格的に、文化祭に向けての準備や練習をしていこうと思う! 特にユキちゃんたちのバンド組は大変だと思うから、無理だけはしないようにね」
教壇に立った一之瀬が、明るい声でクラス全体に呼びかける。
すると、窓際の席に座っていた姫野が、少し気怠げに、しかし自信ありげに口を開いた。
「まあ、私はギターはもともと弾けるから大丈夫だと思う。それに、クラス貯金から練習用に楽器まで買ってもらってるからね。半端なクオリティにならないようにするよ」
「ううん、気にしないで! 今のうちに買っておけば来年の文化祭でも使えるかもしれないし、どこかで似たような試験が来る可能性も否定できないからね。これはクラスみんなが納得した上での投資なんだよ!」
一之瀬が明るくフォローを入れると、浜口が冷静にルールを補足する。
「ええ。ルール上、私物は本番では使用禁止ですからね。当日に文化祭専用の支給ポイントで機材一式をレンタルするしかありませんから、事前に練習環境を整えられたのは大きいです」
彼らバンドメンバーは、姫野がギターボーカル、神崎がベース、浜口がドラムという編成でロック系の曲をカバーする予定だ。姫野以外の二人は楽器に少し触ったことがある程度らしいため、現在猛練習中である。
「――ああ。皆の期待という名の重圧……俺たちの紡ぐ魂の旋律で、この盤面を至高の領域へと昇華させてみせよう」
神崎が瞳を鋭く光らせながら、やたらと流麗な口調で決意を語る。
その発言を聞いた一之瀬の眉間が、ピクッと痙攣したのを私は見逃さなかった。
(一之瀬……神崎へのツッコミを必死に堪えてるな)
神崎は体育祭でも大活躍してクラスを牽引してくれた立役者だ。一之瀬もその貢献を思えば、少々のキャラ崩壊には目を瞑るしかないのだろう。
「わ、私たちも練習頑張ろうね!」
一之瀬は強引に笑顔を作り、ひよりや網倉、白波、小橋といったアイドル組のメンバーたちへ声をかけた。
彼女たち五人は、最近流行りのアイドルソングを歌って踊る予定となっている。
ステージでのパフォーマンスはそれだけではない。柴田と渡辺による漫才や、南方による手品など、次々と繰り出されるパフォーマンスによって、とにかく客を集め、少しでも長くその場に留めるための工夫が凝らされている。
だからこそ、我々は文化祭の場所選びにおいて『屋外の広いエリア』を確保していた。
そこに、私が提案した鉄板焼きの屋台とドリンクの屋台を並べ、集まった客たちをターゲットに販売を行うのだ。
(俺たちも、木材を買って屋台の組み立てや装飾の準備をしないといけないな。今週は生徒会の引き継ぎもあるから忙しくなりそうだけど……こうやってクラスの仲間たちと、一つの目標に向かって放課後に残るってのは、凄く楽しみだな)
私が密かに青春の尊さを噛み締めていると、一之瀬が私の方へと視線を向けてきた。
「藍染くんたちも、屋台の組み立てとかで怪我だけはしないように気をつけてね!」
「――案ずることはない。この盤上における全ての創造は、私が完全に支配している。私が玉座を空ける間は、津辺と新浦を代行として立てよう。……さあ、見せてやろう。我々の手で組み上げる、絶対の城壁を」
私がオサレに答えると、隣にいたひよりがすかさず口を開いた。
「『私が監督するから大丈夫ですよ。生徒会の仕事がある間は、津辺さんと新浦くんに代わりをお願いしますね。男子は力仕事をやってもらうことになるから、一緒に頑張りましょう』と言っていますっ」
「うん。任せて! 藍染くんがいない間は、私たちがしっかり監督しておくよ」
「ああ! 藍染が安心して生徒会の仕事に行けるように、俺たちが責任を持って現場をまとめるよ」
ひよりの完璧な翻訳を受け、指名された津辺と新浦が真剣な表情で頼もしく頷いた。
「おう! 俺たちもやるぞー!」
「任せとけって!」
それに続くように、他の生徒たちも元気よく応える。
こうしてクラスの役割分担と目標が再確認され、私たちは各々の作業へと移っていった。
放課後の学校は、文化祭一色に染まっていた。
ひよりや姫野たちは、それぞれケヤキモール内のカラオケの広い部屋を借りて、歌や楽器の練習に向かっている。
一方で、私たち屋台チームは、文化祭専用のポイントを使って安く仕入れた木材を運び込み、屋外エリアでの組み立て作業に取り掛かっていた。
屋台の寸法や全体的な製図は、すでに私の手によって寸分の狂いもなく仕上げられている。
「おっしゃ、藍染! こっちの木材のカット終わったぞ!」
「――大義だ。では、そのパーツをこちらの土台へと組み込もう」
男子たちは私の指示に従って手際よく屋台の骨組みを組み立て、残った女子たちは、屋台やステージを彩るための看板や装飾品をせっせと手作りしている。
心地よい疲労感と共に作業を進めること、約二時間。
ふと空を見上げると、秋の日は釣瓶落としというように、すでに周囲は薄暗くなり始めていた。
(もう暗くなってきたし、今日はここまでだな)
私は手にしていた工具を置き、作業をしているクラスメイトたちに向けて声を張った。
「――黄昏が世界を覆う刻だ。本日の創造はここまでとしよう。……ゆっくり休むといい。我々の見据える頂は、まだ先にあるのだから」
私の号令で、クラスメイトたちも作業の手を止め、「お疲れ様ー!」と声を掛け合いながら片付けを始めた。
解散後、私は少しだけ形になり始めた屋台の骨組みを眺めながら、静かに思考を巡らせた。
(うん。このペースならこっちは問題なく準備できるな。かなり大掛かりに野外で準備している分、他クラスたちに『Aクラスが何をするか』はある程度推測は立てられるだろうが……そう簡単に真似できる規模じゃない)
そもそも、これだけのパフォーマンスと屋台を併設するには広大なスペースが必要不可欠だ。
(屋外の広いエリアは俺たちが、そして体育館は南雲先輩たちのクラスがすでに押さえている。場所の確保という点でも、他のクラスに邪魔される心配は特にないだろう)
戦略の盤石さを確認し、私はカバンを手に取って歩き出す。
(明日は生徒会での業務があるから、早く終わらせてこっちの作業にも顔を出さないとな。……だけど)
ふと、金曜日に控えた交代セレモニーのことが脳裏を過る。
(南雲先輩たちとの生徒会も、いよいよ終わりか。鬼龍院先輩たちも引退してしまうと思うと……寂しくなるな)
秋風が少しだけ冷たく頬を撫でる中、私は次代へと移り変わろうとしている学校の空気を感じながら、静かに帰路についた。
投稿が遅れてしまい申し訳ありません!