いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
文化祭の準備が本格的に始まった翌日、火曜日の放課後。
金曜日に控えた『生徒会交代セレモニー』に向けた三年生からの引き継ぎ業務と、新加入予定の役員の顔合わせのため、私は鉄板焼き屋台の準備を津辺や新浦たちに任せ、一之瀬と共に生徒会室へと続く廊下を歩いていた。
「今週は文化祭の準備に加えて、生徒会の引き継ぎもあるから忙しくなるね。藍染くんも、あまり無理しないでね?」
隣を歩く一之瀬が、揺れる髪を押さえながら気遣わしげに見上げてくる。
私は内心で彼女の優しさに感謝しつつ、涼しげな笑みを浮かべて口を開いた。
「――案ずることはない。私が玉座で微睡む間にも、君たちは舞台を彩る舞の稽古があるのだろう? 互いに、己の盤面を極めようではないか」
(訳:そうだね! でも、俺よりも一之瀬たちの方が練習で大変だろうし無理しないでね!お互い頑張ろう!)
「にゃはは。うんっ、頑張ろうね!」
そんな穏やかな会話を交わしながら、私たちは生徒会室の重厚な扉を開ける。
室内には、すでに一年生たちが到着していた。
直立不動で私を待ち構えている藤泉要。小悪魔的な笑みを浮かべる天沢一夏。そして――金色の髪を揺らす、七瀬翼の姿があった。
(うん? 天沢が生徒会に志願してるのは聞いていたけど、七瀬もかな?……無人島では怯えさせてしまったし、ここは先輩として優しく挨拶しよう)
私は内心で朗らかな笑みを作り、新入生たちへ向けて歓迎の言葉を紡いだ。
「――ようこそ。かつてあの島で恐怖を識りながら、君たちは逃げるのではなく、自ら私の足元へと歩みを進めることを選んだ。……せいぜい、私の歩幅に振り落とされないようにすることだね」
(訳:やあ、来てくれてありがとう! これから一緒に頑張ろうね!)
(うわぁぁぁ! なんでそんな上から目線で威圧するんだよ!? ただでさえ無人島の時に怖がらせちゃったのに、これじゃ完全に独裁者のパワハラだよ俺の口ィィ!?)
脳内で響き渡る自らへの絶叫とは裏腹に、天沢と七瀬は怯える様子もなく、むしろ緊張感を孕んだ引き締まった表情で私を見つめ返してきた。
「にゃ、にゃはは……。藍染くんはすっごく歓迎してるから、安心してね?」
一之瀬が苦笑いを浮かべながら、必死にフォローを入れてくれる。
その横で、要だけが「おお……! 未熟な我らを導こうとなさる、藍染先輩の慈悲深きお言葉……!」と一人で感極まって打ち震えていた。
そこへ、ガチャリと扉が開いて堀北が到着した。
「失礼します。……あら、もう一年生たちも集まっていたのね」
堀北は静かに一礼して入室すると、室内を一通り見渡した。
「堀北先輩、こんにちは」
七瀬が居住まいを正して丁寧に頭を下げると、隣に立つ天沢もニシシと笑ってひらひらと手を振った。
「やっほー、堀北せぇんぱい! 私たちも今来たとこだよー」
「ええ、こんにちは。二人とも、生徒会へようこそ」
堀北は天沢の軽い態度に少しだけ呆れたように息を吐きつつも、先輩らしく落ち着いた態度で二人に頷き返した。
そして、改めて私に向けて口を開く。
「藍染くん。七瀬さんが生徒会入りを希望しているわ。彼女とはかねてより交流があったし、私から推薦させてもらいたいのだけれど」
「――地を這う安寧に飽き、自ら私の征く天へと手を伸ばすというのなら。……その指先がどこまで届くか、傍らで見届けさせてもらおう」
(訳:うん! 人数が増える分には大歓迎だよ!)
「……天、ですか? ええと、つまり……認めてもらえた、ということでしょうか?」
私のオサレな承諾に、七瀬がポカンと首を傾げ、堀北も「何を言っているの?」とばかりに呆れたように眉をひそめる。
すかさず、要が一歩前に出て熱っぽく解説を始めた。
「はっ! 藍染先輩は、七瀬の向上心を高く評価し、生徒会という大いなる高みへと迎え入れると仰っているのだ!」
「あ、なるほど……。ありがとうございます、藍染先輩」
要の解説のおかげで、七瀬もようやく納得したように深々と頭を下げてくれた。
(……波田野と八神が抜けて一年生は要だけになっていたし、二人も入ってくれるのはありがたいな)
私が密かに安堵の息を吐いていると、やがて南雲たち三年生の役員も到着した。
新加入の二人が三年生たちに挨拶を済ませた後、南雲がテーブルの中央に厚いファイルの束を置いた。
「よし、じゃあ始めるか。藍染、お前ならわざわざ一から十まで説明しなくても大体分かるだろうが、一応形式上な」
南雲がそう前置きして、ファイルの表紙を開く。
「生徒会長としての基本的な権限と義務、それから各クラスや部活動からの要望への対応フロー……まあ、細かい実務の全容については、すべてこの引き継ぎ資料にまとめてある」
南雲は要点を的確に押さえながら、淡々と説明を進めていく。
「定例の書類処理や予算の承認プロセスも記載してあるが……ま、お前のことだ。こんな資料の把握なんて三十分で終わらせるんだろうが」
「――君が築いた盤面の継ぎ目を、私が粗末に扱うことはない。その礎の上にて、新たな秩序を刻み込もう」
(訳:南雲先輩がしっかりまとめてくれたおかげで助かるよ。引き継ぎ資料、大切にさせてもらうね)
「ふっ。……そう言ってもらえると、こっちも報われるぜ」
南雲がわずかに口角を上げ、次のファイルへと手を伸ばした。
その時、南雲がふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、お前の生徒会長就任はもう決まってるが、あとの役職はどうするつもりなんだ?全部お前の采配で決めていいぞ」
(あ、それね。一之瀬と堀北とはもう話し合ってあるんだよな)
私は内心で段取りを確認し、落ち着いた声音で答えた。
「――副会長の座には、二つの光を据える。一之瀬帆波、そして藤泉要。……要には、いずれ私が天を去った後、この玉座を継ぐ者としての研鑽を積んでもらう。そのための第一歩だ」
(訳:副会長は一之瀬と要にやってもらうよ。要には将来的に生徒会長を継いでもらいたいから、副会長として経験を積んでもらうってこと)
要が「ははっ……! この藤泉要、藍染先輩の御意志を継ぐ者として、魂の全てを捧げる所存……!」と拳を胸に当てて震えている。
(いや、魂の全ては捧げなくていいから! 普通に仕事してくれればいいから!)
「――堀北には、この盤上の血脈を推し量る天秤を託したよ」
(訳:堀北には会計をお願いして、了承をもらってるよ)
南雲が腕を組んで頷いた。
「会計の鈴音は大変だろうなぁ。なんせ、鬼龍院のめちゃくちゃな引き継ぎ資料を解読しなきゃならんな」
南雲が隣の鬼龍院をちらりと見て、やや同情を込めた声音で呟く。
鬼龍院は悪びれる様子もなく、艶やかな髪をかき上げながら妖しく笑った。
「アハハハッ! 私は私なりの美学で記録を残したまでだ。読み解ける者だけが読み解けばいい」
(……鬼龍院先輩、実務処理はめちゃくちゃ優秀なんだけど、人に教えるのが得意そうじゃないんだよなぁ。資料のまとめ方が独特すぎる。……いや、俺も人のこと言えないか。ポエムでしか喋れない時点で、コミュニケーション能力は壊滅的だし)
私は内心でそっと視線を逸らし、次の役職の発表へと移った。
「――書記の座には、七瀬翼。その冷静なる眼差しで、この盤上の記録を刻み込んでもらおう」
七瀬が、はっと目を見開いた。
「わ、私が……書記、ですか?」
「――君の持つ静謐なる知性が、この生徒会の骨格を支える礎となる。……その指先で、我々の歩んだ軌跡を永遠に刻みつけてくれ」
(訳:七瀬の真面目さは書記に最適だと思ってる。よろしくね!)
要がすかさず「藍染先輩は、七瀬の知性と誠実さを高く買われているのだ!」と補足を入れる。
七瀬は少し頬を染めつつも、背筋を伸ばして深く頭を下げた。
「……はい。精一杯務めさせていただきます。ありがとうございます、藍染先輩」
「そして会計監査には、天沢一夏」
「にゃ? あたし?」
天沢がきょとんと首を傾げる。
「――君のその特異な視座は、水面下の淀みを暴くのに適している。盤上の裏側に潜む歪みすらも、君の悪戯な瞳ならば容易く見透かすだろう」
(訳:天沢の観察眼と勘の鋭さは会計監査にぴったりだと思ったんだ。よろしく!)
「んふふ〜、なんかかっこいいじゃん。会計監査ね、了解! 任せてよ、藍染せぇんぱい!」
天沢がニシシと笑って、ぴょこっと敬礼の真似事をする。
(よし、これで全役職が埋まった。……天沢と七瀬が入ってくれなかったら、俺が書記と会計監査も兼務する羽目になってただろうし、助かったな)
南雲が満足そうに頷き、ファイルの束を私の前に滑らせた。
「よし、役職も決まったことだし、ここからが本番だ。実際の業務フローと、学校側との連絡体制を叩き込む。……桐山、お前は各部活動からの申請書類関係の引き継ぎを頼む。殿河と溝脇は、備品管理や業務の細かいフローを一年生たちに教えてやってくれ」
「……分かった」
桐山が短く答え、殿河と溝脇も真剣な顔つきで頷く。
そこから一時間ほどかけて、実務の引き継ぎが淡々と進められた。
七瀬は先輩たちの説明をメモに取りながら真剣に聞き入り、天沢は時折「にゃるほど〜」「ここ重要じゃん」と呟きながら、意外なほど真面目にノートにペンを走らせている。
皆、文化祭の準備でクラスの仕事も抱えているため、引き継ぎが終わればすぐに解散となる。
私は帰り支度を始めた南雲たちに向けて、静かに声をかけた。
「――木曜の夜、赤く燃ゆる炎を囲み、新旧の時間が交差する宴を開こう。去りゆく者たちへ、せめてもの餞を用意しよう」
(訳:みんな、文化祭で忙しいとは思うけど、交代セレモニーの前日に新旧メンバー全員で焼肉に行きましょう!)
「ああ。卒業まではまだ時間があるが、生徒会役員としては最後の食事会だ。楽しませてもらうぜ」
私の真意を汲み取った南雲が、朗らかに笑って応じる。
鬼龍院も妖艶な笑みを浮かべ、艶やかな髪をかき上げた。
「藍染の焼肉奉行を見られる機会が減ると思うと、少しばかり悲しくなるな。ふふふ、私は生徒会を引退しても、藍染の料理を食べに行かせてもらうよ」
「――私たちが拒む理由はどこにもない。ひよりも、君たちの来訪を心待ちにしているはずだ」
(訳:いつでも大歓迎ですよ! ひよりも喜びますから!)
和やかな空気の中、私たちは生徒会室を後にした。
一之瀬はひよりたちと合流するためにケヤキモールのカラオケへ。
私は、屋外の特設エリアで作業を進めているクラスメイトたちの元へ向かった。
すっかり日が落ちかけた屋外エリアでは、木材の組み立てが着々と進んでいる。
「――待たせたね。私が戻ったからには、ここから先の工程に一切の淀みは生じさせない。必ず、完璧な結末へと導いてみせよう」
(訳:みんな、遅くなってごめんね!)
私が合流を告げると、工具を持った津辺が汗を拭いながら振り返った。
「藍染くんもお疲れ様。藍染くんが組んでくれた予定表通りに、作業は順調に進んでるよ」
「ああ。こうやってみんなで手作りするのって、やっぱり楽しいな。みんなイキイキしてるよ!」
新浦も笑顔でそう言いながら、組み上がった骨組みをポンと叩く。
(うんうん。みんな怪我なく楽しくやれてるなら、それが一番だね!)
私は内心でホッと胸を撫で下ろし、上着を脱いで作業に加わった。
それから一時間ほど、微調整と明日の準備を済ませてから、本日の作業は解散となった。
(ふぅ、忙しいけど充実してるなぁ。……ひよりはまだ練習してるのかな?)
寮へ向かう帰り道、私は端末を取り出し、メッセージを送った。
『練習お疲れ様。こっちは今終わったよ。ひよりはまだかかりそう?』
数分後、ひよりから返信が届く。
『まだ練習していますっ。惣右介くんは先に帰っていてくださいね』
(よし。じゃあ、部屋でご飯を作って待っていよう)
『部屋でご飯作っておくから、食べにおいで。一之瀬たちも連れて来てもいいよ』
そう返信し、私はスーパーで食材を買い込んで自室へと戻った。
エプロンを身につけ、キッチンで手際よく夕食の準備を進めていると、部屋のインターホンが鳴った。
扉を開けると、そこにはひよりと共に、一之瀬、網倉、小橋、白波が立っていた。
「お邪魔しまーす! ごめんね藍染くん、お言葉に甘えちゃって」
「惣右介くん、お疲れ様ですっ」
練習で程よく汗をかいた様子の女子たちが、賑やかに部屋へ上がり込んでくる。
私は完成した料理――具沢山の豚汁と、生姜焼き、そして彩り豊かな副菜の数々をダイニングテーブルへと運ぶ。
ひよりは何も言わずとも慣れた手つきで食器を取り出し、私の隣で完璧な連携を見せて配膳を手伝ってくれた。
そのあまりに自然な空気に、小橋や白波がニヤニヤとからかうような視線を向けてくるが、ひよりは平然と微笑んでいる。
「「「いただきまーす!」」」
六人でテーブルを囲み、夕食が始まった。
「ん〜〜っ! やっぱり藍染くんのご飯は美味しいねー!」
「うん! 練習で疲れた体に沁みるよ〜!」
「この生姜焼き、お店出せるよ絶対……!」
女子たちがワイワイと美味しそうにご飯を頬張る姿を、私はお茶を飲みながら微笑ましく見守っていた。
話題は自然と、文化祭の出し物のことへと移っていく。
「でさ、サビの振り付け、もう少し大きくした方がいいかなって思って」
「うんうん、ステージが広いから、動きを大きめにしないと後ろまで伝わらないもんね」
一之瀬が箸を置きながら、腕で大きな弧を描いてみせる。
「あと、二番の前の間奏でフォーメーション変わるでしょ? あそこの移動がまだちょっとバタつくんだよね」
「確かに。もう少し早めに動き出した方がいいかも」
網倉が頷きながら、豚汁を啜る。
その会話の中で、ひよりが少しだけ箸を止めて、俯き加減に呟いた。
「……あの、サビのステップが、まだちょっと自信がなくて」
「あ、ひよりちゃんも? 実は私も……」
白波が苦笑いを浮かべて、ひよりに寄り添うように肩をすくめた。
「私、運動全然得意じゃないから、テンポ速いとこで足がもつれそうで……」
「……私も、同じです。振り付けを覚えるのは大丈夫なんですけど、体がついていかなくて」
ひよりが少し不安そうに眉を下げると、一之瀬がぱっと顔を輝かせて二人の肩を叩いた。
「大丈夫大丈夫! ひよりちゃんも千尋ちゃんも、振りはちゃんと覚えてるんだから、あとは体で慣れるだけだよ。明日、ゆっくりなテンポで一緒に合わせよ?」
「そうそう! 最初はみんなそんなもんだって!」
網倉がフォローするように笑い、小橋も「本番までまだ時間あるし、全然間に合うよ!」と親指を立てる。
ひよりが、ほっと息を吐いて微笑んだ。
「……ありがとうございます。少し、安心しました」
「うん……ありがとう、みんな」
白波も少しだけ頬を緩めて、生姜焼きを頬張った。
(……ひよりが不安そうにしてるのは少し心配だけど、一之瀬たちがちゃんと支えてくれてるなら大丈夫だな。ひよりは真面目だから、きっと本番までには完璧にしてくれる)
私はお茶を啜りながら、楽しそうに笑い合う彼女たちの姿を、ただ静かに眺めていた。
やがて食事が終わり、一之瀬たちが「ごちそうさまでした! また明日ね!」と帰っていった。
二人で玄関まで見送った後、私たちはキッチンに並んで後片付けを始める。
「――どれほど困難な道のりであろうと、君が仲間と共に咲かせる笑顔は、どんな装飾よりも美しくこの時間を彩っているよ」
(訳:練習は大変なんだろうけど、ひよりが友達と楽しそうにやれていて俺も嬉しいよ)
スポンジで皿を洗いながら私が言うと、隣で布巾を持っていたひよりが、ふふっと柔らかく笑った。
「ありがとうございます。そうですね……とても楽しいですっ。帆波ちゃんたちと一緒に、一つのものを創り上げるのが」
「ああ。君のその温かな光が、クラスをより強固なものにしている」
「……でも、ステップはもう少し練習しないとですね。惣右介くんにも、かっこ悪いところは見せたくないので」
ひよりが少しだけ頬を染めて、皿を拭く手に力を込める。
「――君が懸命に紡ぐその一歩一歩こそが、何よりも美しい旋律だ。……不格好な音など、この盤上には存在しない」
(訳:ひよりが頑張ってる姿だけで十分かっこいいよ。大丈夫、絶対上手くなるから)
「ふふっ……ありがとうございます、惣右介くん」
ひよりが、少しだけ目を潤ませて微笑んだ。
片付けを終えた後、私たちは門限ギリギリの時間まで、ソファで隣り合って座り、温かい紅茶を飲みながら静かな読書の時間を楽しんだ。
外の喧騒が嘘のように、この部屋だけが切り取られたような安らぎに満ちている。
そして、別れの時間となり、私の自室を出て、彼女の部屋の前まで送り届けた。
ひよりが振り返り、少し背伸びをして私の腰に腕を回してくる。
柔らかな銀髪の香りが鼻腔をくすぐり、温かい感触が胸に伝わる。それは、私たちがここで別れる際の、言葉のいらない日課だった。
少しだけ顔を上げた彼女と自然に視線が交差すると、互いに惹きつけられるように距離が縮まる。
ひよりの柔らかい唇が、私の唇に優しく重なった。
「……おやすみなさい、惣右介くん」
すっかり日常のやり取りになったとはいえ、やはりまだ恥ずかしいのか。彼女は照れ隠しのように少しだけ頬を染め、はにかむように微笑んで自分の部屋へと入っていく。
「――ああ。静寂なる夜の底で、君が良き夢と巡り会わんことを」
私は背筋を伸ばし、閉まっていく扉に向けてオサレな笑みを浮かべて見送った。
だが、扉がカチャリと完全に閉まり、誰もいない静かな廊下に一人取り残された瞬間――。
(……うぉぉぉ……! 全然慣れない……! うーん! 今日も最高に可愛い……っ!)
私は自然とだらしなく綻んでしまいそうになる口元を、片手で必死に覆った。
(ひよりが文化祭を楽しそうにしてくれていて俺も嬉しいし、あの笑顔を眺めてるだけでマジで体力が全回復していく気がする。……それに加えて今の余韻で、明日の活力までフルチャージされた。ひより、尊い……!)
唇に残る柔らかな温もりと甘い香りを噛み締めながら、私はどこか浮き立つような足取りで、自室へと歩き出した。