いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百四十話

 木曜日の放課後。

 

 クラスの皆が文化祭の準備に精を出す中、私は事情を説明して自身の作業を早めに切り上げさせてもらい、新旧の生徒会メンバーと共にケヤキモールへと足を運んでいた。

 

 そして現在。

 

 私は高級焼肉店の広々とした個室にて、手元のトングをまるで己の指先の一部であるかのように弄びながら、目の前に広がる灼熱の網と対峙していた。

 

「――色々あったが、俺たち三年生は明日で引退だ。後輩たち、今まで俺たちを支えてくれてありがとな。……乾杯!」

 

「「「乾杯!!」」」

 

 南雲の朗らかな声を合図に、新旧の生徒会役員十一人が揃った送別会の宴が幕を開けた。

 

 全員のグラスが打ち鳴らされるその瞬間、私はスッと目を細め、大皿に盛られた極上の霜降り肉をトングで挟み、網の中央へと一切の無駄なく滑らせた。

 

 ジュワァァッ……! と、上質な脂が炭火に触れて弾け、食欲を極限まで刺激する完璧な音が個室に響き渡る。

 

 すると、隣のテーブルの中央で、要がトングを構えて真剣な表情を作っていた。

 

「――要。この一瞬に、我々の全てを懸けよう。肉が語る最高の瞬間を、一片の曇りもなく皿の上へ届ける。……それこそが、この網の前に立つ者の矜持だ」

 

(訳:要、俺はこっちのテーブルを焼くから、そっちのテーブルは任せたよ! お互い頑張ろう!)

 

 私が隣のテーブルへ向けて静かに告げると、要は大きく頷き、目を輝かせた。

 

「はっ! 藍染先輩の御意志の通り、一切の妥協なく焼き上げてみせます!」

 

 私が上座側のテーブルの火力を支配し、要が下座側のテーブルの網を管理する。肉の部位、厚さ、脂の乗り具合。その全てを瞬時に計算し、最高の状態で同卓の者たちの小皿へと配給していく。

 

「す、すごいです……」

 

 その神業のようなトング捌きを見た七瀬が、目を丸くして感嘆の息を漏らした。

 

「藍染先輩も藤泉くんも、お肉を焼く動作一つをとっても一切の無駄がありませんね。まるで、達人同士の武の境地を見るようです」

 

「……勘違いしないで、七瀬さん。あれは武の境地でもなんでもなく、ただの焼肉に対する異常なまでの執着よ」

 

 真面目な顔で感心する七瀬に対し、隣に座っていた堀北が呆れたようにツッコミを入れる。

 

 だが、そんな堀北の小皿にも、私が完璧なミディアムレアに仕上げたハラミが音もなく置かれる。彼女は一瞬だけ渋い顔をしたものの、肉を口に運んだ途端、その美味さに抗えなかったのか静かに箸を進め始めた。

 

「んふふ〜! 藍染せんぱいの焼いたお肉、サイッコーに美味しいじゃん! あたしはずっと食べる専門でいくね〜!」

 

 天沢が小悪魔的に笑いながら、次々と肉を頬張っていく。その食べっぷりは小柄な体躯からは想像もつかないほど豪快で、見る見るうちに小皿が空になっていく。

 

 一之瀬も「ふふっ、天沢さんいっぱい食べてね! 藍染くん、いつもありがとう!」と朗らかに笑いながら、和やかに場を取り仕切っている。

 

 桐山も黙々と肉を口に運んでいるし、殿河や溝脇もリラックスした表情で食事を楽しんでいた。

 

 南雲や鬼龍院も、後輩たちの賑やかな様子を微笑ましく眺めながら、私の焼いた肉を存分に味わっている。

 

(……こうして見ると、本当にいいメンバーだったな)

 

 私はトングを操りながら、内心でしみじみと思った。

 

(天沢と七瀬は、明日からいよいよ本格始動か。二人とも、きっといい仕事してくれるよ)

 

 網の上で、カルビがこんがりと美しい焼き色をつけていく。私はそれを完璧なタイミングで裏返し、脂が滴る最高の瞬間を見極めた。

 

 やがて食事が進み、宴も終盤に差し掛かった頃。

 

 網の上の肉が全て片付き、食後の温かいお茶とデザートが運ばれてくると、場は静かな歓談の時間へと移り変わった。

 

 南雲がふと、手元のグラスを見つめながら、ぽつりと口を開いた。

 

「……早いもので、一年が経つな」

 

 その声には、清々しさと充実感が宿っている。

 

「この一年、藍染。お前とは色々あったな。……だが、お前という規格外の存在がいたからこそ、俺は純粋な力比べの面白さを思い出せた。他者を蹴落とすのではなく、自分の足で高みを目指すことの価値に気づけたんだ。……改めて礼を言うぜ、藍染」

 

 南雲は真っ直ぐに私の目を見て、そう告げた。

 

「――沈んだ太陽は、再び天を焦がすための熱を孕む。一度失いかけた光を取り戻した君の軌跡は、間違いなくこの学園の歴史に深く刻まれているよ」

 

(訳:南雲先輩、立派に会長を務め上げてくれてありがとうございました。本当にお疲れ様でした)

 

 私が静かに敬意を込めて応えると、南雲はフッと心地よさそうに笑みをこぼした。

 

「ははっ、相変わらず最後まで上から目線だな。……だが、お前なら俺や堀北先輩をも超える、最高の生徒会を作れるはずだ。期待してるぜ、次期会長」

 

「私も楽しかったぞ、藍染」

 

 南雲の言葉に続くように、鬼龍院が蠱惑的な笑みを浮かべて私を見た。長い銀髪が、個室の暖かな照明を受けて妖しく揺れる。

 

「まさかこの私が、生徒会に所属することになるとは思わなかったが……お前が紡ぐ言葉と、常軌を逸した実力は、常に私の退屈を紛らわせてくれた。次の舞台でも、せいぜい派手に暴れ回ってくれ。私は観客席から見物させてもらう」

 

「――買い被りだ。私はただ、己の歩むべき道を均しているに過ぎない」

 

(訳:いや、鬼龍院先輩がいてくれて本当に助かりました。ありがとうございます)

 

 私が涼しげに返す中、桐山が小さく息を吐いて口を開いた。

 

「……藍染。俺は、最後までお前のその傲慢な態度を好きになることはできなかった。だが、お前が確かな結果を残し、学校のために動いたことだけは事実だ。俺からの文句はもう何もない。せいぜい、足元をすくわれないように気をつけることだな」

 

「――忠告に感謝しよう、桐山」

 

(訳:桐山先輩も、引き継ぎとか色々サポートしてくれてありがとうございました)

 

 桐山は小さく鼻を鳴らしたが、その表情にはわずかながらも柔らかな色が滲んでいた。

 

 心地よい時間が過ぎていく中、一之瀬がパンッと軽く手を叩いて立ち上がった。

 

「それじゃあ! ここで私たち後輩から、お世話になった先輩たちへ、ささやかなプレゼントの贈呈です!」

 

 一之瀬の合図で、後輩たちが足元に置いていた紙袋を一斉に手にする。

 

 堀北から殿河と溝脇へ。要たち一年生から桐山へ。そして一之瀬から鬼龍院へ。

 

 それぞれ感謝の言葉と共に、ボールペンやシステム手帳、香水などの実用的な贈り物が手渡された。

 

 鬼龍院が香水の瓶を指先で弄びながら「ふふ、良い香りだ。藍染、一之瀬。センスを褒めておこう」と妖艶に微笑み、桐山が要から受け取った革のブックカバーを指でなぞりながら「……悪くない」と短く呟く。

 

 殿河と溝脇も、堀北から手渡された上質なノートを開いて「おお、これ欲しかったやつだ」と素朴に喜んでいた。

 

 そして最後に、私が立ち上がり、南雲の正面へと向き直る。

 

 私が用意したのは、深い漆黒のボディに、細やかな金の細工が施された、重厚感のある上質な万年筆だった。

 

「――君が歩んだ一年は、この盤上に確かに刻まれた。去りゆく背に、せめてこの一振りを。……次なる世界でも、君自身の物語を綴り続けてくれ」

 

(訳:南雲先輩、これ万年筆です! これからも頑張ってくださいね!)

 

 私が静かにケースを差し出すと、南雲は眩しいものでも見るように目を細め、それを受け取った。

 

 彼は箱を開け、中にある万年筆の感触を指先で確かめると、ニヤリと笑って私を見た。

 

「ああ。この万年筆で、大学でも一番を取ってやるよ。……学校のことは、任せたぞ、藍染」

 

「――造作もない」

 

(訳:任せてください。絶対、最高の生徒会にしますから!)

 

 揺らぐ炎の熱気と、グラスに残る氷の音。

 

 朗らかな笑い声と確かな絆に包まれたまま、現生徒会メンバーでの最後の送別会は、温かい余韻を残して幕を閉じた。

 

 店を出る時、南雲が振り返り、もう一度だけ私を見て笑った。

 

 その笑顔には、次の世代にバトンを託す者の、穏やかな誇りだけがあった。

 

 

 

 翌日。涼やかな秋風がグラウンドを吹き抜ける、金曜日の午後。

 

 体育祭の熱狂もすっかり冷めやった高度育成高校の巨大な体育館には、全学年の生徒が一堂に会し、厳粛な空気が漂っていた。

 

 今日は、三年生の生徒会役員たちが引退し、新たな生徒会へと代替わりをする『生徒会交代セレモニー』の日である。

 

 壇上には立派な演台が設えられ、ステージの中央には、現生徒会長である南雲雅と、次期生徒会長である私が並び立っていた。

 

 その両脇には、新旧の生徒会役員たちがずらりと控えている。南雲側の三年生役員たち。そして私の側に、一之瀬、堀北、要、天沢、七瀬。全員がステージの上に並び立ち、全校生徒の前に姿を晒していた。

 

 静寂の中、マイクの前に立った南雲が、堂々とした態度で全校生徒を見渡した。

 

「今日をもって、我々三年生の役員は生徒会の運営から退く」

 

 南雲の声が、マイクを通して体育館の隅々にまで響き渡る。

 

 そこにあるのは、学校を背負い、全校生徒の上に立ってきた『生徒会長』としての確かな威厳と落ち着きだった。

 

「思い返せば、私が生徒会長に就任してからのこの一年。高度育成高校の在り方を『真の実力至上主義』へとシフトさせるべく、様々な改革を行ってきた。従来の枠組みを壊すやり方に、反発を覚えた者もいただろう」

 

 南雲は言葉を区切り、全校生徒の顔を一人ひとり確認するように見つめる。

 

「だが、君たち一人一人が自らの力で高みを目指すことの価値を、少しでも見出してくれたのであれば、私が行ってきたことにも意味があったと確信している。この学校は、実力を持つ者が正当に評価され、己の足で上へと登っていく場所だ。その競争の中で得た経験は、必ず君たちの将来の糧となるはずだ」

 

 体育館の空気が、南雲の力強い言葉によってピンと張り詰める。

 

 強者としての余裕と、自らの歩んだ道に対する誇りに満ちた、素晴らしい演説だった。

 

「これからの高度育成高校の未来は、私が最も信頼し、この玉座を譲るに相応しいと認めた男……藍染惣右介を中心とした新体制が担っていくことになる。これからは、彼らが作り上げる新たな学校の姿に期待してほしい。……一年間、本当にありがとう」

 

 南雲が深く一礼すると、体育館には割れんばかりの盛大な拍手が鳴り響いた。

 

 全校生徒から惜しまれつつ、南雲は私の方へ振り返り、小さく頷いてその場所を譲った。

 

 その目が、「あとは任せた」と語っていた。 

 

 拍手が鳴り止み、再び体育館が静寂に包まれる。

 

 私はゆっくりと前へ歩み出ると、演台のマイクの前に立った。

 

 背後には、新体制の役員たちが並んでいる。一之瀬が穏やかな笑みで、堀北が背筋を伸ばして、要が拳を胸に当てて、天沢がにやにやしながら、七瀬が緊張した面持ちで、それぞれ全校生徒を見つめている。

 

(よし。ここは全校生徒と、先生たちが全員注目する大舞台だ。南雲先輩からの素晴らしいバトンタッチに応えるためにも、ここは完璧な挨拶をしよう)

 

 私は静かに息を吸い込み、マイク越しに声を響かせた。

 

「――今日、この盤上に新たな風が吹く」

 

 体育館全体を包み込むような落ち着いた声色が、マイクを通して静寂の中に響き渡る。

 

「――南雲雅という男が、己の全てを懸けて築き上げたこの一年。その重みは、この壇上に立つ者として、私が誰よりも知っている。……彼が遺した礎の上で、私はこの学園の新たな頁を紡ぐ」

 

 私はゆっくりと視線を巡らせ、最前列から最後尾まで、生徒一人ひとりの顔を確かめるように見据えた。

 

「――この学園に在る者たちは、等しく可能性を宿している。学年も、クラスも、過去の成績も――そんなものは、未来を定める鎖ではない」

 

 体育館の空気が、わずかに変わった。

 

 南雲の演説が「誇りと感謝」だったならば、私の言葉は全生徒に向けた「招待」だった。

 

「――私は、この学園の全てを見渡す天の頂に立つ。だが、それは君たちを見下ろすためではない。……最も遠くまで見渡せる場所に立ち、君たち一人一人が歩む道程を、誰よりも先に見届けたいからだ」

 

 私の放つ圧倒的な威圧感と、それに相反するような包容力のある言葉のギャップが、生徒たちの意識を深く惹きつけていく。

 

「――進化とは、孤独な戦いではない。隣を歩く者の足音を感じ、互いの背中を預け合い、共に一歩を踏み出すこと。……それこそが、この学園が真に求める『強さ』だと、私は信じている」

 

 前列の一年生たちが、少しずつ背筋を伸ばしていくのが見えた。

 

 恐怖ではない。何か、もっと静かで確かなものが、彼らの瞳に灯り始めている。

 

「――君たちの中に眠る原石を、私は信じている。まだ名もなき才能を、まだ形を持たない夢を、まだ声にならない叫びを。……それらが花開く瞬間を、私はこの天の頂から、誰よりも近くで見守ろう」

 

 私は一歩、演台の前へ踏み出した。

 

「――だが、一つだけ約束してほしい」

 

 声が、一段と低くなる。

 

 体育館全体が、張り詰めた空気の中で私の次の言葉を待っている。

 

「――立ち止まるな。たとえ何度倒れようと、たとえ道が暗闇に覆われようと。……前へ踏み出すことを、諦めるな」

 

 ゆっくりと、一つ深呼吸を挟む。

 

「――君たちが歩みを止めない限り、私はこの盤上のどこにいても、君たちの味方だ。……その背中を、私が押そう」

 

 私は最後に、全校生徒を真正面から見据えた。

 

 一人残らず、その瞳の奥まで届くように。

 

「――さあ、共に征こう。……理の涯へ」

 

 私の言葉が終わると、体育館は水を打ったような静寂に包まれた。

 

 誰もがその余韻に呑み込まれるように息を詰める一瞬の間の後――やがて誰からともなく起こり始めた拍手が、瞬く間に巨大なうねりとなって体育館全体を包み込んだ。

 

(……めちゃくちゃ偉そうなこと言ってるよ!? いや、結構いい事言えてると思うけど、流石に視点が高すぎるって!? 神様か何か!?)

 

 私は内心で激しくツッコミを入れつつも、オサレに体育館全体を見下ろしていた。

 

 背後で、新体制の役員たちが、それぞれの表情でこの瞬間を噛み締めているのが気配で分かる。

 

 一之瀬の目元が潤んでいるのも、要が拳を胸に当てて震えているのも、天沢がにやにやしているのも、七瀬がほっと肩の力を抜いたのも、堀北が小さく鼻を鳴らしたのも、全部、振り返らずとも分かる。

 

南雲が、私の肩を軽く叩いた。

 

「……いい演説だったぜ、藍染」

 

「――ああ。この先の物語は、私が綴ろう。……君の頁は、確かにこの盤上に刻まれた」

 

(訳:任せてください、南雲先輩。最高の生徒会にします!)

 

 その後、新体制における役員の紹介が行われた。

 

 副会長に、二年の一之瀬帆波と、一年の藤泉要。

 

 会計に、二年の堀北鈴音。

 

 書記に、一年の七瀬翼。

 

 会計監査に、一年の天沢一夏。

 

 一之瀬がマイクを手に取り、穏やかな笑みで全校生徒に一礼する。

 

「みなさん、これから一年間、よろしくお願いします。藍染くんを支えながら、みんなでより良い学校を作っていきましょう!」

 

 その温かい言葉に、体育館の張り詰めた空気がさらに和らいだ。

 

 要が「藍染先輩の御意志の下、この藤泉要、魂の全てを捧げる所存!」と直角の最敬礼をかまし、天沢が「よろしくね〜!」と手を振り、七瀬が緊張しながらも深く頭を下げる。

 

 堀北が「……よろしく」と落ち着いた声音で告げ、その凛とした佇まいに一年生たちが自然と背筋を伸ばす。

 

 こうして、私の――いや、『藍染惣右介』の率いる新たなる生徒会が、確かな期待と共感に包まれて産声を上げた。

 

(……最高のメンバーが揃ったな。この新生徒会なら、きっとどんな困難だって乗り越えられる)

 

 私は内心で確かな期待と決意を胸に抱きながら、オサレな微笑みを崩さず、全校生徒に向かって小さく頷いた。

 

 その背中に、まだ鳴り止まない拍手の熱が、どこまでも追いかけてきていた。

 

 

 







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