いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
藍染惣右介が生徒会長に就任し、全校生徒を熱狂と畏怖の渦に巻き込んだ交代セレモニーから数日が経過した。
オレたち二年Dクラスは、十一月に控える文化祭に向けて、目まぐるしくも充実した日々を送っていた。
今年の文化祭において、オレたちのクラスがメインで出店するのは『メイド喫茶』だ。
それに加え、龍園率いるCクラスとも協力体制を敷き、野外での軽食の屋台運営など、限られた予算と人員を最大限に活用するための準備が進められている。
放課後はクラス総出で文化祭の用意に追われ、それが終われば、オレは自室で恵と佐藤に勉強を教える日々を送っている。
最近は、その勉強会に佐倉愛里も加わるようになっていた。
かつて『雫』として活動していた過去をクラスの皆の前で打ち明け、自らの殻を破った愛里は、明らかに一皮むけたように思う。
以前のようにオレや波瑠加の後ろに隠れるのではなく、少しずつだが自分の足で前に進もうとする意志が見える。恵や佐藤とも、初めはぎこちなかったものの、今では年相応の女子高生らしい友人関係を築けているようだ。
(悪くないな。……これが、青春というものなのだろう)
ふと、朝の身支度を整えながら、オレは小さく息を吐いた。
文化祭という一つの目標に向かってクラスが団結し、放課後に友人や恋人と共に過ごす時間。
ホワイトルームでは決して得られなかった、穏やかで、しかし確かな熱を持った日常。それを、今のオレは素直に心地よいと感じていた。
十月二十日。今日は、オレの誕生日だ。
洋介や堀北が気を遣ってシフトを調整してくれたこともあり、放課後は文化祭の仕事を休み、恵とデートに行く約束をしている。
カバンを手に取り、寮を出ていつもの待ち合わせ場所へと向かう。
まだ恵は到着していないようだったため、オレは一人で彼女を待つことにした。
しばらくして、朝の澄んだ空気の中を歩いてくる二つの人影が目に入った。
「――星々が君の産声に瞬いたあの夜から、世界はまた一つ、新たな螺旋を描き始めた。……祝福しよう、清隆。君がこの世界に刻まれた、その始まりを」
一切の隙がない立ち姿で、通りがかりにオレに声をかけてきたのは、新生徒会長となった藍染惣右介だった。
「『誕生日おめでとう』と言っていますっ。おめでとうございます、綾小路くんっ」
隣を歩く椎名ひよりが、可憐な笑みを浮かべて翻訳をしてくれる。
「ああ、ありがとう。……誕生日か。これまであまり意識することはなかったが、やはり、友人から祝われるのは嬉しいものだな」
オレが素直な感想を口にすると、惣右介はわずかに目を伏せ、どこか達観したような、深遠な響きを帯びた声で言葉を紡いだ。
「――皆、同じさ。"自分の生まれた日が
その言葉は、いつもの芝居がかった傲慢で詩的な言葉とは違う。真理を突くような、奇妙な説得力を持っていた。
「――本当かどうかは問題じゃない。"自分の誕生日を知っている"こと、それ自体が既に幸せなんじゃないかと私は思うよ」
「誕生日を知っている幸せ、か……」
惣右介の言葉を脳内で反芻する。
確かに、生まれた瞬間の記憶を持つ人間などいない。誕生日とは、親や保護者という『自分を生かしてくれる存在』から与えられる、最初のアイデンティティだ。
だが、その言葉を聞いた椎名が、ふと悲しそうな顔で俯いた。
「……確かに、惣右介くんの仰る通りですね……」
椎名が悲しげな表情を見せた理由は、おそらく惣右介の出自にあるのだろう。
ホワイトルームには、財界の有力者の子供や出資者の子供に加えて、身寄りのない孤児たちも多く集められていた。
オレは惣右介がどのような経緯であの施設に入れられたのか、その詳細までは知らない。だが、彼もまた、本当の親を知らない孤児の一人だったのだろう。
だが、惣右介はそんな椎名の不安を拭い去るように、優しく、しかし確かな強さを持った声で告げた。
「――憂う必要はない。私は自らの生誕を呪ったことなど一度もない。私が『私』として在る日を自ら定めたこと……そして何より、君という無二の月が浮かぶこの世界に降り立てたこと。それ以上の祝福など、存在しないのだからね」
惣右介の言葉に、椎名はハッとして顔を上げ、やがて安堵したように、パッと花が咲いたような笑顔を見せた。
「ふふっ……そうですねっ」
(……相変わらず、椎名に対しては随分と率直で分かりやすいな)
二人のやり取りを静かに見守りながら、オレは自らの過去へと意識を沈めた。
(ホワイトルームには親に捨てられた孤児も多くいたからな。誕生日を知らない人間も、珍しくはなかった。そう考えれば……)
オレは、十月二十日が自分の誕生日だと知っている。……だが、それは惣右介の言うような『幸せ』なのだろうか。
「――尤も。君の場合、その日を告げた者を、果たして『信頼する者』と呼べるのかは疑問だがね」
不意に、惣右介の冷徹な眼差しがオレを射抜いた。
彼は知っている。オレがどのような環境で育ち、どのような存在によって生かされてきたのかを。
(……その通りだな。あの男は、オレを人間ではなく、最高傑作という名の『道具』としか思っていない)
オレが産まれた日を知っているのは、オレを実験体として扱っていたあの男と、一度も会ったことのない母親だけだ。
そこに親としての愛情や、信頼関係など微塵も存在しない。
「清隆ー! お待たせ!」
オレの思考を遮るように、明るい声が響いた。
振り返ると、少し小走りでこちらに向かってくる恵の姿があった。
彼女はオレの隣に並ぶと、惣右介と椎名に気づいて笑顔で手を振った。
「あ、藍染くんと椎名さん! おはよー!」
「おはようございますっ、軽井沢さん」
椎名が嬉しそうに挨拶を返し、惣右介も「――今日も良き朝だね」と鷹揚に頷く。
そのまま、オレたち四人は自然と横に並んで学校へと続く道を歩き始めた。
恵と椎名が昨日のテレビ番組や、最近お気に入りのお菓子のことなど、他愛のない話題で楽しそうに語り合い、惣右介が時折、詩的な言葉でそれに相槌を打つ。
オレはそんな彼らの会話を横で聞きながら、穏やかな秋の空気を感じていた。
(惣右介の言う通り、普通の人間は自分の信頼する人間に言われた日を誕生日だと信じる。だが、オレの場合はどうだ?)
信頼などないあの男から与えられた誕生日。
かつてのオレであれば、そこに何の意味も見出さなかっただろう。
だが、今は違う。
先ほどの惣右介たちからの祝福。日付が変わった瞬間に恵や友人たちから送られてきた数々のメッセージ。そして、この後教室へ向かえば、そこでもオレの誕生日を祝ってくれる友人たちがいるだろう。
あの男が便宜上定めただけの無機質な日付は、彼らのおかげで今、確かな温もりを伴った『特別な日』へと変わっていた。
(恵や、クラスの友人たちと過ごす日々は……日々新たな学びがあり、何よりオレ自身が心から楽しめている)
この学校で培った感情。芽生え始めた『心』。
それは、ホワイトルームでは決して得られなかったものだ。
この学校を卒業すれば、一時はあの男の手によってホワイトルームへと連れ戻されるかもしれない。
だが――いつまでもオレを、己の所有物のように支配し、道具として扱えると思うな。
(惣右介。お前が政治家となり、あの施設を完全に潰そうとしているのなら……オレはお前の味方につく)
隣を歩く、圧倒的な力と底知れぬ器を持つ男。
オレの視線に気づいた惣右介が、ふとこちらを向き、不敵に口角を上げた。
オレは小さく頷き返し、前を向く。
父親への反逆。そして、自らの意志で選び取る未来。
他者から祝われる喜びを知った十七歳の誕生日の今日、オレの胸の中には、かつてないほど明確で、確かな熱を持った決意が宿っていた。
学校に到着し、いつものように教室の扉を開けると、そこには温かな光景が広がっていた。
「よっ! 誕生日おめでとな、綾小路!」
「おめでとう清隆くん! これ、少しだけどみんなから!」
須藤や洋介をはじめとする友人たちが、オレの顔を見るなり次々と祝いの言葉をかけてくれたのだ。
洋介たちからは、クラスの男子数名でお金を出し合ったらしいスポーツタオルとリストバンドのセットを受け取った。
「ああ、ありがとう。……朝からわざわざすまないな」
「いいってことよ! 今日は文化祭の準備も休んで、軽井沢といちゃついてこい!」
須藤がニカッと笑いながらオレの背中をバンバンと叩く。
すると、そこへ池が妙に勿体ぶった足取りで近づいてきた。彼の右手には、小さな紙袋が握られている。
「――フッ。生誕の刻を無事に迎えたようだな、
「……ああ。ありがとう、池」
「俺からの供物だ。……深淵の闇を封じるための拘束具……いざという時、これで右目の邪眼を封印するがいい」
池が差し出してきた袋を開けると、中には医療用ではない、いかにもアニメグッズといったデザインの黒い『眼帯』が入っていた。
(眼帯……? オレの右目は至って正常だが……)
オレは本気で戸惑いながらも、彼なりの心遣いなのだろうと解釈し、「大切に使わせてもらう」としまっておいた。
昼休みには、食堂へ向かおうと廊下を歩いていたオレの前に、Cクラスの時任裕也が、まるで貴族のような真っ直ぐな姿勢で立ち塞がったのだ。
「――
「時任か。……ありがとう」
すっかり定着してしまった呼び名に内心で首を傾げつつ礼を言うと、時任は懐から仰々しく和紙で包まれた箱を取り出した。
「祝福を込め、これを贈ろう。……受け取るがいい」
差し出された箱を開けると、そこには大量の『乾燥わかめの詰め合わせ』が隙間なく敷き詰められていた。
(……なぜ、乾燥わかめなんだ?)
思考が完全に停止しそうになったが、時任の真剣そのものといった眼差しを見ると、決して嫌がらせや冗談で選んだわけではないことが伝わってくる。
「……助かる。味噌汁に入れて食べさせてもらうよ」
「ああ。兄の血肉となるのであれば、本望だ」
満足げに頷いて去っていく時任の背中を見送りながら、オレは手の中のわかめの箱と、カバンに入れた眼帯の重みを感じていた。
さらに、惣右介と椎名からも、二人のおすすめだというミステリー小説をプレゼントしてもらった。
(池と時任のプレゼントの意図はよく分からないが……それでも、オレのためにわざわざ時間を使って選んでくれたのだと思うと、嬉しいものだな)
オレは内心で、少しだけ可笑しさを滲ませながら、不器用な友人たちへ感謝の念を抱いていた。
そして、放課後。
文化祭の準備で慌ただしいクラスメイトたちに見送られながら、オレと恵は一度それぞれの自室へ戻った。
今日は、恵がオレを楽しませるために、数日前から気合を入れて組んでくれたデートプランを実行する日だ。
ケヤキモールに到着すると、秋らしいブラウンのニットに、いつもより少し念入りにおめかしをした恵が、オレの腕にぎゅっとしがみついてきた。
「まずはショッピングね! 清隆のプレゼント、一緒に選びたいからさ」
恵のリードで、オレたちはモールの様々な店舗を回った。
洋服屋でオレに似合いそうなアウターを当ててみたり、雑貨屋でペアのマグカップを眺めたりと、彼女と過ごす時間は驚くほど早く過ぎていく。
最終的に恵がプレゼントとして買ってくれたのは、これから寒くなる季節に重宝する、シンプルで上質なマフラーと手袋のセットだった。
「はい、これ! あたしからの誕生日プレゼント。……ちゃんと毎日使ってよね?」
「ああ。大切にする」
少し照れくさそうに笑う恵から紙袋を受け取り、オレは素直に頷いた。
その後もモールのカフェで休憩したり、映画を見たりと存分に楽しんだ後、夕食の時間がやってきた。
「今日はあたしの奢りだからね! 遠慮しないでいっぱい食べて!」
恵が意気揚々と案内してくれたのは、少し敷居が高い、ケヤキモール内の高級レストランだった。
落ち着いた照明と静かな音楽が流れる空間で、オレたちは向かい合って席につく。
運ばれてきた本格的なコース料理を味わいながら、恵がふと、グラスを持ったまま嬉しそうに目を細めた。
「えへへ。最近は清隆も、よく笑ってくれるようになってあたしも嬉しい」
「……そんなに、最近のオレは顔に出ているのか?」
オレ自身は、以前とさほど表情を変えているつもりはなかったため、少し驚いて問い返した。
恵はフォークを口に運びながら、楽しそうにくすくすと笑う。
「うーん。そこまでは出てないよ。あたしだから分かるってこと。……でもさ」
そこで恵は少しだけ唇を尖らせ、くすくすと笑いながら悪戯っぽくオレを見た。
「清隆を最初に笑顔にしたのがあたしじゃなくて、池くんと時任くんってのは、ちょっと複雑だけどね」
「……」
恵の指摘に、オレは思わず言葉を詰まらせた。
(……確かに、池や時任と関わるようになってから、オレは少しずつ変わってきたのかもしれないな)
ふと脳裏に過ったのは、かつて船内のレストランで池と時任、そして惣右介と囲んだランチの記憶だ。
無人島の一件のあと、彼らに救われたオレは、その席で初めて自分の内に生まれた感情に気づき、自然と口角を微かに持ち上げたのだ。
「――オレたちの世界に意味など無く、そこに生きるオレたちにも意味など無い。無意味なオレたちは世界を想う。そこに意味は無いと知ることにすら、意味など無いというのに」
オレは手元のグラスを揺らしながら、かつての思考をそのまま言葉に乗せた。
恵が、きょとんとした顔でオレを見つめている。
「オレは、以前までそんなふうに考えていた。だが――」
グラスを置き、オレは恵の目を真っ直ぐに見た。
「お前や、友人たちがいてくれたからこそ、オレは変わることができた。恋人や友人と過ごす日々の尊さも、楽しさも……以前のオレには存在すら理解できなかった『心』というものを、今なら少しだけ分かる気がする。……感謝している」
オレの率直な言葉を聞いて、恵は少しだけ目を丸くした。
それから、ふわりと頬を赤く染め、くすくすと笑い出す。
「……清隆、急にポエミーになるじゃん。藍染くんの影響?」
「……そうかもしれないな」
「あははっ。でも、清隆がちゃんと自分の言葉でそう言ってくれて、あたしもすっごく嬉しい」
恵はグラスを傾けながら、目を細めて微笑んだ。
「……そっか。うん、そうだね。清隆が楽しいなら、あたしも最高に幸せだよ」
その後も、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、オレたちは和やかに食事の時間を楽しんだ。
すっかり日が落ち、夜の帳が下りた帰り道。
オレは恵を寮の彼女の部屋の前まで送り届けた。
「今日は、本当にありがとう。最高の誕生日だった」
扉の前で、オレは改めて恵の目を見て感謝を告げた。
恵は嬉しそうにはにかむと、少しだけ背伸びをして、オレの首に腕を回してきた。
柔らかな感触と、甘い香りがすぐそばに近づく。
「……えへへ。大好きだよ、清隆」
「ああ。……おやすみ」
恵は少しだけ背伸びをして、オレにそっと唇を重ねた。
ほんの一瞬の、温かな触れ合いだった。
「お、おやすみっ!」
真っ赤になった恵は、それだけ言い残して部屋へ逃げ込んでいった。
扉が閉まる音を聞き届けた後、オレはゆっくりと自室へと歩き出す。
手には、彼女から貰ったマフラーの入った紙袋。
カバンの中には、友人たちからの少しばかり奇妙で、けれど温かいプレゼントの数々。
(……いい一日だったな)
冷たい夜風が頬を撫でる中、オレは確かに自分の口元が緩んでいるのを感じながら、静かにそう締めくくった。
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