いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
十一月十二日。いよいよ、明日に本番を控えた文化祭前日の『予行演習』の日がやってきた。
放課後を迎えた二年Aクラスの教室内には、いつもの穏やかな空気とは違う、祭りの前特有の心地よい緊張感と熱気が満ちていた。
教卓の前に立った一之瀬が、クラス全員の顔を見渡してパンッと小さく柏手を打つ。
「みんな、お疲れ様! いよいよ今日は予行演習だよ! ……と言っても、今日はお客さんから本物のポイントを頂いて売上を競うわけじゃないから、リラックスしてね。今日の目的は、ステージでの動きの確認や、屋台での料理や接客の最終確認を念頭に置くこと。本番でトラブルが起きないように、しっかり連携のテストをしていこうね!」
一之瀬の明るく的確な指示に、クラスメイトたちが「おおっ!」と力強く応じる。
私は教室の後方で目を伏せながら、自クラスの盤石の態勢に内心で深く頷いていた。
今年の文化祭において、私たち二年Aクラスが展開する出し物は、大きく分けて二つ。
一つ目は、極上の肉だけでなく、香ばしいソースの匂いを漂わせる焼きそば、食欲をそそる多彩な串焼きなど、充実したメニューを提供する『鉄板焼きの屋台』と、それに併設した『ドリンクの屋台』。
そして二つ目は、屋台の横の広場に設営した『簡易ステージ』だ。
このステージでは、神崎たちのバンド演奏、一之瀬やひよりたちのアイドルライブ、さらには有志による漫才や手品などのパフォーマンスを時間ごとにローテーションで回していく。
ステージから響く華やかなライブの『音』と、鉄板から漂う強烈な料理の『匂い』。この二つで客の聴覚と嗅覚を同時に刺激して足を止めさせ、滞在時間を長くする。
さらに、ステージの出番待ちや順番待ちをしている生徒たちを屋台の『客引き』として周辺に配置することで、空間全体をAクラスの熱気で包み込み、相乗効果で売上を最大化するという作戦だった。
作戦の最終確認をしていると、屋台の責任者を務める新浦と津辺が私のもとへ歩み寄ってきた。
「事前に話していた通り、今日の予行は俺たちに任せてくれ!」
「本番で藍染くんが一時間の休憩に入って抜けてる時のことを考えて、私たちだけで屋台を回す練習をさせてほしいの!」
新浦と津辺が真剣な眼差しでそう告げてくる。
ルール上、文化祭本番では生徒は必ず一時間の休憩を取らなければならない。私が屋台を離れるその時間帯、彼らだけで店を回せるかどうかが、Aクラスの売上を左右する重要な鍵となる。
「――ああ。王の不在は、玉座の脆さを示すものではない。残された者たちが真の牙を研ぐための、至高の試練となる。……君たちのに、盤面を委ねよう」
「『今日の予行はみんなに任せます。本番に向けて良い練習になるように頑張ってくださいね』と言っていますっ!」
私の隣にいたひよりが即座に完璧な翻訳を響かせると、新浦と津辺は「おう! 任せておけ藍染!」「私たちもしっかり連携取っておくからね!」と、やる気に満ちた顔でそれぞれの持ち場へと走っていった。
クラスの皆を見送った後、私は生徒会長としての業務を果たすべく、校内各所の見回りへと出発した。
堀北や要はそれぞれのクラスの出し物の責任者として動いているため、今日の見回りは、天沢と七瀬の二人を従えて行うことになっていた。
一人は小悪魔的な笑みを浮かべる美少女、もう一人は純真でスタイルの良い美少女。そんな後輩二人を引き連れてグラウンドや体育館を練り歩く図は、端から見ればかなり目を引くものだった。
「あーっ、もう! そこの配線、ちゃんと養生テープで固定してって言ったでしょ! 足引っ掛けたら危ないから!」
広場の片隅では、天沢が持ち前の器用さと観察眼で、各クラスの設営の不備を的確に指摘し、修正させていた。
一方、七瀬は手元のバインダーに各クラスの予行演習の参加状況や、保健室への動線の確保状態などを生真面目にチェックし、淀みなく書き留めている。
「藍染先輩、東エリアのテントの固定状況、すべて安全基準を満たしていることを確認いたしました」
「――大義だ。盤上の淀みは、いかなる微小なものであっても速やかに払拭されねばならない」
(訳:ありがとう! 二人ともよく気がついてくれて助かるよ)
私がオサレに労うと、七瀬は「ありがとうございます。引き続き確認を進めます」と背筋を伸ばして頷き、天沢は「あははっ、藍染せんぱいにそう言ってもらえるとやる気出ちゃうね〜」とケラケラ笑っていた。
(うん。二人ともそれぞれの持ち味を活かして完璧に動いてくれているな。生徒会としての仕事は驚くほど順調だ)
各所に顔を出し、トラブルの芽を未然に摘み取りながら、予行演習の熱気を肌で感じていた私は、ふと歩みを止めた。
(……よし。見回りでの確認事項もあらかた終わったし、自分のクラスの様子を見に行こうか)
「――我らの役目は、ここにて終わりを迎えた。さあ、君たちは鎖を解き、暫し自由の中に身を委ねるといい」
(訳:見回りはこれで終わりだから、二人はもう自由にしてていいよ)
私がそう告げると、天沢がパッと目を輝かせて駆け寄ってきた。
「えーっ! あたしたちも藍染せんぱいのクラスの出し物、観に行きたぁい! ねぇ藍染せんぱい、連れてってよ〜!」
「はい。私もぜひ、藍染先輩のクラスの出し物を拝見して、勉強させていただければと思います」
七瀬もバインダーを胸に抱き、真面目な眼差しで便乗してくる。
「――フッ。好奇心とは、未知を求める心の証か。ならば、その渇望に従うといい」
(訳:いいよ! じゃあ一緒に行こうか)
こうして私は天沢と七瀬を連れたまま、足早にAクラスの出店エリアへと向かった。
Aクラスのエリアに近づくにつれ、鼻腔を激しくくすぐる香ばしい肉とソースの匂い、そして活気に満ちた声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませー! 熱々の鉄板焼き、いかがですかー!」
「こちらの特製ドリンクもご一緒にどうぞー!」
屋台では、新浦と津辺が中心となって、見事な連携で調理と接客のシミュレーションを行っていた。私が手を出さずとも、彼らは互いに声を掛け合い、火加減の調整や盛り付けをスムーズにこなしている。
そして、その屋台の隣に併設された簡易ステージ。
そこではちょうど、神崎、浜口、姫野の三人によるバンドがリハーサルを行っていた。
「――人は皆、猿のまがいもの
神は皆、人のまがいもの」
神崎がベースを低く構え、前髪をファサッとかき上げながら、マイク越しに真顔でポエムを詠唱する。
(いや、お前が言うんかい!? MCでお客様を猿扱いするなよ!? てか、なんでそのポエム知ってるの!? どういうこと!?)
「……神崎くん」
ギターボーカルの姫野が、心底呆れたようなジト目を向ける。
「本番でもそれ言ったら、ギターでぶん殴るからね」
「……すまない」
神崎は真顔のまま頷く。
どうやら演奏そのものは問題ないらしく、姫野もそれ以上は何も言わない。横ではドラムの浜口が「あはは……」と苦笑いしながら、器用にスティックを回している。
(……まあ、演奏技術自体は仕上がってるからヨシッ!!)
私は深く考えることを放棄し、彼らの演奏を見守ることにした。
バンドが終わると、次は有志による漫才や手品が披露され、客引き担当の生徒たちが「次はアイドルライブが始まりまーす!」と声を張り上げる。
そして――ステージに、一之瀬、ひより、網倉、白波、小橋の五人が登場した。
「みんなー! 盛り上がってるー!? 私たちの歌で、少しでも元気になってくれたら嬉しいなっ!」
一之瀬の明るい掛け声と共に、アップテンポで可愛らしい曲が流れ始める。
お揃いのフリルがあしらわれた華やかなアイドル衣装を纏い、五人が息の合ったダンスを披露する。
その中でも、私の視線はただ一人に釘付けになっていた。
(……っ!! と、尊い……!!)
淡い銀色の髪をふわりと揺らし、少しだけ照れくさそうにはにかみながら、一生懸命にステップを踏むひより。
彼女がくるりとターンをするたびに、私の心臓はけたたましい警鐘を鳴らし、危うく脳髄が理性を手放しそうになる。
(大天使!! 間違いなく世界一可愛い大天使!! ああもう、全校生徒に『あの世界一可愛いアイドル見て!!』ってメガホンで叫び回りたい!! だがダメだ、生徒会長としての威厳が崩壊する……!!)
私はポーカーフェイスを極限まで保ち、圧倒的強者のオーラを放ちながら、内心では嬉し涙を流して激しく限界化していた。
やがてアイドル組の予行ステージが終わり、交代で休憩時間に入ったタイミングを見計らって、私はひよりの元へと歩み寄った。
「お疲れ様、ひより。とても素晴らしい舞だったよ」
「あ、惣右介くんっ。ふふっ、ありがとうございます。ステップ、間違えなくてよかったです」
ひよりが額に浮かんだ薄っすらとした汗をハンカチで拭いながら、パッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
しかし――彼女は私の背後に控えていた天沢と七瀬の姿に気づくと、ピタッと足を止め、スッと目を細めた。
「…………」
そして、可愛らしい唇を尖らせて、ぷくっと頬を膨らませたのだ。
(あ、あれ? なんかひよりが頬を膨らませてる!? めちゃくちゃ可愛いけど、どうした!? 何か怒らせるようなことしたか俺!?)
私の内心が激しく動揺していると、ひよりがジト目を向けながら、少しだけトゲのある声で言った。
「惣右介くん……お仕事お疲れ様です。私が練習している間、可愛らしい後輩のお二人と、ずいぶん熱心に見回りをされていたんですねっ」
(っ!? 天沢と七瀬を連れて歩いてたから!? 嫉妬してくれてるの!?)
「あははっ、ご挨拶ですねぇ椎名せぇんぱい。藍染せんぱい、見回りの時すっごく頼りになるんですよ〜。ねっ、七瀬ちゃん?」
「はい。藍染先輩のご指示は的確で、大変勉強になります」
面白がって煽りを入れる天沢と、真面目に頷く七瀬。
ひよりの頬がさらにぷくぅっと膨らむ。私は冷や汗をかきながらも、強者の威厳を保ち、優しく彼女の頭を撫でた。
「――人は目に映るものだけを真実だと錯覚する。だが、視線の先にあるものと、心が向かう先は、必ずしも同じではない。……さて、君の時間はもう私に預けてもらえるかな?」
「……っ。も、もう。惣右介くんは、いつもそうやってはぐらかすんですから……」
私のオサレポエムに、ひよりは一瞬で顔を真っ赤に染め、膨らませていた頬をシュンと萎ませた。
私は天沢と七瀬に向き直り、静かに告げた。
「君たちの役目は、ここで終わりだ。これより先は、我々だけの領域となる」
(訳:二人とも、今日は手伝ってくれてありがとうね!ひよりと他のクラスの出し物見てくるから、もう自由にしてていいよ)
「えーっ、もうちょっと遊びたかったのに〜。まあいっか。藍染せんぱい、またね〜!」
天沢がひらひらと手を振って去っていく。七瀬も「本日はありがとうございました。失礼いたします」と丁寧に一礼して、天沢の後を追った。
こうして私はひよりと手を繋ぎ、予行演習の活気に包まれた校内へと歩き出した。
まず向かったのは、グラウンドの一角。そこでは、CクラスとDクラスが合同で運営する野外屋台が出店されていた。
「へいらっしゃい! アツアツのたこ焼きとフランクフルトだぞ!」
「特別棟のメイド喫茶と執事喫茶の割引券も配ってるからな! セットでどうだ!」
石崎や小宮たちが鉢巻きを巻いて威勢のいい声を上げ、食べ物と一緒に割引券を配って集客を行っている。
(なるほど。野外の屋台を呼び水にして、特別棟の喫茶店に客を流し込んで売上を底上げする作戦か)
私は彼らの堅実な戦略を評価しつつ、ひよりと一緒にたこ焼きとフランクフルトを購入した。
近くのベンチに座り、二人で買ったものをシェアする。
「惣右介くん、あーんっ、です」
ひよりが爪楊枝に刺したたこ焼きをふーふーと冷ましてから、私の口元へと運んでくる。
私は周囲の視線を一瞬だけ気にしつつも、彼女の愛らしい『あーん』の誘惑に抗えるはずもなく、パクリとそれを口に入れた。
(……うん、美味い。外で食べると余計に美味しく感じるな)
「ふふっ、美味しいですか?」
ひよりが花がほころぶような笑顔で覗き込んでくる。
「――ああ。君の手から授かるものは、全てが至上の味となる」
(訳:うん、すごく美味しいよ)
「ふふっ、外でこうして食べるの、お祭りみたいで凄く楽しいですね」
その笑顔を見ているだけで、生徒会業務の疲れも、日々の緊張も全て吹き飛んでいくようだった。
腹拵えを終えた私たちは、屋台で貰った割引券を手に、特別棟へと向かった。
そこでは、C・D合同の目玉である二つの喫茶店が隣り合った教室で営業していた。
まずは『執事喫茶』の教室を覗く。
「――お帰りなさいませ、お嬢様」
出迎えたのは、完璧な執事服を着こなした清隆と龍園だった。
清隆は無表情で淡々とトレイを運び、注文をこなし、一切の無駄のない動きで接客を回している。その機械的なまでの完璧さに、逆に一種の凄みがあった。
一方の龍園は、執事服の襟を煩わしそうに引っ張りながら、露骨に不機嫌な顔をしていた。
「……なんで俺までこんな格好して、客に頭下げなきゃならねえんだ」
龍園がぼそりと悪態をつく。その蛇のような瞳には、明確な不満が宿っていた。
すると、清隆が淡々と龍園の方を向き、手本を見せるように胸に手を当てた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。本日はどのような紅茶をご用いましょうか」
完璧な文言。完璧な所作。しかし、相変わらず声のトーンは平坦だった。
龍園が、じろりと清隆を見た。
「……てめぇ、もう少し感情込めろ。棒読みすぎて気持ち悪いんだよ」
すると清隆は、わずかに首を傾げて真顔のまま問い返した。
「……しっかり込めているが?」
「…………そうかよ」
清隆の返答に、龍園はそれ以上突っ込むのをやめ、心底呆れたようにため息をついた。
(清隆も龍園も衣装は似合ってるけど、こいつらに接客させて大丈夫なのか……?)
さらに奥に目を向けると、見えないマントを翻すようなポーズを取る寛治の姿があった。
「深淵なる執事の魂を、今ここに顕現させよう……」
寛治が誰に言うでもなく呟いていると、その隣で時任が名門貴族のような風格を漂わせ、腕を組んで仁王立ちしていた。
「――この装束、中々に悪くない。……執事とは、主の誇りを背負う者。その責、全うしてみせよう」
時任が真剣な眼差しでこちらを見て、小さく頷く。
(寛治と時任まで執事やってるのか。……この執事喫茶本当に大丈夫か? 平田以外まともな執事がいないんじゃないか……?)
私は内心で困惑しつつ、彼らの働きぶりを視察し、執事喫茶を後にした。
続いて、隣の『メイド喫茶』へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませーっ! ご主人様!」
教室の中では、フリルたっぷりの本格的なメイド服に身を包んだ軽井沢や佐藤たちが、テーブルの準備や接客のシミュレーションを行っていた。
その奥では、堀北が真顔で会計の確認をしており、教室の隅では伊吹がフリフリのメイド服を纏いながら、不機嫌そうに腕を組んで立っていた。その顔には「なんでこんな格好を」という不満が如実に表れている。
私たちの姿に気づいた堀北が、小さく息を吐いて近づいてきた。
「……藍染くん。今日の見回りを任せてしまってすまないわね。本来なら私もしっかり手伝うべきなのに」
「――案ずるな。我が盤上には、二つの光が灯っている。君が己の戦場に全力を注ぐことこそが、私への最上の助力だ」
「『気にしないでください。うちのクラスは役員が二人いますから。堀北さんは自分のクラスのことに集中してください』と言っていますっ」
ひよりが穏やかに翻訳すると、堀北は少しだけ表情を和らげ、「……そう。ありがとう」と短く頷いた。
その時だった。
不機嫌そうに眉間を寄せた伊吹が、フリフリのメイド服の裾をバッと手で押さえながら、トゲのある足取りで近づいてきた。
「藍染ッ! 一体どういうことよ!? アンタのせいで、龍園まで最近訳の分からないポエム詠唱しだしたんだけどっ!」
(えぇ!? 龍園が!? ……いや俺のせいじゃないでしょ!? 自分で王を名乗るくらいだから、そういう素質がもともとあったんでしょ!?)
内心で激しくツッコミを入れながらも、外面の私は微動だにしない。
すると、横に立っていたひよりが、メイド服姿の伊吹をじっと見つめてパッと目を輝かせた。
「ふふっ。伊吹さん、そのメイド服、とてもお似合いですねっ」
「は、はぁ!?」
伊吹が素っ頓狂な声を上げた。頬がわずかに赤くなる。
「な、何よ急に……からかってんの……!」
「フリルも伊吹さんの凛とした雰囲気に合っていて、素敵だと思います」
ひよりが柔らかく微笑むと、伊吹はさらに顔を赤くしながら、しかし次の瞬間、照れ隠しのように矛先を私に向けた。
「だいたいアンタ、さっきから余裕ぶった顔して……! あたしがこんな格好させられてるのが、そんなに可笑しいわけ!? 言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ!」
ギロリと睨みつけてくる伊吹。
(いや俺何も言ってないのに!? 完全に八つ当たりじゃん!……とりあえず適当に褒めて落ち着かせよう!)
だが、口を開いた瞬間――。
「――衣は人を飾る。されど、その者の本質までは飾れない。いかに可憐な装束を纏おうとも、声を荒らげ、牙を剥くような者が淑女を気取るのは、些か滑稽ではないかな?」
(いや待て待て待て!! 「意外だったけど似合ってるね」って言おうとしたのに! なんで煽るんだよ俺の口ィィィ!!)
「『お洋服はとてもお似合いですよ。ですが、いくら可愛らしく着飾っても、子犬のようにキャンキャンと吠えて威嚇していては、とても淑女には見えませんよ。形だけ取り繕っても、中身が伴わなければ意味がありませんから』と仰っていますっ」
(ひよりさぁぁん!? もっとマイルドにしてぇぇ!? 伊吹がブチギレちゃうよ!?)
伊吹が顔を真っ赤にして、拳を握りしめる。そのフリフリのメイド服から想像もつかないほどの殺気が漂う。
「誰が子犬ですって!? ぶっ飛ばしてやるッ!!」
伊吹が掴みかかろうとしたその瞬間、堀北が素早く割って入り、伊吹の肩をガシッと押さえた。
「伊吹さんっ!? やめなさい! 彼の挑発に乗ってはダメよ!」
「離しなさいよ堀北!」
「ダメよ!ここであなたを暴れさせて、ペナルティを与えるのも彼の戦略かもしれないわ!」
(戦略!? そんな思惑一切ないから!! ただ口が勝手に煽っただけで、むしろ今一番焦ってるの俺だから!! )
堀北が冷静に、しかし有無を言わせない圧で伊吹を制する。
伊吹は「くっ……!」と歯軋りしながらも、堀北に押さえ込まれて大人しくなった。ただし、こちらを睨む瞳の殺気は一切衰えていない。
(「似合ってるね」って言いたかっただけなのに……!)
私が内心で激しく頭を抱えていると、ひよりが私の隣でにこにこと微笑みかけてきた。
「ふふっ。惣右介くん、そろそろ次に行きましょうか」
ひよりが私の袖をそっと摘み、穏やかに促す。
「――ああ。この場は、もう十分に堪能した」
(訳:……うん、行こうか)
私は堀北に小さく会釈し、伊吹の殺気を背中に受けながら、ひよりと共に特別棟の一階を後にした。
最後に私たちが向かったのは、特別棟の三階だった。
そこは、二年Bクラスが貸し切っているエリアだ。
しかし、廊下は静まり返っており、大々的な装飾や呼び込みを行っている様子はない。
(……。ここ以外に申請していない。こんな足を運びにくいところで売り上げを稼ぐのは厳しいだろう。Bクラスは勝負を捨てたのか?)
私は静かに周囲を見渡し、何か裏があるはずだと思考を巡らせていると、教室の扉が開き、橋本が姿を現した。
「よう、藍染、椎名ちゃん。視察のお出ましってとこか?」
橋本が飄々とした笑みを浮かべて声をかけてくる。
「橋本くん。Bクラスの皆さんは、ここでどんな出し物をされるんですか?」
ひよりが純粋な疑問をぶつけると、橋本は肩をすくめてみせた。
「さあな。姫さんや葛城が何を考えてるのか、俺みたいな末端には話がこないのさ」
(……俺たちに情報を与えるつもりはないってことか)
私は彼の胡散臭い態度に内心で警戒を強めつつも、静かに目を伏せた。
(まあいいさ。Bクラスがどんな戦略を立てようと、俺たちは俺たちの全力でぶつかるだけだ)
「――そうか。ならば明日、盤上にて互いの正義を交えよう」
「ははっ、お手柔らかに頼むぜ」
手を振る橋本に背を向け、私たちは静かな廊下を引き返した。
やがて夕暮れ時が近づき、予行演習の終了を知らせるチャイムが校内に鳴り響いた。
各クラスの生徒たちが、片付けや明日の本番に向けた最終調整へと取り掛かる中。
私は渡り廊下で立ち止まり、ひよりの手を優しく握りしめた。
「――いよいよ明日、皆が積み重ねてきた時間が、一つの景色になる」
「はいっ。みんなで一生懸命準備してきましたから……きっと、来てくれた人たちにも楽しんでもらえますよねっ」
「――ああ。君たちが積み重ねてきたものが、明日という舞台で花開く。ならば今は、余計なことを考える必要はない。……共に、この祭りを楽しもう」
夕日に照らされた彼女の銀髪が、黄金色に輝いている。
ひよりは私の言葉に深く頷き、私の手をさらにギュッと握り返してくれた。
各クラスの思惑も、生徒会長としての重責も、すべては明日の舞台へと繋がっている。
こうして文化祭の前夜祭は、確かな高揚感を残して幕を閉じた。