いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
十一月十三日。
秋晴れの澄み切った空の下、高度育成高校の歴史において初となる、外部からの来賓を招いた『文化祭』の当日がやってきた。
朝九時。グラウンドに設けられた特設メインステージの前には、全校生徒だけでなく、招待された来賓の大人たちやその家族、ケヤキモールの関係者たちが大勢詰めかけていた。
私は生徒会長としてステージの壇上に立ち、マイクの前に進み出た。
全校生徒の視線と、外部の大人たちの好奇の眼差しが、一斉に私へと突き刺さる。
(……すごい人の数だな。さすがに少し緊張するが、生徒会長として、そしてこの学校の『顔』として、完璧な開会宣言をこなさなければ)
私は壇上の中央で静かに息を吸い込み、マイクへと顔を近づけた。
「――傾聴したまえ」
たったそれだけの言葉だった。
けれど、マイクを通して放たれた低く響く声は、広大なグラウンドの隅々にまで行き渡り、先ほどまでのざわめきをゆっくりと呑み込んでいく。
生徒たち、そして来賓の大人たちの視線が、一斉に壇上へと集まった。
私はその光景を静かに見渡す。
「――今日、我らが領域へと足を踏み入れた客人たちに告げよう。まずは、君たちの来訪を心より歓迎する」
一拍。
「――どうか、存分に目を奪われるといい。ここで貴方たちが目にするものは、決してかりそめの遊戯などではない。我々が研ぎ澄ましてきた、偽りのない意志の顕現だ」
私は僅かに目を細め、今度は全校生徒へと視線を向けた。
「――そして、この祝祭を形作った誇り高き生徒たちよ。君たちが今日まで積み上げてきたものは、儚い幻ではない。一人一人の熱情が脈を打ち、すでに世界を震わせるだけの力を持っている」
風が吹き抜け、壇上の旗が大きくはためく。
「――時は常に背後から迫り、唸りを上げて眼前に流れ去る。今日という日は、明日にはもう存在しない。ならば、遠慮はいらない」
「――日常という名の軛を絶ち斬り、見えざる空の先へと踏み出したまえ」
私はゆっくりと、不敵に口角を持ち上げる。
「――さあ、始めようか」
「――君たち自身の手で、この盤上に唯一無二の軌跡を刻み込むがいい」
その言葉が響き渡った直後――。
「うおおおおおおおおっ!!」
「藍染会長ぉぉぉ!!」
「文化祭、楽しむぞぉぉぉ!!」
地鳴りのような大歓声がグラウンドを揺らした。
生徒たちが一斉に拳を突き上げ、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
来賓席の大人たちからも、驚嘆の声が漏れ聞こえてきた。
「今の高校生は、あんな堂々とした挨拶をするのか……」
「言っていることはよく分からないが……凄まじいカリスマ性だ」
「ええ。あの年齢とは思えないほどの迫力です……」
(……すっごい偉そうなこと言ってるけど、なんか響いてるみたいだからヨシッ!)
私は内心で安堵しながら、最後まで表情を崩すことなく壇上を降りた。
こうして――待ち望んだ文化祭の一日が、幕を開けた。
◇ ◇ ◇
「いらっしゃいませー! 二年Aクラスの特製鉄板焼き、いかがですかー!」
「今ならライブステージも一番前の席で見られますよー!」
開会式直後から、二年Aクラスの出店エリアは怒涛の活気に包まれていた。
事前の作戦通り、接客と呼び込みは新浦や津辺、初川たちが中心となって行い、活気ある声で客を招き入れている。
そして私は、純白のシェフコートを身に纏い、熱された巨大な鉄板の前に立ち、ひたすらに調理に専念していた。
「藍染! 焼きそば四つと、牛串十本追加だ!」
「――鉄の熱情が、新たな贄を欲しているようだ。この焦がれるような炎の海で、極上の深淵を纏わせてやろう」
(訳:わかった。すぐに作るよ!)
私が鮮やかな手つきで両手のヘラを振るい、鉄板の上で肉と野菜が踊る。
絶妙な火加減で肉の旨味を閉じ込め、特製ソースを一気に絡めると、焦がし醤油とソースの強烈な香りがジュワッと音を立てて周囲一帯に立ち込めた。
「お、おい! なんだあのシェフコートの高校生!? 言ってることはよく分からんが、手捌きが完全にプロだぞ!」
「匂いがたまらん! すみません、こっちにも焼きそば二つ!」
「ありがとうございます! うちの専属シェフの腕は間違いありませんからね! 一緒に冷たいドリンクもいかがですかー?」
津辺が愛想よくドリンクをセットで売りさばいていく。
この私が直々に火加減を統べることによって生み出される料理は、まさに絶品。匂いに釣られてやってきた客が一口食べて驚愕し、「もう一本買ってこよう!」と次々にリピーターとなり、屋台の前にはあっという間に長蛇の列が形成されていた。
そして、その屋台の活気にさらなる相乗効果をもたらしているのが、隣接された簡易ステージだ。
そこではちょうど、神崎、浜口、姫野の三人によるバンドが凄まじい熱量で演奏を行っていた。
「――俺たちの奏でる深淵に魂を委ねるがいい」
神崎がベースを低く構え、前髪をファサッとかき上げながら、マイク越しに真顔でオサレなセリフを言い放つ。
「……神崎くん。変なこと言ってないで、さっさと弾くよ」
ギターボーカルの姫野が小さくため息をつき、心底呆れたようなジト目を神崎へと向ける。
神崎は真顔のまま頷いた。そして、姫野が透き通るような力強い声で歌い出し、浜口が正確なドラムを叩き始めた直後――神崎は、なぜかミドルテンポの曲調に全く合っていないタイミングで、唐突に激しいヘドバンを繰り出しながらベースを弾き始めた。
(なんで!? 昨日そんなんしてなかったじゃん!? 曲のテンポと全然合ってないし、姫野もドン引きしてるよ!?)
私は鉄板の前で、内心の激しいツッコミを必死に抑え込んだ。
(……神崎の謎のヘドバンはともかく、お客さんの心はしっかり掴んでいるな)
私は深く考えることを放棄し、鉄板で肉を焼きながら内心で頷いた。
バンドが終わると、客引き担当の生徒たちが「次はアイドルライブが始まりまーす!」と声を張り上げる。
そして――ステージに、一之瀬、ひより、網倉、白波、小橋の五人が登場した。
「みんなー! 文化祭、楽しんでるー!? Aクラスのステージ、まだまだ盛り上がっていくよっ!」
一之瀬の完璧なアイドルスマイルと明るい掛け声と共に、アップテンポな曲が流れ始める。
お揃いのフリルがあしらわれた華やかなアイドル衣装を纏い、五人が息の合った可愛いダンスを披露する。
「おい、あのセンターの子、とんでもない美少女だぞ!」
「いや、あの左端の子も愛嬌あって反則級に可愛いって!」
「俺はあのセンター横の銀髪の子推しだ! マジで天使じゃねえか!?」
「顔面偏差値高すぎだろおおおっ!!」
圧倒的な歓声が上がり、クラスメイトそれぞれに熱狂的な声援が飛ぶ中――私の視線はただ一人、銀色の髪をふわりと揺らし、少しだけ照れくさそうにはにかみながら一生懸命にステップを踏むひよりに釘付けになっていた。
(……っ! 大天使!! 本番の熱気がそうさせているのか、昨日よりも更に輝いて見える!!)
私が内心で激しく限界化していると、ステージ上のひよりが、一瞬だけ観客席ではなく、屋台で鉄板に向かっている私の方へと視線を向けた。
そして、ほんのわずかに頬を染めながら、誰にも気づかれないような小さなウインクを飛ばしてきたのだ。
(ぐっ……!!)
私の心臓に、致死量の可愛さが直撃する。
危うく持っていたヘラで鉄板を叩き斬りそうになったが、私は沸騰する思考を瞬時に押さえ込み、微動だにせずオサレな顔のまま、流麗な手つきを披露して鉄板の上の肉をひっくり返した。
ライブの『音』と、鉄板焼きの『匂い』。
この完璧な相乗効果により、Aクラスの出店エリアは途切れることのない人だかりを生み出し、想定を大きく上回る莫大な売り上げを稼ぎ出すことに成功していた。
(このペースなら、文化祭の売上トップは間違いなく我々Aクラスの――)
私が勝利を確信しかけた、その時だった。
Aクラスの屋台周辺の広場に、三人の女子生徒が連れ立って現れた。
Dクラスの櫛田桔梗、長谷部波瑠加、そして――佐倉愛里だ。
三人は、フリルがふんだんにあしらわれた本格的なメイド服を身に纏い、手には『メイド喫茶・特別割引中!』と書かれた可愛らしい看板を持っている。
「みんなー! 文化祭楽しんでるかなー? 特別棟でやってるメイド喫茶と執事喫茶も、すっごくおすすめだよっ! メイドさんたちとの記念撮影も出来ちゃうから、ぜひ遊びに来てね!」
櫛田が、誰の目にも完璧に映る『天使のスマイル』を振りまきながら、明るい声で客引きを始める。
その隣で、長谷部がマイペースな様子で続く。
「特製オムライス……美味しくできてるから、食べに来てね〜!」
そして――最も客の視線を集めたのは、極度に恥ずかしそうに身を縮ませ、顔を真っ赤にしている佐倉愛里だった。
彼女は、豊かな胸元が強調されたメイド服姿で、おずおずと看板を掲げながら、震える声で紡いだ。
「あ、あのっ……ご、ご主人様、たち……。その、と、特別棟で……美味しい紅茶を淹れて……お待ちして、います……っ」
上目遣いで、恥じらいの極致とも言えるその姿。
それを見た瞬間、屋台の周辺にいた来賓の若い男性客や、他クラスの男子生徒たちの動きがピタッと止まった。
「……おい、嘘だろ?」
「あの子……グラビアアイドルの『雫』じゃないか!?」
「マジだ! 生『雫』だああああ!! なんでこんなところにいるんだよ!?」
「メイド服の生『雫』ちゃん!? うおおおおっ!! 絶対行くに決まってんだろ!!」
一気に、広場全体が異様な熱狂とどよめきに包まれた。
鉄板の前で肉を焼いていた私は、その尋常ではない空気の変化に目を瞬かせた。
(なにぃぃぃ!? あれは……Dクラスの佐倉さんだよな? し、雫ってなんだ!? なぜ彼女を見ただけで客があんなに発狂しているんだ!?)
私が内心で激しく混乱していると、出番待ちで屋台の手伝いをしていた柴田が、興奮した様子で私のもとへ駆け寄ってきた。
「藍染! お前、知らないのか!? 『雫』っていうのは、少年誌の表紙を飾ったこともある、グラビアアイドルなんだぜ! 少し前に突然活動を休止しちゃってたんだけど……まさか、うちの学校の生徒だったなんて!」
(ええ!? グラビアアイドル!?……しかし、たった一言でこれだけの人間を狂乱させるほど、凄い人気なんだな)
昨日の予行演習の際、私がDクラスのメイド喫茶を視察した時には、佐倉愛里の姿はなかった。
(……昨日までは一切姿を見せず、情報を完全に遮断していたわけか。そして今日の本番、客足が最高潮に達するこの時間帯を狙って、彼女を投入してきた。まさに最大の秘密兵器といったところか)
「さあっ、ご主人様たち! 雫ちゃんたちと一緒に、特別棟へレッツゴー!」
「お、お待ちして、います……っ」
櫛田の完璧な誘導と、佐倉の破壊力抜群の恥じらい接客により、「うおおおおおっ!! 案内してくれえええ!!」と叫ぶ大量の客が、Aクラスの屋台前からごっそりと特別棟へと流れていってしまった。
(最も人が集まっている俺たちの陣地の前で、彼女という圧倒的な『華』を咲かせ、自らのクラスへと客を引き込む。……見事な戦略だな)
「ちくしょう、かなり客を持っていかれたな! Dクラスめ、まさかあんな隠し玉を用意してやがったとは……!」
悔しそうに拳を握る新浦に対し、私は不敵な笑みを浮かべて告げた。
「――あのような伏兵が潜んでいたとはね。……群衆の心を一瞬で支配する力。見事と言うほかない」
(訳:かなりの客を連れていかれたね。……たった一言で完全にお客さんの心を鷲掴みにするなんて凄いね)
「――人は留まり、去り、そしてまた巡る。今ここにあるものだけが全てではない。……流れが変われば、景色もまた変わる」
(訳:大丈夫。まだこっちにもお客さんはいるし、料理のクオリティは絶対に負けてない。お腹が空けばまた戻ってくるさ!)
私が余裕を持ってそう告げると、新浦はハッとして頷いた。
「そうだな……! よし、客足が少し落ち着いた今がチャンスだ。津辺、事前の予定通り、お前が今のうちに一時間の休憩に入ってくれ!」
「うんっ! じゃあ、予定通り先にお休みさせてもらうね!」
津辺がエプロンを外し、休憩へと向かっていった。
「藍染は予定通り十五時からだったよな?」
「――ああ。人が最も渇く時こそ、王は玉座に在るものだ」
(訳:うん。お昼時は忙しいから俺が焼くよ。休憩は十五時からだね)
それとほぼ同タイミングで、簡易ステージでのローテーションを終えたアイドル組の五人が、屋台の裏手へとやってきた。彼女たちもここから一時間の休憩に入り、お昼ご飯と屋台の手伝いを兼ねて合流する手はずになっていた。
「藍染くーん! ステージ終わったよー!」
「お腹すいたぁ〜! まかないお願いしまーす!」
一之瀬や小橋たちが、アイドル衣装の上にパーカーを羽織った姿で、元気よく手を振ってくる。
その中には、少し息を弾ませながら微笑みかけてくるひよりの姿もあった。
「惣右介くん、お疲れ様ですっ」
「――君たちこそ、ご苦労だったね。渇きと飢えを満たす、極上の糧を用意しよう」
(訳:みんな、ステージお疲れ様! 今美味しいのを作るから待っててね!)
私が鮮やかな手つきで新しく焼きそばと串焼きを焼き始めると、ひよりがちょこんと私の隣にやってきて、嬉しそうに鉄板を見つめる。
「ふふっ、惣右介くんの鉄板焼き、とっても美味しそうですっ」
「――月を見上げた者が、その光を忘れられぬように。君の舞もまた、私の中に残り続けるのだろうね」
(訳:さっきのダンス、凄く可愛かった!見惚れちゃったよ!)
「も、もうっ……惣右介くんったら、またそんなことを言って……」
ひよりが顔を真っ赤にして照れ隠しに俯く。その可愛らしい反応に、私は内心で激しく悶えながらも、オサレな表情で料理を皿に盛り付けた。
賑やかにまかないを食べるクラスメイトたちを眺めながら、私はふと、活気に満ちたグラウンドや来賓席の方へと視線を巡らせた。
家族連れやケヤキモールの関係者、そして政府関係者らしき大人たちが、思い思いに文化祭を楽しんでいる。
(これだけ外部の人間が大勢入り込んでいるとなると、不審者が紛れ込むのも容易だろうな)
私は静かに目を細める。
(清隆は問題ないと言っていたが、ホワイトルーム関係者が動く可能性もゼロではない。……さすがにこれだけの目があり、政府の人間も来賓としてきている中で、強硬策を取ることはないとは思うが……)
「惣右介くん? どうかしましたか?」
ひよりが不思議そうに小首を傾げてこちらを見上げる。
「――気にするほどのことではないよ。……まだ道の半ばを越えたに過ぎない。……さあ、もう一度歩き出そうか」
「はいっ! 午後も頑張りましょうね!」
私はひよりの笑顔に頷き返し、再び燃え盛る鉄板の前へと向き直った。
各クラスの思惑と、見えない影の気配が交錯する中、高度育成高校の文化祭はさらなる熱気を帯びていくのだった。