いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
「――お帰りなさいませ、お嬢様。本日はどのような紅茶をご用意いたしましょうか」
文化祭も午後に入り、客足のピークが続く特別棟の一階。
CクラスとDクラスが合同で運営する『執事喫茶』にて、オレは完璧にアイロンがけされた燕尾服を身に纏い、案内した席についた二人の女性客へとマニュアル通りの一礼を捧げた。
もちろん、ただの作業ではない。オレなりに最大限の真心を込め、温かみのある声色を作ったつもりだった。
しかし、非日常の空間に足を踏み入れた来賓の女性客たちは、オレの顔を見てほんのりと頬を染めながらコソコソと囁き合った。
「……この無表情で淡々とした棒読み、逆にいいわね! 冷徹な執事って感じで!」
「分かる! 感情が一切ない感じがたまらないわね。……じゃあ、ダージリンを二つお願いね」
「かしこまりました。少々お待ちください」
(……棒読み……だと……?)
オレは完璧な一礼をして厨房のカウンターへと向かいながら、内心で首を傾げた。あんなにも心のこもった接客をしたというのに、客の受け取り方はオレの想定とまるで違っていたからだ。
紅茶の準備をしていると、すぐ横のテーブルから、およそ飲食店ではあり得ないような盛大な舌打ちが聞こえてきた。
「チッ、ダージリンだぁ? てめぇらにはアールグレイがお似合いだろ。それ飲んでさっさと帰りな」
龍園だ。彼は窮屈そうに執事服の首元を指で緩めながら、不機嫌極まりない顔で紅茶のカップをドンッと乱暴にテーブルに置いた。
ティーカップがガチャリと鋭い音を立て、琥珀色の紅茶が少し跳ねる。一般的なカフェであれば即座にクレームが入るであろうその粗暴な態度に、女性客が怒り出すかと思いきや。
「ひっ……! ちょ、ちょっと強引で素敵かも……!」
「俺様系の不良執事……アリね……!」
女性客たちは顔を見合わせ、なぜか嬉しそうに身を捩っていた。
(……女性の心理というのは、本当に難解だな)
オレがさらに理解不能な現象に直面していると、今度は入り口付近から仰々しい声が響いてきた。
「ククク……愚かなる迷える子羊たちよ。我らが深淵のティータイムへようこそ。第一の使徒たる俺が、禁忌の果実を用意してやろう」
見えないマントを翻すようなポーズを取る池。
そして、その後ろでは時任が腕を組み、名門貴族の当主のようなオーラを放ちながら静かに目を閉じていた。
「――我々が差し出すべきものは媚びではない。品位だ。客人である以上、それに相応しい礼は尽くそう。……さあ、席へ案内しよう」
「な、なんか厨二病と凄く偉そうな執事がいるんだけど……! これはこれで新しいわね!」
「うんうん、なんかテーマパークみたいで楽しい!」
池の中二病全開の接客と、客に全く媚びない時任の自信満々な貴族系接客。これもまた、女性客たちには『そういうコンセプトの強烈なキャラ付け』として完全に受け入れられ、むしろ大好評を博していた。
さらには、巨漢のアルベルトが「YES, MY MASTER. 麗シキ貴女ニ、極上ノ紅茶ヲ……」とサングラスを光らせながら片言の日本語と英語で凄みを利かせている始末だ。
フロアを見渡せば、まともに一般的な執事の接客をしているのは、爽やかな笑顔を振りまく洋介くらいしか見当たらない。
(……オレと洋介以外は、見事なまでにクセの強い生徒ばかりだな。当初はこの人選に少し疑問を感じていたが、客の反応を見る限り、想定以上にウケているらしい)
ひっきりなしに訪れる客の波を眺めながら、オレは内心で小さく頷いた。
(……恵や松下が「逆にこういうメンバーの方が面白いかもしれない」と言っていたが、どうやらその判断は正しかったらしい。最初は半信半疑だったが、客の反応を見る限り、かなり好評なようだ。……なるほど。こういう形もあるのか。覚えておこう)
そして、オレはふと隣の教室で展開されているメイド喫茶の様子を思い浮かべた。
(それにしても、愛里の力は凄まじいな。たった一度の客引きに出ただけで、これほどの客を連れてくるとは……)
グラビアアイドル『雫』としての彼女の圧倒的な求心力。彼女という秘密兵器の投入は、間違いなくこの文化祭における最大の起爆剤となっていた。
オレは出来上がったダージリンティーをトレイに乗せ、愛里がもたらした熱狂に包まれるフロアへと、再び淡々とした足取りで歩み出した。
◇ ◇ ◇
「ご主人様……えっと、はい、チーズっ……」
パシャッ、というフラッシュの光と共に、ツーショットのチェキがカメラから吐き出される。
「うおおおおおっ!! 雫ちゃん、ありがとう!! 一生大事にする!!」
「俺も! 次俺の番だから!!」
「頼む、チェキ券まだ余ってないかっ!?」
壁を隔てたすぐ隣の教室に設けられた『メイド喫茶』は、私の想像を遥かに超える熱狂の渦に包まれていた。
特設の撮影スペースで、私は顔を真っ赤にして身を縮ませながらも、一生懸命にメイド服の裾を摘まんでポーズを作っていた。
(恥ずかしい……っ。満場一致特別試験の時にクラスのみんなには打ち明けたけど……こうして学校中の人や、外から来た大勢のお客さんの前に『雫』として立つのは、やっぱり凄く恥ずかしいよぉ……)
押し寄せる男の人たちの熱気に圧倒されそうになりながらも、私は必死に笑顔を作ってチェキを手渡していく。
「愛里ー! ちょっと、あんたヤバいじゃん! 売上爆上がりなんだけど!」
客足の整理が一段落したほんの一瞬の隙を突いて、メイド服姿の恵ちゃんが、興奮した様子で駆け寄ってきた。
「ほんと愛里凄すぎ! さすがアイドルって感じー! このままだと余裕でトップいけちゃうんじゃない!?」
続いて麻耶ちゃんも目を輝かせて、私の肩をポンポンと叩く。
「そ、そんなことないよぉ……。わ、私なんて、ただ立ってるだけで……」
二人からベタ褒めされて、私の顔はさらにカアッと熱くなった。
(恵ちゃんも麻耶ちゃんも、一年生の時は派手でギャルっぽくて、正直すごく怖いって思ってた……)
でも、清隆くんの部屋で毎日一緒に勉強を教えてもらうようになってから、私たちは凄く仲良くなった。
分からないところを教え合ったり、恋バナや雑談で盛り上がったりするうちに少しずつ距離が縮まって、今ではこうして『恵ちゃん』『麻耶ちゃん』『愛里』と下の名前で呼び合い、笑い合える日が来るなんて、一年前の私には想像もできなかったことだ。
「申し訳ありません! 雫ちゃんとのツーショットチェキ券は、ただいまの時間帯すべて完売いたしました! 追加販売については未定となりますので、まずは特製オムライスをお楽しみくださいっ!」
フロアの方では、櫛田さんが笑顔を振りまきながら、暴動一歩手前の客たちを巧みに誘導し、場を見事に回してくれている。
「はぁー……マジでとんでもない人気じゃん。こっちのオムライス作りが全然追いつかないよ……」
波瑠加ちゃんが、ケチャップでオムライスに文字を描く作業をひたすら続けながら、呆れたように、でもどこか誇らしげにこちらを見て微笑んでくれた。
私も、小さく手を振り返す。
波瑠加ちゃんは、私にとって一番の親友だ。
清隆くん、波瑠加ちゃん、啓誠くん、明人くんで作った『綾小路グループ』。引っ込み思案で誰とも話せなかった私にとって、あそこは初めてできた、そして唯一の本当に大切な居場所だった。
満場一致特別試験で、私が退学のターゲットにされそうになった時。一番に優しく背中を押してくれたのは波瑠加ちゃんだった。彼女たちがいてくれたから、私はあの時、逃げずに眼鏡を外し、みんなの前に立つことができた。
「文句言ってる暇があったら手ぇ動かしなさいよ。……ってか、なんであたしまでこんなヒラヒラの服着て、皿運びなんか……」
伊吹さんが不機嫌オーラ全開でメイド服の裾を乱暴に引っ張りながら、客席の間を歩いていく。レジの奥では、堀北さんがタブレットの売上グラフを見つめながら、静かに闘志を燃やしているのが見えた。
(……私でも、みんなの役に立ててるんだ)
その事実が、胸の奥をじんわりと温かく満たしていく。
そして何より――ストーカーの恐怖から助け出してくれて、満場一致特別試験でも私を見捨てずに価値を証明してくれた清隆くんに。こうして少しでも恩返しができていることが嬉しかった。
毎日の勉強会の後、私が問題を解き終えると、彼はいつも「よくやったな」と、大きな手で優しく私の頭を撫でてくれる。その度に、私の胸の奥は甘く、苦しく締め付けられるのだ。
(……清隆くんと恵ちゃんが付き合ってることは、分かってる。恵ちゃんは今では大切な友達だし、彼女を悲しませるようなことはしたくない)
だけど、この募っていく想いを、どうしても捨てることはできなかった。
(恵ちゃんから清隆くんを奪い取るなんて、そんな強引なこと、私には絶対にできない。……でも、私だって、このまま諦めたくない)
せめて、彼にとっての『特別な女の子』の一人として。
清隆くんの心の中に、ずっと私の存在を、私の居場所を残し続けていたい。
(そのために……もっと変わらなきゃ。もっと、清隆くんの、クラスのみんなの力になりたい……!)
隣の執事喫茶で、きっと私と同じように頑張っているはずの彼の姿を思い浮かべる。
「次の方、どうぞっ」
私は両手でパチンと小さく頬を叩いて気合を入れ直すと、恥ずかしさを乗り越え、恋する乙女のとびきりの笑顔で次のお客さんへと向き直った。
◇ ◇ ◇
「藍染、予定の時間だ。そろそろ休憩に入らないとな」
客足がわずかに落ち着いたタイミングを見計らい、新浦が声をかけてくる。
「うんっ! 前半からずっと焼きっぱなしだったもんね。お疲れ様、藍染くん! あとは私たちに任せて!」
休憩を終えて合流していた津辺も、ガッツポーズを作りながら笑顔で請け負った。
「――あとは君たちの時間だ。最後まで、思うままに歩むといい」
(訳:あとは任せるよ!最後まで頑張ろう!)
私はシェフコートとエプロンを脱ぎ、二人へと後を託した。
文化祭は十六時まで。ここから一時間の休憩に入るということは、私の屋台での出番はこれで終了ということになる。
屋台の裏手へと回り、冷えたペットボトルの水を喉に流し込む。
(クラスメイトたちからの報告を聞く限り、俺たちが四位以下となる可能性は極めて低い。『雫』という秘密兵器の投入によって、かなりの客を特別棟の方に引っ張られてしまったが、みんなのステージでのパフォーマンスや、鉄板焼きの料理のクオリティもあって想定以上に売り上げることができている)
上位四クラスまでなら、得られるクラスポイントに差はない。
(……得られるポイントは同じだとしても、クラス一丸となって作り上げた最高の舞台だ。絶対に一位を取りたいな)
私は密かな闘志を抱きつつ、歩みを進めた。
(……本当は、ひよりと同じ時間に休憩を取って、一緒に文化祭を回りたかったんだけどな……)
内心で少しばかりの未練をこぼす。
しかし、今日という日に限っては、それを避けるべき明確な理由があった。
今日のように外部の人間が多数入り込む状況下では、ホワイトルームの関係者が紛れ込んでいる危険性が極めて高い。
月城もホワイトルーム生も、清隆を退学させるには至らなかった。ならば、清隆の父親――綾小路篤臣が次に講じる手段として、かつて自身がホワイトルームから追放した『私』を利用し、清隆を連れ戻そうと画策する可能性がある。
(そのために最も手っ取り早いのは、俺の『弱点』を突き、脅迫することだ。もし今日、外部から紛れ込んでいる関係者たちの前で、ひよりと二人で過ごしている姿を見せでもすれば、奴らは彼女やその家族を人質にとり、俺を駒として強制的に従わせようとするだろう)
(そうさせないためにも、俺にとってひよりが特別な存在であると悟られる事態だけは防がなければならない。……もっとも、月城があの男にどのような報告を上げているか次第ではあるがな)
だが、完全にこの場から離れて人気のない場所へ行くのも悪手だ。万が一、ひよりの身に危険が及んだ際に即座に対処できるよう、私の目の届く範囲には留まる必要がある。
私は熟考の末、屋台と簡易ステージ全体を見渡せる、程近い木陰のベンチに腰を下ろした。ここならば、周囲の喧騒に紛れつつ、ひよりやクラスメイトたちの動向を正確に把握できる。
私が静かにクラスメイトたちを見守っていると、ベンチの横に、ふらりと一人の男が立ち止まった。
政府関係者や来賓が身につけているのと同じスーツ姿だが、その身に纏う冷たく無機質な空気は一般人のそれではなかった。
(……やはり、俺が一人になったタイミングで接触を図ってきたか)
「……藍染惣右介だな」
見知らぬ男が、私を見据えて低く声をかけてくる。
「――如何にも」
私はベンチに腰掛けたまま、平坦な声で応じた。
「外に車を用意している。そこまで清隆くんを連れてこい。綾小路先生からのご命令だ。従え」
男の口から発せられたのは、有無を言わせぬ絶対的な命令だった。
(……接触は予想通りだが、まさか今日この場で清隆を連れ去ろうと強硬策を取るとはな。せいぜい退学に追い込むように命令してくるだけだと考えていたが……焦っているのか、それとも単にリスク管理ができないほど愚かなのか)
私は表情を崩さぬまま、静かに思考を回す。
「――断る」
間髪入れず突き返された拒絶に、男は信じられないものを見るように目を剥いた。
「なんだと……? 綾小路先生の命令は絶対だ。お前に拒否権はない」
「――拒否権がない、か。ならば、私がこのまま従わなかった場合、どうするつもりだ? 君ごときが私をどうにかできるとでも?」
カマをかけるような私の問いに、男は冷笑を浮かべて言い放つ。
「……逆らえば、お前などいつでも破滅に追い込めるんだぞ。自分がどれほど無力か思い知ることになる」
(……なるほど。俺から『誰か』を奪うという発想はないようだ)
確信を得て、私は密かに安堵した。
(月城は俺の存在を上に報告していても、俺の『守りたいもの』までは伝えていなかったということだ。やはり月城も、俺を本気で敵に回すような愚行は避けたらしい)
私を脅す手段として、私自身をどうにかすることしか考えていない時点で、彼らは私の急所を微塵も理解していない。
(清隆の父親が知っているのは、ただ淡々と、完璧にカリキュラムをこなしていた頃の俺だけだ。そんな俺が、ひよりや友人たちを何よりも大切に思っているなど、想像すらしていないのだろう)
私が一向に動こうとしない態度に痺れを切らしたのか、男は懐に手をやりながら、明確な殺気を滲ませて一歩踏み込んできた。
「こちらの命令が聞けないというのなら……実力行使に出るまでだ」
その言葉を聞いた瞬間、私はゆっくりとベンチから立ち上がり、目前の男へと氷のように冷酷な視線を下ろした。
「……力で叩けば、私を潰せると思ったか?」
「なっ……」
「――甘いな。……いや、恐らくは元来『力』という言葉の認識そのものが、君たちと私では異なっているのだ。教えよう。『力』というのは――こういうものを言うのだ」
私が静かに宣告したその瞬間。
男の周囲の大気が、嫌な音を立てて軋むような錯覚が空間を支配した。
「な、なんなんだお前はっ……!?」
息をすることすら困難になるほどの、絶対的な死の気配。
男は恐怖に顔を引き攣らせると、ガチガチと歯の根を鳴らしながら無様に地面へと這いつくばった。
私は足元で震える男を見下ろし、静かに忠告する。
「――君たちの王に、余計な報告はするな。二度と私の前に現れるな」
私のその冷酷な一瞥に、男は「ひっ……!」と悲鳴にも似た声を上げ、這うようにして逃げ去っていった。
その無様な背中を見送りながら、私は再びベンチに腰を下ろし、静かに思考を巡らせる。
本気で清隆を退学させるつもりなら、月城という権力者を送り込むことが出来た時点で、強権を発動して強制的に退学させれば済んだ話だ。刺客として生徒を潜り込ませたり、私に協力を命じてきたりと、こんな回りくどく無駄な真似をする必要はない。
おそらく、あの男の最終的な目的は、政界に返り咲き、その頂点に立つこと。そして、最高傑作である清隆を自身の野望を成就させるための最強の『駒』として利用するつもりなのだろう。
そのためには、単なる学力や身体能力だけでは足りない。ホワイトルームという閉鎖空間では決して学べない『他者との関係構築』や『人を操る能力』……すなわち、政治に不可欠な要素を、この特異な環境を利用して清隆に学ばせようとしているに違いない。
(ならば、なぜわざわざ刺客を送り込み、あまつさえ俺にまで『清隆を連れ戻せ』などと命じてきた?)
答えは一つ。最初から連れ戻すことなど目的ではないのだ。私を介入させることで、清隆がこの学校で得た『繋がり』を用いて、私という脅威をどう排除するかを見定めるための『試金石』とするつもりなのだろう。
自身の最高傑作ならば、月城もホワイトルーム生も、そしてかつて追放したこの私すらも相手にならないと確信しているからこそできる所業。私のことなど、清隆の政治的・戦略的な能力をさらに磨くための『砥石』程度にしか思っていないわけだ。
(自身の最高傑作の完成度を測るための、都合の良い当て馬。……相手が俺を舐めているのならば、それはそれで好きにすればいいさ)
私は思考を切り替え、遠くのステージで最後のひとときを楽しむ仲間たちへと視線を向ける。
文化祭も、もう終わりが近い。
私は静かに微笑みながら、その光景を眺めていた。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます!
遂に本作も100万文字を突破することができました!
ここまで長く物語を続けることができたのも、いつも読んでくださる皆様や、感想・評価・お気に入り登録・ここすきなどで応援してくださる皆様のおかげです。
完結まで辿り着けるよう、これからも頑張っていきたいと思います!
改めまして、ここまで本作にお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします!