いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
グラウンドを赤く染めていた夕日が沈みかけ、長く伸びた影が校舎を包み込み始める頃。
外部からの来賓を招き、かつてない熱狂の中で開催された高度育成高校の『文化祭』は、大きなトラブルもなく無事に十六時をもって終了の時間を迎えた。
「みんな、本当にお疲れ様! 大変だったけど、すごく楽しかったね!」
来賓たちが満足げな顔で帰路につき、祭りの喧騒が静寂へと変わり始めたAクラスの出店エリアで、一之瀬が明るい声を響かせた。
クラスメイトたちは皆、片付けの作業に取り掛かっている。
神崎たちはステージの機材を運び出し、新浦や津辺たちは油で汚れた巨大な鉄板を丁寧に磨き上げている。疲労の色は濃いものの、誰の顔にもやり切ったという確かな充足感が浮かんでいた。
(うん。みんな、本当に充実した良い顔をしているね。放課後に残って、準備や練習を重ねてきた集大成を存分に出すことが出来た。……何より、怪我なくみんなが楽しんで終えられたことが一番だ)
しばらく片付けを進めていたが、機材や屋台の完全な撤収にはまだまだ時間がかかりそうだった。
「みんな、ちょっと聞いてくれるかな!」
一之瀬がパンッと柏手を打って、皆の注目を集める。
「片付けにはまだまだ時間が掛かりそうだし、今日は朝からずっと立ちっぱなしで、みんなもうクタクタだと思うの。だから、今日の作業はキリのいいところで一度切り上げて、続きは明日の日曜日にやらないかな?」
「賛成! 正直、もう足が棒になりそうだよ〜」
「うんうん! 明日ゆっくりやろうよ!」
網倉や小橋たちが一之瀬の提案に賛同し、男子たちもホッと息を吐いて頷いている。
「ありがとう! じゃあ明日の午前中に片付けを終わらせて……その後はみんなで、ケヤキモールで打ち上げをしよう!」
「うおおおおっ!! 打ち上げ最高!!」
「絶対参加するーっ!」
一之瀬の提案に、クラスメイトたちは疲れも忘れて歓声を上げた。
こうして、文化祭当日の片付けは適度なところで切り上げとなり、私たちはそれぞれ寮へと戻ることになった。
「――祭りの熱狂は、静寂の中でこそ深く魂に刻まれるものだ。君たちも、今宵はゆっくりと羽を休めるといい」
(訳:みんな、今日はお疲れ様! ゆっくり休んでね)
「藍染もお疲れ!」
「おう、また明日な!」
私はクラスメイトたちと労いの言葉を交わし、自室へと帰還した。
◇ ◇ ◇
シャワーを浴びて汗を流し、ソファに深く腰を下ろす。
時刻は十七時五十八分。
私は淹れたてのコーヒーを一口飲み、手元の端末の画面を見つめた。
やがて、時刻が十八時ちょうどを示した瞬間。
端末が短く震え、学校の専用アプリから『文化祭・結果発表』の通知が届いた。
私は静かに画面をタップし、全クラスの順位と売上結果のリストを開いた。
【文化祭・最終結果】
一位 二年Dクラス +100cp
二位 二年Cクラス +100cp
三位 二年Aクラス +100cp
四位 二年Bクラス +100cp
五位 三年Bクラス +50cp
六位 一年Aクラス +50cp
七位 三年Cクラス +50cp
八位 一年Cクラス +50cp
九位 三年Dクラス ±0cp
十位 一年Bクラス ±0cp
十一位 三年Aクラス ±0cp
十二位 一年Dクラス ±0cp
「……三位、か」
私は静かな部屋の中で、ぽつりと呟いた。
我々二年Aクラスも、事前の綿密な作戦とパフォーマンス組の集客効果により、目標を大きく上回る売上を記録した。全てを出し切ったと言っていい、素晴らしい結果だ。
だが、それでもトップには届かなかった。
(……悔しいけれど、今回はCクラスとDクラス……いや、佐倉さんの勝ちだな)
私は内心で、彼女がもたらした圧倒的な爆発力を素直に賞賛した。
グラビアアイドル『雫』としての知名度とルックス、それを最も効果的なタイミングで投入した堀北の戦略。さらには、龍園率いるCクラスとの合同による野外屋台からの巧みな客引き誘導。
それらが完璧に噛み合った結果、DクラスとCクラスは見事にワンツーフィニッシュを飾ったというわけだ。
(それにしても……Bクラスが、四位に入り込んでいるのか)
私はリストに表示された『四位 二年Bクラス』と『十二位 一年Dクラス』の文字を交互に見比べた。
Bクラスの出し物は、客足が伸びにくい特別棟三階での安価なパンフレットの販売だったはずだ。それにも関わらず、全体で四位という好成績を収めている。
一方で、祭りをテーマにした出し物で子どもたちから大人気を博していた一年Dクラスが最下位に沈んでいる。
(……順位と状況から見るに、一年Dクラスと『取引』をしたということだろう)
今回の文化祭では、売上の決済はすべて、来賓に支給された端末から専用アプリで行われる。
つまり、Bクラスの生徒が自身の端末を一年Dクラスの生徒に貸し出し、一年Dクラスの出し物の決済を『二年Bクラスの端末』で行えばどうなるか。
システム上は、一年Dクラスが売り上げたポイントが、そのままBクラスの売上として計上されることになる。
(……一年Dクラスにはプライベートポイントか何かで見返りを約束したのだろうな)
私はさらに思考を巡らせる。思えば、放課後にBクラスの生徒が文化祭の準備で遅くまで残っているという話を聞くことはなかった。
(他クラスが文化祭の準備で忙しくしている中、彼らはクラスで勉強会でもしていたのだろうな。あの『満場一致特別試験』での課題④……あの課題から察するに、二学期末の筆記試験は各クラスの成績に応じてクラスポイントが動く形式になるはずだ)
純粋な学力において、Bクラスは元々優れている。私たちのクラスとは常に僅差の勝負になるが、基本的にはあちらの方が優位だ。そのアドバンテージを盤石なものとし、次の試験で確実に一位を取るために、文化祭の準備期間をすべて勉強に注ぎ込んだというわけだろう。
目先の文化祭にあえて労力を割かず、一年Dクラスとの取引で四位という十分な結果を手にする。そして、浮いた時間と労力の全てを次の筆記試験に費やし、本命の学力勝負で確実な勝利を狙う。
(……見事だな)
この手堅くポイントを稼ぐ無駄のない采配には、堅実な戦略を好む葛城の意向も強く反映されているに違いない。全体を俯瞰し、効率的にクラスを導く坂柳の知略と、それを支える葛城の堅実さ。流石はBクラスを統べるツートップと言ったところか。
私は二人の見事な手腕を内心で賞賛しつつ、現在のクラスポイント一覧を開いた。
各クラスに、本日の文化祭の結果である+100ポイントが加算された最新の数値だ。
【二年生・最新クラスポイント】
Aクラス:1519 cp
Bクラス:1480 cp
Cクラス: 936 cp
Dクラス: 716 cp
(……結局、今回の上位四クラスを二年生が独占したことで、俺たちの学年はクラスポイントの差が全く縮まらなかったか)
四位までは一律で+100ポイント。
結果として、順位はついたものの、各クラスの勢力図に変動は起きなかった。
とはいえ、どのクラスも全力を尽くし、確かな成長と手応えを得たはずだ。この経験は、今後の戦いにおいて必ず大きな意味を持ってくる。
(文化祭も無事に終わった。……あとは、あの男の件か)
私はコーヒーカップをテーブルに置き、休憩中に接触してきた見知らぬスーツの男の顔を思い浮かべる。
(あのホワイトルーム関係者の接触があったことは、早いうちに清隆に知らせておくべきだろうな)
(まあ、明日も片付けと打ち上げがある。報告はその後にでもするか)
私は大きく背伸びをして、文化祭という怒涛の非日常から日常へと意識を切り替える。
心地よい疲労感に身を委ねながら、私はその日、いつもより少しだけ早くベッドへと潜り込んだ。
◇ ◇ ◇
翌日、日曜日。
午前中のうちに文化祭の撤収作業と清掃を無事に終えた私たち二年Aクラスは、その足でケヤキモールへと繰り出し、貸し切ったカラオケのパーティールームで盛大な打ち上げを行っていた。
「みんなー! 文化祭、本当にお疲れ様ーっ! かんぱーいっ!」
「「「かんぱーいっ!!」」」
一之瀬の元気な音頭に合わせて、ジュースの入ったグラスが打ち鳴らされる。
室内は昨日の狂熱の余韻を引き継いだかのように大いに盛り上がっていた。
屋台の責任者を務めた新浦や津辺が満面の笑みで料理を頬張り、ステージを成功させたアイドル組の女子たちが楽しそうにマイクを握って歌を歌っている。
その傍らでは、神崎が真顔でマイクを持ち「静寂に隠された魂の鼓動を……」と話し始めた瞬間、姫野にタンバリンで頭を叩かれていた。
私は部屋の隅のソファーに腰を下ろし、その微笑ましい光景を眺めながら静かにウーロン茶を飲んでいた。
隣には、同じようにソファーに座り、楽しそうに手拍子をしているひよりの姿がある。
昨日までの張り詰めた緊張感は抜け落ち、純粋な高校生としての青春の時間がそこには流れていた。
やがて夕方になり、打ち上げはお開きとなった。
寮の自室に戻った私は、まずはやらなければならないことを片付けるため、端末を取り出した。
宛先は、綾小路清隆。
昨日の文化祭でホワイトルームの関係者から接触を受け、彼を連れ戻すよう要求されたことを伝えた。
その後、私は淹れたての紅茶をテーブルに置き、本棚から一冊の哲学書を取り出して一人静かに読書を始めた。
ひよりは帰寮後、すぐにDクラスの
ピンポーン。
三十分ほど本を読み進めたところで、唐突にインターホンのチャイムが鳴った。
(ん? 誰だろう。ひよりはまだ帰ってこないはずだが……)
しおりを挟んで立ち上がり、モニターを確認する。
そこに映っていたのは綾小路清隆だった。
(さっき送ったメールの件だろうか。直接聞きに来たのかな?)
私は玄関のロックを解除してドアを開け、いつものようにオサレな歓迎の言葉を紡ごうとした、その時だった。
(んんっ!? ちょっ、どうしたお前!?)
ドアの前に立っていた清隆は、いつものように感情の読めない無表情だった。
だが、その右の頬には――見事なまでの『真っ赤な紅葉のような手形』が、くっきりと刻み込まれていたのだ。
誰がどう見ても、全力のビンタを食らった直後である。
(ええっ!?めちゃくちゃ腫れてるけど!? 何があった!? メール関係ある!? いや無いなこれ!!)
内心で大パニックに陥りながらも、外面の私は微動だにせず、涼しげな笑みを浮かべて清隆を部屋へと招き入れた。
「――急な来訪だな。何か深淵からの導きでもあったのかな?」
「急に押しかけてすまないな。……今日は、椎名はお前の部屋にはいないのか?」
「――あいにく、彼女は別の庭園で花を愛でている最中でね。この玉座には私一人だよ」
(訳:みーちゃんと遊びに行ってるよ)
清隆は促されるまま部屋に入り、ソファに腰を下ろした。
私は向かいの席に座り、紅茶を勧めながら、どうしても気になって仕方がない彼の右頬に視線を向けた。
(いや、その頬の手形が気になりすぎるんだけど!?)
「――して、何の用かな? 私が送った言の葉……その答え合わせに来たのかな?」
私がオサレに話を振ると、清隆は無表情のままコクリと頷いた。
「ああ、メールは読ませてもらった。報告感謝する。……だが、それもあるが、元々お前に一つ相談したいことがあって来たんだ」
「――ほう? ならば先に君の抱える『深淵』を覗かせてもらおうか」
(訳:メールの件じゃないのか。なら先に相談を聞こうか)
私が鷹揚に頷くと、清隆は真剣な顔で、信じられないことを口にした。
「惣右介。お前は、『複数人の女性と同時に交際する』ことをどう思う?」
(んんっ!?!?)
私は飲もうとしていた紅茶を吹き出しそうになり、すんでのところで堪えた。
(複数人との交際!? いわゆる二股とかそういうこと!? なんでそんなことを聞いてくるんだ!?)
私は困惑を隠しきれず、しかし声のトーンだけは完璧なオサレを保って問い返した。
「――言葉の通りに受け取って良いのかな?」
(訳:え、どういう意味かな?)
「お前も知っての通り、オレは恵と交際している。だが最近、愛里や佐藤のように、オレに対して明確な好意を向けてくれる女性たちの存在を無視できなくなってきてな」
「そんな折、うちのクラスの博士……外村に『綾小路殿はまるでラノベのハーレム系主人公でござるなぁ。羨ましいでござるぅ』と言われたんだ。……最初はよく分からなかったが、オレなりに色々と調べていくうちに、それも悪くない……いや、むしろ合理的な解決策なんじゃないかと思うようになってな」
(その淡々としたトーンで「〜でござる」ってモノマネするのやめろ! シュールすぎるわ!! というか、外村の戯言を真に受けてハーレムを形成しようとしてるのか!?)
私の内心のツッコミを置き去りにし、清隆は大真面目な顔で持論を展開し始めた。
「恵との交際は、初めは彼女の成長を促すと同時に、オレ自身が恋愛というものを学ぶためのスタートだった。だが、今の彼女との日常は決して悪くないと思っている。……だからこそ、恵を大切にしつつも、オレに好意を向けてくれる人間を無下に切り捨てることなく、彼女たち全員を受け入れ、等しく幸福な関係を築く道はないかと考えたんだ」
(……なんでそうなるんだ!? これもホワイトルームのせいなのか……!?)
私は頭を抱えそうになった。
だが、同時に気づいてしまった。目の前にいる清隆の瞳が、かつてないほどにキラキラと輝いていることに。
(……互いの心を通わせた上で、たった一人の特別な相手にすべての愛情を注ぐ。それが本来の当たり前の恋愛観だと俺は思ってるんだけど……清隆がこんなに目を輝かせているのを見るのは初めてだしな。いや、しかし……)
「――君が新たな軌道を描くのは自由だ。だが、すでに君の隣で輝く星は、その引力に耐えられるのかな?」
(訳:清隆が良くても、軽井沢さんの気持ちはどうなるの?)
私がもっともな疑問をぶつけると、清隆は頬の手形をそっと撫でながら、不思議そうに首を傾げた。
「恵も、愛里と麻耶ちゃんなら、と認めてくれたんだがな」
(えっ!? あの軽井沢さんが!? 清隆のこのキラキラした瞳の圧に負けて諦めたのか……!?)
私が信じられない思いで目を見開いていると、清隆は少しだけ困ったように息を吐いた。
「最も……オレがその提案をした直後、彼女は顔を真っ赤にしてこう言ったんだ」
清隆は声色を変えることなく、淡々とした無表情のまま、軽井沢が放った言葉を再現した。
『あんたの命も 愛みたいに 壁に飛び散らせてあげる』
「そう言われ、次の瞬間には全力の一撃を食らっていた。……オレですら躱すことが出来ない、見事な一撃だった。それに、女性の心理というのは、やはり難しいな。口では『その二人なら仕方ない』と言いながら、なぜあそこまで怒る必要があるのだろうか」
(なんで!? 確かに軽井沢さんの声、あの
私は別のベクトルの戦慄を覚えながらも、どうにか思考を現実に戻した。
(って、そうじゃない! 軽井沢さんめちゃくちゃキレてるじゃん!? よく爆殺されなかったね!? 頬の手形だけで済んで良かったよ!!)
……それにしても、なぜ私にそんな相談をしてきたのだろうか。
私が内心で首を傾げていると、清隆は私の瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「お前は以前、ホワイトルームを潰すためにも政界に進出すると言っていたな」
「――ああ。それが私の歩むべき道だが……」
「オレも、政界を目指すことに決めた」
「…………」
「政治家になり、日本の法を改正して『一夫多妻制』を導入する。……それが、オレの新たなる夢だ」
「…………」
(さっきからこいつ、本当にどうしたんだ!?)
私は完全に言葉を失った。
(恋愛を学ぶために交際を始めたってのもどうかと思ったけど、軽井沢さんのことを今は大切に思っているならそれは良しとしよう。夢ができたというのも、彼にとっては良い変化だ。……だが、なんでそれがハーレム合法化なんて訳の分からない方向に向かってるんだ!?)
私は深いため息をつき、生徒会長として、そして同じ施設で育った友として、彼を諭すべくオサレに口を開いた。
「――万人に等しく愛情を分け与えようとする君の思想は、一見すると平和的だ。だが……誰かを『特別』に想うということは、他のすべての選択肢を切り捨てるという残酷さを伴ってこそ、初めて真実の輝きを放つものだ。たった一人の大切な存在にすべての愛情を注ぎ、共に歩むことの尊さを、君はまだ理解していないのではないかな?」
私が静かに告げると、清隆は微かに目を伏せた。
「確かに、惣右介の言う通り、一人の女性だけを愛し抜くことが世間一般の正しい形なのだろう。……だが、オレのことを本気で好いてくれている人間を誰一人切り捨てず、等しく幸せにしてやりたいと願うことは、そんなにも間違っていることか?」
(……清隆が彼女たちを幸せにしてあげたいと願うこと自体は、とてもいいことだと思う。思うけども……!)
真っ直ぐに私を見つめる清隆の瞳には、一切の淀みがなかった。
私は反論の言葉を探したが、彼の異常なまでの熱意と、「幸せにしたい」という不器用な願いの前に、言葉を詰まらせてしまった。
「――当人たちがそれで良しとするのなら、私が口を挟むことではない、か……」
私が渋々といった様子で告げると、清隆は「ああ、理解してくれて助かる」と満足げに頷いた。
私は冷めた紅茶を一口飲み、ソファーの背もたれに深く体を預けた。
『心在るが故に、すべてを欲する』、か。
ホワイトルームで感情を削ぎ落とされた最高傑作が、人の心を学び、誰かを幸せにしたいと願うようになった。友人として、それ自体は心から喜ばしい。
……だが、その優れた頭脳と能力が向かう先が『一夫多妻制の法制化』とは。
私は、常識という枠組みを軽々と飛び越えていく友の姿に、深く、深いため息をこぼした。