いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
十一月下旬。
肌を刺すような冷たい風が吹き始め、冬の足音が本格的に近づいてきた頃。
私たち二年生は、待ちに待った学校行事――『修学旅行』の日を目前に控えていた。
この日は、午前の二時間を使って修学旅行についての説明会が設けられていた。
だが、その楽しい本題に入る前に、まずは直前に実施された『二学期期末テスト』の結果発表という、現実的な儀式を済ませる必要があった。
「はーい、みんな席についてー! 修学旅行の説明の前に、まずは期末テストの結果を発表しまーす!」
教壇に立った星之宮先生が、いつものように間延びした明るい声で告げた。
彼女が手元のタブレットを操作すると、ホワイトボードにプロジェクターの映像が映し出される。
「まずは個人成績だけど……まあ、ここは言うまでもないわね。藍染くん、今回も全教科百点で学年一位よ。おめでとう!」
星之宮先生の言葉に、クラスメイトたちから「さすが藍染!」「もう殿堂入りでいいんじゃないか?」と笑い混じりの拍手が送られる。
私はオサレな笑みを浮かべ、軽く手を上げてその称賛に応えた。
「で、肝心のクラスごとの結果だけど。今回も学年を通して退学者は一人も出なかったわ。……でも、うちのクラスの順位は、残念だけど二位でした」
そう言って、星之宮先生は少しだけ残念そうに眉を下げる。
そのままモニターを切り替えると、各クラスの順位と平均点、そしてそれに伴うクラスポイントの変動が映し出された。
【二学期期末テスト・クラス順位】
一位 Bクラス +50 cp
二位 Aクラス +25 cp
三位 Dクラス -25 cp
四位 Cクラス -50 cp
(……いつもはAクラスとBクラスでかなりの僅差になるが、やはり今回は平均点で差をつけられているな。Bクラスを除けば、どのクラスも普段より平均点を落としている。文化祭の準備と並行しての試験だったことを考えれば、無理もない結果か)
私は画面の数値を冷静に分析する。
それに伴い、各クラスの最新のクラスポイントも更新されていた。
【最新クラスポイント】
Aクラス:1544 cp
Bクラス:1530 cp
Cクラス: 886 cp
Dクラス: 691 cp
「うあー……やっぱりBクラスに負けたか……」
「くそーっ! 文化祭の準備で、いつもより勉強の時間が取れなかったのが痛かったな……」
渡辺や柴田をはじめ、クラスメイトたちが悔しそうに顔を歪める。
だが、その表情に悲壮感はなかった。
「次こそ勝とうぜ!!」
「うんっ! 三学期はもっと勉強会増やして、今度こそBクラスに学力で勝とう!」
前向きな言葉が次々と飛び交い、クラスの士気はむしろ高まっているようだった。
一年の最終特別試験を終えた時点では、私たちAクラスと坂柳のBクラスとの間には200ポイント以上の差があった。
しかし現在のポイントは、その差わずか14ポイントにまで迫られている。CクラスやDクラスも大幅にポイントを伸ばしてきており、二年生に入ってからの他クラスの猛烈な追い上げを感じざるを得ない状況だ。
(…… ここまで差が縮まった以上、これまで以上に気を引き締めていかなければならないな。だが、それは学年全体が着実に実力をつけてきている証拠でもある。互いに競い合い、切磋琢磨できる環境というのは、決して悪いものではない)
ゆえに、この状況を悲観する必要はない。むしろ、我々が一段階上の高みへと至るための好機と捉えるべきだろう。
「うんうん、みんな次に向けてやる気十分ね! それじゃあ、お待ちかねの修学旅行の説明に移る……前に、みんな自分のタブレットを開いてくれるかな?」
先生の指示に従い、生徒たちが一斉にタブレットを起動する。
指定されたアプリを開くと、そこには見慣れないアンケートフォームのような画面が表示された。
項目は『氏名』『性別』『番号』の三つ。
画面には現在の二年生全員の生徒一覧がズラリと並んでおり、『氏名』と『性別』の欄はすでに埋まっているが、『番号』の欄だけが空欄になっていた。
「今から、その表の番号の空欄のところに、みんなには数字を入力してもらいます! まず、自分の名前のところには『本人』って入力してね」
言われた通り、私は自分の名前の横の空欄に『本人』と入力する。
「それ以外の生徒のところには、自分以外の人数分の数字を『順位』として割り振ってね。今からつけてもらう番号の意味については……ズバリ、『自分から見た相手への評価』と捉えてくれていいわよ!」
星之宮先生の言葉に、教室が少しざわつく。
「評価……ですか? それは、学力とか運動能力とかの総合的な評価ってことですか?」
「ううん、単純に仲がいいからとか、頼りになるからとか、理由はなんでもいいわ。とにかく、自分の中で『プラスの評価』を下して順位付けをしてみてね。そして……この順位付けを、なんと『学年全員分』、クラスの垣根を越えて入力してもらいまーす!」
「ええっ!? 学年全員分!?」
「いやいや、他クラスの奴なんて話したこともない奴いっぱいいるぞ!?」
当然の疑問の声が上がる。すると星之宮先生は「あははっ」と笑いながら手を振った。
「そうよねぇ。話したことない生徒や、よく知らない生徒もいっぱいいるわよね。だから、そういう子は直感でパパッと入力しちゃっても構わないわよ〜。……ただし」
ここで星之宮先生は少しだけ声のトーンを落とし、意味深な笑みを浮かべた。
「このアンケートのリストは、後で『ある目的』のために使用するからね。深く考えずに入力して、後でどんな結果になっても……すべて自己責任ってことでよろしく!」
「えっ……」
「もちろん、ここで誰が誰にどの番号を割り振ったのかは、一切他の生徒に情報が漏れることはないわ。私たち担任教師でさえ、誰がどう評価したかは知ることができないシステムになってるから、安心して正直に入力してね! あと、入力中の私語は禁止! OAAを見るのも禁止ね!」
ただのアンケートではないと悟った生徒たちは、少し警戒した様子でタブレットに向かい始めた。
(……このタイミングでこんなアンケートを取るということは……間違いなく、修学旅行に関する何かなんだろうな)
私は静かに画面をスクロールさせながら、学校側の意図を推測する。
(この学校のことだ。ただ観光地を巡るだけの、普通の修学旅行であるはずがない。星之宮先生の『自己責任』という言葉……おそらく、この『生徒同士の相互評価』が、旅行中のグループ分けや、あるいは何らかの特別試験の布石になっているのだろう)
とはいえ、今の段階で深く考えても明確な答えは出ない。
私は思考を切り替え、Aクラスの仲間たち、そして他クラスの友人たちの顔を思い浮かべながら、淡々と順位を入力していった。
「うん! ちょっと早いけど、全員入力が終わったみたいね! お疲れ様!」
星之宮先生がタブレットを確認し、満面の笑みで頷いた。
「それじゃあ、いよいよみんなお待ちかね! 修学旅行についての説明を始めるよ〜!」
その言葉に、教室内の空気がふわりと軽くなる。
「行き先についてだけど、あの『満場一致特別試験』の結果から、三票を獲得した【北海道】に決まりました〜!」
「おおおおっ!!」
「マジか! 北海道、最高じゃん!」
星之宮先生の発表に、クラス中から歓喜の声が上がる。
私もオサレな笑みを浮かべつつ、内心で大いにワクワクしていた。
「あ、でもね。みんなも分かってると思うけど、この学校は一般的な普通の高校とは違うからね。旅行中とはいえ、絶対に守らないといけないルールも多いわよ」
星之宮先生がふと声を潜めると、浮き足立っていた教室にピリッとした緊張感が走る。
だが、次の瞬間には、彼女はパッと花が咲くような明るい笑顔に戻った。
「でも、安心してね! 今回の修学旅行では、クラスポイントを奪い合うような特別試験はないから! 学校が定めたルールさえしっかり守れば、普通に楽しい旅行になるわよ〜!」
その言葉に、生徒たちはホッと安堵の息を漏らした。
続いて、ホワイトボードのモニターに大まかなスケジュールが映し出される。
【修学旅行スケジュール】
1日目:学校を出発→羽田空港→新千歳空港→スキー場到着→旅館
2日目:終日自由行動
3日目:札幌市中心街にて観光スポット巡り→旅館
4日目:終日自由行動 ※条件あり
5日目:帰路
「うおっ、二日目も四日目も丸々自由行動じゃん!」
「めっちゃ自由時間多いな! どこ行くか計画立てなきゃ!」
スケジュールを見た生徒たちが、再び興奮気味にざわめき始める。
(四日目の『条件あり』という一文は気になるが……それを差し引いても、普通の高校生より余程自由な時間が確保されているんじゃないか?)
私が冷静に分析していると、星之宮先生が人差し指を立てて口を開いた。
「自由行動が許されてたっぷり遊べる反面、ちゃんと取り組んでもらわないといけない『課題』もあるわよ〜」
(……まあ、遊ばせてくれるだけの甘い学校じゃないよな。問題は、その課題が一体どんな性質のものか、だな)
「今回の修学旅行のテーマは、ズバリ! 『敵を知り己を知れば百戦危うからず』よ!」
「……孫子の兵法か」
前方の席で、神崎が静かに呟いた。
(敵を知る……ってことは、修学旅行中は他クラスとグループ行動を共にするってことか?)
私の推測を肯定するように、星之宮先生が説明を続ける。
「今回の修学旅行でのグループ行動は、クラス単位じゃなくて『学年全体』で行いまーす!」
(……さっきのリスト作成は、このグループ分けのための布石だったってわけか。他クラスに友達が少ないのも懸念だけど……何より、せっかくの修学旅行なんだから、ひよりと一緒に回りたかったのに……!)
ひよりと二人きりで北の大地を満喫するという私のささやかな野望が、早くも音を立てて崩れ去ろうとしていた。
「うちのクラスはコミュニケーション能力の高い子が多いから心配ないかもしれないけど、ひょっとすると、グループ全員が『初めまして』なんてメンバーになることもありうるわよ〜」
星之宮先生の言葉に、少しだけ不安そうな空気が流れる。だが、そこですぐさま一之瀬が立ち上がった。
「大丈夫ですよ、先生! せっかくの機会なんだし、他クラスのみんなとも絶対に仲良くなれると思います!」
「だよね! これも他クラスの子といっぱい遊べるいいチャンスだよね!」
一之瀬の明るい言葉に、網倉も元気よく同調する。二人の前向きな姿勢に、クラスの不安もすぐに和らいでいった。
「……だが、あまり深入りしすぎるのも考えものだ。情が移れば、今後の特別試験で戦いづらいと思う生徒も出てくるだろう。適度な線引きは必要だぞ」
浮き足立つ空気を引き締めるように、神崎が冷静な意見を述べる。
「うんうん、みんなそれぞれしっかり考えてるわね〜」
星之宮先生は楽しそうに頷き、グループの詳細について説明を再開した。
「グループ分けについては、各クラスからなるべく平等に、基本的に『八人のグループ』を作るようになります。一つのグループにつき、各クラスから男女一名ずつが振り分けられるのが基本だと思ってもらって大丈夫よ」
(となると……ここまで学年全体で退学した生徒は三人。全体人数から計算すれば、八人グループが十八個。そして、七人グループと六人グループが一つずつ出来上がるってことか)
私が脳内で素早く計算を終えると、モニターの画面が切り替わった。
「そして、そのグループでの行動が必要な状況については、北海道に着き次第適用されるよ〜」
【グループ活動が必要な状況】
・現地で学校側が指定する場合
・自由行動時
【グループ活動が不要な状況】
・宿泊先施設内
その後も説明は続いた。
グループ活動のルールは徹底されており、もし守られなかった場合はペナルティとして『自由行動の剥奪』といった厳しい措置が取られること。
そして、修学旅行限定の特例として、事前に手持ちのプライベートポイントを現金に換えることができること。旅行後に余った現金は、再びプライベートポイントに戻せることなどが事細かに説明された。
一通りの説明が終わり、教室は修学旅行への期待で完全に熱を帯びていた。
だが、私は一人静かに絶望の淵に沈んでいた。
(……修学旅行自体は楽しみだけど、各クラスから男女一名ずつの割り振りとなると、ひよりと同じグループになれる確率は限りなく低いぞ……)
私は手元の端末に表示されたプライベートポイントの残高をじっと見つめる。
(……手持ちのプライベートポイントで『任意の生徒と同じグループになる権利』が買えないか、あとで放課後にでも星之宮先生に聞きに行ってみるか)
私は、何としても愛しの彼女と同じグループをもぎ取ってやると心に誓い、さっそく交渉に向けて行動を起こすことにした。
その日の放課後。
私はひよりを伴って、職員室にいる星之宮のデスクを訪れていた。
「――人は与えられた場所に立つものではない。望む場所を選び、そこへ至るものだ。……そのための対価を問おう」
「『プライベートポイントをお支払いすれば、修学旅行で希望する相手と同じグループにしていただくことは可能でしょうか』と仰っています」
「うーん、藍染くんと椎名さんが一緒のグループになりたい気持ちはよーく分かるわ」
星之宮は困ったように笑うと、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「私としても、仲のいい子同士で組ませてあげたいし、その辺は考慮してあげたいんだけど……残念だけど、今回ばかりはそう簡単にはいかないのよ。基本的にクラスから男女一名ずつっていう枠組みさえ守っていれば、確かに『他クラスとの交流』っていう目的からは外れないわ。でも、それを安易に許してしまうと、みんなが『自分の仲のいい生徒と同じグループになりたい』って言い出して、収拾がつかなくなっちゃうからね」
「――なるほど。絶対の理ではないにせよ、我々の介入を拒むに足る対価を設定しているということか」
「うん、そういうこと。もし本気でグループを操作しようと思ったら……学校のルールとして、かなりの額のプライベートポイントが必要になるわ」
(……個人のプライベートポイントとはいえ、いざという時のためのクラスの資産でもある。俺の我儘で、多額のプライベートポイントを使うわけにはいかないか)
私が内心で静かに諦め、少しだけ口を引き結んでいると、隣のひよりも同じ考えだったのか、静かに頷いていた。
「――理解した。ならば、我欲のために理を捻じ曲げるような無粋な真似は控えよう」
「はい。ご丁寧な説明、ありがとうございました」
私のオサレな幕引きに合わせ、ひよりが代わりに深く頭を下げる。
「ううん、こっちこそごめんね! でもほら、リスト作りの表もあったし、絶対に同じグループになれないって決まったわけじゃないからね!」
星之宮に明るく見送られながら、私たちは職員室を後にした。
帰り道の寮と続く並木道。
冷たい風が吹く中、私は少し落ち込んだ気分のまま歩いていた。
(もし別の班になってしまったら、せっかくの自由行動も別々になってしまうな……)
私が無意識のうちにため息をつきそうになった、その時だった。
「惣右介くん」
隣を歩いていたひよりが、ふわりと微笑みながら私の袖を引いた。
「もしグループが違ってしまっても、旅館では一緒にいられますし……それに」
ひよりは少しだけ頬を赤く染め、上目遣いで私を見つめた。
「卒業したら……今度は、二人だけで北海道に行きましょうねっ」
その健気な優しさと、少し照れたような笑顔があまりにも可愛らしく、私の心臓は危うく胸を突き破って飛び出しそうになっていた。
冷たい冬の風も、グループ分けの不安も、彼女の一言ですべてがどうでもよくなるくらいに吹き飛んでいく。
「――ああ。必ず連れて行くと約束しよう」
私は頷き、愛しい彼女の手をそっと握りしめた。
今はただ、彼女と共に過ごす北の大地での時間が待ち遠しくて仕方がなかった。