いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百五十四話

 修学旅行から帰ってきた翌日の土曜日。

 

 私は自室のソファに深く腰を下ろし、手元の端末に表示された生徒会役員のグループチャットを眺めていた。

 

 南雲や鬼龍院といった上級生たち、そして要をはじめとする下級生たちに北海道のお土産を渡すため、一之瀬の提案で今夜、いつもの焼肉屋に新旧生徒会メンバーで集まることになっていた。

 

(……本当は、月城から聞いた重要な情報を早急に清隆と共有したかったんだがな)

 

 私が連絡を入れると、清隆からは『すまない。今日は恵、愛里、麻耶の三人とデートの約束が入っている。明日の日曜日なら空いているが』という、堂々たる返信が返ってきた。

 

(三人を侍らせてのデートって……。いくらなんでも剛の者すぎるだろ)

 

 私は思わず端末の画面にツッコミを入れそうになった。

 

(……清隆が本当に政治家になって『一夫多妻制』の法案を通そうとしたら、週刊誌あたりに『むっつり大臣』とか『ハーレム大臣』とか書かれそうだな……)

 

 幼馴染の破天荒すぎる未来のビジョンに、私は内心で盛大にため息をついた。

 

 清隆の件はひとまず明日に回すとして、今日一日、私は夜の予定までフリーだった。

 

(ひよりと一緒にゆっくり過ごしたかったところだが、今日は仕方ないな)

 

 ひよりは午前中に茶道部の人たちへお土産を渡しに行った後、一之瀬と会う約束をしている。

 

(一之瀬なら、これまでにも告白された経験はあるだろう。だが、柴田のように真っ直ぐで嘘偽りのない想いをぶつけられたことは、彼女にとっても心揺さぶられる大きな出来事だったはずだ。だからこそ、親友であるひよりに話を聞いてもらいたかったのだろう)

 

 昨夜のラウンジでの柴田の背中を思い返し、私は静かに目を細めた。

 

(……一之瀬も柴田も、本当に強く優しい人間だ。いつかそれぞれ、最高の恋愛をしてほしいものだな)

 

 私は温かい紅茶を口に含みながら友人たちの未来に思いを馳せ、夜の待ち合わせ時間まで静かに読書をして過ごした。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 すっかり日が落ち、冷え込みが厳しくなってきた頃。 

 

 私は待ち合わせ場所である寮のロビーへと足を運んだ。南雲たちは直接店へ向かうらしく、ここでは二年生の役員である一之瀬、堀北と合流して向かう手はずになっていた。

 

 ロビーのソファで待っていると、自動ドアが開き、コートに身を包んだ堀北が姿を現した。

 

 彼女は私に気がつくと、小さく息を吐いて歩み寄ってくる。

 

「あら。早いわね」

 

「――君の足取りも、雪を溶かすほどに軽やかなようで何よりだ」

 

(訳:俺も今来たところだよ。今日も寒いね)

 

「……相変わらずね。修学旅行の疲れも見えないようで安心したわ」

 

 堀北が微かに呆れたように肩をすくめた直後、背後からパタパタと小走りで駆け寄ってくる足音が聞こえた。

 

「二人とも、お待たせ! ごめんね、待たせちゃって!」

 

 一之瀬が息を弾ませながら、明るい笑顔で合流した。

 

(……うん。とてもスッキリした、いい表情だ)

 

 一之瀬の瞳には迷いの色は一切なく、青空のように澄み切っていた。

 

(さすがはひよりだ。一之瀬が柴田の想いにどう向き合い、どんな答えを出したのか……ひよりがしっかりと心を受け止め、寄り添ったのだろう)

 

 私は恋人の持つ優しさと包容力に内心で全幅の信頼を寄せつつ、立ち上がった。

 

 こうして合流した私たちは、吐く息を白く染めながら、目的の焼肉屋へと向かって並木道を歩き始めた。

 

「堀北さんと藍染くんは、修学旅行はどうだった? 楽しめたかな?」

 

 一之瀬が横を歩きながら、楽しそうに問いかけてくる。

 

「――ああ。白銀の箱庭で過ごした時間は、決して色褪せることのない記憶となったよ」

 

(訳:うん。とても楽しめたよ!)

 

「ええ。私もスキーはそれなりに楽しめたし、何より北海道の名物はとても美味しかったわ。特に市場で食べた海鮮丼は絶品だったわね」

 

 しかし、堀北はそこでふと足を止め、深く、ひどく疲労したようなため息をつきながら私へと顔を向けた。

 

「……ただ。あの修学旅行で同じグループになった男子たち、一体どうなっているのかしら?」

 

 不穏な問いかけに、私は小さく首を傾げる。

 

「池くんは相変わらずだし、時任くんもよく分からない古風な話し方をするし……そこまではまだいいわ。問題は、彼らを窘めるべき立場の神崎くんと葛城くんよ」

 

 堀北は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

 

「神崎くんは日に日におかしくなっていたわ。『深淵』だの『魂の刃』だの、意味不明な言葉を呟いては一人で虚空を見つめているし……。そして、頼みの綱だったはずの葛城くんに至っては、急に外国語を話し始めたりして、本当に大変だったわ」

 

 そう言って、堀北は「完全にあなたのせいよね?」と言わんばかりの、刺すような鋭い視線で私を睨みつけてきた。

 

(俺のせいじゃないって!? 神崎はともかく葛城まで何してるんだ!? 頼むから「ゆるるるるるるるるるんっ」とか言い出さないでくれよ!?)

 

 私は内心で必死に無実を主張しつつも、表面上は一切の動揺を見せず、フッと優雅な笑みを浮かべてみせた。 

 

「――他者の魂の形を、外野が測ることなどできない。彼らもまた、己の裡にある深淵と向き合い、新たな扉を開いただけのことさ」

 

(訳:神崎も葛城も彼らなりに修学旅行を楽しめたみたいで何よりだね!)

 

 私が現実逃避気味に誤魔化すと、隣にいた一之瀬が「あはは……」とひきつった笑いをこぼした。

 

「ごめんね、堀北さん。……神崎くんには、月曜日に私からよーく言い聞かせておくからね」

 

 一之瀬はニコッと満面の笑みを浮かべた。

 

 だが、その背後には『ゴゴゴゴ……!』と幻聴が聞こえてきそうなほどの、すさまじい黒い圧が渦巻いていた。修学旅行で自分の手綱から離れ、オサレ暴走を引き起こした腹心に対する、クラスリーダーとしての静かなる怒り。

 

(神崎ィィィ! 月曜までに絶対に治しておけよ!? 今の一之瀬、めちゃくちゃ怖いぞ!?)

 

 私は、来る月曜日に神崎に降りかかるであろう鉄槌を想像し、完璧なポーカーフェイスの裏で彼への黙祷を捧げながら、焼肉屋へと続く夜道を歩き続けた。

 

◇ ◇ ◇

 

 予約していた焼肉店の奥の座敷。

 

 長机を二つ繋げた大きな席には、すでに生徒会の面々が揃っていた。

 

 三年生の南雲、鬼龍院、桐山、溝脇、殿河。二年生の私、一之瀬、堀北。そして一年生の要、七瀬、天沢の三人。

 

 それぞれが持ち寄った北海道のお土産を渡し合い、総勢十一名での賑やかな食事会が幕を開けた。

 

 和やかな空気が流れる中――私と要は無言でトングを握り締め、目の前の網の上で焼き上がる肉と真剣に対峙していた。

 

(肉の厚み、脂の乗り、炭火の火力……。いかに極上の状態で肉を皿へ届けるか。これは、俺のプライドを懸けた戦いでもある)

 

 私が鋭い眼光で肉の表面に滲む肉汁を見極めていると、要もまた、一切の感情を排した冷徹な目で、網の上の牛タンの裏返し時を完璧に計算していた。

 

 私と要による『ダブル焼肉奉行』のフォーメーション。これはかつての食事会で確立された、一種の芸術的な儀式でもあった。要の私に対する狂信的な忠誠心は、肉を焼くという行為においても一切の妥協を許さない。

 

「――今だ。食すがいい」

 

「こちらのハラミも、今が最も美しい瞬間です。どうぞ」

 

 私と要が、寸分の狂いもない絶妙なタイミングで、焼き上がった極上の肉を周囲の皿へと配給していく。

 

「お前ら、相変わらずだな」

 

 南雲が呆れたように苦笑しながらも、差し出された肉を口に運んで満足そうに頷いた。

 

「ふふっ、これほどの美味を労力ゼロで味わえるのだ。私は彼らの職人技に敬意を表して、食べることに専念させてもらおう」

 

 唯我独尊の鬼龍院は、周囲のペースなど意に介さず、優雅に箸を進めながら楽しそうに笑っている。 

 

「美味しいですっ! 藍染先輩、藤泉くん、ありがとうございます!」

 

 七瀬がパァッと顔を輝かせて肉を頬張る。

 

「うんっ、すごく美味しいね! 二人とも、自分の分もちゃんと食べてね?」

 

「ええ、完璧な焼き加減だわ。文句のつけようがないわね」 

 

 一之瀬と堀北も感嘆の声を漏らしながら、次々と皿を空にしていった。

 

(よし。皆が満足しているようで何よりだ。要、今日も良い仕事だぞ)

 

 私は内心で後輩の確かな手腕を称賛しつつ、オサレなポーカーフェイスを崩さずに静かにウーロン茶を飲んだ。

 

「あたしはずっと食べる専門でいくねー!」

 

 天沢が小悪魔的に笑いながら、周囲の目を盗んで高級な部位ばかりを次々と自分の皿に確保していく。

 

「おい天沢。上級生の分も少しは残しておけ」

 

 桐山がため息をつきながら窘めるが、天沢は「えー、早い者勝ちでしょ?」と全く意に介していない。

 

 学年の壁も越えた生徒会メンバーでの食事会は、終始和やかな笑い声に包まれながら進んでいった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 二時間後。店を出て、それぞれの寮へ向かって解散する流れとなった帰り際。

 

 私は、一人で歩き出そうとしていた小悪魔的な後輩へと視線を向けた。

 

「――天沢。少し、この場に留まるがいい」

 

(訳:天沢、少し話があるから残ってくれないか?)

 

「あれぇ〜? どうしたんですかぁ、藍染せぇんぱい? もしかして、私に夜の秘密の告白ですかぁ? 椎名せんぱいに言いつけちゃおっかな〜?」

 

 天沢は立ち止まり、両手を後ろで組みながら、からかうようにニヤニヤと笑い私の顔を下から覗き込んでくる。

 

 私は彼女の揶揄いを意に介さず、周囲のメンバーが完全に去ったことを確認してから、冷徹に言葉を紡いだ。

 

「――私たちの旅路に、月城が現れた。……彼からの言葉を、君にも伝えておこう」

 

「…………月城が?」

 

 その名を聞いた瞬間、天沢の顔から小悪魔的な笑みがスッと消え失せ、真剣な表情へと変わった。

 

「――家庭裁判所での審判が結審したそうだ。八神拓也は第一種少年院へ送致され、三年間の矯正教育を受けることになった」

 

「…………三年、か」

 

 天沢は短く呟き、伏し目がちに冷たい夜の空気へと白い息を吐き出した。

 

 その横顔には、同郷の仲間の犯した罪と、彼が背負う罰に対する複雑な感情が滲んでいた。

 

「――三年。その歳月は彼の心にある氷を溶かすには十分だろう。……その頃には、私も君もこの箱庭を卒業し、次の舞台へと進んでいるはずだ」

 

 私は夜空を見上げ、オサレな声色で静かに語りかける。

 

「――かつて船上で交わした約束を、忘れてはいないね。……彼が己の罪と向き合い、真っ当な光の中を歩みたいと望むのなら、約束通り私は彼に手を差し伸べよう」

 

(訳:彼が出院する頃には、俺たちも卒業している。以前約束した通り、八神が罪を償い、真っ当に生き直したいと望むなら、俺はいつでも支援するつもりだよ)

 

 私の言葉を聞き、天沢は弾かれたように顔を上げた。

 その瞳にわずかな驚きと、隠しきれない安堵の色を揺らしながら。

 

「――あの時、君は自らが彼の『止まり木』となると誓った。……その決意が本物であるならば、揺らぐことなく、彼の帰るべき居場所の礎となってやってくれ」

 

(訳:君もあの時の決意を忘れず、八神がちゃんと帰ってこれる居場所を作ってあげなよ)

 

「…………うん」

 

 天沢は小さく、けれど力強く頷き、ギュッと自分のコートの裾を握りしめた。

 

「そうだね。拓也がちゃんと前を向いて帰って来れるように……私が、居場所を作ってあげなきゃね」

 

 彼女は顔を上げると、憑き物が落ちたような、どこかスッキリとした優しく穏やかな笑みを浮かべた。 

 

「……教えてくれて、ありがとうございました。藍染せんぱい」

 

「――気にするな。夜道は冷える、早く帰ることだ。……また月曜日に、生徒会室で会おう」

 

 私は彼女の頭を軽くポンと叩き、背中を向けて歩き出した。

 

「はぁ〜い! おやすみなさい、せんぱいっ!」

 

 いつもの飄々とした、けれど確かな明るさを取り戻した天沢の声に背中で応えながら、私は夜の冷気が心地よいケヤキモールの通りを後にした。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日、日曜日。

 

 私の自室のソファには、ひよりが隣に座り、向かいの席には清隆と、坂柳が腰を下ろしていた。

 

 坂柳はホワイトルームの事情を知る数少ない人間の一人であり、理事長の娘でもある彼女には、これからの動きを共有しておくべきだと判断し、この場に同席してもらったのだ。

 

 ひよりが淹れてくれた温かいダージリンティーの香りが、静かな部屋に漂っている。

 

 私は紅茶を一口飲み、向かいの二人を静かに見据えた。

 

「――直江という障害が消えたことで、あの男の野望も、いよいよその輪郭を露わにしたようだ。君と私を己の駒として利用し、その二つを足掛かりに、俗世の頂へ至ろうとしている」

 

「『直江元幹事長が亡くなられたことで、綾小路くんのお父様は、綾小路くんと惣右介くんの二人を自身の駒として利用し、政治のトップに立つつもりだ』と仰っています」

 

 私のオサレポエムを、ひよりが的確に翻訳して二人に伝える。

 

「――さらに、近々、この箱庭の礎を築きし男……俗世の頂に立つ者が視察に訪れる。私はその機を逃さず、国家という巨大な駒を我が手札へと引き入れるつもりだ」

 

「『近々、この学校の設立者である鬼島総理が視察にいらっしゃるそうです。その機に総理と接触して、綾小路くんのお父様と戦うための味方に引き込みたい』と仰っています」

 

 ひよりの完璧な通訳を通して状況を把握した清隆は、無表情のまま小さく息を吐いた。

 

「あの男が考えそうなことだな。全ての人間は道具でしかない。オレたちはそう、ホワイトルームで育てられてきた」

 

 清隆はティーカップを見つめ、静かな、しかし確かな熱を帯びた声で続けた。

 

「……だが、人間は道具などではない。一人一人が心を持ち、笑い、泣き、そして共に歩むことができる。オレは、この学校でそれを学んだ」

 

 その言葉には、かつての冷酷な最高傑作にはなかった、確かな『人間性』が宿っていた。

 

「ふふっ。綾小路くんも、本当に変わりましたね」

 

 坂柳が嬉しそうに微笑み、私の方へと向き直った。

 

「鬼島総理との接触については、私も賛成いたします。私の父もホワイトルームの出資者の一人ではありましたが、その事実を後悔しているようですからね。お父様に事情を話せば、総理との極秘の接触の機会をセッティングすることは十分に可能だと思います」

 

「――ああ。頼りにしているよ、坂柳」

 

 私は静かに頷き、再び清隆へと鋭い視線を向けた。

 

「――清隆。来たる三者面談において、男は君の口から私の『綻び』を引き出し、それを鎖として私を絡め取る腹積もりらしい。男は、弱点を持たぬ者に恐怖すら覚える臆病者だからね」

 

「『三者面談で、綾小路くんから惣右介くんの弱点を聞き出して、脅しの材料にするつもりみたいです』と言っています」

 

「……確かに、あの男ならそうするだろう。オレからお前の弱みを聞き出し、そこを突いてお前を利用する。最も効率的に他者を支配する方法だ」

 

「――君が私を裏切るとは露ほども思っていないが、君自身も、付け入る隙を見せぬよう万全を期すことだ。今の君には、守るべきものが多くあるはずだからね」

 

「『綾小路くんが裏切るなんて全く思っていませんが、綾小路くん自身も、お父様に隙を見せないように気をつけてくださいね。今の綾小路くんには、守りたい大切な人たちがたくさんいるはずですから』とのことです」

 

 ひよりが翻訳を続けると、清隆は「ああ」と短く同意した。 

 

「あの男も、今のオレの『変化』を知れば驚くだろうが、あの程度の男に悟られることはない」

 

 清隆の言葉を受け、今度は坂柳が静かに口を開いた。

 

「ですが、油断は禁物ですよ。月城が去り、八神くんたちが排除されたとはいえ、ホワイトルームの手先がまだ潜んでいる可能性は否定できません」

 

 その言葉に、清隆が小さく頷いた。私もまた静かに頷き、坂柳の忠告を受け止める。

 

「――心得ている。盤上の淀みは、常に光の当たらない死角から生じるものだからね」

 

 その後も、警戒すべき点と将来の戦い方を共有し、張り詰めていた空気が少し和らいだ。これで会議も終わりかと思った、その時だった。

 

「……そういえば、綾小路くん」

 

 坂柳が、思い出したようにクスリと笑って清隆を見た。

 

「軽井沢さんと交際しているはずなのに、昨日は随分と賑やかなご様子だったそうですね。……差し支えなければ、その事情をお聞かせ願えますか?」

 

「ああ。愛里と麻耶もオレの彼女だ」

 

「…………はい?」

 

 坂柳の笑みが、ピシッと固まった。

 

「オレも、将来は惣右介と共に政治の道を志すことに決めたんだ。日本に一夫多妻制の法案を通し、オレを慕ってくれる全ての女性を、等しく幸せにするつもりだ」

 

 清隆は、一点の曇りもない、まるで少年のようなキラキラとした瞳で、とんでもない夢を語った。

 

「…………」

 

 坂柳は数秒間絶句した後、ゆっくりと首を巡らせ、私の方を、親の仇を見るような氷の視線で睨みつけてきた。

 

「……藍染くん? これは、一体どういうことですか? 綾小路くんが人の温もりを知ったことは喜ばしいことですが……いくらなんでも、弾けすぎてはいませんか?」

 

 強烈な殺意が、その視線からひしひしと伝わってくる。

 

(いや、俺じゃないって!? なんでこういう時、みんな真っ先に俺を疑うの!? これに関しては完全に外村のせいであって、俺は無実だぞ!!)

 

 私が内心で血の涙を流して冤罪を訴えていると、隣に座っていたひよりも、少しだけ驚いたような目で清隆を見つめていた。

 

「綾小路くん……いくらなんでも、それは不誠実だと思います」

 

「そうか? これが最も合理的な『全員が幸せになる道』だと思うのだが」

 

「見たこともないくらい純粋に目を輝かせていますが……完全に倫理観が欠落していますね」

 

 坂柳が深くため息をつく。

 

 すると、ひよりがふと不安げな表情になり、私の袖をキュッと掴んできた。

 

「……惣右介くん……」

 

「――!」

 

 無言の内に見上げてくる恋人の健気で可愛らしい様子に、私の心臓が大きく跳ねた。

 

 私はひよりの手を優しく握り返し、愛の言葉をオサレに紡いだ。

 

「――私が君だけを愛しているという事実は、たとえ世界の理が書き換えられようとも決して変えられぬ真実だ」

 

(訳:安心して! 仮にそんな法案が通ったとしても、俺は絶対にひよりだけを愛してるから!)

 

「っ……そ、惣右介くん……っ」

 

 ひよりは顔を真っ赤に染め上げ、幸せそうに私の胸へと顔を埋めた。

 

「…………よく、私たちが目の前にいる状況で、そんな恥ずかしいセリフを息をするように吐けますね……」

 

 坂柳が、心底呆れたような目を向けてくる。

 

 だが、その隣にいた清隆は、真面目な顔で小さく頷いていた。

 

「なるほど……惣右介の椎名に対する言葉は参考になるな。オレも……」

 

「綾小路くん。それは絶対に参考にしてはいけません。貴方が突然そんな言葉を口にしたら――」

 

 坂柳がすかさずピシャリと諫めようとした、その瞬間だった。

 

 清隆がスッと手を伸ばし、坂柳の華奢な顎をクイッと持ち上げたのだ。

 

「――え?」

 

 予想外すぎる行動に目を丸くする坂柳に対し、清隆はいつもの無表情のまま、淡々と、しかし謎のオサレな圧を込めて言葉を紡いだ。

 

「――オレの盤上で、他の駒に目を向けることなどない。オレがこの手で最後まで守り抜くのは、有栖……お前だけだ」

 

「はぅ……っ!?」

 

 あの常に余裕たっぷりで不敵な笑みを崩さない坂柳が、ポンッと音を立てるほどの勢いで顔を真っ赤に染め上げ、信じられないほど可愛らしい乙女の声を漏らした。

 

 彼女は完全にフリーズし、パチパチと激しく瞬きを繰り返している。

 

(清隆ァァァァッ!? お前、何しれっと息をするように高度な顎クイとオサレポエムの合わせ技をキメてんだ!? っていうか、坂柳も何コロっといってんだよ!? 外村の謎知識と俺のポエムが最悪の化学反応を起こして、とんでもない女たらしサイボーグが爆誕しちゃってるじゃないか!?)

 

 迫り来る巨悪の影などどこ吹く風。

 

 三学期に待ち受ける死闘を前にして、私たちの密談は、かつてないほどカオスで賑やかな空気のまま幕を閉じるのだった。

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