いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
修学旅行明けの月曜日。
私はいつものようにひよりと共に登校し、Aクラスの教室へと足を踏み入れた。
「おはよう、藍染くん! 椎名さんも!」
「――ああ、おはよう。この新たな幕開けに、君たちの健やかな顔を見られて何よりだ」
(訳:おはよう! 今日からまたよろしくね!)
クラスメイトたちにオサレな挨拶を交わした後、私は自分の席につき、ひよりからお勧めされた小説のページを静かに捲っていた。
教室は修学旅行の余韻に包まれ、あちこちでお土産の交換や土産話に花が咲いている。
そんな和やかな空気が流れる中――教室の前方扉が開き、神崎が登校してきた。
「――光と影が交差するこの場所で、再び相まみえたか。週末の深淵は……深く、そして罪深かった」
神崎は鞄を肩にかけたまま、虚空を見つめて流れるように謎のオサレポエムを紡ぎ出した。
その堂々たる発声に、クラスの空気が一瞬だけピタリと止まる。
だが、すかさず小橋や白波がくすくすと笑い声を上げた。
「あははっ! 神崎くん、また藍染くんみたいになってるよー!」
「修学旅行中もずっとそんな感じだったって、他のクラスの子から聞いたよー?」
女子たちの楽しげな笑い声に、神崎は「フッ……」と目を伏せて鼻で笑う。完全に自分の中のオサレな世界に入り込んでいるようだ。
(神崎ィィ!! 今すぐ普通に喋れ!? 間にあわなくなってもしらんぞーーーー!!!)
私が本のページに視線を落としたまま内心で激しく警鐘を鳴らしていると、教室の奥から、一人の少女が無言で歩み寄ってきた。
一之瀬だ。
彼女は神崎の真正面に立つと、普段の太陽のような明るさを一切消し去った、氷のように冷たい声で短く告げた。
「神崎くん。正座」
「――一之瀬か。君の瞳に宿るその揺るぎなき光は……」
「正座」
有無を言わさぬ一之瀬の漆黒のオーラに完全に押し負け、神崎はオサレなポーズを崩し、教室の床に綺麗な姿勢で正座した。
「……修学旅行の前に、私、言ったよね?」
一之瀬は、にっこりと微笑んだ。
だが、その瞳には一切の光がなく、漆黒の深淵そのものだった。
「神崎くんには、変な言葉は喋らずに、他クラスのみんなに迷惑かけないようにねって。……言ったよね?」
「…………っ」
「それなのに。Dクラスの堀北さんから、神崎くんがずっと意味不明な言葉を呟いていて本当に大変だったって、直々にクレームが入ったんだけど。……どういうことなのかな?」
漆黒の圧を放つ一之瀬の公開説教が始まった。
普段が底抜けに優しく怒らない分、一度振り切れた彼女の静かなる怒気は、クラス全体を震え上がらせるほどの凄まじい威圧感を持っていた。
(い、一之瀬、めちゃくちゃ怖い……っ!!)
私は手元の小説で顔を半分隠しながら、内心で激しく震え上がり、哀れな腹心へと密かに合掌した。
しかし、床に正座させられている神崎は、額に冷や汗を浮かべながらも、必死に弁明を試みた。
「ち、違うんだ一之瀬……! これはその……グループの男子部屋で藍染の話題になってだな、彼の高みについて語り合っているうちに、気づけば深淵なる思考回路に支配されて……っ」
(神崎ィィィィィ!? なんでそこで俺の名前を出すんだよ!?)
私は心の中で絶叫した。
ギギギ……と、錆びたブリキのおもちゃのような音を立てて、一之瀬の首がゆっくりとこちらを向く。
「……藍染くん?」
「――!」
目が、全く笑っていない。
背筋にゾクッと悪寒が走る。
(待ってくれ一之瀬ぇぇぇ!? 俺の話題が出ただけで、俺自身はマジで何もしてないって!? 完全に冤罪だ!!)
私は内心で血の涙を流して無実を訴えたが、そんな必死の叫びが外面に表れるはずもない。
私は本をパタンと閉じ、フッと、いっそ清々しいほどの優雅な笑みを浮かべてみせた。
「――私が意図せずとも、彼らが勝手に私を見上げ、惹きつけられてしまったのなら……それは天に立つ者の背負うべき『業』というものだろう」
(訳:本当に俺は何もしてないんだよ! 彼らが勝手に盛り上がってただけだから、俺を怒らないでね!?)
「…………」
一之瀬は私のオサレな言い訳を無言でジッと見つめた後、再び視線を床の神崎へと戻した。
「藍染くんの話をしていて、って……具体的に何を話してたの?」
「そ、それは……」
神崎は気まずそうに目を泳がせた後、観念したように当時の状況を語り始めた。
「クラスは違うが、俺や葛城は、それぞれのリーダーを支える立場にある。だから、夜通しその心構えについて熱く討論していたんだ」
神崎の脳内に、修学旅行の最後の夜の光景が蘇る。
『俺も
厨二病を限界までこじらせたまま真剣に相談を持ちかける池。
『二年という節目を迎え、我らも着実に王座への階段を昇ってはいる……。だが、藍染様という絶対者が君臨するAクラスの頂は、あまりにも遥か高みにある……! このままでは、我らがいずれ『虚無の淵』へと呑み込まれ、永遠の絶望に囚われてしまうのではないかと……俺の魂が警鐘を鳴らしているのだ……!』
池が頭を抱えて重く痛々しい弱音を吐き出すと、葛城が腕を組んで重々しく口を開いた。
『うむ。確かにAクラスへの道が険しいのは事実だが、虚無の淵に呑まれるなどと絶望的というのは過言だな。なぜなら――神の使いは絶望しない』
それに続くように、時任が静かに目を閉じ、名門貴族の当主のような冷徹な声で紡ぐ。
『――フッ。王が誇りを失うというのなら、私が自らその歩みを阻み、正道へと引き戻す。それが、私の背負うべき掟だ』
それらの言葉を受け、神崎もまた、己のリーダーへの想いを熱く語り出した。
『――ああ。一之瀬を支えるためにも、俺も藍染のように強大な力を持たねばならない。俺が、一之瀬にとっての
「――という風に、それぞれリーダーへの忠義を夜通し語り合っているうちに、つい藍染の深淵の力に引っ張られて……」
(なんだその地獄の深夜テンション!? 厨二病に、貴族に神の使い、おまけに
私は限界を突破したツッコミを内心で盛大に炸裂させた。
「…………は?………………とにかく!」
一之瀬は目を大きく見開き、理解不能な単語の羅列を前に一瞬だけ言葉を失った。
しかし、すぐさま我に返ると、再び神崎へと雷を落とし始めた。
「堀北さんや他の女子たちが困ってたのは事実でしょ? そんな周りが見えない状態で、どうやってクラスを引っ張っていくの? 神崎くんはAクラスの副リーダーなんだよ? もっと自覚を持って……」
その後も、一之瀬による静かで恐ろしい説教は延々と続いた。
クラスメイトたちも、最初は笑っていたものの、普段の優しい一之瀬からは想像もできないほどの圧力を前に、次第に息を潜めて静まり返っていった。
教室中が凍りつくようなその地獄の公開説教がさらにヒートアップし、ついに頂点に達しようとしていた、その時だった。
『キーンコーンカーンコーン――』
ホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴り響き、教室の前方扉がガラリと開いた。
「はーい! みんなおはよ〜! ……あれ? なんだかお通夜みたいに静かだけど、どうかしたの〜?」
担任の星之宮先生が、いつも通りの軽いノリで顔を出した。
彼女は、教室の真ん中で真っ青な顔をして正座している神崎と、その前で仁王立ちしている一之瀬という異様な光景に目を瞬かせている。
「なんでもありませんよ! おはようございます、星之宮先生!」
一之瀬は一瞬でいつもの満面の笑顔に戻り、元気よく挨拶をした。
その見事な切り替えに若干引きつつも、クラスメイトたちも「お、おはようございます!」と慌てて挨拶を返す。
「えっ、あ、うん。おはよう……? 神崎くん、なんだかすごく元気が無さそうだけど、大丈夫?」
「…………はい。己の至らぬ行いを、深く反省しております」
「? そ、そう? まあ、反省してるならいいんだけど……」
オサレ成分が完全に抜け落ち、虚無の瞳で素直に答える神崎に、星之宮先生は不思議そうに首を傾げたが、すぐにパンッと手を叩いて空気を変えた。
「さてさて、修学旅行から帰ってきたばかりで悪いんだけど……冬休みに入る前に、二学期最後の特別試験が決まりましたー!」
その言葉に、クラス中がにわかにざわめいた。
「また特別試験……。でも、もうすぐ冬休みだし、ここで負けるわけにはいかない」
「ああ。Bクラスとの差はほんの僅かだ。ここで絶対に負けられない……!」
先日の期末テストの結果、現在我々Aクラスと、二位のBクラスとの差はわずかに『14クラスポイント』にまで縮まっている。
まさに、首位の座を懸けた天王山とも言える試験になるはずだ。
「みんな気合十分みたいね! それじゃあ、さっそくルールを説明していくよ!」
星之宮先生は教卓のモニターを操作し、ホワイトボードに今回の特別試験のルールを映し出した。
【二学期末特別試験ルール・概要】
・クラス全員で全100問のテストを解く。
・二学期期末テストの結果に基づき、1位のクラスと2位のクラス、3位のクラスと4位のクラスが点数を競う。
・勝敗による報酬:負けたクラスから勝ったクラスへ『50クラスポイント』が移動する。
・試験前日までに提出する『順番シート』に基づき、一人ずつ生徒が別室に入室して問題を解いていく。
・一人の生徒に与えられる持ち時間は、入退室含めて『最大10分間』。その間に『最大5問、最低2問』を解かなければならない(どの問題を解くかは自己判断)。
・制限時間を過ぎた場合、その生徒は失格となり点数は得られない。
・欠席生徒が出た場合、一人につき試験開始前にランダムで2問が解答不可となる。
・全ての問題は難易度に関係なく、解いた者の『十二月時点のOAA学力評価』によって以下の点数が与えられる。
【学力A:1点】【学力B:2点】【学力C:3点】【学力D:4点】【学力E:5点】
・試験に挑戦している生徒以外は別室で待機し、次の順番を待つ生徒のみが入口の前に待機する。
・待機中の教室や交代の際の会話は禁止。教室も教師監視のもと、道具も持ち込めず携帯も使用できない。
・各生徒が解いた問題は、正否に関係なく別の生徒が訂正することはできない。問題の解答に関するヒントや答えを書き残す、あるいは口頭で伝えるなどの行為は違反とする。
・違反行為が判明した場合は、強制的に試験を打ち切り0点とする。
・全体の残り時間に応じて『特別ボーナス』が加点される。
残り1時間以上:+10点 / 残り30分以上:+5点 / 残り10分以上:+2点
・特別試験日:12月22日
・結果発表日:12月23日
(なるほど。つまり、クラス全員によるリレー形式の100問テストか)
退学者が出るような試験ではないことに、私自身も、そしてクラスメイトたちも密かに安堵の息を漏らしていた。
(対戦相手は、期末テスト一位のBクラスとの直接対決になる。一人が最大5問まで解答できるルールである以上、100問という枠に対してクラスの人数差による有利不利はさほど生じないな。そして、AクラスもBクラスも、現状OAAの学力評価でD以下の生徒は一人もいない)
つまり、どれほど高難易度の問題を解いたとしても、一問あたりの最高得点は『学力Cの生徒が正解した際の3点』となる。
(OAAの学力評価全体で見れば、Bクラスの方が優秀な生徒が多く、平均値は僅かに上だ。ということは、理論上の最大得点は『学力Cの生徒が多い』うちのクラスの方が有利になる。……だが、それを実現するためには明確な条件がある)
私は視線を落とし、静かに思考を巡らせる。
(この試験の鍵は、学力C評価の生徒に『どれだけ確実に解ける簡単な問題を残せるか』だ。そして同時に、全体の残り時間に応じたタイムボーナスも確実に狙っていきたい。そのためには、俺やひより、一之瀬といった学力A評価の生徒たちが、難易度の高い問題から優先して素早く処理し、簡単な問題を残せるかどうかが勝負を分けるな)
私が冷静に戦略を練り上げていると、一之瀬がパンッと明るい音を立てて手を叩いた。
「みんな! Bクラスとの直接対決だね。ここで負けちゃったら、ついに逆転を許すことになってしまう。……だけど!」
一之瀬はクラス全体を見渡し、力強い笑顔を見せた。
「私たちも、普段からずっと一緒に勉強会を続けてる! これまでの筆記試験だって、Bクラス相手に何度も肉薄してきたんだから! このクラス全員の力で、全力で勝ちに行こうね!」
「ああ。一之瀬の言う通りだ」
神崎が、すっと立ち上がって一之瀬の言葉を補足する。
「OAAの評価的に、学力Cの人数が多い俺たちのクラスの方が、得点の最大値は上だ。ここから本番までに、学力C評価の生徒の基礎学力をどれだけ底上げできるかが鍵になる」
「うおおおっ! やってやろうぜ!」
「絶対にAクラスの座は渡さないからね!」
一之瀬と神崎の完璧なコンビネーションにより、クラスの士気は一気に最高潮へと達した。
(一之瀬効果、凄まじいな……。神崎が、めちゃくちゃまともな副リーダーの顔に戻ってる……)
私は内心で一之瀬の恐るべき統率力と静かなる怒りに戦慄しつつも、二人の的確な意見には完全に同意だった。
(この試験で出来ることは少ない。誰にどのタイミングで問題を解かせるかという『順番シート』の戦略と、あとはひたすら地道に勉強を積み上げて、個々の正答率を上げるだけだな)
「それじゃあ、放課後にはさっそくみんなで勉強会をしよう!」
一之瀬の元気な掛け声に、クラスメイトたちが「おーっ!」と力強く応える。
朝一番に教室を支配していた、深夜のテンションが生み出した騒動と恐ろしい説教の空気は、もう欠片も残っていない。
今はただ、一つの目標に向かってクラス全員が完璧に前を向いている。
目前に迫る冬休みとクリスマス。
その前に立ちはだかる、Bクラスとの首位攻防戦。
私たちは、二学期最後の天王山を乗り越えるべく、クラス一丸となって新たな試験へと立ち向かっていくのだった。