いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
月曜日の放課後。
二学期最後の特別試験の発表を受け、Aクラスの空気はいつも以上に熱を帯びていた。
教壇に立った一之瀬は、クラスメイトたちを見渡して澄んだ声を響かせる。
「みんな! いつもは有志の生徒たちだけで勉強会をしているけど、今回の特別試験までは、部活動やどうしても外せない用事がある子以外は、なるべく全員参加して欲しいの!」
その呼びかけに、クラスメイトたちは迷うことなく力強く頷いた。
「もちろんだよ! みんなで勉強して、絶対にAクラスの座を守り抜こう!」
「おう!逆転されるなんて真っ平ごめんだぜ! やってやろう!」
誰一人として不満を漏らすことなく、前向きな闘志を燃やすその光景に、私は内心で深く頷いた。
「ありがとう、みんな!」
一之瀬はパァッと花が咲いたような笑顔を見せ、隣に立つ神崎と共にクラス全体へ向けて大まかな戦略を語り始める。
「今回の試験、順番決めとかの詳細な戦略については藍染くんたちと相談して決めるけど、今日のところはまず、基礎学力の底上げから始めようと思うの!」
「ああ。提出する順番シートは、今すぐに決める必要はない」
神崎も腕を組み、的確に補足する。一之瀬の説教の甲斐もあり、すっかり元の頼れる副リーダーに戻っていた。
「OAAで学力がC評価の生徒が、短い時間で『5問』を正解することが出来れば、得点の最大値で上回る俺たちが勝利を掴むことができる。だからここから試験当日までは、C評価の生徒を勉強が得意なメンバーで集中的に教えていこう」
その分かりやすい指針に、クラスメイトたちも「なるほど!」「よし、得意な科目は任せてくれ!」と頼もしく応える。
方針は固まった。クラスメイトたちが足早に勉強会の準備を始める中、私は一之瀬と神崎の元へと歩み寄った。
「――夜の帳が下りる前に、私のもとへ集うといい。来たる戦いに備え、今宵は小さな宴を開こう」
「『今日は私の部屋にご飯を食べに来てください。特別試験に向けての話し合いをしましょう』とのことですっ」
私のオサレな夕食の誘いを、隣にいたひよりが間髪入れずに翻訳する。
一之瀬と神崎は「ありがとう!」「助かる」と安堵したように頷いた。特別試験の発表があった日は、私の手料理を食べながら四人で今後の戦略を練るのが、すっかり私たちのお決まりのルーティンになっていた。
だが、私と一之瀬には、放課後の勉強会以外にもう一つやるべき役目がある。生徒会の業務だ。
一之瀬が「それじゃあ、藍染くん。手早く生徒会の仕事を――」と鞄を手にしたところで、私はフッとオサレな笑みを浮かべて彼女を制止した。
「――星が誰かを照らすためにあるのなら、その輝きを曇らせる重みは私が背負おう。今は君の光を、皆のために使うといい」
「『生徒会の仕事は私が引き受けるので、帆波ちゃんは勉強会をお願いします』と言っていますっ」
ひよりが完璧なタイミングで翻訳を入れる。
一之瀬はハッとして、申し訳なさそうに眉を下げた。
「えっ、でも……ごめんね、藍染くん。私だけクラスに残るなんて……」
「――私からすれば。些末な塵芥を払うに等しい造作もないことだ」
「『気にしないでください。今は仕事量も多くありませんし、すぐに終わりますから』とのことです!」
ひよりがにっこりと笑って補足すると、一之瀬はホッと表情を緩め、「ありがとう、藍染くん! ひよりちゃんも、みんなをお願いね!」と深く頭を下げた。
私が一人で生徒会の仕事を引き受けたのには、もちろん一之瀬を勉強会に専念させるという目的もあったが、それ以上に『個人的に動かなければならない案件』があったからだ。
(綾小路篤臣の野望……そして、ホワイトルームを完全に叩き潰すためにも、坂柳理事長に月城から得た情報を伝え、鬼島総理が来校した時に接触できるよう頼みに行かなければな)
私は内心で冷徹な思考を巡らせながら、生徒会室へ向かう道中で、同じく情報を共有している坂柳有栖へとメッセージを送った。
『放課後、理事長室へ向かおうと思う。都合はどうかな?』
『クラスの勉強会が始まりましたので、生徒会のお仕事が終わりましたら、Bクラスの教室まで来てください』
すぐに返ってきた了承の返信に短く応え、私は生徒会室で細々とした業務を手早く片付けると、二年Bクラスの教室へと足を運んだ。
◇ ◇ ◇
Bクラスの教室の扉を開けると、そこではAクラスと同じように、クラス全体での活発な勉強会が行われていた。
私の姿に気づいた坂柳が、フフッと微笑んで立ち上がる。
すると、彼女の近くで勉強を教えていた里中や森下、そして葛城といった、私と交流のある面々が次々と声をかけてきた。
「藍染くん! 修学旅行では同じグループで楽しかったけど……次の特別試験では、絶対に負けないよ!」
イケメンで爽やかな里中が、好敵手を見るような真っ直ぐな瞳で宣言する。
「むむ。私の坂柳有栖を拉致しようとは、良い度胸ですね藍染惣右介」
相変わらずの不思議なテンションで森下がジト目を向けてくる。
「私は森下さんのものではありません!」
坂柳がすかさずピシャリとツッコミを入れた。
彼らの闘志と和やかなやり取りを受け、私は一切の動揺を見せることなく、不敵で傲慢な笑みを浮かべてみせた。
「――その高みを望むのなら、存分に手を伸ばすといい。だが……高みとは、望んだだけで届く場所ではない。私たちは、その座を譲るつもりはないよ」
(訳:俺たちだって絶対負けないよ! Aクラスの座は譲らないからね!)
バチバチとした、しかし心地よいライバル関係の火花が散る中。
腕を組んで黙っていた葛城が、ゆっくりと目を閉じ、ひどく重々しい声で呟いた。
「……全く。罪深いな」
「…………」
その言葉に、教室の空気が一瞬だけピタッと止まった。
坂柳が、深いため息を吐き出し、私を睨みつけてくる。
「……はぁ。修学旅行から帰ってきてから、葛城くんの様子が明らかにおかしいのですが?」
(だから俺のせいじゃないって!? 神崎と寛治と時任の深夜のテンションに巻き込まれて、勝手に深淵に落ちていっただけだってば!! 俺は何もしてない! そんなに睨まないで!?)
私は内心で血の涙を流して無実を訴えたが、完璧なポーカーフェイスのせいでそれが伝わるはずもない。
私が沈黙していると、坂柳は呆れたように首を振り、「……まあいいです。とりあえず向かいましょうか」と、杖を突いて廊下へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
夕日に染まる静かな廊下。
窓から差し込む茜色の光が、私たちの足元に長く濃い影を落としていた。
理事長室へと向かう道中、静寂の中に響くのは、坂柳の突く心地よいステッキの音だけ。そんな穏やかな空気の中、彼女がふと視線をこちらへ向けた。
「今回の試験は、どんな戦略を取るのですか?」
(めちゃくちゃ正面から聞いてくるじゃん。……まあ、この試験で俺の出来ることはほとんどない。プライベートポイントを使った戦術も使えないだろうし)
内心で苦笑しつつ、私は歩みを止めることなくオサレに問い返した。
「――さあ、どうだろうね。君の瞳には、どんな未来が映っているのかな?」
「ふふ。はぐらかしますね。ですが、今回はお互いに打てる手はほとんどありませんね。……ところで、CクラスとDクラスはどうなると思いますか?」
「――仮初めの盟約があろうと、刃を交える時に譲り合う理由にはならない。Cクラスが道を譲る選択をしたとしても……あの龍園が、素直にその手を引くとは思えないがね」
(訳:二年生になってから同盟を組んでるとはいえ、今回は完全な直接対決になるしな。クラスポイントのやり取り的にCクラスが譲る形にするのかもしれないが、龍園が大人しく譲るかな?)
「ええ。龍園くんの性格からして、大人しく勝ちを譲るつもりはなさそうですね。しかし、学力で言えばDクラスの方が優れていますから、お互いにクラス全体をどれだけ底上げ出来るかの勝負になるでしょうね」
「――天井が同じなら、差を生むのは、その高みまで誰が手を伸ばせるかだ。Cクラスにはまだ、眠ったままの力が多い。あとは、彼らがその能力を目覚めさせられるかどうかだね」
(訳:人数の条件は同じだから、学力評価の低い生徒が多い龍園のクラスの方が理論上の最大得点は上だ。勉強が苦手な生徒がどれだけ頑張るかだね)
他学級の情勢を分析し合いながら、坂柳は楽しげに不敵な笑みを深めた。
「ふふふ。下のクラスの動向も気になりますが……今は目前の勝負です。必ずAクラスの座を奪い取ってみせますよ」
私たちは互いの健闘を静かに誓い合い、目的の理事長室の前へと辿り着いた。
コンコン、と坂柳がノックをする。
『入りなさい』という落ち着いた声に促され、私たちは重厚な扉を開けた。
「失礼いたします、お父様。……少し、お時間をよろしいでしょうか」
執務机に座る坂柳理事長に対し、娘である有栖が先陣を切って口を開く。
そこから交わされたのは、学校のいち生徒が踏み込むにはあまりにも巨大で、危険な極秘の交渉だった。
月城から聞いた情報――直江の死を契機に、綾小路篤臣が私と清隆の二人を自身の駒として扱い、政界の頂点を目指そうと画策していること。
そして、その野望を打ち砕くため、近々この学校を視察に訪れる『鬼島総理』と、私を直接引き合わせてほしいという要望。
一連の話を静かに聞き終えた理事長は、深く息を吐き、苦笑しながらも真剣な眼差しで私たちを見つめ返した。
「……鬼島総理の視察については、ごく一部の者しか知らない極秘情報なのですがね。一体どこから漏れたのやら」
理事長は困ったように眉を下げた後、両手を机の上で組み、静かに言葉を紡いだ。
「まだ具体的な日程や視察ルートは決まっていません。……本来なら、いくら生徒会長であろうと、一介の生徒のそのような要望を呑むことは到底できません。しかし……」
理事長はどこか遠くを見るような、決意を秘めた瞳で言葉を続けた。
「……私は綾小路先生のことは、今でも尊敬していますし、かつては彼の掲げた理念に賛同していました。ホワイトルームへの出資も、その理念を信じていたからこそです。ですが……あのような教育システムがこの国の新たな規範となり、これからの子どもたちにまで当然のように受け継がれていく未来だけは……どうしても、見過ごすことができません。私に出来る範囲で、便宜を図りましょう」
その言葉には、一人の教育者としての確かな覚悟が宿っていた。
(……友達もたくさん出来たしこの学校のことは好きだ。でも、ホワイトルームほどじゃないにせよ、この学校も見直すべき点は多くある。せっかくの機会だし提案してみようか)
私は静かに頷き、その覚悟に対する問いかけをオサレなトーンで紡ぎ出す。
「――世界を統べるに足る才を育む、この巨大な箱庭を創り上げた理念そのものに、異を唱えるつもりはない。だが、どれほど緻密に設計された競争であろうと、見直すべき歪みは数多く生じているのではないかな?」
「……見直すべき歪み、ですか?」
「――たとえば、極致に至るための道標だ。優れた才を育むはずの舞台でありながら、他者の光を奪い去ることこそが至高への捷径となっている現状は、些か本末転倒に思える」
「…………」
「――集団としての高みを目指す理に異論はない。だが、その枠組みを超え、個として一定の到達点に至った者たちへは、密やかに相応の特権を授けるべきだろう。……むろん、それを明かせば競争という鎖は崩れ去る。故に、秘匿された救済として、だがね」
私が立て続けにオサレな言葉を並べると、理事長は私の言葉の真意を掴みかねて困惑したように目を瞬かせた。
すると、隣に立っていた坂柳が、「はぁ……」と小さくため息をついてから口を開いた。
「お父様、藍染くんは恐らくこういうことが言いたいのだと思います。『優秀な生徒を育てるという目的があるはずなのに、他クラスの優秀な生徒を退学させることがAクラスへの一番手っ取り早い手段になっている現状はおかしいのではないか』……と」
「……なるほど」
「そして、『クラス単位での競争には異論はないが、卒業時点でOAAの総合力が一定の基準をクリアした生徒には、極秘のルールとして特権を与えるような救済措置があってもいいのではないか』と。……こういうことでしょう? 藍染くん」
(坂柳ィィィッ! やっぱりお前は天才だぜ!! ひよりのような完璧な翻訳とまではいかないが、だいたい意味は合ってるよ!!)
私は内心で坂柳に多大な感謝を捧げつつ、表面上はあくまでオサレに、フッと涼しげな笑みをこぼした。
「……ああ、そういう意味でしたか」
娘の翻訳によってようやく私の言わんとしていることを理解した理事長は、苦笑いを浮かべつつも、すぐに教育者としての真剣な表情へと戻った。
「藍染くんの仰る懸念は、よく理解できます。確かに現状のシステムは、他者を蹴落とすことが最も効率のいい手段になりがちな側面を孕んでいます。ですが、我々もその点については当然理解しておりますので、退学者が発生するような特別試験においては、優秀な生徒が理不尽に脱落しにくい仕組みになるよう設計しているのです」
(……確かに、これまでの特別試験の傾向からすればその通りだな)
私は内心で冷静に分析し、理解を示す。
(月城が理事長代行として在籍していた時期は理不尽な試験も多かったが、本来の坂柳理事長が監修する試験においては、能力のある者が順当に生き残れるよう配慮されている)
「その上で……」と、理事長は私たちの目を真っ直ぐに見据えて言葉を継ぐ。
「我々も決して、生徒たちを不幸にするためにこの過酷な競争を強いているわけではないのです。無念にも途中で退学となってしまった生徒たちに対しても、その後、一般の高校への編入や進路において決して不利益を被らぬよう、手厚いフォローアップ体制を敷いています。彼らの人生をここで終わらせるようなことは、断じてありません」
(まあ、それは当然の措置だろうな)
私は納得の息を吐いた。
(現職の総理が肝いりで設立した国策の学校だ。退学者を路頭に迷わせるような非道な真似をすれば、恨みを持った生徒や親から必ず内部情報が外部へリークされ、結果として総理自身の首を絞める大スキャンダルになりかねない。退学者たちが一様にこの学校の特異性について沈黙を守っているのは、学校側からの手厚い補償と口止めがあるからに他ならない)
その事実を前提とするならば、かねてより抱いていた一つの疑念も自然と氷解していく。私はさらに推論のピースを繋ぎ合わせた。
(……それに『Aクラスで卒業できなければ希望の進路が叶わない』というのは、明らかな誇大広告だ。もし本当にBクラス以下の卒業生が完全に見捨てられているのだとしたら、特権を得られなかった大半の生徒たちから不満が噴出し、とっくに外へ情報がリークされているはずだからな。それが起きていないということは、Aクラスほどの絶対的な優遇ではないにせよ、何らかの手厚い進路の救済措置が用意されているのだろうな)
「そして……」
理事長は、深く頷きながら言葉を続けた。
「藍染くんが提案してくれた『OAAが一定基準を満たした生徒への極秘の特権』についてですが。OAAというシステム自体、前生徒会長である南雲くんが導入してからまだ一年も経っていません。南雲くんの目指した『個人の実力主義』そして、堀北くんが重んじていた『クラスとしての伝統と連帯』……二人の理念を間近で見てきた藍染くんならではの、クラスでの闘争とは別の新たな視点からの救済措置ですね。非常に興味深く、検討に値する提案です」
「――感謝する。良き変化の風が吹くことを期待しているよ」
この巨大な箱庭の未来を見据えた、新たな理の種蒔き。
そして、来たるべき決戦に向けて。
絶対的な権力を持つ『現職の総理大臣』という最強の手札を引き込むための布石は、夕闇に沈むこの理事長室で、静かに、そして確かに打たれたのだった。