いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
十二月二十二日。
いよいよ二学期の総決算となる、特別試験の当日がやってきた。
吐く息が白く染まるほどの厳しい冷え込みの中、登校してきた二年Aクラスの教室内には、特有の緊張感と、それを上回るほどの熱気と一体感が満ちていた。
特別試験が始まる前。教壇の前に立った一之瀬帆波が、クラス全員を見渡して口を開いた。
「みんな! 今日まで本当によく勉強会を頑張ったね!」
彼女の澄んだ、それでいて力強い声が教室に響き渡る。
「今回の試験は、一人一人がどれだけ勉強を頑張ったか、その成果が直接試される試験だと思う! 私たちは毎日、放課後や休日にも集まって、みんなで勉強会を頑張ってきたよね。勉強が苦手な子も、いつも以上に真剣に取り組んでくれて、教える側の私たちも本当に嬉しかった!」
一之瀬は、クラスメイト一人一人の顔を愛おしそうに見つめながら、真っ直ぐな言葉を紡いでいく。
「相手は勉強が得意な子が多いBクラスだけど、私たちの努力だって絶対に負けてない! みんなで今日までやってきたことを信じて、全力でぶつかろう! そして――絶対に勝って、みんなでAクラスの座を守り抜こう!」
一之瀬の熱い鼓舞に、教室の空気が一気に沸騰した。
「おう! 当然だ、やってやろうぜ!」
「みんなでAクラスの座を守り抜こうね!」
「ここまでやってきたんだ、絶対に勝つぞ!」
柴田や網倉をはじめ、次々と気合の入った声が上がる。クラスメイトたちの士気は最高潮に達し、揺るぎない団結力がそこにはあった。
(うんうん。特別試験の発表があってから、本当にみんなよく勉強を頑張っていたね。連日の勉強会のおかげで、クラス全体の基礎学力だけじゃなく、絆もさらに深まった気がする。……俺も、みんなから託された役目をしっかりと果たさないとな)
私は一番後ろの席からその光景を眺めながら、内心で深く頷いていた。
今回の特別試験において、私たちAクラスが導き出した作戦は、至ってシンプルなものだった。
試験のルールとして『一人が最大五問、最低二問を解答しなければならない』という縛りがある。これに対し、一之瀬と神崎は緻密な役割分担を設定した。
まず、学力がC評価の生徒たちには、最大値である『五問』を正答させるため、各々が得意な科目に絞って勉強をさせてきた。本番で問題の選択に迷う時間を無くし、確実に解ける問題だけをピックアップさせるためだ。
そして、私や一之瀬、ひよりといった学力上位の生徒を解答順の最後に配置し、前半の生徒たちが残した難問を処理するという作戦である。
さらに、この作戦には保険もかけられている。
もし、想定以上に難問が多く、前半の生徒が指示通りに五問回答できない事態が発生した場合は、後半の学力に自信がある生徒たちがカバーに入る。本来は最低ノルマである『二問』だけを解く予定だった上位陣が解答数を増やし、全体の正答数を底上げするというリカバリー策だ。
そして私は、最も難しいと判断された『最後に残された問題』を解き切るという、最終防衛ラインの役割を頼まれていた。
(単純な作戦ではあるが、今のうちのクラスならこれが最も効率的で確実だ。勉強が苦手な子と言っても、日頃の真面目な授業態度や勉強会のおかげで、全員が学力C評価以上を保っている。得意科目にさえ絞れば正答の確率も格段に上がるし、何より問題選択に悩んでタイムロスをするリスクを減らすことができる。一之瀬と神崎の考えた作戦は、今のクラスの現状に完全に噛み合っている)
私は二人の見事な統率力と戦略を、全面的に肯定していた。
やがてチャイムが鳴り、試験の時間がやってきた。
今回の試験は、各自が自席で問題を解くような形式ではない。回答者は別室へ赴いて用意された問題用紙と解答用紙に向かい、次の順番の生徒のみがその別室の前で待機する。残りの生徒たちは、自分の出番が来るまで教室で静かに待機するという仕組みだった。
厳格なルールの下、不正防止のため私物の持ち込みは一切禁止。携帯端末も没収されており、自分の順番が回ってくるまでは、ただ自席で沈黙を保つしかない。
静まり返った教室の中、クラスメイトたちは一人、また一人と別室へ向かい、順調にバトンを繋いでいった。
そして、試験時間の終盤。ついにアンカーである私の出番が告げられた。
私は教室を出て、別室の前の廊下で待機する。程なくして、一つ前の順番だった生徒が出てきて、私と入れ替わりになった。
別室へと足を踏み入れると、試験官の教師が一人、無言で見守っている。机の上に置かれた数枚のプリントの前に座り、私はそこに印字された問題へと視線を落とした。
(順調に俺の番が回ってきたな。用紙を見る限り、他のみんなは指示通りに自分の得意分野をしっかりと解き切ってくれたようだ。……残っているのは、やはりこの試験で最も難しそうな二問か)
ひねりの効いた数式と、難解な現代文の記述問題。
(俺がどんなに難しい問題を解いても、ルール上は『一点』にしかならない。だが……今回は、学力特化の生徒の多いBクラスとの勝負だ。間違いなく、極めて僅差の争いになるだろう。この二問の正答が、勝敗を分かつ一滴になり得る。確実に解こう)
私はシャープペンシルを手に取り、頭を切り替える。高校生レベルの枠に収められた難問など、私にとっては瞬きをするよりも容易い。わずかな時間で、私は完璧な解答を導き出し、解答欄を美しい文字で埋め終えた。
『――そこまで。筆記用具を置きなさい』
試験官の無機質な声が響き、二学期最後の特別試験が終了した。
(……長かった)
私は小さく息を吐き、静かに席を立った。
(試験のルール上仕方ないにしても、道具の持ち込みはおろか、携帯も使用できないとなると、教室での待ち時間が暇で暇で仕方がなかったよ……)
表面上は余裕の表情を崩さない私だったが、内心では退屈さに特大のため息をついていた。
◇ ◇ ◇
試験を終え、教室へと戻ってきた私たち。
重圧から解放されたクラスメイトたちの顔には、疲労と、それ以上の達成感が浮かんでいた。
教壇の前に立った一之瀬が、皆を労うように柔らかく微笑んだ。
「みんな、本当にお疲れ様! 今回の試験、誰一人諦めることなく、最後まで全力を出し切れたと思う!」
その言葉に、クラス中から安堵の息と、温かい拍手が起こる。
「明日の結果発表次第では、もしかしたらBクラスと順位が入れ替わってしまうかもしれないね。……でも、私たちは全力で試験に取り組んだ。勉強が得意なBクラスにも、絶対に負けてないと思う!」
一之瀬は、あえて降格のリスクを口にしながらも、決して下を向くことはなかった。
「それに、たとえもし明日、悔しい結果になったとしても……三学期には、また逆転するチャンスはあるよ! だから、明日は、みんなで胸を張って結果を聞こう!」
「うんっ! みんなで頑張ったんだから、悔いはないよ!」
一之瀬の前向きな言葉に、クラスメイトたちも笑顔で応える。
その様子を眺めながら、私は隣に座るひよりと視線を交わし、微かに口角を上げた。
(素晴らしいね。結果を恐れず、常に前を向く強さを手に入れた今のAクラスなら、どんな困難が来ても揺らぐことはないだろう。……さて、明日の結果発表が終われば、いよいよ冬休みに突入だ)
過酷な試験を乗り越えた私の思考は、すでに数日後に迫った『大切な日』の予定へとシフトしていた。
十二月二十五日。私とひよりが付き合い始めてから、ちょうど一年となる記念すべき日だ。
(ひよりへのクリスマスプレゼント兼、一周年記念のプレゼント……。気合を入れて選びに行かないとな)
私は隣で微笑む、愛する恋人の横顔を見つめながら、平和な冬休みの訪れを心待ちにしていた。
◇ ◇ ◇
二学期の総決算とも言える特別試験を終えた放課後。
ホームルームが終わり、解放感から足早に下校していく生徒たちの波を逆行するように、私と一之瀬の二人は生徒会室へと向かっていた。
「ふぅ……。自分の順番を待つ時間も長かったし、今日は本当に疲れたね。みんなにはああ言ったけど……勝ててるといいな」
並んで廊下を歩きながら、一之瀬がポツリと息を吐いた。
クラスメイトたちの前では決して見せることのない、リーダーとしての重圧と微かな不安。強がりを解いたその横顔に、私は歩みを緩めることなく、フッとオサレで傲慢な笑みを浮かべてみせた。
「――杞憂だ。私は最後に全ての軌跡を目にしたが、君たちが紡いだ光は、決して暗雲に飲まれるようなものではなかったよ。我らが望み得る頂は、既に天を衝いている」
(訳:俺は最後だったからみんなの解答を軽く見たけど、全体の正答率はかなりのものだったよ。うちのクラスの方が最大得点値は勝ってるし、期待していいと思うよ!)
「……ええと、つまり、期待してもいいってことかな?」
私のポエムに慣れつつある一之瀬は、言葉の端々からニュアンスを掬い取り、パァッと表情を明るくした。
「うん。Bクラスも当然努力してきていると思うけど、私たちだって今日まで必死に努力してきたもんね。絶対に、Aクラスの座を守り抜こう!」
気合を入れ直したように両手をギュッと握りしめる彼女と共に、私は生徒会室の重厚な扉を開けた。
室内にはすでに、明日の終業式の準備に向けたミーティングのため、他の役員たちが集まっていた。
「お待ちしておりました。会長」
私が足を踏み入れた瞬間、ソファーに座っていた一年生の副会長・藤泉要と、書記の七瀬翼が弾かれたように立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。
「――大儀だ。席に就きたまえ」
(訳:お疲れ。座っていいよ)
私が短く応じ、中央の会長席へと腰を下ろす。
会計の堀北鈴音が呆れたような視線を向けてくるのを横目に、私たちは明日の終業式における進行の最終確認と、体育館での会場設営の段取りを素早く済ませた。
◇ ◇ ◇
ミーティングを終え、全員でまとまって体育館へと移動する。
底冷えのする重い扉を開けると、暖房の入っていない巨大な空間特有の、ひんやりとした冬の空気が肌を刺した。
「それじゃあ、手分けして明日の準備を進めようか!」
副会長である一之瀬の指示により、私たちはそれぞれの作業に取り掛かった。
藤泉と七瀬が倉庫から大量のパイプ椅子を運び出し、床のラインに合わせて等間隔に並べていく。一之瀬と堀北はステージ上のマイクや演台のセッティングを行い、私は体育館の壁面に沿って、式典用の紅白幕を取り付ける作業を任されていた。
脚立に上り、紅白幕の紐を結びつけようと手を伸ばしていた時のことだ。
「ねーねー、藍染せんぱぁい!」
背後から、ひどく甘ったるく、小悪魔的な響きを持った声が鼓膜を打った。
「特別試験も終わったことですし、いよいよ冬休みですねぇ。……藍染せんぱいは当然、クリスマスは椎名せんぱいとあっつあつのデートですかぁ? こんな体育館の準備なんて適当に切り上げて、早くイチャイチャする準備しちゃえばいいのに〜」
ニシシ、といかにも面白がるような顔で、脚立の下から私を見上げて揶揄ってくる天沢。
(……まあ、それはその通りだな。クリスマス当日はひよりとデートをするし、そのためのプレゼントもこの後ケヤキモールに買いに行く予定ではあるが)
私は内心でその事実を認めつつも、決して崩れることのない強者としての笑みを浮かべてみせた。
「――聖夜に降り注ぐ雪の如く、彼女との時間は静かに、そして積もりゆくものだ。……だが、その前に為すべき務めを果たすのも、また天に立つ者の流儀だよ」
(訳:クリスマスはデートするけど、今はちゃんと生徒会長の仕事をやるよ)
「ふぅん? 相変わらず詩人ですねぇ、藍染せんぱいは」
天沢は私のポエムを適当に受け流すと、さらに脚立へと身を乗り出し、覗き込むようにニヤリと笑った。
「で? 実際のところ、どんなエッチなことする予定なんですかぁ? 付き合って一年にもなるんだし、まさか『ただ手をつないでイルミネーション見ます』なんて、お子ちゃまみたいなこと言わないですよねぇ?」
「…………」
(エッチなことってなんだよ!! そ、そりゃあ俺だって健康的な男子高校生だけど、まだ高校生だしそんな大それた真似は……っ!)
後輩女子からの直球すぎる下ネタめいた追及。
脳裏に様々な良からぬ妄想がフラッシュバックし、私は内心で盛大にパニックを起こしかけていた。だが、私の顔面は絶対零度のクールさを保ち続け、寸分の動揺すら表には出さない。
「――星降る夜に交わすのは、互いの魂の共鳴だ。ただ見つめ合い、互いの深淵に触れるだけで、世界は真の輝きを取り戻すのさ」
(訳:エッチなことなんてしないよ! 健全にデートをして、楽しくお話をするだけさ!)
「…………えっと?」
私の完璧に純潔なオサレポエムをまともに浴びた天沢は、目を瞬かせ、思考を停止させたように首を傾げた。
「天沢。貴様はどこまで不敬を重ねれば気が済む」
背後から、氷のように冷たく、しかし静かな怒りを孕んだ声が響いた。
振り返ると、両手にパイプ椅子を提げた藤泉要が、般若のような険しい顔つきで天沢を睨み下ろしていた。
「藍染会長は、『健全なデートをして、楽しく語り合うだけだ』と仰っている。俗物的な思考で、会長の高潔なる御心を汚すような発言は慎みたまえ」
「なんだぁ、つまんないのー」
要の通訳を聞き、天沢はケラケラと笑った。
「藍染せんぱいって、口ではあんなにプロポーズみたいなことばっかり言ってるのに、意外と奥手なんですねぇ。中身は超草食系じゃないですかぁ」
「天沢さんっ! あなたという人は、またそうやって……っ!」
そこへ、五脚のパイプ椅子を軽々と抱えた七瀬がものすごい剣幕で突進してきた。
「不純異性交遊を煽るような発言は控えてください! それに、会長の邪魔をしないで、あなたもちゃんと自分の分の作業をしてくださいっ!」
「え〜? 七瀬ちゃん堅ーい。高校生のクリスマスなんて、恋人とエッチなことして過ごすのが普通でしょ?」
パイプ椅子の山を下ろした七瀬がぷりぷりと怒る横で、天沢は全く悪びれる様子もない。藤泉は「これだから一年生は……」と、自分も一年生であることを棚に上げて頭を抱えている。
「……あなたたち。少しは静かに作業できないのかしら? 特に天沢さん、あなたは口ばかり動かして手が止まっているわよ」
そのドタバタ劇を見かねたのか、ステージ上から冷ややかな声が降ってきた。
マイクコードを几帳面に束ねていた堀北が、呆れたような視線をこちらに向けている。
「はぁい、堀北せぇんぱい。今やりまーす」
天沢はヒラヒラと手を振って、ようやく七瀬と共にパイプ椅子の設置作業へと戻っていった。
賑やかな嵐が去り、再び体育館に金属音が規則正しく響き始める。
私は紅白幕の設置作業を続けながら、ステージ上で手際よく作業を進めている堀北の背中を見つめ、静かに声をかけた。
「――凍てつく季節の狭間で、君はどのような時の流れを紡ぐつもりなのかな?」
(訳:冬休みは何か予定あるの?)
私のオサレな問いかけに、堀北は手を止めることなく、チラリとこちらを一瞥した。
「……? ええ、そうね」
(堀北さぁぁぁん!? 最近めちゃくちゃ適当に相槌打ってるよね!? いや、俺がまともに喋らないのが悪いんだけど!!)
全く通じていないのにスルーを決め込もうとする堀北に、私は内心で盛大なツッコミを入れた。
すると、すかさず藤泉が私の背後から執事のような洗練された動作で一礼し、翻訳を挟んだ。
「堀北先輩。会長は、冬休みのご予定について尋ねておられます」
「ああ、そういうこと」
藤泉の言葉でようやく意味を理解した堀北は、小さく息を吐いてから答えた。
「……そんなに予定はないわ。強いて言うなら、クラスの勉強が苦手な生徒に勉強を教えたり、三学期に向けて自己研鑽に励むくらいかしら」
(やっぱり堀北さんは真面目だなぁ。せっかくの冬休みなんだし、もっと高校生らしく遊べばいいのに)
私は彼女のストイックさに感心しつつ、さらに言葉を紡いだ。
「――高みを目指す者にも、肩の力を抜く時間は必要だろう。……君の周りには、随分と元気に吠える子犬もいることだしね」
(訳:伊吹とは遊ばないの? 仲良いんじゃないの?)
「会長は、『伊吹先輩とは遊ばれないのですか? お二人は仲が良いのではないですか』と仰っています」
藤泉が間髪入れずに翻訳すると、堀北はピタリと動きを止め、露骨に嫌そうな――いや、少し呆れたような顔をした。
「……別に仲がいいわけじゃないわ。彼女が一方的に絡んでくるだけよ」
深くため息をつく堀北だったが、その口調には以前のような刺々しさはなく、どこか満更でもないような響きが含まれていた。
(おお、これがツンデレってやつか!?)
私は内心で一人テンションを上げつつも、表面上はどこまでも優雅に「――フッ」とオサレな笑みをこぼした。
「……生徒会長であるあなたが、作業の手を止めて雑談なんて感心しないわね。さっさと自分の持ち場を終わらせてちょうだい」
「――私の描く軌跡に、一切の淀みはないさ」
堀北からの手厳しい注意を涼しい顔で受け流し、私は再び作業へと戻った。
冷たい風が吹き抜ける体育館の中、生徒会メンバーたちの他愛のない喧騒に包まれながら。
私は、目前に迫る聖夜の甘い予感と、来たるべき三学期の波乱の足音を、同時に噛み締めていた。