いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
六月も最終日を迎えた。
ジメジメとした梅雨の空気がまとわりつく時期だが、1年Bクラスの雰囲気は至って良好だった。五月の中間テストを全員で乗り切り、六月もクラスポイントを大きく減らすことなく維持できている。
その要因の大部分は、放課後に行われている勉強会と、クラスメイト同士の連帯感にあった。
そして今日の放課後。
私の住む学生寮の一室には、かつてないほど大勢の来客が訪れていた。
「うおおおおお!! すっげぇ!! なんだこのご馳走!!」
「わぁっ……美味しそう! これ、全部藍染くんが作ったの!?」
「信じられない……お店の料理みたい……」
私の部屋のテーブルに並べられた料理の数々を見て、体育委員の柴田颯が歓声を上げ、網倉麻子と白波千尋が目を輝かせている。
今日集まっているのは、学級委員の一之瀬帆波、副委員の神崎隆二、そして柴田、網倉、白波というBクラスの主要メンバーたち。そしてもちろん、私の隣には椎名ひよりが座っている。
六月の終わりを締めくくる、クラスの今後の方針を決める作戦会議。……という名目の、ただの親睦会兼ホームパーティである。
(ふふふ……驚いているな! 孤児院の厨房で鍛え上げられ、藍染スペックで極限まで研ぎ澄まされた俺の手料理! 今日はみんなのために、ローストビーフに本格カルボナーラ、彩り野菜のマリネまで用意したからな! たっぷり食べてくれ!)
私は内心でホストとしての喜びに満ち溢れ、ドヤ顔をキメていた。
しかし、口から出る言葉はいつも通りだ。
「――さあ、冷めないうちに貪るがいい。君たちの矮小な胃袋を満たすには、少々過ぎた供物かもしれないがね」
(訳:いっぱい作ったから、冷めないうちにどんどん食べてね!)
「……相変わらずすげぇ言い回しだけど、マジでいただきます!!」
柴田が躊躇なくローストビーフに手を伸ばし、パクリと口に入れた。その瞬間、彼の動きがピタリと止まる。
「……っ!? うまっ!? なんだこれ、肉がとろけるぞ!?」
「本当だ! パスタもお店より美味しいかも……! 藍染くん、料理の天才だね!」
一之瀬や神崎も「これはすごいな……」と感嘆しながら箸を進めている。
ひよりも「ふふっ、惣右介くんのお料理は本当に美味しいんですよ」と、なぜか自分のことのように誇らしげだ。
(よかったー! みんな喜んでくれてる! クラスメイトを自分の部屋に呼んでワイワイご飯食べるなんて、ずっと憧れてた青春のワンシーンだよ!)
私は優雅にぶどうジュースの入ったグラスを揺らしながら、内心で歓喜の涙を流していた。
食事が一段落し、食後のジュースを飲みながら、場は自然と「今後の方針」についての話し合いへと移行していった。
「五月、六月と、みんなのおかげでBクラスは順調にポイントを維持できてる。でも、この学校がただ普通に授業を受けてテストをするだけの場所じゃないってことは、もうみんな分かってるよね」
一之瀬が、真剣な表情で皆を見渡す。
彼女の言う通りだ。ここは高度育成高等学校。実力至上主義を謳うこの学校が、単なるペーパーテストだけで生徒の価値を測り続けるはずがない。
(一之瀬の言う通りだ。これからは、学力だけじゃなく、様々な実力が試される『試験』が絶対にあるはずだ。それによって、クラスポイントも大幅に変動するだろう。……よし、ここで俺がアドバイスをしてやろう!)
私はスッと目を細め、静かに口を開いた。
「――インクの染みに怯える日々は、すでに終わっている」
私の重々しい声に、柴田たちがビクッと肩を跳ねさせる。
「本当の絶望は、これから牙を剥く。……次なる試練は、君たちの魂そのものを天秤にかけるだろう。盤面はひっくり返り、築き上げた砂上の楼閣など、一瞬の嵐で塵に帰す。……生き残りたければ、決して剣を手放すな」
(訳:ペーパーテストだけじゃなく、色んな実力が試される試験がこれから来ると思うよ。クラスポイントも大きく変動するだろうから、気を引き締めていこう!)
「「「…………ヒッ」」」
白波が涙目になり、網倉が柴田の背中に隠れる。
神崎ですら「魂を天秤に……命のやり取りでもさせられるというのか……?」と冷や汗を流している。
またしても、私のポエムが恐怖のどん底に彼らを叩き落としてしまった。
「――惣右介くんは、こう仰っています」
そこで、完璧なタイミングで銀髪の天使が微笑んだ。
「『今後はペーパーテストだけでなく、様々な実力や応用力が試される特殊な試験が実施されると予想されます。それによってクラスポイントも大幅に変動するはずなので、決して油断せずに備えておきましょう』……と」
「「「…………っ!!」」」
「な、なんだ! そういうことか! ビビらせんなよ藍染!」
「あはは……でも、藍染くんの予想は当たってそう。油断しちゃダメだね」
ひよりの翻訳によって、緊迫した空気は一瞬にして前向きなものへと変わった。
本当に、彼女がいなければ私は今頃どうなっていたことか。
「うん。藍染くんの言う通り、これからはもっと予測不能な事態が起きると思う。だから……」
一之瀬は、力強い瞳で私たちを見た。
「これからも、このメンバーを中心に、何か試験があるたびに集まって作戦会議をしよう。みんなの力を合わせて、Bクラス全員でAクラスを目指したいんだ。……私を、これからもリーダーとして助けてくれるかな?」
一之瀬の言葉に、神崎が「もちろんだ」と即答し、柴田たちも「一之瀬しかいないって!」と笑顔で頷く。
(俺も賛成! 一之瀬がリーダーなら安心だ!)
「――神輿を担ぐ趣味はないが。……君がその旗を折らない限り、私の視界の端に置いておくことくらいは許してやろう」
「『微力ながら、協力させてもらいます』とのことです」
「ふふっ、ありがとう藍染くん、椎名さん!」
こうして、1年Bクラスの頭脳とも言える主要メンバーの結束は、私の部屋の食卓を囲むことでさらに強固なものとなったのだった。
「ごちそうさま! 藍染、また美味いもん食わせてくれよな!」
「藍染くん、椎名さん、また明日ね!」
すっかり夜も更け、一之瀬たちは笑顔で私の部屋を後にした。
嵐のような賑やかさが去り、部屋に静寂が戻る。
(いやー、楽しかった! 片付けは面倒だけど、この充実感なら全然苦じゃないな)
私が大量の皿をシンクに運ぼうとした、その時。
「惣右介くん。お片付け、私も手伝いますね」
帰ったと思っていたひよりが、エプロン姿で(どこから出したんだそれ!?)袖をまくりながら微笑んでいた。
「――君の白き手を、このような俗事で汚させるわけにはいかないよ。私一人で十分だ」
(訳:ひよりは休んでていいよ! 俺がやるから!)
「ふふっ、いいんです。二人でやった方が早いですし、美味しいお料理を作ってくださったお礼ですから」
ひよりは私の言葉を華麗にスルーし、シンクの隣に並んで立った。
スポンジで皿を洗う私と、それを受け取って布巾で拭くひより。
肩が触れ合いそうな距離で、二人並んでの洗い物。
(……なんかこれ、新婚さんみたいじゃないか!? いやいや、落ち着け俺! 相手は親友だぞ、邪念を抱くな!)
内心でドキドキしながらも、私たちは手際よく片付けを終えた。
「終わりましたね。惣右介くん、お疲れ様です。……お茶、淹れますね」
ひよりが慣れた手つきでポットにお湯を沸かし、私の大好きな紅茶を淹れてくれた。
二人でテーブルに向かい合い、温かい紅茶を啜る。
先ほどまでの賑やかさとは違う、穏やかで甘い静寂。
(……ひより、今日はずっと楽しそうに笑ってたな。一之瀬たちとも、すっかり仲良くなったみたいだし)
彼女がBクラスに移籍してきた当初は、私の隣にいるせいで「魔王の生贄」と不憫な目で見られていた。しかし、今ではその翻訳スキルと持ち前の優しさで、クラスメイトたちから深く愛されている。
「――孤高の星も、ついに瞬くべき星座を見つけたようだな。……君が光の中に溶け込んでいく様を見られるのは、私にとっても悪くない余興だよ」
(訳:ひよりも、一之瀬たちとすっかり友達になれたみたいで、俺もすごく嬉しいよ)
私のオサレな(そして少し親目線のような)ポエムを聞いて、ひよりはティーカップを両手で包み込みながら、嬉しそうに目を細めた。
「はいっ! 一之瀬さんも、白波さんも、みんな本当に優しくて……毎日がとても楽しいです。惣右介くんのおかげで、このクラスに来られて本当に良かったです」
「……」
「でも……」
ひよりは、カップから顔を上げ、その透き通るような銀色の瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
そして、ふわりと花が綻ぶような、とびきり可愛い笑顔を向けて、こう言ったのだ。
「私にとって、こうして惣右介くんと一緒に過ごすこの静かな時間が……一番、落ち着きます」
(――――――――ッッ!!)
私の心臓が、本日最大級の爆音を鳴らして跳ね上がった。
(かわっ……!? 可愛すぎるだろ!! なにそのセリフ!! 俺の部屋で、二人きりで、そんなこと言われたら勘違いしちゃうよ!?)
脳内の冷静な一般人である私が、警報を鳴らして暴れ回る。
(いかんいかん!! 落ち着け俺!! ひよりは俺の唯一の親友であり、この過酷な学園生活を共に生き抜く戦友だ!! そんな下心みたいな目で見て、今のこの最高の関係を壊してどうする!! 紳士になれ、藍染惣右介!!)
私は必死に動揺を押し殺し、極めてクールに、そして紳士的に微笑み返した。
「――……そうか。私の玉座の隣は、いつでも君のために空けてある。……いつでも羽を休めに来るといい」
(訳:俺もひよりといる時間が一番好きだよ! いつでも遊びにおいで!)
「ふふっ。はい、ありがとうございます、惣右介くん」
ひよりは本当に嬉しそうに笑い、美味しそうに紅茶を飲んだ。
「今日は本当にありがとうございました。おやすみなさい、惣右介くん」
「――ああ。甘い幻夢の底で、再び微睡むとしよう。……良い夜を」
(訳:気をつけて帰ってね、おやすみ!)
同じ学生寮の女子フロアの入り口までひよりを送り届け、私は自分の部屋へと戻ってきた。
すっきりと片付いた部屋。テーブルには、先ほどまでみんなで囲んでいたコップが水切りカゴに並んでいる。
私はベッドにどさりと身を投げ出し、天井を仰ぎ見た。
(……一之瀬、神崎、柴田たち。まさか俺が、あんな眩しい陽キャの集まりみたいな連中と、友達……とまではいかなくても、仲間として一緒にご飯を食べる日が来るなんてな)
入学初日、絶望の魔王ボッチ空間で震えていた自分に教えてやりたい。
(全部、ひよりのおかげだ。あの子が俺の言葉を翻訳して、繋いでくれたから、俺はこのクラスで居場所を見つけることができた)
生徒会の激務や、南雲や龍園といった面倒な連中の相手もある。
決して平坦な道ではないけれど。
(……本当に、この学校に来てよかったな)
私は、自分の中に確かな温もりを感じながら、静かに目を閉じた。
六月の雨音が、心地よい子守唄のように窓を叩いていた。