いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百七十一話

 生存と脱落の特別試験を終えた、その日の放課後。

 

 質実剛健を絵に描いたような整理整頓が行き届いた葛城康平の部屋には、部屋の主の趣味とは少し不釣り合いな、四角いこたつが部屋の中央に鎮座していた。

 

 こたつを囲むように、坂柳有栖、葛城康平、橋本正義、神室真澄、真田康生、そして森下藍の六人が腰を下ろし、静かで重々しい空気を共有していた。

 

「……今回の試験、私の読み間違いで、Aクラスに差をつけられた上に、少なくないプライベートポイントまで失ってしまいました。申し訳ありません」

 

 沈黙を破ったのは、坂柳だった。

 

 彼女はステッキを傍らに置き、いつもの余裕めいた笑みを消して、深く頭を下げた。

 

「坂柳、お前が謝る必要はない」

 

 葛城が腕を組み、真剣な眼差しで真っ直ぐに答える。

 

「俺たちも誰一人として、あの龍園が最下位に沈んででもAクラスを支援するなどとは、想像すらしていなかった」

 

「葛城くんの言う通りです」

 

 真田も優等生らしい真面目な顔つきで、坂柳をフォローする。

 

「これまでの試験も、坂柳さんと葛城くんが中心となってクラスを引っ張ってくれているからこそ、これだけクラスポイントを積み上げることが出来ています。まだ、逆転は十分に可能な差です」

 

「……お気遣い、ありがとうございます」

 

 坂柳は小さく息を吐き、静かに顔を上げた。

 

「そうですね。いつまでも下を向いているわけにはいきませんね」

 

「でもよ、龍園のやつは本気なのか?」

 

 橋本が、こたつに肘をつきながら訝しげな声を上げた。

 

「いくらAクラスを目指すのが厳しいからって、ポイントを貯めて全員で移籍するなんて、どう考えたって現実的じゃねえだろ」

 

「同感ね」

 

 神室が不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「藍染が生徒会長だからって、特別試験の報酬を勝手に増やしたり出来るわけじゃないんだし。どうやってそんな途方もない額を稼ぐつもりなのよ?」

 

「仰る通り、試験の報酬自体は生徒会長といえど、そう簡単に変えることはできないでしょう」

 

 坂柳は手元のお茶を一口飲み、冷静に分析を巡らせる。

 

「そうなると、今回のように他クラスの傭兵のような行為をしたとしても、稼げるプライベートポイントには限度があります。……藍染くんが手を貸す以上、学校のルールを逸脱した非合法な手段ではないでしょうし、今の私たちにある情報だけでは、その全貌を想像できませんね」

 

 議論が白熱する中、坂柳の隣に座る森下藍だけは、一人黙々とこたつの上の籠からみかんを取り出し、その白い繊維を神経質なほど丁寧に、ピンセットのような指使いで取り除き続けていた。

 

「姫さんにも分からないんじゃ、俺たちには想像もできないな」

 

 橋本が肩をすくめて息を吐く。

 

「今後のDクラスはどう見る?」

 

 葛城が話題を切り替えた。

 

「今回の結果で、Aクラスには千ポイント近い差をつけられたことになる。Cクラスのように、彼らもプライベートポイントを稼ぐ戦略に切り替えてくるだろうか」

 

「堀北さんの性格からして、それでも諦めることはなさそうですけどね」

 

 坂柳がクスリと笑う。

 

「それに、綾小路くんや高円寺くんを筆頭に、クラスの上澄みの生徒だけで言えば、学年でも最強の戦力と言っていいでしょうから」

 

「確かに。それに加えて堀北に平田に櫛田もいて、池や須藤、松下か。……最初のゼロポイントさえなけりゃ、間違いなくAクラス争いをしてただろうな」

 

 橋本がDクラスのポテンシャルの高さを素直に認める。

 

「最初から優秀だったら、そもそもCクラスとの同盟もなかっただろうし、どうなってたか分からないんじゃないの」

 

 神室が現実的な指摘を挟む。

 

「確かに、それもそうか」

 

「それに、クラスの平均学力という面で見れば、僕たちやAクラスには明確に劣りますからね」

 

 真田が冷静にデータを比較して付け加えた。

 

「一部の生徒が優秀なだけでは、試験で勝ち続けることはできないでしょう」

 

 真田が分析を終えた絶妙なタイミングで、森下が完全に白い繊維を取り除き、黄金色に輝くみかんの果肉を、坂柳の口元へと無言で差し出した。

 

「……ありがとうございます」

 

 坂柳は一瞬だけ目をパチクリとさせた後、優雅に口を開けてそのみかんを受け入れた。

 

「坂柳有栖に落ち込んでいる姿は似合いませんよ。藍ちゃんが丹精をこめて育てたみかんを食べて、元気を出してください」

 

「いや、育ててはないでしょ……。買ってきたのスーパーだし」

 

 神室がすかさずツッコミを入れる。

 

 森下のマイペースな行動により、部屋の重苦しかった空気が、少しだけ和らいだ。

 

 坂柳はみかんをゆっくりと味わい、ふふっと柔らかく微笑んだ後、再び真剣な瞳で全員を見渡した。

 

「……私たちのクラスは、まだAクラスへの逆転は十分に可能な差だと思っています。しかし」

 

 坂柳は言葉を区切り、現実的な『デッドライン』を口にした。

 

「おそらく今年も夏休みに、大きな特別試験があるでしょう。そこでもし敗れ、これ以上Aクラスとの差を広げられるようであれば……私たちは、受験に向けて意識を切り替える方がいいでしょうね」

 

「……!」

 

 その言葉に、橋本や真田が僅かに息を呑む。

 

 しかし、葛城は静かに目を閉じ、深く頷いた。

 

「悔しいが、それが最も堅実で、クラスメイトを想うが故の判断だろうな」

 

 葛城は力強い声で続ける。

 

「いつまでも特別試験にばかり気を取られていては、本来の学生の本文である受験勉強に身が入らなくなる。俺たちのクラスの生徒たちならば、Aクラスの特権が無くとも、自らの学力で希望の進路への道を拓けるはずだ」

 

「ええ。私個人の感情だけで言えば、最後まで挑み続けたいところですが……その意地で、皆さんが希望する進路に行けなくなってしまっては本末転倒ですから」

 

「ま、確かに去年の三年生みたいに、受験直前になっても合宿みたいな試験で走らされたりするのも勘弁だしね」

 

 神室がため息まじりに同意する。

 

「先輩方、合宿の合間の休憩時間には、必死に単語帳などを開いて勉強されていましたからね……」

 

 真田も苦笑いを浮かべながら振り返る。

 

「万が一、そうなった場合は」

 

 坂柳が、リーダーとしての責任を背負った声で告げる。

 

「私と葛城くんで全員と面談をした上で、どうしてもAクラスの特権が必要な生徒――希望の進路や、これまでのクラスへの貢献度を考慮して、数名をAクラスに移籍できるよう、プライベートポイントを貯める方針にシフトしましょう」

 

 坂柳がシリアスな決断を口にした瞬間、森下が再び、完璧に処理された二つ目のみかんを坂柳の口元へ差し出した。

 

「……」

 

 坂柳は無言でそれを受け入れ、モグモグと咀嚼してから、フッと不敵な笑みを深めた。

 

「ですが、それはあくまで最悪の想定です。まだ諦めるつもりは毛頭ありません。学年末試験で必ず勝利し、三年生の序盤でAクラスの座に返り咲けるよう、全力を尽くしましょう」

 

「ああ! 望むところだ」

 

「やってやりましょう」

 

 葛城と真田が力強く応え、橋本と神室も静かに頷く。

 敗北の悔しさを糧に、二年Bクラスはより強固な結束と共に、現実を見据えた次なる戦いへの決意を固めていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同時刻。

 敗北を喫した二年Dクラスの教室は、鉛のように重苦しい沈黙に支配されていた。

 

 我が道を行く高円寺六助だけは試験終了と同時に早々に帰宅したが、それ以外のクラスメイトたちは誰一人として席を立つことなく、教壇に立つ堀北鈴音へと視線を向けていた。

 

 堀北はギュッと唇を噛み締め、クラス全体へ向けて深く頭を下げた。

 

「みんな。残ってくれてありがとう。……そして、ごめんなさい。AクラスとCクラスが手を組むという可能性を、私は想定できていなかったわ」

 

 リーダーとしての責任を背負い込み、Aクラスとの差を絶望的なまでに広げられてしまったことを悔恨する堀北。

 

 その痛切な謝罪に対し、平田洋介がいち早くフォローを入れた。

 

「堀北さんのせいじゃないよ。頭を上げて」

 

 平田は優しく、しかしクラス全体に響くようなしっかりとした声で続ける。

 

「それに……綾小路くんの機転のおかげで、僕たちは多額のプライベートポイントを得ることは出来たんだ。これで、次の学年末試験で万が一退学者が出るようなことがあっても、確実に救済することができる」

 

 試験中、綾小路がBクラスの坂柳と交渉し、一千万ポイントという多額の資金を引き出した。その事実が、Dクラスの唯一の希望の光となっていた。

 

「……ちょっと待ってくれ。プライベートポイントの使い道は、本当にそれでいいのか?」

 

 しかし、その希望の光に、教室の中央から幸村が鋭く待ったをかけた。

 

「幸村くん……?」

 

「今回の試験で、俺たちとAクラスとの差は、約千ポイントにまで広がってしまった。……現実を見てくれ。残りの一年で、その絶望的な差を逆転するのは、はっきり言って厳しいと俺は思う」

 

 幸村の理詰めの指摘に、クラスメイトたちの顔がサァッと青ざめる。誰もが薄々感づきながらも、口に出すことを避けていた残酷な現実だった。

 

「だったら、無闇に救済に使うよりも、手に入れたプライベートポイントを限界までクラス内で貯金して……一人でも多く、Aクラスに移籍できるようにした方がいいんじゃないか?」

 

「僕は反対だ」

 

 幸村の現実的な提案を、平田が即座に、そして強い語気で遮った。

 

「幸村くんの言いたいことも、不安な気持ちも分かる。でも……僕たちのクラスはすでに、山内くんと、篠原さんが退学してしまっている。……これ以上、クラスの仲間を失うことなんて、絶対に避けなきゃいけないんだ」

 

 平田の瞳には、過去の退学者たちへの強い後悔と、クラスメイトを護ることへの執念が宿っていた。

 

「たとえAクラスで卒業出来なかったとしても、これ以上誰一人欠けることなく、全員で笑顔で卒業出来る道を模索するべきだ」

 

「平田は、退学というものを重く考えすぎなんじゃないか?」

 

 だが、幸村は一歩も引かなかった。

 

「もちろん、退学者なんて出ない方がいいに決まっている。だが、ここは国が莫大な予算を投じて運営する高度育成高校だぞ? 退学になった生徒を、その後のフォローもせずにただ放逐するとは思えない。編入先の斡旋を含めて、ある程度の救済措置はあるはずだ」

 

「それはあくまで憶測だよね。もし何のフォローもなかったらどうするつもりだい?」

 

「だとしても、全員で沈みゆく泥船に乗るより、一人でも多く確実にAクラスへ行く方法を探るべきだ。俺たちは、Aクラスで卒業するためにこの学校に来たんだろう!」

 

 感情と連帯を重んじる平田と、現実と結果を重んじる幸村。

 

 二人の意見が真っ向から衝突し、教室の中は一気にザワザワと不穏な空気に包まれ始めた。

 

「ポイントで移籍させるって言っても……誰を移籍させるんだ?」

 

「成績順とか言い出しそう……。結局、自分だけが助かりたいんじゃないの?」

 

 幸村の提案に対するネガティブな憶測や反発の声が、あちこちから漏れ始める。

 

 これ以上はクラスの不和を招くだけだと判断した堀北が、パンッと手を叩いて議論を制止した。 

 

「二人とも、一旦そこまでにしてちょうだい。二人の意見はよく分かったわ」

 

 堀北は凛とした視線で、動揺するクラスメイトたちを見渡す。

 

「プライベートポイントの用途に関しては、クラスの総意のもと、慎重に考える必要があると思う。今すぐに決められるようなことじゃないから、全員が一人一人考えておいてほしいの」

 

 堀北の仲裁により、ひとまずは落ち着きを取り戻したかに見えた教室。

 

 しかし、敗北によるストレスと、今後の不安に苛立った生徒の矛先は、思わぬ方向へと向けられた。

 

「……『藍染の思考を読むならオレが適任だ』とか偉そうに言っといて、結局出し抜かれてんじゃねえかよ」

 

 教室の前方で、本堂が忌々しそうに吐き捨てるように呟いた。 

 

 その視線の先には、窓際の席で静かに無表情を貫くオレの姿がある。

 

「本当だよな。……彼女を三人もはべらせて浮かれてるから、足元掬われんだろ」

 

 本堂の言葉に、周囲の男子生徒数名が同調するように冷ややかな視線を向けてくる。

 

 三人の女子生徒と同時に交際しているというオレの状況は、一部の男子生徒からの強烈な嫉妬と反感を買っていた。

 

「本堂くん、それは言い掛かりよ。綾小路くんのせいじゃないわ」

 

 堀北がすぐさまオレを庇うように反論するが、オレは静かに立ち上がり、彼女を制した。

 

「……いや。オレの読みが甘かったのは事実だ。すまない」

 

 オレが淡々と謝罪を口にすると、本堂はさらに鼻を鳴らした。

 

「謝られても、Aクラスとの千ポイントの差は縮まんねえんだけどな。偉そうにリーダーに立候補した癖に」

 

「ちょっと、いい加減にしてよ!」 

 

 本堂の執拗な追撃に、たまらず恵が立ち上がり、激しい怒気を込めて怒鳴り声を上げた。

 

「これまでどれだけ清隆に助けられてきたと思ってるの!? 都合のいい時だけ頼って、一回負けただけでそんな言い草、あんまりじゃない!」

 

「そ、そうだよ……っ! 清隆くんは、いつも私たちのために頑張ってくれてるのに……っ」

 

「恵ちゃんの言う通りだよ! 八つ当たりしないでよね!」

 

 愛里が涙目で訴え、麻耶も恵に加勢するように本堂たちを睨みつける。

 

 女子三人が一斉にオレを擁護するその光景が、さらに男子たちの嫉妬心に火を注ぐ結果となってしまった。

 

「な、なんだよ。事実を言っただけだろ」

 

「恵。そこまでにしておけ」

 

 オレは低く、静かな声で恵を制止した。

 

「今回は、オレ自らの意思でリーダーを務め、そして敗北した。結果を出せなかった以上、彼らの不満も当然だ。……責任はオレにある」

 

「で、でも……っ。清隆ばっかり責められるのは、おかしいよ……」

 

 恵が悔しそうに唇を噛み締め、オレを見つめる。

 

「清隆くんだけの責任じゃないよ。それに、清隆くんが素早くBクラスと交渉してくれたおかげで、僕たちは今、こうして選択肢を持つことができているんだから」

 

 洋介が必死にオレをフォローし、堀北も重々しく頷く。

 

(……だが、この亀裂はそう簡単には修復できないだろうな)

 

 オレは席に座り直し、静かに内心で現状を分析する。

 

 今回の決定的な敗北により、元々完全に団結しているとは言い難かったこのDクラスは、さらにバラバラになってしまった。

 

 啓誠のような現実主義者と、洋介のような理想主義者の対立。

 

 そして、オレへの個人的な嫉妬と不信感。

 

(AクラスやBクラスのように、一枚岩でまとまっているわけではない。……やはり、精神的な成熟度という意味では、厳しいものがあるな)

 

 オレは冷徹な視線で、不満を燻らせる男子たちと、不安に揺れるクラスメイトたちを見渡す。

 

 絶望的な点差と、崩れゆくクラスの連帯。

 

 学年末試験に向けて、二年Dクラスはかつてないほどの過酷な試練に直面していた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同日の夜。

 試験の喧騒から離れた私の寮の部屋に、珍しい客人が訪れていた。

 

 Cクラスのリーダー、龍園翔である。

 

 彼はソファにドカッと腰を下ろし、出されたお茶に口をつけることもなく、鋭い視線を私へ向けていた。

 

 私は彼と向かい合うように座り、フッとオサレな笑みをこぼして口を開いた。

 

「――我らが描いた新たな理は、この箱庭を統べる者の許しを得たよ。あとは外界の者たちが我々の輝きにどう応えるかだ。もし彼らが星の導きに従うのなら、君の導き手を通じて報せが届くだろう。そこから先の盤面は、君の采配に委ねるよ」

 

「『龍園くんの計画は、二つとも学校側の承認は下りました。ただ、企業との連携については、企業側が協力してくれるかはまだ分かりません。もし協力してもらえるなら、坂上先生を通じて龍園くんの元に連絡が行くように手配しているので、そこからの交渉は龍園くんでやってくださいね』とのことですっ」

 

 隣に座るひよりが、瞬時に、かつ完璧な笑顔で翻訳する。

 

「ククク。ああ、そこからはこっちでやる」

 

 龍園は私のポエムにいちいちツッコミを入れることもなく、満足げに喉の奥で嗤った。

 

「で? アプリは、すぐに出来るのか?」

 

「――無から有を紡ぎ出すには、いかに私といえど多少の時は必要だ。月が一度満ち欠けを終える頃には、君の望む形を現出させてみせよう」

 

「『すぐってわけにはいきません。最低でも一ヶ月は欲しいですね』とのことですっ」

 

「ククク。上出来だ」

 

 私の回答に、龍園は不敵な笑みを深めた。

 

 しかし、私は少しだけ瞳の奥の温度を下げ、静かに言葉を重ねる。

 

「――君の望む星の数には、この二つの道程だけではまだ遠く及ばないだろう。……だが、闇に紛れて理を外れるような真似は控えることだ。もし法に背き、我らの箱庭を穢すようなことがあれば……この玉座の権限を以て、私が直々に君を裁断しなければならなくなるからね」

 

「『正直、この事業計画だけでは目標額に届くのは厳しいと思います。だからといって、非合法な手段は取らないようにしてくださいね。生徒会長として、発覚した場合は厳罰を下す必要がありますから』と仰っていますっ」

 

 ひよりの翻訳が終わると、龍園は一切怯むことなく、好戦的な笑みを浮かべて私を睨み返した。

 

「ククク。やるならてめぇにバレねえようにやるさ」

 

「――フッ。期待しているよ」

 

 私は緊張感の漂う空気を解くように、ゆったりと背もたれに寄りかかった。

 

「――どうだい? せっかくの夜だ、我らの食卓で共に杯を交わしていくのは」

 

「『せっかくだし、ご飯も食べて帰りますか?』とのことですっ」

 

「ああ? ……そうだな。そうさせてもらおう」

 

 意外にも、龍園は素直に私の提案に頷いた。

 

 それから、私とひよりは二人でキッチンに立ち、夕食の準備に取り掛かった。

 

「ふふっ。お肉、もう少し炒めますか?」

 

 ひよりと二人で肩を並べ、会話を楽しみながら手際よく料理を作っていく。

 

 やがて、スパイスの効いたガーリックチキンソテーや、彩り豊かなサラダなどをテーブルに並べた。

 

「お待たせしました。どうぞ」

 

 ひよりが龍園の前に皿を置く。

 

 龍園はフォークを手に取り、チキンを一切れ口に運んで咀嚼した。

 

「……なかなか悪くねぇじゃねえか」

 

 そう呟くと、彼は一切の遠慮なくガツガツと肉を平らげ始めた。

 

「ふふっ。惣右介くんのお料理は世界一ですからっ」

 

 ひよりが自分のことのように胸を張り、嬉しそうに微笑む。

 

 そこからは、敵対するクラスのリーダー同士という立場を忘れ、学生らしい他愛のない会話が続いた。

 

 食事も進んだ頃、私はふと気になっていたことをオサレに尋ねてみた。

 

「――君は常に荒ぶる風と共にいるようだが……その瞳には、すでに誰かの姿が映っているのかな?」

 

「『龍園くんは、好きな人とかいないんですか? よく一緒にいる伊吹さんとか』と仰っていますっ」

 

 ひよりが直球で翻訳すると、龍園は心底うんざりしたような顔で深いため息をついた。

 

「それはねぇよ。あいつはうるさすぎる。女は普通が一番だ」

 

(……龍園の好みが『普通の子』なのだとすれば、確かに伊吹は対極に位置する存在か……)

 

 私は、彼女の勝気な性格や、容赦のない暴言の数々を思い出し、内心でひっそりと龍園に同情した。 

 

 和やかな時間はあっという間に過ぎ、やがて龍園が立ち上がった。

 

「邪魔したな」

 

 龍園は玄関へ向かい、靴を履く。

 

 そして、見送りに立った私とひよりを振り返ると、ニヤリと底意地の悪い、最高に邪悪な顔で笑った。

 

「ちゃんと避妊はするんだな。生徒会長が女を孕ませて退学なんて、笑えねぇからよ」

 

(なっ!? ななな、なんてこと言って帰るんだお前は!?)

 

 突然放たれたセクハラ爆弾に、私の思考回路は完全にショートし、内心で激しいツッコミを連発した。

 

 だが、顔面は絶対零度の強者の威厳を保ち、フッと冷ややかに言い放つ。

 

「――下劣な邪推だね。我々の間に紡がれる甘美なる熱は、地を這う獣の理解の及ぶものではないよ」

 

「ハッ。つまんねぇ野郎だ」

 

 バンッ、と無情にも扉が閉まり、龍園は嵐のように去っていく。

 

 残された玄関には、私とひよりだけ。

 

 恐る恐る隣に視線を向けると、ひよりは耳の先まで真っ赤に染め上げ、湯気が出そうなほどに茹で上がって完全にフリーズしていた。

 

 私は内心で激しく動揺しつつも、オサレな声音で優しく言葉を紡いだ。

 

「――案ずることはない。外野の雑音など、我々の夜空を汚すには至らないからね」

 

(訳:い、今の龍園の言葉は気にしないでいいからね!?)

 

 私が完璧なポーカーフェイスで宥めようとすると、ひよりはギュッと両手で顔を覆ったまま、恥ずかしそうに俯いて呟いた。

 

「…………あの、惣右介くん。……もう少し、大人になってから、ですねっ」

 

(ひよりぃぃぃっ! 頼むから俺の理性を試さないでくれ……っ!!)

 

 恥じらいの極致から放たれた愛しい恋人の一撃に、私の頭は沸騰し、理性のストッパーが粉々に吹き飛びそうになる。

 

 だが、私は必死に暴走しかける理性を繋ぎ止めると、そっとひよりの顎に指を添え、優しく上を向かせた。

 

「……っ」

 

 ひよりが驚いたように潤んだ瞳を瞬かせる中、私はオサレな笑みを浮かべて、その柔らかな唇にそっとキスを落とした。

 

「――ああ。我らの甘き果実が熟すのは、まだ先の話だからね」

 

 私の言葉に、ひよりは頬を赤く染めたまま、幸せそうにふわりと微笑んだ。

 

 三学期最初の過酷な試験は終わった。

 

 だが、私自身の理性を保つ戦いは、どうやらまだまだ終わりそうにない。

 

 

 

 

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