いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
二年生たちが『生存と脱落の特別試験』という過酷な攻防を繰り広げていた日の、放課後。
三年Aクラスの教室で、南雲雅が帰りの支度をしていると、ひらひらと手を振りながら一人の女子生徒が教室に入ってきた。
三年Bクラスの鬼龍院楓花である。
「やあ、南雲。少し時間はいいか?」
他クラスの教室であろうと一切の遠慮なく、我が物顔で歩み寄ってくる鬼龍院。
南雲は鞄を手に取ると、意外そうに軽く眉を上げた。
「お前がわざわざ俺に声をかけてくるなんて、珍しいな」
「フッ。同じ生徒会でこの学校を仕切った仲間じゃないか」
飄々とした態度で笑う鬼龍院に、南雲は呆れたように息を吐く。
「……で、何の用だ?」
「なに、立ち話もなんだ。少し茶でも付き合わないか?」
「雅と楓花ちゃんがお茶するの!? 私も付いて行っていい!?」
二人の会話を耳ざとく聞きつけた朝比奈なずなが、目を輝かせながら南雲の背後からひょっこりと顔を出した。
「ああ。構わないよ、朝比奈」
鬼龍院が快諾し、南雲も肩をすくめたことで、三人は連れ立ってケヤキモールのカフェへと足を運ぶことになった。
放課後のケヤキモールのカフェ。
三人は奥のテーブル席を確保し、それぞれが注文したドリンクを前に腰を下ろした。
南雲はアイスコーヒーのストローを軽く弄りながら、向かいに座る鬼龍院へと視線を向ける。
「……で。お前が俺を誘う理由なんて一つしかない。来月の『交流会合宿』の件か?」
南雲の勘の良さに、鬼龍院は満足げにフッと口角を吊り上げた。
「その通りだ。実は私も、あの合宿に参加しようと思ってね」
「えーっ! 楓花ちゃんも参加するの!?」
朝比奈が驚きの声を上げる。
鬼龍院楓花という生徒は、その優秀な能力とは裏腹に、自分の興味のない学校行事には一切の手を抜くという超マイペースな人物だ。彼女が自ら進んで行事に参加するというだけで、朝比奈にとっては大ニュースだった。
「私も君も、すでに卒業後の進路は安泰だろう? 残りの学校生活、暇を持て余していてね。……せっかくだから、卒業前の暇つぶしに少し遊ぼうかと思ってね」
鬼龍院はコーヒーカップを傾けながら、面白そうに目を細めた。
「へぇ……暇つぶしね」
南雲は余裕の笑みを浮かべ、背もたれにゆったりと寄りかかった。
「直接競い合える形ではないが、せっかくだから卒業前に君と勝負をするのも悪くないと思ってね」
「ハッ、どういう風の吹き回しだ?」
「フフフ、君もこの一年で、随分と魅力的な男になったからね」
鬼龍院がからかうように笑みを深めると、その言葉を聞いた朝比奈が慌てたように身を乗り出した。
「え、ええぇっ!? 楓花ちゃん、雅のこと……!?」
「フフフ。変な想像をするな、朝比奈。そういう意味じゃあないよ」
鬼龍院がクスクスと楽しそうに否定する。
「俺からしても、こんな面倒な女は願い下げだぜ」
南雲が呆れたように鼻を鳴らすと、鬼龍院は肩をすくめた。
「おいおい、私のような淑女を捕まえて面倒とは心外だな」
互いに軽口を叩き合いながらも、かつてのギスギスした空気はそこにはなく、実力者同士の心地よい和やかさが漂っていた。
「勝負をするのはいいが……来月の合宿で実際にゲームに参加するのは下級生だろう? 自分のグループの勝敗で決めるってことでいいのか?」
「ああ。それでいいだろう。私と君で交互に好きな生徒を指名し合って、それぞれのグループを作ろうじゃないか」
「なるほどな、『ドラフト会議』みたいな感じか。……いいぜ。面白そうだ」
南雲が不敵な笑みを浮かべて同意する。
すると、そのやり取りをワクワクとした表情で見守っていた朝比奈が、勢いよく右手を挙げた。
「はいはいっ! それなら、私もそのドラフト会議に参加していい!?」
「いいぜ。なずなが相手でも、俺は本気でいくからな」
南雲が意地悪く笑って承諾すると、鬼龍院も面白そうに目を細めた。
「せっかくだから、三人で賭けでもしようか。最下位になった者が、残る二人に焼肉を奢る。……その程度でいいだろう?」
「ハッ。それなら、同じグループになった後輩たちにも一緒に奢ってやらなきゃな」
南雲がスケールの大きな提案をして笑うと、朝比奈が目を丸くした。
「ええっ!? それ、かなりの人数じゃない!?」
「なんだ、ビビったか?」
「もー、ビビってないし! 絶対に勝つからいいもんねー!」
南雲の煽りに、朝比奈はぷくっと頬を膨らませた後、楽しそうに笑い声を上げた。
かくして、卒業を間近に控えた三年生たちの間で、後輩たちを巻き込んだ『焼肉』を懸けた熱きドラフト勝負の幕が上がることとなった。
◇ ◇ ◇
一月二十一日。
三学期最初の過酷な『生存と脱落の特別試験』を終えた、翌日の朝。
私は惣右介くんのベッドの中で、窓から差し込む冬の柔らかな日差しを浴びて、ゆっくりと目を覚ましました。
昨日の夜、龍園くんが訪ねてきて三人でお夕飯を食べた後。
少しだけ夜更かしをしてお話ししているうちに、私は温かな幸福感の中でうとうとしてしまい……気がつけば、そのまま彼のお部屋に泊まってしまっていたのです。
「ん……」
隣を見ると、穏やかな寝顔で眠る惣右介くんの姿がありました。
彼の寝顔はとても無防備で可愛らしくて、ずっと見ていたくなるけれど……同時に、チクリと胸が痛みました。
「――ひより? おはよう」
私が彼の頬をそっと見つめていると、惣右介くんがゆっくりと目を開けました。
「おはようございます、惣右介くん。……あの、ごめんなさい」
「――どうしたんだい? 朝の光まで、君の心を曇らせるほどのことがあったのかな」
「私、また生徒会長である惣右介くんに……校則を破らせるようなことをしてしまって……」
私が申し訳なさで目を伏せると、惣右介くんは優しく微笑み、私の頬にそっと手を添えてくれました。
「――案ずることはない。理を越えてでも、私もまた、君の温もりを求めていたのだからね」
「惣右介くん……っ」
甘く、どこまでも優しいその言葉に、私の心はあっという間に甘い熱で満たされていきました。
午前中はそのまま彼のお部屋でゆっくりと過ごし、二人で温かいお昼ご飯をいただいた後。
「それでは、また後ほどですね」
「――ああ。日が傾き始めた頃、迎えに行こう」
私はデートの準備をするために、一度自分の部屋へと戻ることにしました。
自室の鏡の前に立ち、少しだけ緊張した面持ちで、自分の姿を念入りに確認します。
淡いブルーグレーのワンピースに、ふんわりとした白いファーのショートコート。足元は歩きやすい黒のショートブーツでまとめてみました。
少しだけ背伸びをして買った淡いピンク色のリップを引き直し、髪の毛のハネがないかを丁寧に櫛で梳かします。
鏡の前で小さく深呼吸をして、自分の右手を胸元に当てます。
そこには、去年の私の誕生日に惣右介くんから贈られた、雪の結晶をモチーフにしたシルバーのネックレスが、静かに、けれど確かな温もりを持って輝いています。そして、右手の小指には修学旅行の時にプレゼントしてくれたピンキーリング。左腕には、クリスマスに交換し合ったパールホワイトの腕時計。
私の身体のあちこちには、惣右介くんがくれた愛情の証が散りばめられていて、それを見るたびに胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じます。
今日は、私の誕生日。
そして、惣右介くんと一緒に過ごす、二度目の誕生日でもあります。
去年の今日は、ちょうどお付き合いを始めて少し経った頃でした。あの時は、まだお互いに少しだけ手探りで、彼の隣を歩くことだけで胸が張り裂けそうなくらい緊張していたのを覚えています。
でも今は――彼の大きな愛に包まれて、こうして彼のために身嗜みを整える時間が、何よりも幸せで、愛おしいと感じられるようになりました。
(惣右介くん、喜んでくれるといいな……)
約束の時間が近づき、私は小さな鞄を手に取って部屋を出ました。
エレベーターで寮のロビーへと降りると、そこにはすでに、見慣れた、けれどいつ見ても息を呑むほど美しい彼の姿がありました。
シックな黒のタートルネックに、上質なロングコートを羽織った惣右介くん。ただそこに立っているだけで、まるで一枚の絵画のように周囲の空気を支配してしまう、私の大好きな人。
「お待たせしました、惣右介くんっ」
私が小走りで駆け寄ると、彼はゆっくりとこちらを振り返り、私を見つめてフッと優しく、どこまでも甘い微笑みを浮かべてくれました。
「――待ちわびたよ、ひより。今日の君も、冬の夜空に瞬くどんな星々よりも眩しい輝きを放っているね。……その可憐な姿を前にしては、この私でさえも、見惚れて立ち尽くすことしかできないようだ」
惣右介くんの紡ぐ、詩的で美しい言葉たち。
他の人が聞けば少し大袈裟だと笑うかもしれませんが、私にとっては、彼の心からの愛情が真っ直ぐに伝わってくる、世界で一番大好きな響きです。
「ふふっ、ありがとうございます。惣右介くんも、とってもかっこいいですよ」
私は嬉しさで胸をいっぱいにしながら、ごく自然な動作で彼の右腕に自分の腕を絡ませました。
クリスマスの夜、彼のお部屋で心も身体も一つに結ばれてからというもの、こうして彼に触れることへの恥ずかしさよりも、「触れたい」という想いの方が強くなってしまっています。
私がきゅっと腕に力を込めると、惣右介くんもまた、愛おしそうに私の頭を優しく撫でてくれました。
「――さあ、行こうか。今宵は、この世界で最も尊き月の誕生を祝うための、特別な宴を用意しているからね」
私たちは腕を組んだまま、冷たい冬の風が吹く並木道を歩き出しました。
吐く息は白く染まりますが、彼と密着しているおかげで、ちっとも寒くはありません。
「昨日の特別試験、本当にお疲れ様でした。惣右介くんがリーダーとして私たちを導いてくれたおかげで、無事に一位を取ることができましたねっ」
並んで歩きながら私が昨日の労いを口にすると、惣右介くんは涼しげな表情のまま前を向いて答えました。
「――天に立つ者として、当然の務めを果たしたまでさ。それに、君たちがあの重圧の中で見事に知恵を紡ぎ出してくれたからこそ、私の描いた軌跡が完成した。勝利は、君たちの努力の結晶だよ」
「ふふっ。でも、帆波ちゃんもみんなも、惣右介くんには本当に感謝していましたよ。……私も、惣右介くんがリーダーで、本当に心強かったです」
私が上目遣いで彼を見上げると、惣右介くんは少しだけ目を細め、私の指先にそっとご自分の指を絡ませてくれました。
「――君が安心して空を見上げられるのなら、私が何度でも、立ちはだかる暗雲を切り裂く剣となろう」
その力強く優しい言葉に、私は幸せを噛み締めながら頷きました。
そのまま和やかに会話を続け、私たちはイルミネーションが美しく輝くケヤキモールへと足を踏み入れました。
向かったのは、学生には少し敷居の高い、予約制の落ち着いた雰囲気のフレンチレストランでした。惣右介くんはスマートにエスコートしてくれて、私たちは奥の夜景が見える素敵なテーブル席へと案内されました。
キャンドルの揺らめく灯りが、大人の雰囲気を演出しています。
「わあ……とっても素敵な場所ですね」
「――君という至上の宝飾を飾るには、これでもまだ物足りないくらいだがね」
惣右介くんはそう言って微笑むと、私にメニューを手渡してくれました。
美味しいコース料理をいただきながら、私たちは色々な話をしました。最近読んだ本のこと、クラスのみんなのこと、そして――これからのこと。
ふと、私は彼が抱えている生徒会のお仕事について、気になっていたことを口にしました。
「あの、惣右介くん。生徒会のお仕事に加えて、龍園くんたちの計画も学校側の承認が下りたばかりですし……これから本格的にお忙しくなってしまいますね」
クラス全員を移籍させるためのポイントを稼ぐという龍園くんの途方もない野望。惣右介くんは生徒会長という立場を利用して、その計画を学校側や企業に認めさせるための後ろ盾となって動いていました。
「これからお忙しくなる時期に……今日、私のためにこうして特別なお時間を作っていただいて、なんだか申し訳ないです」
私が少しだけ肩を落として申し訳なさそうに言うと、惣右介くんはゆっくりとフォークを置き、真剣な、そしてどこまでも深く温かい瞳で私を真っ直ぐに見つめ返してくれました。
「――星々が如何なる軌道を描こうとも、君と過ごす時間を削るつもりはない。今日という日は、私が一人の男として、愛しき月の誕生を祝い、その全てを捧げると決めた特別な時間だ。……世界が崩壊しようとも、君との約束を違えることなどあり得ないよ」
「惣右介、くん……っ」
彼の紡ぐ、強くて、優しくて、揺るぎない愛の言葉。
どんな忙しさも、どんな困難も、彼にとっては私と過ごす時間の障害にはなり得ないのだと、その瞳が語っていました。
胸の奥がきゅんと締め付けられ、熱いものが込み上げてきます。
「……ありがとうございます。私、惣右介くんのおかげで……本当に、世界で一番幸せな女の子です」
私が潤んだ瞳で微笑むと、惣右介くんは嬉しそうにフッと口角を上げ、グラスを軽く傾けました。
ディナーの後は、少しだけ夜のケヤキモールを散策しました。
冬の澄んだ空気の中、キラキラと輝くイルミネーションの光が、二人の足元を照らしています。
私たちは自然と手を繋ぎ、彼のお部屋へと向けてゆっくりと歩いていました。
「ふふっ。お腹がいっぱいで、なんだか眠くなってきちゃいました」
「――満ち足りた幸福の中で微睡むのは、極上の贅沢だからね。帰ったら、温かい紅茶を淹れよう」
惣右介くんの優しい声に甘えるように、私は彼の肩にコトンと頭を預けながら歩きました。
彼のお部屋に到着し、コートを脱いでソファに腰を下ろします。
惣右介くんが淹れてくれた温かいダージリンティーの香りが、お部屋いっぱいに広がりました。
一口飲んでホッと息を吐いたところで、惣右介くんが、ふと真面目な顔つきになって私の正面へと座り直しました。
「――ひより」
「はいっ」
彼が私の名前を呼ぶ声は、いつもよりも少しだけ低く、艶を帯びていました。
惣右介くんは、胸元の内ポケットから、ベルベットの小さな箱を取り出し、私の目の前のテーブルにそっと置きました。
「――君がこれまで私にくれた温もりは、形を持たない永遠の宝だ。私の孤独な世界に光をもたらし、隣を歩んでくれる君へ……私からは、確かな形を贈ろう」
惣右介くんが箱を開けると、そこには――。
繊細なプラチナの台座に、深く、美しい赤色を湛えた宝石があしらわれた、特注のイヤリングが収められていました。
「わあ……っ! すごく、綺麗です……!」
「――一月の誕生石、ガーネット。その石が持つ意味は『真実』『情熱』そして『変わらぬ愛』だ。……君の誕生を祝福する、紅き星の瞬きだよ」
惣右介くんはそう言って、私を見つめました。
「君の可憐さをさらに引き立ててくれると思ってね。……受け取ってくれるかい?」
「惣右介くん……」
彼が私のために、考えて選んでくれた特別な贈り物。
ただ高価なだけではなく、そこには私への『変わらぬ愛』という、何よりも重くて温かい想いが込められていました。
私は嬉しさで胸がいっぱいになり、ついに堪えきれずに涙をポロリと零してしまいました。
「……はいっ。……とっても、とっても嬉しいですっ」
私が涙声で頷くと、惣右介くんは優しく微笑み、箱からイヤリングを取り出しました。
「――失礼するよ」
彼はソファから身を乗り出し、私の耳元へと顔を近づけました。
惣右介くんの綺麗で長い指先が、私の耳たぶにそっと触れます。くすぐったいような、心地よい緊張感。彼の微かな吐息が首筋にかかり、心臓がドキドキと音を立てました。
「――やはり、私の目に狂いはなかった。君の銀色の髪に、紅の輝きがよく映えている」
イヤリングを着け終わった彼は、私の顔をじっと見つめ、満足そうに目を細めました。
私もそっと自分の耳元に触れ、そこにある確かな温もりと重みを感じ取ります。
「……ありがとうございます、惣右介くん。私、一生の宝物にしますね」
「――君という存在そのものが、私にとっての宝物だよ」
惣右介くんは私の涙を指先で優しく拭うと、そのまま私の頬にそっと手を添え、ゆっくりと顔を近づけてきました。
私も自然と瞳を閉じ、彼を受け入れます。
重なり合う唇からは、彼が淹れてくれたダージリンの香りと、甘く熱い彼の体温が伝わってきました。
「……んっ……」
何度も、何度も、確かめ合うように繰り返される優しいキス。
彼に触れられるたびに、私の身体の奥底から甘い痺れのようなものが広がっていき、彼なしではいられないほどに、心が溶かされていくのがわかります。
「――愛しているよ、ひより」
唇を離し、至近距離で見つめ合いながら囁かれた、魔法のような言葉。
「……私も……私も、惣右介くんのこと、愛しています」
彼と出会って、彼に恋をして。
本の世界でしか知らなかった『愛』という感情が、こんなにも温かく、苦しくて、幸せなものなのだと、彼が教えてくれました。
私は彼の胸に顔を埋め、その力強い鼓動を耳元で感じながら、彼を強く抱きしめ返しました。
(これからもずっと、惣右介くんの隣で、同じ時間を刻んでいきたい……)
特別な誕生日の夜。
窓の外には冷たい冬の月が輝いていましたが、彼に抱かれた私の世界は、いつまでも幸福な熱に満たされていました。