いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
二日目の朝。私は同室の誰よりも早く目を覚まし、静かに布団から抜け出した。
窓の外を見ると、雪山の澄み切った空が、うっすらと白み始めている。
(……合宿所は暖房が効いていて快適だが、やっぱり朝の空気は冷えるな)
私が洗面所へと向かい、冷たい水で顔を洗ってサッパリとした気分で部屋に戻ると、少し離れた場所に敷かれた布団がもぞりと動き、平田洋介が身を起こしていた。
「――私の刻む足音が、君の微睡みの世界を現実に引き戻してしまったかな?」
(訳:ごめんね、起こしちゃった?)
私がオサレに尋ねると、平田は少しだけ苦笑しながら首を振った。
「ううん。だいたいいつもこのくらいの時間に目が覚めるからね。藍染くんは随分と早いんだね」
「――ああ。静寂に包まれたこの箱庭の夜明けを、一人で眺めるのも悪くないと思ってね」
(訳:俺も普段から割と早起きだからね!)
「そっか。……朝食まで時間もあるし、せっかくだから大浴場に行こうと思ってるんだけど……もしよかったら、一緒にどうかな?」
平田からの穏やかな誘いに、私はフッと優雅な笑みを浮かべた。
「――朝の清冽な空気を纏いながら、大地の熱を分け合うのも悪くないね」
(訳:いいね! 朝から温泉だなんて最高だね!)
私がオサレに快諾すると、平田はホッとしたように「ありがとう」と微笑んだ。
◇ ◇ ◇
朝の早い時間ということもあり、広々とした大浴場に他の生徒の姿は少なかった。
私たちは静かな空間でしっかりと体を洗い流した後、外の露天風呂へと足を踏み入れた。
冷たい外気と、湯船から立ち上る白い湯気。
肩までゆっくりと湯に浸かると、合宿初日の疲れがじんわりと溶け出していくような感覚に包まれる。
(はぁ……最高だ……。朝の露天風呂を貸し切り状態なんて、贅沢すぎるな……)
私が内心で極上のリラックスタイムを満喫していると、平田が、思い詰めたような顔でぽつりと口を開いた。
「……Aクラスは、凄いね。これまで誰一人として退学者を出すことなく、僕たちとCクラスの同盟も退けて、ずっとクラスポイントを伸ばし続けている」
平田は湯面に視線を落とし、自らを責めるように言葉を紡いだ。
「……もしも、僕にもっと力があれば。……山内くんや篠原さんも退学することなく、みんなが仲良く過ごせていたのだろうか。……最近、そんなことばかり考えてしまうことがあるんだ」
平田の脳裏には、クラス内投票で退学となった山内や、満場一致特別試験で去っていった篠原の顔が浮かんでいるのだろう。
どこまでも優しく、クラスの誰一人として欠けることを望まない彼にとって、二人の退学者は今もなお、深く心に突き刺さったままの棘となっている。
私は静かに湯気を吸い込み、思い悩む平田へと静かに言葉を降らせた。
「――君の背負う十字架は、君自身がその重さを測っているに過ぎない。この一年、君たちが歩んだ軌跡は確かな光を放っていた。……こぼれ落ちた星があるとしても、それは君の放つ光が弱かったからではないよ」
(訳:平田はよく頑張ってると思うよ。Dクラスの成長は目を見張るものがあるし、確かに退学者は出てしまったけど、それは君のせいじゃないよ)
「藍染くん……。でも、ずっと考えてしまうんだ。AクラスとBクラスはこれまで退学者を出すことなく、それにクラスの仲もとてもいい。僕たちも、もっと上手くやれたんじゃないかって……」
「――皆の先頭に立ち、旗を振るのは堀北だろう。最も大きな力を持つのは、清隆かもしれない。……だが」
私はゆっくりと首を横に振り、彼の持つ本質的な価値をオサレに説く。
「――どれほど強き者が先頭に立とうとも、その歩みを支える者がいなければ、やがて足並みは乱れていく。……君や櫛田のように、人と人の間に温もりを与え、皆の心を繋ぐ者がいるからこそ、君たちの箱庭は今日まで形を保ってこられたのではないかな?」
(訳:クラスを引っ張るリーダーは堀北さんだろうし、一番能力が高いのは清隆かもしれない。……でも、どれだけ優れた人がいても、それだけでクラスがまとまるわけじゃない。君や櫛田さんみたいに、優しくて、みんなを繋いでくれる人がいるからこそ、君たちのクラスはここまでやってこられたんじゃないかな?)
「……っ」
平田が、弾かれたように顔を上げた。
「――太陽が人を照らすように、君の優しさにもまた、人を繋ぎ止める力がある。……強さだけでは届かない場所へ手を伸ばせる者を、私は決して無価値だとは思わないよ」
(訳:俺たちのクラスが一之瀬の優しさでまとまっているように、平田の優しさにも人を繋ぐ力がある。君にしかできないことを、君はちゃんとやってるよ)
私の言葉に、平田は少しだけ目を丸くした後、柔らかな笑みを浮かべた。
「……僕を励ましてくれているんだよね? ……ありがとう、藍染くん。朝からこんな話を聞かせてしまってごめんね」
「――案ずることはない。迷うこともまた、歩みの一つだ。……道を見失った時には、私を頼るといい」
(訳:気にしないで。平田みたいないいやつにそんな悲しそうな顔をしてほしくないからね。またいつでも相談に乗るよ)
私がオサレに励ますと、平田は「ありがとう」ともう一度、今度はスッキリとした表情で深く頷いた。
そして、両手で顔をパシャリとお湯で洗い、憑き物が落ちたような晴れやかな顔で息を吐き出す。
(うん。元気になってくれたみたいで良かった。……出来ることなら、平田みたいな善人には幸せに過ごしてほしいからな)
私は湯船の中で静かに目を閉じ、湯の温かさを感じながら思考を巡らせる。
(……俺は恵まれているんだろうな。もし平田が最初からAクラスやBクラスに配属されていれば、こんなに思い詰めるようなこともなかっただろう)
入学当初のDクラスの荒れ具合や、クラス内投票の時に見せた醜い言い争い。
(もしも、俺がDクラスに配属されていたなら……うん。間違いなく、入学して最初の一ヶ月で見切りをつけて、ひよりのいるクラスに移籍していただろうな。……そうなると、龍園とは確実に揉めていただろうし、俺もひよりも特別試験に協力することなく、ずっと二人きりで図書室で過ごしていたんだろうか)
そんな、『もしも』の景色を頭の片隅に思い描き、私はフッと小さく息を吐き出した。
「そろそろ上がろうか。藍染くんも、のぼせないうちにね」
平田が立ち上がり、私に爽やかな笑顔を向ける。
「――ああ。少々長居しすぎたようだね」
私は優雅な所作で湯から立ち上がり、白みゆく冬の空を静かに眺めながら、彼と共に朝の露天風呂を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
朝風呂を終えて部屋に戻ると、同室のメンバーたちもすでに起き出していた。
「お、朝から大浴場に行ってたのか?」
橋本が、タオルを首にかけた私たちを見て声をかけてくる。
「うん。人も少なくてすごく良かったよ」
すっかりいつもの穏やかな笑顔を取り戻した平田が答えると、橋本や一年生たちも「俺たちも明日早起きして行ってみるか」と楽しそうに笑い合った。
その後、八時の朝食の時間になるまで、私たちは部屋で和やかに談笑して過ごした。
時間になり、大広間の食堂へと向かう。
そこで同じグループの女子たちとも合流し、メンバー全員で大きなテーブルを囲んだ。
「おはようございますっ」
「――ああ、おはよう。今朝の君も、雪解けの雫のように瑞々しい美しさだね」
(訳:おはよう、ひより!)
私は愛しい恋人とオサレな挨拶を交わし、ごく自然な動作で彼女の隣に並んで座り、一緒に朝食を食べ始めた。
「みんな、おはよう! しっかり寝れたかな?」
朝比奈先輩が、パンをかじりながら明るくグループ全員を見渡す。
「九時からは二日目のゲームが始まるけど、今日も全勝目指して頑張ろうね!」
朝比奈先輩の元気な号令に、私たちも力強く頷き、迫り来る二日目の遊戯へ向けて腹ごしらえを進めた。
朝食を終え、午前九時。
二日目の午前の部のゲームが幕を開けた。
一戦目の種目は『チョークアート』。
朝比奈グループから選出されたのは、私、ひより、神室、金田、そして一年生の伊藤の五名だ。
各々が黒板に向かい、色彩豊かなチョークを使って指定されたテーマの絵を描き上げていく。
私は持ち前の完璧な身体操作と空間把握能力を駆使し、あっという間に一つの芸術作品を完成させた。結果、個人としてもグループとしても危なげなく勝利を収める。
「金田くんと神室さんのアート、凄かったですねっ!」
ゲームを終え、会場を後にする道すがら、ひよりが感嘆の声を上げた。
「――美を追求する者たちの描き出す世界には、確かな魂が宿っていた。もし彼らが盤面の向こう側に立っていたなら、私も呑み込まれていたかもしれないね」
(訳:二人ともさすがは美術部だね! もしも対戦相手だったら負けてたよ!)
続く二戦目は、『押し花作り』。
参加者は私、ひより、七瀬、中島、鈴木。
私以外は全員女子という編成だったが、ここでも私の手先の器用さが遺憾なく発揮され、可憐な花々の色彩を完璧なバランスで封じ込めることに成功した。
これも個人、グループ共に危なげなく勝利することができた。
そして午前の部、最後となる三戦目は『パターゴルフ』。
選出されたのは私、橋本、平田、宇都宮、田中の男子五名。
私はボールの軌道、芝の抵抗、傾斜角の全てを一瞬で計算し、放った一打はすべてカップへと正確に吸い込まれていった。
ここでも当然のように個人勝利を収め、グループとしての三連勝にも貢献した。
午前中の三試合を終え、私たちは再び大広間の食堂に集まり、昼食のテーブルを囲んでいた。
「惣右介くんっ、ここまで全て個人としても勝利していますね!」
向かい合って座るひよりが、キラキラと目を輝かせて私を称賛してくる。
「――勝利を己の才覚だけで語るほど、私は思い上がってはいないよ。美を描く技では彼女たちに、儚きを留める術では君に、一歩譲っていたからね」
(訳:運も良かったけどね、アート系は美術部の二人の方が凄かったし、押し花作りもひよりの方が上手だったよ)
私がフッと微笑みながらオサレに謙遜すると、ひよりは花が綻ぶように笑った。
「パターゴルフは楽しかったですか?」
「――ああ。静かな芝の上で、ただ一打の行方を見届けるのも悪くないものだね。いつか時を重ねたその先で、こうした時間を嗜むのも悪くないかもしれない」
(訳:めっちゃ楽しかったよ! 大人になったら趣味としてゴルフを始めるのもいいかもしれないね)
「ふふっ、素敵ですねっ」
「藍染のやつ、ほとんど一発で決めてたぜ? 本当に初心者かよ」
和やかに会話をしていると、少し離れた席から橋本が楽しそうに会話に混ざってきた。
「――道筋さえ見えているのなら、あとは球にその先を委ねればいい。君の一打も、迷いなくその道を辿っていたじゃないか」
「『そんなに難しいコースでもなかったですからね。橋本くんもお上手でしたよ』とのことですっ」
私がオサレに返すと、ひよりがニコニコと完璧な翻訳を入れる。
「力加減が下手ですまん。……いや、すみません」
すると、同じくパターゴルフに参加していた一年生の宇都宮が、少しばかり申し訳なさそうに頭を下げた。彼は力を持て余し、何度かボールをオーバーさせてしまっていたのだ。
「謝ることないぜ。グループとしては勝利出来たし、負けたとしてもペナルティも無いからな、気楽にやろうぜ」
橋本が気さくに笑って宇都宮をフォローし、平田も「うん、楽しむことが一番だからね」と優しく頷く。
テーブルは終始、穏やかでリラックスした空気に包まれていた。
(……うん?)
食事を進めながら、私はふと、昨日と同じような微かな視線を感じて顔を上げた。
視線の先には、同じグループの一年生、石上京の姿があった。
彼は静かにこちらを見つめ、私が視線を向けると、小さく目を伏せて食事へと意識を戻した。
(……やはり気のせいじゃなさそうだな。あとで声をかけてみよう)
私は内心で密かに思考を巡らせながら、優雅に食後の紅茶を飲み干した。
昼食を終え、午後の部が始まるまでの自由時間。
私は席を立ち、一人で静かに過ごしていた石上の元へと歩み寄った。
「――私の瞳に映る君の姿が、何かを語りたげに揺らいでいるように見えたのだけれどね。私に何か話したいことでもあるのかな?」
(訳:俺と何か話したいことでもあるのかな?)
私がオサレに声をかけると、石上は黒い瞳で私を静かに見上げ、そして周囲を一度確認してから口を開いた。
「……人気のないところに行きましょうか。椎名先輩は付いてこないでもらえると助かります」
その言葉に、私は微かに目を細めた。
石上の案内に従い、私たちは雪が降り積もる屋外の、人目の付かない木立の影へと移動した。
ひんやりとした冷たい風が、私たちの間をすり抜けていく。
「――さあ、語るといい」
私がオサレに促すと、石上は無表情のまま淡々と告げた。
「藍染先輩はこの学校の試験にも本気で取り組んでいるようですね」
(……ん? どういう意味だ?)
私は内心で困惑しつつも、表面上は威厳ある態度を崩さない。
「『力を持っていながら、それを使わないのは愚か者のすることだ』」
石上がぽつりと呟いたその言葉に、私の思考が瞬時に繋がった。
(……なるほど、清隆の父親の関係者か。だが、なぜそれを明かすんだ? こいつもホワイトルーム生か? ……いや、それにしては肉体的な能力は低そうだ)
石上の体つきや立ち姿から、彼がホワイトルームの過酷な訓練を受けてきた人間ではないことは一瞬で分かる。
「――聞き覚えのある言葉だね」
私がフッとオサレに笑みを浮かべて返すと、石上は静かに頷いた。
「俺はホワイトルーム生ではないが、綾小路先生を尊敬している。あの方の野望のためには、藍染先輩の力が必要だ」
「――言を俟たずとも、結果など見え透いているだろう?」
私の即答に、石上の表情に微かな険が混じる。
「そうだろうな。……だが、油断が過ぎるんじゃないか? 貴方にはあまりにも弱点が多い」
石上の言葉の裏にある『ひよりやクラスメイトの存在』という明確な脅し。
――その瞬間。
私はフッと目を伏せ、そして、絶対的な零度を孕んだ視線で石上を見下ろした。
「――君が誰を崇拝しようと勝手だ。だが……私の掌の中にある大切なものに触れるというのなら、あの男ごと、君という存在をこの世界から消し去る必要がありそうだな」
大気が軋むような、常軌を逸した重圧が、周囲の空間を完全に支配した。
冬の寒さなど比較にならないほどの、絶対的な『死』の恐怖。
「っ……!」
石上は呼吸を忘れ、本能的な恐怖によって強制的に雪の上へと膝をつかされた。
それでもなお、彼は必死に冷静さを保とうと私を見上げる。
「なるほど……これが八神拓也を退学させた貴方の力、というわけですか」
「――力? この程度のものを、君はそう呼ぶのかい?……私が本気で君を害するつもりなら、今ここで君が生きている理由すら、もう残っていないというのにね」
私が威圧的に、見下すように脅しをかけると、石上の額からツッと冷たい汗が流れ落ちた。
「――私としても、ひよりが悲しむような世界は望んでいない。だが……彼女やクラスメイトに指一本でも触れるというのなら、私はどんな手段であれ行使するよ」
「……なるほど、綾小路先生もホワイトルームから追放するわけだ」
石上が、私の異常性を理解したように冷や汗を流しながらぽつりと呟いた。
そして、わずかに震える声で言葉を続ける。
「……俺は貴方と敵対する気持ちはありません。綾小路先生の計画は聞かされていますが、貴方をホワイトルームに連れ戻す方がリスクが高い、そう考えています。人質を取ろうと大人しく従うような人間には見えませんが……確認のために接触させてもらいました」
彼なりの合理的な判断と、その肝の据わった覚悟。
私はフッと息を吐き、周囲を圧迫していた殺気を静かに霧散させた。
「――君については、要からいくらか聞かせてもらっている。才に恵まれながら驕らず、冷静でありながら、人との繋がりを捨てることもない。……そんな君があの程度の男に心酔する理由が、どうにも見えてこないね」
(訳:君のことは要から聞いてるよ。すごく優秀なのに驕らないし、冷静だけど仲間のことも大切にするすごい人間だって。そんな君がなんであんな人間を尊敬しているんだ?)
私がオサレに問いかけると、石上はゆっくりと立ち上がり、乱れた息を整えながら答えた。
「……綾小路先生は、この国を変えようとしている。確かにホワイトルームは問題のある施設だが、それでも自分が国の頂点に立ち、この国をより良く導くという明確なビジョンと力がある」
「――君は視座を置くべき人間を間違えている。あの男がこの国の頂に立つことなど、決してあり得ない」
(訳:君はつく人間を間違えてるよ。あの男がこの国の頂点に立つことは決してない)
私は明確に断言し、空を仰ぐようにして静かに言葉を紡いだ。
「――彼方の空を統べ、天に立つのは……この私だからだ」
「……っ!」
私の圧倒的な絶対者の宣言に、石上が目を見開く。
「――人の心を映せぬ器に、いったいどれほどの人間の未来を委ねられるのだろうね」
(訳:他者のことを顧みることもできないような人間に、人の上に立つ資格はないよ)
「……それは……だが、目標のためには手段は選んでいられないだろう」
「――遥かなる理想を見据える者ほど、歩む道を誤ってはいけない。望むもののためなら、何を犠牲にしても構わないなど……私は認めないよ」
(訳:目標があるからって、なんでもしていいわけじゃないよ。どんなに立派な目標でも、そのために人を傷つけたり、犠牲にしたりしていい理由にはならない)
私は石上へ真っ直ぐに視線を向け、オサレに手を差し伸べた。
「――君が抱く志まで否定するつもりはないよ。理想を捨てる必要も、歩みを止める必要もない。……ただ、選び直すといい。己の望む未来を、誰に託すのかを」
(訳:この国を変えたいっていう君の気持ちは、そのままでいいと思うよ。……ただ、誰についていくのかだけは、もう一度考え直してみるといいんじゃないかな)
「……っ」
私の言葉に、石上はひどく動揺したように視線を泳がせた。
清隆の父が持つ野望と、私が提示した覇道。
どちらを選ぶべきなのか――その答えを、彼自身も既に理解し始めているのかもしれない
「……少し、考える時間をください。……貴方の弱点に関しては、報告するつもりはありません」
石上は深く頭を下げると、足早にその場から立ち去っていった。
(……やはり、関係者は潜んでいたか。これからも警戒は必要だが、ひとまずは大丈夫だろう)
私は去っていく石上の背中を一瞥すると、視線を空へと向けた。
白い雪が、静かに降り続いている。
その一片を手のひらで受け止めながら、私は午後から始まる特別試験へと思考を切り替えた。
(――さて。今は目の前のことに集中するとしよう)
静かに、しかし確かな決意を胸に抱きながら、私は再び歩き始めた。