いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
交流会合宿、四日目の朝。私は同室の誰よりも早く目を覚まし、静かに布団から抜け出した。
窓の外を見ると、昨日まで降り続いていた雪は止み、雲の隙間から冬の澄んだ朝日が差し込んでいる。
(うーん、よく寝た。……今日でこの合宿も終わりか。高円寺や井の頭さんに負けて悔しい思いもしたけど、なんだかんだ楽しい合宿になったな)
私は小さく伸びをして、静かに思考を巡らせる。
特別試験のように退学の危機やクラスポイントの変動に怯えることなく、純粋に他クラスや他学年の生徒たちと交流を深め、未知の体験を味わうことができた。
三位という結果には終わったものの、充実した時間を過ごせたことは間違いない。
(さて、みんなでまた朝風呂に行こうと約束していたし、起こすとしようか)
私は規則正しい寝息を立てている平田や橋本、そして一年生たちにオサレに声をかけ、全員で連れ立って大広間の露天風呂へと向かった。
冷たい冬の空気と温かいお湯のコントラストを楽しみながら、私たちは合宿最後の朝風呂を満喫した。
◇ ◇ ◇
朝風呂を終え、身支度を整えた私たちは、大広間の食堂に集まって最後の朝食を取っていた。
「みんな、おはよう! いよいよ今日で合宿も終わりだね!」
朝比奈先輩が、パンをかじりながら明るくグループ全員を見渡す。
「合宿所を出発するバスは十時に出るから、それまではみんな、好きに過ごしていいからね〜! もう一回やりたい体験をするもよし! 部屋でゆっくりするもよし! みんなの自由だよ!」
朝比奈先輩の元気な号令に、グループのメンバーたちも「はいっ!」「最後まで楽しみます!」と楽しそうに返事をした。
思い思いに自由時間の予定を立て始める生徒たち。
「堀北! 卓球行くわよ!」
伊吹が、朝食を終えるや否や、ものすごい剣幕で堀北を指差した。
どうやら、昨日の卓球の試合で自分よりも堀北の方が活躍していたことが気に入らず、直接対決で白黒つけたいらしい。
「はぁ……。朝から元気ね。まあ、いいわよ」
堀北は心底呆れたような深いため息をつきつつも、伊吹の挑戦を無下にはせず、静かに立ち上がって付き合ってあげるのだった。
「ふふっ。伊吹さんと堀北さんは、本当に仲良しですねっ」
隣に座るひよりが、二人の背中を見送って楽しそうに微笑む。
「――交わる刃は、互いを拒むためにあらず。……時に、誰よりも近しい者の証となる」
(訳:喧嘩するほど仲がいいってやつだね!)
私がオサレに同調すると、ひよりもコクリと頷いた。
「私たちは、十時まで何をしますかっ?」
ひよりが上目遣いで、私に問いかけてくる。
「――君が望むなら、どんな景色にも付き合おう。……ただ、もし君が構わないというのなら、私はもう一度、あの無機質な塊に命を吹き込む作業に挑みたいかな」
(訳:なんでもいいけど、ひよりが構わないなら彫刻体験をもう一度、帰る前にやりたいかな!)
私がオサレにリベンジの意志を伝えると、ひよりは口元を手で覆い、くすくすと可愛らしく笑った。
「ふふっ。高円寺くんに負けたのが、よっぽど悔しかったのですねっ。……はいっ、一緒に行きましょう!」
ひよりは私のオサレな言い回しの裏にある本音を完璧に見抜き、嬉しそうに頷いてくれた。
◇ ◇ ◇
その後、私たちは体験教室へと向かい、二人並んで彫刻体験を行った。
私は昨日の反省と高円寺の筋肉彫刻の造形を脳内で完璧にシミュレートし、指先の感覚を極限まで研ぎ澄ませる。
そして完成したのは、昨日よりもさらに精巧さを増し、神々しいまでのオーラを放つ『ひよりの彫刻・完全版』だった。
(よし……! これなら絶対に高円寺にも負けない出来栄えだ!)
私は内心でガッツポーズを決め、圧倒的な達成感と共に合宿最後の体験を終えた。
「惣右介くんの彫刻、昨日よりもさらに完成度が高まってますねっ。……でも、やっぱり私をモデルにされるのは、少し恥ずかしいです」
ひよりが顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうに私の作品を見つめてくれる。
私たちは満ち足りた気分のまま体験教室を後にし、帰りの荷造りをするために、一旦それぞれの部屋へと戻ることになった。
「それじゃあ惣右介くん、またあとでロビーで待ち合わせましょうねっ」
「――ああ。後ほど、君を迎えに行くよ」
ひよりと女子部屋の前で別れ、私が男子部屋へと続く静かな廊下を歩いていた、その時。
――ブルルルルッ。
ジャージのポケットに入れていた携帯電話が、短く振動した。
(ん? 着信か。……清隆から? どうしたんだろう?)
画面に表示された『綾小路清隆』の文字に、私は微かな疑問を抱きながら通話ボタンを押した。
「――静寂を破るには、少々意外な声だね」
(訳:どうしたの?)
私がオサレに電話に出ると、通話口の向こうから、相変わらず感情の読めない平坦な声が返ってきた。
『……少し、話したいことがあってな。時間は問題ないか?』
「――君との語らいを拒む理由などないよ。……直接、言葉を交わすかい?」
(訳:あとは帰る準備だけだから問題ないよ。直接話す?)
私がオサレに提案すると、清隆は短い沈黙の後、静かに答えた。
『ああ。ここに来てくれ』
清隆から、合宿所内にある人気のない場所を指定される。
(……このタイミングで、人目を避けての呼び出しか)
私は携帯電話をポケットにしまい、部屋には戻らず、踵を返して清隆の指定した場所へと歩みを進めた。
修学旅行で接触してきた月城から得た情報、清隆の父親の野望、そして迫り来る鬼島総理の視察。三学期に入り、いよいよ様々な動きが本格化し始めている。
私は少しだけ思考のスイッチを切り替えながら、指定された場所へと到着し、背を向けて立っていた清隆へ静かに声をかけた。
「――待たせたね、清隆」
私の声に、清隆がゆっくりと振り返る。
「すまないな。時間を取ってもらって」
(……なんだか緊張してる? どこか雰囲気が違う感じがするな。やっぱりホワイトルーム絡みの件かな)
私は清隆の僅かな気配の変化を読み取りつつ、あくまで自然に振る舞う。
「――大したことではないよ。……それで、私の耳に入れるべき事象が起きたのかな?」
(訳:大丈夫だよ。何かあったの?)
私がオサレに尋ねると、清隆は静かに口を開いた。
「……雪を覚えているか?」
「――随分と懐かしい響きだね」
(訳:雪? もしかしてホワイトルームの?)
私がオサレに応じると、清隆は微かに目を伏せた。
「ああ。お前は仲が良かっただろう?」
(……仲良かったのかな……? 確かによく話しかけてくれたし、ホワイトルームには珍しく感情豊かな子で印象には強く残ってるけど、だいぶ俺のこと怖がっていたイメージだけど……)
私は内心で首を傾げつつも、記憶の糸を手繰り寄せる。
「――彼女の姿は今も鮮明に覚えているとも。……だが、あの白き檻を最後まで生き抜いたのは、君ただ一人だろう。ならば彼女もまた、私が天へ至った後に、その翼を折られたのだろう?」
(訳:懐かしいね。でも、清隆だけが生き残ったってことは、雪も俺が追放された後に脱落しちゃったんだよね?)
「ああ。お前が追放されてすぐに、雪も、残った同期たちもすぐに脱落していった。……惣右介を追放したのも、その辺りも関わっているのだろう。何度か脱落しそうになった同期を、教官から助けていただろう?」
「――救済などという大仰なものではないがね。あの場所に縋る想いが強い者には、ほんの少し歩みを合わせてやった記憶はあるよ」
(訳:確かにホワイトルームから脱落したくないって相談しにきてくれた子は何度か手助けした覚えはあるね。雪は特にホワイトルームに対して執着していたイメージがあるよ)
(……あの時は、
私は当時の己の壮絶な勘違いと黒歴史を思い出し、内心でそっと蓋をした。
「――それで? その雪がどうしたというんだい?」
(訳:それで、雪がどうかしたの?)
私がオサレに本題を促すと、清隆は淡々と推測を口にした。
「オレと同じグループだった、一年Cクラスの椿桜子。彼女はおそらく雪の妹だ」
(……えっ!?)
ふと、無人島サバイバルの時の光景が脳裏をよぎる。
私に怯えながらも、わざわざ足を止めてまで尋ねてきた、あの唐突な質問。そして、私の返答を聞き、何かを納得したように小さく息を吐いた彼女の姿。
(……なるほど。あの質問には、そういう意味があったのか)
当時は答えの分からなかった椿の言葉。その真意を、私は今になってようやく理解した。
「――記憶の欠片が、今繋がったよ。無人島での試練の折、彼女の瞳の奥に確かな郷愁を覚えたものさ。……あの時は些末なこととして流してしまったが、今思えば、彼女の姿に雪の面影が重なっていたのだろうね」
(訳:確かに、俺も無人島サバイバルの時に椿に対して懐かしさを覚えた。……あの時はそれどころじゃなかったけど、今思えば、雪の面影を感じていたのかもしれないね)
私がオサレに納得すると、清隆も同調するように頷いた。
「椿からそう明言されたわけではないが、昨夜椿に話しかけられてな。その時のオレに対する問いかけと、惣右介が椿から感じたという懐かしさ。間違いないだろうな」
「――ならば、椿もまた白き檻の住人ということかい? 彼女の纏う空気は、あの場所で造られた者とは異質に感じたのだけれどね」
(訳:じゃあ、椿もホワイトルーム生ってこと? そんな風には見えないけど)
「いや、天沢に確認したが、同期に椿はいなかったそうだ」
(……姉妹を別々に育ててたってことか……? ホワイトルームと普通の家庭。その違いを取るためのサンプルとして扱っていたのか?)
私は内心で、ホワイトルームという施設の異常性と、実の娘たちを実験の道具として扱った椿の両親に、静かな苛立ちを覚えた。
無意識のうちに、私の内側から微かな重圧が漏れ出し、周囲の空気を軋ませる。
「……っ」
清隆がその圧力に僅かに身を強張り、緊張した様子を見せた。
「――無粋な真似をしたね」
(訳:ごめんね)
私はフッと微笑み、漏れ出た重圧を瞬時に収束させた。
「……オレはホワイトルームの稼働が凍結したタイミングで、雪に会っている」
「――ほう。……彼女の瞳は、今も輝きを失ってはいないのかな?」
(訳:へえ! 雪は元気にしてるの?)
私がオサレに尋ねると、清隆は重々しく口を開いた。
「オレが雪に会ったのはカウンセリングクリニックだ。……彼女はホワイトルームを脱落したことで、心を壊してしまったらしい」
「――あの、感情の奔流そのもののような雪がかい?」
(訳:……え? あの明るかった雪が?)
私が驚きを込めてオサレに問い返すと、清隆は静かに頷き、過去の出来事を語り始めた。
「雪の両親がホワイトルームの出資者の一人らしくてな。その頼みを断れなかったあの男に命じられて、オレは彼女のもとへ出向いた」
清隆の目は、まるで当時の光景を再び見つめているかのように、僅かに焦点を失っていた。
私は何も言わず、ただ静かに視線で続きを促す。
「彼女は、過酷なホワイトルームの環境に一人残ったオレのことを、そんな状況でも心配してくれていた。……だが、当時のオレは、ホワイトルームを規格外の存在として追放された惣右介以外の、脱落していった同期たちのことは、脳のリソースの無駄と判断して意識の外に置いていた」
清隆の声は、どこまでも平坦でありながら、その奥には確かな痛みが混じっているように聞こえた。
「オレにとっては死者との対面のような感覚だった。そしてオレは……」
清隆はそこで言葉を区切り、微かに目を伏せた。
「……オレに縋ろうとする雪を、時間の無駄だと切り捨てて、その場を立ち去った」
(…………そんなことが、あったのか……)
私は、己の生存と成長しか見えていなかったかつての清隆の残酷さに、微かな怒りを覚えた。
だが、その感情はすぐに、矛先を変えて私自身へと向かっていく。
(いや……俺に清隆を責める資格はない。俺自身は追放された後、手配された孤児院でそれなりに普通の生活を送り……何より、中学でひよりと出会えたことで、孤独から救われた。……あの時脱落していった子たちが、その後どう過ごしていたかなんて、今まで想像すらしていなかった)
私は自分自身の無関心と傲慢さを自覚し、胸の奥で静かに自責の念を抱いた。
「オレのことを心配してくれていた、そんな雪の存在すら、椿の問いかけを聞くまでは完全に意識の外に置いていた。……この学校で彼女や友人ができ、『心』というものを理解した気になっていたが、オレの本質はやはり残酷で、悍ましいほど自分本位の人間だ。……結局いつかは、彼女や友人のことも無価値な存在だと切り捨ててしまうのだろうか」
清隆の吐露した自己嫌悪と恐怖。
私は、迷える友へ向けて、静かに言葉を紡いだ。
「――私が唯一の月明かりと出逢い、違う景色を知ったように、君もまた、この箱庭での出会いで確かに変わっている。……過去を悔い、痛みを覚えている。それこそが何よりの証左だろう」
(訳:俺がひよりと出会えたことで変われたように、清隆もこの学校での出会いで大きく変わってるよ。だからこそ、雪のことを思い出して後悔してるんでしょ?)
私がオサレに諭すように告げると、清隆は僅かに目を見開いた後、小さく息を吐き出した。
「……雪には本当に酷いことをしてしまった。この学校を卒業した後、もう一度雪に会って謝りたいと思う。だが……彼女にとってオレの存在はトラウマになっているかもしれない。やはり、会わない方がいいのだろうか」
「――過去に背を向けたところで、過去が消えるわけではないよ。……彼女の心に触れるには、周囲の大人たちと慎重に道を整える必要がある。だが、もし彼女が今も暗闇の中にいるのなら、君には目を背けず、その手を差し伸べる覚悟が必要だろう」
(訳:俺は会うべきだと思うよ。もちろんクリニックの先生や両親に確認を取る必要はあると思うけど、雪がまだ苦しんでいるのなら、清隆が救ってあげないとダメだと思うよ)
「……そうだな。椿にも、卒業してからにはなるが雪に会わせてほしいと伝えてみる」
私は静かに目を閉じ、清隆の言葉を胸の内で受け止めた。
「――そうか」
私は短く頷き、冬の空気を静かに吸い込んだ。
(……ホワイトルームを脱落した子たち、今はどうしてるんだろう。今まで自分のことばかりで、あの子たちがどうなったのかなんて、ちゃんと考えたこともなかった。……もし今も苦しんでいる子がいるなら、俺たちがなんとかしないと)
「すまないな。こんな話を聞かせてしまって。……だが、幼馴染のお前に話を聞いてもらいたかったんだ」
「――気にすることはないよ。私もまた、己の目に映るものだけで世界を語っていたようだ。……あの白き檻を打ち砕いた後に残るのは、解放された者たちだけではない。そこに取り残された魂もまた、救われるべきなのだからね」
(訳:ううん。聞かせてくれてありがとう。俺も自分のことばかりで、脱落した子たちのことまで考えられてなかったからね。……ホワイトルームを潰した後は、被験者の子たちを助けるために、清隆にも協力してほしい)
「もちろんだ。あの施設を作った男の、実の息子であるオレが本来はやるべきことだからな」
(ホワイトルームも……自分の子供を実験台のように預けるような人間も、決して許されるべきじゃない)
私は内心に湧き上がる怒りを、静かに押し殺した。
「そのためにもやはり政治的な権力は必要だ。鬼島総理との対談は、これからの重要な鍵になる」
「――案ずることはない。全ては私の掌の上だ」
(訳:うん。任せて)
私がオサレに力強く頷くと、清隆は静かに安堵の表情を見せた。
「……そろそろ帰り支度をしないといけない時間だな。話を聞いてくれてありがとう」
「――礼には及ばないさ。私たちが目指す場所は、そう遠くない未来に交わることになるだろう」
(訳:ううん。また学校で会おうね)
私は穏やかに微笑み、清隆と頷き合った。
そうして私たちは別れ、それぞれの部屋へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
急いで部屋に戻り、荷造りを済ませてからロビーへと向かうと、そこにはすでに帰り支度を終えたひよりの姿があった。
「――すまないね。君の時間を奪ってしまったようだ」
(訳:ごめん! 遅れちゃった!)
「大丈夫ですよっ。ただ……何かあったのですか?」
「――過ぎ去った時の因果について、清隆と語らっていたのさ」
(訳:ちょっと清隆に呼ばれて色々話してたんだ)
私のオサレな言い回しに、ひよりは「そうですか」と優しく微笑んで頷いた。
私たちは合流し、学年ごとに用意された帰りのバスへと乗り込んだ。
二年Aクラスの生徒たちが席に着き、全員が揃ったところで、一之瀬帆波が通路に立ち、明るい声で号令をかけた。
「みんな、揃ってるね! 楽しい合宿はこれで終わり! 学校に帰ったら、テストや学年末特別試験に向けて気持ちを切り替えて頑張っていこうね!」
「「「おーっ!」」」
クラスメイトたちが元気に返事をする。
こうして、他学年との交流を深めた三泊四日の交流会合宿は幕を閉じ、私たちを乗せたバスは、再び戦いの待つ高度育成高等学校へと向けて走り出すのだった。