いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
凍てつくような冬の寒さが少しずつ和らぎ、冷たい風の中にも微かに春の匂いが混じり始めた三月。
一年間の集大成とも言える『学年末特別試験』の時期がいよいよ近づいてきていた。
まだ学校側から試験の日程やルールの詳細は発表されていないが、これまでの傾向から考えても、そろそろ概要が説明されてもおかしくない頃合いだ。
私は朝の静かな寮のロビーでソファに深く腰掛け、一人静かに思考の海を漂っていた。
(……そろそろ学年末特別試験の概要が発表されてもおかしくない時期だ。だが、それ以上に気がかりなのは、鬼島総理の視察に関する情報が、坂柳理事長から一向に届かないことだな。この時期に訪れる以上、学年末特別試験の観覧が目的なのだろうか。……一年生の試験日に合わせて来てくれればいいんだけどな……)
視察の日程次第では、私が特別試験に参加できなくなる可能性がある。
(……一之瀬と神崎には、あらかじめ伝えておいた方がいいだろう。俺が不在になる可能性を知っていれば、その前提で準備もできる。直前に知らされるよりは、余計な不安を与えずに済むはずだ)
もちろん、私だって好き好んでクラスに負担をかけたいわけではない。だが、今後のことを考えれば、鬼島総理との対談を諦めるわけにはいかなかった。
これから先、何が起きようとも、ひよりや大切な仲間たちを守り抜く。そのためにも、今ここで総理との繋がりを築いておくことには、大きな意味がある。
(……これだけは譲れない。今後のためにも、絶対に外せない対談なんだ)
クラスに迷惑をかけることへの申し訳なさを抱えながらも、私は自らが進むべき道を見失うことなく、静かに思考を巡らせていた。
ふと、冬の冷たい風が頬を撫で、思考に沈んでいた意識が現実へと引き戻される。
待ち合わせ場所で白く染まる吐息を眺めていると、やがて、軽やかな足音がこちらへと近づいてきた。
「惣右介くんっ。お待たせしましたっ」
小走りで駆け寄ってきた愛しい恋人は、私の顔を見るなり、心配そうに小首を傾げた。
「……何か、考えごとですか?」
どうやら、私の表情に残るわずかな憂いを感じ取ったらしい。
私はふっと表情を和らげ、彼女に微笑みかけた。
「――少しばかり、これから先に待つ景色に思いを馳せていてね。……今宵は一之瀬と神崎も交えて、晩餐を共にしないかい? 来たるべき時に備え、君たちと語らっておきたいことがある」
(訳:うん、ちょっとね。……今日の夕食は一之瀬と神崎も誘って、四人で食べようか。学年末特別試験に向けて、少し話しておきたいことがあるんだ)
私がそう提案すると、ひよりは安心したようにぱっと表情を明るくした。
「はいっ、分かりました! 帆波ちゃんたちと夕食ですねっ。楽しみです」
ひよりは嬉しそうにはにかみ、私の隣に並んだ。私たちはそのまま肩を並べ、穏やかな冬の朝の中を学校へと歩き始めた。
◇ ◇ ◇
昼休み。
私たちは二年Aクラスの教室で、一之瀬、神崎、ひよりと共に机をくっつけ合い、和やかに昼食を取っていた。
「もう三月だね。そろそろ特別試験の発表があると思うんだけど……今年はどういう試験になるのかな?」
一之瀬が、お弁当箱をつつきながら少しだけ不安そうに呟く。
すると、箸を止めた神崎が真剣な表情で小さく頷いた。
「他のクラスの連中も、決戦の気配を感じ取っているようだからな。……ならば我々も、来たるべき戦いに備え、己が内に眠る刃を研ぎ澄ませておかねばなるまい」
『鵲』を手にしてからというもの、神崎のオサレ化はますます進行していた。
「はぁ……。うん、そうだね。私たちも油断せずにいこう」
一之瀬は小さく深いため息をついた後、神崎のオサレな言い回しを完全にスルーして、極めて事務的に会話を進行させた。
(一之瀬ェェェ! 諦めないで!? 神崎を止められるのは君しかいないんだよ!?)
私は内心で、すっかりツッコミを放棄してしまった一之瀬へ向けて悲痛な叫びを上げつつ、静かに紅茶のパックにストローを刺し、本題を切り出すことにした。
「――今宵、私の部屋に集いたまえ。共に食事を楽しみながら、これから先に待ち受けるものについて話しておきたい。……知っておくべきことは、早いうちに知っておくものだからね」
私がオサレに招待を口にすると、隣に座るひよりがすかさず口を開いた。
「『今日の夕食、私の部屋で一緒に食べませんか? ちょっとお話したいことがあるんです』とのことですっ」
「うん、もちろんいいよ! ちょうど私も、試験の前にみんなと色々話したいなって思ってたところだし」
一之瀬はパッと表情を明るくして、二つ返事で快諾してくれた。
「……ああ。藍染がわざわざ場を設けるということは、語るべき真実があるのだろう。俺も喜んで、その言葉に耳を傾けよう」
神崎は私の言葉の裏にある微かな重みを感じ取ったのか、真面目な顔で頷いた。
「ふふっ。私もお料理、お手伝いしますねっ」
ひよりが嬉しそうに微笑みかけてくれる。
私は内心で彼らへの感謝と申し訳なさを抱きつつ、外面はあくまで威厳を保ち、フッとオサレな笑みを深めた。
◇ ◇ ◇
放課後の生徒会室。
室内は、普段とは比較にならないほどの慌ただしさと、紙の束が擦れる音に包まれていた。
今月末に控えた三年生の卒業式――その準備や段取りの確認、各種書類の作成など、生徒会の業務は文字通り山場を迎えているのだ。
それに加え、生徒会に所属しているメンバーは、各クラスの要となる生徒ばかりだ。彼らは目前に迫る『学年末特別試験』への対策と、この膨大な生徒会業務を両立させなければならず、誰もが疲労の色を濃くしていた。
「藍染くん。三年生の卒業式の式次第と、来年度の新入生歓迎会の予算案のすり合わせが終わったわ。最終確認と承認をお願い」
会計を務める堀北が、ドサリと分厚い書類の束を私のデスクへと積み上げながら、鋭い視線を向けてくる。彼女もまた、クラスのリーダーとして特別試験へのプレッシャーを抱えているはずだが、その仕事ぶりに一切の妥協は見られない。
「――受け継がれる意志を完璧な形で具現化するのも、天に立つ者の責務だからね。……我が眼前に積まれた紙切れなど、瞬きする間に塵と化すだろう」
(訳:すぐに終わらせるから置いておいて!)
私がオサレに宣言し、瞬く間に書類の束を処理し始めると、堀北は慣れた様子でため息を吐き、再び手元の仕事へと意識を戻した。
「藍染せぇんぱい! 私も、その書類のチェック手伝ってあげましょうか〜?」
一年生の天沢が小悪魔的な笑みを浮かべ、私のデスクに寄りかかってちょっかいをかけてくる。
「天沢! 藍染会長のお手を煩わせるような真似は慎め! 会長の業務は、副会長である私が全て完璧に補佐いたしますゆえ!」
すかさず一年Aクラスの忠臣であり、副会長を務める藤泉要が、直立不動の姿勢で天沢を牽制した。
「藤泉くん、それならこちらの備品の在庫チェックの手伝いをお願いできますか?」
「承知した! 藍染会長、少々お待ちを!」
書記である七瀬が冷静に指示を出し、要がキビキビと動き回る。
そんな中、生徒会副会長であり、Aクラスのリーダーでもある一之瀬が、手元のタブレットから視線を上げて私へ声をかけてきた。
「ねえ、藍染くん。以前に話していた、龍園くんの事業の件なんだけど……あれって、終業式で全校生徒に告知する形でいいんだよね?」
龍園が進めるケヤキモールでの新事業。その一環となる統合アプリの開発は、私がすでに完成まで漕ぎ着けている。
「――ああ。芽吹くための土壌は整い、種を阻む壁も取り払われた。……あとは龍園が、その可能性をどこまで咲かせるかだろう」
(訳:うん! 学校側からも許可は貰えたし、龍園にもすでに伝えてるよ!)
私がオサレに伝えると、一之瀬は安心したように微笑んだ。
「……学校側も認めてくれたってことだよね? じゃあ、その方向で段取りを進めておくね!」
「――頼んだよ。君の采配が、この小さな芽吹きを、やがて揺るぎなき実りへと変えてくれるだろう」
(訳:よろしくね!)
私がフッと優雅に微笑みかけると、一之瀬は「うんっ!」と力強く頷いた。
これまでお世話になった南雲先輩たちを、最高の形で送り出すためにも、ここで手を抜くわけにはいかない。
私は内心で気合を入れ直すと、持ち前の処理能力を存分に発揮し、山積みになっていたタスクをまたたく間に片付けていった。
◇ ◇ ◇
生徒会での業務を終えた私は、一之瀬と共に図書室へと足を運んだ。
「惣右介くん、帆波ちゃん。お疲れ様ですっ」
私たちの姿を見つけたひよりが、読んでいた本に栞を挟み、嬉しそうに顔を上げた。
「待たせちゃってごめんね、ひよりちゃん。生徒会の仕事、思ったより時間がかかっちゃって」
一之瀬が申し訳なさそうに笑いかけると、ひよりは小さく首を振った。
「いえっ、私も本を読んでいたので大丈夫ですよっ」
「――今宵の宴を彩る役者たちを迎えに行こう。食卓の幕が上がるまで、物語はまだ始まらないのだからね」
私がオサレに手を差し出すと、ひよりは嬉しそうに本を閉じ、その手を取って私の隣へと並んだ。
神崎は後ほど直接私の部屋で合流することになっている。
こうして私たち三人は、今宵の晩餐に必要な食材を買い求めるため、ケヤキモールのスーパーマーケットへと向かった。
「今日は何を作るのかな? 藍染くんとひよりちゃんのお料理、いつも美味しいから楽しみ!」
一之瀬は弾むような声で、期待に満ちた笑顔を浮かべた。
「ふふっ。帆波ちゃんの食べたいものでいいですよっ」
ひよりも嬉しそうに微笑みながら答える。
「えっ、いいの!? じゃあ、私、お肉が食べたいな!」
一之瀬は目を輝かせ、さっそく肉売り場へと視線を向けた。
そんな二人が楽しそうに話しながら、野菜や肉を次々と私の持つカゴへ入れていく。
私はオサレな笑みを崩さぬまま、内心では温かな多幸感に包まれながら買い物を楽しんでいた。
必要な食材を買い揃え、スーパーを出て寮へと向かおうとした時。
ケヤキモールの出入り口付近で、Bクラスの里中聡と、神室真澄が二人で並んで歩いているところに遭遇した。
「――ほう。これはまた、珍しい顔合わせだね。二つの影が並び歩く姿を、この場所で目にするとは」
「『こんにちは。珍しい組み合わせですね』とのことですっ」
私がオサレに問いかけると、ひよりがニコニコと丁寧に翻訳する。
すると、里中が少し照れくさそうに笑いながら口を開いた。
「こんばんは。藍染くん、一之瀬さん、椎名さん。……実は僕たち、付き合い始めたんだ」
(えー!? そうなんだ! ……修学旅行の時に言ってた好きな人って、神室さんのことだったのか……!)
私は内心で盛大に驚きつつも、表情には一切出さずに話を聞く。
「わぁっ! そうなんだ! おめでとう、二人とも!」
「ふふっ。おめでとうございますっ」
一之瀬とひよりが、パァッと表情を明るくして心から祝福の言葉を贈る。
里中が嬉しそうに頬を掻く一方で、隣に立つ神室は少し居心地が悪そうに、恥ずかしげに視線を逸らしていた。
「――祝福しよう。君たちの歩む未来が、まばゆい光に包まれんことを」
私がフッと微笑みながらオサレに祝福すると、里中は真っ直ぐにこちらを見て頭を下げた。
「うん。修学旅行の時に、藍染くんが言ってくれた『己を磨き、手を伸ばせ』って言葉のおかげで、努力して自信をつけることもできたんだ。本当にありがとう」
(……確かにそんなこと言ったけど、あれは外村のハーレム願望を諭そうとしただけなんだけどな……。でも、結果的に上手くいって本当に良かったよ!)
私は内心で少しだけ申し訳なさを覚えつつも、優雅に首を横に振った。
「――礼には及ばない。君が掴み取った未来は、誰かに与えられたものではない。君自身の歩みが導いた結末なのだから」
「『感謝されるようなことはしていませんよ。里中くん自身の努力のおかげです』とのことですっ」
私がオサレに諭し、ひよりが優しく翻訳する。
すると、黙って聞いていた神室が、呆れたように深いため息を吐いた。
「……はぁ。やっぱり、藍染の影響を受けてたのね」
「え? どういうこと、神室さん?」
一之瀬が不思議そうに尋ねると、神室は少しだけ頬を赤くしながら恨めしそうに私を睨んできた。
「まあ、告白してくれたのは嬉しかったし、付き合うことにもなったけど……こいつの告白の時のセリフが、妙にポエム染みててね……」
「あ、あはは……」
気まずそうに苦笑いする里中と、ため息をつく神室。
(里中ァァァ!? それは本当にごめんね!? でも上手く行って本当に良かったよ!!)
私は内心で里中へ平謝りしつつ、彼らの微笑ましい様子を温かく見守った。
その後も少しだけ会話を交わし、私たちは二人と別れて寮へと向かった。
◇ ◇ ◇
私の部屋に到着すると、すでに神崎がドアの前で待っていた。
四人で部屋に入り、早速夕食の準備に取り掛かる。
私とひよりがエプロンを身につけてキッチンに立ち、一之瀬と神崎にはリビングのテーブルで寛いでもらう形だ。
「惣右介くんっ、お肉の切り分け終わりましたっ」
「――見事だね。君の指先が紡ぐ魔法は、食材に秘められた可能性を至高の味わいへと導くようだ」
私とひよりの息の合った連携により、瞬く間に数品の料理が完成し、テーブルへと並べられた。
特売の肉を使ったサイコロステーキ、色鮮やかなサラダ、そしてひよりが得意とする温かいスープ。
「うわぁ、すっごく美味しそう! 二人ともありがとう!」
「……見事な手際だ。我らが戦の前の腹拵えとして、これ以上のものはないだろう」
一之瀬と神崎の言葉に微笑みながら、私たちも席に着き、食事を始めた。
他愛のない会話を交わしながら箸を進めるうちに、テーブルに並んだ料理は次々とその姿を消していく。特にひよりの作ったスープは好評で、二人がおかわりをする姿に、彼女も嬉しそうに頬を緩めていた。
やがて食事を終えると、ひよりが皆のために温かい紅茶を淹れてくれた。
ふわりとダージリンの香りが漂い、部屋にゆったりとした空気が流れた。
私はカップを手に取り、静かに、そして真剣な視線で一之瀬と神崎を見つめた。
「――戦いの幕が開く前に、二人には明かしておこう。……運命の天秤は未だ揺らいでいる。だが、来たる学年末特別試験の舞台に、私は立てぬ可能性がある」
「『まだ確定しているわけじゃないのですけれど、学年末特別試験には、私は参加できないかもしれません』とのことです」
私の静かな告白を、ひよりが少しだけ伏し目がちに翻訳する。
「なっ……!」
神崎は驚きに目を見開き、カップを持つ手を止めた。
だが、すぐに何かを考えるように目を伏せると、やがて小さく息を吐き、納得したように頷いた。
「……道が分かたれたからといって、志まで違えたわけじゃない。お前にはお前の進むべき道がある。……そういうことだろう?」
神崎の言葉に、一之瀬も小さく頷いた。隣に座る彼女の顔には、いつもと変わらない柔らかな笑みが浮かんでいた。
「……うん。大丈夫だよ。私たちも、いつまでも藍染くんに頼ってばかりじゃいけないしね。何か事情があるなら、そっちを優先してね!」
二人の言葉から伝わってくるのは、私への揺るぎない信頼。そして、私がいなくとも自分たちの力で前へ進もうとする、確かな意志だった。
「――君たちの信頼を、決して無駄にはしない。……私が試練の場に立てぬと決まったなら、改めて伝えよう。今は明かせぬ真実も、いつか必ず、君たち自身に語ると約束する」
「『本当に二人ともありがとうございます。参加できないことが確定したらまた報告しますね。……いつかきっと、事情は説明します』とのことですっ」
私が心からの感謝をオサレに伝えると、神崎と一之瀬は温かく微笑み返してくれた。
◇ ◇ ◇
その後、有意義な話し合いを終え、私たちは一之瀬と神崎を部屋のドアの前で見送った。
二人きりになった室内で、私とひよりはキッチンに立ち、並んで食器の片付けを始める。
スポンジで泡立てられたお皿をすすぎながら、ひよりがふと、私を見上げてにこやかに笑いかけてきた。
「安心してくださいねっ。どんな試験になったとしても、絶対に勝ってみせますねっ!」
その言葉に、私はピタリと手を止めた。
(……ありがとう、ひより)
言葉にせずとも、彼女は私の胸の内を察してくれる。自分だって不安があるはずなのに、今はただ、私を安心させようとしてくれている。
その気遣いが、胸の奥に温かなものを灯した。
私は彼女の優しい瞳を見つめ、濡れた手をタオルで拭うと、愛しい恋人へ静かに微笑みかけた。
「――君たちが放つ光を、私は誰よりも信じている。……たとえ私が傍らにいなくとも、その輝きが失われることはない」
(訳:君たちを信じてるよ。俺がいなくてもうちのクラスは負けないよ!)
私の言葉に、ひよりは花が綻ぶような、世界で一番美しい笑顔を見せた。
「はいっ!」
その返事には、迷いも気負いもなかった。ひよりだけではない。一之瀬も神崎も、それぞれの意志を胸に、前へ進もうとしている。ならば、私がすべきこともまた明白だった。
彼らを信じ、私自身の為すべきことを為す。それぞれの道の先で再び交わる時を思い描きながら、私は静かに視線を上げた。