いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
五つのグループは、大きな揉め事もなく編成されていった。
議論を引っ張れる生徒を各グループに散らし、神崎くんの冷静な目配りと、ひよりちゃんの細やかな気配りもあって、一時間という制限時間の中で、私たちは納得のいくグループ編成を終えることができた。
やがて真嶋先生が戻り、作成したグループの登録が済むと、静かに告げた。
「では、これより学年末特別試験を開始する。各クラスの先鋒は、試験室へ移動してもらう」
部屋の空気が、すっと引き締まる。
立ち上がったひよりちゃんに、私は声をかけた。
「ひよりちゃん。気負いすぎないでね。でも、ひよりちゃんの読みの鋭さは、誰にも負けないと思うから」
「椎名。……頼んだぞ」
神崎くんの短い言葉に、ひよりちゃんは花が咲いたような笑顔で頷いた。
「はいっ。任せてください、帆波ちゃん、神崎くん。……頑張りますっ!」
その背中を見送りながら、私はそっと手を握った。
(お願いね、ひよりちゃん)
◇ ◇ ◇
試験室に入ると、対面の席にDクラスの先鋒、池くんが座っていました。
私の姿を認めた池くんは、ニヤリと笑って前髪をかき上げ、仰々しく頭を下げます。
「クックック……これはこれは、
「池くん。よろしくお願いします」
私が微笑んで答えると、池くんはふっと片目を細めました。
「
(ふふっ。相変わらず、全開ですね)
けれど、油断はできません。
今回の試験で求められるのは、議論の中から配役を見抜く洞察力や思考力だけではありません。クラスメイトや他クラスの生徒について、どれだけ理解しているかも重要になってきます。
その点で、池くんは侮れない相手です。
惣右介くんも、池くんや時任くんの話をよくしていますし、いつも嬉しそうに二人の成長を語っています。OAAの数値を見ても、学力や身体能力が着実に伸びていることが分かります。
(……背信者の権利は、お互いに大将戦まで温存するのがセオリーでしょうね)
少なくとも、先鋒同士のこの対戦で切り札を使う可能性は低いはずです。まずは落ち着いて、議論の流れを見極めることに集中しましょう。
私の前のモニターに、両クラスの参加者十四名の姿が映し出されます。
私が選んだのは、姫野さん、小橋さん、白波さんたちがいるグループ。
池くんが選んだのは、松下さん、須藤くん、幸村くんたちがいるグループでした。
「では、議論を開始してください」
試験官の声と共に、最初の五分間が始まりました。
――最初の二ラウンドは、お互いに様子見でした。
私も池くんもパスを選択。参加者たちの言葉の端々、視線の動き、誰が誰を庇い、誰が誰を疑っているのかを、静かに観察し続けます。
ラウンドの終わりには、優等生の手で参加者が一人、退室していきました。……二ラウンド目の終わりには、退室が途中で阻まれましたけれど。
(教師、ですね。誰かを守った……)
その事実を胸に留めて、私は三ラウンド目に臨みます。
そして、指名の時間。私はタブレットの画面で、一人の生徒の名前と『役職有』を静かにタップしました。
――的中。モニターに結果が表示され、池くんのライフが一つ削れます。
四ラウンド目も、五ラウンド目も、議論の流れの中で、どうしても違和感のある動きをする生徒がいました。
言葉を選ぶ慎重さ、退室を恐れない大胆さ。何気ない発言や振る舞いの裏にある意図を辿っていくと、少しずつ役職を持つ者の姿が見えてきます。
私の指名は、三連続で的中しました。池くんのライフは、残り二つ。
(……ここまでは順調ですね)
小さく息を吐き、私は手応えを感じていました。
この試験は、Aクラスにとって相性の良い形式です。……いいえ、帆波ちゃんにとっては、最も得意とする試験と言ってもいいでしょう。
誰よりもクラスメイト一人ひとりを理解し、相手の言葉に真摯に耳を傾ける帆波ちゃん。私は彼女なら綾小路くんにも勝てると信じています。
(……でも、油断はできません)
綾小路くんは、こちらの油断や隙を見逃すような人ではありません。だからこそ、私と神崎くんで、少しでも綾小路くんのライフを削った状態で、帆波ちゃんに繋げなければいけません。
――その時でした。
「フ……フハハハハッ!」
池くんが片目を掌で覆いながら、堪えきれないとばかりに高らかに笑い出したのです。
「見えた……! 我が魔眼には、はっきりと見えたぞ! 十四人の中に潜む『優等生』の姿がな……!」
私は思わず、モニターと池くんの顔を見比べました。
(私を焦らせるためのブラフなのか、本当に見抜いているのか……)
表情からは、どちらとも読み取れません。けれど、池くんは決して愚かな人ではないのです。あの笑みの裏に、確信がある可能性は十分にありました。
「ふふふ。本当ですか? もし間違えて指名すると、ライフは二つ減ってしまいますよ?」
私が微笑んで牽制すると、池くんはぐっと拳を握り、決然と言い放ちました。
「構いませんぞ! 俺もクラスのため、このまま引き下がるわけにはいかないのです! 退けばDクラスの仲間たちに顔向けできぬ……ならば、進むのみ!」
さて、どうしましょう。
池くんが優等生を言い当てれば、私のライフは一気に三つ削られてしまいます。ですが、ここで私が焦って指名し、外してしまえば、失うのは二つ。
(……怪しい生徒はいます。けれど、まだ確信を持って指名できるほどではありません)
私は、パスを選びました。
池くんの覚悟が本物なら、止めることはできません。ブラフだったのなら、次のラウンドで分かることです。
池くんの指が、タブレットの画面を静かにタップします。
次の瞬間、モニターに開示されたのは、松下さんの名前と『優等生』の配役でした。
――的中。私のライフは、五から二へ。
(……やっぱり、本当に見抜いていたんですね)
松下さんは、池くんと親しい生徒です。いつも近くで接しているからこそ、普段との僅かな違いに気づけたのでしょう。
池くんの実力は、本物です。惣右介くんが嬉しそうに語るのも、よく分かります。
これでライフは、お互いに二つずつ。
そして次のラウンド。私は引き続きパスを選び、池くんの指名を見守りました。
池くんはもう一人の役職者を『役職有』で的中させ、私のライフは残り一つとなってしまいます。
(……焦らない。焦らないで、私)
二ラウンド目、退室が阻まれたあの一幕を思い出すんです。
あの場で守られた生徒。そして、その後の議論で、誰がその生徒をさりげなく庇っていたのか。
(見えた……いえ、私にも見えましたよ、池くん)
指名の時間。私は迷わず、タブレットに表示された姫野さんの名前を選び、『教師』の配役名をタップしました。
――的中。教師を名指しで当てたことで、池くんのライフは二つ減り、ゼロとなりました。
「……っ!」
池くんが目を見開き、やがて、ふっと力なく笑いました。
「……お見事でした、
片目を押さえたまま悔しそうに、それでも潔く頭を下げる池くんに、私は小さく頭を下げ返しました。
「ありがとうございました、池くん。……とても、強かったです」
勝利はしました。ですが、私のライフは一つしか残りませんでした。
(もっと、余裕を持って勝ちたかった……)
池くんにここまで追い詰められたのは、私の読みがまだ甘かった証拠です。
そして次に待つのは、中堅の堀北さん。
(下級生を当ててライフを回復できればいいですが、あまり現実的ではありませんね……)
それでも、神崎くんに少しでも有利な状況で繋ぐためには、堀北さんのライフを少しでも削っておきたいところです。
私は残り一つのライフを胸に、新たな議論へと臨みました。
入れ替わりに入室してきた堀北さんは、私の向かいに静かに腰を下ろしました。
「……椎名さん。池くんに勝ったことは認めるわ。でも、私もここで負けるわけにはいかない。Dクラスの代表として、必ず勝たせてもらうわ」
堀北さんの声は、あくまで冷静でした。けれど、その眼差しには、先鋒戦で先行を許したDクラスの流れを取り戻そうとする意志が感じられます。
「はい。私も、全力で挑みます」
新しいグループ同士の議論が始まりました。
池くんとの対戦で得た勝利を無駄にしないためにも、ここで簡単にライフを失うわけにはいきません。私は残された一つのライフの重さを噛み締めながら、参加者たちの言葉の一つ一つに耳を澄ませました。
堀北さんは、焦る様子を一切見せませんでした。何度も指名の時間を見送り、ただ静かに議論を見つめ続けています。
それでも、私は二度、『役職有』を言い当てることができました。堀北さんのライフは、七つから五つへと減っていきます。
(あと、もう少し。神崎くんのために、もう少しだけ……)
――その直後でした。
堀北さんの指が、迷いなくタブレットをタップします。
モニターに『役職有』の的中が表示され、私の最後のライフが失われました。
(……ああ、届かなかった)
「……ここまでね、椎名さん」
堀北さんはそれだけ言うと、静かに視線をモニターへ戻しました。
私は席を立ち、試験室を後にします。
(神崎くん……後は、お願いしますね)
堀北さんのライフは五つ。堀北さんに勝利を許す結果となりましたが、二つのライフを削れたことは、神崎くんにとっても決して小さくないはずです。
◇ ◇ ◇
待機室のドアを開けると、帆波ちゃんと神崎くんが同時に立ち上がりました。
「ひよりちゃん……!」
「帆波ちゃん。……すみません、私、堀北さんに……」
「ううん。堀北さんのライフ、五つまで削ってくれたんだよね。十分すぎるくらいだよ、ひよりちゃん」
帆波ちゃんが私の手を取って、ぎゅっと握ってくれます。その温かさに、張り詰めていた気持ちが少しだけ解けました。
そして、神崎くんが一歩前に出ました。
「……よくやってくれた、椎名。堀北のライフは残り五つ。――上等だ」
神崎くんは腕を組み、まっすぐに私を見つめます。
「残りの刃は、俺が引き継ごう。お前が繋いでくれたこの勝機、決して無駄にはしない」
「神崎くん……はいっ。お願いします」
「ああ。見ていろ、椎名、一之瀬。勝利への架け橋は、この俺が架ける」
そう言って、神崎くんは静かに待機室を出ていきました。
残された私と帆波ちゃんは、モニターの前に並んで腰を下ろします。
そこに映るのは、中堅同士の名前と、ライフの数字だけ。
(神崎くん……お願いしますね)
私は帆波ちゃんの隣で、数字の行方を静かに見守り始めました。
◇ ◇ ◇
待機室を後にした俺は、静まり返った廊下を歩き、試験室の重たいドアを開けた。
対面の席には、すでにDクラスの中堅――堀北鈴音が静かに腰を下ろしている。
中堅として出てきて、椎名を倒し、この場に残った女。
椎名がその身を削って奪い取った二つのライフ。モニターに表示される堀北のライフは『五』。対する俺の初期ライフは、規定通りの『七』だ。
盤上の数字が示す優位など、この遊戯においては些末な飾りに過ぎないことくらい、俺にも分かっていた。
何より、今の堀北鈴音には背負っているものの重さがある。
Dクラスは現在、クラスポイントで大きく出遅れ、最下位に沈んでいる。残り一年でAクラスに辿り着くには、ここから先、ほぼ全てに勝ち続けなければならないほど追い詰められている。先鋒戦で流れを奪われた分も含め、彼女は這ってでもここで取り返しにくるだろう。
(……さて)
俺は椅子に深く腰を沈め、静かに息を整えた。
無意識に伸ばした指先が、腰のあたりの虚空を撫でる。――そう、今日この場に『鵲』は置いてきたのだった。
だが、椎名が繋いでくれたこの光の軌跡を、無駄にするつもりはない。
「……神崎くん」
堀北が口を開いた。
「今日は木刀を持ってきていないのね?」
「フッ。……すでに俺と鵲は一心同体。俺自身が鵲となり、勝利の架け橋を架けるまでだ」
「……そう」
堀北はそれ以上、何も言わなかった。表情を変えることなく、静かに俺を見据えている。
「……椎名さんにライフを二つ削られたのは痛手ね。でも、まだ五つ残っている。ここから先は、あなたとの勝負に集中させてもらうわ」
「そうか」
俺は短く頷き、真っ直ぐに彼女を見据え返した。
「こちらとしても、退くという選択肢はとうの昔に捨てている。……始めよう、堀北」
試験官の開始の合図と共に、新しい十四人による議論のラウンドが幕を開けた。
両クラスの参加者たちが、モニターの向こうで言葉を交わし始める。
俺はまず、最初の指名の時間を見送った。
議論という名の盤面――それは、序盤ほど濃密な霧に包まれている。誰が真実を紡ぎ、誰が偽りの理を敷いているのか。急いて刃を振るえば、霧ごと己の首を刎ねることになりかねない。
堀北もまた、すぐには動かなかった。
彼女は静かに議論を見つめ続けている。その視線は鋭く、わずかな言葉の綻びも見逃すまいとする意志が感じられた。
二つのラウンドが過ぎていく。その間にも、代表者である俺たちがパスを選択したことで、優等生の手によって参加者が一人、また一人と退室させられていった。
そして、三ラウンド目。
最初に動いたのは、俺だった。
議論の中で、ひときわ言葉を選んでいた生徒がいたのだ。発言の前に一拍置く癖、不自然な視線の逃がし方。あれは役職を持つ者の慎重さからくるものだと、俺の『目』が読んだ。
指名の時間。俺はその生徒の名前と『役職有』をタップした。
――結果は、不的中。その生徒は『一般生』だった。
偽りの星を斬った代償として、理が俺のライフを削り取る。俺のライフは『六』へと減った。
(……読み違えた、か)
急いて刃を振るえば、己の首を刎ねる。序盤に自らへ戒めたはずの理が、皮肉にもそのまま返ってきた。
だが、この一手は無駄ではない。その生徒が一般生であることは確定したのだ。霧は、僅かだが確実に晴れた。
堀北がこちらを一瞥したのが分かった。その瞳には、俺の誤りを確かに捉えた冷徹な色があった。
(……ならば、なおさら次は外せない)
四ラウンド目。今度は見る角度を変えた。
慎重な者ではなく、「議論の流れを変えた者」を探す。そのひと言の前後で、場の空気が明らかに動いた生徒がいた。
俺はタブレットで、その生徒の名前と『役職有』をタップした。
――的中。堀北のライフは、四つへと減る。
「……やるわね」
堀北が小さく呟いた。表情は崩れないが、その言葉には、俺への警戒をはっきりと深めた響きがあった。
議論は続く。
参加者たちの言葉は、ラウンドを重ねるごとに鋭さを増していった。誰かを庇う声、誰かを疑う声。その綾なす模様の中に、配役という名の真実が織り込まれている。
五ラウンド目、六ラウンド目と、俺と堀北は互いにパスを重ねた。
一見、互いに決め手を見失っているように見えただろう。だが、それは違う。
堀北のパスは、迷いのパスではなかった。彼女の視線は議論の中を規則正しく巡り、一人、また一人と候補を消していく者の動きをしていた。捨てるべきものを捨て、残るものを研ぎ澄ましていく。あれは、読みを「組み上げている」者の沈黙だ。
俺もまた、同じ静寂の中で盤面を組み上げていた。
俺が見ていたのは、優等生による『退室の順番』だ。
優等生という名の死神に魅入られ、退室させられる生徒たち。その選別には、明確な作為があった。議論の中で「場の流れを読み、言葉を選びすぎている」生徒から的確に消えていく。優等生は、自分に疑いの目が向く前に、鋭い観察者を優先して排除しようとしているのだ。
そして、その排除の仕方にこそ、優等生本人の「思考の癖」が滲み出る。
パスを重ねるたび、参加者はさらに二人、静かに席を外れていった。
(……そろそろだ)
七ラウンド目に入ろうとした、その時だった。
堀北の指が、迷いなく盤面の理を書き換えるべくタブレットを叩いた。
――モニターに開示されたのは、『優等生』の配役だった。
俺のライフは、手痛い三つのダメージを受け、残り『三』となる。
「……っ」
思わず、息が詰まった。
(……見抜かれたか)
恐らく彼女も、俺と同じものを見ていたのだ。退室の順番、そして議論の中で誰が誰を庇い、誰の言葉が流れを変えたか。候補を一人ずつ削り続けた先に、彼女は俺より先に一人目の優等生へ辿り着いた。
堀北は、ほんの僅かに息を吐いた。感情を爆発させるような女ではないが、その一手に懸けていた重圧と執念の大きさは、盤面越しにもはっきりと伝わってきた。
このラウンド、俺はパスを選んでいた。そのため、残る一人の優等生の手で、さらに一人の参加者が退室していく。
ライフは、俺が三つ。堀北が四つ。
逆転された。椎名が作ってくれたはずの優位は、今や霧の向こうへ消え去った。
(……いや。まだだ)
俺は、静かに拳を握った。
椎名は、ライフ一つという絶望的な状況でも最後まで戦い抜いたのだ。彼女の意志を、ここで終わらせるわけにはいかない。
堀北が一人目の優等生を言い当てたということは、彼女の読みは完成しつつあるということだ。次の指名も、彼女は確実に仕留めにかかるだろう。
ならば、残された道は一つ。彼女が二度目の刃を抜く前に、俺が先にこの盤面を終わらせる。
(だが……今の堀北のライフは『四』だ。仮に俺が残る一人の『優等生』を当てたとしても、与えられるダメージは三。一撃では仕留めきれない)
俺の脳内で、極彩色の盤面における数字の計算が高速で巡る。
(ならば、手順は明確だ。まずは手堅い一撃で彼女のライフを削り、確実に『致死圏内』へと引きずり下ろす。……そして次で、優等生を暴いてトドメを刺す!)
八ラウンド目。
俺は議論の中で、教え導くような口調を隠しきれていなかった一人の生徒に狙いを定めた。
あれは『教師』かもしれない。だが、確証はまだ届かない。名指しで賭けて外せば、代償は俺のライフを二つ奪う。ここで必要なのは大博打ではなく、確実な一手だ。
俺は『役職有』を選択してタップした。
――的中。堀北のライフは一つ削られ、『三』となる。
堀北は、このラウンドもパスを選んでいた。彼女もまた、残る優等生の候補を絞り込むために、あと一度だけ議論を見極めるつもりだったのだろう。
「…………」
堀北の眉が、僅かに動いた。
拮抗は、まだ続いている。俺が三つ、彼女も三つ。
だが、この瞬間、俺の逆算は完璧な形で完成したのだ。堀北のライフが『三』となった今、俺の手の中にある必殺の札――『優等生』を当てれば、この遊戯は終わる。
一人目を消した優等生、つまり残る一人の優等生は、これまでの退室指名を主導してきた側のはずだ。堀北が一人目を言い当てるまでの間、その人物は一度も疑いの中心に立たなかった。
議論を導き、流れを作り、それでいて自分の名が俎上に載ることは決してない。
――その「完璧なまでの自然さ」こそが、最後に残った致命的な綻びだ。
(……見切ったぞ。そこだ)
九ラウンド目。指名の時間。
俺は一切の迷いなく、一人の生徒の名前と、『優等生』の配役名をタップした。
モニターに、開示の表示が灯る。
――的中。
三つのダメージが入り、堀北のライフは残りの全てを失い、ゼロとなった。
「…………」
長い沈黙が、試験室に落ちた。
堀北はモニターをしばらく見つめ、それから静かに目を閉じた。再び開かれた時、その表情に先ほどまでの鋭い意志の焔はなく、代わりに深い悔悟だけが残っていた。
――だが、俺には分かっていた。
彼女の視線もまた、最後の瞬間には同じ生徒の周囲へ辿り着いていた。残る優等生の候補を、彼女は二人まで絞り込んでいたはずだ。あと一ラウンド、あと一度の議論があれば、堀北鈴音は俺と同じ答えに届いていた。
俺と彼女の差は、読みの精度ではない。ただ、一手の速度だった。
堀北は何も言わなかった。
やがて、静かに目を開けた彼女は、俺にではなく、誰もいないはずの虚空へ向けて、小さく呟いた。
「……ごめんなさい」
それは、待機室でこの結果を見ているはずの、Dクラスのクラスメイトたちへ向けた悔恨のひと言だった。
彼女はそれ以上、何も言わずに席を立ち、試験室を後にした。その背中を見送りながら、俺は何も声をかけることはしなかった。
(……堀北鈴音)
この女が背負っていたものの重さは、盤上の数字などより遥かに大きかったのだろう。同情で慰めるような真似は、死力を尽くした彼女への礼儀に反する。
俺のライフは、三つ残った。
椎名が二つ削り、俺が受け継いだ中堅戦は、ここで一つの結末を迎えた。
(……繋いだぞ、椎名。一之瀬)
だが、戦いは終わらない。
インターバルの先に待つのは、Dクラスの大将――綾小路清隆。あの藍染惣右介がライバルと認める男だ。
あの男のライフは十。対する俺は、三つ。
このライフ差を覆し、俺一人の力で綾小路を倒せるなどとは思っていない。
だが、俺の役目は初めから決まっている。一之瀬のために、クラスの勝利のために、あの男のライフを少しでも多く削ること。
それこそが、俺の架けるべき勝利への架け橋だ。