いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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十九話

 七月中旬。

 期末テストも終わり、高度育成高等学校は本格的な夏の到来を迎えつつあった。

 

 肌を焼くような強烈な日差しと、けたたましい蝉時雨。生徒たちの意識はすでに、目前に迫った『夏休み』へと向かっている。

 

 先日の暴力事件の審議で私が下した「喧嘩両成敗」の判決により、無事に一年生全体のポイント支給停止も解除され、学校には平和な空気が戻ってきていた。

 

 そんな週末の、土曜日。

 私はケヤキモールの中にある、少し高級でお洒落なカフェのテラス席にいた。

 

(……やばい。めちゃくちゃ緊張してきた)

 

 私の向かいの席には、涼しげな白いサマードレスに身を包んだ椎名ひよりと、爽やかなブルーのブラウスが似合う一之瀬帆波が座っている。

 

 クラスを代表する二大美少女。その二人に挟まれる形で、私は優雅に足を組み、ブラックコーヒーを飲みながら、難解な哲学書を広げていた。

 

 事の発端は昨日。ひよりから「週末、一之瀬さんと遊びに行くのですが、惣右介くんもいかがですか?」と誘われたことだ。

 

 私は、内心で「行く行く絶対行く!!」と大はしゃぎしながら、表面上は「――君たちの歩幅に合わせるのも、悪くない休日だ」と極めてオサレに快諾したのである。

 

「ねえねえ、ひよりちゃん。この後、あっちの服屋さんも見てみない? 夏服、もう少し買い足したいなって思ってて」

 

「ふふっ、いいですね、帆波ちゃん。私も、新しい帽子が欲しいと思っていたんです」

 

(――――ッッ!!)

 

 私の心臓が、本日何度目かの歓喜の爆発を起こした。 

 

(『ひよりちゃん』! 『帆波ちゃん』!! うおおおおお!! マジかよ、完全に親友の呼び方になってるじゃん!!)

 

 先日の再審議の日の放課後。一之瀬の過去のトラウマに寄り添い、彼女を救済したひより。あの夜を境に、二人の距離は劇的に縮まったと聞いていたが、まさかここまで仲良くなっているとは。

 

 入学当初は完全にぼっちだった天使が、この学校で一番の陽キャ美少女と心からの親友になっている。その事実だけで、私は保護者のような温かい涙を流しそうになっていた。

 

「藍染くんも、買い物に付き合わせちゃってごめんね? 退屈じゃない?」 

 

 一之瀬が、気遣うようにこちらを見る。

 

「――愚問だな。美しい花々が咲き誇る様を特等席で眺める権利を、自ら手放す愚者がどこにいるというのかね」

 

(訳:全然退屈じゃないよ! 二人が仲良くしてるの見てるだけで俺も楽しいから!)

 

「あはは、藍染くんは相変わらず言い回しがすごいなぁ。でも、褒めてくれてるんだよね。ありがとう!」

 

 一之瀬は、私のオサレポエムにもすっかり慣れた様子で、明るく笑ってくれた。

 

 その後、私たちはモール内を散策し、夕方には私の学生寮の部屋へと場所を移した。

 

 カフェの後は、私が夕食を振る舞う約束になっていたからだ。

 

「わぁ……! すごい、本当にレストランみたい……!」

 

 私の部屋のテーブルに並べられた料理を見て、一之瀬が感嘆の声を上げた。

 

 今日のメニューは、夏野菜をふんだんに使った冷製カッペリーニ、白身魚のカルパッチョ、そして自家製のレモネードだ。暑い夏でもさっぱりと食べられるように、酸味と彩りにこだわった自信作である。

 

「ふふっ。惣右介くんのお料理は、いつも本当に美味しいですから」

 

 ひよりが自分のことのように胸を張り、フォークを手にする。

 

「いただきます! ……んっ!! なにこれ、めちゃくちゃ美味しい!! トマトの甘みとバジルの香りがすごいよ!」

 

「――飢えを満たすだけでなく、季節の息吹を味わう。……それが、我々に許された数少ない特権だからね。存分に味わうといい」

 

(訳:お口に合ってよかった! いっぱい食べてね!)

 

 和気あいあいとした夕食。

 やがて食後のレモネードを飲みながら、会話は自然と「これから」のことへと向かっていった。

 

(……そろそろ夏休みだ。この実力至上主義の学校が、ただ生徒を遊ばせておくわけがない。これまでの傾向からして、夏休みには間違いなく『クラスポイントが大きく変動する、野外での試験』みたいなものが用意されているはずだ)

 

 私は、クラスのリーダーである一之瀬に警鐘を鳴らすべく、静かにグラスを置いた。

 

「――一之瀬。……降り注ぐ太陽が、ただの微睡みを与えてくれると錯覚してはいないか?」

 

 私の声のトーンが一段低くなったのを感じ取り、一之瀬とひよりが真剣な顔になる。

 

「この白き箱庭の支配者たちが、我々に安息の夏を用意するはずがない。……間もなく、現在の盤面を溶かすほどの、巨大な『坩堝』が用意されるだろう」

 

(訳:夏休みに、クラスポイントが大きく変動するような試験があると思うよ)

 

「……惣右介くんは、こう仰っています」

 

 ひよりが、完璧なタイミングで翻訳を挟む。

 

「『夏休みにはただ休むだけでなく、クラスポイントが大きく変動するような、学校側の特殊な試験が用意されているはずです』……と」

 

「夏休みに、特殊な試験……」

 

 一之瀬の表情が引き締まる。先日の暴力事件によるポイント停止を経験した彼女は、学校側が容赦なくペナルティを与えてくることを痛感している。

 

「でも、どんな試験が来るか分からない以上、対策のしようがないよね……。ペーパーテストなのか、それとも体力測定みたいなものなのか……」

 

 不安げに呟く一之瀬。

 しかし、私は不敵な笑みを浮かべ、前髪をゆっくりとかき上げた。

 

「――案ずることはない。暗闇から放たれる刃の形など、事前に知る必要はないのだから」

 

(訳:どんな試験か分からなくても大丈夫だよ!)

 

「個の脆弱な肉体など、一振りの刃で容易く崩れ去る。……だが、君が結び合わせた『絆』という名の見えざる盾は、そう易々と砕けはしない。……君たちの団結力があれば、どのような理不尽な嵐であろうと、必ず凪へと変えてみせるさ」

 

(訳:Bクラスのチームワークなら、どんな試験でも絶対に乗り越えられるさ!)

 

「『まだどんな試験かは分からないから対策はできないけれど、今のBクラスのチームワークなら、どんな困難でも必ず乗り越えられますよ』とのことです」

 

 ひよりの温かい翻訳が部屋に響く。

 私のその言葉を聞いて、一之瀬の瞳にパァッと明るい光が灯った。

 

「藍染くん……ひよりちゃん……っ」

 

 一之瀬は、胸の前で両手をギュッと握りしめ、深く頭を下げた。

 

「本当に、ありがとう。……この前の、ダミーカメラの件も。もしあの時、二人が止めてくれなかったら……私は過去のトラウマに押し潰されて、取り返しのつかないミスをしていたかもしれない」

 

 一之瀬の声が、微かに震える。

 

「私、リーダーとしてみんなを引っ張っていかなきゃって焦って……でも本当は、すごく弱くて、過去の過ちに怯えてるだけの、普通の女の子なんだ」

 

 彼女の飾らない本音。

 一之瀬は顔を上げ、涙ぐみながらも、とびきりの笑顔を私たちに向けた。

 

「こんな頼りない私だけど……これからも、どうか私を支えてほしい。藍染くん、ひよりちゃん。二人の力が、私には必要なの」

 

(――――ッ!!)

 

 私は内心で、スタンディングオベーションを送りながら号泣していた。

 

(一之瀬さん!! もちろんだよ!! 頼りないなんてことない、君は最高のリーダーだ! 俺でよければ、いくらでも使ってくれ!!)

 

 私はあふれる感情を抑えきれず、静かに、そして絶対的な力強さを込めて告げた。

 

「――太陽は、独りではその輝きを証明できない。……君がその身を削って光を放ち続けると言うのなら、私は喜んで、君の背に広がる『影』となろう」

 

(訳:もちろんだよ! これからも全力でサポートするからね!)

 

「……君を阻む敵がいるのなら、私が全てこの手で屠ってやろう。君はただ、その眩しすぎる光を前へと向けていればいい」

 

(訳:困ったことがあったら、何でも俺に言ってね!)

 

「……惣右介くん」

 

 ひよりが、私の紡いだ物騒極まりないポエムを優しく受け止め、一之瀬に向き直った。

 

「惣右介くんは『もちろんです。これからも全力で帆波ちゃんをサポートしますし、困ったことがあれば何でも助けますよ』と仰っています」

 

 そして、ひより自身も、一之瀬の手をそっと握りしめた。

 

「私も、もちろんです。帆波ちゃんが辛い時は、私がいつでもお話を聞きます。だから、もう一人で抱え込まないでくださいね」

 

「藍染くん……ひよりちゃん……!」

 

 一之瀬の瞳から、ついに大粒の涙がこぼれ落ちた。

 彼女は安心したように泣き笑いの表情を浮かべ、「……うんっ! 私、頑張るね!」と力強く頷いた。

 

 夏の夜。

 私の部屋で交わされたこの小さな約束は、Bクラスという船をさらに強固なものへと鍛え上げた。

 

 ひよりと一之瀬の尊すぎる友情を前に、私は「この平和な日常を絶対に守り抜く」と、内心で密かに決意を固めていたのであった。

 

 

 

 一方、その頃。

 学生寮の、とある一室。

 薄暗い部屋の中で、ソファに深く腰掛け、不気味な笑みを漏らしている男がいた。

 

 1年Cクラスのリーダー、龍園翔である。

 

「……ククク。やってくれたな、生徒会サマよ」

 

 龍園の足元には、先日まで停学処分を受けていた石崎、小宮、近藤の三人が、「す、すいませんでした龍園さん……!」と土下座するように平伏していた。

 

「申し訳ありません……! 俺たち、被害者だって言い張ったのに、あの1年の副会長が……いきなり『どっちも等しく罰を与える』とか言い出して……!」

 

「ああ、聞いてるぜ。てめぇらは一週間の停学、そしてDクラスの須藤は二週間の停学……それに加えて、両クラスとも50クラスポイントの剥奪、だろ?」

 

 龍園は、テーブルに置かれたグラスの氷を揺らしながら、鋭い蛇のような瞳を細めた。

 

 今回の暴力事件。

 それは元々、龍園がDクラスを潰すために裏で糸を引き、石崎たちに須藤を挑発させて手を出させるように仕向けた完璧な『罠』だった。

 

 監視カメラのない場所を選び、目撃者が出ないように徹底的に立ち回った。そのまま審議がもつれ込めば、最終的に手を出した須藤が退学になるか、あるいは莫大なポイントを巻き上げることができるはずだった。

 

「俺はな、あえてこの隙だらけのトラップを仕掛けることで、底辺のDクラスの中に『頭のキレる奴』が隠れていねえか見たかったんだよ。……もしオツムの回る野郎がいるなら、あの絶望的な状況から何か面白い反撃を見せてくれるかと思ってな」

 

 龍園は、カチャリと氷を鳴らした。

 

「だが、蓋を開けてみればDクラスの連中はまともな反撃すらしてこなかった。ただ喚き散らし、無策のまま審議の場に引きずり出されただけだ。……全ッ然、つまらねえ」

 

 龍園の瞳に、深い退屈の色が浮かぶ。

 しかし、次の瞬間、その退屈は狂気的なまでの歓喜へと塗り替えられた。

 

「まさか、Dクラスの反撃を待つまでもなく……あの『生徒会副会長』が、全てを上から叩き潰してくるとはな」

 

 龍園の脳裏に、異例の座に就いた男の姿が浮かび上がる。

 

 藍染惣右介。

 入学初日からSシステムを見破り、上級生たちからギャンブルで莫大なポイントを巻き上げて俺の手駒を引き抜き、果ては生徒会長の堀北学すらも手玉に取って生徒会入りを果たした怪物。

 

「……あの野郎、全部見透かしてやがったんだろ」

 

 龍園の歪んだ推測が、闇の中で牙を剥く。

 

「俺が仕掛けたこの事件の全貌も、Dクラスの無能さも、全て把握していた。……だからこそ、無意味な審議を早々に打ち切り、CクラスとDクラスの両方を潰す『喧嘩両成敗』という誰も文句が言えない力技の裁定を下したんだ」

 

「りゅ、龍園さん……? それって……」

 

「ククク……ハハハハハ!!」

 

 龍園は、突如として腹を抱えて狂ったように笑い出した。

 

「おもしれえじゃねえか……!!」

 

 その瞳には、かつてないほどの凶悪な光と、強者に対する歪んだ渇望が宿っていた。

 

「てめぇのクラス(Bクラス)の優位を盤石にするために、下のクラスの潰し合いを利用して、合法的に両方のポイントを削り取ったってわけだ。……生徒会っていう絶対的な権力の安全圏から、俺たちを見下ろして盤面を支配してやがる」

 

 完全なる勘違い。

 

 藍染惣右介はただ、「めんどくさいから喧嘩両成敗にしただけ」であり、裏の思惑などこれっぽっちも持ち合わせていなかった。

 

 しかし、龍園にはそれが「冷酷非道な魔王の完全なる盤面支配」にしか見えていなかったのだ。

 

「……いいぜ、藍染惣右介。てめぇがその気なら、俺も全力でてめぇの喉首に噛みついてやる」

 

 龍園はグラスの水を一気に飲み干し、残忍な笑みを浮かべた。

 

「夏休み……必ずデカい試験が来る。そこで、てめぇが玉座から引きずり降ろされて絶望する顔を、特等席で見せてもらうとしようぜ」

 

 一人はBクラスの平和と尊い友情を守るために。

 一人は魔王の首を狩り、蹂躙する悦びのために。

 

 水面下で交錯する絶対的なすれ違いを抱えたまま、高度育成高等学校は、波乱に満ちた『夏休み』へと突入していくのであった。

 

 

 

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