いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
夏休み。
一学期の終業式を無事に終え、高度育成高校の生徒たちが束の間の休息と豪華客船でのバカンスに沸き立つ中、私は生徒会室で書類仕事に追われていた。
夏休み期間中の各部活動の予算申請や、校内施設の利用許可証の確認といった、膨大な量の事務作業である。
とはいえ、藍染スペックの異常な処理能力をもってすれば、書類の山など一時間もかからずに片付いてしまうのだが。
問題は、この空間にまたしても『アイツ』が入り浸っていることだった。
「よぉ、夏休みもせっせと雑用か? ご苦労なこった。堀北先輩の忠実な犬として、よく尻尾を振ってるみたいだな」
二年生の南雲雅だ。
彼はソファーに深く腰掛け、足を組みながら退屈そうに私を値踏みしてくる。
「生徒会に入って早々、一年生を仕切るのかと思えば、大人しく雑用係に徹しているとはな。お前には『上に立つ』って野心はねぇのか? 牙を抜かれた飼い犬じゃあるまいし、つまらねぇ男だ」
(うわぁ、また南雲先輩だよ……。せっかくの夏休みなのに、なんでわざわざ俺に嫌味言いに来るのこの人。俺は支配とか野心とか全然興味ないし、ただ部活の予算の計算してるだけなのに! 適当にやり過ごして早くお茶買いに行こう……)
私は内心で盛大なため息をつきつつ、「私は与えられた職務を全うしているだけです。野心など持ち合わせておりません」と無難に答えてやり過ごそうとした。
「――誰かの足跡をなぞることに悦びを覚えるのは、己の足で歩けぬ腑抜けだけだ。……玉座という名の狭い鳥籠で囀るがいい。私の視ている空は、とうにその先にある」
(うわあああああ!! またポエム出たぁぁぁ!! なんで毎回『俺は生徒会長の座なんていうちっぽけな物には興味ない』みたいな、めちゃくちゃ壮大で煽り度MAXの喧嘩売っちゃうの俺の口!!)
「……ッ!! てめぇ……! 俺が狭い鳥籠の中で粋がってる裸の王様だとでも言いてぇのか……!」
南雲の額に青筋が浮かび、私への殺意と敵対心がまた一段階、天井知らずに跳ね上がっていくのを感じた。
(うわぁ、また顔真っ赤にしてキレてるよ……。毎回毎回、自分でウザ絡みしてきてブチギレるんなら、最初から話しかけてこなければいいのに。マジでめんどくさい先輩だな……)
私は内心で盛大に呆れ返りつつ、自動で作動する『藍染としての外殻』に従い、激昂する南雲をひたすらに冷たく見下した。
「フッ……」
そして、哀れなモノでも見るようにフッと鼻で嘲笑うと、「失礼」とだけ言い残し、王者のような優雅な足取りで生徒会室を後にしたのだった。
生徒会室からの帰路。
私はケヤキモールに寄り道していた。自室にストックしていたダージリンの茶葉が少なくなってきたため、買い足しておく必要があったのだ。
(さて、美味しい紅茶も買えたし、早く寮に戻ってクーラーの効いた部屋でゆっくりしよう)
高級茶葉の入った紙袋を片手に、モール内の通路を歩いていた時のことだ。
「フッ……。ビューティフル。今日も私の肉体は、実にパーフェクトだねぇ」
ふと、アパレルショップの巨大なガラス窓の前に、一人の男子生徒が立ち止まっているのが目に入った。
金髪をオールバックに撫でつけ、シャツの胸元をはだけさせた、やけに体格の良い男。彼はガラスに映る自身の姿をうっとりと見つめながら、手鏡を取り出して髪型を微調整している。
(うわぁ……やべぇ奴がいる。噂に聞くDクラスの変人・高円寺じゃん。関わったら絶対面倒くさいことになるタイプだ。目を合わせないように素通りしよう……)
私は気配を完全に消し、足音一つ立てずに彼の背後を通り過ぎようとした。
しかし。
「――おや。そこにいるのは、オサレボーイじゃないか」
「……」
高円寺は手鏡を持ったまま振り返り、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて私を呼び止めた。
(うわぁぁぁ! 変態に絡まれた! なんで気づくの!? 俺、今完全に存在感消して歩いてたはずなのに、野生の勘かなんか!?てか、オサレボーイってなんだよ!!??)
「フフッ。一学期の終業式での君の挨拶、実に見事だったねぇ。凡人どもを遥か高みから見下ろすようなあの態度、エクセレントだったよ」
高円寺は悪びれる様子もなく、気さくに話しかけてくる。そして、頭の先からつま先まで、舐め回すように私の立ち姿を観察し始めた。
「……ほう。それにしても、近くで見るとさらに素晴らしいね。一切の力みがないのに、全く隙がない。君のその完璧な姿勢と威圧感、意図して作っているのかい? それとも天然かな?」
(ひぃぃっ! ガン見されてる! 姿勢がいいのはただの身体のデフォルト設定なんです! 怖い怖い! この人、会話のドッジボールしかできなさそう! とりあえず適当に褒め返して、さっさとこの場から立ち去ろう!)
私は引きつりそうになる頬を必死に抑え、「高円寺くんも、とても素晴らしいオーラを放っていますね。その鏡に映る姿、お似合いですよ」と無難な社交辞令を口にしようとした。
「――泥水に映る己の姿を愛でるのも結構だが。……天に輝く月を前にして、その程度の光で目を惹けると錯覚しているのなら、あまりにも滑稽だ」
(しまったぁぁぁぁっ!! またオサレポエムが暴発した!! よりによってこんなヤバい奴を全力で煽っちゃったよ!! 絶対殴られる!!)
私は内心で頭を抱え、高円寺が激怒して殴りかかってくることを覚悟した。
しかし、予想に反して高円寺の反応は斜め上をいっていた。
「フハハハハ!! 素晴らしいね!!」
(……?)
高円寺は天を仰ぎ、大広間に響き渡るような美声で高笑いした。
「なるほど! 天に輝く月のような私の圧倒的な美しさは、こんな泥水のような薄汚い窓ガラスに映した程度では到底測りきれない……そう言いたいんだねボーイ!? フッ、君のその独特で詩的な褒め言葉、嫌いじゃないよ! 凡人には思いつかない、実にビューティフルな比喩表現だ!」
(ええええええええ!? 嘘でしょ!? 今の俺のセリフ、どう解釈したらそうなるの!?)
私は戦慄した。
ひよりという『大天使の意訳(翻訳機)』を通さずとも、この男は自らの強靭すぎる自己肯定感によって、どんな煽り文句すらも『自分への極上の賛辞』へと強制的にポジティブ変換してしまうのだ。
(こいつはやべぇ……! 精神の装甲が分厚すぎる! ある意味で俺の天敵かもしれない……!)
私がドン引きしていることなど露知らず、高円寺は満足げに手鏡を胸ポケットにしまった。そして、ケヤキモールを歩く楽しげな生徒たちを一瞥して、ふとひどく冷酷な目で鼻で笑った。
「いやはや。少しばかり豪華な客船に乗れるからと、浮かれている人間が多いねぇ。毎月振り込まれるポイントに甘え、この学校のシステムの本質――常に水面下で蹴落とし合いが行われている過酷な盤面も見ようとせず、ただ与えられた娯楽を享受しているだけの愚か者ばかりだ」
高円寺は肩をすくめ、やれやれと首を振る。
「自分の無能さから目を背け、己の都合のいいように解釈した心地よい夢を見ているだけの凡人には、ヘドが出るよ」
(うわ、すごい毒舌……。いやいや、いくらなんでも言い過ぎだろ。相手はただの高校生なんだからさ、いきなり学校から『豪華客船で夏休みのバカンスに行きます』なんて言われたら、そりゃ浮かれるのも仕方ないと思うけどなぁ。みんな普通の学生なんだし……よし、ここは『まあまあ、そんなに怒らないで大目に見てあげなよ』って適当に宥めて、さっさと帰ろう)
私は苦笑いを浮かべ、彼を穏やかに宥める言葉を紡ごうとした。
――しかし、ここで再び、藍染惣右介の魂が強烈に共鳴してしまったのだ。
「……無理もないことだ。同情しよう」
私の低く、しかし絶対的な重圧を伴った声が、ケヤキモールの通路に静かに響き渡る。そのあまりにも圧倒的な覇気に、周囲の喧騒が一瞬だけ遠のいた錯覚すら覚えた。
「――この世界には最初から真実も嘘もない。あるのはただ厳然たる事実のみ。にも関わらず、この世界に存在する全てのものは、自らに都合の良い“事実”だけを“真実”と誤認して生きる。そうするより他に、生きる術を持たないからだ」
(うわあああああ!! なんかめちゃくちゃ壮大で哲学的な長文ポエムが暴発した!! 待って、これ黒崎一護に向けて言い放った、あの絶望ポエムじゃん!! なんだこれ!? 俺の口からスラスラと恐ろしい言葉が出てくる!!)
内心で大パニックに陥る私を置き去りにして、魔王の口は止まらない。
「……だが、世界の大半を占める力無きものにとって、自らを肯定するに不都合な“事実”こそが、悉く真実なのだ」
(――って、俺は何を言ってるんだ!?ただ『まあまあ大目に見てあげてよ』って宥めて帰るつもりだったのに、なんでこんな冷徹な真理を突きつけるラスボスの説教みたいになるの!?)
それは、弱き者たちの生存戦略に対する、一切の容赦がない真理の開示だった。
弱い人間は、傷つくことを恐れ、自分に不都合な事実を「嘘」だと拒絶し、都合の良い妄想を「真実」だと信じ込む。だが、彼らがどれほど目を塞ごうとも、世界を回しているのは常に、彼らにとって不都合で残酷な『事実』の方なのだ。
そのあまりにも傲慢で、しかし世界の真理を穿つような鋭い言葉を聞いた瞬間。
「――フッ、フハハハハハハハハハッ!!」
高円寺は、今日一番の高笑いをケヤキモールに轟かせた。
「素晴らしい!! その通りだねぇ、オサレボーイ! 弱き者どもは、己の無能さという不都合な事実から逃げ続ける哀れな生き物だ! まさに言い得て妙だよ! 実に深く、美しい哲学だ!」
高円寺はバサァッと自身の前髪をかき上げ、絶対の自信に満ちた、爛々と輝く瞳で私を見据えた。
「だが! 最も美しく、最も優れたパーフェクトな存在であるこの私には、何一つ関係のない話だがね! なぜなら、私にとって目を背けたくなるような不都合な事実など、この世界のどこを探しても存在しないのだから! フハハハハハ!」
私のポエムを完璧に理解し、大絶賛した上で、高円寺はさらにその上を行く圧倒的な自己肯定感を爆発させた。
「いやはや、君との会話は実に有意義でエクセレントだったよ。無人島でのバカンス、君がどう動くのか少しだけ楽しみにさせてもらうとしよう。アデュー、オサレボーイ!」
高円寺は高らかに笑いながら、己の美しさに陶酔しきった様子で、優雅な足取りで立ち去っていった。
「……」
その嵐のような、あまりにも我が道を行く背中を見送りながら、私は一人、通路の真ん中で魂が抜けたように立ち尽くしていた。
(……なんか、あのド変態にめちゃくちゃ深いレベルで認められたんだけど……全然嬉しくねぇ……。どっと疲れた……)
押し寄せてきた精神的疲労感に、私は深いため息をついた。これ以上ここにいると、また変な奴に絡まれかねない。
(まあいい。明日からは、いよいよ豪華客船での夏休みだ。……このバカンスの裏で、クラスポイントが大きく変動する『試験』が行われるだろうってことは、すでに一之瀬や神崎にも共有して警戒を強めている。でもまあ、腐っても学校が手配した豪華客船だし? さすがに四六時中バチバチの試験ってわけじゃないだろうから、少しはひよりやみんなと一緒に、青い海と白い砂浜を満喫できたらいいなぁ……!)
この時の私は、特別試験の存在自体は正確に予測していたものの……その試験の正体が、優雅な船旅などとは程遠い『地獄の無人島サバイバル』であり、私のささやかなバカンスの希望が開始早々に粉砕されることなど、知る由もなかった。