いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
特別試験を終え、過酷な無人島から豪華客船へと帰還した翌日。
私たち一年生には、試験の労をねぎらうための完全な自由時間――すなわち『船上でのバカンス』が与えられていた。
抜けるような青空と、どこまでも続く真っ青な海。
客船の最上階に位置する広大な屋外プールエリアは、強烈な日差しを浴びてキラキラと輝いている。ウォータースライダーや流れるプールまで完備されたその空間は、まさに極上のリゾート施設であった。
サバイバル試験で圧倒的なポイントを獲得し、ダントツのトップ成績を収めた我がBクラスの生徒たちは、朝からこのプールエリアに集結し、これまでの一週間の鬱憤を晴らすかのように全力で遊び惚けていた。
「よっしゃあああ! ウォータースライダー、もう一回行ってくる!!」
「柴田くん元気すぎー! 私たちは流れるプールでのんびりしよっか」
「うんっ! 麻子ちゃん、浮き輪貸してー!」
柴田の大きな声と、白波や網倉たち女子生徒の黄色い歓声が飛び交う。無人島での泥だらけのジャージ姿とは打って変わり、色とりどりの水着に身を包んだクラスメイトたちが、心の底からバカンスを満喫している。
そんな中、私はプールサイドの最も見晴らしの良い場所に設置された、パラソル付きの高級ビーチチェアに深く腰掛けていた。
海風に前髪をなびかせ、サングラス越しに手元の文庫本を眺めつつ、片手にはトロピカルジュース。完璧に仕上がった『オフの日の魔王』の構図である。
(……最高だ。クーラーの効いた船内も良いが、やはり夏と言えばプール。みんなが楽しそうに遊んでいる姿を見ているだけで、心が洗われるようだ)
私は優雅にジュースを啜りながら、平和なクラスの光景に目を細めていた。
すると、プールの更衣室の方から、パタパタと控えめな足音が近づいてきた。
「お、お待たせしました、惣右介くん……」
その声に顔を上げた私の視界に、とんでもない破壊力の生き物が飛び込んできた。
「――――ッ!!」
思わず、手からトロピカルジュースを取り落としそうになる。
そこに立っていたのは、私の唯一無二の大親友、椎名ひよりだった。
彼女が選んだ水着は、純白のフリルがあしらわれた、清楚でありながらも少しだけ背伸びをしたようなデザインのビキニだった。
普段の制服や私服では隠されている、抜けるように白い肌。華奢な肩のライン。そして、思っていたよりもずっと女性らしい柔らかな曲線が、真夏の太陽の下で惜しげもなく晒されている。
恥ずかしさからか、両手で少しだけお腹のあたりを隠すようにしながら、彼女はもじもじと上目遣いでこちらを見ていた。
(か、可愛いぃぃぃぃぃぃぃぃっ!? なんだこの圧倒的な破壊力は!! 女神が水着を着て地上に舞い降りたぞ!!)
私の『藍染スペック』の冷静な思考回路が、一瞬ショートして消し飛ぶ。
男としての本能が、目の前の美少女から目を逸らすことを許さない。しかし、私の内なる『理性』が、全力でブレーキをかけてきた。
(い、いや待て落ち着け俺!! 相手はひよりだぞ! 中学時代からずっと一緒にいてくれた、この世界で唯一の『大親友』だ!! 親友に対してそんな不純な目を向けるなんて、絶対にダメだ!! もし俺がそんな邪な感情を抱いているとバレたら、最悪嫌われてしまうかもしれない! 俺のポエムを完全に理解し、翻訳してくれる唯一の親友を失うことだけは絶対に避けなければ!!)
私は必死に平常心を装い、顔の筋肉を総動員して『余裕のある魔王』の表情を形作った。
「あ、あの……。水着、着てみたんですけど……。ど、どうでしょうか……?」
ひよりが、少しだけ頬を朱に染めながら、不安そうに尋ねてくる。
その破壊力抜群の上目遣いに対し、私はサングラスをゆっくりと外し、極めてオサレで、かつ親友としての最大級の賞賛を込めた言葉を紡いだ。
「――純白の月光が、真昼の太陽すらもひれ伏させる。……その眩しさは、罪深いほどに美しいね。君の姿を前にしては、この海の青さすらひどく色褪せて見えるよ」
(訳:すっごく似合ってるよ! めちゃくちゃ可愛い!!)
親友としての純粋な褒め言葉のつもりだった。
しかし、私のそのオサレポエムを聞いた瞬間。ひよりはパッと顔を赤くし、耳の先まで真っ赤に染め上げてしまった。
「そ、そんな……。罪深いほど美しい、だなんて……」
ひよりは両手で熱を持った頬を包み込み、恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。
(あれっ!? 今のポエム、翻訳なしで通じた!? しかもなんかめちゃくちゃ照れてる!? ……いや、親友からこんな大袈裟に褒められたら、そりゃ恥ずかしいよな! ごめんよひより!)
私は内心で平謝りしながら、「さあ、みんなのところへ行っておいで」と促すように視線をプールへと向けた。
「ひよりちゃーん! こっちこっち! 一緒にビーチバレーしよー!」
プールの中から、一之瀬が大きく手を振って呼んでいる。
「あ、はいっ! 今行きます!」
ひよりは「では、惣右介くん。後ほど」と小さくお辞儀をし、一之瀬たちの元へと小走りで向かっていった。
その後。
私も時折プールに入り、柴田たちに誘われて水球に混ざったり、ウォータースライダーを滑り降りたりしてクラスメイトとの交流を楽しんだ。
しかし、大半の時間はビーチチェアに深く腰掛け、冷たいジュースを飲みながら、クラスメイトたちがキャッキャと遊ぶ姿を眺めていた。
「えいっ!」
「あはは、ひよりちゃん水しぶきすごい!」
ひよりが、一之瀬や白波たちと楽しそうに水を掛け合い、無邪気に笑っている。
その光景を見ていると、私の心の中に、じんわりとした温かい感情が広がっていった。
(……良かったなぁ。中学の時は、俺もひよりも、ずっと二人だけで本を読んでるだけのぼっちだったのに。……今こうして、高校でたくさん友達ができて、あんなに楽しそうに笑ってる。……なんだか、娘の成長を見守る親のような気分だ)
魔王の皮を被った保護者は、サングラスの奥で優しく目を細め、平和すぎるBクラスのバカンスを心ゆくまで堪能するのであった。
そして、その日の夜。
豪華客船の中層階にある、煌びやかなシャンデリアが輝くパーティルーム。
私たちBクラスは、この豪奢な空間を貸し切りにして、試験の『祝勝会』を開催していた。
部屋には豪華なビュッフェスタイルの料理が並び、色鮮やかなノンアルコールカクテルやジュースのグラスがタワーのように積まれている。
プールでの水着姿から一転、生徒たちはそれぞれ少し背伸びをしたドレスや、綺麗めな私服に身を包んでおり、まるで大人の社交界のような華やかな雰囲気が漂っていた。
「みんな、グラスは持ったかな!?」
パーティの中心で、淡いピンク色のパーティドレスに身を包んだ一之瀬帆波が、グラスを高く掲げて声を張り上げた。
全員の視線が、クラスの誇る太陽へと集まる。
「この無人島での一週間、本当にお疲れ様でした! みんなが助け合い、誰一人欠けることなく最後まで頑張り抜いたからこそ、私たちはこんなに素晴らしい結果を残すことができました! これから先も、私たちBクラスは全員で肩を組んで、最高のクラスを作っていこうね!」
「「「おおおおおっ!!」」」
「それじゃあ、私たちの勝利と、これからの高校生活に……乾杯!!」
「「「乾杯!!」」」
グラスの触れ合う涼やかな音が、パーティルームに響き渡る。
それを合図に、生徒たちは歓談を始め、思い思いに豪華な料理へと舌鼓を打ち始めた。
私はといえば、部屋の隅にある静かなテーブル席に陣取り、ローストビーフの乗った皿を優雅に味わっていた。隣には、清楚な白いワンピースを着たひよりが、小さなケーキを美味しそうに頬張っている。
「惣右介くん、このケーキ、とっても美味しいですよ。ふふっ、無人島でのご飯も美味しかったですが、やはり甘いものは格別ですね」
「――ああ。……飢えを知らぬ舌に、真の甘露の味は理解できない。過酷な渇きを経たからこそ、この砂粒のような砂糖も至高の宝石へと昇華されるのだ」
(訳:本当だね! 無人島生活を頑張った後のケーキは最高に美味しいよ!)
私がオサレに返すと、ひよりは「ふふっ、本当にそうですね」と嬉しそうに頷いた。
そんな私たちのテーブルへ、次から次へとクラスメイトたちが訪ねてきた。
「藍染! マジでこの一週間ありがとな! お前が裏で色々と作戦立ててくれてたって、一之瀬から聞いたぜ!」
柴田が、ジュースの入ったグラスを片手に、満面の笑みでやってきた。
その後ろには、白波や網倉、その他のクラスメイトたちも「藍染くん、ありがとう!」と感謝の言葉を口にしながらついてきている。
(おおっ……! みんなわざわざ俺のところへお礼を言いに来てくれるのか。なんて良い奴らなんだ、Bクラス! よし、ここはカッコよく『気にするな』と返してやろう!)
私はグラスを静かにテーブルに置き、極めて傲慢な笑みを浮かべて見せた。
「――無意味な感謝だ。私はただ、盤上の駒が最も美しく輝く道を示したに過ぎない。……賞賛なら、自らの意志でその道を歩き抜いた君たち自身に贈るがいい」
(訳:どういたしまして! みんなが頑張ったおかげだから、俺はお礼なんていらないよ!)
私のポエムに、柴田たちが「こ、駒……? 盤上……?」と一瞬キョトンとする。
しかし、すぐに隣の大天使が完璧なフォローを入れた。
「『皆さん一人一人が努力した結果ですので、私にお礼を言う必要はありません。皆さんの頑張りは、本当に素晴らしかったです。どういたしまして』とのことです」
「おおー! やっぱり藍染は懐が深いな!」
「なんか言い回しはちょっと怖いけど、藍染くんって本当に優しいよね!」
ひよりの完璧な翻訳のおかげで、柴田たちはさらに感動を深め、私の肩をポンポンと叩いてから他のテーブルへと戻っていった。
(ふぅ、危ない危ない。ひよりの翻訳がなかったら、俺がクラスを『盤上の駒』扱いしてる最低な黒幕だと思われて孤立するところだった。……やっぱり、ひよりは俺にとって最高の大親友だ)
私が内心で冷や汗を拭っていると、今度はパーティの主役である二人が歩み寄ってきた。
一之瀬帆波と、神崎隆二である。
「藍染くん、ひよりちゃん。少し良いかな?」
一之瀬が、少しだけ真面目な顔つきになって声をかけてきた。神崎も、静かに私の正面に立つ。
「なんだい、改まって」
私が尋ねると、一之瀬は深く頭を下げた。
「本当に、ありがとう。……今回の試験、私がみんなの体調管理や拠点のことに集中できたのは、藍染くんが裏で他クラスの動向を完全に把握して、完璧な作戦を敷いてくれていたからなんだ。藍染くんと、いつもサポートしてくれたひよりちゃんがいなかったら、絶対にこの勝利はなかったよ」
「ああ。一之瀬の言う通りだ」と、神崎も力強く頷く。
「お前のその規格外の頭脳に、我々はどれほど救われたか……お前がBクラスにいてくれて、本当に良かった」
クラスのトップに立つ二人が、嘘偽りのない真っ直ぐな瞳で、私に対して全幅の信頼と感謝を向けている。
(……一之瀬、神崎。お前ら、本当に最高だよ。だけどな、勘違いしないでくれ。俺はチート能力でちょっと助言しただけで、このクラスの本当の強さは、お前たち自身の『優しさ』なんだから)
私は、こみ上げる熱い感情を押し殺し、ゆっくりと立ち上がった。
そして、一之瀬と神崎を見下ろすように、静かに、だが力強く語りかけた。
「――私は、水面に波紋を落としたに過ぎない」
(訳:俺は、ちょっとした助言をしただけだよ)
「……いくら完璧な軌道を計算しようとも、器そのものが脆ければ、水は容易く零れ落ちる。……温かな光でこの脆き器を包み込み、また、冷徹なる盾としてその底を支え続けた。ただの一滴も零すことなくこの祝祭の夜まで運び切ったのは、他でもない、君たち二人の力だ」
(訳:このクラスが誰もリタイアせずに最後まで頑張れたのは、一之瀬が優しくみんなを引っ張って、神崎が冷静にフォローして支えてくれたおかげだよ!)
私の圧倒的なオーラとオサレな比喩表現に、一之瀬と神崎がハッと息を呑む。
すかさず、ひよりが慈愛の微笑みと共に口を開いた。
「『私は少しの助言をしたに過ぎません。このクラスが誰一人欠けることなくまとまり、今日という日を迎えられたのは、他でもない、一之瀬さんのリーダーシップと優しさ、そして彼女を冷静にフォローし、裏でクラスを支え続けた神崎くんのおかげです』と仰っています」
「藍染くん……ひよりちゃん……っ」
「……藍染。俺のことまで……」
ひよりの翻訳を聞いた瞬間、一之瀬の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。神崎も、思わぬ労いの言葉に少しだけ目を丸くした後、照れくさそうに視線を落とした。
彼女は一週間、誰にも弱音を吐かず、常に笑顔でクラスを牽引し続けてきた。そして神崎は、そんな彼女の負担を減らすべく、冷静にクラスメイトたちを支え続けていたのだ。その二人の計り知れないプレッシャーと重圧を、私が(ポエム越しに)全て肯定し、労ったのだ。
「う、うぇぇぇんっ……! ありがとう、藍染くん、ひよりちゃん……! 神崎くんも、一緒に支えてくれて本当にありがとう……! 私、もっともっと頑張るからね……っ!」
一之瀬は両手で顔を覆い、子供のように泣きじゃくり始めた。神崎が「一之瀬、泣くのはまだ早いぞ。……だが、俺も感謝している」と苦笑いしながらも、その目はどこか優しげだった。
(よし! 完璧に伝わったな! リーダーと、それを支える右腕の苦労を労う、友達としての最高の言葉が贈れたぞ!)
私は内心でガッツポーズを決めつつ、「――狂宴はまだ終わらない。存分に酔い痴れることだ」と、オサレにグラスを傾けた。
こうして、無人島サバイバル特別試験の祝勝会は、Bクラスの絆をかつてないほどに強固なものへと昇華させながら、夜更けまで賑やかに続いていくのだった。
そして私は、隣で楽しそうに微笑む大親友と共に、この最高に平和でバラ色な高校生活がいつまでも続くことを、星空に祈るのであった。