いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
――春。それは新たな出会いと希望の季節であるはずだ。
だが、私にとっては「またこの苦行が始まるのか」という絶望の季節でしかなかった。
小学校時代を振り返れば、私の記憶は真っ白な砂漠のようだった。
友達、ゼロ。
話しかけてくるのは、勇気を振り絞った挙句に震え上がる教師か、遠巻きに私を拝み始める一部の熱狂的な女子、あるいは恐怖で目を合わせられない男子たち。
生まれ持った人を圧倒するような美貌。そして、その底知れないカリスマ性をさらに凶悪に増幅させる「藍染ポエム自動変換機能」のせいで、私はすっかり「近寄ってはいけない魔王」としての地位を確立してしまっていた。
(今度こそ……今度こそ、普通の、爽やかな中学生デビューを決めるんだ……!)
私は中学校の真新しい制服の襟を正し、1年A組の教室のドアを潜った。
内心では「おはよー! よろしくね!」という明るい挨拶を脳内シミュレーションし、顔の筋肉を必死にほぐして「爽やかな笑顔」を作ったつもりだった。
しかし、私が一歩足を踏み入れた瞬間、賑やかだった教室が水を打ったように静まり返った。
「…………っ」
「……今の、誰……?」
「……なんか、息が詰まるような……」
ヒソヒソという呟きが聞こえる。何もしていないのに、ただ歩いているだけで周囲に謎のプレッシャーを撒き散らしてしまっているらしい。
私は自分の席に座り、自己紹介の時間を待った。
やがて、担任に促されて私の番が回ってくる。
立ち上がり、クラスメイトたちを見渡す。よし、まずは「藍染惣右介です。趣味は読書です。仲良くしてください」と、極めて一般的な、教科書通りの挨拶をしよう。
私は口を開いた。
「――私の名は、藍染惣右介」
ここまではいい。問題はこの後だ。
「……君たちの前に立っているこの姿は、一つの事実に過ぎない。だが、その背後に広がる深淵を、君たちが知る必要はない。……ただ、この三年間という刹那を、私の視界の隅で精一杯生きるといい」
(うわああああああああああ!! まただ!! なんでだよ!! 『仲良くしてください』って言っただろ俺の脳内では!!)
教室内は、先ほどまでの沈黙を上回る、凍り付くような絶望感に包まれた。
担任の教師は持っていた出席簿を落とし、最前列の女子生徒は恐怖のあまり涙目になっている。
(終わった……。俺の中学生活、わずか30秒で終了した……。頭脳も運動神経も世界最高峰のスペックを持ってるのに、コミュニケーション能力だけ致命的にポンコツなのかよこのボディは!? もはや呪いじゃねーか!!)
私は内心で血涙を流しながら、優雅な動作で席に戻った。
その動作一つ一つが、クラスメイトたちには「慈悲なき捕食者の振る舞い」に見えていることなど、もはや考えるまでもなかった。
それから数ヶ月。
案の定、私はクラスで完全に浮いていた。
昼休み、周囲がグループで楽しそうに談笑する中、私は一人静かに席を立ち、図書室へと向かうのが日課となっていた。
騒がしい教室よりも、古びた紙の匂いと沈黙が支配する図書室の方が、私の「ポエムを吐き出さざるを得ない精神」には安らぎを与えてくれた。
(はぁ……。今日も一人でミステリー小説でも読むか)
私は図書室の奥、あまり人が来ない海外古典の棚の近くに座った。
そこは、私にとっての「聖域」だった。
だが、その日は先客がいた。
「……あ」
ふわりとした、柔らかそうな淡い銀色の髪。
大きな瞳に、穏やかな光を宿した少女が、山のように積まれた本の後ろから顔を覗かせた。
同じ学年の制服だが、クラスは違うようだ。
「……こんにちは。もしかして、あなたもその本が好きなんですか?」
彼女が丁寧な口調で指差したのは、私が手に取ろうとしていたマニアックな推理小説だった。
普通なら、私と目が合った瞬間に蛇に睨まれた蛙のようになるはずだ。だが、彼女は違った。
その瞳には恐怖の色が一切なく、純粋な好奇心と、本を愛する者への親しみが溢れている。
(……え、怖くないの? 俺のこと怖くないの!? マジで!?)
内心で大混乱する私。
だが、私の口は無慈悲にも「藍染モード」で応答を開始する。
「――偶然だね。……言葉というものは、往々にして真実を隠すためにある。だが、この書物の中に閉じ込められた殺意だけは、偽りのない輝きを放っている。……君も、その輝きに魅せられた一人なのかな?」
(違う!! 『うん、面白いよね』って言いたかっただけなんだ!! ごめん、今すぐ忘れてくれ!!)
私は内心で絶望し、彼女が怯えて逃げ出すのを待った。
しかし。
「……ふふっ。面白い表現をされる方ですね。……『言葉は真実を隠すためにある』、ですか。確かに、物語の本質は行間に隠されていることも多いですから。……あなたは、とても素敵な感性をお持ちなんですね」
少女は、花が綻ぶような、本当に優しげな微笑みを俺に向けた。
「…………え?」
私は思わず、素の声で漏らしてしまった。
「私はCクラスの、椎名ひよりと申します。あなたは?」
「……藍染、惣右介だ」
「藍染くん、ですね。……藍染くんが選ばれる本、どれも興味深いものばかりです。もしよろしければ、隣に座ってもいいでしょうか? 一緒に、読書を楽しみたいです」
ひよりはそう言うと、持っていた本を抱え直して小首を傾げた。
(な、なんていい子なんだ……。このポエム全開の俺を、一切否定せずに受け入れてくれるなんて。聖母か? もしかして、現世に舞い降りた天使か何かなのか……?)
感動で内面が激しく震える。
ようやく、ようやく俺の言葉(勝手に変換されるけど)を解釈し、微笑んでくれる理解者に出会えたのだ。
「……光栄だよ、椎名。……君のような澄んだ瞳を持つ者と、この孤独な思索を共有できるのは……案外、悪くない未来かもしれないね」
(ああ、もう勝手にポエムが出るなら、もうこれでいいや。椎名が笑ってくれるなら、俺は一生オサレな言葉を吐き続けるマシーンになってやるぜ!!)
内心での熱い決意とは裏腹に、私は極めて優雅な動作で椅子を引き、彼女を促した。
椎名は「ありがとうございます」と嬉しそうに微笑み、私の隣に静かに腰を下ろした。
窓から差し込む午後の陽光が、銀髪の少女と、死神のような少年の影を優しく包み込む。
中学校に入学して数ヶ月。
藍染惣右介は、初めて「自分の居場所」を見つけたような気がしていた。
(……さて、次はどの本を使って彼女と会話をしようか。……藍染スペックの圧倒的な記憶力、全開で検索だ!)
孤独な天才は、その世界を脅かすほどの高い能力を「いかに椎名との読書タイムを充実させるか」という、極めて平和でささやかな目的のためにフル回転させ始めるのだった。
そして、時は流れ、中学三年の秋。
落ち葉が校庭を彩る季節になっても、私の学校生活は相変わらず「隔離された魔王」のそれであった。
ホワイトルームで培われた(というより、藍染スペックとして元から備わっていた)神がかった頭脳と、大人すらも一瞬で制圧できる身体能力。
テストを受ければ当然のように全教科満点。体育の授業で少しでも本気を出せば、陸上部の顧問が泡を吹いて倒れかける。そして何より、何を言おうとしても勝手に変換されてしまう『藍染ポエム』のせいで、クラスメイトからの畏怖は年々強まるばかりだった。
(はぁ……。結局、中学に入ってからもクラスでまともに口を利ける相手は一人もできなかったな……)
昼休みの喧騒から逃れるように、私は渡り廊下を歩いていた。
すれ違う生徒たちは、私の姿を見るなりモーセの十戒のごとく道を空け、壁に張り付いて震えている。
(いや、俺はただ図書室に行きたいだけなんだけど!? なんでそんな『霊圧で殺される!』みたいな顔するの!? 俺、霊圧ないから!! この世界に霊圧ないから!!)
内心で盛大にツッコミを入れながらも、表面上の私は「有象無象には興味がない」とでも言わんばかりの冷徹で優雅な足取りを崩さない。崩せないのだ。
だが、そんな私の足取りも、図書室の扉の前に着くと自然と軽くなる。
扉を開けると、いつもの指定席――海外古典の棚の裏のテーブルに、柔らかな銀色の髪が揺れていた。
「――おや。今日の君は、随分と活字の森の深い場所に迷い込んでいるようだね」
(『やっほー、また難しい本読んでるね』って言いたかっただけなのに! 相変わらず俺の口は絶好調だな!)
私の声に、本に落としていた視線を上げた少女――椎名ひよりは、花が咲くような優しい微笑みを浮かべた。
「ふふっ、こんにちは、惣右介くん。……ええ、この哲学書は少し手強くて。でも、惣右介くんが言う『活字の森』という表現、とても素敵ですね」
「……買い被りだよ、ひより。私が紡ぐ言葉など、君のその知的好奇心を満たすための、ほんの些細な道標に過ぎない」
(あああ! 『そんなことないよ』って照れるつもりだったのに、なんでこんな上から目線でキザなんだよ俺!! でも、ひよりが笑ってくれるならもう何でもいいや!!)
中学に入学してからの三年間。
私とひよりは、一度も同じクラスになることはなかった。
しかし、図書室という空間だけは、私たち二人のためだけの特別な場所になっていた。
ポエム自動変換の呪いにより、誰からも恐れられる私。
大人しく引っ込み思案で、本ばかり読んでいるためクラスで少し浮いていた彼女。
気づけば、お互いが「唯一の友人」と呼べる存在になっていた。いつしか呼び方も、「椎名」「藍染くん」から、自然と下の名前で呼び合うようになっていたのだ。
「惣右介くんは、今日は何を読まれるんですか?」
「今日はそうだな……。神が作りし箱庭の、その外側の景色について書かれたものにしようか」
「それは……もしかして、宇宙物理学の本ですか?」
「ああ。正解だ」
(伝わった!? 今のポエムで『宇宙物理学の本読むわ』って伝わったの!? ひよりの翻訳能力、年々上がってないか!? まさに俺の最大の理解者だよ!!)
私は内心で感動に打ち震えながら、ひよりの向かいの席に腰を下ろした。
窓から差し込む秋の柔らかな日差しの中、ページをめくる音だけが静かに響く。
この時間が、永遠に続けばいいのに。
前世の一般人としての感性を持つ私は、心の底からそう願っていた。
――しかし、時間は残酷に未来の選択を迫ってくる。
その日の放課後。私は担任の教師に呼び出され、進路指導室で向かい合っていた。
ベテランの男性教師だが、私と対面しているだけで冷や汗をダラダラと流している。
「あー……藍染。お前の進路希望調査票を見たんだが……『白紙』ってのは、どういうことだ?」
「……私の歩むべき道は、紙切れ一枚に収まるほど安っぽくはないということですよ。……先生、私をこの小さな枠組みに押し込めようとするのは、あまりにも無謀だと思いませんか?」
(ちがう! 単にどこの高校行けばいいか分かんなくて白紙で出しただけです! すみません! 生意気言ってすみません!!)
私の言葉に、担任は「ヒッ」と短く息を呑み、ハンカチで額の汗を拭った。
「そ、そうだな。お前のその……常識外れの頭脳と運動神経を考えれば、普通の高校じゃ物足りないだろう。……そこでだ。お前に、ある学校への推薦枠の話を持ってきた」
「……ほう?」
担任が震える手で差し出してきたパンフレット。
そこに書かれていたのは、『高度育成高等学校』という名前だった。
(……高度育成高等学校。確か、国が設立した超エリート校だったな。徹底した実力主義で、卒業生は希望する就職や進学がほぼ100%叶うとかいう……)
前世の記憶にはない、この世界特有の学校だ。
そして何より、私の目を引いたのはその待遇だった。
『学費免除』『全寮制』『生徒には毎月、生活費としてポイントが支給される』
(……魅力的すぎる)
私は現在、孤児院で生活している。ホワイトルームから放り出された身寄りなしの子供にとって、金銭的な負担が一切かからず、しかも自立して生活できる環境というのは、これ以上ないほどありがたい話だった。
藍染スペックを活かせば、どんな実力至上主義だろうが余裕で無双できる自信はある。
(よし、決まりだな。ここに行こう。俺の完璧な高校生活の舞台はここに……)
――そこまで考えて、私の思考はピタリと止まった。
(待てよ。全寮制ってことは……この街を出るってことだ。外界との接触も基本的に禁止されてるらしいし……)
脳裏に浮かんだのは、銀色の髪をした少女の優しい微笑み。
私のあの痛々しいポエムを嫌な顔一つせず聞いてくれ、理解し、共に時間を過ごしてくれた唯一の親友。
(……ひよりと、離れ離れになる……?)
その事実を認識した瞬間、私の心にズシリと重い石が落ちたような感覚が走った。
孤児院の窮屈な生活から抜け出せるのは魅力的だ。だが、その代償が「椎名ひよりという唯一の親友」を失うことだとしたら?
(……嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ。俺のポンコツコミュニケーション能力じゃ、高度育成高校に行ったところでまたボッチになるのは目に見えてる。それなら、ボロいアパートに住んでバイトしながらでも、ひよりと同じ普通の公立高校に行った方が……!)
「ど、どうだ藍染。お前なら確実に合格できる。……いや、この学校なら、お前のその『底知れなさ』を受け止められるかもしれない」
「…………」
私は静かに目を伏せた。
担任には「少し考えさせてください」と、無難に返答をしよう。
「――先生。魅力的な提案だとは思うよ。だが……」
私はゆっくりと顔を上げ、担任を見据えた。
「――私を繋ぎ止める鎖は、私が選ぶ。……玉座へと続く階段が用意されていようと、そこに月を愛でる余白がなければ、私はその誘いを蹴り飛ばすことすら厭わない。……結論を急がないことだね。私が天の星々を数え終えるまで、少し待っていてもらおうか」
(ああああああああああ!! だからなんでそうなるの!? 『ちょっと考えさせてください』って言いたいだけなのに!! 月を愛でる余白ってなんだよ!! 意味分かんないよ俺!!)
担任はもはや顔面蒼白になり、「わ、わかった。返事は後日でいい……」と絞り出すように言うのが精一杯だった。
放課後。
私は重い足取りで、夕日に染まる図書室へと向かった。
中には案の定、ひよりが一人で本を整理していた。
「あ、惣右介くん。遅かったですね。進路指導、長引いたんですか?」
「……ああ。愚かな大人に、空の広さを教えるのに少し手間取ってね」
「ふふっ、惣右介くんらしいです」
いつもの穏やかなやり取り。だが、私の内心は激しく揺れ動いていた。
(ひよりに、どう切り出そう。俺が遠くの高校に行くかもしれないって……いや、俺は行かない。ひよりと同じ高校に行くって決めたんだ。でも、ひよりの進路も聞いておかないとな)
私は意を決して、口を開いた。
「……ひより。君の目は、この先どの風景を映すつもりなんだい?」
「えっ?」
「……君が歩む次の舞台の話さ。君という知性が、どの学舎で開花するのか、少し気になってね」
(意訳:ひよりの志望校どこ?)
私の問いかけに、ひよりは手元の本をパタンと閉じ、少しだけ真剣な表情になった。
「実は……私、担任の先生からある学校を強く勧められていて。今日、そこに決めようかと思っているんです」
「……ほう。それは、君の知を育むに足る場所なのかな?」
「ええ、とても特殊な学校みたいです。全寮制で希望の進路がほぼ100%叶うという……」
ピクッ、と。
私の眉が、無意識に跳ねた。
「……外界との接触も制限されるらしいんですけど、図書室の蔵書数が国内有数だって聞いて」
「……」
「『高度育成高等学校』っていうんですけど……惣右介くん、知ってますか?」
(…………えっ?)
私は、自分の耳を疑った。
いや、藍染スペックの聴力が聞き間違えるはずがない。ひよりの口から、確かに『高度育成高等学校』という単語が出た。
(……ひよりも、あの学校に!? 推薦されて!? 行くって!?)
絶望のどん底から一転、私の内心はロケットエンジンのような勢いで天高く舞い上がった。
(マジかよ!! やったああああああああ!! ひよりと同じ高校に行ける!! しかも全寮制! 読書仲間継続確定!! 最っっっ高だぜ!!)
顔面を覆って歓喜の涙を流したい衝動を必死に抑え込み、私はフッと、極めて傲慢で、かつ色気のある(藍染惣右介特有の)笑みを浮かべた。
「……なるほど。高度育成高等学校、か」
「はい。……あの、惣右介くんは、どこに……?」
不安そうに見つめてくるひよりの瞳。
私は窓の外の夕日を一瞥し、そして再び彼女に視線を戻した。
「――偶然とは、かくも滑稽で、そして美しいものだね。……ひより」
「え?」
「私も、そこへ行くよう招待を受けたばかりさ。どうやら……運命はまだ、君と私の語らいを終わらせるつもりはないらしい」
(うおおおおお俺の口ナイス!! 今のポエムめちゃくちゃ文脈に合ってるしカッコいい!! 初めてこの自動変換機能に感謝したぜ!!)
私の言葉の意味を理解したひよりの瞳が、パッと明るく輝いた。
「本当ですか!? 惣右介くんも……同じ高校に!?」
「ああ。私が玉座に向かう道筋に、君がいてくれるのなら……退屈な高校生活も、少しはいい暇潰しになりそうだ」
「ふふっ、嬉しいです。……高校に行っても、また一緒に本を読みましょうね、惣右介くん」
満面の笑みを浮かべるひよりを見て、私は内心でガッツポーズを決めた。
(ああ、読むとも。図書室の蔵書を全部読み尽くす勢いでな!! 待ってろよ高度育成高等学校! 俺とひよりの楽しい学園生活を、誰にも邪魔させはしない!!)
こうして。
中身はただの一般人、外見と言動は作中屈指のラスボスという転生者・藍染惣右介は、唯一の親友である椎名ひよりと共に、あの「実力至上主義の教室」へと足を踏み入れることを決意するのだった。
――彼を待ち受けるのが、あのホワイトルームの最高傑作である『綾小路清隆』との再会だとは、この時の彼はまだ深く考えてはいなかった。