いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
二つの苛烈な特別試験と、豪華客船でのバカンスを終えて学校の敷地へと帰還してから、数日が経過したある日。
ジリジリと肌を焼くような八月の強烈な日差しと、けたたましいセミの鳴き声が、人工島の夏を彩っていた。
「あーっ、涼しい……! やっぱりエアコンって人類の最高の発明だよね!」
「ふふっ。無人島ではずっと自然の風でしたから、この冷気は本当にありがたいです」
私はひよりからの「もしお疲れでなければ、本を読みに行きませんか」というお誘いを受け、ケヤキモール内にあるお気に入りのカフェへと足を運んでいた。
一之瀬も「私もご一緒していいかな?」と合流し、現在は私、ひより、一之瀬の三人で、涼しい店内の奥のテーブル席を陣取っている。
ひよりはアイスレモンティーをストローで上品に啜りながら、分厚いミステリー小説のページをめくっている。一之瀬はフルーツたっぷりのパフェを幸せそうに頬張りながら、クラスのグループチャットに返信をしているようだ。
私はといえば、アイスコーヒーのグラスについた水滴を指でなぞりながら、活字の世界に没頭する親友の美しい横顔を、ただ静かに眺めていた。
(……はぁぁ、平和だ。あの過酷な無人島と船上試験を乗り越えたからこそ、この何気ない日常のティータイムが五臓六腑に染み渡る。俺はただ、ひよりと一緒にこうして本を読んで、みんなと美味しいものを食べていたいだけなんだ……)
私が内心で小市民的な幸せを噛み締めていると、ポケットに入れていた携帯電話が、無粋なバイブレーションを鳴らした。
画面を見ると、発信者の欄には『堀北学』と表示されている。
(げっ、生徒会長!? 試験も終わった夏休みの真っ最中になんの用だ!? まさか何かミスをして目をつけられたのか!?)
私は内心で盛大にビビり散らしながらも、外見上は決して表情を崩さず、極めて優雅な所作で通話ボタンを押した。
「――何用かな。頂に座す、孤高の王よ」
(訳:もしもし生徒会長! お疲れ様です、どうしました?)
『……藍染か。今、何をしている?』
電話の向こうから聞こえる学の声は、相変わらず感情の読めない、冷たく静かなものだった。
「――麗しき妖精たちと共に、琥珀の泉で英気を養っているところさ。……束の間の休息すら、奪おうというのかい?」
(訳:今はケヤキモールのカフェで、クラスメイトのひよりと一之瀬と一緒にお茶してます!)
『……そうか。なら、そこへ行く。待っていろ』
ブツッ、と。
学はそれだけ言い残し、一方的に通話を切ってしまった。
(ええええええっ!? なんでわざわざ来るの!? しかも『待っていろ』って、完全に逃げ道を塞がれたぞ!!てか今のでどこにいるか分かるの!?)
「惣右介くん? どうかしましたか?」
私の(内面での)動揺を察知したのか、ひよりが本から顔を上げて小首を傾げた。
「……。どうやら、孤高の王がこちらへ向かっているようだ」
「生徒会長さんがいらっしゃるのですね」
「えっ、堀北先輩がここに来るの!?」
ひよりの完璧な翻訳に、パフェのイチゴを刺していた一之瀬のフォークがピタッと止まった。
それから数分後。
カフェの入り口のベルが鳴り、周囲の生徒たちが「あ、生徒会長だ……」「橘先輩もいる……」とざわめく中、堀北学と橘茜の二人が、私たちのテーブルへと迷いなく歩み寄ってきた。
「失礼するぞ、藍染。一之瀬と椎名も」
「あ、お疲れ様です、堀北先輩!」
「お疲れ様です」
一之瀬とひよりが立ち上がって頭を下げる。
私はといえば、足を組んだまま深くソファに寄りかかり、「――フッ。随分とフットワークが軽い王だね」と、不敵な笑みで二人を出迎えた。
「座ったままで構わない。今日は、生徒会としての公務ではないからな」
学は私たちの向かいの空き席に腰を下ろし、真っ直ぐに私たちを見た。
「まずは、素直に称賛を贈ろう。Aクラスへの昇格、おめでとう。中間試験からわずか数ヶ月でのこの逆転劇……歴代のどの学年を探しても、類を見ない快挙だ」
あの厳格な生徒会長が、はっきりと私たちを褒めたのだ。
一之瀬はパァッと顔を輝かせ、「ありがとうございます! 全部、クラスのみんなが頑張ってくれたおかげです!」と謙遜しながらも深く頭を下げた。
「――他愛のない遊戯さ。……盤上の駒が己の役割を全うした。それ以上でも以下でもない」
(訳:ありがとうございます! 本当に、一之瀬さんたちクラスのみんなのおかげで勝てました!)
私がオサレに答えると、学は「相変わらずの自信だな」と短く息を吐いた。
(よし、生徒会長の機嫌も悪くなさそうだ。……そうだ、確か一之瀬は、入学当初から『生徒会に入りたい』って言ってたよな。この機嫌がいいタイミングで、俺から学先輩に口利きしてやろう。それに、どうせなら俺の一番の大親友であるひよりも一緒に生徒会に入れれば、生徒会室で一緒に本を読んだりお茶したりできるんじゃないか!?)
私は、自分の完璧すぎる(公私混同の)アイデアに内心で拍手喝采を送りながら、学に向けてオサレに提案を放った。
「――生徒会長。古き城壁に、新たな光を招き入れる気はないかな?」
「……何?」
学が、怪訝そうに眉をひそめる。
「――太陽の如き輝きを放ち、人々を導く黄金の剣。そして……私の言葉を紡ぎ、真理を見通す純白の預言者。……この二つのピースが揃えば、君の治世はより完璧で、強固なものとなるはずだ。私が保証しよう」
(訳:一之瀬さんと、あとひよりも生徒会に入れてくれませんか? 二人とも優秀だし、絶対生徒会の役に立ちますよ!)
「…………?」
私の圧倒的で壮大すぎるオサレポエム。
学は僅かに眉間を寄せて沈黙したが、隣に立つ橘書記は「はぁ……素直に二人を推薦したいって言えばいいのに……」と、呆れ半分ながらも、私のポエムの意図をなんとなく察知しているようだった。
私が副会長として生徒会に入ってからというもの、橘先輩には事務仕事のノウハウを徹底的に叩き込まれたため、私の変な言い回しにも彼女はすっかり耐性がついていたのだ。
橘書記がため息をついていると、隣に座っていた大親友が、慈愛に満ちた大天使の微笑みを浮かべて口を開いた。
「生徒会長。惣右介くんはこう仰っているんです。……『帆波ちゃんはリーダーシップがあり、生徒会でも必ず役に立ちます。そして私も一緒に、生徒会役員として採用していただけないでしょうか』……と。私たちの生徒会への入会を、惣右介くんが推薦してくださっているのです」
ひよりの、流れるような完璧な翻訳。
それを聞いた学は、驚いたように目を見開き、ひよりと私を交互に見比べた。
「……待て。椎名、お前は……今の藍染の言葉の意味が、正確に分かるのか?」
学の問いかけに、ひよりは当然のように、こくりと頷いた。
「はい。惣右介くんの言葉は、とても詩的で、比喩表現に富んでいて、一見すると難解で冷たく聞こえるかもしれません。……ですが、惣右介くんの言葉の奥には、いつも深い愛情と、誰よりも他者を思いやる優しい心が隠されているんです」
「……優しい心、か」
橘書記も、「あの生意気な藍染くんにねぇ……」と呟きながらも、どこか面白そうに笑みを作っている。
「ええ。帆波ちゃんの夢を叶えるために推薦してくださり、そして私が一人にならないように、一緒に推薦してくださった。……惣右介くんは、そういうとても優しくて、温かい方なんです。だから私は、惣右介くんの言葉が全て理解できます」
「――――ッ!!」
ひよりの、一切の嘘偽りない真っ直ぐな言葉。
私の(オサレポエムで隠蔽されているはずの)小心で優しい本質を完璧に見抜き、それを全肯定してくれる最高の理解者。
(うおおおおおおおおっ!! ひよりぃぃぃぃぃ!! お前ってやつは、なんて最高な親友なんだ!! 俺は一生、何があってもお前についていくぞ!!)
私は内心で号泣し、ひよりに向かって五体投地で感謝を捧げていた。しかし、顔の筋肉だけは絶対に死守し、「――フッ。……過ぎた賛辞だ」と、涼しい顔でコーヒーを啜ってみせた。
学は、しばらくの間、じっと私とひよりを見つめていた。
やがて、彼は小さく息を吐き、静かに頷いた。
「……なるほど。藍染、お前がこれほど他者を信頼し、また信頼されているとはな。……いいだろう。一之瀬、そして椎名。お前たち二人の生徒会への入会を、認めよう」
「えっ……! ほ、本当ですか!?」
一之瀬が、ガタッと立ち上がりそうになるほど喜んだ。
「ありがとうございます、堀北先輩! 私、精一杯頑張ります!」
一之瀬が満面の笑みで喜ぶ姿を見て、私も内心で(よかったな、一之瀬!)とガッツポーズをした。
さあ、あとはひよりと生徒会室で優雅なティータイムを過ごすだけだ――そう思った、次の瞬間。
「生徒会長。推薦していただいたところ大変申し訳ないのですが……私は、入会をご辞退させていただきます」
「「えっ?」」
ひよりの口から飛び出した予想外の言葉に、橘と一之瀬は同時に声を漏らした。
「椎名。なぜだ? 藍染の推薦を断るというのか?」
学が尋ねると、ひよりは申し訳なさそうに眉を下げた。
「あの……私、すでに茶道部に所属しておりまして。この学校のルールでは、部活動と生徒会の掛け持ちは禁止されていると伺っております。私は茶道部での静かな時間も大切にしたいので……今回は、ご辞退させてください。惣右介くん、せっかく推薦してくださったのに、本当にごめんなさい」
「――――ッ!!」
(な、なんだってえええええええっ!? ひより、生徒会に入らないの!? うわあああ、俺の生徒会室での親友との読書タイムが消滅したあああ!!)
私の内心は、あまりのショックで真っ白に燃え尽き、膝から崩れ落ちて血の涙を流していた。
だが……。
(……いや、待て。この学校は掛け持ち禁止のルールがある。ひよりから、彼女の大好きな茶道部での時間を奪う権利なんて、親友の俺にもあるはずがない。本当の親友なら、彼女の意思と趣味を尊重して、笑顔で背中を押すべきだ!!)
私は、血を吐くような思いで内心のショックを押し殺し、極めて優しく、オサレな笑みを浮かべてひよりを見た。
「――気にするな。鳥の翼を縛る権利は、誰にもない。……君が最も安らげる枝で羽を休めることが、私にとっても至上の喜びなのだから」
(訳:気にしないで! ひよりが茶道部を楽しんでるなら、俺もそれが一番嬉しいよ!)
「惣右介くん……。ありがとうございます」
ひよりが、ホッとしたように微笑み、嬉しそうに頷いた。
(ああ……ひよりの笑顔が守れたなら、俺の野望が一つ潰えたくらい安いものだ……!)
学は、私たちのやり取りを静かに見届けた後、一之瀬に向き直った。
「一之瀬。夏休みが明けたら、正式に生徒会へ所属してもらう。それまでの間、生徒会の基礎的な仕事は……そこの藍染から教わっておけ。奴は優秀な男だからな」
「はいっ! よろしくお願いします、藍染くん!」
(えっ!? 俺が教えるの!? 確かに橘先輩に叩き込まれたおかげで、書類作成から何から事務仕事は全部完璧にこなせるけど……生徒会室にはひよりがいないんだぞ!? ひよりの通訳なしで、俺のこのポエム全開の言葉だけで一之瀬に仕事を教えられるか、めちゃくちゃ不安なんだけど!!)
私が内心で冷や汗を流していると、学が立ち上がり、私たちを見下ろした。
「よし、話は終わりだ。……Aクラス昇格の祝いだ。夕食をご馳走しよう。ついてこい」
「「えっ?」」
というわけで。
ケヤキモール内にある、最も高級な焼肉店。
その個室のテーブルには、生徒会長である堀北学、橘書記、そして私、ひより、一之瀬という、なんとも不思議な五人のメンバーが顔を突き合わせていた。
「遠慮はいらない。好きなものを頼め」
学はそう言うと、自らトングを握り、見事な霜降りの特上カルビを網の上に乗せ始めた。
「ほ、堀北くん! 私が焼きます! 生徒会長に肉を焼かせるわけには……!」
「橘、お前は焼きすぎる癖がある。肉の最適な焼き加減は、俺が一番よく知っている」
橘書記が慌ててトングを奪おうとするが、学はそれを華麗に躱し、極めて真剣な眼差しで肉の表面を見つめている。
(……学先輩のおごりで食う特上カルビ、最高に美味いな!!)
私は内心で小躍りしながら、学から配給される完璧な焼き加減の肉を次々と口に運んでいた。
「美味しいっ! こんな美味しいお肉、ケヤキモールで初めて食べました!」
「ふふっ。帆波ちゃん、ほっぺたが落ちそうですね」
一之瀬とひよりも、美味しいお肉を前に満面の笑みを浮かべている。
「……藍染。二学期からも、Aクラスの座を守り抜けるか?」
ふと、学が肉をひっくり返しながら、私に問いかけてきた。
「――当然だ。一度座った玉座を明け渡す趣味は、私にはない」
(訳:もちろん! みんなで頑張ってAクラスをキープしますよ!)
「そうか。……期待しているぞ」
そこで一度言葉を区切り、学は火を見つめたまま、ぽつりとこぼした。
「……Dクラスについては、どう見ている?」
(おっ? Dクラスってことは、妹の堀北さんのことか。普段は冷たく突き放してるくせに、なんだかんだ言って妹さんの動向を気にかけてるんだな、シスコンめ)
私は内心で微笑ましく思いつつ、ふとある記憶が蘇り、冷や汗をかいた。
(……そういえば、無人島試験の時に俺、このオサレポエムの呪いのせいで堀北さんをめちゃくちゃ煽りまくったんだった! まずい、お兄さんの前で機嫌を損ねるわけにはいかない。ここは上手くフォローしておかないと!)
私は咳払いを一つし、威厳たっぷりに語り出した。
「――泥に塗れ、地を這う羽虫とて、いつかは天を仰ぐ日も来よう。……だが、彼らが未熟な蛹の殻を破り、真なる牙を剥くその日まで、我々が立ち止まって待つ義理はない」
(訳:今はまだ未熟ですが、いつか成長して上がってくる可能性はありますよ。でも、油断せずに俺たちも突き進みますけどね!)
「『今はまだ未熟で苦労していますが、彼らもいつか殻を破り、強力なライバルに成長する可能性を秘めていると思います。ですが、私たちが立ち止まって待つつもりはありません』……と仰っています。堀北さんたちも、これからきっと強くなりますよ」
ひよりが完璧な翻訳に加えて、優しく気の利いた一言を添えてくれた。
その言葉を聞いて、学の口元がほんのわずかに、柔らかく綻んだ。
「……ふっ。そうか。せいぜい、足元を掬われないように気をつけることだな」
(ナイス、ひより! 会長、絶対今ちょっと嬉しそうだったぞ!)
だが、Dクラスの真の脅威は堀北さんだけではない。
(あそこには……清隆がいるからな。あいつがどう動くか分からない以上、Dクラスは警戒すべきイレギュラーだ。……ふふ、だがクラス間での勝負でも、俺は絶対に負けないぜ、清隆!)
ジュージューと肉の焼ける音。
橘書記の小言と、一之瀬やひよりの楽しそうな笑い声。
そして、黙々と肉を焼き続ける、不器用な生徒会長。
この学校は、残酷で理不尽なルールに縛られている。
だが、こうして最高の仲間と親友に囲まれ、美味しいお肉を食べられるのなら、この厄介極まりないオサレポエムの呪いごと、全て愛して生きていける。
真夏の夜。
私たちはAクラス昇格という最高の結果を胸に、平和で、熱く、そしてどこまでも美味しい祝祭の焼肉を、お腹いっぱい堪能するのであった。