いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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三十一話

 二つの過酷な特別試験を乗り越え、悲願の『Aクラス昇格』という快挙を成し遂げた私たち。

 

 夏休みもいよいよ終盤に差し掛かったある日、我がAクラスは、一之瀬帆波の主催による『二学期に向けての決起集会』を開催していた。

 

 場所は、ケヤキモール内にある少し広めのイタリアンレストラン。

 クラスの全員が参加できるよう、一之瀬が店を貸し切りにしてくれていた。テーブルには焼きたてのピザや色鮮やかなパスタ、山盛りのフライドポテトやサラダが並び、生徒たちはグラス片手にワイワイと楽しい時間を過ごしている。

 

「みんな、今日は集まってくれてありがとう! 二学期からも、私たち全員で力を合わせて、このAクラスの座を守り抜こうね! 乾杯!」

 

「「「乾杯ーっ!!」」」

 

 一之瀬の明るい声に、クラスメイトたちの元気な声が重なる。

 無人島試験やグループ別試験の思い出話に花を咲かせる者、夏休みの宿題の進捗を嘆き合う者、二学期からの体育祭や文化祭に思いを馳せる者。誰もが笑顔で、充実した学校生活を謳歌していた。

 

(……ああ、最高だ。この平和で温かい空気。俺はただ、この賑やかな連中と一緒に美味しいものを食べて、笑っていたいだけなんだ)

 

 私は部屋の隅の静かな席で、美味しいペスカトーレを優雅に口に運びながら、内心で幸せを噛み締めていた。

 

 隣には、純白のサマーワンピースに身を包んだ私の唯一無二の大親友、椎名ひよりが、嬉しそうにティラミスを頬張っている。

 

「惣右介くん、このティラミス、とっても美味しいですよ。ふふっ、みんなの笑顔を見ていると、本当にこのクラスになれて良かったなって思います」

 

「――ああ。……光に集う羽虫の群れも、遠目に見れば一時のイルミネーションにはなる。……この他愛のない喧騒も、悪くない退屈しのぎだ」

 

(訳:本当だね! みんな楽しそうだし、俺もこのクラスで本当に良かったよ!)

 

「『みんなが楽しそうで、私もこのクラスになれて本当に良かったです』と仰っています」

 

 ひよりが完璧な神翻訳を響かせると、近くにいた柴田や神崎が「藍染も楽しんでるみたいで良かったぜ!」「ああ、お前のおかげで今があるからな」と笑いかけてくれた。

 

 美味しい料理と、最高の仲間たち。

 私の夏休みは、完璧なハッピーエンドを迎えようとしていた。

   

 決起集会がお開きになり、クラスメイトたちが三々五々に解散していく中。

 私はひよりから「惣右介くん、この後少しだけ、本屋さんに寄ってもいいですか?」と誘われ、二人でケヤキモール内の大型書店へと足を運んでいた。

 

 冷房の効いた静かな店内。真新しい紙とインクの匂いが心地よい。

 ひよりはミステリー小説のコーナーで、目をキラキラさせながら新刊の背表紙を指でなぞっている。

 

(か、可愛い……! ティラミスを食べてるひよりも天使だったが、本を選んでるひよりも大天使だな! 俺の親友、全方位どこから見ても完璧すぎるだろ!)

 

 私が内心で特大のスタンディングオベーションを送りつつ、オサレに腕を組んで彼女を見守っていた、その時だった。

 

「――ごきげんよう。藍染惣右介くん、椎名ひよりさん。Aクラスへの昇格、おめでとうございます」

 

 不意に、背後から鈴を転がすような、しかしどこか冷たさを孕んだ声が響いた。

 

 振り返ると、そこには杖をついた小柄な少女が立っていた。銀色のショートヘアに、真っ白な肌。まるで精巧なフランス人形のような容姿だが、その瞳には底知れない知性と、獲物を品定めするような傲慢な光が宿っている。

 

 彼女の後ろには、ひどく退屈そうで不機嫌そうな顔をした女子生徒、神室真澄が付き人のように控えていた。

 

(……Aクラスの葛城派じゃない方のリーダー……坂柳有栖、だったか?)

 

 私が内心で首を傾げていると、坂柳は優雅に微笑み、少しだけ声を潜めた。

 

「藍染くん。もしよろしければ……少しだけ人目を避けて、二人でお話しできませんか?」

 

「…………?」

 

 坂柳の意図が読めず、私は無言で彼女を見下ろした。

 すると、隣にいたひよりが、不安そうに私の袖をきゅっと掴んだ。

 

「惣右介くん……」

 

 ひよりは、坂柳から放たれるただならぬ気配を察知し、心配そうな顔をしている。

 

 私は、そんな親友を安心させるため、彼女に向けて極めて優しく、オサレな笑みを浮かべた。

 

「――憂う必要はないよ。……ほんの少し、迷子に道を教えてくるだけさ」

 

(訳:心配しないで。ちょっと話を聞いてくるだけだから、ここで待っててね)

 

「……はい。分かりました」

 

 私の言葉の真意を受け取ったひよりが、コクリと頷く。

 私は神室とひよりを書店に残し、坂柳と共に、人通りの少ない静かな通路の隅へと移動した。

 

「――それで? わざわざ人払いをしてまで、王に何を乞うつもりかな」

 

 私が尊大な態度で問いかけると、坂柳は杖をカツンと床に鳴らし、私の目を真っ直ぐに見据えて、ある言葉を紡いだ。

 

「――『ホワイトルーム』」

 

 その単語を聞いた瞬間。

 

(……ホワイトルーム。ああ、10歳の時に『本物の天才は必要ない』とかいう理不尽な理由で俺が追放された、あの白い施設のことか。別に隠してるわけでもないからどうでもいいんだけど……この子、あそこにいたっけ?)

 

 私は内心で首を傾げた。

 私の知る限り、この学校で、あそこにいた知り合いは清隆くらいだ。こんなフランス人形のような少女の記憶はない。

 

 私が全く動揺を見せないことに、坂柳は僅かに目を細めた。

 

「――白き虚無の揺り籠か。……あのような退屈な景色など、とうの昔に忘却の彼方だよ。君の顔も、記憶の片隅にすらない」

 

(訳:ホワイトルーム? 俺10歳で追い出されたし、君のこと全然覚えてないや)

 

「ええ、お互いに直接話したことはありませんから。ですが……私はかつて、ガラス越しに見たことがあるんです。幼い頃の貴方と、綾小路清隆くんがチェスをしている姿をね」

 

(へー! そうなんだ。覗き見されてたのか)

 

 私が内心で呑気に感心していると、坂柳は杖を握り直し、好戦的な瞳で私を見上げた。

 

「もしお時間があるのなら……私とチェスで、一局お手合わせ願えませんか?」

 

「……チェス、だと?」

 

「ええ。貴方の実力を、この私が測って差し上げましょう」

 

(ここで断るのもなんだか逃げたみたいでカッコ悪いし、女の子からの誘いを無下にするのは紳士じゃないよな)

 

「――よかろう。深淵を覗く覚悟があるのなら、絶望の味を教えてあげよう」

 

(訳:いいよ! 久しぶりにチェスやるのも楽しそうだね!)

 

 こうして、私たちは神室とひよりと合流し、近くのカフェのテラス席へと移動することになった。

 

   

 カフェのテラス席。

 神室が持たされていた鞄の中から、重厚な木製のチェス盤と駒が取り出され、テーブルの上に並べられた。

 

 坂柳が白、私が黒。

 

 ひよりと神室が静かに見守る中、盤上の戦いが幕を開けた。

 

「それでは、私からいきますね」

 

 坂柳が白のポーンを進める。

 私は『藍染スペック』の異常な演算能力をフル稼働させ、盤面を俯瞰した。

 私の脳内では、数十手先までの展開が瞬時にシミュレートされていく。

 

(……おおっ、この子、めちゃくちゃ強いな! 一手一手に明確な殺意と、相手を罠に嵌めるための伏線が張り巡らされてる)

 

 私は内心で坂柳の実力に素直に感心しながらも、外見上は決して表情を崩さず、極めて優雅な指先で黒のナイトを動かした。

 

 序盤は互角。中盤に入ると、坂柳の攻撃はさらに苛烈さを増し、私のキングを執拗に追い詰めてくる。

 

 神室が「さすが坂柳ね……あの男、もう防戦一方じゃない」と呟く。

 

 だが。

 

(……惜しいな。君の策は完璧だが、俺の『視界』にはすでに君の死角が見えている)

 

 私は、坂柳が仕掛けた巧妙なトラップをあえて踏み抜くように、黒のビショップを進めた。

 

「……! もらいましたよ」

 

 坂柳が勝利を確信したように微笑み、私のビショップを取る。

 しかし、それは私が仕掛けたより深い罠の始まりに過ぎなかった。

 ビショップを犠牲にすることで開かれた斜めのライン。そこに、私の黒のクイーンが滑り込む。

 

「――チェックメイトだ」

 

「――――っ!?」

 

 坂柳の精巧な顔から、完全に余裕が消え失せた。

 彼女は盤面を食い入るように見つめ、自分のキングがどこへ逃げても黒の駒に狩られる運命にあることを理解した。

 

「……私としたことが。あのビショップは、罠だったのですね」

 

 坂柳は、悔しそうに唇を噛み締めた後、ゆっくりと杖を握りしめて嬉しそうに微笑んだ。

 

「ふふふ……素晴らしい。さすがですね、藍染惣右介くん。貴方は、私の期待を裏切らない『本物の天才』のようです」

 

 坂柳の瞳に、先ほどまでの冷たい見下しではなく、強敵を見つけた歓喜の炎が灯っている。

 

「私の完敗です。ですが……だからこそ、貴方を壊すのが楽しみになりました」

 

 彼女はテーブルに身を乗り出し、私に向かって堂々と宣言した。

 

「二学期からは、この私が正式にクラスの指揮を執ります。……すぐに貴方を、その玉座から引きずり下ろしてあげましょう」

 

(えーーっ!? なんか俺、めちゃくちゃヤバい子にロックオンされてんだけど!? この子が本気出したらまた胃が痛くなるような心理戦が始まるじゃないか!! やめてくれよ、俺はただひよりと平和に読書したいだけなんだよ!!)

 

 私は内心で激しく焦り、冷や汗を流しながらも、このピンチを切り抜けるための言葉を紡ごうとした。

 

 しかし、私の口から飛び出したのは、あまりにも傲慢で、どこかで聞いたことのあるような伝説のポエムだった。

 

「――あまり強い言葉を遣うなよ」

 

「――弱く見えるぞ」

 

(いや、これこの学校に来て2回目だよ!! 何回同じ台詞使い回してんだよ俺!!この台詞気に入りすぎだろ!?)

 

 私が内心で激しくセルフツッコミを入れていると、その『弱く見えるぞ』というあまりにもストレートな煽り文句に、坂柳の額に明確な青筋がピキッと浮かび上がった。

 

「『宣戦布告は受け取りました。二学期からのあなたの挑戦を、楽しみに待っていますね』とのことです」

 

 傍で観戦していたひよりが、すかさず完璧なフォローの翻訳を入れたが、坂柳のプライドはすでに大きく傷つけられていた。

 

「……ふふっ。その言葉、そのままお返しいたします。せいぜい、今のうちに偽りの玉座を楽しんでおくことです」

 

 坂柳は立ち上がり、杖をつきながら優雅にお辞儀をした。

 

「ごきげんよう、藍染くん。椎名さん。……真澄さん、帰りますよ」

 

「あっ、ちょっと待ちなさいよ坂柳!」

 

 神室を従え、坂柳有栖は静かにカフェのテラスから立ち去っていった。その小さな背中は、明確な敵意と闘志に満ち溢れていた。

   

 坂柳たちの姿が見えなくなった後。

 私は深くため息をつき、アイスコーヒーの氷をカラカラと鳴らした。

 

「惣右介くん、お疲れ様でした。……Aクラスの坂柳さん、とても聡明で、底知れない方でしたね」

 

 ひよりが、静かに呟く。

 

「無人島試験と優待者試験では葛城くんがリーダーでしたが、二学期からは彼女が動くとなると……Aクラスの座を守るのも、一筋縄ではいきませんね。油断できません」

 

「――ああ。……眠れる獅子が目を覚ましたか。だが、どれほど鋭い牙を剥こうとも、天を覆う空の高さに届くことはない」

 

(訳:本当だね。二学期からも大変そうだけど、みんなで協力して絶対にAクラスをキープしようね!)

 

「はいっ。私も、惣右介くんのお手伝いが少しでもできるように、精一杯頑張ります!」

 

 ひよりの健気で力強い笑顔に、私の心に溜まっていた不安がスッと溶けていくのを感じた。

 

 新たなる強敵、坂柳有栖の宣戦布告。

 二学期からの学校生活は、これまで以上に過酷で、予測不能な嵐に巻き込まれることになるだろう。

 

 だが、私にはこのオサレポエムの呪いを完璧に理解してくれる大親友と、最高のクラスメイトたちがいる。

 

「――嵐が来ようと、私の歩む道は変わらない。……君と共に、真理の果てを見届けるだけさ」

 

 夕暮れの空の下。

 私は、隣で微笑む銀髪の少女への誓いを胸に、静かに、そして傲慢に笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

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