いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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三十九話

 体育祭の熱狂が嘘のように引き、高度育成高校は夕闇と静寂に包まれようとしていた。

 

 生徒たちの多くが寮へと戻り、あるいは勝利の美酒に酔いしれるためにケヤキモールへと繰り出していく中、綾小路清隆は一人、人気のない特別棟へと足を運んでいた。

 

 彼をこの場所へと案内したのは、Bクラスの神室真澄である。

 

「……着いたわよ。あんたに用があるのは私じゃないから」

 

 監視カメラの死角となっている特別棟の薄暗い廊下。神室は不機嫌そうにそれだけを言い捨てると、綾小路からの返答を待つこともなく、足早にその場を立ち去っていった。

 

 残されたのは、窓から差し込む夕日だけが光源となっている、静まり返った空間だ。

 

「――お久しぶりです。綾小路清隆くん」

 

 静寂を破ったのは、コツ、コツという杖を突く規則的な音と、少女の涼やかな声だった。

 

 暗がりから姿を現したのは、一年Bクラスのリーダー、坂柳有栖。

 彼女は銀色の髪を揺らしながら、まるで旧知の友人に再会したかのような、穏やかで余裕に満ちた笑みを浮かべていた。

 

「お前とは初対面のはずだが」

 

 綾小路はいつもの平坦な声音で、抑揚なく返答した。実際に、この学校に入学してから彼女と直接言葉を交わした記憶はない。

 

 だが、坂柳は綾小路の冷淡な態度など意にも介さず、杖を両手で持ちながらフフッと笑い声を漏らした。

 

「ええ、直接お話しするのは初めてですね。ですが、私はあなたをずっと前から知っていますよ。……そうですね、あの『ホワイトルーム』にいた頃から」

 

 ――ホワイトルーム。

 

 その単語が坂柳の口から発せられた瞬間、綾小路の瞳の奥で、僅かに冷たい光が瞬いた。

 

 表情も、呼吸のペースも、心拍数も一切変わらない。だが、彼の脳内はかつてないほどの高速で情報処理を開始していた。

 

(……この学校の生徒が、その単語を知っているはずがない。外部からの情報漏洩か? いや、あの男の施設に限ってそれはあり得ない。ならば……)

 

「……何者だ? お前は」

 

 綾小路が短く問い質すと、坂柳は満足げに目を細めた。

 

「私の父は、この高度育成高等学校の理事長を務めております。そして、あの施設――ホワイトルームの出資者の一人でもあるのです」

 

「なるほど。理事長の娘か」

 

「ええ。以前、父に連れられてあの施設を見学に行ったことがありました。分厚いマジックミラー越しに、私は見たのです。過酷なカリキュラムの中で無機質に課題をこなすあなたと……そして、藍染惣右介くんの姿を」

 

 坂柳の言葉を聞き、綾小路は全ての辻褄が合ったと理解した。彼女が自分の過去を知っている理由。

 

「……話の途中だが、少しいいか?」

 

 綾小路はそう言うと、制服のポケットから自身のスマートフォンを取り出した。

 

「あら。何か急ぎの用事ですか?」

 

「少し、片付けておきたい処理があってな。すぐに終わる」

 

 綾小路は画面を操作し、ある宛先へと一通のメールを送信した。

 宛先は、一年Cクラスのリーダー・龍園翔。そして添付されているのは、一つの『音声データ』である。

 

 それは以前、龍園がCクラスの教室で「堀北を徹底的に潰す」と高らかに宣言し、作戦会議を行っていた際の隠し録音データだった。

 

(……藍染惣右介。あいつという予測不能なバグがこの学校に存在している以上、オレも無防備なままではいられない)

 

 綾小路は内心で、これまでの自身の暗躍を反芻していた。

 藍染に対抗するための手駒、あるいは自身を守るための強固な盾。それを用意するために、綾小路は『軽井沢恵』に目をつけた。

 

 夏休みに行われた船上試験の際、他クラスとの話し合いは初日の一回しか行われなかった。だが綾小路は、その僅かな時間の中で軽井沢に突っかかる真鍋たちCクラスの女子の様子と、それを受けた軽井沢の不自然な怯え方を見逃さなかった。彼女の奥底に潜む深い闇を嗅ぎ取った綾小路は、彼女が手駒として『使える』と判断したのだ。

 

 そして綾小路は、匿名のメールアドレスを利用し、監視カメラのない船内の地下エリアへ軽井沢と真鍋たちを誘導。意図的に両者を引き合わせていじめの現場を作り出し、その一部始終を証拠として隠し撮りした。

 

 その後、過去の凄惨なトラウマを抉られ絶望の淵に沈む軽井沢の前に姿を現し、彼女の隠し続けていた本性を暴き出した上で、「オレがお前を守ってやる」と告げたのだ。新たな寄生先を求めていた彼女の精神を完全に掌握し、絶対の忠誠を誓う手駒として手に入れた。

 

 同時に、意図的に作り出したそのいじめの現場を逆に証拠として突きつけ、真鍋の弱みを握って脅迫。彼女をスパイとしてCクラスに潜り込ませ、龍園の今回の体育祭における作戦会議の音声を録音させていたのだ。

 

 送信完了の画面を確認し、綾小路はスマートフォンをポケットにしまった。

 

「すまん、待たせたな」

 

「いいえ。ふふっ、どんな盤面を動かしたのかは存じませんが、無駄のない動きですね」

 

 坂柳は微笑みながら、ゆっくりと綾小路との距離を詰めた。

 

「……さて。先ほどの話の続きをしましょうか」

 

 彼女の声音から、先ほどの穏やかさが消え、代わりに冷たく鋭い刃のような意志が宿る。

 

「天才とは、生まれた瞬間に刻まれたDNAによって決定されているもの。後天的な教育によって作られた人工の天才など、私は決して認めません」

 

 坂柳は杖の先端で床を軽く叩き、綾小路を真っ直ぐに見据えた。

 

「ホワイトルームの最高傑作であるあなたを打ち破ることで、私はあの施設の理念が間違っていることを証明します。偽物の天才であるあなたを葬るのは、生まれながらの天才である私こそが相応しい」

 

 それは、明確な宣戦布告だった。

 しかし、綾小路は微塵も動揺することなく、淡々と事実だけを突き返す。

 

「お前にオレが葬れるのか? そもそも、なぜそこまでオレに執着する。Aクラスで圧倒的な力を振るっている藍染惣右介はどうなる。体育祭での勝利で、満足したとでも言うつもりか」

 

 その問いに対し、坂柳は予想外の反応を見せた。

 彼女は敵意を見せるどころか、ひどく楽しそうに、そしてどこか敬意を含んだような笑みをこぼしたのだ。

 

「ふふっ。体育祭は確かに白組が勝利しましたが、あれを私の勝利と呼ぶのは違いますね。どちらかと言えば、あれは龍園くんと南雲先輩の活躍によるものが大きいですから。私としては、あの藍染くんがいるAクラスにこれ以上クラスポイントの差を広げられるわけにはいきませんでしたから、利害の一致で作戦に乗っただけにすぎません。それに、学年としての結果を見ればAクラスが一位を取っていますし、実質的には藍染くんの勝利のようなものでしょう。あの盤面において、誰も彼を止めることは出来ませんでしたからね」

 

「……」

 

「ですが、藍染くんですか。ええ、以前彼とはチェスの手合わせをしましたよ。……ふふふ、彼は素晴らしい。ホワイトルームの枠組みなど全く関係のない、突然変異のバケモノ……間違いなく、本物の天才ですね。彼と盤面を囲むのは、実にスリリングで至高の時間でした」

 

(すでに接触していたのか)

 

 綾小路は内心で情報を整理した。坂柳と藍染。二人の天才がすでに水面下で邂逅し、互いの実力を測り合っていたという事実。

 

「彼と争うのも魅力的ですが……私の個人的な最優先事項は、あくまで『人工の天才』の否定です。ですから綾小路くん、あなたが私の一番の標的であることに変わりはありませんよ」

 

 坂柳はそこで一度言葉を切り、杖を持つ手に少しだけ力を込め、フフッと好戦的な笑みを深めた。

 

「もちろん、Bクラスのリーダーとして、あの理不尽な天才が君臨するAクラスをこの手で引きずり下ろすつもりです。……この学校の頂点は、生まれながらの天才である私でなければならないので」

 

「……勝手にしろ。だが、オレはお前と遊んでやるつもりはない」

 

「ふふっ。いずれ、嫌でも私と盤面を囲むことになりますよ。今日はご挨拶だけにしておきましょう。ごきげんよう、綾小路くん」

 

 坂柳は優雅に一礼すると、杖を突きながらゆっくりとその場を後にした。

 

 夕日の沈んだ廊下を歩きながら、坂柳有栖は自身の胸の奥底に燻る、幼い日の記憶を思い返していた。

 

(――藍染くんは、間違いなく本物の天才です。ですが綾小路くん、あなたはどうなのでしょうか?)

 

 マジックミラー越しに見た、無機質で冷たい白い部屋。

 

 そこでは、物心もつかぬ幼児たちが、極限状態の中で虐待としか思えないような過酷な教育を施されていた。泣き叫ぶ子供、嘔吐する子供、そして、カリキュラムについていけずに『廃棄』されていく子供たち。

 

 その凄惨な光景を見つめる父の、ひどく悲しそうな、今にも泣き出しそうな横顔を、彼女は今でも鮮明に覚えている。

 

(あのような非人道的な施設の成功など、認めるわけにはいきません。あんな狂った教育が、人の世で許されていいわけがないのです)

 

 だからこそ、証明しなければならない。

 生まれ持ったDNAこそが全てであり、どれほど過酷な環境で人工的に作り上げたとしても、天然の天才には絶対に敵わないということを。

 

(私の全てを持って、あなたを……ホワイトルームという概念そのものを否定してみせます)

 

 一方、逆方向へと歩き出していた綾小路清隆もまた、自身の置かれた状況の厄介さに内心でため息をついていた。

 

 自身の正体に気づき宣戦布告をしてきた坂柳有栖。

 

 今頃、オレからの音声データを受け取って怒り狂い、スパイ探しに血眼になっているであろう龍園翔。

 

 そして――何より不気味なのが、Aクラスで完全に権力を掌握している藍染惣右介の存在だ。

 

 茶柱、坂柳、龍園、そして藍染惣右介。

 

 綾小路を取り巻く包囲網は、確実に、そして徐々にその狭さを増している。

 

(……なかなか、面倒なことになりそうだ)

 

 綾小路は無表情のまま、暗い廊下を歩き続けた。

 

 

 

 特別棟で静かな火花が散らされていた頃。

 一年Aクラスの男子寮の一室では、ひどく温かく、そして平和な時間が流れていた。

 

 ジュウウゥゥゥッ……!

 キッチンから、食欲をそそる芳醇な香りと、肉の焼ける心地よい音が響き渡る。

 

 エプロン姿の藍染惣右介は、フライパンの上で最高級の黒毛和牛のステーキを、神業のような手捌きで焼き上げていた。

 

(よし! 焼き加減は完璧なミディアムレア! 『藍染スペック』の異常な五感と処理能力を使えば、ミシュラン三ツ星シェフすら凌駕する火加減の調整が可能だ! ソースも赤ワインと特製醤油で完璧に仕上がってるぞ!)

 

 私は内心でガッツポーズを決めながら、美しく盛り付けられた料理をダイニングテーブルへと運んだ。

 

 体育祭のAクラス全体での大々的な打ち上げは明日に予定されているが、今日は特別だ。

 

 私の大親友であり、この学校における最大の癒しである椎名ひよりが、「今日は本当にお疲れ様でした。少しだけ、お祝いさせてください」と、手土産の高級スイーツを持って私の部屋に遊びに来てくれているのだ。

 

 二人きりの、ささやかなお疲れ様会である。

 

「わぁ……! すごくいい匂いです、惣右介くん! まるで高級レストランみたいですね!」

 

 ダイニングテーブルに並べられた豪勢な料理の数々を見て、私服姿のひよりが目を輝かせている。今日の彼女は、ふんわりとした白いワンピースに身を包んでおり、まさに大天使と呼ぶに相応しい可憐さだった。

 

(疲れ果てた身体にひよりの笑顔が染み渡る……! よし、ここはバッチリ『ひよりも体育祭、本当によく頑張ったね! 今日はいっぱい食べてゆっくりしよう!』って労いの言葉をかけよう!)

 

 私は優しく微笑み、ひよりの向かいの席に座りながら口を開いた。

 しかし、こんな平和で尊い空間であっても、強靭なエゴから放たれるオサレシステムは一切の空気を読まない。

 

「――戦を終え、剣を置いた戦士にのみ許された安寧。ただ一輪の可憐な花が傍に咲き誇るこのひと時こそが、至高の玉座に勝るのだ。……さあ、偽りの盤面を忘れ、真なる饗宴を始めようか」

 

(訳:ひよりも体育祭お疲れ様! 今日はいっぱい食べてゆっくりしていってね!)

 

「…………ふふっ。はい、ありがとうございますっ」

 

 ひよりはすぐに私の言いたいことを完璧に察知して、花が綻ぶような満面の笑みを浮かべた。

 

「惣右介くんこそ、本当に大活躍でかっこよかったです。……いただきますっ」

 

 ひよりが小さな口でステーキをパクリと頬張る。

 その瞬間、彼女の瞳が驚きで丸くなり、頬がとろけそうに緩んだ。

 

「んんっ……! な、なんですかこれ……お肉が口の中で溶けました! ソースも絶品です……!」

 

「……口に合ったのなら何よりだ」

 

 私は内心で大歓喜しながら、自身も料理に手をつける。

 二人で体育祭の話や、次に図書室で読む本の話などをしながら、穏やかな時間が過ぎていく。

 

(……クラスのみんなでワイワイ騒ぐ打ち上げも、一体感があって楽しいけど。こうやって、心から信頼できる大親友と二人きりで、ささやかにお祝いする時間っていうのも……本当にいいもんだな)

 

 温かい紅茶を啜りながら、私はひよりの楽しそうな笑顔を眺めていた。

 他クラスが互いを蹴落とし合い、裏切りと策略が渦巻くこの高度育成高校において、ひよりと過ごすこの時間は、私にとって唯一無二の安らぎだった。

 

(無人島、船上試験、そして体育祭。色々と大変なこともあったけど……この日常を守るためなら、いくらでも頑張れそうだ)

 

 窓の外では、完全に夜の帳が下りていた。

 次に訪れるであろう試練のことなど今は忘れ、私は大親友との温かい祝宴に、静かに身を委ねるのだった。

 

 

 

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