いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
涼やかな秋風がグラウンドを吹き抜ける十月。
体育祭の熱狂もすっかり冷めやった高度育成高校の巨大な体育館には、全学年の生徒が一堂に会し、厳粛な空気が漂っていた。
今日は、三年生の生徒会役員たちが引退し、新たな生徒会へと代替わりをする『生徒会交代セレモニー』の日である。
ステージの中央には、前生徒会長である堀北学と、新生徒会長に就任した南雲雅が並び立っていた。
「――今日をもって、三年生の役員は生徒会の運営から退く。これからの高度育成高校は、南雲新会長を中心とした新体制が担っていくことになる」
学の短くも絶対的な威厳を持った挨拶が終わると、体育館に惜しみない拍手が鳴り響いた。
(学先輩、橘先輩…… 本当にお疲れ様でした……)
私はステージの端、役員席から彼らの背中を見つめながら、内心で静かに労いの言葉を贈っていた。
続いて、マイクの前に立った南雲雅が、不敵な笑みを浮かべて全校生徒を見渡す。
「新しく生徒会長に就任した、二年Aクラスの南雲雅だ。堀北先輩が築き上げた規律ある学校は素晴らしいものだった。だが……俺は、この学校の現状を変えたいと思っている」
南雲の言葉に、体育館が僅かにざわめいた。
「真の実力至上主義。実力のある者が正当に評価され、上に登り詰めることができる学校。それこそが、俺が目指す理想の姿だ。これから、俺のやり方でこの学校を面白くしてやるよ」
挑発的で、己の絶対的な実力に自信を持つ南雲らしい演説だった。彼の取り巻きである二年生の生徒たちから、熱狂的な歓声が上がる。
その後、新体制における役員の紹介が行われた。
二年Bクラスの書記の桐山が副会長へと昇格。
もう一人の副会長には、引き続き一年Aクラスの私、藍染惣右介が留任。
同じく書記には、一年Aクラスの一之瀬帆波が継続。
そして、新たに生徒会役員として加わる書記二名として、二年Aクラスの『殿河』と『溝脇』という男子生徒が紹介された。
(……はぁ。やっぱりこうなるか)
私はステージ上で一礼する新任の二人を見ながら、内心でため息をついていた。
(南雲の息の掛かった同級生を二人も生徒会に入れ込んできやがった。これで生徒会は完全に南雲派閥で埋め尽くされたわけだ。それにしても……殿河と溝脇? なんかパッとしないっていうか、ぶっちゃけモブ顔すぎてどっちが殿河でどっちが溝脇か全然覚えられないんだけど。まあいいか、『モブA』と『モブB』で脳内登録しておこう)
そして放課後。
新体制となって初めての生徒会室は、なんとも言えない奇妙な空気に包まれていた。
「えっと、殿河先輩、溝脇先輩。この書類のフォーマットは、こちらのファイルにまとめられていまして……」
「あー、なるほど。つまりこれをここにコピーすればいいのか?」
「はいっ、そうです! あと、部活動の申請書関係は……」
部屋の端のデスクでは、一年生である一之瀬が、新任の二年生である殿河と溝脇に対して、一生懸命に書記の仕事を教えているという歪な構図が出来上がっていた。
本来なら先輩から後輩へと引き継がれるべき仕事だが、彼らは南雲の息の掛かったイエスマンというだけで生徒会に入ってきたため、実務経験が全くないのだ。
一方、生徒会長のデスクにふんぞり返る南雲は、その様子を眺めながら、私の方をチラチラと見てはニヤニヤと悪趣味な笑みを浮かべていた。
(うわー、めんどくさっ!)
私は自身のデスクで書類に目を通しながら、内心で盛大にツッコミを入れていた。
(めちゃくちゃドヤ顔でこっち見てくるじゃん! 『どうだ藍染、お前の味方は一之瀬くらいで、あとは全員俺の派閥だぞ』って言いたいんだろうけど……俺を孤立させようと必死すぎない? この人、個人の能力や人心掌握術は間違いなくトップクラスに高いはずなのに、なんで俺に対してはこんな小物ムーブばっかしてくるの? かまってちゃんなの?)
私は南雲のネチネチとした視線を完全にスルーし、無表情のまま淡々と自分の仕事をこなしていく。
こうして、南雲雅による新生徒会は、非常に面倒くさい空気を孕んだままスタートを切ったのだった。
それから数日後。十月の半ば。
Aクラスのホームルームにて、担任の星之宮知恵から、十二月の頭に行われる新たな特別試験の予告とルール説明が行われた。
「えー、みんな注目! 次の期末テストは、ただのテストじゃないからね。名前はズバリ『ペーパーシャッフル』! この試験はクラス間のポイントが大きく変動するから、しっかりルールを覚えてねー!」
黒板に貼られたプリントと、星之宮の口から語られた試験のルールは、非常に複雑で過酷なものだった。
【ペーパーシャッフル 試験ルール】
・テストは全8科目。各科目50問、100点満点。
・各クラスで『問題を作成』して他クラスに解かせる(攻撃)。同時に、他クラスが作成した『問題を解く』(防衛)。
・【攻撃】攻撃先のクラスと自クラスの平均点を比べ、勝ったクラスが負けたクラスから50クラスポイントを獲得する。
・【防衛】自クラスと問題を押し付けてきたクラスの平均点を比べ、勝ったクラスが負けたクラスから50クラスポイントを獲得する。
・攻撃先のクラスは事前に選ぶことが可能。ただし、指名が重複した場合はくじ引きによる抽選となる。
・学校が定めた期限内に問題を作成できなかった場合、教師が作成した非常に簡単な問題が攻撃先に渡される。
・クラス内の誰かと『二人一組のペア』を作り、一蓮托生でテストを受ける。
・ペアの振り分けは、本番前に行われる『小テスト(全100問、100点満点・中3レベル)』の結果を基に、学校側が指定する。
・ペアの合計点が60点以下の科目が一つでもあった場合、そのペアの二人は『退学』となる。
・ペアの総合合計点が、学校が定めたボーダーラインを下回った場合、そのペアの二人は『退学』となる。
・この試験では、例年必ず1組か2組の退学者が出ている。
「なお、Aクラスは41人、Cクラスは39人だから、ペアを作るとどうしても1名が『単独』になっちゃうよね? その単独の生徒は小テストの結果を踏まえてランダムに選出されるけど、赤点の基準はペアの半分、つまり各科目30点、総合ボーダーも半分として扱われるから安心してね! それじゃあみんな、退学にならないように頑張ってー!」
星之宮の軽い口調とは裏腹に、教室の空気は重く張り詰めていた。
ペーパーテストでありながら、他クラスとの直接対決、そして『退学』という重いペナルティが二重に課せられた、まさに生き残りを懸けたサバイバル試験だった。
私は星之宮の説明を脳内で反芻しながら、冷静にこの特別試験の不利を悟っていた。
(なるほど、夏休みの無人島や船上試験のように、一部の者の機転や圧倒的な個の能力で覆せる試験ではない。今回は誤魔化しのきかない、純粋な『クラス全体の学力』が問われる。そして学力という一点において言えば……これまでの定期テストの平均点を見ても、坂柳が率いるBクラスが学年の中で頭一つ飛び抜けて優秀だ。ペーパーテストという土俵において、仮に俺が全科目で100点満点を叩き出したとしても、クラスの平均点で競う以上、俺一人で全体をカバーすることなど不可能に近い。……これは、極めて厳しい戦いになりそうだな)
放課後。
男子寮にある私の自室には、Aクラスの頭脳とも言えるメンバー――一之瀬、神崎、そしてひよりが集まり、作戦会議を開いていた。
「はい、皆様。紅茶を淹れました。お茶菓子にマドレーヌもありますよ」
「ありがとう、ひよりちゃん! すっごくいい香りだね」
ひよりが上品な手つきでティーカップを並べていく。
紅茶を一口啜り、一息ついたところで、一之瀬が真剣な表情に切り替わった。
「今日発表されたペーパーシャッフルだけど……一番の肝は、やっぱり事前の『小テスト』がペア分けの鍵になりそうだね」
「ああ、そうだな。……事前に配られた見えざる手札が、運命のペアを決める鍵となるわけだ」
神崎が腕を組み、少しだけオサレな言い回しで同意した。
(神崎……またオサレになってる……)
「その通りだ。この試験のカラクリは、すでにその全容を曝け出している」
私はティーカップを置き、静かに口を開いた。
「――罰なき遊戯など、盤面を整えるための前奏曲に過ぎない。天と地を結びつけ、愚者を支える鎖を編み上げる。……それがこの小テストの真の目的だ」
「『小テストには退学になるペナルティがありません。つまり、学校側は小テストの結果を元に、クラスの成績上位者と成績下位者をペアにしてバランスを取るつもりなのでしょう』とのことです」
ひよりがふわりと微笑みながら、いつものように完璧な意訳を披露する。
「うん! 私もそう思うよ!」
一之瀬がパッと顔を輝かせて手を打った。
「上位と下位を組み合わせれば、片方が点を取れなくても、もう片方がカバーして総合点のボーダーを超えることができるもんね。私も藍染くんの推理に賛成だよ。ただ……」
一之瀬は少しだけ不安そうに眉を下げた。
「私たちのクラスは、ひよりちゃんが来てから41人の奇数になってる。単独になる生徒が誰になるか分からないのは、少し不安だね」
「そうですね。もし勉強が苦手な子が単独に選ばれてしまったら、カバーしてくれる相手がいませんから……」
ひよりも心配そうに頷く。
「そこは、試験期間中にクラス全体で勉強会を開いて、底上げを図るしかないだろうな。……問題は、どのクラスを『攻撃』するかだ」
神崎が話を本題へと進めた。
「単純な総合点での勝負なら、一人多い我々Aクラスが最も強い。だが、今回の勝敗を決めるのは『平均点』だ。となると……学力に特化した連中が多い坂柳のBクラスに勝てるかどうか……。ここでBクラスを叩き落とせれば、ポイント差にかなり余裕ができるが。藍染、お前はどう考える?」
神崎の問いかけに、私は少しだけ思考を巡らせた後、静かに口を開いた。
「――泥に塗れた獣たちは、互いの血を求めて狭い檻で喰い合うだろう。そして、優雅に微笑む白き女王は、真っ直ぐに我々の喉元へと牙を剥く。……過去の軌跡が示す通り、彼女の駒の方が我々よりも僅かに重いからな」
「えっと……? つまり……?」
一之瀬がポカンと口を開け、神崎は腕を組んで目を閉じ、必死に私の言葉の真意を察しようと脳細胞をフル回転させている。
そんな中、ひよりだけがクスッと楽しそうに笑った。
「『龍園くんのCクラスと堀北さんのDクラスはお互いを指名するでしょう。そして坂柳さんのBクラスは、好戦的な彼女の性格上、間違いなく私たちAクラスを指名してきます。今までの定期テストの結果から見ても、純粋な学力勝負となると厳しいかもしれませんね』と言っているんですよ」
「ああ、なるほど。そういうことか」
神崎がホッと息を吐いて頷いた。
「うーん……そっか。確かに純粋な学力勝負だと、今の私たちじゃBクラス相手に厳しいのは事実だよね」
一之瀬は顎に手を当てて少し考え込んだ後、顔を上げて力強く宣言した。
「……でも、だからこそ私は、Bクラスを指名したいと思ってるの!」
「……なぜだ? 藍染の言う通り、最終的には抽選になる可能性が高いだろうが、こちらから指名するなら、手堅くCクラスかDクラスを狙った方がいいんじゃないか?」
神崎が冷静に尋ねる。
「確かに、単純に勝つだけならそれが一番いいと思う。でも、勝てる勝負だけをしていても、クラスの本当の成長には繋がらないと思うんだ。もしこのまま藍染くんの作戦や力だけで勝ち上がって、Aクラスのまま卒業できたとしても、その時にみんなが成長できていなかったら意味がないと思うの。だから、不利だと分かっていても坂柳さんのクラスとの勝負に挑むことで、みんなの危機感を煽って、クラス全体の学力の底上げと成長に繋げられないかなって思って」
一之瀬の真剣な眼差しに、神崎は顎に手を当てて深く考え込んだ。
「……なるほど。目先の勝利という安易な果実を摘むのではなく、我々が真の強者へと至るための確固たる礎を築くということか。確かに、一之瀬の言う通りかもしれないな」
「ふふっ。私も、帆波ちゃんの意見に賛成です。困難な壁をみんなで乗り越えてこそ、得られるものは大きいですから」
ひよりも優しく微笑んで賛同する。
(おおおっ! さすがは一之瀬だな! 目先の勝敗にとらわれず、確固たる信念でクラス全体を見渡す視野……まさにリーダーの鑑だ!)
私が内心で一人拍手喝采を送っていると、一之瀬が申し訳なそうに眉を下げた。
「ごめんね、藍染くん。せっかく私たちのために色々考えてくれたのに、私のわがままに付き合わせちゃって……」
私は静かに首を振り、ティーカップをソーサーに置いて優雅に微笑んだ。
「――謝罪は不要だ。雛鳥が空を征くために必要なのは、与えられた餌ではなく、自ら嵐に立ち向かう羽ばたきだからね。……君の導くその軌跡、私も共に歩もう」
(訳:謝らなくていいよ! みんなの成長のためにBクラスと戦うって作戦、すごくいいと思う。俺も全力で協力するよ!)
「惣右介くんは、『謝る必要はありませんよ。みんなの成長のためにBクラスと戦うという帆波ちゃんの提案、とても素晴らしいと思います。私も全力で協力しますね』と言っていますよ」
「藍染くん……ひよりちゃん……ありがとうっ!」
一之瀬のパァッと明るくなった声に、神崎も力強く頷く。
秋の深まりとともに、窓の向こうの世界は徐々に冷え込みを見せ始めている。
だが、芳醇な紅茶の香りに満たされたこの部屋の中だけは、次なる闘争に向けた静かな熱気と、彼らの頼もしい成長の予感に包まれていた。
『ペーパーシャッフル』――新たな特別試験が、今、静かに動き出そうとしている。
原作のペーパーシャッフルは「総合点」での勝負ですが、本作では展開の都合上「平均点勝負」に変更しております。独自設定となりますが、ご了承いただけますと幸いです。