いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
二日間にわたって計八科目のテストが行われる特別試験――『ペーパーシャッフル』の本番が幕を開けた。
初日の朝、一時間目。
静まり返った教室に、担任の星之宮知恵の声と、プリントが配られる乾いた音だけが響く。
「はい、それじゃあ試験開始! みんな、退学にならないように頑張ってねー!」
星之宮の合図と共に、クラスメイトたちが一斉に問題用紙をめくり、ペンを走らせる音が教室を満たした。
私の目の前に置かれたのは、我々Aクラスと対決することになったBクラス――坂柳有栖が率いる頭脳集団によって作成された問題用紙だ。
(さて、坂柳のお手並み拝見といこうか)
私はシャープペンシルを手に取り、問題用紙の全体にスッと目を通した。
(……なるほどな)
私は内心で、思わず感嘆の息を漏らした。
(さすがは坂柳だ。ただ難しいだけの問題を並べているわけじゃない。前半には計算にやたらと時間がかかるダミーのような問題を配置して焦りを誘い、中盤の文章題には、基礎を完璧に理解していないと引っかかる巧妙な引っかけが何重にも仕掛けられている。まさに『意地の悪い問題』のオンパレードだ。うちのクラスの中間層や下位層の生徒たちが、時間配分をミスしてパニックに陥る姿まで計算して作られているのがよく分かる。……これはかなり厳しい戦いになりそうだな……)
敵の指揮官の卓越した手腕を素直に評価しつつ、私は手元の問題用紙へと視線を戻した。
(――まあ、俺には全く通用しないけどな)
私はシャープペンシルを紙面に落とし、一切の躊躇いなく解答欄を埋め始めた。
藍染惣右介という存在に与えられた『藍染スペック』の頭脳をもってすれば、この程度の高校生レベルのテストなど、たとえどんな罠が仕掛けられていようとも児戯に等しい。問題文を読んだ瞬間に脳内で解答が弾き出され、あとはそれを自動書記のように紙に書き写すだけの単純作業だ。
周囲のクラスメイトたちが頭を抱え、冷や汗を流しながら問題と格闘している中、私のペンの動きだけが異次元のスピードで教室に響き続ける。
(よし、一科目目完了。見直しを含めても十分で終わったな)
私はシャープペンシルを机に置き、退屈そうに窓の外の冬空を眺めながら試験終了のチャイムを待った。
そんな過酷なテストが二日間にわたって繰り返され、ついに計八科目の試験が全て終了した。
「終わったぁぁぁ……! 頭から煙が出そうだよ……!」
「俺、数学の最後の方、全部マークシート適当に塗りつぶしちゃった……」
最後のチャイムが鳴った瞬間、教室中のあちこちから安堵と疲労が入り混じった深い溜息が漏れた。
一之瀬も教卓の前に立ち、クラス全体を見渡して労いの言葉をかける。
「みんな、二日間のテスト本当にお疲れ様! 今日はゆっくり休んでね!」
放課後。
私は鞄に荷物を詰めながら、今日の予定を脳内で確認していた。
(今日はテスト最終日ということで、生徒会の仕事も休みだ。南雲の顔を見なくて済むのは本当に清々しい。せっかく早く終わったんだし、このまま寮に帰ってゲームでもするかな……いや)
私の視線は、隣の席で教科書を丁寧に鞄にしまっている、銀髪の少女へと自然に向いていた。
(久しぶりに時間が空いたんだ。ひよりと一緒に、穏やかな時間を過ごしたいな)
私は鞄を肩に掛け、ひよりに声をかけた。
「あ、惣右介くん。テスト、お疲れ様でしたっ」
ひよりが、花が綻ぶような可愛らしい笑顔で私を見上げる。
「ああ。君もご苦労だったね、ひより」
(よし、久しぶりに図書室にでも誘おう。テストの疲れを癒すには、静かな空間での読書が一番だ!)
私は内心のワクワクを隠し、完璧な魔王のオーラを纏って言葉を紡いだ。
「――喧騒に満ちた盤面は片付いた。羽を休めるには、静寂に包まれた叡智の森が相応しいとは思わないか? ……私に付き合いたまえ」
(訳:久しぶりに、一緒に図書室に行こうよ!)
「っ……!」
ひよりは一瞬だけ目を丸くした後、嬉しそうに頬を桜色に染め、鞄を胸に抱きしめた。
「はいっ、喜んでお供しますっ!」
(うおおおお! いつも通り完璧に察してくれる! そして笑顔が可愛すぎる!!)
私とひよりは連れ立って教室を出て、図書室へと向かった。
暖房が効いた図書室は、古紙の落ち着く匂いに満ちており、テスト終わりの解放感もあってか、生徒の姿はまばらだった。
私たちは窓際の一番奥の席に並んで座り、それぞれお気に入りの本を開いた。
窓から差し込む冬の西日が、ひよりの銀色の髪をきらきらと黄金色に染め上げている。彼女がページをめくる微かな音と、規則正しい呼吸の音だけが、心地よいBGMとなって私の耳に届く。
(ああ……至福の時間だ。テストの疲れなんて一瞬で吹き飛ぶな。やっぱり、ひよりと過ごすこの時間が俺にとって一番の特効薬だ)
私は活字を追いながらも、時折隣で真剣な表情をして本を読み進めるひよりの横顔を盗み見ながら、静かで穏やかな放課後の時間を満喫したのだった。
そして翌日。
ホームルームの時間。Aクラスの教室には、重苦しい空気が漂っていた。
「……えーっと、みんな。ペーパーシャッフルの結果が出たから、発表するね」
教壇に立つ担任の星之宮が、いつもの明るいトーンを潜め、少しだけバツが悪そうにプリントを掲げた。
「みんな、本当にすごく頑張ってくれたんだけど……。結果は、Bクラスの勝利でした」
「……えっ」
一之瀬が息を呑む音が聞こえた。
黒板に、今回の対戦結果と平均点が書き出されていく。
【Aクラス 対 Bクラス】
・Aクラス平均点:78.4点
・Bクラス平均点:78.9点
「……嘘……だろ」
「たった、0.5点差……!?」
クラスメイトたちが、その残酷な数字を見て呆然と呟く。
私たちのクラスと坂柳のクラスは、学力においてほぼ互角の死闘を繰り広げた。だが、わずか0.5点――問題数にして、クラス全体でたった数問の正解数の差で、敗北を喫したのだ。
「その結果、勝ったBクラスはうちから100クラスポイントを奪うことになるね。……そして、もう一つの対戦カードだったCクラスとDクラスの勝負は、DクラスがCクラスに勝ったから、同じく100ポイントの移動があるよ。最新のクラスポイントはこうなります」
星之宮が、黒板に各クラスの最新のポイントを書き出していく。
・Aクラス(一之瀬): 1007cp(前回:1107cp)
・Bクラス(坂柳): 974cp(前回: 874cp)
・Cクラス(龍園): 558cp(前回: 658cp)
・Dクラス(堀北): 100cp(前回: 0cp)
「……っ」
数字が可視化されたことで、敗北の現実がより重くクラスメイトたちにのしかかる。
トップであるAクラスの座はなんとか死守したものの、Bクラスとの差はわずか33ポイントにまで肉薄されてしまったのだ。次の試験で負ければ、即座にクラス順位が入れ替わってしまう絶体絶命の状況である。
だが、今の教室を包んでいたのは、ただの絶望や悲観だけではなかった。
「……くそっ。俺が数学でもう少し点数を取れていれば」
「ごめん……私、一之瀬さんや藍染くんに甘えちゃってて、自分の苦手科目を放置してた。もっと前から自習しておくべきだったんだ……」
「ああ。ペアの点数でカバーできたとはいえ、個人の学力じゃBクラスに負けてるって痛感したよ。……このままじゃ、本当に足手まといになっちまう」
悔しそうに唇を噛み締めながらも、彼らの口から出てくるのは他責や嘆きではなく、自分自身の力不足を省みる言葉だった。
(……ただ敗北に落ち込むだけじゃなくて、ちゃんと己の弱さを直視して反省してる。一人一人が確実に『自分も成長しなきゃいけない』って自覚を持ち始めている。……この敗北はみんなの成長に繋がるきっかけになるな)
私は自席でその様子を眺めながら、頼もしく思い、密かに目を細めていた。
その時、パンッ!という、乾いた大きな柏手の音が教室に響いた。
「みんな、顔を上げて!」
立ち上がった一之瀬が、クラス全員を見渡しながら、力強い声で呼びかけた。
「みんなが悔しい気持ち、痛いほど伝わってくるよ。自分の実力不足に気づけたなら、それは絶対に次の強さに繋がる! ……でもね、その前に、みんなが必死に勉強して頑張ってきたことだけは、絶対に忘れないでほしい!」
一之瀬は、一人一人の顔に視線を合わせながら力強く続ける。
「だって見て! 今回はいつもよりずっと難しい問題だったのに、クラスの平均点自体は前回よりも上がってるんだよ! あの学力トップのBクラスを相手に、ここまで僅差の勝負に持ち込めたんだから! これって、みんなが本当に必死に勉強して、確実に成長している証拠じゃないかな!」
「それに、誰一人として赤点を取らなかったし、総合点でボーダーを下回ったペアも一つもなかった! 『退学者が一人も出なかった』……それが、私たちが全員で必死に足掻いて手に入れた、何よりの成果だよ! だから、反省するのは後! 今は自分たちの頑張りと成長に、しっかり胸を張ってほしい!」
一之瀬のその前向きな言葉に、生徒たちの顔に力強い光が戻ってくる。
「……そうだな。平均点も上がってるし、誰も欠けなかったんだから!」
「ああ! この悔しさは、次の三学期で絶対に晴らそうぜ!」
クラスに、ただの活気ではなく、確かな闘志が宿った。
(……さすがは一之瀬だ。みんなの芽生え始めた自立心を潰すことなく、確かな成長を提示してリーダーとして完璧に士気をコントロールしてみせた)
(確かに今回は、純粋な学力勝負で坂柳たちに僅かに上回られた。だが、あの難しい問題で平均点を上げ、最も恐れていた『退学者』を一人も出さずにクラス全体の『進化の兆し』を引き出せたのなら、この負けはむしろ大収穫だ。ポイントなんて、また次の試験で稼ぎ直せばいいだけだからな)
放課後。
ケヤキモール内にあるカフェ『パレット』の奥のテーブル席には、私、一之瀬、ひより、そして神崎の四人が集まり、今回のペーパーシャッフルの反省会を開いていた。
「はぁ〜……っ。すっごく悔しいっ……!」
ホームルームではクラスメイトたちの前で気丈に振る舞い、皆を励ましていた一之瀬だったが、心を許した私たちの前では、すっかり肩を落とし、本音を漏らしていた。
彼女の目の前には、ストレスを中和するための巨大なストロベリーパフェが置かれている。
「たった0.5点差だもん……。私が、もうちょっとだけみんなの得意不得意を細かく見てあげられていれば、勝てたかもしれないのに……」
パフェのイチゴをフォークで突っつきながら、一之瀬がシュンと眉を落とす。
「帆波ちゃん、自分を責めないでください。帆波ちゃんの指示は完璧でしたよ。それに、今回は負けてしまいましたけど、クラスの皆さんの学力は確実に向上しています。この敗北は決して無駄ではなく、帆波ちゃんが願っていた通り、私たちAクラスの大切な成長に繋がったと思いますよ」
ひよりが、隣に座る一之瀬の背中を優しく撫でながら慰める。
「ああ、椎名の言う通りだ。俺たちの作戦に瑕疵はなかった。相手が、我々の想定を僅かに上回る学力を持っていたということだ。今回の敗北は、次への布石とするしかない」
神崎も、自身の頼んだブラックコーヒーを口に運びながら、冷静に敗因を分析する。
(とはいえ、やっぱり一之瀬はリーダーとして責任を感じちゃってるみたいだな。このまま引きずらせるわけにはいかない。ここは副会長として、俺がバシッと慰めて、前を向かせてやらなきゃな!)
私はアイスティーのグラスを置き、落ち込む一之瀬に向けて、全力の慰めのポエムを紡ぎ出した。
「――嘆く必要はない、一之瀬。一度の黄昏に沈んだとて、太陽の価値が損なわれるわけではない。暗闇を知ったその光は、次の夜明けにこそ、より眩く盤面を照らし出すだろう。……その歩み、決して止めるな」
(訳:今回は負けちゃったけど、落ち込むことないよ一之瀬。この悔しさをバネにすれば、一之瀬はもっといいリーダーになれる。これからも頑張ろう!)
「えっ……?」
私のオサレポエムを浴びた一之瀬は、パフェの上の生クリームをすくったまま、ポカンと口を開けて固まってしまった。
「……黄昏……太陽……つまり、今回の敗北を夕暮れに例え、そこからの再起を……いや、待て、盤面を照らし出すというのは……?」
向かいの席では、神崎が腕を組み、目を閉じて眉間に皺を寄せながら、必死に俺の言葉の真意を解読しようと脳細胞をフル回転させている。
そんな二人を見て、ひよりがクスッと上品に笑い、いつものように完璧な意訳を披露した。
「『今回は負けてしまいましたが、落ち込む必要はありませんよ、一之瀬さん。この悔しい経験をバネにすれば、あなたはきっと今よりもっと素晴らしいリーダーになれます。だから、これからも立ち止まらずに頑張りましょう』……と、惣右介くんは慰めてくれているんですよ」
「あっ……!」
ひよりの翻訳を聞いた瞬間、一之瀬の顔にパッと明かりが灯り、先ほどまでの曇り顔が嘘のように晴れ渡った。
「ふふふっ、あははっ! そっか、藍染くん、私のこと一生懸命慰めてくれてたんだね! なんか、かっこいい言葉すぎて全然分かんなかったよ!」
「ああ、そういう意味だったのか……。相変わらず、藍染の言葉は難解だな」
一之瀬が堪えきれないように笑い出し、神崎もホッと息を吐いて肩の力を抜いた。
(よし! 一之瀬が笑顔を取り戻してくれたなら、ポエムが通じなかったことなんて些細な問題だ! 翻訳してくれたひよりには後で感謝しなきゃな)
私は内心でガッツポーズを決めながら、表面上は涼しい顔でアイスティーを啜った。
「ありがとう、藍染くん。ひよりちゃんも、神崎くんも!」
一之瀬はパフェの最後の一口をパクリと平らげ、元気よく両頬をパンッと叩いて気合を入れようとした。
――その時だった。
「ふふふ。敗北したクラスの反省会にしては、随分と和やかな雰囲気ですね」
コツ、コツと杖を突く音と共に、私たちのテーブルに近づいてくる影。
見上げると、そこには護衛のように神室を従えたBクラスのリーダー、坂柳有栖が、優雅な笑みを浮かべて立っていた。
「坂柳さん……」
一之瀬が少しだけ表情を引き締める。
「僅か0.5点差……。惜しかったですね、一之瀬さん。ですが、敗北は敗北です。これでAクラスとBクラスの差は、ついに指先が触れる距離まで縮まりましたよ」
坂柳は挑発的な視線を一之瀬に向けた後、スッと私の方へとその瞳を滑らせた。
「どうやら、貴方の完璧な采配をもってしても、純粋な『個の力』の差までは埋めきれなかったようですね、藍染くん」
(ぐぬぬ……! 普段から上から目線で偉そうにしてる俺が人のこと絶対に言っちゃダメなのは分かってるけど、面と向かってドヤ顔で煽られるとめちゃくちゃ悔しいな……!)
(でも、クラスメイトたちにとって『一之瀬に頼り切りの今のままじゃいけない。一人一人が成長しなきゃいけないんだ』という意識改革になっている。負けるのは悪いことだけじゃないんだ。この学校のルールでは、途中で何度負けようが、最後にAクラスとして卒業した奴が勝ちなんだからな!)
私は内心の悔しさを完璧な魔王のオーラで包み隠し、グラスのアイスティーを一口含んでから、王者の余裕をもって微笑み返した。
「――進化には恐怖が必要だ。今のままではすぐにでも滅び、消え失せてしまうという恐怖が」
「……ほう?」
「――ありがとう、坂柳。君のお陰で、私のクラスは更なる高みへと至るのだから」
坂柳は目を細めて面白そうにくすくすと笑った。
「なるほど。この敗北によるクラスの成長すらも……全ては貴方の掌の上、ということですか。……ふふふ、面白いですね。その余裕がいつまで続くか、見物させてもらいますよ」
坂柳は満足そうに微笑むと、神室を連れてそのままカフェを去っていった。
嵐のような坂柳が去り、一之瀬が「ふぅ……っ」と大きく安堵の息を吐き出した。
「びっくりしたぁ……。相変わらず坂柳さんってプレッシャー凄いね。でも……うん、ひよりちゃんや藍染くんの言う通りだね!」
一之瀬は先程よりもさらに力強い、前向きな瞳で私と神崎を見た。
「Bクラスに挑んだことで、ポイントは減っちゃったけど……みんなの中に確かな悔しさと、『もっと自分たちで力をつけなきゃ』っていう危機感が生まれたと思う。この敗北はこれからのクラスの成長に繋がるよ! 次は絶対に負けない!」
「ああ、その通りだ。一時の黄昏は、新たなる夜明けへの序曲に過ぎない。俺たちも己を磨き、更なる進化を遂げよう」
神崎が、オサレなワードを交ぜ込みながら真顔で力強く頷いた。
そんな熱い闘志を燃やす私たちを見て、ひよりはニコニコと花が咲くような笑顔を浮かべた。
「はいっ。次の三学期の試験に向けて、みんなで一緒に頑張りましょうねっ」
冷たい冬の風が吹きすさぶ外の景色とは裏腹に、カフェのテーブルは温かい闘志と絆に満ちていた。
ペーパーシャッフルという試練を乗り越え、痛みと共に成長への渇望を知ったAクラスの結束は、いよいよ訪れる激動の三学期に向けて、さらに研ぎ澄まされていくのだった。