いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
私は、昔から静かな場所が好きでした。
本の中に広がる無限の世界を旅して、活字が紡ぎ出す感情の波に静かに身を委ねる時間。それが、私にとって何よりも心地よい、大切な日常でした。
そんな私の日常に、いつの間にか『彼』は溶け込んでいました。
藍染惣右介くん。
中学一年生の時に図書室で出会ってから、私たちは一度も同じクラスになることはありませんでしたが、昼休みや放課後の図書室で落ち合い、いつも二人で一緒に本を読み、穏やかな時間を共有してきました。
彼は少しだけ……いえ、かなり独特で難解な言葉遣いをする人ですが、その詩的な言葉の裏には、いつも不器用なほどの優しさと、周囲への細やかな気配りが隠されています。
私にとって惣右介くんは、誰よりも頼りになって、一緒にいると一番落ち着く、大切な大親友でした。
――その感情が『恋』なのだと明確に自覚したのは、高度育成高校に入学してからのことです。
ある日の放課後。
私は、クラスのリーダーであり、私にもいつも優しく接してくれる一之瀬帆波ちゃんの部屋に遊びに行っていました。
帆波ちゃんが淹れてくれた温かいハーブティーを飲みながら、クラスの事や、最近読んだ本の話など、他愛のないおしゃべりを楽しんでいた時のこと。
『ねえ、ひよりちゃん。ずっと気になってたんだけど……ひよりちゃんって、藍染くんと付き合ってるの?』
帆波ちゃんから突然飛び出したその言葉に、私は飲んでいたお茶を吹き出しそうになってしまいました。
「えっ!? つ、付き合ってるなんて、そんな……! 私たちはただの友達で、本を読むのが好きなだけの……!」
『あはは、ごめんごめん! 驚かせちゃったね。でも、二人でいる時の雰囲気がすごく自然で、なんだか特別な感じがしたから。実はクラスのみんなも気になってるみたいで、てっきりそうなのかと思って』
帆波ちゃんは悪戯っぽく笑っていましたが、その時の私の胸の奥では、トクン、とこれまで感じたことのない大きな鼓動が跳ねていました。
(惣右介くんと、付き合う……?)
その言葉を頭の中で反芻した瞬間、私の顔は火が出るように熱くなりました。
もし、彼が『ただの親友』ではなく、『特別な人』として私の隣にいてくれたら。
その光景を想像しただけで、胸の奥がぎゅっと締め付けられ、同時にたまらなく甘く、幸せな気持ちが広がっていくのを感じたのです。
図書室で並んで座っている時、彼の横顔を盗み見てしまうこと。
彼が私の名前を呼んでくれるだけで、その日一日がとても明るく感じられること。
彼が他クラスとの激しい競争の中で傷つかないか、いつも心配でたまらないこと。
そして何より――高校に入学してすぐの頃。
私たちは中学の時と同じようにまた違うクラスになってしまいましたが、彼はなんとたった一ヶ月で二千万プライベートポイントという途方もない額を稼ぎ出し、私を自分のクラスへと引き抜いてくれたのです。
あの時、当たり前のように私に手を差し伸べてくれた彼の姿が、どれほど頼もしく、嬉しかったことか。
その日を境に、私の世界は少しだけ色を変えました。
彼と過ごす時間はこれまで以上に愛おしく、そして同時に、少しだけもどかしいものになりました。
自分の気持ちを自覚してからは、彼に対してつい『嫉妬』という、私らしくない感情を抱いてしまうことも増えたのです。
二学期の体育祭の時もそうでした。推薦参加となる男女ペアの二人三脚の走者を決める時、運動が苦手な私が参加すれば、クラスに迷惑をかけてしまうことは痛いほど分かっていました。けれど……惣右介くんが他の女の子と密着して走るなんてどうしても嫌で、気づけば真っ直ぐに手を挙げて立候補していました。
本番では彼の完璧なリードのおかげで一位を取ることができ、あの時、彼と肩を組んで走った温もりと高鳴る鼓動は、今でも私の大切な宝物です。
さらにその後、ペーパーシャッフルに向けての勉強会終わりに、ケヤキモールへ買い物に行った時のこと。あの美しく奔放な二年生の鬼龍院先輩から、惣右介くんが唐突にディナーに誘われました。
あの時、彼が誰か別の人の『特別な人』になってしまうような気がして……私は嫉妬のあまり、無意識に彼の袖を強く引っ張って引き留めようとしていました。
この心地よい『親友』という関係を壊したくない。でも、本当はもっと彼に近づきたい。彼にとってのたった一人の特別な女の子になりたい。
そんなアンビバレントな想いを抱えながら、私は何度も帆波ちゃんに相談に乗ってもらいました。
『ひよりちゃん、大丈夫だよ。藍染くんも、絶対にひよりちゃんと同じ気持ちだから!』
二学期のある日、私の不安を拭うように、帆波ちゃんは力強くそう言ってくれました。
「帆波ちゃん……どうして、そう言い切れるんですか?」
『だって、私たちと一緒にいる時の藍染くんと、ひよりちゃんと一緒にいる時の藍染くん、全然違うんだもん。私たちには、あのすごいオーラと難しい言葉で、いつもクラスを守るために気を張ってる感じがするけど……ひよりちゃんを見る時の藍染くんの目は、すっごく優しくて、安心しきってるのが分かるよ』
帆波ちゃんのその言葉は、臆病な私の背中を優しく、けれどしっかりと押してくれました。
『あのね、ひよりちゃん。もうすぐ冬休みでしょ?』
「はい……」
『クリスマスイブの二十四日には、クラスのみんなでクリスマスパーティーをしようと思ってるんだ! ……つまり、クリスマス本番の二十五日は、藍染くんの予定をばっちり空けてあるからね!』
帆波ちゃんはウィンクをして、私に最高のお膳立てをしてくれました。
クラスのリーダーとして毎日信じられないほど忙しいはずなのに、帆波ちゃんはいつも私の恋を自分のことのように応援し、支えてくれたのです。
「帆波ちゃん……いつも、私のお話を聞いてくれて、本当にありがとうございます」
『ううん。ひよりちゃんには、絶対に幸せになってほしいから! 頑張ってね!』
帆波ちゃんのその温かいエールを胸に、私はクリスマスの日に想いを伝える決意を固めました。
夜な夜な、彼を想いながらダークブルーの毛糸でマフラーを編み進め、どんな言葉で伝えればいいのか、何度も何度も頭の中でシミュレーションを繰り返しました。
そして迎えた、十二月二十五日。クリスマス当日。
惣右介くんの部屋は、外の凍てつくような寒さが嘘のように暖かく、いつものようにダージリンティーの甘い香りに包まれていました。
一緒にお昼ご飯を食べ、紅茶を飲みながらの、穏やかな読書の時間。
いつもなら、私はあっという間に本の世界に没頭してしまうのですが……この日ばかりは違いました。
目は活字を追っているのに、頭には全く内容が入ってきません。
(いつ言おう。どうやって切り出そう。もし、断られたら……この優しい時間も、二度と戻ってこなくなってしまうのかな……)
本を持つ指先が、微かに震えます。
ふと彼が本から顔を上げ、窓の外でうっすらと降り始めた雪を見つめた後、私に優しく声をかけてくれました。
『――宵闇が天を覆うまで、君の時間を私に預けてはくれないか? この祝祭の晩餐も、共に味わいたい』
夕食も食べていってほしいという彼からの誘いに、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、「はいっ。ぜひ、ご一緒させてください」と頷きました。
彼が作ってくれた美味しい夕食を平らげ、食後のティータイムになった時のことです。
彼が、ポケットから小さな箱を取り出し、私に差し出しました。
『――受け取ってほしい。君の銀の輝きを、さらに引き立てるための欠片だ』
箱を開けると、そこには雪の結晶をモチーフにした、とても美しいシルバーのアクセサリーが入っていました。
「わぁ……っ! 凄く綺麗……! 私に、ですか?」
『ああ。いつも私を支えてくれる君への、感謝の印だ』
彼からの初めてのプレゼント。
私の髪色に合わせて選んでくれたであろうその輝きが嬉しくて、私は「一生大切にしますっ」と頬を染めながら、アクセサリーを胸に抱きしめました。
そして、私も鞄から綺麗に包装された紙袋を取り出しました。
「私からも、惣右介くんにプレゼントがあります。その……手作りなんですけど」
彼が紙袋を開け、中に入っていたダークブルーの手編みマフラーを見た瞬間、彼はハッと息を呑みました。
『……素晴らしい。私の首元を温めるのは、君の紡いだ糸だけで十分だ』
彼らしい壮大な褒め言葉に、私は思わず「えへへ」と照れ笑いをこぼしました。彼が喜んでくれたことが、何よりも幸せでした。
しかし、無情にも時間は過ぎ去り、ついに門限の時間が近づいてきてしまいました。
『――月明かりが帰路を照らしている。君の城の扉まで、私がエスコートしよう』
「はい。よろしくお願いします」
私は立ち上がり、白いコートに腕を通しました。
そして、部屋の扉へ向かおうとした時。
帆波ちゃんの笑顔と応援を思い出し、私は両手をぎゅっと握りしめました。
(……ここで逃げたら、絶対に後悔する!)
「あ、あの……惣右介くんっ」
振り返り、上目遣いで彼を見つめます。
彼は少し不思議そうな顔をして、優しく私を見下ろしてくれました。
口から心臓が飛び出してしまいそうなほど緊張しながら、私は震える声で、ずっと胸に秘めていた想いを言葉にしました。
「……私、惣右介くんと……本を読んだり、おしゃべりしたりする時間が、本当に大好きです。惣右介くんはいつも自信に満ちていて、皆を守る強さがあって……でも、私にはすごく優しくて、温かくて……」
私は自身の胸元で両手をギュッと握りしめ、まっすぐに彼の瞳を見つめ返しました。
「気づいたら、ただの親友としてじゃなくて……もっと特別な想いで、惣右介くんのことを見つめるようになっていたんです。私……惣右介くんのことが、好き…です」
言えた。ついに、伝えた。
私は息を詰め、彼の反応を待ちました。
「…………」
しかし。
私の告白を聞いた惣右介くんは、完全に目を丸くして、石のように固まってしまいました。
何も言わず、ただ無言で立ち尽くす彼。
その沈黙が続くごとに、私の心は急速に冷えていきました。
(……あっ。……駄目、だったんだ……)
彼の沈黙は、私にとって『拒絶』以外の何物にも思えませんでした。
彼は私を、ただの友達としてしか見ていなかった。私の独りよがりな感情が、今まで積み上げてきたこの心地よい関係を、壊してしまったんだ。
そう理解した瞬間、目の前が真っ暗になり、大きな喪失感と絶望が私を襲いました。
「あ、その……」
私は血の気が引くのを感じながら、溢れ出しそうになる涙を必死に堪えようとしました。でも、一度決壊した感情はもう止められません。
「ご、ごめんなさい……! 私、急に変なこと言ってしまって……! 困らせてしまいましたよね。忘れてください……っ、おやすみなさい!」
一筋の涙が頬を伝うのを感じながら、私は弾かれたように彼に背を向け、逃げるように玄関のドアノブに手をかけました。
もう、彼の顔を見ることはできない。この部屋に来ることも、きっともう……。
そう思って、扉を開けようとした、その時でした。
「あっ……惣右介、くん……?」
突然、背後から力強い腕が伸びてきて、私の腕を掴んで強く引き寄せると、そのまま私の背中から、両腕でしっかりと抱きしめられました。
温かくて、大きくて、安心する彼の匂いが、私をすっぽりと包み込みます。
そして、彼は背中から回していた腕をそっと解き、私の肩を優しく引いて、ゆっくりと彼の方へと振り向かせてくれました。
まだ涙の痕が残る私の瞳と、正面から真っ直ぐに視線を交ませます。
彼の真剣な、そしてどこまでも優しい瞳が、私を真っ直ぐに射抜きました。
『――君がこのままの平穏な関係を望めば、そこに確かに恐怖はないだろう。だが、傷つく恐怖のない世界では、人はそれを退けて新たな希望を探す事をしないだろう』
静かな部屋に、彼が紡ぎ出す言葉が響きます。
それは、彼がよく口にするような、とても壮大で、詩的な言葉。
『――人はただ生きるだけでも歩み続けるが、それは恐怖を退けて歩み続けることとはまるで違う。だから人はその歩みに特別な名前をつけるのだ。――「勇気」と』
彼は、戸惑う私の手を優しく握りしめてくれました。
『今の関係が壊れる恐怖を退け、私に想いを伝えてくれた。君が示してくれたその尊き勇気に……私は報いなければならない』
その言葉を聞いて、私はハッとしました。
彼は、私の告白を拒絶したわけじゃなかった。私が関係を壊す『恐怖』を乗り越えて想いを伝えたことを、『勇気』だと肯定し、讃えてくれたのです。
『――私にとって君は鏡花水月の如く、ただ眺めるだけの決して触れてはならない存在なのだと自らに言い聞かせていた。だが……私との間にある境界線を越え、君が示してくれたその無垢なる勇気が、私の臆病な幻を打ち砕き、君という光を確かな「現実」として私の掌にもたらしたのだ」
「……この愛おしい物語の続きは、もはや私一人では紡げない。これからの私が歩むすべてのページを、君と共に綴ろう』
そのあまりにも美しく、情熱的な言葉たちは、私の心にスッと染み込んでいきました。
彼の言う『鏡花水月』。それは、彼も私と同じように、今の心地よい親友という関係が壊れることを恐れて、あえて私に踏み込まないよう自分に言い聞かせていたということ。
私が勇気を出して境界線を越えたことで、彼もまた、その臆病な殻を破ってくれたのです。
そして、『愛おしい物語の続き』を、『共に綴ろう』という、本好きの私たちにぴったりの優しくて甘い言葉。
彼は、私の気持ちに応え、これからもずっと恋人として隣にいてほしいと言ってくれている。私を、愛おしいと言ってくれている。
彼の言葉の真意を完全に理解した瞬間、私の心を満たしていた絶望は、信じられないほどの幸福感へと変わりました。
全身の力が抜け、私は安堵と喜びで、彼の温かい胸に飛び込むように顔を埋めました。
「はいっ……。喜んで、惣右介くんの隣に座らせてくださいっ」
彼が私のことを受け入れてくれた。
同じ気持ちでいてくれた。
その事実だけで、私の世界はまばゆいほどの光に包まれました。
その後、私たちは門限ギリギリまで、部屋の玄関で他愛のない、けれど今までとは少しだけ違う甘いおしゃべりを楽しみました。
いよいよ本当に別れの時間となり、彼が私を部屋まで送るために扉を開けた時。
「あの……惣右介くん」
私は、少しだけ頬を赤く染め、右手を出しました。
「お部屋まで……手を繋いで帰ってもいいですか……?」
『――ああ。私の手でよければ、君を導こう』
彼は私の小さな手を、しっかりと握り返してくれました。
私たちは部屋を出て、私の部屋がある階まで、静かな廊下を並んで歩きます。
冷たい冬の廊下で、繋いだ手から伝わる温もりだけが、私にこれが夢ではないことを教えてくれていました。
そして、翌日の十二月二十六日。
私は、逸る気持ちを抑えきれず、朝早くから帆波ちゃんの部屋を訪ねていました。
「帆波ちゃんっ……!」
「ひよりちゃん! どうだった!? 昨日のクリスマス……!」
扉を開けた帆波ちゃんは、パジャマ姿のまま、自分のことのように緊張した面持ちで私を迎え入れてくれました。
私は部屋に上がるなり、胸の高鳴りを抑えながら、昨日起きた出来事を報告しました。
「私……惣右介くんに、想いを伝えることができました。最初は驚かせてしまって、駄目だったかと思ったんですけど……でも、惣右介くんが、私の勇気を肯定してくれて。私に、ずっと隣にいてほしいって……」
言いながら、昨日の彼の言葉と温もりを思い出し、私の目からは再び自然と涙が溢れてきました。
「私……惣右介くんと、お付き合いすることに、なりました……っ」
その言葉を聞いた瞬間、帆波ちゃんの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちました。
「ほんとにっ……!? わぁぁぁん、ひよりちゃぁぁんっ!! よかったねぇ、本当によかったねぇ……っ!!」
帆波ちゃんは、まるで自分自身が告白を成功させたかのように、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくりながら、私を強く抱きしめてくれました。
私も、帆波ちゃんの温かさと優しさに触れ、声を上げて泣いてしまいました。
「帆波ちゃんが、背中を押してくれたおかげです……! 帆波ちゃんがいなかったら、私、きっと伝える勇気を持てませんでした。本当に、本当にありがとうございます……っ」
「ううんっ、ひよりちゃんが頑張ったからだよ! ひよりちゃんの勇気が、藍染くんに届いたんだよ! あぁ、もう、本当に嬉しい……っ! 二人とも、絶対幸せになってね!」
私たちは二人で抱き合ったまま、しばらくの間、嬉し涙を流し続けました。
帆波ちゃんの部屋に満ちる柑橘系の香りと、彼女の温かい涙。
私は、こんなにも素敵な親友を持てたこと、そして、大好きな惣右介くんの隣に立てるようになった奇跡に、心の底から感謝していました。
これからは、ただの親友としてではなく、彼の『彼女』として。
彼がどれほど困難な道を歩むことになろうとも、私は彼の隣で、その道を優しく照らし続けたい。
彼の大きく、温かい手の感触を思い出しながら、私は未来に向けて、静かな、けれど決して揺るがない決意を胸に抱くのでした。
原作最新刊面白かったですね!
色々不穏な要素はありますが、次巻がどうなるか楽しみですね〜