いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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五十三話

 林間学校――もとい、過酷な混合合宿二日目の朝は早い。

 午前六時。まだ薄暗く、吐く息も白くなるほどの冷たい山の空気に包まれる中、我々一年生から三年生までの大グループの面々は、施設内の巨大な厨房エリアに集められていた。

 

 朝食は、各グループごとに自炊することがこの合宿のルールとして定められている。生活力を問われると同時に、グループ内の連携や協調性を評価される重要な時間だ。

 

 私は割り当てられた調理台の前に立ち、手際よく野菜を刻んでいた。タターッ!と一定のリズムでまな板を叩く包丁の音が響き、隣で見ていた二年生や三年生たちが「すげぇ、プロ級じゃねぇか……」と感嘆の声を漏らしている。

 

 そんな中、私は周囲の視線が少し逸れた隙を見計らい、隣の調理台で米を研いでいた二年Dクラスの責任者、相馬先輩に静かに声をかけた。

 

「――偽りの王が下した託宣は、君たちの刃からどれほどの熱を奪った?……自ら盤面から降りるつもりなら、容赦はしないよ」

 

(訳:南雲の指示で、この合宿で手を抜くつもりですか? もしわざと足を引っ張るような真似をするなら、容赦しませんよ)

 

「……は? 偽りの王……? 刃から熱を奪うって、なんの話だ?」

 

 相馬先輩は私のオサレすぎる言葉に一瞬ポカンと口を開け、困惑したように眉をひそめた。だが、私の放つ凄まじいプレッシャーを受けながら脳内で言葉の意味を反芻し、すぐにハッと息を呑む。そして、周囲に教師や他グループの人間がいないことを慌てて確認した。

 

「まさかお前……南雲の指示で、俺たちがわざと手を抜こうとしてる事について言ってるのか……?」

 

「――察しが良くて助かるよ」

 

 私が手元の野菜を見つめたまま不敵に微笑んで肯定すると、相馬先輩はピクッと肩を震わせ、さらに声を潜めて答えた。

 

「……藍染。お前、気づいてたのか。あ、ああ……実は、昨日の夕食の時に南雲の配下の奴が接触してきてな。この合宿中、手を抜いてお前の足を引っ張るようにと指示されたんだ」

 

「――なるほど。道化の戯言に、君たちは従うというわけか」

 

(訳:なるほどね。で、先輩たちは南雲の指示に従うつもりなの?)

 

「……冗談じゃねぇよ」

 

 相馬先輩は自嘲気味に鼻を鳴らした。

 

「どうせあいつに従って手を貸したところで、南雲の独裁政権下じゃあ、Aクラスに引き上げてもらえる人間なんてほんの数人だ。俺たちDクラスの人間が恩恵を受けられる保証なんてどこにもない。……とはいえ、表立って南雲に逆らって、目をつけられるのはごめんだ」

 

「――ならば、どう動く?」

 

「この試験の仕組み上、各グループの個人の詳細な成績まで、南雲自身がリアルタイムで把握できるわけじゃねぇ。だから俺たちは、南雲には『指示通り適度に手を抜いている』と報告しつつ、実際には普通に試験をこなすつもりだ。いくら指示されたからって、自分たちが退学になるリスクを負ってまで手を抜く馬鹿はいないさ」

 

(なるほどな……。自身の身を守るための保身の言い訳としては十分理にかなっている)

 

 私は内心で納得しつつも、これが私を油断させるための罠である可能性も考慮し、さらに一段階、冷ややかな圧を込めて相馬先輩をねめつけた。

 

「――賢明な判断だ。だが、もしそれが私を欺くための虚言であった場合、君たちのその首が繋がっている保証はない。……私への裏切りは、すなわち破滅を意味すると知れ」

 

(訳:なるほど、それなら安心ですね。でも、俺を騙して足を引っ張るような真似をしたら怒りますよ?)

 

 私の圧倒的なプレッシャーを受け、相馬先輩はゴクリと唾を飲み込み、顔に冷や汗を浮かべながら真剣な表情で首を振った。

 

「……っ、正直に言わせてもらうがな、藍染。お前を敵に回す方が、南雲を敵に回すよりよっぽど怖いんだよ。お前のその底知れない圧力と、四月に部活をぶっ壊して回ったって噂を聞けばな……」

 

(おおぅ……部活荒らしの件、上級生の間でそんな凶悪な伝説みたいに語り継がれてるのか……。ちょっとやりすぎたかもしれないな)

 

 私は内心で少しだけ反省しつつも、「――そうか。ならば励むことだ」とだけ言い残し、再び手元の野菜へと視線を戻した。

 

 これで、我々の大グループが内部崩壊を起こして下位に沈む危険性はかなり低くなったと見ていいだろう。

 

 

 朝食を終え、二日目の本格的な授業が始まった。

 午前中は体育館での座禅や、道徳の授業。午後は体力テストやペーパーテストに向けた座学など、心身ともに削られる過酷なスケジュールが組まれている。

 

 だが、我々一年Aクラスの生徒たちは、誰一人として音を上げることなく、完璧に全てのカリキュラムをこなしていた。

 

「よーし! ペーパーテストの範囲、昨日神崎に教えてもらったとこが出たぜ! この調子なら午後もバッチリだ!」

 

 勉強があまり得意ではない柴田も、額に汗を浮かべながら一生懸命に課題に取り組んでいる。

 

 二学期の『ペーパーシャッフル』での敗北――あえて強敵であるBクラスを指名し、ポイントを失うという痛みを伴った経験が、彼らの中に「自分たちで力をつけなければならない」という強い自覚と成長をもたらしていたのだ。一之瀬の狙いは、見事に実を結んでいる。

 

 そして、小グループを共にする他クラスの生徒たち――Bクラスの吉田、Cクラスの時任、Dクラスの池の三人も、真面目に授業に取り組んでいた。

 

「おい池、そこ集中力切れてるぞ。ボッとしてたら連帯責任でポイント引かれるかもしれねぇんだからな」

 

「わ、分かってるよ時任! つーかお前もさっき座禅で怒られてただろ!」

 

 時任と池が小声で言い合っている。だが、彼らが手を抜く気配はない。

 その理由は明確だった。彼らの斜め前で、一切の微動だにせず、まるで仏像か何かのように完璧な姿勢で座禅を組み続ける私の存在があるからだ。

 

「……(チラッ)」

 

「……(ビクッ)」

 

 私が少しでも視線を向けるだけで、時任や池はヒィッと息を呑み、慌てて背筋を伸ばして課題に集中し直すのだ。

 

(ふふっ、俺の威圧感がいい感じに見張り役として機能しているな。他クラスの生徒たちも、俺のプレッシャーのおかげで集中して取り組んでくれている。この調子なら、一位を狙えるはずだ)

 

 

 その日の夜。

 大食堂での夕食の時間。私とひよりは、二人で向かい合ってテーブルを囲んでいた。

 

「――月明かりは、淀んだ森の奥まで照らし出せたかな。……彼女の歩みに、泥は跳ねていないだろうか。そして、無垢なる白銀の百合に、毒蛾は群がっていないだろうか?」

 

(訳:女子のグループの様子はどう? 橘先輩は無事? あと、ひよりへの嫌がらせはない?)

 

 私が尋ねると、ひよりは少しだけ真面目な顔つきになってコクリと頷いた。

 

「はい。惣右介くんの予想通り、女子の大グループでは二年、三年の上級生たちがかなり露骨に手を抜いています。授業中の態度も悪いですし、小テストの点数もわざと低くしているようです」

 

「……」

 

「ですが、橘先輩ご自身は、周囲の嫌がらせに屈することなく一生懸命頑張っていらっしゃるので大丈夫です。私も橘先輩に、『どうか堀北先輩と惣右介くんを信じて、最後まで本気で取り組んでください』とアドバイスをしておきました」

 

 ひよりはそこでふわりと表情を緩め、嬉しそうに言葉を続ける。

 

「私への嫌がらせは、今のところ全く無さそうです。私の小グループは、どのクラスも真面目で大人しい子ばかりなので、とても穏やかですよ。それに……Dクラスの王美雨さん、みーちゃんともお友達になれたんですっ」

 

(完璧かよ!! 俺が昨日頼んだ『証拠集め』だけでなく、不安になっているであろう橘先輩のメンタルケアまで自発的にやってのけるなんて……! 本当に大天使すぎる!!)

 

(しかも、新しい友達が出来たのか!嬉しそうに報告してくれるひよりが可愛すぎて、こっちまで胸がホクホクしてくるぜ……!!)

 

 私が内心で特大のスタンディングオベーションをしていると、遅れて一之瀬と神崎がトレイを持って合流してきた。

 

「お待たせー! 二人とも、お疲れ様!」

 

「遅くなってすまない」

 

「お疲れ様ですっ、帆波ちゃん、神崎くん。そっちのグループはどうですか?」

 

 ひよりが尋ねると、一之瀬は明るい笑顔で答えた。

 

「うんっ、すごくいいスタートが切れてると思う! 私たちの小グループは体力のある子たちを集めたおかげで、今日の体育系の授業も余裕を持ってクリアできたよ。女子はみんな大丈夫そうだね、あとは疲れが溜まらないように体力面に気をつけていくよ!」

 

「俺たちのグループも順調だ。藍染の圧倒的な存在感のおかげか、他クラスの生徒でさえ、気を抜くことなく必死に食らいついてきているからな」

 

 神崎も満足げに頷く。

 

「――素晴らしい。個の輝きが一つに集結する時、それはあらゆる闇を駆逐する絶対の光となる。……我々の歩む道に、もはや死角はない」

 

(訳:みんなよくやってくれてるね! この調子でいけば、どのグループも上位を狙えるはずだ。引き続き頑張ろうね!)

 

「うんっ! このまま最後まで突っ走ろうね!」

 

 私たちは互いの健闘を称え合い、三日目以降に向けた英気を養うのだった。

 

 

 そして、三日目。

 この日も、我々一年Aクラスは淡々と、そして完璧に全てのスケジュールをこなしていった。

 

 合間の休憩時間や自由時間には、神崎をはじめとする学力の高い生徒たちが中心となり、池や時任に対してペーパーテストに向けた勉強を教えている光景が見られた。

 

「池、この数式は単なる記号の羅列ではない。真理へと至るための『鍵』だ。昨日の授業の記憶を呼び覚ませ。そうすれば、解は自ずと君の前に平伏するだろう」

 

「うおお……マジか、全然分かんねぇ! てか神崎、なんだよ真理へと至るための『鍵』って!? 余計頭に入ってこないんだけど!」

 

「ちっ、こんな簡単な問題も解けねぇのかよ。……ってか神崎、お前も変な言葉使うな、分かりずれぇ!」

 

 突如飛び出した神崎のオサレで厨二病全開なワードに、池と時任が困惑の声を上げる。すると、すかさず柴田が笑いながらツッコミを入れた。

 

「あはは! ストップストップ、神崎! 一之瀬から『神崎くんがまた変な言葉を喋らないように見張ってて!』ってガチで頼まれてるんだからな! 普通に教えてやってくれよ!」

 

「ハッ……!す、すまない。少し感覚が研ぎ澄まされすぎたようだ。ええと、ここの数字をそのまま当てはめれば……」

 

 神崎が真面目な顔で言い直すと、そのシュールなやり取りに周囲からは笑い声が漏れ、場は和やかな空気に包まれた。Bクラスの吉田は元々勉強が得意なため、自力で黙々と課題を進めつつ、時折柴田たちと談笑して場を和ませていた。

 

(神崎ィィィ! 頼むぞ!! ただでさえ俺は最終日のスピーチがどうなるか不安で仕方ないのに、お前まで息をするようにオサレなポエムを詠み始めたら、このグループ終わってしまうからな!?)

 

 私は表面上は一切の隙を見せない絶対者のような威圧感を放ちつつも、内心では激しく冷や汗をかいていた。

 

(とはいえ……他クラスの生徒たちとも、かなり良い連携が取れるようになってきたな。神崎たちの面倒見の良さも光っているし、これならペーパーテストも問題なくクリアできるだろう)

 

 私は気を取り直し、少し離れた場所から彼らのやり取りを頼もしげに――そして少しばかりのハラハラを抱えながら見守っていた。

 

 

 その日の夜。

 夕食の時間、今日はAクラスのメンバーで固まって大きなテーブルに座ることになった。

 

 当然のように私の隣にはひよりがちょこんと座り、幸せそうにハンバーグを頬張っている。一之瀬や神崎たちは少し離れた席に座り、各グループの様子を細かく確認し合っているようだ。

 

 私がひよりにお茶を淹れながら、和やかに食事を進めていると、正面の席に座っていた姫野が、ふうっと小さく息を吐いた。

 

「はぁ……藍染くん。いつもそんな偉そうな態度取ってるのに……意外と、椎名さんといる時は分かりやすいよね」

 

「……ん?」

 

 姫野の突然の言葉に、私は動きを止めた。

 

「なんていうか……言葉とか態度はいつも通りなんだけど、椎名さんを見てる時の目が、すっごく甘いっていうか。完全に気を許してるのがバレバレ。……見てるこっちが恥ずかしくなるんだけど」

 

 姫野がジト目で私を見て、からかうようにクスッと笑う。

 

「……っ!?」

 

(嘘だろ!? 基本的に俺の意思とは関係なしに、勝手に強者の表情や威圧感のあるオサレな言葉が出てくる仕様になってるのに!? どんだけ俺の表面上の霊圧をコーティングしても、内面から漏れ出る『ひより可愛い! 大天使!』っていうデレの感情が隠しきれてないってことか!?)

 

 私は内心で激しく動揺し、心臓をバクバクと跳ねさせた。完璧な魔王の仮面に、まさかの綻びが生じているという事実に戦慄する。

 

 しかし、当のひよりは姫野の言葉を聞いて、ポッと頬を朱に染めながらも、心底嬉しそうに花が咲くような笑顔を浮かべた。

 

「ふふっ。……惣右介くんは、とても優しいですから」

 

「もう、椎名さんも藍染くんのことになると本当に嬉しそうなんだから」

 

 姫野が呆れたように肩をすくめ、そこから思い出したように言葉を続ける。

 

「っていうか、二人ともようやく付き合いだしたんだね。たった一ヶ月で二千万ポイントも集めて強引にクラスに引き抜いたんだから、もっと前から付き合ってるものだとばかり思ってたわ」

 

「えっ……あ、はい。そう、なんです……ふふっ」

 

 ひよりが嬉し恥ずかしそうにモジモジと俯く。

 

「ずっと両想いっぽかったのに。……藍染くんって、いつもあんなに偉そうなのに恋愛のことになると意外とヘタレなの?」

 

(い、痛い所を突く……! 確かに、親友としての関係が壊れるのが怖くて、自分からはどうしてもひよりに踏み込む勇気が出なかった究極のチキンだけど! 面と向かってヘタレって言われると普通に傷つく!!)

 

 姫野の容赦なく的確な一言に、私は内心でクリティカルヒット級のダメージを受けた。

 

 だが、図星を突かれてもここで動揺を見せるわけにはいかない。私は涼しい顔を保ち、オサレに前髪をかきあげた。

 

「――否定はしない。完璧な均衡を保つ盤面において、新たな駒を進めるのは容易ではない。……停滞という名の鳥籠を壊し、私を未知の領域へと導いたのは、彼女が示した気高き勇気だ。私はただ、その光に傅き、手を引かれたに過ぎない」

 

(訳:その通り! ヘタレな俺のために、ひよりの方から親友の境界線を越えてくれたんだ!! マジで感謝しかない! 勇気を出してくれた俺の大天使最高!!)

 

 ひよりはさらに嬉しそうに目を細め、えへへとだらしなく笑いながら翻訳した。

 

「『今の関係が壊れるのが怖くて踏み出せなかった臆病な私の代わりに、ひよりが勇気を出して想いを伝えてくれたおかげです』……とのことです」

 

「……はいはい、ごちそうさま。なんだか見てるこっちが恥ずかしくなってくるわね」

 

 姫野は小さくため息をつき、軽く手をひらひらと振って受け流すが、その表情はどこか微笑ましそうだった。

 

(まさか姫野にここまで見透かされているとは。だが、ひよりが嬉しそうにしてるなら、まあいっか! 魔王としての威厳は保ちつつも、ひよりへの愛情は隠さない。それが俺のジャスティスだ!)

 

 こうして、姫野に少しいじられながらも和やかな空気に包まれ、過酷な混合合宿の三日目も大きな波乱なく無事に過ぎ去っていった。

 

 盤面の裏側で蠢く南雲の悪意は、もはや私にとって取るに足らない戯れに等しい。

 

 確かに、上級生たちが結託して意図的に手を抜いている以上、橘先輩のいる大グループが最下位の泥濘に沈む可能性は高いだろう。……だが、問題はない。道連れ退学の条件は、『明確にグループの足を引っ張ったと証明できる生徒』にのみ適用される。そして今、ひよりによって『橘先輩が誰よりも必死に努力し、逆に上級生たちが露骨に手を抜いている』という事実が、教師たちの目に客観的な証拠として蓄積され続けているのだ

 

 つまり、グループが最下位に落ちたとしても、南雲の息のかかった責任者が橘先輩を道連れに指名することは、学校のシステム上絶対に不可能となる。

 

(学先輩への嫌がらせが、完全に防がれたと知った時、南雲は果たしてどんな顔をするだろうな。……ふっ、少しだけ楽しみだ)

 

 静かな夜の底で、私は勝利への確信に満ちた笑みを深め、来るべき合宿後半戦に向けて優雅に目を閉じたのだった。

 

 

 

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