いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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五十四話

 七泊八日という長丁場で組まれた過酷な混合合宿も、いよいよ折り返し地点となる四日目。

 

 この日も、私たち一年Aクラスの生徒たちは何の問題もなく、むしろ他クラスや上級生を牽引するほどの勢いでカリキュラムを乗り切っていた。

 

 私が所属する大グループにおいても、その傾向は顕著だった。小グループの仲間である池、時任、吉田は、合宿初日こそ戸惑いを見せていたものの、今ではすっかりAクラスのペースに巻き込まれ、真剣に課題に取り組んでいる。

 

 午後の体力テストが終わり、夕食までのわずかな自由時間のことだ。

 支給されている水で喉を潤していると、大グループの三年生責任者である権田先輩が、どこか緊張した面持ちで歩み寄ってきた。

 

「よお、藍染。……お疲れさん」

 

「――ああ。そちらもご苦労だったね」

 

「いやぁ……お前、本当にすげー奴だな。ぶっちゃけた話、四月の部活荒らしの件でお前のことは悪魔だと思ってたんだが、この合宿で一緒にやってみて考えが少し変わったぜ」

 

 権田先輩は少し照れくさそうに頭を掻きながら、まっすぐに私を見た。

 

「俺は三年だから、堀北学の凄さは嫌ってほど知ってる。堀北より優れた人間なんて、いないんじゃないかって思ってた。……でも、お前のその圧倒的な存在感や、グループ全体を引っ張る統率力を見てるとさ。お前はもうすでに、あの堀北にも匹敵する力を持ってるんじゃないかって、そう思っちまうよ」

 

(うおおおおっ!? あの完璧超人の学先輩に匹敵するとか、三年生の先輩に言われちゃったよ!? 嬉しすぎる! でも俺なんて、学先輩に比べたらまだまだ足元にも及ばないって!)

 

 私は尊敬してやまない学先輩と並び称されたことに内心で小躍りしながら、謙虚に「そんなことありませんよ」と返そうとした。

 

 しかし、強靭なエゴを持つ私の口から紡がれたのは、相変わらずの傲慢極まるオサレポエムだった。

 

「――私が見据えるのは、未だ誰も足を踏み入れたことのない天の頂きのみだ。……比較対象にされるのは光栄だが、私の歩みは止まらないよ」

 

「……っ!」

 

 私のあまりにも不遜で、それでいて有無を言わせぬ絶対的な自信に満ちた言葉に、権田先輩は一瞬息を呑み、そしてハッと笑った。

 

「ははっ、すげぇ自信だ。……だが、確かにお前なら、歴代最高の生徒会長と言われる堀北を超えるかもしれんな。これからも頼りにしてるぜ、藍染」

 

(先輩、器がデカい! 俺のこんな傲慢な言葉も笑って受け入れてくれるなんて……!)

 

 そんなやり取りをしていると、今度は二年生の責任者である相馬先輩も会話に混ざってきた。

 

「権田先輩の言う通りだぜ。俺たちの学年にも、お前みたいな圧倒的な力を持つ奴がいればな……。そうすれば、南雲なんかに支配されて、こんな理不尽な指示に従わされることもなかったのによ……」

 

 相馬先輩は自嘲気味にため息をついた。

 

(……誰か強いリーダーに頼りたくなる気持ちは分かる。でも、だからといって自分から戦うのを放棄して、ただ強い奴に従うだけになっちゃダメでしょ! 南雲が独裁者になったのも、先輩たちが早々に諦めたからじゃないか。ここは一つ、後輩として『自立』を促す熱いアドバイスを送ってあげないと!)

 

 私は姿勢を正し、「誰かに頼るのではなく、自分たちの足で立ち上がって頑張りましょう」と激励の言葉をかけようとした。

 

 だが、当然のように出力されたのは、強者の真理と絶望を説く、冷酷な魔王の語りだった。

 

「――全ての生物は自分より優れた何者かを信じ、盲従しなければ生きてはいけないのだ」

 

「……え?」

 

「そうして信じられた者は、その重圧から逃れる為に更に上に立つ者を求め、上に立つ者は更に上に信じるべき強者を求める」

 

「そうして全ての王は生まれ、そうして全ての――神は生まれる」

 

「……っ!」

 

 私の静かで、だが絶対的な真理を突く言葉の刃が、相馬先輩の胸に深く突き刺さる。

 

「君たちは自らの弱さを理由に、南雲という『王』を創り出したに過ぎない。敗北を環境のせいにして地に這い、自らの牙を折ったのは、他でもない君自身の惰弱さだ」

 

(訳:先輩たちが諦めて南雲に従っちゃったから、彼が暴君になっちゃったんですよ。誰かに頼るんじゃなくて、諦めずに自分たちで戦いましょう!)

 

 私の容赦のない言葉を受け、相馬先輩は雷に打たれたように目を丸くし、そして悔しそうにギュッと拳を握りしめた。

 

「……確かに、お前の言う通りだ。俺たちは南雲には勝てないと早々に諦めて、ただ強い奴に盲従するだけの道を選んでしまっていた。俺たち自身が、あいつを暴君に仕立て上げてしまったんだな……」

 

 相馬先輩は一度深く俯いたが、次に顔を上げた時、その瞳にはかつてないほどの強い光が宿っていた。

 

「目が覚めたぜ、藍染。俺は、俺たちのやり方で戦う。……もう誰かに縋るのはやめだ! この試験では何が何でも大グループで一位をもぎ取って、俺たちを舐め腐ってる南雲の鼻を明かしてやる!」

 

「ああ、俺も協力するぜ! 三年の意地を見せてやる!」

 

(お、おおぅ……!名言パクって偉そうなこと言っちゃったけど、結果的に先輩たちの闘志に火をつけることに成功したぞ! よしよし、これでうちのグループの士気は最高潮だ!)

 

 私は内心でホッと胸を撫で下ろし、フッと静かに微笑んでみせたのだった。

 

 

 その日の夜。大食堂での夕食の時間。

 私はひより、一之瀬、神崎と共にテーブルを囲み、今日のカリキュラムの進捗や後半戦に向けた作戦について和やかに言葉を交わしていた。

 

「橘先輩は周囲の空気に呑まれることなく、一生懸命頑張ってくださっていますよ。しっかり証拠を集めつつフォローしていますから、安心してくださいね」

 

「こっちのグループは順調だ。Aクラスの連中がしっかり他クラスをサポートしてくれてるからな」

 

 ひよりの頼もしい報告と神崎の言葉に、私は満足げに頷く。

 だが、その和やかな空気を引き裂くように、不躾な足音が私たちのテーブルへと近づいてきた。

 

「よお、一年生ども。随分と余裕そうじゃねぇか」

 

 見上げると、そこには新生徒会長・南雲雅が立っていた。その瞳の奥には、隠しきれない苛立ちと暗い感情が渦巻いている。

 

「――藍染。食事が終わったら外に出ろ。てめぇに話がある」

 

 南雲は私を見下ろし、ドスの効いた低い声でそう告げた。

 

(……ふっ。さすがに気づいたか。ひよりたちが着実に証拠を集めているおかげで、橘先輩を道連れ退学のターゲットに指名することが事実上不可能になったことに。焦って直接接触してくるなんて、相変わらず沸点が低いな)

 

 私は内心で余裕の笑みを浮かべつつ、ひよりたちに「先に戻っていてくれ」と目配せをした。

 

 そして立ち上がり、優雅な足取りで南雲の後を追って食堂を後にした。

 

 

 案内されたのは、施設の外れにある、人目のつかない裏庭だった。

 冬の冷たい夜風が吹きすさぶ中、南雲は私と対峙するなり、被っていた作り笑いの仮面を投げ捨てて凄んだ。

 

「てめぇ……いつからだ」

 

「……」

 

「いつ、俺が橘先輩を狙うと分かった!」

 

 南雲の怒号が、静寂な裏庭に響き渡る。

 私は外套のポケットに両手を突っ込んだまま、何の感情も込められていない冷ややかな瞳で彼を見据えた。

 

「――最初からだ」

 

「……適当なこと言ってんじゃねぇ!」

 

「――解らないか? 最初からだと言っているんだ。あの生徒会室で、『道連れ退学』というくだらないルールの通達を聞いた瞬間から……君の底の浅い器が向かう先など、容易に推測できていたよ」

 

「……な……に……!?」

 

 南雲がギリッと歯を食いしばり、顔を怒りで歪める。

 

「――かつての王を真正面から打ち破るだけの度胸も実力もなく、盤面の外から泥を投げることしかできない。それが、新たなる玉座に座した君の底の浅さだ。堀北学を揺さぶるためにその右腕を狙うなど、三流の悪役が好む陳腐な筋書きだよ」

 

「てめぇ……っ!! 偉そうに御託を並べやがって!!」

 

 南雲は激昂し、私に一歩詰め寄った。

 

「てめえのクラスの女を使って、橘先輩を陥れようとする上級生を教師に密告させていたのは知ってるんだぜ。俺の計画を邪魔したつもりだろうがな……思い上がるなよ、藍染。俺はこの学校の二年生全体を支配しているんだ」

 

 南雲の口角が、悪辣に吊り上がる。

 

「てめえが大事にしている、椎名とかいう女……あの女をターゲットに変えて、確実に退学に追い込んでやることもできるんだぜ?」

 

 ドクン、と。

 私の心臓が、大きく跳ねた。

 

(……俺への嫌がらせでひよりを狙ってくる可能性は、当然想定していた。だが……)

 

 今、こいつははっきりと口にした。

 俺の大切な大天使を、退学に追い込むと。俺に対する脅しのカードとして、彼女を傷つけると直接宣言したのだ。

 

(……こいつ。ほんと、クズだな……!!)

 

 想定内だとか、理屈だとか、そんなものはもはやどうでもよかった。

 

 その瞬間、私の内側にどす黒く、ひたすらに冷たい怒りの業火が爆発的に燃え上がった。ひよりに危害を加えると直接口にしたこの男の存在そのものを、私の心が、魂が、絶対に許さないと叫んでいた。

 

 私の感情に呼応するように――周囲の空気が重く、冷たく、そして圧倒的な絶望の色に染まり始めた。

 

 物理的な重さを伴うほどの極限の『重圧』が裏庭全体を支配する。大気が悲鳴を上げている錯覚すら覚えるほどのプレッシャーの中、私の口が、勝手に恐るべき詠唱を紡ぎ始めた。

 

「――滲み出す混濁の紋章」

 

「……は? な、なんだ、てめぇ……」

 

「――不遜なる狂気の器」

 

「おい、何を言って……っ!? ぐ、あ……っ!?」

 

 南雲の顔からスッと血の気が引き、彼は見えない何かに肩を押し潰されるかのように、その場にガクンと膝をついた。

 

 私から放たれる本気の殺意と威圧感が、南雲の生物としての本能を凌駕し、肉体を恐怖で硬直させているのだ。

 

「――湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き・眠りを妨げる」

 

「――爬行する鉄の王女」

 

「――絶えず自壊する泥の人形」

 

「――結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ」

 

「――破道の九十・黒棺」

 

 ……………………。

 

 当然だが、霊力など一切存在しないこの世界において、『黒棺』が発動するはずもない。南雲を漆黒の重力波が包み込むことも、空間が歪むこともなく、ただ静かな風が裏庭を吹き抜けただけだった。

 

(ちょ、ちょっと待って!? 人生で初めて本気でキレちゃったけど……キレたら勝手に『黒棺』の完全詠唱が出ちゃうシステムなの!? 完全に殺そうとしてるじゃん!! いや、何も起きなくて本当に良かったけど!!)

 

 私は内心で激しくセルフツッコミを入れた。

 

 だが――私から放たれるラスボスオーラは、超常的な現象など何も起きていないにも関わらず、もはや幻覚すら見せるほどの重圧となっていた。

 

 言葉の意味など全く理解していない南雲だが、その命を刈り取るかのような絶対的なオーラと、本能が警鐘を鳴らすほどの死の恐怖に、完全に畏れをなしていた。

 

「……な、なんだ……この、重圧は……っ!?」

 

 南雲は膝をついたまま地面に手をつき、ガチガチと歯の根を鳴らしながら私を見上げた。その瞳には、もはや怒りや驕りは微塵もなく、ただ純粋な「恐怖」だけが刻み込まれていた。

 

(や、やばい。いくら何でも威圧感だけで南雲がガチでチビりそうになってる。落ち着け、俺。ここでこれ以上脅したら気絶しかねない。ただ単に『ひよりに手を出すなら許さない』って警告できればそれでいいんだ!)

 

 私は深呼吸をし、極限まで高まった威圧感を纏ったまま、虫ケラを見下ろすような冷酷な瞳で南雲に告げた。

 

「――警告は一度だけだ。もし彼女の光を微塵でも曇らせるような真似をしたなら……君のちっぽけな箱庭ごと、その存在を跡形もなく消し去ってやろう」

 

「ぐ、あ……て、てめぇ……っ」

 

 南雲は強がって睨み返そうとするが、その身体は完全に恐怖で支配され、生まれたての小鹿のようにガクガクと震え上がっている。

 

「――理とは、理に縋らねば生きて行けぬ者の為にあるのだ。自らの矮小な理で、私を縛れるとでも思ったか?」

 

「…………っ!!」

 

 私の圧倒的な言葉に、南雲は完全に絶句し、地面に這いつくばったまま一言も発することができなくなった。

 

(ふぅ……。黒棺の完全詠唱しちゃった時は恥ずかしくて死ぬかと思ったけど!霊圧ゼロのただの詠唱であそこまでビビり散らかしてくれるなら結果オーライだ。これだけ強烈なトラウマを植え付けておけば、流石の南雲もひよりに手を出すような真似はしないだろう)

 

 私は地面に蹲る敗者を一瞥することもなく、夜の闇に紛れるように優雅にその場を立ち去り、自室へと戻っていった。

 

 

 そして、合宿五日目。

 私たちの小グループの連携は日を追うごとに強固になっていた。

 

「おっしゃー! ここ、昨日神崎に教えてもらったところだぜ!」

 

 池がペーパーテストの小テストで高得点を取り、歓喜の声を上げる。

 

「へっ、Aクラスの連中もなかなか教え方が上手いじゃねぇか」

 

 時任が憎まれ口を叩きながらも、満足げに笑う。

 

「やっぱり、Aクラスのまとまりと藍染のリーダーシップは凄いな」

 

 吉田も感心したように頷いている。

 

(うんうん、池も時任も吉田も、すっかりうちのクラスのみんなと馴染んでるな。合宿はまだ数日残っているけど、この調子なら最後まで問題なく走り抜けられそうだ。やっぱり、うちのクラスのみんなは凄いな!)

 

 私は誇らしい気持ちで胸を張り、彼らの健闘を静かに見守っていた。

 

 

 その日の夜。

 談話室で静かな時間を過ごしていた時のことだ。

 

 ソファーの隣に座るひよりが、周囲に誰もいないことを確認してから、そっと私に耳打ちしてきた。

 

「惣右介くん。……今日一日、上級生たちも手を抜くのをやめて、真面目に授業に取り組んでいました。橘先輩への妨害も全くありませんでした。南雲先輩も、私たちが証拠を集めていることに気づいて諦めたのでしょうか?」

 

 ひよりの純粋な問いかけに、私は少しだけ目を伏せた。

 

 そして、ひよりにしか聞こえない、極めて優しく、それでいて静かな決意を込めた声で、昨日の顛末を手短に話した。

 

「――ああ。だが、それに気づいた愚者が、自らの足元も顧みず、標的を君に変えようと牙を剥いてきてね。……私が少しばかり、教育を施しておいたよ」

 

「えっ……」

 

「……もしも君に何かあれば、それは全て、君に危険な役回りを頼んだ私のせいだ。……すまない。だが、いかなる闇が迫ろうとも、私が必ず守り抜くと誓おう」

 

 私が心からの謝罪と誓いを口にすると、ひよりは驚いたように目を丸くし、そして――ふわりと、この世の何よりも美しい、春の陽だまりのような笑顔を咲かせた。

 

「謝らないでください、惣右介くん。……橘先輩はとても優しくて良い方ですし、私も先輩に理不尽に退学になってほしくありませんでした。それに……何より、惣右介くんが大切にしている、尊敬する先輩をお守りするお手伝いができて、私もすごく誇らしく思っているんですよ」

 

「……ひより」

 

「だから、これからも私を頼ってくださいね。私は、惣右介くんの力になりたいんです」

 

(あ、あああ……天使!!! 大天使すぎる!!! こんなに優しくて、俺のことを想ってくれる彼女、この世のどこを探しても絶対にいないよ!! ほんと、世界一最高の彼女だよ!!)

 

 私は内心で号泣し、ひよりの尊さに感極まって五体投地しそうになるのを必死に堪えた。

 

 しかし、外面はあくまで完璧な魔王のまま。

 私はフッとオサレに笑いながら、愛おしげに目を細め、彼女の銀糸のような髪をそっと撫でた。

 

「――君という光がある限り、私の歩む道に迷いはない。……ありがとう、ひより」

 

 静かな夜の底。

 合宿はまだ中盤を過ぎたばかりだが、最大の懸念材料であった悪意は完全に沈黙した。

 

 私たちは確かな絆と、残り数日を乗り切るための揺るぎない手応えを胸に、静かに微笑み合ったのだった。

 

 

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