いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
七泊八日に及ぶ過酷な混合合宿を終え、無事に学校へと帰還してから数日。
季節は二月へと突入し、冬の厳しい寒さが本格化する中、私たち一年Aクラスの結束はかつてないほどの高まりを見せていた。
放課後の教室では、合宿で培った連携を活かし、自由参加の勉強会が連日のように継続して行われている。
「ねえねえ、ここの公式の応用なんだけどさ、神崎くん教えてくれない?」
「ああ、ここはだな。前回の小テストでも出た傾向から言うと……」
「一之瀬さん、こっちのノート見せてくれない?」
「うんっ、いいよー! みんなで一緒に覚えちゃおう!」
黒板の前では、一之瀬や神崎を中心に、クラスメイトたちが和気藹々と、それでいて真剣な眼差しで教え合っている。合宿を乗り越えたことで、クラス全体に『Aクラスに相応しい生徒になる』という確かな自覚と連帯感が芽生えていた。
(うんうん、素晴らしいね。一人一人が自立してクラス全体の底力を上げようとしている)
私は成長を続けるクラスメイトたちの姿を内心で微笑ましく見守っていた。
一方、放課後の生徒会室。
ここ最近、生徒会における空気は劇的な変化を遂げていた。
「…………」
新生徒会長である南雲雅は、自席で廃人のように虚空を見つめ、完全に手が止まっていた。かつてのような傲慢な笑みや、私を陥れようとするネチネチとした嫌がらせはパタリと止まったものの……代わりに、使い物にならなくなってしまったのだ。
彼のそのただならぬ様子に、副会長の桐山や書記の溝脇、殿河といった他の役員たちも腫れ物に触るように戸惑いを隠せず、結果として生徒会全体の業務が完全に滞ってしまっている状態だった。
それもそのはずだ。合宿の最終日、執着していた学先輩から「二度と相手をしない」と完全に見限られた絶望。そして何より、あの夜の裏庭で私がブチギレた勢いで放ってしまった『黒棺』の完全詠唱――それに伴う圧倒的な重圧と死の恐怖は、完全に彼の心に深いトラウマを刻み込んでいたからだ。南雲は私が視界に入るたびに肩をビクッと跳ねさせ、絶対に私と目を合わせようとしない。
「ふふふ。……どうしたのかな、生徒会長殿。書類の山を前にボーッとして。何か『見えないバケモノ』にでも脅されているような、酷く怯えた顔をしているぞ?」
来客用のソファーに優雅に腰掛ける鬼龍院先輩が、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべながら南雲をからかった。
「……っ! うるせぇ、鬼龍院。……俺は、ただ……」
南雲はビクッと体を震わせ、反論のトーンもどこか弱々しく、すぐにまた視線を落としてしまった。
鬼龍院先輩はそんな南雲を一瞥した後、面白そうに視線を私へと向けてきた。
「ほう? 藍染、お前はどう思う? あの自信満々だった男の牙が、こうも簡単に折れてしまった理由を」
私は手元の書類からゆっくりと視線を上げ、どこまでも冷ややかな、魔王としての顔つきで応えた。
「――さあ。仮初の王冠の重圧に、脆弱な首が耐えきれず悲鳴を上げているだけではないかな」
「クックックッ、違いない。傑作だな」
私の不遜な返しに、鬼龍院先輩は愉快そうに笑い声を上げた。
(鬼龍院先輩、絶対に俺が南雲に何かやったって察してるな。でも、この人は『面白いものが見られればそれでいい』ってタイプだから、わざわざ野暮な詮索はしてこないだろう。……本当によかった。もし仮に、『黒棺の完全詠唱してイキってた』なんてことがバレた日には、恥ずかしさで俺の精神が崩壊してしまう!あの厨二病全開の黒歴史だけは絶対に誰にも知られるわけにはいかないのだ!)
私は内心で冷や汗を拭いながら、平静を装って窓の外へと視線を向ける。
(それにしても……混合合宿の大グループで一位をもぎ取った相馬先輩たち二年Dクラスは、見事にCクラスへの昇格を果たした。それが起爆剤となり、今まで南雲の独裁に屈していた他の二年生たちの中にも、『南雲に縋らなくても戦える』という希望と反逆の意志が芽生え始めている。……南雲の絶対的だった支配体制は、今、確実に崩壊へ向かっているのだ)
生徒会での仕事を終え、私はひよりとの待ち合わせ場所である図書室へと向かうため、静かな廊下を歩いていた。
「――待て、藍染!」
不意に、背後から切羽詰まったような声が響いた。
振り返ると、そこには二年Bクラスの桐山が立っていた。彼は学先輩の生徒会時代から生徒会に所属していた人物だが、学先輩の引退後は南雲の独裁政権に屈し、彼の派閥に取り込まれていたはずだ。
「……私に何か用か?」
「お前、南雲に何をした!?」
桐山先輩は血走った目で私を睨みつけ、肩で息をしながら詰め寄ってきた。
「合宿以降、南雲の様子がおかしい! 二年生全体を統率する覇気もなく、何かに怯えるように塞ぎ込んでいる! 今まではあいつの指示に従っていれば、俺は確実にAクラスで卒業できるはずだったんだ! それなのに……お前があいつを壊したせいで、俺の計画がめちゃくちゃになろうとしているんだぞ!!」
(…………は?)
私は内心で、深いため息を吐き捨てた。
(なんだこいつ。あれだけ『自分は堀北学を尊敬している』みたいな態度を取っておきながら、いざ学先輩が引退したら南雲の力とポイントに屈して、その傘下に入った。それだけでもダサいのに、今度は自分がAクラスで卒業できないかもしれない可能性が出た途端、全部俺のせいにして八つ当たりか?)
正直、呆れて言葉も出ない。
南雲雅という男は、人間性ややり方には大いに問題があるものの、二年生全体を恐怖とポイントで支配し、行動に移すだけの『実力』と『カリスマ』は確かに持っていた。
だが、目の前にいるこの男はどうだ。
自分では何も変えようとせず、学先輩にすがり、南雲にすがり、挙句の果てには自分の保身が崩れそうになったからと後輩に喚き散らす。本当に学先輩を尊敬しているのなら、なぜ南雲の独裁に真正面から立ち向かわなかったのか。なぜ、相馬先輩たちのように自分の足で戦おうとしなかったのか。
(他責思考の極みだな。実力もなく、覚悟もなく、ただ強い者に寄生して自分の利益しか考えていない。……南雲以下の、ただの小物だ)
私は静かに歩みを止め、見下すような、絶対的な零度の瞳で桐山先輩を射抜いた。
「――他者の足跡をなぞるだけで、頂に立てると錯覚していたのか」
「……な、なんだと……?」
私の圧倒的な冷気に当てられ、桐山先輩がたじろぐ。
「自らの足で歩くことすら放棄し、強者に寄生するしか能のない泥人形に、天を語る資格はない」
「お、俺は……!」
「――南雲の威を借り、安全圏から石を投げることでしか高みを目指せぬ者が、自分の無能さを環境のせいにしている暇があるのか。自らの手で盤面を動かす覚悟すらないのなら、お前はもう用済みだ。……その惨めな泥濘の中で、一生這いつくばっていることだ」
「…………っ!!」
私の傲慢でオサレな正論の刃が、桐山先輩の矮小なプライドを根元から叩き斬った。彼は顔を真っ青にして絶句し、その場に崩れ落ちるように立ち尽くした。
(ふぅ……。いくら何でも情けなさすぎて、ちょっと言い過ぎたかもしれないけど。でも、こういう寄生するだけの人間は一回完全にへし折っておかないと、後々面倒だからな)
私は内心で肩をすくめ、未だ動けない桐山先輩を一瞥することもせず、優雅な足取りで図書室へと向かった。
図書室の扉を開けると、いつもの特等席で読書に耽るひよりの姿があった。
窓から差し込む冬の夕日が彼女の銀糸のような髪をキラキラと照らし、その穏やかで美しい横顔は、まるで一枚の名画のようだった。
(ああ……大天使だ。桐山のせいでささくれ立っていた俺の心が、一瞬で浄化されていく……)
「お待ちしてました、惣右介くん」
私の足音に気づいたひよりが、ふわりと春の陽だまりのような笑みを浮かべる。
「――いや。君の待つ場所へ向かう足取りは、常に羽のように軽い」
私はオサレな言葉を紡ぎながら向かいの席に座り、彼女と共に静かで穏やかな読書の時間に身を委ねた。
それから数十分ほど経った頃だろうか。
静かな図書室に、二人分の控えめな足音が近づいてきた。
「……奇遇ね、藍染くん」
本から視線を上げると、そこにはDクラスの堀北鈴音と、その後ろで無表情を貫く綾小路清隆の姿があった。
(お! 清隆と堀北さんじゃん! 図書館デートか? 青春してるねぇ!)
私は内心で友人との遭遇を喜び、親しげに声をかけようとした。しかし、堀北は相変わらず殺意すら感じさせるような鋭い目で私を睨みつけていた。
「……体育祭の時は、私のクラスがあなたのクラスの足を引っ張るような形になってしまったわね。あの時は私自身の力不足で、クラスをまとめきれていなかった。……謝罪するわ」
堀北はそう言って、僅かにだが、確実に頭を下げた。
(おおお……っ!?)
私は内心で目を丸くした。
(あの、プライドが高くて絶対に自分の非を認めなかった堀北さんが、自分の力不足を認めて謝罪した!? すごい! めちゃくちゃ成長してるじゃないか!! さすがは学先輩の妹だ、この数ヶ月で確実にクラスのリーダーとしての自覚が芽生えている!)
私は彼女の目覚ましい精神的成長に、心からの拍手を送りたかった。
しかし、私が感動に浸る間もなく、堀北は訝しげに眉をひそめて言葉を続ける。
「……それから、一つ聞きたいのだけれど。あなた、合宿で池くんに何をしたの? 帰ってきてから真面目に勉強を頑張り出したのはいいことなのだけれど、……言動がひどくおかしくなっているのよ」
その予想外の追及に、私は激しく動揺した。
(池ぇぇぇ!!あの時はそんな兆候なかったじゃないか!?どんだけ潜伏期間長いんだよ!)
ひっそりと他クラスにまでパンデミックを起こしている自身のオサレ影響力に、私は心の中で盛大に頭を抱えた。
だが、そんな私の葛藤を知る由もなく、堀北はすぐに顔を上げ、挑戦的な瞳で私を真っ直ぐに射抜いた。
「――私が何かを与えたわけではない。彼自身が、真理の深淵を覗き込んだだけのことだ」
「……相変わらず、何を言っているのか全く分からないわね。まあいいわ。池くんの件は今度神崎くんにでも問い詰めるとして……」
私のオサレなはぐらかしに、堀北は呆れたように小さくため息を吐くと、再び強い意志を宿した瞳で私を見据えた。
「私はAクラスを目指すことを諦めたわけではないわ。これからはクラス全体を鍛え上げ、必ずあなたたちAクラスを引き摺り下ろして、私たちがAクラスに上がってみせる。覚悟しておきなさい」
(おお!いいねいいね! その闘志、素晴らしいよ! 俺たちAクラスも、全力で君たちの挑戦を受けて立つよ!)
私は堀北の成長を喜び、優しく激励の言葉をかけようと口を開いた。
しかし、絶対的な強者のエゴを持つ私の口から出力されたのは、あまりにも傲慢で残酷な魔王の宣告だった。
「――ようやく己の無力を悟ったか。……だが、泥濘に這う者が、ただ顔を上げただけで天に届くと錯覚するのは傲慢だ」
「……なっ!」
私の静かで、けれど圧倒的な圧力を持った言葉に、堀北の顔が怒りでサッと朱に染まる。
だが、私の口は止まらない。
「精々その無様な手を伸ばし、私の退屈を紛らわせてみせろ」
(ああああああああっ!! またやっちゃった!! なんでそういう上から目線の煽り度MAXの言葉に変換されるのォォォ!? ごめん堀北さん、俺本当は君の成長をすごく喜んでるんだよ!!)
私が内心で滝のような冷や汗を流していると、隣で静かに本を閉じたひよりが、ふわりと美しい微笑みを浮かべた。
そして、いつもの丁寧で愛らしい声音のまま、地獄のような『翻訳』を放った。
「『自分のクラスすらまとめられなかった無能さを自覚できたのは良いことですが、少し反省したからといって私たちAクラスに勝てるなどと勘違いしないでくださいね。あなた方の惨めな足掻きが、せめて私たちの退屈しのぎになることを期待しています』……と、惣右介くんは仰っています」
(ひよりさぁぁぁぁん!! やめてぇぇぇ! 堀北さんブチギレちゃうよ!!嘘でもいいから「応援してます」って言って!!)
「…………ッ!! 藍染惣右介ぇぇぇっ!!」
図書室に、沸点を超えた堀北の怒声が響き渡る。
「次の試験で、必ずその傲慢な鼻っ柱をへし折ってやるわ!!」
顔を真っ赤にして激怒する堀北に、私は急いで誤解を解くべく弁明しようと口を開いた。
「――覚えておくといい。如何に強い決意を身に抱こうと、単なる感傷で強者を屠る事など出来はしないのだと」
(あぁぁぁぁぁっ!! 『待って、誤解だ!』って言おうとしたのに!!俺の口はどうなってんの!?)
私の意思とは裏腹に飛び出したラスボスすぎるセリフに、堀北の表情がさらに怒りでピキリと歪む。
そこに、ひよりがとどめを刺すように、極上の微笑みと共に『翻訳』を重ねた。
「『怒りに任せただけの浅はかな覚悟で、私たちに勝てるなどと思い上がらないでくださいね。身の程を弁えずに吠えるのは見苦しいですよ』……とのことです」
(ひよりさぁぁぁぁん!? なんでそこにさらに致死量の猛毒をトッピングしちゃうの!? 堀北さんのライフはとっくにゼロだよ!!)
「…………ッ!!首を洗って待っていなさい!!」
般若のような顔になった堀北は、踵を返し、足音を荒立てて図書室から去っていった。綾小路は「やれやれ」といった様子で軽く会釈だけ残し、彼女の後を追っていく。
(……藍染惣右介。やはり恐ろしい男だ)
図書室を出ながら、綾小路は内心で極度の警戒心を強めていた。
(まさか、池を洗脳し、精神から完全に支配して自らの手駒にしているとはな。あのような特異な言動を刷り込むことで、池の唯一の長所であるコミュニケーション能力を意図的に封殺したということか。……おまけに、あえて堀北のプライドを粉々に打ち砕くような挑発を行い、彼女の闘争心を弄ぶかのように更なる精神的プレッシャーをかけていく。どこまでも底が見えない男だ)
そんな綾小路の深刻な勘違いなど露知らず――嵐のように去っていった二人の背中を見送りながら、私は頭を抱えた。
(なんで!? あんなに優しくて丁寧なひよりが、堀北さんに対してだけ当たりがキツすぎるんですけど!?)
私は隣で「ふふっ」と満足そうに微笑む大天使の横顔を見つめながら、必死に思考を巡らせた。
(普段のひよりは、俺の傲慢なポエムの裏にある『本心』を汲み取って、優しい言葉に翻訳してくれている。それなのに、堀北さんに対してだけはポエムそのままに、さらに致死量の毒を盛って翻訳している……。ひよりの翻訳精度が狂ったわけじゃないとすれば……まさか!?)
私は一つの恐ろしい仮説に行き着いた。
(俺自身すら意識していない深層心理――俺の奥底に潜む『藍染惣右介としての意思』が、堀北さんの闘争心に火をつけて更なる高みへと引き上げるために発露していて、ひよりはその俺のエゴを完璧に読み取って翻訳しているというのか……!?)
だとしたら、俺の内なる魔王のプロデュース能力と、それすらも完璧に理解するひよりの共鳴、恐ろしすぎるだろ……。
「どうしました、惣右介くん? ずっとページが止まっていますよ。……少し休憩して、別の本を探してきましょうか?」
「――いや。君と共に味わうこの静寂が、今の私には丁度いい」
私は内心の滝のような冷や汗を必死に隠しつつ、オサレな笑みを浮かべて、ひよりが選んでくれた本へとゆっくり視線を落とすのだった。