いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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六話

 高度育成高等学校に入学して、二日目の朝。

 

 私が割り当てられた真新しい学生寮の個室から学校へと向かう道すがら、既に私の周囲には目に見えない「強固な真空地帯」が出来上がっていた。

 

(……おかしい。絶対におかしいだろ)

 

 並木道を歩く生徒たちは、楽しげに新生活の期待を語り合っている。しかし、私の姿が視界に入るや否や、彼らは一様に息を呑み、まるで猛獣の檻の前に放り出された小動物のように道を譲るのだ。

 

 私はただ、指定された制服を乱れなく着こなし、普通に歩いているだけだというのに。

 

 その異様な空気は、1年Bクラスの教室に入っても全く変わらなかった。

 

 教室の中心では、一之瀬帆波というピンク色の髪をした美少女を中心に、朝から和気藹々とした笑い声が響いている。

 

「昨日はポイントで何買った?」

 

「ケヤキモールのアイス美味しかったよね!」

 

と、平和な高校生らしい会話だ。

 

 だが、私が教室の後ろのドアを開け、一歩足を踏み入れた瞬間――その喧騒は、水を打ったようにピタリと止まる。

 

「「「…………」」」

 

 クラスメイトたちの視線が、一瞬だけ私に向けられ、そして弾かれたように逸らされる。私が窓際の一番後ろの席に着くまでの十数秒間、教室の中はまるで時が止まったかのような、あるいは全員が息を止めているかのような、極度の緊張状態に陥っていた。

 

(昨日、一之瀬さんが自己紹介でフォローしてくれたじゃん! あの拍手は何だったんだよ! 結局、俺は今日も挨拶の一つすら誰とも交わしてないぞ!)

 

 内心で血の涙を流しながら叫びを上げるが、表面上の私は相変わらず「有象無象の騒音など耳に入らぬ」とでも言いたげな、底知れない冷徹な態度で頬杖をついている。いや、ついてしまうのだ。

 

 ふとクラスを見渡せば、一之瀬のピンク色の髪を筆頭に、青や金、あるいはそれ以上に鮮やかな髪色をした生徒たちがちらほらと目につく。

 

(それにしても、前から思ってたけど、現代日本にしてはカラフルな髪をしたやつが多いな……。最近の高校生の間では、こういう派手な染髪が校則で許されるのが普通なんだろうか。いや、国が主導しているエリート校だからこそ、個性の尊重というやつか?)

 

 私がそんなことをぼんやりと、いかにも一般人らしい思考で考えている間にも、クラスメイトたちは「あの藍染が、獲物を見定めるような目でこちらを見ている……!」と勝手に勘違いし、さらに体を強張らせていく。

 

 やがて一時間目の数学の授業が始まった。

 

 教壇に立つ教師が、黒板に数式を書き連ねていく。しかし、藍染惣右介としての圧倒的な頭脳を持つ私にとって、高校一年生レベルの数学など、赤子の積み木遊びにも等しい。

 

(暇だ……。死ぬほど暇だ。誰かプリント見せてとか、消しゴム貸してとか話しかけてくれないかな……)

 

 退屈を紛らわすために窓の外の雲を眺めていると、運悪く教師と目が合ってしまった。

 

 教師は「藍染、ここの問題の答えを言ってみろ」と、少し威圧的に当ててきた。私は立ち上がり、当然のように正解を口にしようとした。

 

 ――しかし、あの「呪い」が発動する。

 

「――答えは『4』だ。……だが先生、そのような底の浅い数式で世界を定義できると思い込むのは、酷く滑稽なことだとは思わないか? ……真理とは常に、君たちの見上げることすら叶わぬ高みに存在しているのだから」

 

(うわあああああああ!! ただ答えを言うだけでよかったのに! なんで教師相手に世界の真理を語り始めちゃってんの俺!!)

 

 教師は顔面を蒼白にし、震える手でチョークを落とした。

 

 クラスメイトたちは「あの教師を言葉だけで制圧した……」とさらに私への畏怖を深める。

 

 話しかけようと口を開けば、勝手に「傲慢なポエム」が出力される。この呪いの装備がある限り、私はひより以外の人間とまともに会話ができる気が全くしなかった。

 

 そうして、孤独と絶望の授業時間をなんとか耐え抜き、終礼のチャイムが鳴り響く。

 

 その瞬間、私は誰よりも早く、かつ極めて優雅な足取りで教室を後にした。向かう先はただ一つ、私の魂の安息地である図書室だ。

 

 古びた紙の匂いと、静寂が支配する図書室。

 その奥の扉を開けると、窓際の一番奥の席に、既に銀色の髪を揺らす少女の姿があった。

 

 テーブルの上には、彼女が用意してくれたのであろう私の分の文庫本が、几帳面に置かれている。その光景を見ただけで、一日中凍りついていた私の心が、春の陽光を浴びた氷のように溶けていくのが分かった。

 

「待たせたね、ひより」

 

「あ、惣右介くん。お疲れ様です」

 

 ひよりはいつものように、ふわりとした、まるで天使のような優しい微笑みを向けてくれた。

 

 私は彼女の向かいの席に静かに腰を下ろし、一度深く、本当に深く息を吐く。

 

「……惣右介くん? なんだか、少しお疲れのようですが……。初日から、何かありましたか?」

 

「……いや。ただ、この世界の色のなさに、少々辟易していただけだよ。群れることでしか己を保てない羊たちの鳴き声には、どうにも耳が慣れなくてね」

 

 私の(不本意な)ポエム混じりの言葉に、ひよりは一瞬小首を傾げた後、

 

「ふふっ、クラスで少し退屈されてしまったんですね」

 

と、事も無げに返した。

 

 驚くべきことに、彼女は私の歪な言葉の裏にある「ぼっちで暇だったし寂しかった」という本心を、まるで高度な暗号解読機のように正確に読み取っている。彼女のこの翻訳スキルには、本当に頭が下がる思いだ。

 

「……ところで、ひより。君のいる『庭』はどうだい? 君という美しき大輪を育むに足る、肥沃な土壌であってくれればいいのだが」

 

 私が話題を変えようと問いかけると、ひよりは一瞬、困ったように細い眉を下げて目を伏せた。

 

 いつも本を読んでいる時の楽しげな彼女とは違う、明らかな陰り。

 

「……私のクラス、ですか。……そうですね、あまり私には、合わない場所かもしれません」

 

「……ほう?」

 

「騒がしい方が多いんです。授業中も立ち歩く人がいたり、急に怒鳴り声が聞こえたり……。本のページをめくる音すら、かき消されてしまうような。……少し、落ち着かない場所ですね」

 

 ひよりが所属するCクラス。

 

 不良のような、気性の荒い生徒が多いのだろう。彼女のような穏やかで知的で、争いを好まない少女が、そんな野蛮な連中に囲まれて小さくなっている。机を蹴る音や怒号に、この細い肩を震わせているのかもしれない。

 

 その想像に至った瞬間、私の内心で猛烈な保護欲と、静かな怒りが爆発した。

 

(俺の……俺の唯一の親友であるひよりに、怖い思いをさせるなんて絶対に許さん! 決めた。一刻も早く、ひよりを俺の隣に呼び寄せなきゃダメだ!)

 

 私は学生証の役割を果たす端末を取り出した。

 

 画面をタップすると、そこには昨日、私が教師との「交渉」で手に入れた300万ポイントが表示されている。ひよりの分と合わせれば、現在の合計で600万ポイントだ。

 

「――案ずることはないよ、ひより」

 

 私は端末をテーブルに置き、瞳に絶対的な意志を宿した。

 

 そして、ひよりの手の甲に軽く、本当に軽く触れるようにして言い放った。

 

「君がその泥濘の中で、下等な羽虫の羽音に煩わされる必要はない。……私が、君のために新たな玉座を用意しよう」

 

「玉座……? 惣右介くん……?」

 

「二千万。……この学校において、己の望む居場所を買い取り、世界を塗り替えるために必要な対価だ。今の私たちには途方もない数字に見えるかもしれないが……案ずるな。私と君、二人の力を合わせれば、その高みへ至る道筋など、既に私の掌の上にある」

 

 私が熱を込めて語ると、ひよりは驚いたように大きな瞳を見開き、それから私の決意の深さを感じ取ったのか、嬉しそうに、ほんのりと頬を桜色に染めて微笑んだ。

 

「……二千万。……惣右介くんと同じクラスに行くための、切符ですね。一人で貯めるのは絶対に無理だと思っていましたけど……惣右介くんと二人で協力すれば、きっといつか……」

 

「ああ。……君のいない教室は、私にとってはただの虚無に過ぎない。……共に歩もう、ひより。この偽りの楽園で、真実の場所を手に入れるために」

 

「……はい。私も、惣右介くんのお力になりたいです。微力かもしれませんけど、二人で頑張りましょうね」

 

 こうして、私たちは密かに「二千万ポイント獲得・ひより救出作戦」という、この実力至上主義の学校の根幹を揺るがすような契約を、夕日差し込む図書室で交わしたのだった。

 

 重厚な誓約が終わると、私たちはいつものように、穏やかな読書の時間へと移った。

 

 今日のひよりは、昨日の支給ポイントを使って買ったのであろう、装丁の美しい海外の古典ミステリー小説を読んでいた。

 

「この本、とても面白いんですよ。登場人物の誰もが怪しくて……犯人が誰か、惣右介くんも推理してみますか?」

 

「……フッ。結末の見えている物語ほど、退屈なものはないが……。君が勧めるのであれば、その精巧な『嘘』を暴く愉しみも悪くないね」

 

 私の藍染スペックならすぐに犯人を特定できてしまうが、ひよりと一緒に「あのアリバイが怪しいですね」「いや、それは作者のミスリードの可能性が高い」などと、ああでもないこうでもないと語り合うプロセスそのものが、私にとっては至上の喜びなのだ。

 

 私たちはその後もしばらく、取り止めのない本の話や、敷地内にあったお洒落なカフェの話題、そして二人で回し読みした思い出のファンタジー小説の話などで、穏やかに時間を過ごした。

 

 窓の外では、夕日が地平線に沈み、空が美しい紫と茜色のグラデーションを描き始めている。

 

 クラスで完全に孤立し、周囲から得体の知れない魔王として恐れられようとも。

 

 この静かな空間で、ひよりの穏やかな声を聞き、彼女の銀色の髪が夕風に揺れるのを見ているだけで、私の日常は十分に救われていた。

 

(2000万ポイントか。普通の日本なら郊外に家が建つような大金だけど……この学校の『Sシステム』には、必ず抜け穴がある。上位クラスの連中の動向を探りつつ、俺のスペックをフル稼働させれば、案外早く貯まるかもしれないな)

 

 私はページをめくるふりをしながら、密かに次の策を練る。

 

 一方、ひよりはひよりで、惣右介が自分一人のために途方もない行動を起こそうとしてくれていることに、深い信頼と、親愛の情を寄せていた。

 

「……惣右介くん」

 

「何だい?」

 

「……いえ。高校でも、こうして一緒にいられて、本当に良かったです」

 

「――。……全くだ。……運命というやつも、たまには粋な計らいをするものだ」

 

 ポエム自動変換のせいで、少し気障で演劇めいたセリフになってしまったが。

 

 それでも、私の本心が半分以上混ざっていることは間違いなかった。

 

 最強のスペックと呪いの装備を持ちながら、親友との平穏な時間を何よりも愛する転生者。

 

 彼の「ひより救出作戦」は、今、静かに動き出した。

 

(まずは、明日の日用品の買い物だな。ひよりに似合う、可愛いウサギ柄のブックカバーでもプレゼントしてやるぜ! )

 

 内心でのささやかな、そして高校生らしい野望を抱きながら、藍染惣右介は夕暮れの図書室で、彼女に向けて静かに微笑むのだった。

 

 

 

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