いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
南雲が過去の過ちを悔い改め、真の意味で生徒会長としての道を歩み始めてから、生徒会の空気は劇的に改善された。
彼本来の事務処理能力と統率力が遺憾なく発揮され、滞っていた業務は瞬く間に消化されていく。桐山はいまだに私へ恨みがましい視線を向けてくるものの、南雲の完璧な手綱捌きによって実害が出るような行動は封じられており、私の生徒会における負担は大幅に軽減されていた。
クラス内においても、二月末の学年末試験に向けた勉強会が連日開かれ、充実した日々が続いていた。
当然、息抜きとしてひよりとケヤキモールにデートに出かける時間も十分に確保できた。バレンタインの手作りチョコのお返しに何をプレゼントすれば喜んでくれるだろうかなどと、平和な悩みに頭を抱えながらも、私の心は穏やかな春の陽気に包まれていた。
そして迎えた二月末の学年末筆記試験。
日頃からの『Aクラス』としての高い意識と、一之瀬を中心とした徹底したサポート体制の甲斐もあり、我がクラスからは当然赤点を取る者は一人も出ず、無事に退学者ゼロでこの関門を乗り切ることに成功した。他クラスも同様に退学者は出なかったようだ。
だが、その安堵の直後。
生徒会室で、私は南雲から、一般生徒にはまだ通達されていない一つの重大なニュースを聞かされていた。
「――坂柳理事長が、何らかの不正疑惑により一時的に失脚したそうだ」
南雲の口から告げられた言葉に、私は微かに目を細めた。
「代わりに、月城という男が『理事長代理』として就任することになったらしい。……だが、どうにも腑に落ちないな」
南雲は腕を組み、険しい表情で忌々しげに息を吐いた。
「生徒会の業務で俺も何度か言葉を交わしたが、あの人は教育者としての確固たる信念を持った立派な大人だ。そんな人物が、この唐突なタイミングで失脚だと? ……裏で何らかの力が働いているとしか思えない」
南雲もまた、この不可解な人事異動に、えも言われぬ不穏な気配を感じ取っているようだった。
(……南雲の言う通りだ。俺の印象からしても、あの人が不正を働くなど到底考えられない)
私は内心で南雲の意見に深く同意しながら、静かに思考の海へと沈む。
(不自然に挿げ替えられた学校のトップ。ただの偶然とは考えにくいな……)
そして、三月一日。月曜日。
私たちの胸騒ぎを肯定するかのように、学校側から『学年末特別試験』の実施が予告された。
放課後。いつものように私の部屋には、一之瀬、神崎、そしてひよりが集まり、今後の対策についての話し合いが行われていた。
「――まだ特別試験の具体的な内容は分からないけど、『学年末』って銘打たれてる以上、かなり大きなクラスポイントが動く可能性があるね」
一之瀬がテーブルの中央に置かれたタブレットを見つめながら、真剣な表情で推測を述べる。
私の隣に座るひよりも、静かに頷いてそれに同調した。
「はい。現在、私たちはBクラスに二百ポイントほどの差をつけて首位に立っていますが……この試験の結果次第では、その差がひっくり返る可能性も十分にありますね」
二人の言葉に、腕を組んでいた神崎がゆっくりと目を開いた。
「……だが、我々が為すべきことは変わらない。いかなる理不尽な嵐が吹き荒れようとも、揺るがず己の『魂の刃』を磨き続けるだけだ。……いや、今まで通り基礎力を高めるだけだな。すまない」
神崎が真面目な顔で言い切った直後、ハッと我に返ってコホンと咳払いをした。
すかさず、一之瀬が呆れたようなジト目を向けてツッコミを入れる。
「ちょっと神崎くん。また変な言葉交ざってたよ?あんなに注意したのに、まだ抜けてないの?」
「くっ……すまない、一之瀬。自分でも気をつけて、だいぶ治まってきたつもりだったんだが……藍染が近くにいると、深淵なる思考回路に接続しようとする癖が……」
(『深淵なる思考回路』ってなんだよ!? ただの痛い厨二病ポエムを勝手にカッコいいシステムみたいに命名しないで!?俺のせいで真面目だったお前の言語野に消えないバグを残してしまったという罪悪感と、それを容赦なく抉ってくる一之瀬の的確なツッコミ……! 頼むから俺の目の前でそのやり取りはやめてくれ、胃に穴が開きそうなんだよ!)
私は内心で致命的な精神ダメージと罪悪感に悶えつつも、何とか完璧なポーカーフェイスを保ち、神崎の失態を上書きするように優雅に紅茶のカップを傾けた。
「――嵐の前の静けさに身を委ねる愚を犯すつもりはない。今はただ、足元の土を固め、己の牙を研ぎ澄ますことだけが、我々に許された唯一の備えだ」
私が端的に告げると、ひよりがパァッと花が咲くような笑顔で翻訳を入れた。
「『試験の説明があるまでは、これまで通り基礎力の向上に努めるしかないですね』とのことです!」
「うんっ、そうだね! 藍染くんの言う通り、今は自分たちにできることをしっかりやっていこう!」
ひよりの完璧な翻訳のおかげで、一之瀬も元気よく頷き、私たちの意思は一つにまとまった。
しかし――翌日、三月二日のホームルーム。
教壇に立った担任の星之宮先生は、いつものおちゃらけた態度は影を潜め、これまでにないほど重く、難しい顔をしていた。
「みんな、おはよう。……今日は、みんなに大事な話をしなければならないの」
彼女のその沈痛な面持ちに、クラスの空気が一瞬にして張り詰める。
「学年末特別試験の前に、もう一つ……新たな特別試験が追加されることになったわ。試験の名前は『クラス内投票』。投票日は、今週末の三月六日よ」
星之宮先生の口から告げられたその試験のルールは、あまりにも理不尽で、悪意に満ちたものだった。
一、自分以外のクラスメイト三名に『賞賛票』を投じること。
二、自分以外のクラスメイト三名に『批判票』を投じること。
三、クラス外の生徒一名に『賞賛票』を必ず入れること。
四、同一人物への複数回の記入、無記入、棄権は一切認められない。
五、賞賛票と批判票は相殺され、各クラスで賞賛票が最も多かった首位生徒には、退学を一度だけ無効化できる『プロテクトポイント』が与えられる。
六、批判票が最も多く、最下位となった生徒は――『退学処分』となる。
「……なお、投票数は公開されるけれど、誰が誰に投票したかという内訳までは非公開よ。もちろん、投票の途中経過も発表までは分からない。全員がゼロ票という結果になった場合は、違う結果になるまで再投票を繰り返すわ。同率首位、同率最下位が出た場合は決選投票。それでも同率の場合には、学校が用意した『特殊な方法』で優劣を決めることになっているの」
ルールの説明が終わった瞬間、教室の中は水を打ったような静寂に包まれ、直後に爆発的な動揺が走った。
「た、退学!? なんで急にそんな……!」
「批判票って……クラスの中から生贄を選べってことかよ!?」
誰もがパニックに陥り、隣の席の生徒と不安げに顔を見合わせている。
私は静かに目を閉じ、頭の中でこの悪辣なルールの意図を高速で分析していた。
(……学校側の建前は『今まで退学者が出ていないから、その特例措置』だったな。だが、優秀な人材が多く残り、競争が白熱していること自体は、学校にとっても大きなプラスのはずだ。それをわざわざ自分たちの手で削り落とすなど、真っ当な教育機関のやることではない)
(確かに、学校が望むクラス間闘争を成立させるために、『裏切り者を排除できる試験』が来るかもしれないとは、予測していた。だが……まさかこれほど強制的で理不尽なものだとは思わなかった)
(ルール上、二千万のプライベートポイントによる救済以外に、退学を阻止する方法が一切存在しない。そんなものはもはや『試験』とは呼べないだろう。仮にこのルールが、クラスを裏切るような不良債権を排除するためのものだとするならば、逆に言えば『排除すべき生徒がいないクラス』は、退学者を出さないように立ち回れるようなシステムになっていなければおかしい)
(だが、実際は違う。現状のポイント支給額から考えれば、CクラスとDクラスはどう足掻いても二千万ポイントなど用意できない。完全に、誰かを犠牲にするよう強要する悪意ある仕組みになっている)
(拒否される可能性は高いが……これには生徒会として、学校側に異議申し立てをするしかないな)
私は思考をさらに深海へと沈める。
(……いや、待てよ。理事長が月城という男に代わってすぐのタイミングで、この理不尽な試験だ。……この試験の強行には、体制の変化に伴う何か『別の目的』が隠されていると見るべきか?)
私が冷静に状況を俯瞰していると、ガタッ! と大きな音を立てて、一之瀬が立ち上がった。
「みんな! 聞いて!」
彼女の凛とした声が、教室内のざわめきを一瞬で断ち切る。
「……こんなルール、絶対におかしい。誰か一人を犠牲にして、残りのみんなが生き残るなんて、そんなの私たちの『Aクラス』じゃない! 私は、このクラスから誰一人として退学者を出したくない!」
一之瀬はクラスメイト全員を真っ直ぐに見渡し、強い決意を込めて宣言した。
「この学校には『二千万プライベートポイントを支払うことで退学を取り消せる』という救済措置があるの。……みんなが今まで貯めてきたポイントを使って、退学者が出ないようにしたいの!」
その言葉に、クラスメイトたちはハッとしたように顔を上げた。
Aクラスは元々、一之瀬の呼びかけによって万が一の事態に備え、毎月『クラス貯金』を行ってきた。それに加えて、船上試験や混合合宿など、これまでの数々の特別試験で得たプライベートポイントの報酬も全てクラス貯金に回している。そのため、この時点でクラスの共有口座にはすでに二千万近いポイントが貯まっていたのだ。
「今のクラス貯金の総額なら、あと百万ポイントほどで二千万ポイントに届く。でも……この理不尽な試験を確実に乗り越えるため、そして、今後またこういう事態が起きた時のためにも、ある程度の余裕を残した状態でクラス貯金に回してほしいの」
一之瀬はクラスメイトたちを見渡し、少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「みんなが個人的に欲しいものを我慢して節約してくれていた大切なポイントを、ここでクラスのために手放してもらうことになっちゃうし、すごく負担をかけちゃうと思うんだけど……ごめんなさい」
彼女が深々と頭を下げようとしたその時、真っ先に明るい声を上げたのは柴田だった。
「謝らないでくれよ、一之瀬! 俺たちAクラスの仲間が助かるなら、安いもんだぜ!」
続いて、網倉も笑顔で大きく頷く。
「そうだよ! 帆波ちゃんが普段から呼びかけてくれてたおかげで、私たちのクラスの生徒はみんなそれなりに貯金してるから安心して!」
二人の温かい言葉に、腕を組んでいた神崎も力強く同意した。
「ああ。一之瀬や藍染のおかげで、我々はこれほどまでに強固なクラスポイントを積み上げることもできた。他のクラスの生徒よりも、我々の『魂の宝物庫』には圧倒的な余裕がある。……いや、圧倒的にポイントの余裕があるな」
(神崎……! お前、こんなクラスの団結を見せる感動的なシーンでもまだそのオサレ後遺症引きずってんのかよ! 『魂の宝物庫』ってなんだよ! 頼むから空気読んで普通に喋ってくれ!)
私が内心で盛大にツッコミを入れて精神をすり減らす中、一之瀬は両手で口元を覆い、ホロリと安堵の涙をこぼした。
「みんな……本当に、ありがとう……っ!」
その後、クラス全体での話し合いの結果、とりあえず全員から一律で十万ポイントずつを徴収することに決まった。必要な百万ポイントを差し引き、余った三百万ポイントはそのまま今後のためのクラス貯金に回す計算だ。
星之宮先生が驚いたように目を丸くして見守る中、一之瀬の端末へとクラスメイトたちのプライベートポイントが次々と送金されていく。
そして――。
「……集まった。二千万ポイント、達成したよ……!」
その瞬間、教室内は割れんばかりの歓声と、安堵の溜息に包まれた。誰かを陥れるための疑心暗鬼に飲み込まれることなく、Aクラスは完璧な結束力によって、この理不尽な生贄の儀式を『退学者ゼロ』で乗り切る権利を勝ち取ったのだ。
ホームルーム終了直後、私はすぐさま生徒会室へと足を運んでいた。
目的は一つ。南雲生徒会長に今回の特別試験の異常性を共有し、生徒会として学校側に異議申し立てを行うためだ。
「……なるほどな。確かに、この試験はあまりにも理不尽で悪意が強すぎる」
南雲もまた、私の報告に険しい表情を浮かべ、すぐさま行動を起こしてくれた。
私たちは連れ立って職員室へ赴き、一年生の学年主任である真島先生に直談判を行った。
真島先生を前に、私はまず生徒会副会長としての疑問を、極めて傲慢な響きを持たせて突きつけた。
「――盤上の瑕疵を弾き出すための篩が、この箱庭のシステムに元より組み込まれているということかな? ……ならば、理に合わない。切り捨てるべき不出来な駒が存在しない、完璧な統率を見せるクラスに対しては、血を流さずとも乗り越えられる盤面を用意して然るべきだろう。法外な対価でしか破滅を逃れられないなど……そんなものは試練ではなく、ただの理不尽な処刑に過ぎない」
(訳:裏切り者を排除する試験が元々組み込まれてたってことですか? それなら、排除すべき生徒がいないクラスは退学者を出さずにクリアできるルートがあるべきですよね? 回避方法がポイントの支払いしかないなんて、こんなの試験とは呼べないでしょう!)
私の不遜な物言いにも真島先生は表情を崩さなかったが、続いて南雲が生徒会長として一歩前に出た。
「いや、俺たちが一年生の時は、こんな試験は行われませんでした。……先の学年の詳細は言えませんが、これと似たような試験は存在するにせよ、ここまで理不尽なものではない。赤点での退学や、特別試験のペナルティによる退学なら、その生徒に実力がないと判断されるため理解もできます。ですが……こんなものは、到底『試験』とは呼べません」
生徒会長としての矜持を込めた、正論による痛烈な抗議。
(南雲ォォォ!! お前、本当に立派になって……! これだよこれ、生徒会長の鑑じゃないか!!)
私は内心でハンカチを噛み締めながら男泣きし、南雲の成長に激しく感激しつつ、真島先生の反応を待った。
しかし。
「……お前たちの言い分はもっともだ。だが、この決定を覆すことはできない」
真島先生は、まるで自分の意思とは無関係な決定を押し付けられたかのような、苦虫を噛み潰した表情を浮かべて、首を横に振った。
その反応と、先ほどの南雲の言葉を聞いて、私は生徒会室からの帰り道、静かに思考を組み直していた。
(……なるほどな。真島先生のあの反応。どうやら、俺の思い違いだったようだな)
学校側が『裏切り者を排除できるような試験』を最初からカリキュラムに組み込んでいたのだとばかり推測していた。だが、現場の教師陣の様子を見るに、こんな理不尽な生贄の儀式を良しとしているとは思えない。
となると、導き出される答えは一つ。
(この試験は、新しく赴任してきた月城理事長代理が、自身の強大な権力を行使して独断で強行したものだと見て間違いないだろう。……だとしても、彼が一体何の目的でこんな暴挙に出た?)
溜め込んだ膨大なプライベートポイントを回収することが目的なのだろうか。
(いや、それならば一年生だけでなく、全学年を対象に実施するはずだ。一年生にだけ強行したということは……確実に退学者が出るであろうCクラスか、Dクラスのどちらかに『何としても退学させたい生徒』がいるのか……? だが、これ以上は情報が足りないな)
未だ晴れぬ盤上の霧に思考を巡らせながら、私は自室への帰路についた。
そして、その日の夜。
私の部屋のソファーには、安堵から完全に肩の力が抜けた一之瀬と、優しく微笑むひより、そして神崎が座っていた。
「本当に、退学者が出なくて良かった……。今まで、みんなで貯金してきて、本当に良かったね」
温かい紅茶を両手で包み込みながら、一之瀬が心底ホッとしたように呟く。
「はい。帆波ちゃんの呼びかけに、クラスの全員が迷わず応えてくれたこと……私たちのクラスの絆の強さを、改めて感じました」
ひよりも嬉しそうに頷き、紅茶に口をつけた。
和やかな空気が流れる中、私は一人、思考の海に沈んでいた。
(うちのクラスから退学者が出ないことは、間違いなく最善の結果だ。だが……この理不尽な試験、他のクラスはどうなる?)
龍園が一時的に身を引き、まとまりを欠いているCクラスや、最下位に沈んでいるDクラスは、二千万ポイントという莫大な金額を用意できるはずがない。間違いなく、あの二つのクラスからは退学者が出る。
では、すぐ後ろに迫るBクラスはどうだ?……あの坂柳有栖が、莫大なプライベートポイントを削ってまで、底辺の生徒を救うとは思えない。むしろ、この機会を利用して『不要な生徒』や『裏切る可能性のある生徒』を合法的に切り捨てる選択をするかもしれないな
各クラスで間違いなく血みどろの足の引っ張り合いが起きているはずだ。
(今回、クラスメイトの命を繋ぐために、虎の子であった二千万プライベートポイントを完全に吐き出すことになってしまった。ということは、次に控えている『学年末特別試験』では、ポイントによる救済はもう使えないし、ポイントを使うような戦術を取ることも厳しくなる。……俺たちは強力な手札を一枚失った状態で、最終決戦に挑まなければならないということだ)
だが、それでも。
クラスメイトの誰かが欠けた状態で頂点に立っても、そこには何の価値もない。
私は静かに目を開き、前を向く三人の仲間たちを見据えた。
「――我々の箱庭から、理不尽なる贄を差し出す愚行は回避された。ならば次に為すべきは、宙に舞う審判の欠片を、如何にして我々の望む盤上へと支配し、配置するかだ」
「『退学者を出さないことは決まりましたので、次は票の割り振りをどうコントロールするかですね』とのことです!」
ひよりの完璧な翻訳に、一之瀬が真剣な表情でコクリと頷く。
「うん。私たちのクラスは退学者がゼロになるから、誰に批判票を入れてもペナルティは無いんだけど……賞賛票に関しては、やっぱりプロテクトポイントを獲得できるチャンスだし、ここは藍染くんに集めるべきだよね?」
(いや、俺にはそのポイントは不要だ。そもそも俺の『藍染スペック』をもってすれば、どんな試験であろうと退学圏内に落ちるようなヘマは絶対にしない。それに――)
私は静かに思考を巡らせ、全体の動向を分析する。
(この試験において、他クラスからの『クラス外賞賛票』の行方は非常に重要になる。現状、龍園が失脚したCクラスやまとまりのないDクラスは、クラス外への票を戦略的に固めるような余裕はないはずだ。となれば、彼らの浮動票は自然と、学年全体から人望の厚い一之瀬へと集まるだろう)
私は小さく首を振り、一之瀬の提案を却下した。
「――絶対の頂に座す者に、かりそめの盾など不要だ。……それに、星々が迷い、己の軌道を外れた時、彼らが惹かれるのは圧倒的な暗闇ではなく、全てを包み込む柔らかな光のはずだ。この混沌とした星々の海を導く道標たる君こそが、自然と加護を纏う結末になるだろう」
「『私は退学になるようなことはないので大丈夫です。それに、CクラスやDクラスはクラス外賞賛票を固める余裕がないので、人望のある帆波ちゃんに自然と票が集まって、きっと帆波ちゃんが一位になりますよ』とのことです!」
私が威風堂々と告げると、ひよりがクスッと小さく笑いながら完璧な翻訳を披露した。
「そっか……。うん、もし私がプロテクトポイントを貰えるなら、今後の試験でクラスのために有効活用させてもらうね」
一之瀬が納得したように頷くと、今まで静かに話を聞いていた神崎が、ゆっくりと口を開いた。
「確かに、賞賛票の首位はそれで問題ないだろう。……だが、批判票の首位は俺に集めてくれ」
「えっ? 神崎くんに? ……本当にいいの?」
一之瀬が驚いて聞き返すと、神崎は腕を組んだまま、毅然とした態度で頷いた。
「ああ。いくら退学者が出ないことが確定しているとはいえ、各々が好きに投票した結果、偶然『批判票第一位』になってしまった生徒は、精神的に大きなダメージを負うだろう。……ならば、最初から俺がその泥を被ると決めておき、票を完全にコントロールした方がクラスの不和を招かずに済む」
(――っ!! 神崎ィィィッ!!)
私は内心で、神崎のあまりの男気にスタンディングオベーションを巻き起こしていた。
(お前……なんて最高にカッコいい漢なんだ!! 自分の身を挺して、クラスメイトの精神的ダメージを引き受ける覚悟! これぞまさに副官の鑑!!)
私は感激のあまり打ち震えそうになるのを強靭な精神力で抑え込み、彼への敬意を込めてオサレに激励した。
「――フッ。自ら深淵の泥を被り、仲間の魂を守り抜くか。……その気高き覚悟、確と私の眼に焼き付けよう」
(訳:神崎、お前めっちゃカッコいいな! その覚悟、しっかり受け止めたぜ!)
私の賞賛に対し、神崎はフッと短く笑い、目を閉じて応えた。
「――案ずるな。俺は理想郷を護る絶対の盾。……いかなる悪意の雨も、俺の『魂』を錆びつかせることなどできはしない」
「…………っ!!」
神崎の口から飛び出した、完璧すぎるオサレ返し。
その瞬間、一之瀬の眉間がピクッと激しく痙攣した。明らかに強烈なツッコミが喉の奥まで出かかっていたが……今回ばかりは神崎がクラスのために一番の貧乏くじを引いてくれたこともあり、一之瀬はブルブルと震えながら必死にそのツッコミを飲み込んでいた。
(一之瀬……! 偉いぞ、よく耐えた! 俺も神崎の男気に感動していたのに、最後のオサレワードで全部持ってかれそうになったけど、今は突っ込まないのが優しさだ!)
そんな私と一之瀬の葛藤をよそに、ひよりがふわりと微笑んで神崎に向かって頭を下げた。
「神崎くん、クラスのみんなのために……本当に、ありがとうございます」
「いや、気にするな。俺がやるべき仕事だ」
神崎は(オサレな後遺症を除けば)相変わらず頼もしい表情で頷いた。
これで自クラスの票の割り振りは決まった。すると、ひよりが今度は手元のメモ帳を見つめながら議題を移す。
「残る問題は、クラス外の生徒一名に入れる『賞賛票』ですね。私たちが取れる戦術としては……他クラスの批判票を集めて退学しそうな生徒を敢えて救済するか、もしくは、Bクラスの坂柳さんにプロテクトポイントが渡らないように、他の生徒に票を集めるくらいでしょうか?」
(ひよりの言う通りだな。取れる手といったら、大体その二択になる)
私は内心で同意しつつも、現状ではまだ情報が不足していると判断した。
「――盤上の霧は未だ晴れず、他者の描く軌跡は見えない。虚空に矢を放つより、敵の動きを見定めてから弓を引くのが最善だ」
「『他クラスがどう動くかまだ分からないので、誰に票を入れるかはギリギリまで様子を見て決めましょう』とのことです。……確かに、急いで決める必要はありませんね」
ひよりが翻訳して納得すると、一之瀬も「そうだね」と同意した。
だが、その瞳にはどこか沈んだ色が浮かんでいた。
「……本当は、他クラスの生徒でも、誰一人退学者が出なくて済むのが一番なんだけどね」
一之瀬の優しすぎる本音。だが、この高度育成高等学校において、その理想はあまりにも遠い。
「そういう試験だからな。俺たちが全員を救うことはできない」
神崎が、一之瀬の感傷を断ち切るように、静かに、しかし力強く告げた。
「少なくとも、俺たちのクラスからは退学者が出ない。今は、その事実だけを喜ぶべきだ。他クラスの心配をしている余裕はないぞ」
「……うん。そうだね、神崎くんの言う通りだ!」
一之瀬は両手でパァン! と自分の頬を叩き、気合いを入れ直すように表情を引き締めた。
「『学年末特別試験』では、もうプライベートポイントでの救済はできないから、ルールがどうなるかは分からないけど、今まで以上に気を引き締めていかないとね!」
「はいっ。みんなで力を合わせて、絶対に乗り越えましょう!」
ひよりも力強く一之瀬を励まし、私たちの意思は再び一つにまとまった。
こうして、今後の大まかな方針と覚悟を共有したところで、今日の話し合いは解散となった。一之瀬と神崎が部屋を後にし、静寂が戻ってくる。
「ふふっ。神崎くん、なんだか少しずつ惣右介くんに似てきましたね?」
テーブルの上に出していたお茶菓子やカップを片付けながら、ひよりが楽しそうにくすくすと笑った。
「……あれは不慮の事故だ。私の与り知る所ではない」
私がやれやれと肩をすくめると、ひよりは「そういうことにしておきますっ」と微笑み、新しい紅茶を淹れてソファーの私の隣へと腰を下ろした。
窓の外はすっかり暗くなり、部屋の中には温かい紅茶の香りが漂っている。
理不尽な悪意に満ちた特別試験の足音が迫る中――私とひよりは、嵐の前の静けさを楽しむように、二人きりの穏やかで甘いティータイムを過ごすのだった。