いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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六十二話

 翌日。三月四日の放課後。

 理不尽な『クラス内投票』の実施が発表されてからというもの、校内はどこか重苦しく、ピリピリとした空気に包まれていた。

 

 各クラスが生き残りを懸けた裏工作や話し合いに奔走する中、私はホームルームが終わるや否や、一人で足早に廊下を歩いていた。

 

 向かう先は一つ。理事長室だ。

 

(……真島先生たち教師陣が手出しできないって言うなら……このふざけた試験を強行した張本人である月城に、直接文句を言いに行くしかないよな)

 

 私は内心で静かに怒りを燃やしつつ、理事長室へと到着した。

 コンコン、と短くノックし、返事を待たずに扉を開ける。そこには、執務デスクに優雅に腰掛ける月城の姿があった。

 

「……おや。生徒会副会長の藍染惣右介くん。私に何かご用ですか?」

 

 胡散臭い笑みを浮かべる月城に対し、私は鋭い眼光を放ちながら、傲慢なオサレポエムを突きつけた。

 

「――盤上を荒らす見え透いた手口だな。君とその背後に潜む『あの男』の矮小な思惑など、私の目にはとうに透けて見えている。そもそも、この程度の児戯で清隆を虚空へ堕とせるとでも錯覚しているのか?」

 

(訳:このふざけた試験はあんたとそのバックにいる清隆の親父の思惑らしいな。そもそもこんな試験で清隆が退学になるとでも思ってるのか?)

 

「…………?」

 

 月城は一瞬だけ虚を突かれたように目を瞬かせた。しかし、すぐさま私が放つただならぬ威圧感を肌で感じ取り、その難解な言葉の意味を脳内で高速で反芻し、整理する。

 

「……何のことでしょうか? この学校は、退学者が出るという危機感があることで生徒の成長を促進しています。この学年では未だ退学者が出ておらず、それが成長の妨げになっていると判断したまでです」

 

(白々しい嘘をつきやがる。確かに成長には危機感があることは大事な要素だ。だが、こんな理不尽な試験で何が成長するというんだ?)

 

 私は内心で苛立ちを覚えつつも、冷静さを保っていた。

 

(だが、不用意な発言はしそうにないな。向こうも、俺がボイスレコーダーを忍ばせていることくらいは想定しているか)

 

 私はふっと鼻で笑い、さらに言葉を重ねた。

 

「――身の丈に合わぬ幻影を追うのはやめることだ。あの男が落ちることはなく、ただ無垢な星々が無意味に砕け散るだけ。君たちにとっても、何の益もないだろう。……今すぐ、この下らぬ生贄の儀式を取りやめるんだな」

 

(訳:こんな試験で清隆が退学になることはない。ただ無関係な生徒が退学になるだけだ。お前たちにとっても何のメリットもないはずだ。今すぐにこの試験をとりやめろ)

 

 月城は表情を崩さないまま、内心で鋭く私を観察していた。

 

(報告通り、極めて詩的で難解な言葉を使いますね。……これが『ホワイトルームを追放された本物の天才』、藍染惣右介。なるほど、確かにただならぬ存在感だ)

 

 しかし、月城はあくまで理事長代理としての仮面を外さない。

 

「ですから、綾小路くんとは無関係ですよ」

 

 白々しく言い放つ月城の目は、全く笑っていなかった。

 

「代行といえど、私はこの学校の理事長です。これは、この学校の生徒をより成長させるために必要な儀式なのです」

 

(……やはりボロは出さない、か)

 

「――理に背く強弁だな。価値ある原石を自ら砕き捨てる行為を、育成などと呼ぶのか? 頂を目指すための学び舎ならば、より輝きを放つ星を残すべきだろう」

 

(訳:こんなやり方で成長するとは思えない。それに優秀な生徒が退学になる可能性もある。学校としては優秀な生徒を残すべきだろう)

 

 私の至極真っ当な指摘に対し、月城はクックッと喉の奥で笑った。

 

「ふふふ。このような試験で退学になるような『社交性のない生徒』は、他の能力がどれだけ高くても無意味でしょう? とにかく、私の決定は絶対です」

 

 月城はそこで言葉を区切り、まるで躾のなっていない子供をたしなめるような冷たい目を向けた。

 

「それに、貴方は生徒会副会長といえど、一生徒に過ぎません。このような学校の運営の根幹に関わるのはどうなのですか? 私は越権行為だと思いますよ」

 

 ピシャリと撥ね退けようとする月城。

 だが、私はその安っぽい威圧を鼻で笑い、ゆっくりと一歩、月城のデスクへと歩み寄った。

 

「――君は、私がただの生徒としてここに立っているとでも思っているのか?」

 

「……ええ、もちろん。優秀な生徒であることは認めますが、それ以上でも以下でもない」

 

 月城は涼しい顔で、余裕を持ったまま私を明確に見下していた。

 

(……やはり、生徒会副会長といえど所詮はただの一生徒と侮られているな。ここからこの理不尽な試験を取り下げる、あるいは譲歩を引き出すとなると……有効な手がないな)

 

 私は静かに思考を巡らせる。

 

(……いや。絶対に言いたくはないが……『アレ』ならいける、か?)

 

 その時、私の脳裏によぎったのは、かつてあの傍若無人だった南雲の心を完全にへし折り、トラウマを植え付けた実績のあるもの。本気の怒りから勝手に口走ってしまった『黒棺』の完全詠唱だ。

 

(あの時は勝手に口から出ただけで、恥ずかしくて死ぬかと思ったのに……自分の意思でアレを自発的に詠唱するだと? ……いや、俺の恥ひとつで理不尽な退学から救われる生徒がいるなら……)

 

 私は腹を括り、絶対者のオーラを全開にして、中二病の極みたる完全詠唱を開始した。

 

「――滲み出す混濁の紋章 不遜なる狂気の器」

 

「……?」

 

「湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き・眠りを妨げる。爬行する鉄の王女 絶えず自壊する泥の人形」

 

「な、何を……」

 

「結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ――」

 

 私は月城を見下ろし、絶対的な絶望を宣告するように言い放った。

 

「――破道の九十・『黒棺』」

 

 当然だが、霊圧など存在しないこの世界においては、何一つ現象は起きない。ただのオサレな朗読会である。

 

(うわああああああああっ!! 恥ずかしぃぃぃぃぃ!! 自分の意思で言うのキツすぎる!!頼むから効果あってくれ!!)

 

 私は内心で身悶えし、羞恥心で爆発しそうになっていた。

 

 だが。

 

「……っ!!? な、なんだ、この重圧は……!」

 

 月城は目を見開き、ガタッと椅子から崩れ落ちた。その額からは、滝のような冷や汗が流れ落ちている。

 

(先程までの詩的な言葉は、解釈すれば何となく意味は理解できました。ですが……今の言葉は全く意図が読めない! なのに、ただ言葉を紡いだだけだというのに……なんだこの絶対的な死の気配と、肌を刺すような重圧は……!)

 

 月城は、理解不能な存在を前にして完全に戦慄していた。

 

(この男をこれ以上刺激するべきではない……!)

 

「わ、分かりました……!」

 

 月城は息を呑み、ついに白旗を揚げた。

 

「こ、この試験での退学取り消しの権利は、半額の『一千万ポイント』にしましょう……!」

 

(!!! 恥ずかしすぎて死ぬかと思ったけど、詠唱してみるもんだな!! いや、南雲の時もそうだったけど、マジで物理的には何も起こってないからね!? おっさん一人で勝手にビビり散らかしてるだけだからね!?)

 

 私は内心で盛大にツッコミを入れつつも、表面上は極めて冷酷な表情を崩さなかった。

 

「ほう」

 

「ですが、……これ以上の譲歩は出来ません。四十人が十二回分のプライベートポイントの支給を受けており、特別試験での報酬もありますからね。この条件でポイントが足りないならば、それはクラスとしても個人としても危機感、実力の欠如と捉えられても文句は言えないでしょう?」

 

 理事長代行という『大人』の体裁をどうにか保つため、彼はひきつった顔のまま必死に言葉を繋いだ。

 

「……それに、そもそも今回の試験では、各クラスで賞賛票を最も多く集めた一位の生徒に、一度だけ退学を無効化できる『プロテクトポイント』が付与されるルールになっています。プロテクトポイントは本来、二千万ポイントの価値があるものですからね。生徒側にもそうした大きなメリットが用意されている以上、一千万ポイントへの減額だけでも、学校側としては破格の譲歩だということをご理解いただきたい……!」

 

 月城の提示した折衷案と必死の言い分を受け、私は脳内で即座に計算を弾き出した。

 

(……退学回避のボーダーを一千万ポイントへ引き下げか。奴の言い分にも一理あるな。うちのクラスからすると、一千万ポイントでプロテクトポイントを買うようなものだな。だが、特定の生徒一人しか守れないプロテクトポイントが、果たして二千万ポイントと同等の価値があるかと言えば、そんなこともないがな)

 

 私は静かに目を伏せ、さらに盤面全体を見渡す。

 

(……一千万ポイント。単純計算で一人あたり二十五万ポイントか。俺たちAクラスやBクラスの貯蓄なら間違いなく全員無傷でやり過ごせる)

 

(だが、入学早々にクラスポイントをゼロにし、その後もロクにポイントを稼げていないDクラスの現状を考えれば……半額になったとはいえ、一千万を用意できるかは依然として厳しいな……)

 

 だが――と、私は再び顔面蒼白の月城を一瞥する。

 

(こいつの狙いはあくまで清隆だ。他の無関係な生徒が退学になろうがどうなろうが、知ったことではないのだろう。だからこそ、標的のいるDクラスが確実に助かるようなこれ以上の譲歩は絶対にできない、ということか。こいつも清隆の親父の部下だとするならば、標的を逃がすような致命的な手加減は許されないはずだからな)

 

(となれば、この男からこれ以上の譲歩を引き出すのは不可能だな)

 

「――よかろう。盤上の駒にも、等しく命運を量る天秤は必要だからな。その条件で手を打とう」

 

 私は踵を返し、扉のノブに手をかけた。そして、最後に背越しに月城を一瞥し、極めて冷酷で傲慢な事実を言い渡した。

 

「――君は一つ、決定的な勘違いをしているようだな。あの男が外からどれほど小細工を弄そうと、この箱庭は既に私の掌の上だ。私の庭を土足で荒らす権利は誰にもない。……次に私から視線を逸らして愚行に走れば、その時は君自身がこの舞台から消えることになるぞ」

 

 その威圧的な言葉の余韻だけを残し、私は理事長室を後にした。

 

 

 

 寮への帰り道。

 夕暮れに染まるキャンパスを歩きながら、私は静かに思考を切り替えていた。

 

(……この理不尽な試験を止めることはできなかったが、とりあえず、月城への牽制と譲歩の引き出しは上手くいったな。いや、上手くいったのはいいが……もう絶対に、二度と『黒棺』の完全詠唱なんてやらないからな!? 思い出すだけで恥ずかしくて顔から火が出そうだよ!)

 

 私は一人で悶えそうになる羞恥心を夜風で必死に冷ましつつ、気を取り直して先の展開へと意識を向けた。

 

(はぁ……まあいい。これで、これ以上の理不尽な横暴は奴もすぐには仕掛けてこないだろう。明日のホームルームで救済措置の減額が通達されれば、うちのクラスの貯金にはかなりの余裕ができる。……そうなれば、一之瀬の性格なら間違いなく『CクラスやDクラスに不足分を貸してでも助けたい』と言うだろうな)

 

(俺個人としても、月城たちの思惑通りに退学者を出すのは癪だから、ポイントを貸すこと自体には賛成だ。……だが、いくら余裕ができたとはいえ、これはクラス全員の大事な貯金だ。貸すにしても、全員に納得してもらう条件が必要になる)

 

 私はそこで一度立ち止まり、今後の算段を立てた。

 

(明日のホームルームの後、まずは一之瀬たちと相談して、具体的な方針を決めるか)

 

 ひとまず自らの尊厳と羞恥心を犠牲にして最悪の事態を避ける活路をこじ開けたことに安堵しつつも、私は見通せない盤面に僅かな不安を抱きながら静かに歩みを進めた。

 

 自室のソファに腰を下ろし、私は今日一日の目まぐるしい変化を脳内で整理する。

 

(……混乱を避けるためにも、俺が月城に干渉して減額させたという情報は伏せておいた方がいいだろう。……今夜はひとまず、一之瀬たちには昨夜の坂柳と結んだ契約のことだけを伝えておこう)

 

 私は静かに目を閉じ、ふと一つの疑問を思い浮かべた。

 

(だが……こうして救済措置が半額になった以上、昨夜の時点で先に理事長室へ乗り込んでから坂柳との交渉に臨んでいれば、もっと有利な条件でポイントを稼ぐ手を打てたかもしれないな)

 

 しかし、私はすぐにその思考を打ち消した。

 

(……いや、違うな。坂柳から月城の正体と真の目的を聞かされていなければ、俺はこれ以上動こうとはしなかったはずだ。南雲と共に生徒会として真島先生に異議申し立てを行ったとはいえ、教師陣では決定を覆せないと跳ね除けられた時点で、俺は『自分のクラスから退学者が出ないならそれでいい』と諦めをつけていたからな)

 

(だが……この理不尽な試験が外部の人間の身勝手な私怨によるものだと知ってしまえば話は別だ。あんな部外者の思惑で、この学び舎が土足で荒らされるのは我慢ならない。それに、あんな横暴を看過したとあっては、この学校の礎を築いてきた学先輩たちにも顔向けできないからな)

 

 私は、自らの行動の根底にある『この学校への密かな愛着』を再確認し、静かに息を吐き出した。

 

 

 

 その日の夜。

 私は一之瀬、ひより、神崎の三人を自室に招き、手製の晩御飯を振る舞いながら、昨夜の坂柳との交渉について事の顛末を説明した。

 

「ん〜っ! 美味しい! 藍染くん、また料理の腕上げたよね!?」

 

「はいっ! 惣右介くんのお料理は世界一ですからね!」

 

「ああ。この深き味わい……俺の『魂の城壁』すらも容易く融解させる至高の領域だ」

 

 神崎が真顔でそんな痛々しいポエムを口にした瞬間、一之瀬が呆れたようにため息をついた。

 

「ちょっと神崎くん! またその変な喋り方してるよ!そんなんじゃ将来、社会人になった時に絶対困るよ!?」

 

「す、すまない……。気が緩むと、つい口をついて出てしまうんだ」

 

 一之瀬の真っ当すぎるお説教に、神崎はバツが悪そうにスッと視線を逸らした。

 

(や、やめてくれ一之瀬ェ!! そのド正論、隣で聞いてる俺の胸にもめちゃくちゃ深く突き刺さってるから!! 俺の将来への特大ブーメランになって致死量のダメージ入ってるから!!)

 

 私の手料理に舌鼓を打ちながら平和な説教を繰り広げる二人を前に、内心で盛大に血を吐きながらも、表面上は涼しい顔を崩さずに紅茶のカップを置き、オサレに切り出した。

 

「――というわけで、我々の手札であるクラス外賞賛票は、あの男……綾小路清隆へと託すことになった。その代償として、我々はBクラスから百五十万ポイントの対価を得る。……盤上の理とは無縁の、私の個人的な感傷で打った身勝手な一手だ。独断で決めてしまったこと、謝罪しよう」

 

 私が少しだけ申し訳なさを滲ませて告げると、ひよりがクスッと笑いながら完璧な翻訳を披露した。

 

「『――というわけで、私たちのクラス外賞賛票は、Dクラスの綾小路くんに入れる代わりに、百五十万ポイントをもらう契約を結びました。独断で決めてしまってごめんなさい』とのことです!」

 

 それを聞いた一之瀬は、パッと明るい笑顔を浮かべて首を横に振った。

 

「全然気にしてないよ! もともと賞賛票を誰に入れるかは決めてなかったし、プライベートポイントがもらえるならクラスにとっても十分なメリットだもん」

 

 一之瀬は私の顔を真っ直ぐに見つめ、嬉しそうに微笑んだ。

 

「それにね、私たちは今までずっと、藍染くんに助けられてきた。だから……そのくらいの我が儘なら、いつでも言ってね! 藍染くんが『綾小路くんを助けたい』って思うなら、私たちも全力で協力するよ!」

 

「帆波ちゃんの言う通りです。私たちは、惣右介くんの決断を信じていますから」

 

 ひよりも優しく微笑み、神崎も静かに頷いて同意を示してくれた。

 

(みんな……! 本当にいい奴らすぎる……!)

 

 私は仲間たちの温かさに内心で深く感動しながら、来るべき『クラス内投票』、そしてその先にある『学年末特別試験』へ向け、静かに闘志を燃やすのだった。

 

 

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