いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
三月五日の放課後。
私たちAクラスの生徒は誰一人として帰宅することなく、全員が教室に残り、一之瀬を中心とした最終的な意思統一の場を設けていた。
「みんな、今日も放課後に残ってくれて本当にありがとう。明日はいよいよクラス内投票の当日だけど……その前に、まずはCクラスとDクラスへの交渉結果から報告するね」
教壇に立った一之瀬は、少しだけ残念そうに眉を下げた。
「結論から言うと、どちらのクラスにもポイントを貸し出すことはなかったよ」
「えっ、そうなの?」
「うん。Cクラスには私から話を持っていったんだけど……向こうにも色々と内情があるみたいで、今回は辞退されちゃったの」
「Dクラスについては、私から説明しよう」
一之瀬の言葉を引き継ぐように、私は自席から静かに声を響かせた。
「彼らは共に同じ天を仰ぐ覚悟を持てなかった。歩みは揃わず、我々と対等の契りを交わす器には達していなかったということだ。……故に、私は彼らに差し伸べる光を絶った。君たちが築き上げた輝かしき軌跡を、行き先すら定まらぬ小舟に託すわけにはいかないからな」
「『向こうはクラス全体で返済の意思を統一することができず、契約を結ぶのは不可能だと判断して交渉を打ち切りました。みんなが必死に貯めた大事なポイントを、意見すらまとまらない状態のクラスに貸すわけにはいきません』とのことです!」
私の報告に、クラスメイトたちは顔を見合わせ、呆れたようなため息をこぼした。
「マジかよ……」
「一之瀬のあんなに優しい条件でもまとまらなかったのか?」
「……まあ、藍染の言う通りだな。そんな状態じゃ貸さなくて正解だよ」
クラスメイトたちが納得の声を上げる中、一之瀬も小さく頷いた。
「うん……藍染くんの判断が正しいよ。退学者が出てしまうのはすごく悲しいけど、向こうのクラスがまとまらないなら、私たちにはどうしようもないからね……。ありがとう藍染くん」
一之瀬は私に柔らかな微笑みを向けると、再び真剣な表情へと戻り、クラス全体を見渡した。
「それじゃあ、気持ちを切り替えて明日の投票の話をするね」
一之瀬の言葉に、教室の空気が再び引き締まる。誰もが真剣な顔で彼女の言葉に耳を傾けていた。
「もうみんなで決めた通り、今回の試験では一千万ポイントを使って、私たちのクラスの退学者は『ゼロ』にする。でも……この試験の厄介なところは、結果発表の際に『賞賛票と批判票の上位三名』が公開されてしまうことなの」
「もし、各々が好きに投票して、誰かに批判票が偏ってしまったら……たとえ退学者がゼロだったとしても、名前を呼ばれた人は絶対に悲しい思いをするし、クラスの中に不和が生まれちゃうかもしれない。だから、私たちのクラスは『完全に票をコントロール』して、誰一人傷つかないようにしたいの」
一之瀬は言葉を切り、教壇の横で腕を組んでいる神崎へと視線を向けた。
「クラス内からの賞賛票は、私に集めてほしい。そして……批判票は、全て神崎くんに集めることになりました」
「えっ……神崎くんに!?」
クラスメイトたちが驚きの声を上げる中、神崎は微動だにせず、静かに口を開いた。
「ああ。誰かが泥を被らなければならない試験だ。ならば、中途半端に散らして不安を煽るよりも、俺が全てのヘイトを引き受けた方がクラスの精神衛生上、遥かにいい。一之瀬が光の求心力となるなら、俺は闇の盾となる。……気にするな。俺の『魂の城壁』は、これしきの批判票で崩れるほど脆くはない」
(神崎ィィィッ!! お前は本当に最高にカッコいい漢だぜ!! オサレ後遺症さえなければ完璧な副官だよ!!)
私は内心でスタンディングオベーションを送りながら、彼の男気に深く感動していた。
「……神崎くん、本当にありがとう」
一之瀬が少しだけ申し訳なさそうに頭を下げると、神崎は「気にするな」と短く返した。
「それから、もう一つ」
一之瀬は気を取り直すように、パンッと小さく手を叩いた。
「クラス外の生徒一名に入れられる『賞賛票』についてなんだけど……これは、Dクラスの綾小路清隆くんに全員で集めることに決めました」
その宣言に、教室が少しだけざわめいた。
真っ先に手を挙げたのは、男子生徒の浜口だった。
「一之瀬さんがそう言うなら僕達はそれに従うよ。でも……なんでDクラスの綾小路くんなんだい?彼とはあまり接点がないし、どうして彼に票を集めるのか、理由だけ教えてくれないかな?」
浜口の尤もな疑問に、他のクラスメイトたちもコクコクと頷く。
「うん、当然の疑問だよね。」
一之瀬は、私と事前に打ち合わせていた通りの『事実』を告げた。
「実は、藍染くんがBクラスの坂柳さんと交渉して、ある契約を結んでくれたの。私たちのクラスの賞賛票を彼女が指定する生徒に集める代わりに、対価として『百五十万ポイント』を譲渡してもらうっていう条件だよ」
一之瀬がそう説明すると、浜口をはじめとするクラスメイトたちは驚きと共に感嘆の声を上げた。
「ひ、百五十万ポイント!? マジかよ!」
「今回の試験で退学回避のために一千万ポイントを使ったばかりだから、クラスの貯金を回復できるのはめちゃくちゃデカいな……」
「ああ。ノーリスクでそれだけのポイントを回収できるなら、クラスにとって間違いなく大きなメリットだ。さすがは藍染だな!」
(みんな……! 本当にいい奴らすぎる……! クラスのメリットになるのは間違いないとはいえ、事前に相談もなしで勝手に決めちゃって、本当にごめんね!!)
私は静かに立ち上がり、クラスの仲間たちへ向けて、オサレで傲慢なポエムを紡ぎ出した。
「――星々の軌跡は既に定まった。いかに理不尽な嵐が吹き荒れようとも、我々の箱庭を揺るがすことなどできはしない。皆はただ、静寂の中で夜明けを待てばいい」
「『方針は固まりましたので、明日の試験は何も心配せず、リラックスして臨んでくださいね』とのことです!」
私の言葉をひよりが完璧に翻訳すると、教室は温かな笑い声に包まれた。
こうして、Aクラスは誰一人疑心暗鬼に陥ることなく、盤石の態勢で翌日の試験を迎えることとなった。
一方、その頃。Bクラスの教室では、張り詰めたような緊張感が漂っていた。
教壇に立つのは、クラスのリーダーである坂柳有栖。
「皆さん、明日の試験についての方針を発表します。……Bクラスからは、退学者は一人も出しません」
その言葉に、クラス中から安堵の溜息が漏れる。
だが、坂柳は冷ややかな微笑を浮かべたまま、杖でコツンと床を鳴らした。
「しかし――勘違いしないでいただきたい。私は、無能な裏切り者まで永遠に庇い続けるほど甘くはありません。これから先、他クラスと内通し、Bクラスを裏切るような真似をした生徒には……次にこのような試験があった時、容赦なく『退学』という罰を与えます」
冷酷な宣告。その視線の先で、橋本が僅かに肩を震わせ、顔を伏せて冷や汗を流していた。
恐怖政治とも取れるその威圧感にクラスメイトたちが息を呑む中、葛城康平が一歩前へと進み出た。
「坂柳の言う通りだ。我々は一丸となってAクラスに立ち向かわなければならない。そして……彼女が口だけでなく、本気でこのクラスを守ろうとしている証拠がある」
葛城は自身の端末を掲げ、画面をクラスメイトたちに見せた。
「俺の口座には今、坂柳から預けられた『一千万プライベートポイント』が入っている。彼女は事前に、俺にこの命綱を託してくれたのだ。……俺と坂柳はかつて対立したが、彼女がこのクラスを思い、俺を完全に信用してくれた以上、これ以上のわだかまりは不要だ」
坂柳が葛城に一千万ポイントを預けるという最大の「信頼の証」。その事実に、葛城派の生徒たちも深く頷き、クラスの空気が一つにまとまっていく。
「賞賛票の首位は、このクラスの頭脳である坂柳に入れる。……そして、批判票の首位は俺に集めてくれ。俺が泥を被ろう」
葛城の男気あふれる宣言に、Bクラスもまた、完全な票のコントロールを確立した。坂柳の飴と鞭、そして葛城の身を挺した覚悟によって、彼らもまた退学者ゼロという結末を強固なものにしたのだった。
翻って、Cクラス。
彼らの教室には、どこか浮ついたような、異様な空気が蔓延していた。
「あーあ、明日でいよいよ龍園ともお別れだねぇ。せいぜい最後にいい顔してほしいわ」
真鍋志保が、取り巻きの女子たちと嘲笑うように言葉を放つ。
かつて恐怖でクラスを支配していた暴君・龍園翔が、この試験で間違いなく退学になる。その確信が、彼らに根拠のない万能感を与えていた。
そんな中、教室の隅で石崎や伊吹たちは、ギリッと奥歯を噛み締めながら黙って真鍋たちを睨み返していた。
(……笑ってられるのも今のうちだぜ。明日の結果発表で、絶望に顔を歪めるのはテメェらの方だからな)
石崎はBクラスからの賞賛票によって龍園が救われる算段がついていることを知っている。だからこそ、今は決して悟られないよう、静かに嵐が過ぎ去るのを待っていた。龍園本人は、教室の一番後ろの席で目を閉じ、ただ不気味な沈黙を保っている。
そして――最も凄惨な地獄が繰り広げられていたのは、Dクラスだった。
放課後の教室。帰宅しようとしていた山内春樹を、氷のような声が引き留めた。
「待ちなさい、山内くん。……まだ話は終わっていないわ」
教壇に立った堀北鈴音が、鋭い視線で山内を射抜いた。
「明日の試験。このまま投票を行うわけにはいかないわ。このクラスが上を目指すために、無為に優秀な生徒を失うわけにはいかない。だから、私から退学すべき生徒を名指しさせてもらうわ」
「ダメだよ! 堀北さん! 退学すべき生徒なんて一人もいないっ!」
突如、平田洋介が悲痛な叫び声を上げた。しかし――
「フッ、ハハハハ!」
そんな平田の絶望を他所に、高円寺六助が一人だけ愉快そうに笑い声を上げる。
「聞かせてくれないかい? 堀北ガール。君が誰を選ぶのかをねぇ」
高円寺の煽るような言葉を受け、堀北は一切の迷いなくターゲットを見据えた。
「……私が退学すべきだと思う生徒は――山内春樹くん、あなたよ」
「な、なんだよ!ふざけんなよ堀北! なんで俺が退学にならなきゃなんねーんだよ!」
山内が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「理由は明確よ。まずはこの一年間クラスに全く貢献していない、むしろ足を引っ張っていること。それに、Aクラスが退学者を出さないで済むよう、不足分のポイントを貸し出そうと救済案を持ちかけてきてくれたわね。条件も極めて良心的だった。……それなのに、あなたは自分のプライベートポイントを惜しみ、真っ先にその提案を拒絶して交渉を台無しにした」
「うっ……! そ、それは……俺だって……! だ、だいたい、貢献してないやつなんて俺以外にもいくらでもいるだろ! 寛治や健だってそうだろ! それに篠原たちだって、Aクラスの提案には反対してたじゃねーか!」
追い詰められた山内は、苦し紛れに他のクラスメイトたちの名前を挙げて怒鳴り返した。
「確かにそうね。でも、須藤くんは体育祭以降、学力面でも成長を見せているし、何より身体能力という明確な武器があるわ。池くんは混合合宿以降……言動がおかしくなってしまったけれど、今クラスで一番努力している生徒よ。この前の学年末筆記試験でも大幅に順位を上げているわ」
「っ……」
「そして、提案に反対した篠原さんや本堂くんたちと、あなたとの決定的な違い。……それは、あなたがこのクラスを裏切ったことよ」
「……は?」
「仲間を救うための身銭を切ることは固辞したくせに、あなたは裏でBクラスの坂柳さんと通じていた。『私が指定する生徒を退学させれば交際してあげる』――なんて言葉に踊らされてね。そして、自分の保身と欲求のために綾小路くんに批判票を集め、彼を退学に追い込もうと裏工作を行っていた。……これが、私があなたをクラスに不要な存在だと判断した最大の理由よ」
「っ!?」
山内の顔からサァッと血の気が引く。完全に図星を突かれた彼の様子に、クラス中にどよめきと怒りの声が走った。
「まじかよ……そんな身勝手な理由で……?」
「だから、あの時藍染くんの提案を真っ先に拒否したってこと!?」
「サイテー……っ」
クラスメイトたちから一斉に突き刺さる、軽蔑と嫌悪の視線。
「な、なに勝手なこと言って……っ!」
「ダメだッ! ダメだダメだダメだ!!」
クラスの空気が完全に山内への糾弾に染まる中、頭を抱えた平田がまるで壊れた人形のように首を振って叫んだ。
「誰かを指名するなんて、そんなこと許されない! 堀北さん、君は間違ってる! みんなで話し合えば……誰かが犠牲になるなんて、そんなの絶対におかしいじゃないかッ!」
「平田くん。現実に目を向けなさい。Aクラスが差し伸べてくれた手すら自ら払いのけたこのクラスに、誰も傷つかずに終わる方法なんて存在しないのよ。ここで彼を切らなければ、クラスは完全に崩壊するわ」
堀北は平田の悲痛な叫びを冷徹に切り捨て、再び山内へと視線を向けた。
「山内くん。身勝手な理由で救済を拒み、あまつさえ他クラスの生徒と結託して自クラスの仲間を売るような裏切り者を、私は決して許さない」
「ち、違う! 俺は悪くねえ! ……そ、そうだ、櫛田ちゃんだって協力してくれたんだ! 櫛田ちゃんも一緒に綾小路に批判票を入れるように声かけてたじゃねーか!」
池の擁護が呆気なく不発に終わり、再び冷たい視線を浴びて完全に追い詰められた山内は、あまりにも醜い言い訳と共に、櫛田桔梗へ罪をなすりつけようとした。
その瞬間。
「……っ! ぐすっ……」
櫛田は自席の机に突っ伏し、両手で顔を覆って泣き声を上げ始めた。
「山内くんが……どうしても助けてくれって、すごく困ってたから……私、可哀想だと思って助けようとしたのに……っ。それなのに、私に全部押し付けるなんて……酷いよぉ……っ」
震える肩と弱々しい泣き声。その健気で可哀想な姿に、周囲の男子生徒たちは一斉に山内へ非難の視線を向けた。自身が助かるために心優しい櫛田を利用し、あまつさえ彼女に責任を擦り付けようとする姿は、誰の目にも救いようのないクズに映った。
「櫛田さん」
しかし、堀北だけは一切の同情を見せず、冷ややかな声で釘を刺した。
「あなたの人の良さは認めるけれど、自分の影響力を自覚しなさい。あなたのその軽率な行動が、クラスを致命的な危機に陥れるところだったのよ」
「……ごめんなさい、堀北さん……ぐすっ」
「フッ。見苦しいねぇ、山内ボーイ」
泣き崩れる櫛田を尻目に、高円寺六助が手鏡を見つめながら山内を嘲笑った。
「自分の保身のために他者を蹴落とし、あまつさえ見苦しい言い訳でプリティガールに罪をなすりつける。……君の存在価値はゼロどころか、マイナスだねえ。この私の視界に入るに値しない」
「てめぇ、高円寺……ッ!」
「静かにしなさい!」
堀北の怒声が教室を制圧する。
「明日の投票、誰に票を入れるかは各々の自由よ。でも……クラスのために、誰が本当に不要なのか、よく考えて投票してちょうだい」
堀北の冷徹な宣言によって、Dクラスの断罪劇は幕を下ろした。
――そして、三月六日。
運命の『クラス内投票』当日。
各クラスでの投票は厳粛に行われ、午後にはその結果がそれぞれの担任教師から発表された。
【Aクラス】
教室の教壇に立つ星之宮先生が、手元のタブレットを見つめながら、明るい声で結果を読み上げた。
「はい、みんなお疲れ様! 結果を発表するね。……賞賛票第一位は、一之瀬帆波さん! プロテクトポイント獲得だよ! そして、批判票第一位は……神崎隆二くん」
その瞬間、一之瀬が立ち上がり、淀みない声で告げる。
「星之宮先生。一千万プライベートポイントを使用して、神崎くんへの退学取り消しを申請します」
「はーい、申請受理しましたっ! これにてAクラスからは退学者ゼロ! みんな、本当によく頑張ったね!」
星之宮先生が拍手を送ると、教室内は歓喜に包まれた。
(ふぅ。うちのクラスから誰も欠けなくて、本当に良かったな。それにしても、他のクラスはどうなったか……)
私は静かに安堵の息を吐きながら、他クラスの動向に思いを馳せていた。
【Bクラス】
Bクラスの教室でも、担任教師から粛々と結果が告げられていた。
「賞賛票第一位、坂柳有栖。プロテクトポイント獲得。……批判票第一位、葛城康平」
葛城が立ち上がり、落ち着いた声で宣言する。
「一千万ポイントを支払い、退学取り消しを申請する」
こちらも事前に取り決めていた通りの完璧な結果となった。両クラスとも『退学者ゼロ』を達成し、強固な結束を証明して試験を終えることができたのだ。
【Cクラス】
教壇に立つ坂上先生が、感情の籠もらない冷徹な声で結果を読み上げる。
「それでは発表する。賞賛票第一位、金田悟。……そして、批判票第一位、真鍋志保。よって、真鍋は退学となる。荷物をまとめて退出するように」
「え……? 嘘、でしょ……?」
坂上先生の口から告げられた名前を聞いた瞬間、真鍋の顔から表情が抜け落ちた。
「なんで……なんで私が一位なのよ!? 退学になるのは龍園でしょ!? おかしいじゃない!!」
彼女は半狂乱になって叫んだが、その理由は明白だった。龍園には、取引によってBクラスから莫大な数の『クラス外賞賛票』が集まっていたのだ。賞賛票は批判票を相殺する力を持つ。結果として、龍園への批判票は全て打ち消され、相対的にCクラス内でヘイトを集めていた真鍋が批判票第一位へと押し上げられたのである。
「嫌だ……嘘よ……私、退学なんて……嫌ああああああッ!!」
真鍋の阿鼻叫喚の絶叫が教室に響き渡る。その惨状を、龍園は教室の後ろから見下ろし、ただ一人、喉の奥で邪悪な笑いを漏らしていた。
【Dクラス】
担任である茶柱が教室に姿を現すまでの間、Dクラスは重苦しく落ち着かない空気に包まれていた。
誰もが言葉少なに俯き、静かに裁きの時を待つ中、沈黙を破るようにカタカタと耳障りな音が響き続ける。
「……ッ、……」
山内が、血走った目で虚空を睨みながら、激しい貧乏ゆすりを繰り返していたのだ。
「フッ」
そのひどく滑稽な姿を見て、高円寺六助が一人、優雅に手鏡を覗き込みながら嘲笑を漏らした。
「まさに震えて審判を待っている、というわけだねえ、山内ボーイ。実に見苦しいよ」
「てめぇ……ッ!」
高円寺の的確な煽りに、限界まで張り詰めていた山内の糸がプツリと切れた。
彼はガタッと乱暴な音を立てて席を立ち上がると、狂ったような笑みを浮かべてクラス全体を見渡した。
「あーあ! もういいか、話しちゃってもさぁ!」
突然の大声に、クラスメイトたちがビクッと肩を震わせる。
「残念でしたぁ! 退学になるのは俺じゃないんだよ! 俺は坂柳ちゃんが、Bクラスの賞賛票を全部俺に入れてくれるって約束してくれてんだからな! お前らがいくら俺に批判票を入れようが、意味ないんだよ!」
「「「…………」」」
ドヤ顔で言い放たれたその言葉に、教室中の空気が完全に凍りついた。
クラスを売った裏切りを悪びれるどころか、あろうことか誇らしげに語るその姿。交際という甘い餌に釣られて仲間を売り渡し、Aクラスからの救済を拒絶した事実を大声で喧伝する山内に、クラスメイトたちは怒りを通り越して、もはや完全な『ドン引き』の視線を向けていた。
「山内、席に着け」
静まり返る教室の中、教壇に立った茶柱先生がDクラスの生徒たちを見下ろし、淡々と結果を告げる。
「賞賛票第一位は……綾小路清隆。プロテクトポイント付与となる」
「……え? 綾小路?」
「なんで、綾小路が……?」
予想外すぎる名前に、クラスのあちこちから困惑のざわめきが起こった。
その中でも一番大きな反応を示したのは、山内春樹だった。
「綾小路!? 批判票一位の間違いじゃないんですか!?」
山内はガタッと席を立ち上がり、教壇の茶柱先生に向かって食って掛かった。だが、茶柱先生は冷酷な眼差しのまま、無慈悲に宣告する。
「間違ってなどいない。――そして、批判票第一位は、山内春樹。お前だ。本日をもって退学となる」
「はぁ!?」
山内は、茶柱先生から告げられた現実を前に、口から泡を吹きそうなほど目を見開いた。
「な、なんで!? なんで! なんで俺が退学なんだよ!?」
完全に思考がショートしたのか、山内は錯乱したように教室で喚き散らす。
「こ、こんなことが許されていいのかよ!! 坂柳ちゃんが俺を守るって言ったんだ! 約束したんだよ!! なあ、嘘だろ!?」
「フッ。君のような愚者を、あのリトルガールが本気で相手にしているとでも思っていたのかね?」
喚き散らす山内を、高円寺が手鏡を見つめたまま嘲るように鼻で笑った。
「う、うるせぇ……ッ!!」
誰からの同情も得られない冷たい視線を浴びながら、山内は高円寺の言葉から逃げるように、縋るような目で茶柱先生へと向き直った。
「そ、そうだ! 先生、Aクラスと交渉させてください! あいつらは俺たちにポイントを貸してくれるって言ってたんだ! 今からでも頼み込めば絶対に貸してくれる! 頼むよ!」
己の保身のためだけにプライドを捨てた見苦しい命乞い。それに真っ先に突き刺さったのは、堀北の氷のような声だった。
「……何を言っているの? あなたが真っ先にその提案を拒絶して、交渉を完全に台無しにしたのよ。今更そんな虫のいい泣き言が通用するはずないわ」
「うっ……! そ、それは……っ!」
「自らの手で蜘蛛の糸を断ち切ったばかりか、あまつさえ、あのリトルガールが自分に惚れて守ってくれるとでも信じ切っていたとはね。本当に……実に滑稽だよ」
堀北の痛烈な正論で言葉に詰まった山内へ、高円寺がさらに容赦のない追撃を放つ。
「てめぇ……ッ!! ふざけんな!!」
己の愚かさを徹底的に突きつけられ、完全に逃げ場を失った山内は怒りに任せて近くの椅子を掴み上げ、高円寺に向かって力任せに振り下ろした。
「――危ないっ!」
誰かが悲鳴を上げた、その瞬間。
高円寺は振り下ろされた椅子を片手であっさりと掴み取り、完全にその動きを止めてみせた。そして、普段の飄々とした態度はそのままに、鋭い眼光と共に圧倒的な殺気を山内へと浴びせる。
「……身の程を弁え給えよ、山内ボーイ」
「ひっ……!」
底知れない恐怖に顔を引き攣らせ、山内は手から椅子を取り落としてその場にへたり込んだ。
「山内。お前のためだ、止めておけ」
騒ぎを制するように茶柱先生が冷徹に告げ、腰を抜かした山内の腕を引いて教室の外へと連行していく。
狂乱し、喚き散らしていた山内が去った後の教室には、重く冷たい静寂だけが残された。
――同日の放課後。
私の部屋のソファーには、一之瀬、ひより、そして神崎の三人が集まり、温かい紅茶を片手に今日の結果を振り返っていた。
「本当に、Aクラスから誰も退学にならなくてよかった……!」
一之瀬が、心の底から安堵したように息を吐き出す。
「はいっ。帆波ちゃんの言う通り、私たちのクラスはみんなで一緒に乗り切れて本当によかったです」
「うんっ! ひよりちゃんも、今日まで本当にお疲れ様!」
二人は顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべながらふわりと微笑み合った。しかし、一之瀬はすぐに視線を落とし、少しだけ悲しげな表情を浮かべた。
「……でも、できればCクラスとDクラスからも、退学者が出なければよかったんだけど……」
「気にするな、一之瀬」
沈みがちになった一之瀬へ、神崎が静かに、しかし力強い声で告げた。
「あの破格の条件にすら文句をつけ、まとまらないような状態だったんだ。どのみち、我々が手を差し伸べるのは無理筋だった。彼らは彼らの選択の末に、結果を受け入れたに過ぎない」
「神崎くんの言う通りですよ、帆波ちゃん」
ひよりも一之瀬の手を優しく握り、ニコッと微笑みかけた。
「私たちは私たちにできる最大限のことをしました。……それに、帆波ちゃんがみんなを引っ張ってくれたから、私たちのクラスは誰一人欠けることなく明日を迎えられるんです。もっと胸を張ってくださいね」
「神崎くん、ひよりちゃん……うん、そうだね。ありがとう!」
二人のフォローを受け、一之瀬はパッと顔を輝かせていつもの明るい笑顔を取り戻した。
(清隆も無事にプロテクトポイントを得られたようだし、俺たちAクラスは退学者ゼロという結果を出せた)
私は仲間たちを労うために静かに立ち上がった。
「――生贄を求める狂宴は終わった。我々はただの一つの星も欠かすことなく、この夜を越えたのだ」
私がオサレで傲慢なポエムを紡ぎ出すと、三人の視線が私へと集まる。
「次なる戦場がどのような地獄であろうと、私の歩みに従う限り、君たちに敗北の二文字は存在しない。……今はただ、この勝利の余韻に身を委ねよう」
「『今回の特別試験、みんな本当にお疲れ様でした! 次の試験もこの調子で頑張りましょうね』とのことです!」
私が威風堂々と告げると、ひよりがクスッと小さく笑いながら完璧な翻訳を披露した。
「ふふっ、そうだね。どんな試験が来ても、私たちなら絶対に大丈夫だよ!」
一之瀬が明るく笑い、神崎も頼もしげに頷いた。
理不尽なルールによって敷かれた裁きの天秤。
完璧な結束によって退学者を出さなかった上位クラスと、自らの手で仲間を切り捨てた下位クラス。
生贄たちの狂宴は、絶対的な『格差』を残したまま、静かに幕を下ろしたのだった。