いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
高度育成高等学校での生活も数日が過ぎた。
しかし、1年Bクラスにおける私の立ち位置は、初日と何一つ変わっていなかった。いや、むしろ悪化していると言ってもいい。
(……今日も、見事なまでの魔王ボッチ状態だな)
朝のホームルーム前。教室の喧騒は相変わらずだが、私が窓際の一番後ろの席に座っているだけで、周囲には半径数メートルの見えないバリケードが構築されている。
クラスメイトたちは楽しそうに談笑しながらも、時折チラチラとこちらを盗み見ては、「今日も威圧感がヤバい」「機嫌を損ねたら殺されそう」とヒソヒソ声を交わしている。藍染スペックの驚異的な聴力には、その怯えた声が痛いほどクリアに届いていた。
(違うんだよ……。俺はただ、普通に「おはよう」って言って、食堂のどのメニューが美味しいとか、そういう平和な会話がしたいだけなんだよ……!)
内心で血の涙を流しながらも、私の外見は「下界の喧騒を冷ややかに見下ろす絶対者」の顔に固定されている。
そんな中、私のデスクの前に、一人の女子生徒が歩み寄ってきた。
ピンク色の髪を揺らす、このクラスの中心人物――一之瀬帆波だ。
「おはよう、藍染くん! 学校の生活には、もう慣れたかな?」
彼女は少し引きつった笑顔ながらも、勇気を振り絞って私に話しかけてきてくれた。
初日の自己紹介での大惨事をフォローしてくれた彼女は、私がクラスで完全に孤立しているのを見かねて、気を遣ってくれたのだろう。
(一之瀬さん……! あんたやっぱり天使だよ! ありがとう、めちゃくちゃ嬉しい! 『うん、慣れてきたよ! 一之瀬さんもお疲れ様!』って、最高の笑顔で返すぞ!!)
私は内心で歓喜の涙を流し、極めて友好的な笑みを作って口を開いた。
「――おはよう、一之瀬。……だが、私がこの狭い箱庭に『慣れる』という表現は適切ではないな。……この環境が、私という規格外の存在に『適応』するのを待っている状態だと言っておこうか」
(うわあああああああああ!! また出た!! なんでだよ!! 素直にお礼を言わせてくれよこの呪いの装備!!)
私の傲慢極まりない返答に、一之瀬は「あ、あはは……そ、そうだよね、藍染くんはすごいもんね」と、明らかに困惑した表情を浮かべた。
だが、彼女の人の良さはここで終わらない。
「えっと、もし授業で分からないこととかあったら、遠慮なく聞いてね? 私たち、同じクラスの仲間なんだし……」
(一之瀬さん!! お前本当にいい奴だな! 『ありがとう、頼りにしてるよ』って、今度こそ、今度こそ普通に言うんだ!!)
「――仲間、か。響きは美しいが、ひどく脆い言葉だ。……君のその無垢な善意は評価しよう。だが、天を統べる鷲が、地を這う蟻の群れに助けを求めることなどあり得ないのだと、そろそろ理解するべきだね」
「…………えっ」
一之瀬の顔から、完全に笑顔が消え去った。
周囲で聞き耳を立てていたクラスメイトたちも、「あいつ、一之瀬さんを蟻呼ばわりしやがったぞ……」「マジで何様だよ……」と、畏怖の中に怒りを混ぜた視線を私に向けてくる。
(ああああああああああああ!! 違うんです! 蟻なんて思ってません!! むしろ俺が蟻です! アリクイに食われるただの蟻です!! 本当にごめん!! 一之瀬さん、マジでごめんなさい!!)
内心で私は、教室の床に額を擦り付ける勢いでジャンピング土下座をかましていた。しかし、表面上の私は「フッ」と冷笑を浮かべ、窓の外へ視線を外すという、完璧な悪役ムーブをキメてしまっていた。
一之瀬は「そ、そっか……ごめんね、お節介だったかな」と寂しそうに笑い、自分の席へと戻っていった。
(終わった。一之瀬さんの優しさを木っ端微塵に粉砕してしまった……。謝りたいけど、口を開けばまたポエムが出るだけだし、そもそも連絡先も知らないし……)
私は己のポンコツっぷりに絶望しながら、ただひたすらに放課後のチャイムが鳴るのを待ち続けた。
そして放課後。
私はすぐにでも図書室へ向かい、ひよりの笑顔に癒されたかったが、今日はやらなければならない『任務』があった。
私はスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開く。宛先は、唯一連絡先を知っている親友・椎名ひよりだ。
『ごめんひより、今日は少し野暮用ができたから、先に図書室に行っててくれるかな。終わったらすぐに向かうから』
送信ボタンを押して、私はハッと息を呑んだ。
(……あ、あれ!? 俺、今めちゃくちゃ普通の文章打ててないか!?)
そう、口を開けば藍染ポエムに自動変換される呪いだが、手書きの文字やスマートフォンのフリック入力には、その呪いが適用されないのだ。
画面上の『普通の高校生らしい文面』を見て、私は感動に打ち震えた。
(すげえ! 文字なら! 文字なら俺は普通にコミュニケーションが取れる!! これからはなるべく筆談かメールで生活しようかな!? いや、それはそれで不気味すぎるか……)
数秒後、ひよりから『分かりました。無理はしないでくださいね』という、天使のような返信が届いた。
私はフッと微笑み、足早に特別棟へと向かった。
向かった先は、文化系の部活動が集まるエリア。その一番奥にある『ボードゲーム部』の部室だ。
私はドアをノックもせずに、ゆっくりと開け放った。
部室内には数人の上級生たちが集まり、長机に並べられたチェスボード、将棋盤、囲碁の碁盤に向かい合い、真剣な表情で対局をしている。
「……ん? なんだお前。1年か?」
一番手前のテーブルでチェスの駒を弄っていた、金髪でピアスの空いたガラの悪そうな先輩が、訝しげにこちらを睨んできた。
「入部希望か? 悪いが、うちは頭の回転が遅いガキはお断り……」
「――いや。入部届を出しに来たわけではないよ」
私は優雅な足取りで部室に足を踏み入れ、並べられた盤面をぐるりと見渡した。
「ずいぶんと、面白そうな『遊戯』をしているようだね。……ただの暇潰しにしては、ずいぶんと血の匂いが濃い。……ここで、手持ちのポイントを賭けているのだろう?」
私のその言葉に、部室内の空気がピリリと凍りついた。
この学校におけるポイントは、現金と同義だ。生徒間のポイントの譲渡はシステム上可能のはずだ。
金髪の先輩が、目を細めて私を見た。
「……へぇ? お前、1年のくせに随分と鼻が利くじゃねえか」
「嗅ぎ分けるまでもない。君たちの瞳の奥に蠢く『欲望』が、隠しきれずに溢れ出しているからね」
「ハッ、言うじゃねえか。……で? それをチクリにでも来たのか、優等生クン」
「まさか。……その盤上に、私も混ぜてもらえないかと言っているのさ」
私の提案に、先輩たちは顔を見合わせた後、ニヤリと面白そうな、そして獲物を見つけたような悪辣な笑みを浮かべた。
「……いいぜ。入学したてで10万ポイントもらったからって、調子に乗ってる1年を教育してやるのも先輩の務めだからな。ただし、レートは高いぜ?」
「構わないよ。私の時間を奪うのだから、それなりの対価は用意してもらわなくては」
私は金髪の先輩の向かいに座り、チェスの白駒を手に取った。
(よし、食いついた。不良っぽい先輩たちなら、絶対に裏でポイント賭けて遊んでると思ったんだよな。悪いけど、ひよりと同じクラスになるために、あんたたちのポイントは俺の軍資金にさせてもらうぜ!)
「まずは小手調べだ。1ゲーム、1万ポイントでどうだ?」
「……随分と慎重だね。まあいい、始めようか」
ゲームが開始された。
相手の先輩は、確かに素人ではなかった。定石を知り、先を読む力もある程度は備わっているのだろう。
――しかし、相手が悪すぎた。
私の脳内に宿る『藍染惣右介の頭脳』は、目の前のチェスボードを単なる64のマス目ではなく、数万通りの未来が分岐する演算の海として処理していた。
相手の呼吸、視線の動き、駒を持つ指の僅かな震え。その全てから思考を読み取り、数手先、数十手先の盤面を完璧に支配していく。
「……チェックメイトだ。君の王は、既に三手前から死んでいたよ」
「なっ……!?」
開始からわずか5分。先輩は自分がどうやって負けたのかすら理解できないまま、キングを倒された。
「……くそっ! もう一回だ! 今度は5万賭ける!」
「いいよ。……何度やっても、君の絶望が深まるだけだがね」
そこからは、まさに蹂躙だった。
チェスでコテンパンにされた金髪の先輩に代わり、「俺が将棋で相手してやる!」と出てきた別の先輩も、開始早々に飛車と角を完封され、穴熊の囲いごと粉砕された。
「囲碁なら負けねえ!」と息巻いて出てきた部長らしき男も、盤面の四隅を完全に制圧され、最後は息をするように石を置けなくなり投了した。
(すげえ……! 藍染スペック、マジでやばいな。相手が次にどこに置くか、手に取るように分かる。こんな無双できるなんて……ちょっと楽しいかもしれないぞ!)
内心でキャッキャと喜ぶ私をよそに、先輩たちは脂汗を滝のように流し、震える手で端末を操作しては、私の口座へポイントを送金し続けていた。
「どうした? 君たちの知略は、その程度で底をついてしまったのかな?」
私は足を組み、まるで玉座から見下ろす王のような態様で彼らを挑発した。
「……クソがっ! 俺の今月の生活費が……!!」
「頼む、もう一回! もう一回だけチャンスをくれ! 俺の残りの50万ポイントを全部賭ける!!」
「……いいだろう。その血反吐を吐くような足掻き、嫌いじゃない」
彼らは完全にギャンブルの沼にハマり、冷静な判断力を失っていた。
「次こそは勝てる」という錯覚を抱かせるように、私はわざと少しだけ隙を見せ、彼らが食いついた瞬間に盤面をひっくり返すという、極めて性格の悪いプレイングで彼らのポイントを根こそぎ奪い取っていった。
二時間後。
部室の床には、精魂尽き果て、真っ白に燃え尽きた上級生たちが転がっていた。
「……ゲームセットだ。君たちの拙い遊戯に付き合うのも、そろそろ飽きた頃合いでね」
私は優雅に立ち上がり、自分の端末を確認した。
そこには、今日一日で稼ぎ出した『200万ポイント』が加算されていた。
元々持っていた私とひよりの特別口止め料の600万ポイントと合わせれば、これで合計800万ポイントだ。
「……なかなか有意義な時間だったよ。どうだい、明日もまた、私の退屈しのぎに付き合ってもらってもいいかな?」
私が微笑みかけながら尋ねると、床に倒れていた先輩たちはビクッと肩を震わせ、泣きそうな顔で土下座の姿勢をとった。
「た、頼む……! もう二度と来ないでくれ……っ!!」
「俺たちが悪かった! 調子に乗ってすいませんでした! だから、もう俺たちの部室には近づかないでください!!」
屈強な先輩たちが、涙と鼻水を流しながら一人の新入生に懇願する。その異様な光景に、私は内心で少しだけ罪悪感を覚えた。
(うわぁ……ちょっとやりすぎたかな。まあいっか! 自業自得だよね!)
私は「……そうか。君たちの心がそこまで折れてしまったのなら、仕方がない。せいぜい、己の矮小さを嘆きながら生きるがいい」とポエムを言い残し、部室を後にした。
特別棟の廊下を歩きながら、私は大きく息を吐いた。
(思ったよりがっつり稼げたな。一日で200万か……このペースなら、2000万なんてあっという間かもしれない)
しかし、すぐにその考えを打ち消す。
(いや、そんなに甘くないか。ボードゲーム部の先輩たちは完全に俺にビビっちゃったし、この噂が広まれば、誰も俺と賭けをしてくれなくなる。まだ残り1200万。2000万ポイント貯めるとなると、まだまだ先は長いな……)
窓の外を見ると、すっかり日は落ち、夜の闇が学校を包み込み始めていた。
(他の部活でも稼げるかな?武道系の部活に行って『俺に一発でも入れられたら10万ポイントやるよ』みたいな道場破りをするのもありか? 藍染スペックの身体能力なら、絶対に負けない自信はあるしな)
「ひよりと同じクラスになる」という、純粋で健気な目的のために。
転生者・藍染惣右介の頭脳は、この実力至上主義の学校の生徒たちをいかにして合法的に(?)カモるかという、極めて邪悪な算段を高速で弾き出していた。
(……よし、今日はこれくらいにして、早くひよりの待つ図書室に行こう)
私は冷酷な魔王の仮面の奥で、親友の顔を思い浮かべてデレデレと相好を崩しながら、夕闇に沈む校舎を足早に歩き出した。
メールという文明の利器によって正常なコミュニケーション手段を一つ確保した私は、かつてないほどの晴れやかな気分で、愛すべき日常の待つ図書室へと向かうのだった。