いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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七十一話

 三月二十五日。

 涙と感動に包まれた卒業式の翌日、高度育成高等学校では一・二年生を対象とした修了式が体育館にて執り行われていた。

 

 昨日まで三年生たちが座っていた前方のパイプ椅子はすでに撤去され、少しだけ広く、そして少しだけ寂しく感じるようになった体育館。壇上に立つ校長先生から、一年間の締めくくりとなる長く単調な挨拶がマイクを通して響き渡っている。

 

 周囲に整列する生徒たちの顔には、激動の一年間を生き抜いた安堵と、明日から始まる春休みへの期待が入り混じっていた。特に我がAクラスの生徒たちは、誰一人欠けることなく、首位をキープしたままこの日を迎えられた喜びから、皆一様に晴れやかな表情を浮かべている。

 

 やがて校長先生の挨拶が終わり、教師から春休み中の注意事項が伝えられると、今年度最後となる修了式は静かに幕を下ろした。

 

「よし、生徒会の役員はそのまま残れ。これより体育館の後片付けと、春休み中の見回り当番の最終確認を行う」

 

 一般生徒たちが次々と教室へと戻っていく中、南雲雅の鶴の一声で、私たち生徒会メンバーは体育館に居残ることになった。

 

 私はオサレにジャケットの裾を翻し、一之瀬や鬼龍院先輩たちと共に、手際よくパイプ椅子の片付けや紅白幕の撤収作業に取り掛かる。

 

「ふふ。今日も見事な手際だな」

 

「――当然だ。覇道を行く者は、己の足元を整えることすらも完璧でなければならないからね」

 

 からかってくる鬼龍院先輩をオサレなセリフでいなしつつ、私は粛々と己の役割を全うした。

 

 一時間ほどで体育館の原状回復が終わり、生徒会室に戻って春休み期間中の校内見回りスケジュールの確認と引き継ぎが行われた。

 

「よし、今日の業務は以上だ。お前ら、一年間よくやってくれた。明日からの春休み、せいぜい羽を伸ばして英気を養っておけ」

 

 南雲の労いの言葉をもって、今年度の生徒会の業務は全て解散となった。

 

 

 生徒会室を後にした私は、春の暖かな日差しが降り注ぐ校舎を抜け、ケヤキモールへと向けて歩き出した。

 

 頬を撫でる風には、どこか甘い花の香りが混じっている。敷地内に植えられた桜の木々はすでに蕾を膨らませており、満開の時期が近いことを告げていた。

 

 そんな春の訪れを感じながら、私は足早にモールの奥にあるお気に入りのカフェへと向かう。今日はこの後、愛しい恋人であるひよりがそこで私を待ってくれているのだ。

 

 カランコロン、と心地よいベルの音を鳴らしてカフェの扉を開く。

 店内には芳醇なコーヒーと甘いワッフルの香りが漂い、春休みを前におしゃべりに花を咲かせる生徒たちで適度に賑わっていた。

 

 私は店内に視線を巡らせ、すぐに窓際の席に座る銀髪の美少女を見つけた。

 

 淡いパステルカラーのカーディガンに身を包んだひよりが、向かいの席の人物と穏やかな笑みを浮かべて談笑している。その可憐で清楚な佇まいは、周囲の喧騒からそこだけが切り取られたような、絵画のような美しさを放っていた。

 

 ――しかし。

 

 私の視線は、ひよりの向かいの席に座る『もう一人の人物』の姿を捉え、わずかに見開かれた。

 

(……ん? 橘先輩じゃん!!)

 

 ひよりの向かいに座り、少し落ち着かない様子で紅茶のカップを両手で包み込んでいるのは、つい昨日この学校を卒業したばかりの元生徒会書記、橘茜先輩だった。

 

(えっ、なんで橘先輩がひよりと一緒にいるの!? いや、明後日には生徒会メンバー全員で学先輩たちのお別れ焼肉パーティーをする予定だから、そこで会えるとは思ってたけど! でも、卒業して間もないこのタイミングで偶然会えるなんて、めちゃくちゃ嬉しいな!)

 

 内心で無邪気に喜びの声を上げながら、私は優雅な足取りで二人のテーブルへと近づいた。

 

「待たせたね、ひより。……それに、橘も」

 

「あっ……お待ちしていました、惣右介くん」

 

 私の声に気づいたひよりが、パァッと花が咲くような可憐な微笑みを浮かべて立ち上がった。

 

 一方の橘先輩は、私の顔を見るなりとても申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「藍染くん……。その、ごめんね。今日、どうしても相談したいことがあって、私から急に椎名さんに連絡して来ちゃったの。せっかくの藍染くんと椎名さんとのデートのお邪魔をしちゃって……」

 

 消え入りそうな声で謝る橘先輩。どうやら、偶然鉢合わせたのではなく、橘先輩の方からひよりを頼って連絡を取り、この場に来ていたらしい。

 

(邪魔だなんてとんでもない! 橘先輩ももうすぐこの学校から去ってしまうんだから、少しでも話せる時間があるなら大歓迎ですよ!)

 

 私は内心で全力で首を振りつつ、あくまで涼しい顔で。余裕に満ちた言葉を紡いだ。

 

「――案ずるな、橘。去り行く者との僅かな邂逅は、何よりも得難い至福だ。……君の存在を、私は心から歓迎しよう」

 

 オサレで、少しばかり偉そうだが、最大限の歓迎の意を込めたセリフ。

 

「藍染くん……ありがとう。ふふっ、相変わらず偉そうだけど、優しいですね」

 

 橘先輩は私のオサレポエムの意図を感覚で理解してくれたらしく、安堵したようにふわりと微笑んでくれた。

 

 私はひよりの隣の席に腰を下ろし、店員にコーヒーを注文した。

 一息ついたところで、私は改めて正面に座る橘先輩を見つめる。

 

「……それで? 卒業式を終えたばかりの君が、わざわざ我々の元を訪れたということは、何か余程の『事情』があるのだろう?」

 

「うっ……」

 

 私の問いかけに、橘先輩は図星を突かれたように肩を震わせ、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げていった。

 

「じ、実は……その、ね」

 

 橘先輩はモジモジと指先を絡ませながら、周囲の目を気にするように声を潜めた。

 

「……真剣な、恋愛相談に乗ってほしくて……」

 

「ほう?」

 

「う、うん……。こういう話、同級生の友達に相談するのはすごく気恥ずかしいし……それに、私の可愛がってる、後輩の素敵なカップルのお二人に……藍染くんと椎名さんなら、私の気持ちを分かってくれるんじゃないかって思って……」

 

 顔から火が出そうなほど真っ赤になりながら、必死に言葉を紡ぐ橘先輩。

 その初々しくも必死な姿を見た瞬間、私の脳内で全てのピースがカチリと音を立てて繋がった。

 

(恋愛相談!? しかも、このタイミングで!? ……間違いない、これは絶対に『学先輩』のことだな!!)

 

 私は内心で名探偵のように見事な推理を披露し、一人で大興奮していた。

 すると、私の隣に座るひよりが、小首を傾げながら、まるで天気の話でもするかのような自然なトーンで口を開いた。

 

「堀北先輩のことですよね?」

 

「な、な、なんで分かるんですか!?」

 

 ひよりのド直球な指摘に、橘先輩はガタッと椅子を鳴らして立ち上がりそうになるほど慌てふためき、両手で真っ赤な顔を覆った。

 

 私とひよりは、思わず顔を見合わせる。

 

「いや……たぶん、堀北先輩本人以外は、ほとんど周知の事実かと……」

 

 ひよりが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながらそう告げると、橘先輩はさらに身を縮ませた。

 

「そ、そんなにバレバレなんですか!? わ、私、生徒会でもちゃんと公私混同しないように、真面目な書記として振る舞ってたつもりだったのに……っ!」

 

「……哀れなことだ」

 

 私は静かにコーヒーのカップを置き、フッと目を細めてオサレなため息を吐いた。

 

「あの男は、己の定めた厳格な規律に縛られ、足元で咲き誇る一輪の花の美しさにすら気づけないのだから」

 

(訳:学先輩も、あんなに優秀で完璧超人なのに、なんで恋愛ごとになるとあんなに鈍感な堅物主人公みたいになっちゃうんだろうなー! 橘先輩のこんなに分かりやすい好意に気づかないなんて、罪作りな男だよ本当に!)

 

 私は内心で学先輩の鈍感っぷりに呆れながら、やれやれと首を振った。

 

 ――しかし。

 

 その直後、私の隣から、空気を凍らせるような冷ややかな視線が突き刺さった。

 

「…………惣右介くんは、堀北先輩のこと、全然言えないと思いますけど?」

 

「なん……だと……?」

 

 振り返ると、そこには目を半開きにして、ジトーーーーッと私を睨みつけるひよりの姿があった。その瞳には「よくそんなことが言えますね、この鈍感王」という、静かな、しかし強烈な抗議の光が宿っていた。

 

(うっ……!! そ、それは……そうだね……!!)

 

 私は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

 思い返せば、あの冬の日。ひよりが私に想いを伝えてくれるその瞬間まで、私は彼女からの数え切れないほどの好意のサインに全く気づかず、あろうことか『ひよりが自分を好きだなんて微塵も考えていなかった』という、絶望的なまでの恋愛ポンコツっぷりを発揮していたのだ。

 

(俺、学先輩のこと全く笑えないじゃん!! むしろ俺の方がよっぽど酷い堅物鈍感野郎だった!! ひより、ごめん!! 今のは完全にブーメランだった!!)

 

 内心で滝のような冷や汗を流し、大慌てで土下座の準備をする私。

 

 しかし、絶対強者たる『藍染惣右介』の外面は一切崩れることなく、私はただ涼しい顔で「……ふっ」と謎の笑みを浮かべて誤魔化すことしかできなかった。

 

 私の様子を見て、ひよりはジト目を解き、悪戯っぽくふふっと微笑んだ。

 

「……冗談ですよ。そんな不器用なところも含めて、惣右介くんですからね。それに……ふふっ、私もあまり人のことは言えませんし」

 

 ひよりは少しだけはにかむように、頬を朱に染めた。

 

(ひより……! よ、よかったぁぁぁ! 本気で呆れられてたわけじゃなかったんだ! マジで寿命が縮むかと思った!!)

 

 内心で盛大に胸を撫で下ろし、ホッと深い安堵の息を吐き出す私。

 

 そんな私たちのやり取りを見て、橘先輩は少しだけ緊張が解けたのか、ふわりと微笑んだ後、再び真剣な、そして不安に揺れる瞳で口を開いた。

 

「……堀北くんとは、卒業後も同じ大学に進学することは決まっているの。だから、これからも一緒にいられる時間はたくさんあるはずなんだけど……」

 

 橘先輩は、きゅっと膝の上で拳を握りしめた。

 

「堀北くん、すごく優秀で、かっこよくて……絶対に、大学でもすごくモテると思うの。もし、私が見ていないところで、誰か他の素敵な女の人に取られちゃったらどうしようって……そう考えたら、不安で夜も眠れなくて……でも、今の心地よい関係を壊してしまうのも怖くて……」

 

 それは、恋をする乙女であれば誰もが抱く、普遍的で、だからこそ切実な恐怖だった。

 

 長年傍で支え続けてきたからこそ、彼がどれほど魅力的な男性であるかを誰よりも知っている。そして、自分がただの『優秀なクラスメイト』や『友人』として見られているのではないかという疑念が、彼女の足をすくませていたのだ。

 

 その震える声を聞いたひよりは、マグカップをテーブルに置き、橘先輩の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「……まだ、もう少しだけ、この学校を去るまでには時間があります。橘先輩、告白しましょう」

 

 それは、一切の迷いがない、力強く、そして優しい背中を押す言葉だった。

 

「ふぇぇっ……! こ、告白なんて……! そんな、私なんかが堀北くんに気持ちを伝えるなんて……もし断られたら、もう二度と今までみたいに隣を歩けなくなっちゃう……!」

 

 恐怖に顔を引き攣らせ、弱音を吐く橘先輩。

 その背中をさらに強く押し出すため、私は圧倒的な確信を込めて、オサレに言い放った。

 

「――誇るがいい、橘」

 

 私はフッと口角を吊り上げ、自信に満ちた笑みを浮かべる。

 

「あの孤高の王の隣。……そこに座ることを許されるのは、初めから君しかあり得ないのだから。君以外の存在が彼の隣に並び立つなど、有り得ない事象だ」

 

(訳:学先輩の隣には、橘先輩しかあり得ませんよ!! あのストイックすぎる学先輩を三年間も支え続けられたのは、世界中探しても橘先輩だけです!! 絶対に大丈夫だから、自信を持ってください!!)

 

 内心で全力のエールを送りつつ、オサレポエムで彼女の存在価値を絶対的なものとして肯定する。

 

 私の言葉に橘先輩がハッと息を呑んだのを見て、ひよりがさらに優しく、けれど熱を帯びた声で言葉を紡いだ。

 

「……怖い気持ちは、すごくよく分かります。私も、そうでしたから」

 

「え……? 椎名さんも……?」

 

 橘先輩が驚いたようにひよりを見つめる。

 ひよりは少しだけ頬を染め、私の顔をチラリと見てから、愛おしそうに微笑んだ。

 

「はい。惣右介くんに想いを伝える前は、毎日が不安でいっぱいでした。もしこの気持ちを伝えて拒絶されたら、今まで一緒に本を読んだり、カフェでお茶を飲んだりしていた、この心地よい関係を全て失ってしまうんじゃないかという恐怖……。本当に、足が竦むほど怖かったです」

 

 ひよりの言葉は、嘘偽りのない彼女の真実の想いだった。あの冬の日、私に想いを伝えてくれた彼女の震える声を、私は今でも鮮明に覚えている。

 

「……それでも」

 

 ひよりは、きゅっと胸の前で両手を握りしめ、強い光を宿した瞳で橘先輩を見据えた。

 

「私は、惣右介くんにとって、たった一人の『特別な女の子』になりたかったんです。ただの読書仲間でも、親友でもなく、誰よりも一番近くで、彼の心に触れられる存在になりたかった。……だから、私は恐怖を飲み込んで、告白しました」

 

 ひよりの真っ直ぐな言葉が、静かに、しかし熱く橘先輩の心に染み込んでいく。

 

「橘先輩は、堀北先輩の特別になりたいんですよね?」

 

 ひよりの問いかけに、橘先輩は弾かれたように顔を上げた。

 その瞳から、先程までの迷いや恐怖の陰りが、スッと消え去っていく。

 

「……なりたい」

 

 橘先輩の口から、ポツリと、しかし確かな意志を伴った言葉がこぼれ落ちた。

 

「なりたいに決まってるじゃないですかぁ……! 一年生の時から……ずっと、ずっと好きなんです……! 私が、堀北くんの一番になりたい……っ!」

 

 涙ぐみながらも、ついに己の本当の願いを口にした橘先輩。

 その姿を見て、ひよりはふわりと、春風のような優しい微笑みを浮かべた。

 

「……ふふ。答えは、すでに出ているじゃないですか」

 

 ひよりは橘先輩の手をそっと握り、温もりを伝えるように包み込んだ。

 

「橘先輩は、優しくて、可愛くて、いつも一生懸命で……本当に、とても素敵な女性です。堀北先輩も、きっと橘先輩のその深い愛情を受け入れてくれますよ」

 

 ひよりの言葉に、橘先輩の大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。

 私は静かに立ち上がり、彼女を見下ろして、最後に絶対的な言霊を落とす。

 

「――恐れるな。『勇気』とは、恐怖を退けて歩み続けることだ。君のその気高き想いは、必ずやあの男の心に届く」

 

(訳:絶対大丈夫ですよ!! 勇気を出して、学先輩にぶつかっていってください!! 俺とひよりが全力で応援してますから!!)

 

 私のオサレで力強いエールを受け取った橘先輩は、涙を腕でゴシゴシと拭い、パンッと両手で自分の頬を叩いた。

 

「……ありがとう、藍染くん、椎名さん!」

 

 顔を上げた橘先輩の表情は、見違えるほど晴れやかで、そして美しかった。

 

「お二人に背中を押してもらって、ようやく決心がつきました! ……私、今日、堀北くんに告白します!」

 

 力強く宣言した彼女の姿は、もはや怯える小鳥ではなく、愛する者のために戦場へと赴く気高き乙女そのものだった。

 

「はいっ! わたしたち、全力で応援しています!」

 

 ひよりも嬉しそうに頷き、私とひよりは二人で彼女の恋の行方を最後まで見守ることを決意した。

 

「相談に乗ってくれて、本当にありがとう! 今日のお茶代は私に奢らせてね、ポイントは支払っておくから! それじゃあ、私、行ってくるね!」

 

 橘先輩はそう言うと、ひよりに抱きついて感謝を伝えた後、弾むような足取りでレジへと向かい、私たちの分の代金もまとめて自身の端末からポイントで会計を済ませて、カフェを飛び出していった。

 

 その背中は、希望に満ち溢れ、どこまでも真っ直ぐに愛する人の元へと向かっていた。

 

 カランコロン、と扉のベルが鳴り、再び店内に穏やかな静寂が戻る。

 窓の外を駆け抜けていく橘先輩の姿を見送りながら、ひよりが両手を合わせて、祈るように呟いた。

 

「……上手くいくといいですね、橘先輩」

 

 その横顔は、まるで自分のことのようにドキドキしている様子だった。

 私は静かに席に座り直し、まだ温かいコーヒーのカップを手に取って、オサレな笑みを深めた。

 

「――問題ないさ」

 

 窓の外、青く澄み渡る春の空を見上げながら、私は絶対の自信を持って言い放つ。

 

「あの男が、彼女以外の誰かを選ぶ未来など、端から存在しないのだから」

 

(訳:学先輩が橘先輩を振るなんてあり得ないって! あの二人はもう、夫婦みたいなもんだからね!)

 

 内心で彼らのハッピーエンドを確信しながら、私は愛しい恋人と共に、甘く穏やかな春のティータイムを再開したのだった。

 

 

 




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