いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
七十六話
――四月某日。高度育成高等学校、理事長室。
春の陽光が差し込むその部屋は、重厚な調度品に囲まれ、ひんやりとした静寂に包まれていた。
革張りの椅子に深く腰掛ける男――月城理事長代理は、手元のタブレット端末から視線を上げ、目の前に立つ『二人の生徒』に向けて胡散臭い笑みを浮かべた。
「――これで、二年生全員のデータは完全に頭に入りましたね?」
月城の問いに対し、二人は一切の感情を感じさせない無機質な瞳で、ただ静かに頷いた。
「素晴らしい。さすがはホワイトルーム生ですね」
月城はわざとらしく両手を広げ、恭しく言葉を続ける。
「あなた方に課せられたミッションはただ一つ。重要なのは、四月中に綾小路清隆くんを退学させること。……これ以上の計画の遅れは、あの方も認められません。ですが、決して危険な動きはしないようにしてください」
「……あまり目立つ真似はするなと?」
刺客の一人が短く冷徹な問いかけを発すると、月城はフッと目を細め、底冷えするような笑みを深めた。
「ええ。君たちも知っているかもしれませんが、この学校には、かつてホワイトルームを追放された規格外の天才――藍染惣右介くんが在籍しています。はっきり言って、君たちの能力では彼に太刀打ちすることは不可能です。現在、生徒会副会長という権力すら握っている彼に目をつけられる前に、確実に綾小路くんを退学へと追い込んでください」
月城のその露骨な忠告に対し、二人の刺客は対照的な反応を示した。
一人は、自らの能力を「不可能」と全否定された屈辱と、底知れぬ激しい憎悪から、ギリッと奥歯を強く噛み締めた。
対してもう一人は、かつての伝説に対する好奇心を隠すこともなく、くすくすと心底面白そうに喉の奥で笑い声を漏らす。
「……それに、君たちのホワイトルームでの成績には、すでに目を通しています。君たちならば、綾小路くんを退学にすることも可能でしょう」
「…………」
二人はそれ以上何も答えない。ただ、己に与えられた『綾小路清隆の排除』という絶対の命題を反芻するように、静かにその場を後にした。
閉ざされた扉を見つめながら、月城は一人、チェス盤の駒を指で弾いた。
「さて……どう盤面が動くか。見物させてもらいましょうか」
四月八日。
長く短かった春休みが終わりを告げ、いよいよ二年生としての新学期が幕を開けた。
この日は始業式のみが行われ、正式な授業は行われない。午前中で放課後となる特別な一日だ。
真新しい二年Aクラスの教室には、一年間という過酷な戦いを共に生き抜いたクラスメイトたちの、活気に満ちた声が響き渡っていた。
そんな賑わいの中、私は自分の席に座りながら、様変わりした教室内の光景を静かに見渡していた。
今年度から、教室の前方にあったチョーク式の黒板は完全に廃止され、巨大で真新しいホワイトボードへと姿を変えている。さらに、これまで使用していた分厚い紙の教科書も全て廃止され、生徒の机の上には一人一台、授業用の最新型タブレット端末が置かれていた。
(おおっ、マジか! 黒板がホワイトボードになってるし、教科書も全部タブレットに切り替わってる! さすがは国が威信をかけて運営する高度育成高等学校だな!)
私は内心で一人、最新設備にテンションを上げながら、机の上のタブレット端末を興味津々で眺めていた。
やがてホームルームの時間が近づき、教壇の前に立った一之瀬帆波が、真新しいホワイトボードを背にしてクラス全員を真っ直ぐに見渡した。
「みんな、おはよう! そして、二年生への進級、本当におめでとう!」
一之瀬の明るく、そして力強い声に、クラス中から自然と拍手が沸き起こる。
「今日からいよいよ、二年生としての新しい一年が始まるね。一年生の時は、初めての特別試験に戸惑ったり、クラスポイントの増減に一喜一憂したり……本当に色んなことがあったと思う。でも、私たちはみんなで手を取り合って、数々の困難を乗り越えてきた。だからこそ、今こうして『Aクラス』として、笑顔でこの日を迎えられているんだと思う」
一之瀬の言葉に、神崎や白波をはじめとするクラスメイトたちが、深く頷きながら真剣な眼差しを向ける。
「今年の一年間、私からみんなにお願いしたい目標は三つです」
彼女は指を三本立て、凛とした笑顔で宣言した。
「一つ目は、誰一人として退学者を出さないこと。二つ目は、このAクラスの座を最後まで死守すること。そして三つ目は……私たち一人一人が、昨日よりも今日、今日よりも明日へと、さらに成長を続けること!」
一切の迷いがない、完璧なリーダーとしての演説。
「これからも厳しい特別試験がたくさん待っていると思うけど、私たちなら絶対に乗り越えられる。今年も一年間、みんなで一緒に頑張ろうね!」
「「「おおおおおっ!!」」」
一之瀬の言葉に、クラスの士気は最高潮に達し、歓声と割れんばかりの拍手が教室を包み込んだ。
(一之瀬……! やっぱり君は最高のリーダーだな……!)
私は自分の席に座ったまま、内心で大いに感動し、涙腺を緩ませていた。
(入学当初から俺は、君のその『優しさ』こそが最大の強みだと思っていたが、俺の目は決して間違っていなかった。過酷な学校生活の中でもその本質を見失うことなく、今や完全にAクラスを牽引する絶対的な柱になっている! クラスメイトからの信頼もカンストしてるし、これなら過酷な試験も安心して任せられるな!)
内心で一之瀬の揺るぎない信念と素晴らしいリーダーシップに盛大なスタンディングオベーションを送りつつも、私の外面は決して崩れない。
「――フッ。見事な先導だ、一之瀬。君の放つ光が、このクラスを照らす絶対の道標となるだろう」
私がオサレな笑みを浮かべてそう告げると、一之瀬はパッと花が咲くような笑顔を見せた。
「うんっ! ありがとう、藍染くん! 今年も藍染くんの力、頼りにさせてもらうね!」
午前中の始業式とホームルームが終わり、午後。
生徒会のメンバーである私は、体育館に残り、明日に控えた『入学式』の最終確認に追われていた。
「紅白幕のたるみ、修正完了しました。マイクの音量テストも問題ありません」
「ああ、ご苦労。パイプ椅子の列もミリ単位で揃えろ。新入生たちに、この高度育成高等学校の完璧な秩序を見せつけるんだ」
生徒会長である南雲の的確な指示のもと、生徒会役員たちがキビキビと動き回る。
私も持ち前の圧倒的な処理能力で、新入生を誘導するための動線確保と、音響機材の最終調整を瞬く間に終わらせていた。
(ふぅ、これで俺の仕事は完了っと。いやー、それにしても……明日の新入生歓迎の挨拶、生徒会長の南雲がやってくれることになってて本当に良かったぜ……)
私はパイプ椅子の後ろで優雅に腕を組みながら、内心で心底ホッと胸を撫で下ろしていた。
(もし俺が挨拶することになって、『新たなる雛鳥たちよ、ようこそ絶望の箱庭へ』みたいなポエムをぶちかましたら、新入生たちから『なんだあのヤバい先輩!?』ってドン引きされるところだったからな。危ない危ない。こういう公の場での真っ当な挨拶は、南雲に任せるのが一番だ)
私は内心の安堵を完全に隠し去り、南雲に向けて傲慢に微笑んだ。
「――完璧な盤面の構築だ。新たなる駒たちを迎え入れる儀式、その主役は王たる君に譲ろう。私はあくまで、影からこの秩序を見守ることにするよ」
「ははっ。相変わらず上から目線だな、藍染。まあいい、明日の挨拶は俺の完璧な演説で、新入生どもの度肝を抜いてやるさ」
南雲は自信に満ちた笑みを浮かべ、体育館の準備は万端の状態で締めくくられた。
翌日、四月九日、金曜日。
桜の花びらが舞い散る中、高度育成高等学校の入学式が厳粛に執り行われた。
期待と不安を胸に抱いた一年生たちが体育館に整列する中、南雲雅による新入生歓迎の挨拶が行われた。
「――新入生の皆さん、入学おめでとう。この学校は、実力こそが全ての世界だ。しかし、恐れることはない。己の力を信じ、常に上を目指す意志がある者にとって、ここは最高の学び舎となる……」
南雲の堂々たる演説に、新入生たちは圧倒されながらも、目を輝かせて聞き入っていた。
(よしよし。めちゃくちゃ真っ当でいい挨拶してるじゃないか。俺は今日、裏方として照明や音響のチェックをこなしただけ。誰の目にも留まらず、ただの優秀な裏方として何事もなく入学式を終えられた。大成功だ!)
私は目立つことなく、あくまで生徒会の裏方として無事に入学式を終わらせることに成功したのだった。
そして、週が明けて四月十二日、月曜日。
いよいよ、二年生としての正式な授業が始まる日。
朝のホームルームのチャイムが鳴ると同時に、教室の扉が開き、私たちの担任である星之宮知恵先生が姿を現した。
「はーい、みんなおはよー! 週末はゆっくり休めたかなー?」
いつものように少し間延びした声で挨拶をする星之宮先生。
しかし、今日の彼女の瞳の奥には、いつもとは違う、教師としての真剣な光が宿っていた。
彼女は教壇に立つと、持っていたタブレット端末を軽く掲げてみせた。
「さてさて。今日から本格的に二年生の授業がスタートするわけだけど……その前に、先生からとっても大事なお知らせがあります」
星之宮先生のそのトーンの変化に、教室内の空気がピリッと引き締まる。
「今年度から、この高度育成高等学校に新しく導入されるシステム……その名も『OAA(Over All Ability)』について、今から説明するね。これは、みんなのこれからの学校生活、そしてクラスの勝敗を大きく左右する、すっごく重要な新システムなんだから、しっかり聞いてね? ――まずはみんな、机の上のタブレット端末を開いて、学校のホームページから専用のアプリをダウンロードしてくださーい」
先生の指示に従い、クラスメイトたちが一斉に端末を操作し始める。
私も涼しい顔で端末を指で弾き、アプリを起動した。
「このOAAっていうアプリはね、みんなのこれまでの成績や学校生活の態度を数値化して、一目で評価が分かるようにしたものなの! しかも、このアプリを通じて、自分だけじゃなく全学年の全生徒のデータがいつでも誰でも見られるようになってるんだよー。ちなみに、評価は毎月一日に更新されるからね」
その言葉に、教室内から「全生徒のデータが見られる!?」とどよめきが起きた。
「評価される項目は全部で四つ! それに総合力を合わせた五つの指標があるから、画面を見ながら聞いてね」
星之宮先生は、ホワイトボードに各項目の説明を映し出した。
・『学力』:主に筆記試験での点数から算出。
・『身体能力』:体育の授業での評価、部活動での活躍、特別試験等での活躍から算出。
・『機転思考力』:友人の多さ、その立ち位置を始めとしたコミュニケーション能力や、機転応用が利くかどうかなど、社会への適応力を求められ算出。
・『社会貢献性』:授業態度、遅刻欠席をはじめ、問題行動の有無、生徒会所属による学校への貢献など、様々な要素から算出。
・『総合力』:社会貢献性のみ重みを半分にした、上記四つの数値の平均値。
(……いよいよ、本格的にOAAが始動したか)
生徒会役員である私は、すでに数日前の段階でこれらの詳細な説明を受けており、自身のOAAの数値も確認済みであった。そのため、周囲がざわつく中でも一切慌てることなく、優雅に画面を眺めていた。
(自分の数値はもう知ってるからいいとして……よし、早速ひよりのデータを見てみよう!)
私は絶対強者の外面を崩さぬまま、内心ではウキウキでひよりのOAAを閲覧した。
【二年Aクラス:椎名 ひより】
・学力 A(90)
・身体能力 D(35)
・機転思考力 B+(80)
・社会貢献性 A(88)
・総合力 B(71)
(うんうん! 学力は元々優秀だったけど、よく俺の部屋で一緒に勉強してるからどんどん成績が上がってるもんね!機転思考力も、今や友達がたくさんいるからしっかり高評価だ。社会貢献性が高いのは、ひよりの誰にでも丁寧で優しいところと、生徒会副会長である俺のサポートを献身的にしてくれていることが評価されてるんだろうな! 身体能力はDだけど、体育の授業とかでも一生懸命頑張ってるのを知ってるから、これからもっと良くなるはずだ! ……はぁ、俺の彼女、完璧すぎないか?)
私は画面に映るひよりの可愛らしい顔写真と優秀なステータスを眺めながら、内心でデレデレの甘々評価を下し、大いに満足していた。
そんな中、星之宮先生がパンッと手を叩いた。
「とりあえず、みんな自分のデータを見てごらん! これで全員の能力が丸裸ってわけだからねー!」
その言葉に従い、生徒たちが各自のデータを確認し始める。すると、教室のあちこちから不安そうな声が漏れ始めた。
「……なぁ。去年まではクラス単位での争いだったけど、これって今年からは、個人の能力での争いがメインになるってことか……?」
「退学とかも、この個人の成績で判断されやすくなるんじゃ……」
可視化された個人の優劣。それがもたらす冷酷な現実に、クラスの空気が少し重くなる。
だが、その不安の空気を吹き飛ばすように、一之瀬がパッと明るい声を上げた。
「みんな、大丈夫だよ!」
一之瀬は立ち上がり、クラス全員に向けて力強く微笑みかけた。
「確かに個人の評価がはっきりと数字で見えるようになったけど、私たちが二年Aクラスとして、全員で協力し合うことに変わりはないよ。むしろ、お互いの得意なことや苦手なことがハッキリ数字で分かったんだから、今まで以上にみんなでカバーし合えるはずだよ! だから、何も怖がる必要なんてないよ」
「一之瀬……。そうだな、その通りだ!」
「うん、私たちAクラスなら絶対に大丈夫!」
一之瀬の完璧なフォローと持ち前のカリスマ性によって、クラスの不安は瞬く間に消し飛び、前向きな結束力へと変わっていった。
「一之瀬の言う通りだ。……それにしても、藍染」
不意に、隣の席に座る神崎が私の方を見て、深く感嘆の息を吐いた。
「お前のOAAの数値は……本当に、流石の一言に尽きるな」
神崎の言葉につられ、クラスメイトたちも手元の端末で私のOAAを検索し始めた。
【二年Aクラス:藍染 惣右介】
・学力 A+(100)
・身体能力 A+(100)
・機転思考力 B(72)
・社会貢献性 A(87)
・総合力 A(90)
直後、教室中のあちこちから「うわっ!」「マジかよ……!」という驚愕の悲鳴が上がる。
「藍染くんの数値、エグすぎる……!」
「学力と身体能力がカンストしてるぞこれ……!?」
「いや……でも、藍染だしなぁ。むしろ当然の結果だろ」
「うんうん、なんか逆に安心するっていうか、これくらいじゃないと藍染くんじゃないよね!」
驚愕はすぐに、「まあ藍染くんだし」という妙な納得感へと変わっていった。
教壇の星之宮先生も、嬉しそうにウンウンと頷いている。
「あははっ、みんなも驚いてるみたいだねー! 実はね、この二年生全体の中で、藍染くんは『総合力』がダントツの一位なのよ〜! さすがは我らがAクラスの誇る生徒会副会長だね! みんなも、藍染くんに追いつけるように頑張ってね〜!」
クラス全員の尊敬と畏怖の視線が私に集まる中、私は優雅に端末を置き、不敵な笑みを浮かべた。
「――頂に立つ者として、当然の評価だ。私は常に遥か高みで君たちを待っている。……君たちも、私の背中を見失わぬよう、せいぜいこの盤上で足掻き続けることだね」
「『今回このような素晴らしい評価をいただけたのは、決して私一人の力ではなく、クラスの皆さんが日々努力して支えてくださったおかげです! これからも私が皆さんの先頭に立って全力で引っ張っていきますので、一緒に最高のAクラスを作り上げていきましょうね!』とのことです!」
私の言葉を、すぐ近くの席に座る我らが二年Aクラスの天使――ひよりが、パァッと花が咲くような明るい笑顔で、完璧かつ感動的なスピーチへと翻訳してくれた。
(ひよりぃぃぃ! 完璧な翻訳ありがとう!!)
私の内心の感謝をよそに、ひよりの完璧な翻訳を聞いたクラスメイトたちは「おおー!」「さすが藍染くん!」とさらに団結力を深めていく。
だが、OAAという新システムの衝撃に包まれたホームルームは、これで終わりではなかった。
「はーい、椎名さんも毎度おなじみ翻訳ありがとねー! じゃあみんな、静かにー。OAAの説明はこれで終わりだけど、実はもう一つ、すっごく大事な発表があるのよー」
教壇に立つ星之宮先生のその言葉に、教室の空気が再びピリッと引き締まる。
新たなる一年。新たなるルール。そして見えざる刺客の影。
私とひよりの甘く穏やかな時間の裏側で、次なる戦いの盤面はすでに静かに、そして確実に構築され始めていた――。