いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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七十八話

 同日の放課後。

 一年生と二年生が入り乱れ、かつてないほどの熱気と喧騒に包まれている体育館。その入り口から少し離れた死角となる場所で、二つの影が静かに中の様子を窺っていた。

 

 二年生Dクラスのリーダーである堀北鈴音と、その背後に立つ目立たない男子生徒、綾小路清隆だ。

 

「……なるほど。これがAクラスの、一之瀬さんの出した答えというわけね」

 

 腕を組み、切れ長の目を細めながら、堀北が体育館内の光景を分析する。

 

 彼女の視線の先には、持ち前の愛嬌とコミュニケーション能力をいかんなく発揮し、警戒心の強い一年生たちの心を次々と解きほぐしていくAクラスの生徒たちの姿があった。一之瀬を筆頭に、クラス全体が柔らかな空気を醸し出し、一切の威圧感を与えずに下級生との間に確かな繋がりを構築している。

 

「さすがは一之瀬さんね。彼女自身の強みを最大限に活かしているわ。無理にポイントを使って学力の高い生徒を買い叩くのではなく、人と人との繋がりという目に見えない財産を築き上げようとしている」

 

「ああ。あのやり方は、一之瀬にしか無理だろうな」

 

 綾小路は、淡々と事実だけを述べるように相槌を打った。

 

 一之瀬帆波という人間の持つ、底抜けの善性とカリスマ性。そして、彼女を信じ、彼女のためならばと一致団結できるAクラスの強固な絆があってこそ成立する作戦だ。他クラスが表面だけ真似ようとしても、どこかで必ず破綻する。

 

(今回の特別試験は、クラスポイントも大きくは動かない。勝ちは捨てて、一年生との信頼関係の構築を優先し、その上でプライベートポイントという『資金』の温存を選択したというわけか)

 

 綾小路は内心で、Aクラスの意図を正確に読み解いていた。

 

 学力の高い一年生を囲い込もうとすれば、必然的にクラス間のマネーゲームに発展する。だが、一之瀬たちはその土俵には上がらないと決めたのだ。長期的な視点で見れば、ここで無駄な資金を消費するよりも、後輩たちとの間に盤石なコネクションを作っておく方が、後々の試験で有利に働くと判断したのだろう。

 

「行くわよ、綾小路くん。彼らのやり方が分かった以上、長居しても意味はないわ。とりあえず龍園くんからはすでに連絡が来ているわ。この後、カラオケで作戦会議よ」

 

「分かった」

 

 踵を返す堀北に、綾小路は静かに従う。

 各クラスの思惑が水面下で交差する中、彼らもまた、生き残るための次なる一手を打たねばならなかった。

 

 ――ケヤキモールのカラオケボックス。

 防音設備の整った薄暗い個室のドアを開けると、そこにはすでに先客がいた。

 

 ソファに深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべて足を組む二年生Cクラスのリーダー、龍園翔。そしてその傍らで、端末の画面を冷ややかな目で見つめる参謀の金田だ。

 

「クク。来たか」

 

 龍園はテーブルの上のグラスを傾けながら、入ってきた堀北と綾小路を迎え入れた。

 

「ええ。待たせて悪いわね」

 

 堀北は臆することなく龍園の正面に座り、綾小路もその隣に腰を下ろす。密室という特殊な空間が、これから行われる裏の交渉の空気をより一層張り詰めさせていた。

 

「それで? Aクラスの交流会はどうでしたか?」

 

 金田が端末から顔を上げ、事務的なトーンで問いかけてくる。

 

「一之瀬さんらしい作戦ね。見事に一年生たちの心を掴んでいたわ。資金を使わず、誠実さで関係性を築く……私たちには真似できそうにないわね」

 

 堀北は率直な感想を述べた。張り合うつもりも、貶めるつもりもない。純粋な事実としての評価だ。

 

「クク。だが、あそこに集まってるのは学力に自信がない馬鹿ばっかりだろう? まともな頭を持ってる奴なら、あんな仲良しごっこじゃなく、自分の価値を高く買ってくれるところに自分から売り込むはずだからな。つまり、一之瀬たちは今回、本気で勝ちを取りに行くのを捨てたってことだ」

 

 龍園は鼻で笑いながら、核心を突いた。

 

「そうだな。だが、こちらも何か手を打たないと、そもそもの基礎学力の差があるからな。Aクラスが降りたからといって、無条件で上位を狙えるわけじゃない」

 

 綾小路が静かに言葉を挟む。

 

「分かっているさ」

 

 龍園は鋭い眼光で綾小路を射抜いた。

 

「ある程度のプライベートポイントは切る必要がある。だが、Bクラスはここで確実に勝ちに来るだろうな。一之瀬が降りた今、一年生の上位陣を金で掻き集めようとするはずだ。資金力の差、そしてクラス全体の学力の差を考えれば、真っ向勝負でBクラスには勝てないな」

 

 Bクラスは、非常に戦略的で資金も潤沢だ。真っ向からマネーゲームを挑めば、ジリ貧になるのは目に見えている。

 

「ええ、同感よ」

 

 堀北も一つ頷き、自らの計画を口にする。

 

「理想は、私たちのクラスでなけなしの資金を大きく削ることなく、2位と3位を狙うこと。だから私は、一年Dクラスとの『クラス単位での協力関係』を築こうと考えているわ」

 

 個別の生徒を金で釣るのではなく、Dクラス全体と交渉し、互いの利益のために提携する。それが堀北の導き出した最適解だった。

 

「クク。なるほどな」

 

 龍園は面白そうに喉を鳴らす。

 

「つまり、お前らはDクラスと組んで退学者を出さないように動かす。そして、俺たちCクラスに2位を譲るってわけか」

 

「私たちのクラスには、そもそもBクラスや貴方たちと張り合えるだけの資金がないのよ。それに、貴方たちのクラスのように、独裁的な手段でクラスメイトからポイントを強制的に集めるのも難しいのが現状よ」

 

 堀北の言葉には棘があったが、龍園は意に介さない。

 

「クハハ! 違いねぇ。お前みたいな優等生気取りには無理な芸当だろうな。……いいだろう。後は俺たちがマネーゲームで、Bクラスの資金を削れるだけ削ってやるさ。奴らに楽な試験だったとは思わせねぇよ」

 

 二つのクラスの同盟関係が、一つの形に収束していく。

 だが、そのやり取りを黙って聞いていた綾小路の脳内では、別の思考が渦巻いていた。

 

(堀北の作戦自体は悪くない。だが……先ほどのAクラスの交流会。あの場に、一年Dクラスの生徒は『1人も』参加していなかった。それは明らかに不自然だ。一年Dクラスには、すでに全体を統制している何者かがいる可能性が高い。堀北の目論むクラス単位での交渉は、難航するだろう。それに、クラス単位での交渉が成功したとしても、退学者が出ないようには立ち回れるだろうが、基礎的な学力の高いAクラスに勝てるか厳しいところだ)

 

 それに加えて、綾小路にはもう一つ、大きな懸念事項があった。

 

(月城がオレを退学させるために送り込んできたという、一年生の中に潜む刺客……。クラスの勝敗よりも、今回はそちらを優先させてもらおう)

 

 誰が敵か分からない状況。足元をすくわれれば、特別試験の勝敗どころか、この学校から追放されることになる。

 

「今回の試験は、私たちの同盟関係をあまり活かせるものではないわね」

 

 堀北が少し不満げに息を吐く。

 

「まあな」

 

 龍園は立ち上がり、残りのドリンクを一気に飲み干した。

 

「だが、大きくクラスポイントが動く特別試験が来れば話は別だ。その時は、確実にAクラスとBクラスを引きずり落とす。今はそのための布石を打つ期間に過ぎねぇよ」

 

 暗い瞳に野心を燃やし、龍園はニヤリと笑った。

 

 

 ――同時刻。ケヤキモール内の落ち着いた雰囲気のカフェ。

 ここでは、二年生Bクラスの主要メンバーたちがテーブルを囲み、静かに作戦会議を開いていた。

 

 優雅に紅茶を嗜むリーダーの坂柳有栖を中心に、葛城、神室、真田、鬼頭の姿がある。

 

「今回はどう動く? 学力がものを言う試験である以上、ここは確実に勝ちに行くべきだと思うが」

 

 葛城が腕を組み、堅実な口調で口火を切った。

 

「ええ、そのつもりです」

 

 坂柳はカップをソーサーに置き、ふふっと微笑んだ。

 

「ですが、まずは正確な情報が必要ですね。現在、橋本くんに一之瀬さん主催の交流会へ偵察に向かってもらっています。彼が戻り次第、最終的な方針を確定させましょう」

 

 それからしばらくして、カフェの入り口のベルが鳴り、橋本正義が軽い足取りで歩み寄ってきた。

 

「待たせたな。今戻ったぜ」

 

 橋本は空いていた椅子に腰を下ろすと、周囲を一度見回してから声を潜めて報告を始めた。

 

「やはり、あの交流会に参加してる一年生は、学力に自信のないような生徒が大半だった。一之瀬の手腕もあって場はすっかり和んでて、すでにペアを確定させてる生徒も割といたぜ。……あと、あの藍染も、どういう風の吹き回しか早々にペアを確定させてたしな」

 

「なるほど」

 

 坂柳は満足そうに頷いた。

 

「やはり、Aクラスは今回の試験で『勝ち』を取りに行くことを捨てたようですね。資金力によるマネーゲームに発展すれば、私たちBクラスでもはっきり言って太刀打ちできません。基礎学力の差もほとんどない以上、Aクラスが全力で勝ちに来れば厳しいのが現状でした」

 

「ならば、Aクラスが降りた今こそ好機というわけか」

 

 葛城が真剣な表情で身を乗り出す。

 

「我々もある程度の資金を投入してでも、優秀な一年生を確保する必要があるな」

 

「ええ」

 

 坂柳は同意を示す。

 

「一之瀬さんは資金を使わず、自身の最大の武器である『人柄』を使って一年生と信頼関係を構築する作戦を選んだようですが……こちらは資金をある程度使ってでも優秀な一年生と取引をしましょう。ここで恩を売っておけば、今後の試験でも我々に有利に働く可能性がありますから」

 

「Dクラスは資金がない以上問題ないと思いますが、Cクラスの龍園くんがどう動くかですね……」

 

 真田が冷静に懸念材料を口にすると、神室が退屈そうに頬杖をつきながら鼻で笑った。

 

「でも、ある程度あいつらがポイントを使ったとしても、Cクラスの学力じゃ私たちにはどうせ勝てないでしょ?」

 

「ふふっ。真澄さんの言う通りです」

 

 坂柳はステッキを軽く握り直した。

 

「だからこそ、こちらもポイントはそこまで大量に使わなくても大丈夫ですよ。龍園くんなら、こちらの資金を無駄に削るために嫌がらせのマネーゲームを吹っかけてくるでしょうが、わざわざ本気で付き合ってあげる必要はありません」

 

「堅実な作戦だな」

 

 葛城が深く頷く。

 

「今回の特別試験はクラスポイントが大きく動くわけではないが、詰められるところで少しでもAクラスとの差を詰めておきたい」

 

「ええ。ですが、昨年の無人島試験のように、夏には大きくクラスポイントが動く特別試験が控えているでしょう。こちらもここで資金を使いすぎるのはリスクが高いので、一年生とは上手く交渉する必要がありますね」

 

 坂柳の淀みない指示を聞き、神室は大きくため息をついた。

 

「はぁ……。結局、私や橋本が一年生との交渉の使いっ走りになるってわけね……」

 

「ふふっ。面倒なことばかりで申し訳ありませんが、お願いしますね」

 

 坂柳は悪びれる様子もなく微笑み、最後に付け加えた。

 

「それから、今回の試験ではあまり活かせないとは思いますが……CクラスとDクラスはおそらく同盟を結ぶ、あるいはすでに結んでいるでしょう。ですが、特にDクラスは決して一枚岩ではありませんからね。警戒は必要ですが、現段階で危険視するほどではありませんよ」

 

 そう言って、坂柳は冷たくも美しい笑みを浮かべた。Aクラス不在の盤面で、Bクラスの勝利への布石が着々と打たれていく。

 

 

 

 ――そして、次の日の昼休み。

 高度育成高等学校の二年生フロアは、いつものように生徒たちが行き交い、和やかな空気に包まれていた。

 

 Aクラスの教室で、私は自席に優雅に腰掛け、洋書を片手に静かな時間を楽しんでいた。私の隣には、同じく本を開いているひよりの姿がある。穏やかな陽射しが差し込む中、私たち二人の周りだけが切り取られたかのような、静謐な空間が出来上がっていた。

 

「惣右介くん。この本、以前お話ししていたミステリーの続編なのですが、とても興味深い展開ですよ」

 

「ほう……それは面白そうだね。君がそこまで言うのなら、間違いなく極上の謎が隠されているのだろう。後で私にも読ませてくれないか?」

 

「はいっ、喜んで!」

 

 ひよりが嬉しそうに微笑む。平和な日常だ。

 

 しかし、その静寂は突如として破られた。

 

「あぁ!? てめぇ一年生のくせに、調子乗ってんじゃねぇぞ!!」

 

「……宝泉くん、挑発はやめて下さい」

 

 廊下から、明らかに尋常ではない怒声と、冷静な声が響いてきた。

 たちまち、廊下にいた生徒たちがざわめき始め、野次馬の輪ができ上がりつつあった。

 

(んん? なんだなんだ? 騒がしいな)

 

 私は眉をピクリと動かし、読みかけていた洋書を閉じた。

 隣のひよりも不思議そうに首を傾げている。

 立ち上がり、廊下へと視線を向けると、騒ぎの中心は少し離れた場所――2年Dクラスの教室の前だった。

 

 そこでは、堀北や須藤たちDクラスの生徒の前に、信じられないほどガタイのいい一年生の男子生徒が立ち塞がっていた。筋骨隆々という言葉が似合うその巨躯は、高校生離れしている。その傍らには、どこか冷たい美しさを纏った一年生の女子生徒が立っている。

 

「おい、一年坊主! てめぇ、何してやがる!」

 

 廊下にいたCクラスの石崎が、そのただならぬ空気を察知して一年生の巨漢を制止しようと声を荒げた。

 

「あぁ? なんだてめぇは。引っ込んでろ三下」

 

 巨漢が苛立たしげに石崎を睨みつけ、今にも殴りかからんばかりの凶悪なプレッシャーを放つ。

 

「やめとけ、石崎」

 

 そこへ、騒ぎを聞きつけたのか、Cクラスのリーダーである龍園翔がアルベルトを引き連れて悠然と姿を現した。

 

「り、龍園さん! けどこいつ、いきなりウチのフロアで……!」

 

「いいから下がってろ」

 

 龍園の言葉に、石崎は悔しそうにしながらも素直に引き下がる。

 

 一方、一年生の巨漢は『龍園』という名前を聞いた瞬間、ピタリと動きを止め、口角を歪めて下劣な笑い声を上げた。

 

「……龍園だと? ハッ」

 

 男は、獲物を見つけた猛獣のような目で龍園をねめつける。

 

「龍園、テメェの名前は嫌ってほど聞いたぜ? まさか、こんなひょろっちい体してるとはな。中学の時、何度か遠征に行った時にぶっ殺そうと思ったが……俺にビビって隠れてたのか?」

 

 明らかな挑発。

 だが、龍園は怯むどころか、底意地の悪い笑みを深めて煽り返した。

 

「クク。中学時代に俺と会ってたら、今頃そんなデカい態度は取れなかっただろうぜ?」

 

「あぁ?」

 

 直接的な面識はないものの、互いに同じ地区の不良界隈でその名を轟かせていた二人。交わることのなかった暴君と狂犬が、この高度育成高等学校という特異な空間で、初めて正面から激突しようとしていた。

 

(おいおいおい!! 一年生がいきなり二年生のフロアに乗り込んできて揉めてるじゃん!! しかも同じ地元のヤンキー同士のエンカウント!? なにしてんの!? ちょっと血の気が多すぎない!?)

 

 私の内心は、予想外のトラブルに大いにパニックに陥っていた。

 

(ていうか龍園たちも出てきちゃってるし! これ完全に一触即発の乱闘一歩手前じゃん!)

 

 内心で冷や汗をかきながらも、私の表情は一切崩れない。涼しげな瞳の奥で、高速で状況を分析し、自らの取るべき行動を計算する。

 

(だが……俺は生徒会の副会長だ。この学校の風紀と秩序を守る立場にある。こんな白昼堂々の騒ぎを、見過ごすわけにはいかないよな……!)

 

 生徒会としての体裁を守るため、そして何より、これ以上事態が悪化して厄介事に巻き込まれるのを防ぐため、私は動く決意を固めた。

 

「惣右介くん。あの一年生の男の子……」

 

 そっと隣に寄り添ってきたひよりが、自らの端末を開き、OAAの画面を見せてきた。

 

「一年Dクラスの、宝泉和臣くんというそうです。身体能力の評価が非常に高いですね……。一緒にいる女の子は、同じく一年Dクラスの七瀬翼さんです」

 

(ひより、マジで有能すぎる……! 俺が何も言わなくても即座に情報を提示してくれるなんて、なんてできた彼女なんだ!!)

 

 内心でひよりの優秀さに感涙しつつ、私はオサレな笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、ひより。的確な情報提供に感謝するよ。……少し、野蛮な空気が漂っている。君は教室で待っていてくれないか?」

 

 紳士的に、かつ有無を言わさぬオサレな声音で告げると、ひよりは心配そうに瞳を揺らしながらも「……気をつけてくださいね」と頷いた。

 

 ひよりを安全な場所へ残し、私は騒ぎの中心へと歩みを進める。

 

 私が一歩踏み出すごとに、その尋常ではない存在感を感じ取った野次馬たちが、自然と道を空けていく。

 

 その場にいる全員の視線が、歩み寄る私に集中した。龍園も、宝泉も、Dクラスの生徒たちも、息を呑んでこちらを見つめる。

 

「――何をしている?」

 

 静かだが、廊下全体に響き渡るような深く、冷たい声だった。

 

 私は、今にも殴りかかりそうだった宝泉と龍園の間に悠然と立ち塞がり、見下ろすように視線を投げかけた。

 

「これ以上の蛮行は、見過ごせないな」

 

 オサレに、そして圧倒的な強者の余裕を纏って言い放つ。

 

 すると、その私の言葉に呼応するように、野次馬の中からDクラスの生徒である池寛治が飛び出してきた。

 

「藍染様! 貴方様の絶対領域において、下等な獣が放つ穢れた殺気……断じて許せません! 藍染様の尊き御手を煩わせるまでもない。ここは『第一の使徒』たるこの俺が、奴を虚無の淵へと沈めてご覧に入れましょう……ッ!!」

 

 池は顔の半分を片手で覆い隠すという、厨二病の極みのような独特の構え(?)を取りながら、宝泉の前にシャッと躍り出た。

 

(池ぇぇぇぇ! お前どんどん酷くなってるな!? 確かに俺が何度か武術を教えてあげたけど、こんなゴリラみたいなやつにはまだ勝てないからやめとけ!?怪我するぞ!?)

 

 内心で激しいツッコミと焦りの嵐を巻き起こしながらも、私は表情を一切崩さず、ただ静かにオサレな声で言い放った。

 

「池。下がりたまえ」

 

「ははっ……!藍染様!差し出がましい真似を、申し訳ありません!」

 

 池は深く、直角に頭を下げると、シュバッと素早く私の背後へと下がった。

 

 突如として現れた見知らぬ二年生と、その信者のような謎の取り巻き(池)の介入に、宝泉は苛立ちを露わにして顔を歪めた。

 

「あぁ? なんだてめぇらは? 邪魔してんじゃねぇ殺すぞ!」

 

 宝泉から放たれる凶悪な殺気。普通の生徒であれば、その巨体と声の大きさに縮み上がってしまうだろう。

 

 だが、私の表情はピクリとも動かない。まるでそよ風でも吹いたかのように、痛痒も感じていない様子で彼を見下ろした。

 

「……あまり強い言葉を遣うなよ」

 

 私はゆっくりと瞬きをし、哀れむような視線を宝泉に向けた。

 

「——弱く見えるぞ」

 

(このセリフ言うの何回目だよ俺!? この学校の生徒たち強い言葉好きすぎなんだよ!?)

 

 内心で激しいツッコミを入れつつも、私の声は絶対的な覇気を孕んでいた。

 

 ズンッ、と。

 

 その瞬間、宝泉の肩に目に見えない巨大な岩が乗しかかったような、凄まじい重圧がのしかかった。

 

 声のトーンは決して高くはない。声を荒げているわけでもない。ただ静かに忠告しただけ。しかし、そこから放たれる底知れぬ威圧感――まるで次元の違う怪物と対峙しているかのような錯覚が、宝泉の全身の毛穴を逆立たせた。

 

(な、なんなんだ、こいつは……!)

 

 これまで暴力と恐怖で他者を支配し、地元でも無敗を誇ってきた宝泉でさえ、本能的な『死の予感』を感じ取り、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 龍園とも違う。目の前に立つ男は、自分が今まで相手にしてきた有象無象の不良とは決定的に違う。一歩でも間違えれば、完膚なきまでに叩き潰される。そんな絶対的な次元の差を、肌で感じ取っていた。

 

 だが、ここで怯むことだけは宝泉のひん曲がったプライドが許さなかった。

 本能が鳴らす警鐘を無理やり怒りで塗り潰し、ギリッと歯を食いしばって半ば強引に一歩を踏み出そうとしたその時――背後にいた七瀬が鋭い声で制止した。

 

「お待ちください、宝泉くん! その方は――藍染惣右介先輩。この学校の生徒会副会長です」

 

「あ……?」

 

「生徒会副会長である藍染先輩の目の前でこれ以上の蛮行を犯せば、最悪の場合、退学処分もあり得ます。私たちの目的は、あくまで交渉のはずです」

 

 七瀬の正論、そして目の前の怪物から放たれるプレッシャー。

 状況が完全に自分に不利であることを悟った宝泉は、忌々しげに奥歯を噛み鳴らした。

 

「……っ! チッ……! 覚えてろよ、てめぇら」

 

 宝泉は威嚇するように周囲を睨みつけ、踵を返して歩き出した。

 

「――私を記憶に留める必要はないよ、宝泉和臣」

 

 その背中へ向け、私は冷酷な響きを持った極上の煽りポエムを投下する。

 

「地を這う者に、天の星は見えない。次に私と会う時は、せいぜい首を痛めないように気をつけることだ」

 

「…………ッ!!」

 

 背中越しにギリィッと歯軋りする音が聞こえたが、宝泉は振り返ることなく去っていった。七瀬も私に軽く一礼し、その後を追うようにして去っていく。

 

 龍園も、つまらなそうに鼻を鳴らして自らの教室へと戻っていった。

 

 嵐が去った後のような静寂が残る廊下で、私は静かに息を吐いた。

 

(良かったぁぁぁぁ!! 最後にポエムで煽り散らかしちゃったから殴りかかってくるかと思ったけど、素直に引いてくれてマジで助かった!!)

 

(てかアイツ、いきなり何考えてんだよ! 監視カメラもあるこんな廊下のど真ん中で、堂々と乱闘騒ぎなんか起こしたらどうなるか分かってんのか!? もし俺の目の前で本当に手を出してたら、マジで生徒会権限フルに使って即刻退学するように動くところだったぞ……!)

 

 事態が収束したことを見届けると、私は何事もなかったかのように振り返る。野次馬たちには目もくれず、優雅な足取りで自クラスの教室へと戻っていった。

 

 教室に入ると、自席の近くで待っていたひよりがパッと顔を輝かせ、小走りで駆け寄ってきた。

 

「惣右介くん! 大丈夫でしたか? お怪我はありませんか?」

 

 不安そうに見上げてくるひよりの姿が、先ほどの荒んだ空気を浄化してくれるように感じられる。

 

 私は、先ほどまでの重圧をすっかり消し去り、いつものオサレで優しい笑みを浮かべた。

 

「ああ、問題ないよ。ただ少し、迷える子羊たちに道を示してあげただけだ。私に怪我を負わせることなど、この空を掴むことより難しいのだからね」

 

 フッと余裕のある笑いをこぼしながら髪をかき上げると、ひよりは「ふふっ」と安堵の笑みを漏らした。

 

「良かったです。さすがは惣右介くんです」

 

 オサレなセリフで場を締めくくりながら、私は内心で(ホント、無事に終わってよかった……)と深く安堵の息を吐いていた。

 

 宝泉という粗暴なイレギュラーが残していった騒ぎの余韻は、これから始まる波乱のほんの序章に過ぎないのだろう。

 

 一年生の参入により、学校全体に新たな波乱の火種が撒かれ始めている。月城の放った見えざる刺客と、盤上を荒らす制御不能の駒たち。

 

 静寂の裏で蠢く陰謀の気配を確かな肌で感じながらも、私は自らの席へと戻り、隣で微笑むひよりと共に再び手元の洋書を開いた。

 

 外野がどれほど騒がしかろうと、私と彼女のこの甘く穏やかな時間だけは、誰にも邪魔させるつもりはないのだから――。

 

 

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