いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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八十四話

 クラスメイトたちからの心温まる祝福と、ひよりという名の愛らしい天使からのかけがえのない愛情に包まれた、最高に幸せな誕生日。

 

 その温かく甘い余韻は、私の心を深く満たし、これからの過酷な日常を生き抜くための確かな活力となってくれた。

 

 しかし――この高度育成高等学校という特殊な環境において、安息の時間は長くは続かない。それはまるで、嵐の前の静けさのごとき一時の幻影に過ぎないのだ。

 

 私が最高の誕生日を迎えた翌日

 私たち二年生や三年生にとっては通常の授業が行われるだけの平穏な一日だったが、水面下では激しい嵐が吹き荒れていた。

 

 この日、一年生たちを対象とした『第二回特別試験』が実施されていたのだ。

 

 入学してまだ二ヶ月の彼らにとって、毎月のように訪れる特別試験は計り知れない重圧だろう。前回の『パートナー筆記試験』は私たち二年生とタッグを組むことで乗り越えたが、今回は一年生単独での試験だという。

 

 試験の具体的な内容までは私たちに知らされていなかったが、午後に行われたその試験の裏で、一年生たちの間にとてつもない激震が走ったらしいという噂が、放課後になる頃には二年生のフロアにもうっすらと届き始めていた。

 

 

 放課後。

 私は日課となっている生徒会室への道のりを、ひよりと一之瀬と共に歩いていた。

 

「それじゃあ惣右介くん、帆波ちゃん。私はここで。生徒会のお仕事、頑張ってくださいね」

 

 茶道部の部室の前まで来たところで、ひよりがふわりと天使のような微笑みを浮かべて立ち止まった。

 

「ああ。君も部活動を楽しんでおいで」

 

「うん、また明日ね、ひよりちゃん!」

 

 ひよりと別れた私と一之瀬は、そのまま連れ立って生徒会室へと向かう。

 

 窓の外には、五月も終わりに近づき、少しずつ夏の気配を帯び始めた太陽が西の空へと傾きかけている。オレンジ色の西日が廊下に長い影を落とし、まるでこれから始まる暗雲を暗示しているかのように見えた。

 

 重厚な生徒会室の扉の前に立ち、ノックを二回。

 

「失礼するよ」

 

「お疲れ様です!」

 

 オサレで落ち着いた私の声と、一之瀬の明るい声と共に扉を開け、室内へと足を踏み入れた。

 

 そこには、すでに何人かの役員たちが集まっていた。

 

 南雲は自身のデスクで書類に目を通しており、その傍らでは先日新たに生徒会へと加わった堀北鈴音が、真剣な眼差しで実務資料の整理を行っている。桐山たち三年生の役員も書類に目を通している。そして、窓際のソファには三年生の鬼龍院先輩が、タブレットを持ちながら、優雅に脚を組んで紅茶を嗜んでいた。

 

 ここまでは、最近の生徒会室のありふれた光景だ。

 

 だが、私の視線はすぐに、部屋の片隅で待機している二人の一年生役員へと引き寄せられた。

 

 一人目は、一年Bクラスの八神拓也。普段は人懐っこい爽やかな笑顔を絶やさない彼が、今は珍しく深く沈んだ表情で俯いている。

 

 そして二人目は、一年Aクラスの藤泉要。彼は私が部屋に入ってきた瞬間、パッと顔を上げ、まるで絶対神を崇めるような狂信的な熱を帯びた瞳で私に向かって深々と一礼した。彼の方は、相変わらずの通常運転のようだ。

 

「……二人とも、どうしたの? なんだか、すごく暗い顔をしているけれど」

 

 私と一緒に部屋に入ってきた一之瀬が、二人のただならぬ様子に気づき、心配そうに声をかけた。

 

 八神は少し躊躇うように視線を泳がせた後、重い口を開いた。

 

「……一之瀬先輩。実は……今日の特別試験で、僕たちの学年から退学者が出てしまったんです」

 

「えっ……退学者?」

 

 一之瀬が小さく息を呑む。

 

 私も、歩みを止めて八神の方へと視線を向けた。入学して二ヶ月足らずで退学者が出ること自体はこの学校では珍しいことではない。だが、問題は『誰が』退学になったのかだ。

 

「……はい。一年Cクラスの、波田野くんです。彼が、今日の試験の結果を受けて、学校を去ることになりました」

 

 その言葉が落ちた瞬間、生徒会室の空気が微かに凍りついた。

 

(波田野が退学……!?)

 

 私は内心で、大きな驚きを隠せなかった。

 

 彼もまた、前回の特別試験を機にこの生徒会に役員として加入したばかりの一年生の一人だ。

 

(まだ一緒に生徒会の仕事をした時間は少ないが、真面目で、処理能力もそれなりに優秀だったはずだ。学力も低くはなかった。それなのに、いきなり二回目の試験で退学だと?)

 

 ただの能力不足で落ちるような生徒ではない。何らかのイレギュラーな事態が発生したことは明白だった。

 

 私はゆっくりと藤泉の前に歩み寄り、彼を見下ろすようにして口を開いた。

 

「――要」

 

「はっ! 藍染先輩!」 

 

 私が名前を呼んだだけで、藤泉は感極まったように背筋を伸ばし、直立不動の姿勢をとった。

 

「波田野の退学……。盤上の些末な駒が一つ欠けた程度の事象とはいえ、私たちの領域に属する者の消失だ。一体、何があったか説明してもらえるかな?」

 

 私はあくまでオサレに、そして冷徹な響きを帯びた声で問いかけた。

 

 藤泉は悔しそうに眉間を寄せ、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 

「……申し訳ありません、藍染先輩。私にも、詳しい真相は分かりません。学校側からは、彼が試験中に『重大な不正行為』を行ったと通達されましたが、それが具体的にどのような行為だったのか、こちらには一切知らされていないのです。しかし……」

 

 藤泉は言葉を区切り、鋭い視線を宙に向けた。

 

「波田野が連行される際のあの態度を見るに……彼は激しく動揺し、無実を訴えていました。明らかに、何者かの手によって巧妙に嵌められた様子だったのです」

 

「……嵌められた、か」

 

 私が小さく呟くと、横から八神が静かに補足を入れた。

 

「Cクラスのリーダー格の生徒は、Dクラスの宝泉くんを疑っていました。宝泉くんは普段から素行が悪く、他クラスの生徒を標的にすることもあるからです。……真実は分かりません。ですが、この一件で、一年生たちの間には今、誰も信じられないような不穏な空気が流れています」

 

(なるほどな……。宝泉が噛んでいる可能性もゼロではない。だが……)

 

 私は冷たい瞳の奥で、高速で情報を処理し、最も蓋然性の高い仮説を組み立てていく。

 

(過ごした時間が短いとはいえ、同じ生徒会の仲間が退学、か。だが、流石に学年が違うと、どうしようもないな。……しかし、要が『分からない』と口にするほど証拠を残さずに波田野を嵌めたとなると、並大抵の実力者じゃない)

 

 私の脳裏に、ある一つの可能性が浮かび上がる。

 

(ホワイトルームからの刺客、か。月城が清隆を退学にさせるために送り込んだ、未知の実力を持つ一年生。そいつが、清隆を狙うための予行演習、あるいは自身の腕試しとして、同じ学年の優秀な生徒を標的にして手口を試したってことか?)

 

 もしそうだとすれば、波田野はあまりにも不運な生贄だ。見えざる敵の存在が、確かな輪郭を持ってこの盤上に影を落とし始めている。

 

「そんな……波田野くん、せっかく生徒会の仲間になれたのに。いくら試験とはいえ、こんな形で退学になるなんて、悲しいね……」

 

 一之瀬が辛そうに眉を下げ、八神と藤泉を気遣うように慰めの言葉をかけた。彼女のその底抜けの優しさは、仲間を失った彼らにとって少しの救いになっただろう。

 

「……学年が違うと、俺たちにはどうしようもないことだ。一之瀬、お前がそこまで気に病む必要はない」

 

 沈んだ空気を断ち切るように、南雲がデスクから立ち上がりながら、現実的で冷徹な言葉を投げかけた。

 

「一年生には一年生の戦いがある。波田野が嵌められたのだとしたら、それはそいつの隙だ。俺たち生徒会が同情で動くことはない」

 

「……はい。分かっています、南雲先輩」

 

 一之瀬は小さく頷き、自らを納得させるように深呼吸をした。

 

「さて、一年生のお悔やみはここまでだ。空気を切り替えるぞ」

 

 南雲は部屋の中央へと進み出ると、私たち全員を見渡し、威厳に満ちた声で宣言した。

 

「今日、お前たちを集めたのは他でもない。今後の生徒会の動きに関わる、重大な仕事があるからだ」

 

 その言葉に、室内の空気が一気に引き締まる。

 

「――夏休みに行われる特別試験。それが今回は『三学年合同』で行われる大規模なものになるという通達が、学校側からあった」

 

「! 三学年合同、ですか……!?」

 

 八神が驚きに目を丸くし、藤泉も微かに表情を強張らせた。

 

 入学して間もない彼らにとって、上級生と直接交わる大規模な試験など、未知の領域以外の何物でもないだろう。

 

「南雲会長。我々生徒会役員とはいえ、事前にそのような重大な試験情報が与えられて、果たして大丈夫なのでしょうか? 公平性の観点から問題になるのでは……」

 

 真面目な藤泉が、不安そうに質問を投げかける。

 

 南雲はフッと口角を吊り上げ、彼ら一年生たちに向けて鋭い視線を突き刺した。

 

「当然だが、お前たちは一般生徒ではない。生徒会役員だ。今日ここで聞いた情報は、いかなる理由があろうとも完全に秘匿することが義務付けられている」

 

 その声には、一切の妥協を許さない絶対的な圧があった。

 

「もし、この特別試験の情報を漏らしたことが発覚した場合、退学を含めた極めて重いペナルティが課せられる。……ゆめゆめ、忘れるなよ」

 

「っ……! はい、承知いたしました」

 

 南雲の釘刺しに、八神と藤泉は息を呑んで深く頷いた。

 

「南雲。一年生たちには、この仕組みをもう少し分かりやすく説明してやった方がいいんじゃないか?」

 

 窓際のソファで優雅に紅茶を嗜んでいた鬼龍院が、面白そうに口を挟むと、南雲は「……そうだな」と頷き、説明を続けた。

 

「いいか。基本的には、特別試験のルールや実施時期はすべて学校側が決定する。俺たち生徒会であっても、事前に情報が入ってくることは一切ない。それが大原則だ。だが……」

 

 南雲は言葉を区切り、窓の外へと視線を向けた。

 

「今回のように時折、事前に試験の概要が通達され、ルールに対して生徒会側から『ある程度の要望』を出す権利が与えられる試験が存在する。昨年度、俺たちが経験した林間学校での『混合合宿』などがその典型だ。そして、今回の夏休みの試験が、まさにそれに該当する」

 

「要望を出す権利……なるほど。だから我々に事前に情報が下りてくるのですね」

 

 藤泉が納得したように頷く。

 

「そうだ。そして、学校側から通達された今回の試験の『簡易な概要』はこうだ」

 

 南雲が手元のタブレットを操作し、室内のモニターに情報を映し出した。

 

 ・夏休みに無人島にて実施される。

 

 ・三学年合同のサバイバル試験。

 

 ・期間は二週間。

 

 ・最大六人の大グループを組んで挑む。

 

 ・グループは、同学年であれば他クラスの生徒と自由に組むことが可能。単独での参加も可。

 

 ・全グループの中で、総合ポイントが上位三グループの生徒がいるクラスには、クラスポイントが与えられる。

 

 ・全グループの中で、総合ポイントが下位五グループに沈んだ場合、そのグループのメンバーは全員退学処分となる

 

「なっ……!?」

 

 その過酷すぎるルールの羅列に、一之瀬が弾かれたように声を上げた。

 

「下位五グループが退学……!? しかも最大六人グループが組めるということは、最悪の場合、最大で『三十人』もの生徒が一気に退学になるってことですよね!?」

 

 一之瀬の顔が蒼白になる。誰一人退学させないことを信条とする彼女にとって、これほど残酷なルールはない。

 

「落ち着け、一之瀬。三十人も退学になることはまずあり得ない」

 

 南雲が冷静になだめる。

 

「ルール上、グループは単独でも参加できる。下位五グループがすべて単独参加者だった場合、退学者は五人で済む。……それに、今回の試験での退学の救済措置も用意されているそうだ」

 

「救済措置、ですか……?」

 

「ああ。退学を取り消すためのプライベートポイントだ。通常は一人につき二千万ポイントという大金が必要だが、今回はグループ全体で『六百万ポイント』支払えば、退学を回避できるそうだ」

 

 南雲の説明に、一之瀬は少しだけ安堵の表情を見せた。

 

「六百万……。つまり、六人グループで下位に沈んだとしても、一人あたり百万ポイントを支払えば退学は回避できるということですね」

 

「そうだ。だが……」

 

 南雲は腕を組み、険しい表情を見せた。

 

「いくら救済措置があるとはいえ、一人百万ポイントは大金だ。下位に沈むようなグループが、そんな額を用意できるとは思えない。このままのルールでは、あまりにも退学者が増える可能性が高い。……だから、ここには学校側に要望を出すつもりだ」

 

「ふむ。随分と厳しいルールのようだな」

 

 今まで黙って紅茶を飲んでいた鬼龍院が、面白そうにカップを置き、飄々とした声で口を開いた。

 

「前の理事長が退き、今の月城理事長代行が就任してからというもの、どうにも不可解で悪意に満ちた試験が多いようだね。春先にあった、藍染たちの学年だけで行われた理不尽な『クラス内投票』のように」

 

 鬼龍院の指摘は、極めて鋭い核心を突いていた。

 

(前回行われた特別試験『パートナー筆記試験』。あれで清隆を退学させるための罠を仕掛けたが、月城の思惑は失敗に終わった。その焦りからか、なりふり構わなくなってきているのか?だが……)

 

 私の瞳に、絶対的な支配者としての冷徹な光が宿る。

 

(さすがに、一つの試験で数十人規模の退学者を出すとなれば、学校側も世間体や運営にかなりの影響を受けるはずだ。いくら理事長代行の権限とはいえ、無茶が過ぎる。……それに、生徒会に俺がいる上、こんな雑で美しくないルールをそのまま認めるわけにはいかない)

 

 私はゆっくりと優雅な足取りで南雲のデスクの前へと進み出ると、不敵な笑みを浮かべてオサレに言い放った。

 

「――南雲。天の裁定者は、無能な弱者をただ切り捨てるだけの理不尽を許しはしない。この試験ルールは、あまりにも美しさに欠けている」

 

「ほう?」

 

「――灼熱の太陽の下に、脆き者たちを二週間も晒すのは試練とは呼べない。それは単なる暴虐だ。過酷さは彼らを磨くのではなく、ただ砕くことにしかならない。故に、その無為な時間を削ぎ落とすべきだ。……さらに、精神の器である肉体を置く環境もまた、清廉でなければならない。不浄に沈んだ環境は容易く思考の泥濘を生む。彼らの魂が濁らぬよう、必要なだけの『浄化の場』を用意させる必要がある」

 

 南雲がわずかに目を細め、私の言葉の真意を図っていると、私はさらに核心となる条件を突きつける。

 

「そして、奈落へ落とす条件だ。『下位五組』という単なる絶対数で首を刎ねるなど、知性を欠いた獣の論理に等しい。断頭台の刃は、あくまで設定された最低限の『境界線』を越えられなかった愚者のみに振り下ろされるべきだろう。ただ遅れをとっただけの者にまで、無用な絶望を与える必要はないのだから」

 

 私のその総合的なオサレな対案提示に、室内に一瞬の静寂が訪れる。

 

「……ああ、その通りだ。俺も、全く同じことを考えていた」

 

 南雲が満足げに頷き、私に向かって笑いかけた。

 

「お前と俺の意見が一致したなら、この要望に間違いはないだろう。期間の短縮と衛生設備の拡充、そして退学ボーダーラインの導入。これで学校側に申請しておく。すべてが通るかは分からないが、少なくとも無条件で下位五グループが退学になるという最悪の事態は防げる確率が上がるはずだ」

 

「ありがとうございます、南雲先輩、藍染くん……!」

 

 一之瀬が、パァッと顔を輝かせて私たちに感謝の目を向けた。

 

「よし、特別試験についての話し合いはここまでだ。ここからは通常の業務に移るぞ」

 

 南雲の指示により、場の空気は一旦リセットされ、そこからはいつもの生徒会業務へと移行した。

 

 私は割り当てられた書類整理や各部活動からの申請書の確認作業を、無駄のない完璧な手際で淡々とこなしていく。

 

 そして一時間ほど事務作業に没頭し、本日の業務がすべて片付いた後――。

 

「今日の作業はこれで終了だ。お前ら、夏休みの特別試験に向けて、各々で考えておくことだな。解散!」

 

 南雲の号令と共に、生徒会役員たちはそれぞれに一礼し、部屋を後にしていく。

 

 生徒会室を出た後、一之瀬たち他の役員と別れた私は、茶道部の活動を終えるひよりを迎えに行くため、一人静かな廊下で待っていた。

 

 夕闇が迫る窓辺に背を預けながら、私は深く思考の海へと潜っていく。

 

(夏休みに三学年合同の特別試験か……。まだルールの詳細な説明はないが、三学年合同で競い合うとなれば、ここで大きくクラスポイントが動くことは間違いないだろうな)

 

 窓の外、沈みゆく夕日がグラウンドを赤く染め上げている。

 

 その景色を眺めながら、私の脳内に、二年生の各クラスのリーダーたちの顔が思い浮かぶ。

 

(完全に手を組み、盤石の体制を築いた坂柳と葛城のBクラス。這い上がりを誓う龍園のCクラス。……そして、ついに本気を出し始めた清隆と、殻を破り急成長を遂げている堀北のいるDクラス。清隆がその実力を遺憾なく発揮する以上、下位のクラスの同盟も全く気を抜けない存在になる)

 

 そして、今回の試験の最大の鍵。

 

(同学年なら、他クラスとも同じグループを組める……か。これがどう転ぶかだな)

 

 一之瀬は、どんな選択をするのか。そして、私自身は、この混沌とした盤上でいかにして最も美しく、最もオサレに勝利を掴み取るべきか。

 

 見えざる敵の陰謀と、各クラスの思惑が複雑に絡み合う、次なる試練。

 

 だが、盤面を乱す不確定要素がもう一つある。

 

(波田野を退学に追い込んだ一年生のホワイトルーム生……。そいつが清隆を退学にさせるために、この特別試験で本格的に動いてくるのは間違いない。清隆なら問題なく対処出来るだろうが、奴は生徒会の仲間を理不尽に退学に追い込んだ張本人でもある)

 

 窓に映る自らの瞳が、スッと冷酷な光を帯びるのを感じる。

 

(……もしも、ホワイトルーム生がこれ以上この学校を引っ掻き回して、ひよりやクラスメイトたちにまで害を為すというのなら、その時は――)

 

 一人静かに思考を巡らせていると、カチャリと茶道部の扉が開く音がした。

 

「お待たせしました、惣右介くん」

 

「――ああ。お疲れ様、ひより。今日も美しい時間を過ごせたかな?」

 

「ふふっ、はい! とっても楽しかったです」

 

 いつものように天使の微笑みを浮かべて駆け寄ってくる彼女を見て、私は複雑な思考を一度頭の隅へと追いやり、優しくエスコートして帰路に就いた。

 

 私たちはそのままケヤキモールへと立ち寄り、スーパーで夕食の食材を買い込んだ。

 

 自室に戻ると、二人でキッチンに立ち、簡単な手料理を完成させて、向かい合って夕食を楽しむ。殺伐とした特別試験の裏側で、このささやかな日常の時間は私にとって何よりの癒しだった。

 

 食後は、ソファで温かい紅茶を飲みながら互いに読書を楽しむか、テーブルに教科書とノートを広げて勉強会をするのが、私たちの定番の過ごし方だ。

 

 今日はテストも近いということで、後者の勉強会へと移行する。

 

 入学以来、これまでのすべての試験で『100点満点』を取り続けている私は、言うなれば彼女の専属家庭教師だ。

 

『私は運動の面ではあまりお役に立てませんから……せめて学力だけは、もっと高めておきたいんです』

 

 そう言ってひたむきに机に向かう彼女に、私が分かりやすく解法を教える。もともと学力の高い彼女だが、最近ではさらにめざましい成績の伸びを見せている。

 

 本を読み交わす静寂の時間も好きだが、こうして勉強を教える過程で自然と距離が近づき、時折目が合っては照れくさそうに笑い合うのも、たまらなく甘く穏やかなひとときだった。

 

 やがて門限の時間が近づき、私はひよりを自室前まで送り届けた。

 

「それじゃあ、また明日。ゆっくり休むといい」

 

「はい……あの、惣右介くん」

 

 私が別れの挨拶を告げて踵を返そうとした、その時だった。

 

 ひよりが少しだけ身を乗り出し、私のシャツの袖口をきゅっと小さな手で掴んだのだ。

 

「ん? どうしたんだい?」

 

 振り返ると、ひよりがわずかに潤んだ瞳で、私をじっと上目遣いで見つめていた。

 

 言葉には出さないが、その表情からは『まだ離れたくない』という愛おしい未練が痛いほどに伝わってくる。

 

(っ……!?)

 

 私はオサレな外面を総動員して自制心を保ちながら、袖を掴む彼女の手の上にそっと自分の手を重ねた。

 

 そして、一歩距離を詰めると、少し背伸びをして目を閉じた彼女の柔らかい唇に、優しくおやすみのキスを落とした。

 

 そのまま、彼女の細い身体を腕の中にすっぽりと包み込むように抱きしめる。 

 

「……おやすみ、私の月」

 

「……えへへ。おやすみなさい、惣右介くん」

 

 ひよりは満足そうに目を細め、ぽっと頬を染めながら自室の扉の奥へと消えていった。

 

 彼女を見送った後、私は一人で自室へと続く廊下を歩きながら、先ほどまで必死に押さえ込んでいた感情を一気に爆発させた。

 

(可愛すぎるってぇぇぇぇ!!! なに今の破壊力!? あの上目遣いと潤んだ瞳!!! 天使か!? いや女神か!? あんなんされたら世界征服でもなんでも言うこと聞いちゃうよ俺!!)

 

 迫り来る特別試験の嵐、ホワイトルームからの刺客への警戒を怠るつもりはないが……あのひよりの破壊力抜群な反応は、私の冷徹な思考をいとも容易く溶かしてしまった。

 

 私は一人、デレデレに緩みきった顔を夜の闇に隠しながら、最高に満たされた足取りで自室へと帰るのだった――。

 

 

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