本作は以前投稿していた作品を大幅に改題・改変・改稿したものになります。
前作を改変したもの、というより前作を踏襲した全くの別作品といった趣ですので、前作を読んでいない方にも、または前作を覚えてくださっている方にも楽しんで読んでいただけると思います。
拙作ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
白い霧から始まる。
これはいつもの夢――。
雲一つない快晴。
だいぶ地上に近付いた太陽がさんさんと屋上を照らす。
いや、照らされているのは“彼女”だけか。
彼女はへの字に結んだ口にストローを咥えながら、どこか厭世感を感じさせる面持ちで、コンクリート床の上で横になっていた。
ここには彼女しかいなかった。
場所は、校舎の屋上。
時間は、既に放課後。
グラウンドのスポーツ系部活動の喧騒も、後者に面した道路を走る車の騒音も、いずれも遠い世界。
左手に持っている、空になったコーヒー飲料の紙パックをくしゃりと潰す。
残ったコーヒーが雫となってかすかに宙を舞った。
制服を汚したかな――。
一瞬だけ雫を放ったことを後悔するが、まあもはや詮無き事とすぐさま諦めの境地に至る。
思いに耽る。
今日はどんな一日だったっけか――。
覚えている。
朧げにだが、覚えている。
やたら板書が長ったらしい国語の授業だとか。
まるで宇宙人の暗号解読みたいな数学の授業だとか。
日本人なら日本語だけでいいじゃんとケチ付けたくなる英語の授業だとか。
それらの授業のほとんどは子守唄として程よく、彼女は大半を寝て過ごしていた。
夢の中なのに、寝て過ごしていたというのもおかしな表現だ。
そう、夢。
これは夢の中の話。
どこぞの学校の校舎の屋上で横になっていることも、左手でコーヒーの紙パックを握り潰したのも。
つまらない授業を寝て過ごしていたことも。
どこにでもあるようなありふれた学校生活。
だがどこまでがありふれていて、どこからが例外なのか。
それは夢の距離とも言えた。
そして、決まって夢は白い霧から始まる。
夢に入ってしまえば何事もない。
ただ退屈な学校生活を一から送って、十まで終わるのを待つ。
でも、その“十”は決まって訪れない。
何故なら。
「……あ~」
彼女は欠伸代わりに起き抜けの声を発した。
そうして、それもまた決まって声に出すのだ。
「……ゆかり……」
ポツリと呟く。
それを合図に、視界にもやがかかる。
太陽だけが鎮座する快晴に、白い霧が覆いかぶさってくる。
ああ今回の夢もここで終わりか――。
今回の夢も十には届かなかった。
白い霧で終わる。
これがいつもの夢――。
夢が終われば、現実が始まる。
これもまた必定だ。
ガリランド王立士官アカデミー。
イヴァリースの西部にあるガリオンヌ領の地方都市ガリランド。
その中に国家最大の仕官養成機関であるアカデミー。
“彼女”はそこにいた。
朝日が昇り、さんさんと陽光が寮の白い壁を照らし、反射する。
生け垣越しに、窓を通して温かな光が部屋の中へと差し込んでくる。
時期は「白羊の月」の始まり時。
太陽は元気でもまだまだ朝が冷える季節だ。
そんな太陽に刺激されて、もぞもぞと。
彼女は毛布をかぶり直した。
「……う~……ん」
しかし一度起きたら体は中で熱を回し始めるわけで。
二度寝、三度寝は上等とばかりにもうひと眠り――としゃれ込むのも非常に乙なのだが。
「……はいはい、朝ですねー。起きればいいんでしょ、起きれば……」
むにゃむにゃと、緩み切った表情筋をだらしなく垂らしながら、毛布を剥ぎ取って身を起こした。
両足をベッドの外に落とし、両腕をグッと持ち上げて肩、背中を大きく伸ばす。
剥がした毛布はそのまま放り出し、スリッパを履いて立ち上がった。
ペタペタとスリッパで床を叩きながら洗面所へ。
長方形の壁掛け鏡を前に、洗面所の蛇口を捻る。
まだ冬の冷たさを残した水を掬い取って顔を洗い、フカフカのハンドタオルでごしごしと拭った。
脇に置いてある櫛を取り、髪を梳く。
アカデミーに入寮して以来の流れ作業だ。
「……うむ、今日も可愛いぞ。私」
努めてニカっと笑顔を作ってみせる。
中性的な、やや吊り目気味の面持ちで、端正な顔立ち。
怒った人形みたいだよと言われてへこんだこともある。
いや、きっと人形のように可愛いよと言いたかったに違いないと後付け設定を加えれば、それはそれでアリだな、と思えた。
くるっと洗面所を後にして洋服ダンスへと向かう。
タンスを開くなり、着ていた寝間着のネグリジェを脱ぎ捨ててシャツとスカートを身に付ける。
ニーハイソックスを履いて上着の制服を羽織って。
「よしっ」
準備万端、とばかりに両の手で頬をはたく。
制服のネームタグには――。
「キラ・シルヴェント」
“彼女”の名前が刻まれていた。
人も獣も同じ。
恒常的に働き続ける生物も、冬眠前に備える動物も。
つまり、誰でも腹は減る。
特に活動前の朝は必ず栄養を摂らなければ、その日の体調のサイクルもままなるまい。
そんな常識はぽいと捨てて、朝はスープとシリアルだけで済ませているキラだったが。
「おはようキラ。駄目じゃないか、朝はちゃんと食べなきゃ」
「ほら来た」
「? 何が?」
「いや別に」
横入りには構わず、シリアルを匙で掬って口に運ぶ。
ふやけたシリアルが沁み込んだミルクの甘さに軽く舌鼓を打ち、二口、三口として、あっという間にシリアルが空になった。
スープに手を付けようと皿を寄せようとして、脇に別の皿が差し出される。
見ると、闖入者がサイズの大きなパンを寄せてきていた。
「主食くらいは取らないと。それに挨拶くらいきちんとしなよ」
「はいはい、おはようございます。ラムザ・ベオルブ様」
朝の食堂。
寮生が皆、共同で利用するこの施設は大層広い。
これだけの規模の食事情を司る調理場の料理人とは、さぞ過酷な仕事に違いない。
にも関わらず、この食堂を遺漏なく回している料理人の仕事捌きには舌を巻く。
と。
「あれ、ラムザひとり?」
「ん、ああ」
いつも一緒にいる、ラムザの片割れがいない。
ラムザの副官的存在なのに一緒じゃないとは珍しい。
「今日あたり、歴史学の抜き打ち試験が出るはずだから復習する。だから遅くなるって」
「毎日、朝も抜かない健康優良児が、そういう理由か」
何となく奥歯に物が挟まる心地だったが、納得出来る理由だったので気のせいだと思い直した。
気になったついでに聞いてみる。
「で、名門のラムザ様は如何ほどの自信で?」
「“様”はやめてくれよ……、機嫌を悪くしたなら謝るから」
ラムザがアホ毛をピコピコさせながら、笑顔を崩さずに応えた。
「自信はあんまり無いけど……、多分、ディリータも無いんじゃないかな。だけど結果は出さなきゃいけない。だからいま一生懸命、復習してるんだろうね」
「意外だ。ラムザやディリータにも苦手なモノがあるんだ」
「苦手をそのままにしておくのは流石に怠惰に過ぎると思うよ。自然、ボクもディリータも、きみに負けないよう頑張っているんだ」
「私は別にきみたちに負けないよう頑張ってるつもりはないよ」
「よく言うよ、“首席候補”様」
言葉を交わしながら、キラは受け取ったパンに嚙り付く。
咀嚼し、飲み込んでから朝の談話を続けた。
「ラムザは軍事学、ディリータは帝王学で恒常トップじゃないか。私の出る幕はないよ」
「それ以外の学問に負けてるから皆、密かに頑張ってるんじゃないか」
「私の事なんか気にしなきゃいいのに」
「受講態度は最悪だっていうのに何故か成績は非常に良い。ダーラボン教授も嘆いているよ。アカデミー七不思議のひとつだって」
パンの最後のひとかけらを口に放り込んで、キラは朝食を終わらせる。
「ラムザは?」
「もう済ませたよ。これから差し入れに行くつもり」
「差し入れ?」
「ディリータの朝食。復習内容を教えてもらう土産にね」
「一緒に行くよ。復習内容には興味無いけど」
「自信あるなぁ」
「復習なんて教科書読むだけで十分でしょ」
そう言って、キラは朝食の食器を返却口に戻してラムザに続く。
ラムザの足取りは既に寮に向かっていた。
アカデミー生徒の寮。
当然だけど、男女別だ。
惚れた腫れたをやるのは結構だが良識の範囲内で、ということで異性の寮に入るには厳正な許可を得るのが必要だ。
要するに入り口に警備員がいて、許可なく出入りすることは禁じられている。
にも関わらずキラが男子寮に入れるのは偏にラムザのお陰だ。
コンコン。
「ディリータ、いるかい?」
ラムザは部屋の扉をノックして声を掛けた。
中からくぐもった男の声が返ってくる。
「悪い、いま手が放せない。鍵は開いてるから勝手に入ってきてくれ」
聞いた通り、ドアノブを捻ったら鍵はかかっていなかった。
ドアを開き、部屋の中へ足を踏み入れる。
中はキラの部屋と違い、衣服も生活用品もきれいに整理されていた。
そんな部屋で、ディリータが学用デスクに向かってうんうん唸っている。
「おはようディリータ。相変わらず凄い勉強量だね」
「おはようラムザ。そんなこと言ってるから、おまえはどこか抜けてるんだ。感心してないでおまえも繰り返しノート取れ」
「善処するよ。ところで朝食持ってきたんだけど。どうせ何も食べてないだろうから」
「ああ、そいつはありがたい。横に置いておいてくれ」
ディリータはデスクに嚙り付いたまま、ラムザには視線と返事だけで受け答えを交わしている。
この距離感が二人の絆の強さを物語っていた。
ラムザ・ベオルブ。
アホ毛と背中に垂らした金髪がチャームポイント。
イヴァリースきっての名門で、武門の棟梁「ベオルブ家」の御曹司だ。
兄妹が彼を含めて四人。
正確には正妻の嫡子が上二人の兄で、妾の庶子がラムザとその妹だ。
先の戦争で「イヴァリースの守護神はガリオンヌにあり。ベオルブの名の下にこそ勝利がある」と、当時の国王にべた褒めされるほどの活躍を成したのが、次兄であるザルバッグ・ベオルブ将軍である。
長兄ダイスダーグ・ベオルブ伯もまた非凡な騎士だが、若くして後進に将軍職を譲って政界入りしている。
必然的に、ラムザにもそれだけの重圧がのしかかっているわけで、その心中たるやお察しする。
ディリータ・ハイラル。
ベオルブ伯爵領に仕えていた農民の生まれ。
軽い浅黒い肌色の、茶髪をオールバックが特徴の、如何にもといった平民だ。
幼い頃、両親を黒死病で失い、当時のベオルブ家の家長だったバルバネス・ベオルブのはからいでベオルブ家に生き残った妹と共に招き入れられた。
以後、ラムザとは兄弟のように育ち、今に至る。
ちなみにアカデミーには基本、貴族しか入学出来ないのだが、彼が通えるのはバルバネス伯の口添えがあったから――要するにコネ入学だ。
もちろんキラはその事に差別感情など一切持っていないし、むしろ結果を出さなければならないという無言のプレッシャーがのしかかってきて、ああ気の毒に、と思ったくらいだ。
それも本人の努力と才能で結果を出し続けているのだから、ああコイツなら大丈夫だな、と安心した。
そして、キラ・シルヴェント。
名も知れぬ地方貴族の出身で、男児に恵まれなかったため“男”として教育を受けた。
士官アカデミーに放り込まれて、正式な騎士になるまで帰ってくるなと厳命されている。
成績だけはいいので多分、家族の顔を二度と拝めなくなるということはなさそうだ。
それだけ。
「ねえ、ディリータ」
「どうした、キラ」
声をかけるキラに、ディリータはノートにペンを走らせたまま応える。
「きみ、両親の事は覚えているかい?」
キラの質問に、ディリータのペンを握る手が一瞬止まった。
すぐその手は走り直される。
「物心つく前に死んで、それからはベオルブ家の厄介だ。覚えていない方が幸せだろ」
「じゃあ、今はディリータは幸せなんだ」
「否定はしない。おまえには家族がいるんだろ、せいぜい親孝行しろよ」
それだ。
キラが返す。
「私なんかを士官アカデミーに放り込むために、家族は多分、相当な私財を投げ売ったんだと思うよ。だけどさ、私は家族のことを思い出そうとするといまいちしっくり来ないんだ。ピンボケした写真みたいに不鮮明だし、騎士に仕官してからの展望も、どこかの教科書からコピペしたみたいにありきたりな理由ばっかりでさ」
いつの間にか、ディリータはノートに走らせていたペンを止め、キラの顔を見ていた。
それに気付いたキラは、うっ、と声を詰まらせる。
「おまえが何を言いたいのか……、というか何を言っているのかわからんが」
ディリータはキラの言葉を妄言と切り捨てるわけではなく、慎重に言葉を選んでいるように見えた。
「要は自分が何をしているのかわからないんだろ。だったら人様に見られて恥ずかしくない自分ってやつを目指せばいいんじゃないか。大方、人生なんてそんなもんだろうよ」
キラは眼をパチクリとさせた。
投げやりなようで、ディリータの言は何となく、キラの中にしっくり来た気がするのだ。
「ん、サンキュ、ディリータ」
「どういたしまして、だ。……ところで」
一転、今度はディリータが困り顔でキラに尋ねる。
「この、魔道士エリディブスが晩年20人に与えた魔道学の要点を50字以内でまとめろ、って問題なんだが。どの辺が歴史学なんだ? 魔道学と間違えてるんじゃないのか」
「ああ、これは歴史学と魔道学の混合問題。歴史学の教科書、五十年戦争中編のまとめの部分をテキトーに噛み砕いておけば大体正解。難問に見せかけたボーナス問題だよ」
「ホントか」
「ラムザも覚えておいて損はないよ」
キラが振り向くと、いつの間にか後ろでキョトンとしたラムザがいた。
「聞いているのかい、ラムザ?」
「あ、ああ。うん」
ポカンとした表情は直さないまま、ラムザは続ける。
「何て言うか、キラって自由だね」
「そりゃ、キラと言えばフリーダムだからね」
「……? 何の話?」
「さあ?」
言って、キラもまた中空に視線を躍らせていた。
ディリータの出迎えに時間を割いたせい、と言いたいわけではなかったが。
講義開始時間すれすれに講義室に滑り込んだのは事実だった。
急いで席に着いたところで、白い髭をたくわえた教授が入室、登壇する。
ギリギリセーフだ。
「それでは講義を始めます。まずは歴史学の抜き打ち試験から」
講義室内がざわついた。
まさしくディリータの慧眼が当たったわけだ。
キラはテストの空欄を適当に埋めたら、デスクに突っ伏して時間を潰した。
その後の講義の大半も退屈から寝て過ごした。
後で教授から大目玉を食らったのは言うまでもない。
ああ、今日もイヴァリースは平和だ。