俺は、ただ最強になりたかっただけなのに…   作:ポップ

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第四話 冒険者ギルド

 翌朝、私は宿の食堂で黒パンと薄いスープを食べてから、冒険者ギルドへ向かった。昨日買った灰色の頭巾で髪は隠している。これで多少は目立たなくなると思っていたが、完全に効果があるわけではなかった。通りを歩けば、やはり何人かは振り返る。髪を隠しても、顔までは隠せない。姿勢や雰囲気も、普通の旅人とは少し違うのかもしれない。

 

 冒険者ギルドは、ゴルドさんに教えられた通り、中央通りにあった。大きな木造の建物で、入口の上には剣をかたどった看板が掲げられている。朝だというのに、中からは人の声が聞こえていた。笑い声。怒鳴り声。椅子を引く音。酒場に似た空気が、扉の外にまで漏れている。

 

 私は扉の前で一度だけ深呼吸した。

 

「普通に。落ち着いて。登録するだけです」

 

 そう自分に言い聞かせて、扉を開けた。

 

 中は想像していたより広かった。右側には酒場のようにテーブルが並び、何人もの冒険者らしき人々が座っている。腰に剣を下げた男、槍を壁に立てかけている女、革鎧を着た若者、顔に傷のある大柄な男。左側の壁には依頼書らしき紙がいくつも貼られていて、奥には受付のカウンターがあった。

 

 一瞬、いくつもの視線がこちらに向いた。

 

 やはり見られる。私はそれを意識しないようにして、受付へ向かった。受付には、二十代前半くらいの女性が座っていた。明るい栗色の髪を後ろでまとめ、淡々と書類を整理している。

 

「すみません。冒険者登録をしたいのですが」

 

 私がそう言うと、受付嬢は顔を上げた。ほんの少しだけ目を丸くしたが、すぐに仕事用の表情に戻る。

 

「新規登録ですね。お名前をお願いします」

 

「リオです」

 

「姓はありますか?」

 

「ありません」

 

「では、リオさん。年齢は?」

 

「十八です」

 

 転生時の年齢が十八歳と言われていたので、そう答える。受付嬢は木の板に何かを書きつけた。

 

「登録料は銀貨一枚です。冒険者証の発行、初回説明、登録石による確認を含みます」

 

 銀貨一枚。安くはないが、払えない額ではない。私は腰袋から銀貨を一枚取り出してカウンターに置いた。

 

「確認というのは?」

 

「重大犯罪者や、ギルドに登録できない呪印持ちでないかを確認するものです。通常の喧嘩や、正当防衛、魔獣討伐などには反応しません」

 

 その説明を聞いて、少しだけ安心した。やはり、昨日の盗賊との件は問題にならないらしい。あれはどう考えても正当防衛だ。向こうが先に襲ってきた。しかも、私は女神のような存在から「最強」を望んで得た体だ。風邪もひかず、病気にもならず、理不尽な問題の多くは自然と防げる。そんな感覚がある。

 

 もちろん、だからといって何をしてもいいわけではない。そこを間違えれば、私は人ではなくなる。

 

「分かりました」

 

 受付嬢はカウンターの下から、拳ほどの大きさの透明な石を取り出した。

 

「この登録石に手を置いてください。数秒で終わります」

 

 私は言われた通り、石に右手を置いた。石は少し冷たかった。すぐに淡い光が灯り、私の手の下でゆっくり揺れる。痛みはない。ただ、体の奥にある力が、ほんの一瞬だけ石に触れられたような感覚があった。

 

 光は白から薄い青に変わり、すぐに消えた。

 

「問題ありません」

 

 受付嬢はあっさりと言った。

 

「これで登録できます。リオさんは本日よりFランク冒険者です。ランクは下からF、E、D、C、B、A、Sとなります。最初はFランクから開始です」

 

「はい」

 

「受けられる依頼は、Fランクまたは一部のEランク補助依頼です。薬草採取、町中の雑用、小型魔獣の討伐補助などですね。無断で高ランク依頼を受けることはできません。依頼失敗が続くと罰金、悪質な場合は登録停止になります」

 

 受付嬢は慣れた口調で説明を続ける。私はなるべく真剣に聞いた。どれだけ力があっても、この世界の仕組みを知らなければ面倒になる。力で突破できるとしても、力で突破し続ける生き方はしたくない。

 

「冒険者証はこちらです」

 

 差し出されたのは、手のひらに収まる金属の札だった。名前とFの文字が刻まれている。裏にはギルドの紋章らしきものが入っていた。

 

「依頼を受ける時は、掲示板から依頼書を取って受付へ持ってきてください。完了後は証明品や依頼主の確認印を提出してください」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

 私は冒険者証を受け取った。

 

 その時、背後から笑い声が聞こえた。

 

「おいおい、見ろよ。あんな若くて綺麗な姉ちゃんが、今から冒険者になるんだとよ」

 

「新人か?しかもFランクだろ。こりゃ先輩として、色々教えてやらねえとなあ」

 

「手取り足取り、ってやつか?」

 

 下品な笑い声が重なる。私は振り返らなかった。聞こえないふりをして、冒険者証をしまう。胸の奥が少しだけざわついた。昨日の盗賊たちほどではない。けれど、似た匂いがする。こちらを下に見て、好きにできると思っている声。

 

 受付嬢は何も言わなかった。表情も変えず、次の書類を整理している。ここでは、こういうことは珍しくないのだろう。新人がからかわれる。女が絡まれる。受付は基本的に干渉しない。そういう場所なのかもしれない。

 

 私は小さく息を吐いた。

 

 依頼書を見に行こう。

 

 そう思って受付を離れ、掲示板へ向かおうとした時だった。

 

 横から、ひょいと足が伸びた。

 

 私の前を塞ぐように、椅子に座っていた男が足を投げ出していた。大柄な男だった。三十代くらいだろうか。無精髭を生やし、革鎧の上から使い込まれた外套を羽織っている。腰には剣。腕も太い。いかにも荒っぽい冒険者という見た目だった。

 

 周囲の男たちが、にやにやしながらこちらを見ている。

 

 私は足を止めた。

 

「通してもらえませんか?」

 

 できるだけ穏やかに言った。だが、男は足をどけなかった。

 

「まあ待てよ、新人さん。女一人で冒険者なんて危ないぜぇ?」

 

 男はわざとらしく笑った。

 

「俺が優しく冒険者のイロハを教えてやるからよ。今から一緒に俺の宿にでも行こうや。ここじゃ話しにくいことも、ゆっくり教えてやれるぜ」

 

 周りからまた笑い声が起こった。

 

 普通なら、ここで怒るのだと思う。足を蹴り飛ばす。腕をひねる。あるいは、受付に助けを求める。けれど、私はすぐには動かなかった。

 

 男の声に混じる下心。こちらを舐めた視線。自分が上だと思い込んでいる態度。それらが、胸の奥にある熱をゆっくり揺らした。

 

 危ない。

 

 分かっている。

 

 ついて行くべきではない。こんな男と二人きりになるべきではない。常識で考えれば、そうだ。

 

 けれど、足が動かなかった。いや、違う。動かないのではなく、別の方向へ動こうとしていた。

 

 この男を、もっと近くで見たい。

 

 強がっている顔が崩れる瞬間を見たい。

 

 さっきまで笑っていた口が、震えて言葉を失うところを見たい。

 

 私は自分の中の考えにぞっとした。けれど、同時に、抗いきれないほど甘い誘惑でもあった。

 

「……分かりました」

 

 私がそう言うと、男の目が一瞬だけ丸くなった。周囲の男たちも、少しざわつく。

 

「お、話が分かるじゃねえか」

 

「ただし、人目のあるところでは困ります。静かな場所でお願いします」

 

 自分で言いながら、私は心の奥が冷えていくのを感じた。これは本当に私の意思なのか。それとも、代償の衝動に押されているのか。分からない。けれど、もう足は止まらなかった。

 

 男は下品に笑い、椅子から立ち上がった。

 

「いいぜ。ついてきな」

 

 受付嬢は、やはり何も言わなかった。私たちがギルドを出ていくのを、ちらりと見ただけだった。

 

 男に連れて行かれた宿は、私が泊まっている『休み鳥の宿』より少しだけ上等だった。入口は広く、扉も新しい。食堂も清潔で、客も少し身なりがいい。男は慣れた様子で店主に何かを言い、二階の部屋へ向かった。

 

 私はその後ろをついていく。階段を上る間、胸の奥の熱は少しずつ強くなっていた。

 

 部屋に入ると、男は扉を閉めた。鍵まではかけなかったが、十分に密室だった。部屋には寝台と机、椅子が一つ。私の宿より広く、窓も大きい。

 

 男は振り返り、にやりと笑った。

 

「さて、新人ちゃん。まずは先輩への礼儀ってやつを――」

 

 そこまでだった。

 

 私は無意識に踏み込んでいた。男の首に片手を伸ばし、そのまま掴む。

 

「ぐっ……!?」

 

 男の目が見開かれる。私はそのまま腕を上げた。男の足が床から離れる。大きな体が、私の片手だけで持ち上がっていた。

 

 軽い。

 

 やはり、軽い。

 

 男は両手で私の手首を掴み、必死に引きはがそうとした。だが、びくともしない。顔が赤くなり、足がばたつく。さっきまでの余裕は、もうどこにもなかった。

 

 胸の奥が、ぞくりと震えた。

 

「黙って下さい」

 

 私は自分でも驚くほど静かな声で言った。

 

 男は何かを叫ぼうとした。だが、首を掴まれているせいで、まともな声にならない。

 

「静かにしましょうね。声をあげると、大変な事になってしまいますよ?」

 

 その言葉を口にした瞬間、背筋に冷たいものが走った。私は今、本気でそう言った。脅しではなく、そうなってしまうかもしれないという予感があった。

 

 男の動きが少し弱まる。だが、まだもがいていた。

 

 私は空いている方の手で、男の右手を取った。

 

「暴れないで下さいね」

 

 人差し指をつかむ。

 

 軽く力を入れた。

 

 短い音がした。

 

 男の顔が苦痛に歪む。叫びたくても叫べない。口が大きく開き、喉の奥から潰れた音だけが漏れた。目には一気に涙が浮かぶ。

 

 その顔を見た瞬間、胸の奥が甘く溶けた。

 

 可愛い。

 

 また、そう思ってしまった。

 

 昨日の盗賊の時と同じだ。怯えて、痛がって、後悔して、自分の立場をようやく理解した顔。それが、どうしようもなく愛おしく見える。

 

「まだ分かりませんか?」

 

 私はさらに中指を取った。男は必死に首を横に振ろうとする。だが、私の手が首を掴んでいるせいで、うまく動かない。

 

「分からないなら、仕方ありませんね」

 

 また、短い音。

 

 男の体が大きく跳ねた。涙が頬を伝う。足が空中でばたつき、床板を蹴る音がした。

 

「次は薬指です」

 

 私は優しく言った。

 

 その瞬間、男の目が大きく見開かれた。必死に首を上下させる。分かった。分かったからやめてくれ。そう言いたいのだろう。声は出せない。けれど、全身でそう訴えていた。

 

 私はしばらくその顔を見つめた。

 

 そして、微笑んだ。

 

「分かってもらえましたか、いい子ですね」

 

 自分の声が、怖いほど優しかった。

 

 私は男を床に落とさないよう、ゆっくりと下ろした。首から手を離すと、男は膝をつき、咳き込みながら床に手をついた。右手を抱え、涙を流して震えている。

 

「座って下さい」

 

 私は寝台に腰を下ろし、その隣を軽く叩いた。

 

 男は動かなかった。

 

「座って下さい」

 

 もう一度言うと、男はびくりと肩を震わせた。そして、痛む手を庇いながら、恐る恐る寝台の端に座った。体格は男の方がずっと大きい。だが、今は小さな子供のように縮こまっている。

 

「お名前は?」

 

 私は尋ねた。

 

「が……ガル……」

 

「ガルさんですね」

 

 ガルは泣きながら頷いた。

 

「冒険者ランクは?」

 

「し、C……Cランクだ……」

 

「へぇ~結構高いんですね。羨ましいです」

 

 私は笑顔でそう言った。

 

 冒険者ランクは、F、E、D、C、B、A、Sの順だと聞いている。私は一番下のFランク。ガルはCランク。普通に考えれば、かなり経験を積んだ冒険者なのだろう。

 

 そのCランクが、今は私の隣で震えている。

 

 私は自分の胸の奥が満たされていくのを感じた。

 

「パーティは組んでいますか?」

 

「い、いない……今は、一人だ……」

 

「そうですか」

 

 それは都合がいい。私は少し考えた。仕事を探すなら、冒険者ギルドが一番早い。けれど、私はこの世界の常識も、魔獣のことも、依頼の受け方もよく分かっていない。知識が必要だ。案内役が必要だ。

 

 そして、目の前にはCランクの冒険者がいる。荒っぽく、軽率で、私を舐めて絡んできた男。だが、経験はある。ギルドの仕組みも知っているだろう。町の危険も、冒険者の常識も、依頼の選び方も。

 

 何より、もう私に逆らえない。

 

「ガルさん」

 

「は、はい……」

 

「明日から、私とパーティを組んで下さい」

 

 ガルの顔が引きつった。

 

「ぱ、パーティ……?」

 

「はい。私はまだFランクです。この世界の冒険者のことも、依頼の受け方もよく分かっていません。ですから、あなたが私をサポートして下さい」

 

「お、俺が……?」

 

「嫌ですか?」

 

 私は優しく聞いた。

 

 ガルの視線が、私の手に落ちる。さっき自分の指を折った手だ。彼の体が小さく震えた。

 

「い、嫌じゃ、ない……です……」

 

「返事ははっきりして下さい」

 

「わっ、分かりました……!」

 

 ガルは泣きながらそう言った。声は情けなく震えていたが、確かに返事をした。

 

 私は満足して微笑んだ。

 

「宜しい」

 

 そう言った瞬間、ガルの肩からさらに力が抜けた。安心したのか、絶望したのかは分からない。たぶん両方だろう。

 

「明日の朝、冒険者ギルドで待っています。私が困らないよう、依頼の選び方や、町の外の危険について教えて下さい。あと、今日のことを誰かに話すのはおすすめしません」

 

 ガルは青い顔で何度も頷いた。

 

「もちろん、きちんとサポートしてくれたら、私はあなたにひどいことはしません」

 

「ほ、本当か……?」

 

「はい」

 

 私は微笑んだ。

 

「いい子にしていれば、ですけど」

 

 ガルはまた震えた。

 

 私は立ち上がり、服の乱れを軽く整えた。やってしまった。分かっている。これは普通ではない。人として正しい行動ではない。だが、胸の奥は満たされていた。盗賊の時よりも、ずっと静かに、甘く。

 

 自分が怖い。

 

 けれど、今はそれ以上に、気分がよかった。

 

「それじゃあ、また明日」

 

 私は扉へ向かった。途中で振り返ると、ガルは寝台の端で呆然としていた。折れた指を抱え、涙の跡を頬に残しながら、何が起こったのか理解しきれていない顔をしている。

 

 その顔を見て、また胸が温かくなった。

 

「逃げないで下さいね」

 

 ガルは何度も頷いた。

 

 私は部屋を出た。

 

 廊下を歩き、階段を下り、宿の外へ出る。外の空気は少し冷たく、町の音が戻ってきた。人々の声。馬車の音。屋台の呼び込み。何も変わっていない。世界は普通に動いている。

 

 けれど、私の中では何かが確かに変わっていた。

 

 ガルというCランク冒険者が、明日から私をサポートする。これで冒険者としての最初の一歩は、少し楽になるかもしれない。

 

 そう思うと、自然と足取りが軽くなった。

 

「明日は、依頼を受けられそうですね」

 

 私は小さく呟いた。声が少し弾んでいるのが、自分でも分かった。

 

 そのまま、私は自分の宿へ戻った。

 

 まるで楽しい買い物でも済ませた後のような気分だった。頭巾の下で、口元が緩む。普通なら、後悔するべきなのかもしれない。怖がるべきなのかもしれない。自分がしたことを、もっと深刻に受け止めるべきなのかもしれない。

 

 けれど、胸の奥にある代償は、そんな私を甘やかすように熱を帯びていた。

 

 ガルは、今頃あの部屋で後悔しているだろう。どうしてあんな女に声をかけたのか。どうして足を出して通せんぼなどしたのか。どうして、もっと早く逃げなかったのか。

 

 その後悔を想像すると、また少しだけ楽しくなった。

 

「……駄目ですね、私」

 

 そう言いながらも、私は笑っていた。

 

 人として生きると決めたばかりなのに。

 

 どうやら私は、思っていたよりずっと危うい場所に立っているらしかった。

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