ある春の暖かい日。眠くなるくらいのポカポカ陽気。今日も何も起きないのだろうと、普段と同じように執務室で何年経っても慣れない事務仕事をこなしていると、換気のために開け放っていた扉から、優しい風と共に黒い影が舞い込んできた。
「ひゃっ…!て、鴉…?あんた、何でこんなところに…?」
扉から低空飛行で滑り降りてきた鴉はこちらを見ると、掴んでいた白い物体を離して嘴でトントンと叩いてみせた。それは、やけに細長い紙だった。
「何よ、これ?私に…ってことよね」
拾い上げて眺めてみる。意味不明の文字列。どうやら、暗号らしい。こういう暗号には、決まった解法があるのが定石だ。近場にあった棒に、先ほどの紙を巻きつけてみる。すると、出鱈目に並んだ文字たちが、きちんと整列を始めた。
「はい、当たり。…help me ena、ねぇ。エナ…差出人の名前かな、切羽詰まってるのか知らないけど、手がかり少なすぎよ…」
助けて欲しいこと、差出人の名前はわかった。ただそれだけでは当然動けない。情報が足りないのだ。いくら助けを呼ばれたところで、その本人がいないのでは話にならない。そんな悩みを払うかの様に、鴉が一声鳴いて、こちらを眺めてくる。見つめ返せば、そいつは扉の先を翼で指しやり、頭をくいくいと振ってみせた。
「あんた、着いてこいって言いたいの…?」
こくりと頷く鴉。これは、完全に人語を理解している。こいつに賭ける価値は、ありそうだ。霧の楽団のセキュリティを抜けてボスの執務室までくる能力、只者ではない。明らかに突出している。今は、やってみるしかなさそうだ。私に助けを求めている人がいるんだから。
短刀、よし。お徳用ナイフ、よし。その他撹乱アイテム、よし。体を叩いて装備チェックをする。いつでも出られる様に臨戦体制を整えていたのが功を奏した。この手の案件は、時間が命だ。
「分かったわ。私はあんたを信じる。私を主人のところに連れて行きなさい!上空からで構わないわ、屋根伝いで行った方が早いしね」
そう言って窓を大きく開けてやると、鴉は一目散に飛び立っていく。私も窓から飛び出して、屋根へ登る。律儀に登り終わるのを待っていた鴉がカァ!と鳴いて、滑る様に大空を駆け抜けていく。私もそれに続いて、屋根の上を風になって、跳んで、走る。危険なのは分かっていても、地面にいる時には得られない疾走感が好き。
「あははっ!やっぱり楽しいわねっ!」
パルクールを楽しみながらしばらく走り続けた頃だろうか。先導役が急に止まり、上空で旋回をし始めた。恐らく、着いたのだろう。屋根の上から身を乗り出して下を覗いてみる。そこに見えたのは、不良に絡まれている少女だった。
「ね、あんた。あの女の子が主人でいいのよね?」
鴉の一声。正解らしい。つまり、今すべきことはあの女の子を助けること。依頼内容は不明なので不良は殺せない。無闇に殺しても昼間だし処理が面倒なだけだ。少し脅かしてやろう。
マントの裏側からナイフを何本か取り出し、不良の足元を狙って勢いよく投げる。それから煙玉を放って、反応を見に不良たちの元へ飛び降りる。
少女を路地裏に追い詰めて余裕をこいていた不良たち。だが、足元にナイフが突き刺さるや否や、動きをぴたりと止める。そして、煙玉が着弾。プシューっと煙が撒かれると、露骨にあたふたし始めた。
「ひぃぃっ!き、霧の楽団だ!殺されるっ!」
「逃げろ!こんなところにいられるか!」
「夜の支配者じゃなかったのかよ!まだ全然昼間だぞ!くそっ!」
悪態を吐きながら、怯えながら逃げる彼らを尻目に、ナイフを回収して件の少女に近づく。
「夜の支配者、ねぇ。霧は別に夜に限定されるものでもないけれど」
恐れられているのは暗殺者としてはいいことだが、そもそも誰でも殺すわけじゃないし、白昼堂々暗殺できるなら普通にするしで、勘違いされるのは何だかもやっとするなぁと思いながら、少女を眺める。白髪、ショート、脇で髪を結いていて、眼鏡に赤青のオッドアイ。端正な顔立ちだ。不良に狙われるのも頷ける。正直、かわいい。
「えっと…あなたがエナさん?」
「はい…!よかった、お手紙、届いたんですね…」
「そうね。あなたのペット…?が優秀だったおかげよ」
「そうだった…!オズ、ありがとね…!はい、ご褒美!」
オズと呼ばれた鴉は、エナからソーセージをもらうと、嬉しそうにそれを突き始めた。ここまで結構な距離を往復したのだ、それなりにお腹が空いていたのだろう。ぺろっと平らげている。
「さて…エナさん。あなたが助けを呼んだのは、今の奴等が原因?」
「い、いえ…違います。私は…」
「ストップ、違うのが分かればいいわ。立ち話もあれだし、私の事務所で話しましょ」
こんな通りに面した路地裏では、誰に話を聞かれるか分かったものではない。そんな状況で立ち止まって話し込めば、依頼者に危険が及ぶ可能性もある。まずは安全の確保が先決だ。私はエナの手を引き、霧の楽団のアジトへと戻った。
「おや、お帰りなさいませ、ボス!その方はツレですか?」
「門番ご苦労様、この子は今回の依頼者よ」
入り組んだ裏路地の奥の奥。くねくねと曲がった迷路の端にある、私たちのアジト。普通の人では到底辿り着くことは出来ない所に位置している。まあ、一般市民と裏社会とが隣接していたらそれはそれで問題なので、ここにあることに疑問はないが。
エナは初めて見るような景色なのだろう。周りをおずおずと見回しながら私の後ろについて隠れている。
「エナさん、そんなに怖がらなくても大丈夫。ここにあなたに何かしようとする人間はいないわ。誰も私に勝てないし、逆らえないもの」
「そ、そうなんですね…」
門番が路地裏に似つかわしくない鉄製の古風な門を開けると、そこにはもう一枚扉がある。
「さ、入りましょ。あなたの依頼を素早く簡潔にこなしてみせるわ」
エナの背中を押して、扉をくぐった先は中世ヨーロッパ風の内装だ。彼女はこういうのが好きなのか、目を輝かせながら辺りをきょろきょろしている。正直、私のセンスとはあまり合わないのだが。壁にかけてあるよく分からない謎の絵とかは、特に不気味ささえ感じる。
正直なところ、内装を刷新したいのはやまやまなのだが、これを作ったのは父だ。父のお気に入りを崩してしまうのは、気が引ける。
父が謎の病に臥してから、早6年。寝込んで動けない父の生きた証がここにあると思えば、内装の趣味の方向性の違いなど、些細なことだった。
「さて、着いたわ。ここが私の部屋」
アジトの最奥、厳重に守られたところに私の部屋はある。正直出入りが面倒くさいし、襲撃が来たところで負けないのだから、配置換えをして欲しいのだが。
エナを椅子に座らせ、お茶とお菓子を出す。彼女は緊張しているのか、ガチガチに固まってしまっている。
「大丈夫よ。依頼人をとって食ったりはしないし、何も入ってたりしない。危害を加える意味がないしね」
「そ、そそそうですよね!」
「…ま、いいや。それで…私を頼ったってことは、私たちがどういう人間で、自分が何を頼もうとしてるか。ある程度は理解してるってことでいいのよね?」
「…はい。全部、分かって来てますから」
エナの瞳に決心の色が宿る。あくまで、物騒な方法で解決するらしい。それか、もう私たちを頼るしかないレベルまで来ているか、どちらかだろう。
「私たちは、暗殺者集団。あなたがここに来たのは、暗殺者を頼って人を殺してもらうため。その重みが分かってる?背負う覚悟は、ある?」
「はい。私は…もう、嫌な思いをしたくないんです。どうしても!」
「ならいいわ、依頼を話してくれる?あ、あと名前と年齢、一応性別も。形式上メモらなきゃいけないのよね…」
軽い態度に拍子抜けしたのか、ぽかんとした顔をするエナ。が、すぐに切り替えると、ぽつりぽつりと話し始めた。
「えっと、名前はエナ・フルーティア、14歳、女性です…こ、今回の依頼は…」
「ストーカーを、殺して欲しいんです」
「ストーカーを、ねぇ。もう少し詳しく、相手の名前や容姿が分かれば教えてくれる?」
14歳でストーカーに目をつけられて、しかも殺して欲しいと願うとは、相当な人生を歩んできたのだろう。少し同情の念が湧く。
「はい…相手の名前はキモデブ・ヤスオ。体型はお相撲さん。体臭あり。年齢47歳、住所は3丁目の14-8です」
「なるほど…あいつね…心底同情するわ…私も少し前まであいつに追っかけ回されてたのよね…まって?住所はどうやって調べたの?」
完全に同じ境遇だった。キモデブ・ヤスオ。この辺りで有名なロリコンだ。私もつい先日16歳を迎えるまでは執拗に追いかけ回されていたものだ。最近はパタリとやんだものの、要注意人物としてマークしていたから知っていた。まさか住所まで出されるとは思っていなかったが。
「オズに調べてもらいました。この子、頭は特段いいけど見た目はただの鴉ですから…警戒されないんです」
「なるほどね…あなた、頭いいのね…」
ちらりとオズの方を見やると、何だか誇らしげに胸を張っている。まるで人間みたいだ。
「そ、それで…私の依頼、受けてくれますか…?私…怖くて…両親が亡くなって、頼れる親戚もいなくて…守ってくれるのは、オズだけで…」
今にも泣きそうな声で語るエナ。その肩はわなわなと震え、膝の上に握った拳に力が入っている。殺し屋たるもの、情に流されていけないのは分かっていても、これは心にくるものがあった。思わずこちらまで身に力が入ってしまう。
「そうね…分かった。その依頼、受けるわ!」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!」
涙ぐんでいたエナにパッと笑顔が咲く。ああ、彼女はこうしていた方がかわいい。思わずドキッとしてしまうほどだ。こういう子を曇らせる輩が、一番許せないのだ。
「ところで…あんまこんな話はしたくないんだけど…」
「お代金、ですよね?ちゃんと持って来ました。手持ちは、あんまりないんですけど…」
「そういうのは気持ちだけでいいのよ?依頼料、5セントから、お好きな額ね」
それを聞いたエナがポカンとする。人を1人殺すのに5セントなんて、頭のネジがぶっ飛んでいると思われただろうか。でも自分より年下の少女から大金をむしり取る自分の姿が、どうしても想像できなかった。
「う、噂には聞いていたんですが…本当にやってるんですね、それ…」
「ま、身ぐるみ全部剥がせばいいしね。私の標的って、金持ち多いのよ…」
「えっと…それじゃあ…これでいいですか…?」
そう言ってエナから差し出されたのは100ドルと5セント。正直、予想してた額より10倍はある。しかも先払い。自分が失敗するビジョンは見えないけれど、先払いというのは随分信用されているように感じる。
「私の精一杯の気持ちですから。受け取ってください」
「そうね、ありがたく。本当は後払いでよかったんだけどね?」
お金を受け取りつつ、エナを安心させるため着々と暗殺の準備をする。と言っても、普段使っているものを持っていくだけなので、基本的には装備は変わらない。ナイフを研いだり、装備品の最終確認をしたり。
「それじゃあ、この契約書だけ書いてくれれば成立ね。決行は今夜にでもするわ」
「それじゃあ…これでいいでしょうか」
「うん、確認したわ。じゃあエナさんはここで待ってて。すぐにでもいい報告ができると思うから」
契約書を確認してファイルに閉じる。特にサインの部分はすごく達筆でとても14歳とは思えない。この契約書の内容を理解できる程には、質の高い教育を受けて来たのだろう。こんな子が1人で暮らしていて、今私に大金を払ったと思うと、胸が苦しくなる。でも、依頼人は依頼人。どうしようもないのも事実だ。自分にできるのは殺しだけなのだから。
私たちはゆっくりお茶を飲みながら、陽が沈むのを待った。
すっかり夜も更けて、星空が広がる頃。今日は新月。月明かりがなく、絶好の暗殺日和だ。ささっと済ませて、エナにいい報告をしよう。久しぶりの案件に胸が少し昂る。
「それじゃ、あなたの生活に平穏を取り戻しに行ってくるわ!」
「はい、よろしくお願いします…!」
昼間と同じように窓から脱出し、屋根伝いに目的地を目指す。3丁目14-8。3丁目14-8。忘れないように反芻しながら、頭に叩き込んだ周辺地図をイメージして走る。黒いマントで闇夜に紛れて屋根の上を駆ける。誰にも行動がバレることなんてない、我ながら完璧な作戦だ。
5分ほど走ったところで、目的地に到着。明かりはまだついていることから、標的は未だ起床中のご様子。声は出されるが、侵入はしやすい。まあ、寝てるのと一長一短ではある。私はドアの脇に立ち、堂々と呼び鈴を鳴らす。中からドタドタと、深夜にしては近所迷惑すぎる音が聞こえ、ドアがゆっくりと開かれる。
「ど、どなたですかなぁ?おや?誰もいな」
標的が困惑したタイミングを狙って僅かな隙間をこじ開けて侵入。腹側に拳を叩き込み、流れるように背後を取り、痛みで呻く口に猿轡を噛ませる。
「さて、さよならしましょっか。恨みはない…いやあるわ。あんた、昔よくもキモい追いかけ回し方してくれたわね。沢山の女の子を不幸にしてんのよあれ。じゃ、死になさい」
体をぶんぶん揺さぶり抵抗しようとする標的を片手で押さえつけ、そのまま心臓を狙って短刀を突き立てる。刃は正確に心臓を貫き、血が吹き出す。そのまま、ぴくりとも動かなくなった。
「ふぅ…無事任務完了ね。さて…もしもし?掃除班?3丁目14-8、漁り急行で。犬どもに嗅ぎつけられる前に、よろしくね。あ、いつものはちゃんと置いといてよ」
血に汚れた手を水道で洗い、アジトで待機している掃除屋に連絡。この後は一切何も無かったかのように全てを消し去ってもらうのだ。もちろん、金目のものから何まで全て回収し尽くして。
現場を出る前に、先ほどエナから預かった5セント硬貨を指で弾いて残す。現場にこれだけを残しておくことで、都市伝説的な畏怖を作り出す。
「さーて、帰ってエナさんにいい報告しなきゃね」
依頼達成後の爽やかな気分を増長させるような気持ちいい夜風に煽られながら、鼻歌混じりにアジトへと帰るのだった。
「ただいま、エナさん」
「…あ!おかえりなさい…!」
扉を開けると、そわそわと落ち着かない様子のエナが部屋の中を歩き回っていた。お菓子にもお茶にも手をつけていない。まあ、人殺しの依頼なんてしておいて、何かがお腹に入るような精神状態ではないだろうことは理解できる。
「そ、それで…結果は…?」
「もちろん、大成功よ!この街1番の暗殺者よ?失敗なんてありえないわ」
それを聞いたエナが、ほっと一息をつく。本当に怖い思いをしていたのだろう。嬉し涙らしき雫が、照明に照らされて輝いていた。
「それで…エナさんはこれからどうするの?親も頼れる親戚もいないってことだったけど…」
「そ、それは…」
依頼人に肩入れしすぎるな。これは師匠からの教え。今の私は、似たような境遇の女の子に同情しすぎているかもしれない。けれど、どうしても放っておけなかった。それに、私にできることは、今思いついた。
「もしよければ…私たちと一緒に働かない?エナさんとオズのその能力、きっと役に立つと思うの。衣食住はもちろん保証する。意外と評判いいのよ?うち。あとまぁ…私たちのことを知った以上、表に戻るのはなかなか難しいしね」
実際のところ、かなり能力の高い2人(?)だ。知能が高く、見た目はどこにでもいる鴉という利点を生かして秘密裏に情報を収集できるオズと、それを指揮し、心を通わせているエナ。そのエナもしっかりとした教育を受けていて、事務や秘書の作業ならしっかりこなせるだろう。今霧の楽団に足りない人材を一気に賄えるとなれば、ボスとして採用しない手はない。
「で、でも、いいんですか…?私みたいなのが、役に立てるんでしょうか…」
「もちろん、あなたたちさえよければだけどね。採用権限は私にあるし?どーせ誰も逆らえないし?」
「それじゃあ…これからよろしくお願いします…!ノゥムさん!」
「じゃあこれからはエナね、よろしく。私の隣、任せたわよ。あと、さん付けとか堅苦しいのはなし」
「じゃあ…ノゥムちゃん!よろしく!もう、寂しい思いしなくていいんだ…!」
嬉しそうに笑顔を振り撒くエナと、隣で小躍りするオズ。これからこの部屋も騒がしくなりそうだ。もちろん、いい意味で。
春は、出会いの季節。霧の楽団にも、新たな風が吹いてきた。窓から吹く、桜の花びらを乗せた柔らかな風が、私たちの出会いを祝福してくれているようだった。